ワンドロ『花』
カルみと
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
ふと縞斑が目を開けると、そこは真っ白な部屋だった。
自らの手のひらや体が見えていなければ、目を開けていることすらも疑うほどに白い。一面の白い壁と床が広がる一室を、縞斑は見回す。
「……ーー………!」
ここはどこだろうか、そう呟こうとした声が音になっていないことに気付いた彼は、咄嗟に喉を押さえた。
自分の喉の異常を疑った彼だが、声を出そうとするたびに喉から指に振動が伝わるため、そもそも声が出ていないというわけではないらしい。
振動するものが無いから音にならない、つまりこの空間には空気がないということかと縞斑は妙に冷静に納得する。
というのも、彼にはこの場所が自身の夢の世界であると見当がついていた。
場所に覚えはなく、その上真空状態もどきに身を置きながら息苦しさを感じない。その異常から、これは夢なのだと縞斑はその渦中にいながら気付いたのだ。
とはいえ夢の中にしては殺風景過ぎやしないか、縞斑はそう考えながらあたりを見回す。せめて夢の中くらいは華やかな場所に身を置きたいものだと縞斑は溜息を漏らした。
疲れた体を癒すようなものもなく、手持ち無沙汰に縞斑は部屋の中を歩く。
部屋の端に辿り着いたところで、彼はふと背後から感じる気配に振り返った。
「ーーーー。」
そこには、いつのまにか白い棺のような祭壇が鎮座している。夢の中なのだから前触れもなく物が現れて当たり前だが、縞斑はおそるおそるそちらへ近付いた。
祭壇の上では誰かが眠っている。
いや、それが誰なのか、縞斑は薄々気が付いていた。
「…ーーーーー……。」
思わず口にした呼び慣れた名前は、もちろん音にならず本人に届かない。
両手を組んで静かに眠るその顔色は紙のように白く、色を失った唇からは生気が全く感じられない。まるで、死んでいるかのように。
祭壇の前まで歩いた縞斑は、眠る彼の姿をじっと見下ろす。その体には彼を守るかのように、いくつもの花々が咲き乱れていた。
唇を覆うスモモの花。
目元に散らばるワスレナグサ。
体の上に咲き乱れるスカビオサの青や、キンセンカの赤。マリーゴールドとスイセンの黄は、白しかないこの殺風景な空間において、眩しいほど鮮やかな色を縞斑の目に届けている。
死んだように眠る彼を守るように体を覆うのは、棘を持つアロエの葉たちだ。まるで彼の眠りを妨げるものは許さないというように、鋭い棘を携えている。
まるで幼い頃に絵本で読んだお姫様のようだと縞斑は小さく笑った。
誰よりも美しく可憐だったお姫様が、悪い魔女に呪いを掛けられて眠りについてしまうお話。王子様が迎えに来るまでの間、彼女の暮らしていた城は荊に覆われて誰も近付くことはなかったという。
どうしてか鮮明に思い出した童話に縞斑は笑みを浮かべたまま、そっと眠る彼を覆う花に手を伸ばした。
スモモ。
(誤解です。)
ワスレナグサ。
(私を忘れないでください。)
スカビオサ。
(私は全てを失いました。)
キンセンカ。
(失望しました。)
マリーゴールド。
(絶望しました。)
スイセン。
(もう一度私を愛してください。)
アロエ。
(ただ、悲嘆にくれています。)
花に触れるたび脳裏に響く彼の悲しい叫び。
彼が壊れてしまったのは、今思えば当然のことだったように思える。
全てを否定され、たくさんの命や思いを背負い、出る釘を容赦なく打つ縦社会の中で歯を食いしばって生きていた。
その何気ない言葉の一つ一つが知らないうちに彼の体を貫き、そうして彼を壊していく。縞斑たちがその異常に気付いたのは、手遅れに近い状態に陥ってからだったのだ。
彼が目を覚まさない。
震える声でそう告げてきたのは、今までずっと彼と共にいた相棒だった。迷子の子供のようなその声に、自分は目を逸らしてはいけないものからずっと逃げていたのだと思い知った。
病院に駆けつけて臨んだ彼は既に死人のように冷たくなっていて、医者から告げられた説明をまともに聞くことすらままならなかったことを、縞斑はよく覚えている。
「ーーーーー。」
声は届かない。
体を覆うアロエに触れれば、固く鋭い棘が手を刺した。慌てて手を引くと、指先から赤い小さな玉が滲んでいく。
まるで触れることすらも許されないようだ。指先を見つめた縞斑は小さく笑い、それを乱暴に拭った。
縞斑は彼を覆う花々を必死に掻き分けた。
棘に手を傷つけられようと構わず、縞斑は彼の口に絡みつくスイセンの花を掬い上げる。目元に散らばるワスレナグサを指で拭い、縞斑は彼の頬に手を当てた。
「ーーーーー。」
声は音にならない。それでも縞斑は彼に呼びかける事をやめないまま、そっと顔を寄せる。
音のない世界で、唇が静かに重なった。
眠り姫の目を覚ます王子様なんて、そんな大それたものではない。それでももし、眠る彼に何か変化をもたらすことができるのならば、それは今この夢の中に身を置いている自分だけなのではないかと縞斑は思ったのだ。
彼の唇は冷たい。まるで初めて唇を重ねた時のようだと、縞斑はこんな状況だが小さく笑った。
余裕のある仕草は全て演技で、本当は唇から血の気が引くほど緊張していたのだと、触れ合った時は少しだけ安心した。
付き合っていながら遠くに感じていた彼を、ようやく隣に感じられるようになったのだから。
「ーーーーー。ーーーーー。」
囁く縞斑の頬を涙が伝う。
自分は、なんと愚かだったのだろうか。
彼を救うことのできる立場にありながら、彼からの相談を待つだけだった。彼から助けを求めることができないことなど、長い時間を共にしてきた縞斑には理解できたはずなのに。
触れても彼が目を覚まさないのは、自分が彼の王子様にはなれないという証拠。立場に甘んじて何もしなかった縞斑への罰だ。
「…それでも…後生一生でいいから……」
この先全ての不幸を背負うことになっても構わない。縞斑は祈るように組まれた彼の手に、自分の手を重ね呟く。
「もう一度、目を覚まして笑ってくれよ…」
ぽたりと彼の頬に涙が落ちた。
瞬間、縞斑の視界が瞬く。目を開けていられないほどの光の中で縞斑は離れないよう彼の手を掴もうとしたが、その手は空を掻いた。
「神無ちゃん…!!」
恋人の名前を呼び、縞斑は必死に手を伸ばす。光に包まれた視界の先で、誰かがこちらに手を差し伸べた。
その手を掴もうと必死に伸ばした縞斑の目の前に、黄色の花が飛び込む。
一房にいくつもの黄色の花弁を携えたその花には、花の知識が乏しい縞斑にも見覚えがあった。
小学生の時に育てた球根の名前。咲くまで色が分からず、その色毎に花言葉が異なるのだと教師から聞いて、熱心に図鑑を捲ったことをよく覚えている。
黄色は、そうだ。自分の球根が咲かせた色だった。
「…もう一度、なんて願ってもいいのかな。」
そう呟いた縞斑は、花に両手を伸ばして受け止める。より一層強くなる光に、縞斑は目を閉じた。
※
持続的な電子音が聞こえる。髪を揺らす風の音と、金木犀の香りに、縞斑はゆっくりと目を開けた。
いつのまにか眠ってしまっていたらしい。目を擦りながら縞斑が体を起こすと、彼の肩から毛布が落ちる。
「…?」
床に落ちる前に慌ててそれを拾い上げた彼は小さく首を傾げた。朝方ディーノと交代をしてから、今日は病室に見舞いに来る人間はいない筈だ。
それならば一体誰がこれを掛けたのだろうか。そう考える縞斑の耳にふと、風の音に乗って小さな笑い声が届いた。
声に誘われて顔を上げた縞斑は、小さく息を飲む。
揺れるカーテンの向こうで、病室のベッドから上半身を起こした彼は、驚いた表情の縞斑に笑みを向けた。
「…おはよ、だらだら先輩。」
病的なまでに白い肌と、艶を失った金髪。それでも彼は縞斑に向かってそう微笑む。
呆然と口を開けた縞斑は、毛布が落ちたことも気にせず目の前のその体を抱き寄せた。
「わ、ぶ……なぁに?」
突然の抱擁に驚きながら、彼は穏やかに笑って縞斑の背を撫でる。
随分細くなったその体は、力を込めれば簡単に壊れてしまいそうなほど脆く儚い存在のように感じた。
「神無ちゃん。」
「んー?」
「神無ちゃん…。」
「なぁに?」
「……みとい。」
抱き寄せられた肩が濡れる感触と、普段の縞斑からは考えられない弱々しい声。心配を掛けてしまったのだろうと、神無は目の前の体を抱きしめ返す。
「…ごめんね、ただいま。」
まるで、長い夢を見ているようだった。
真っ暗闇の中で自分を手招きするどす黒い何かから逃れようとがむしゃらに走っていたら、自分を呼ぶ声に救われたのだ。
その声は確かに、今目の前にいる縞斑の声だった。
「…謝るなら、俺の方でしょ、」
「うん……でも、ごめん。」
神無が触れた縞斑の背中は記憶のものより随分小さく感じる。一体どれほどの時間自分は眠り続けて、彼を追い詰めていたのだろうか。
「おかえり、神無ちゃん。」
鼻をすすりながら縞斑はそう言って神無に笑いかけた。その言葉に、神無は目を瞬かせて笑う。
「神無ちゃん?」
「あはは…不思議だけどさ、おかえりがこんなに嬉しい言葉だなんて思わなかったから。」
幼い頃から幾度となく繰り返し聞いてきた言葉は、この世にまだ居場所を持っていることの証拠だ。まだ、自分が生きている証拠だ。
滲んだ涙を拭い、神無は笑う。
「ーーーただいま。」
終
黄色のヒヤシンス。
(貴方となら、何があっても幸せです。)