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返答・多喜の場合

全体公開 創作話 2 6482文字
2023-07-28 17:42:11

多喜、壱樹と霧凍、湊の話。冰叉目も出ます。これからの後/以前公開していた答え再編みたいなものです。

Posted by @lianmiso

 ズキズキと痛む頭はここ数日から続いているものであり、体調不良というわけではない。原因である瓶を乱暴に詰めると、多喜は1階へと向かった。袋の中で擦れる酒瓶のガチャガチャという音さえ頭に響く。
(今日は誰もいなくて良かった。)
 壱樹への提案は湊のためであったが自分のためでもあった。誰かの気配さえ今の多喜の体に障るだろう。台所まで袋と共に這いずり、アルコール臭が残るグラスを濯いでから水を注ぐ。
「うっ!」
 強すぎる水流に水飛沫が左頬に跳ねた。地下水を使っているせいか、真夏でも凍っているように冷たい。
 ―――でも、あの日の湊くんの目の方が。
 湊は壱樹に迷いなく刃を向けた。壱樹にだけではない。巨木に身を隠す多喜と霧凍にも気づき、「邪魔するなら、みんなも」と言わんばかりに放たれたナイフは多喜の左の靴先に刺さった。視線が外されたナイフはすぐに消える。
 湊から発せられた殺気は今も多喜に刺さったまま。
 痺れる冷たさが胸の、腹の奥に残る。
 腕だけがシンクに入り、水が手を伝っている。気がつけば力が抜けてしまい、あの時みたいにへたり込んでいた。シンクの淵に手を掛けて多喜はなんとか立ち上がり蛇口を閉めた。
 着ている白いTシャツ。これが最後の綺麗なシャツだ。今日が洗濯日和で助かった。今のうちに洗濯してアイロンを掛ければ、明日、いや、しばらくは持つ。
 グラス片手に窓へもたれかかり遠くを眺める。東響都都心。グラスの中で歪んだ都心部。繁栄をやめないあの下では悪意と人の欲望が渦となって人を引き込み、喰っている。肉も血も魂も啜られ、世界も剥がれて、この会社に入る前に多喜が暮らしていた都市も呑まれ、堕ちていく。
「そうは見えないんだけどなぁ………。」
 海の上でビル群が太陽を反射し、湾岸部の工場は煙上げ、高速道路を行き交う車は平日でも絶えず大都市はまだ人の息遣いを感じる。
 理央、柳、雪宗が突入するのは烏島埋め立て地の地下だ。業務連絡で知った。表は99階だった。裏の方は歪みが激しく何階かも調査ができていない。完全攻略されたと言われた迷宮はまだ裏の姿を残しており、先行突入した天文省三十木みそぎの面々が行方不明になったことは有名な話。未踏の迷宮だ。
―――僕は。
「多喜。」
「冰叉目さん。」
「珍しいですね。今日は休みでしょう。あの3人と行かなかったんですか。」
 冷蔵庫の中から牛乳を取り出すと、そのまま口を直付けした。
「コップに注ぎなよ。お行儀悪いよ。」
「残り少なかったから別にいいでしょう。代わりも冷蔵部屋にありますから問題ないです。」
 流しに紙パックを置くと乱暴に足で冷蔵庫のドアを閉める。繊細でどんな病や怪我も見逃さないのに冰叉目は日常が雑だった。1年くらい前に「布より人の肌縫う方が得意ですね………」と縫い終わった雑巾は血染めだった。渡された湊はオキシに漬け、手で洗って干していたのを覚えている。困って笑っていたものの幸せそうだった。
「そっちこそ珍しいんじゃない?」
 おはようからおやすみ通り越してまたおはようまで予定がぎっちり埋まっている医者だというのに、事務所にいるのは珍しい。半袖短パンは完全にオフの格好だ。いつもだったら白衣に水着に白のフレアスカートという突っ込みたくなる服装なので新鮮に感じる。
「誰一人健康診断に来ないんで恨み言を言いにきたんです!」
「誰もいませんでしたけど!?」と冰叉目が平手を冷蔵庫に打ち付ける。手が離れるとチラシが貼られていた。
「これから本社に向かいます!そしたら通常の勤務に戻りますよ!どいつもこいつも!健康をなんだと!健康であることは幸せです!不健康は油断より影から忍び寄り、不意に1番来て欲しくない時に来るのです!大事な時に限って体を蝕む!ハイヒールが窓を割るだけではないところを見せてあげますよ!穿ってやる!」
 冰叉目が冷蔵庫を蹴飛ばし、蹴った方が痛かったのか軽く飛び跳ねた。反応からして小指に当たったのだろう。
「どこを、とは聞かないよ。」
 ヒールか先のどちらを使うかわからないが医者が穿つと言ったなら何処でも恐怖だ。
 【checkup or die/検査か死か】と白い紙に赤字で書かれたチラシは見ているだけで気が遠くなる。行かなければハイヒールでバイクに乗って白衣をはためかせながら冰叉目がメスを持って追いかけて来るのだろう。また都市伝説が増える。やめてほしい。うちの事務所だけでいくつ都市伝説を作ったのだろうか。
「僕はちゃんといくよ………。」
 痛む頭を押さえ、かろうじて多喜が返すと「みんなにも言ってください!理央、柳と雪宗にもね!サボりと脱走の常習犯なんですから!」と冰叉目が返す。まだ業務連絡を読んでいないのだろう。知ったら怒り狂う。冷蔵庫最後の日かも知れない。趣味の域に入る壱樹が買い揃えた調味料や霧凍の燃料という名のお菓子、多喜の酒も駄目になるだろう。他の人の物も………
(今は黙っておこう………。)
「多喜はむしろ今必要じゃないですか?顔色がどんどん悪くなっている。質問を質問で返すなんて珍しい。それにそのアルコール臭。工業用エタノールでも呑みましたか?」
「そんなもの呑まないよ。」
 シャツをパタパタさせる。そんな臭うだろうか。冰叉目が一歩引いた。自業自得とはいえ少々傷つく。冰叉目が咳払いした。
「失敬。以前我が社で呑んだ馬鹿共がいました。工業用を思わせるその臭さ、街中に行けば全員避けるでしょう。3人と何かありましたね。」
 なんで答えようか答えあぐねる。冰叉目の苗字は雨辻。湊の母だ。
「冰叉目さんはさ、患者に襲われてショック受けない?」
「まったく。日常です。しょっちゅうです。」
「じゃあ、湊くんは?」
「反抗期くらいあるでしょう。何がいいたいんです。はっきり言いなさい。どうせ今日は誰もいないんです。」
 実は、と多喜が先日の出来事を話す。冰叉目のしかめ面はアルコール臭を受けたからではない。
「多喜さん、怪我は?」
「僕はない。」
 ガン、と冰叉目が机の足を蹴飛ばした。親指の爪が木を抉り、机の足にまた一筋傷が増える。
「ぜんっっっぜん報告受けてないんですよねぇ!まったく壱樹も湊も自分の力と魔法を信じすぎる!霧凍も!!自分で治すには限界があるんですよ!定期検診を受けろ!!」
「あの野郎共!今日が休みなら呼び戻してやる!」と腕捲りをし、スマホを取り出す冰叉目に多喜は「今日はやめて」と止めに掛かる。貴重なオフの日は大事に過ごしてほしい。きっと掛け替えのない日になる。
「話を戻しましょう。多喜は何が怖いんですか?命の取り合いなんて初めてじゃないでしょう。本気がわからない貴方でもない。」
 「買い被りすぎる。」と多喜は抗議するが、冰叉目は一切の反論を許さない。
「味方だった湊に殺気を向けられたショック?それだけじゃないでしょう。同僚に殺されるとわかっていて向こうみずに突っ込んでいった壱樹くん?それともなにもかも見過ごそうとした霧凍くん?―――違う。全部。身近な人間の思いも寄らない方向の感情の昂りが気に掛かる。【奴】が起きる可能性に気づいた。そうでしょう。」
―――あぁ、その通りさ。」
 可能性どころではない。半覚醒だ。
 あの日。霧凍の積極性の無さに自分が頑張らないといけなかった。止める直前に湊の殺気が刺さり、腰が抜けたところに奴が目を覚ました。それ以来『力が欲しいか?』と夜中多喜の胸の中で嗤っている。それだけではない。あの時刺さった殺意の瞬間、傷だらけの壱樹も悪夢として毎晩見せられている。
『大切な者を失いたくないのならば、我を解放しろ。お前の力になる。』
 いくら力が欲しいと言っても病魔を平安の時代にばら撒いたそいつを解放するわけにはいけない。無限住宅で少し出てきただけでも霧凍と壱樹が正体不明の病に襲われた。そいつが原因に違いないと以前に冰叉目とも話し合った。
 今、引き摺ってきた袋の中の瓶は全て日本酒だ。ただの日本酒ではない。各地にて御神酒として捧げられていた銘酒で無理矢理胸の中のモノを沈めていたが限界だ。酒に弱い上味の違う酒を呑み続けるのはある意味チャンポンで悪酔いするのは当たり前。
 このままでは体も精神も参ってしまう。
 そうなると、【こいつ】が。
 胸の辺りを掴む。多喜の白いシャツが皺になる。
「じゃあ、多喜―――。」

 壱樹から「手持ちの金がない!助けて!」と連絡があったのは洗濯物を干し終わった13時だった。
 3人の出掛けたショッピングモールが駅近でよかった。  
 車で行く選択肢もあったが、アルコールの抜け切らない体では酒気帯び運転になってしまう。冰叉目の指摘通り、人は皆多喜を避けて歩いた。
「キャッシュカード、持ち歩いてないの?」
「前に失くしたから金庫に入れてたんだよ。自分で忘れてた。現金しか駄目な店だったのがいけねぇ。霧凍も普段カードや電子決済だし、湊には流石に申し訳ねぇから助かったよ。」
「湊くんはもちろん……霧凍くんも珍しく寝ているね。」
 多喜が着いた時点で湊は立ったまま船を漕いでいた。多喜が声掛けると、一瞬覚醒して顔を綻ばせたがまた眠りの海へ漕ぎ出してしまった。多喜の服を掴みながらふらふらと歩くのは危ないので壱樹が背負い、車まで運んでやった。
 霧凍は3人を尻目にスタスタと車まで歩いていくと、後部座席にさっさと腰掛けた。座席から霧凍に落ちてくる湊を迷惑げにいちいち戻していたが、今では寄りかかりあい眠っている。
「疲れてんだろうなぁ。霧凍なんか打倒、雪宗って感じ。………多喜も悪りぃな。休んでたんだろ。」
「僕の手が空いていて良かった。何処かに行く時はちゃんと財布の中身を確認してね。」
「わかってるって。今日は霧凍がたくさん食べるからさぁ。追加でエビフライとかナポリタンなんかも頼んで、湊も嬉しそうに食ってさ。そうだ、今度多喜も―――
「もう迎えに来れなくなる。」
「えっ?」
 トンネルに差し掛かる。車内がオレンジ色に染まった。幸い前にも横にも車はなく、壱樹は多喜の顔を一瞬見る。
「僕は、事務方に回るよ。」
 鈍行列車で揺られながら過ごす時間は多喜の気を鎮めた。片道1時間。真剣に考えた末だった。
 壱樹の動揺はハンドルにしっかり反映され、車はセンターラインに寄る。
「ちゃんと前見て。」
 このまま事故になったら洒落にならない。多喜の言葉に気を取り直し、壱樹はぎゅっとハンドルを握り直す。多喜の顔はもう見ない。見れないと顔に書いてあった。
「これからも。ずっとね。」
 壱樹はずっと黙ったままだった。

「長く持った方ですよぉ。」
 霧凍はパソコンから顔を上げない。多喜が右耳を掻く。
「あのケチな財務のもとに行くんですかぁ?何もかも遅い総務ですかぁ。それとも何考えているかわからない副所長?」
 表情こそ変わっていないがキーを叩く音が段々と強くなっている。
「冰叉目さんか副所長の秋成さんのところだね。」
「何処に行こうと構いません。先日、あの時貴方が止めるって言ったのに全然動かないで、座り込んでいただけですから貴重なストックを使った上、私1人で3人も運ぶ羽目になったので迷宮に一緒に行ったとしても役に立たないのは目に見えています。」
 霧凍はキーから指を上げると、手をグーパーする。これももう聞けなくなると思うと寂しい。
…………ごめん。」
「貴重なストックだったんですよぉ?謝って済む問題ですかぁ?そうではないことを貴方は理解しているはずですよねぇ。」
「わかっている。何かしらで返すよ。」
「貴方は情に流されやすいと言っても商売人ですからねぇ。」
「そんなに期待しないでくれ。2人に甘えすぎちゃダメだよ。」
「誰が甘えていますか、誰が。」
「じゃあね。」
「酒癖悪いから人様に迷惑を掛けないようにしてくださいねぇ。」
 扉が閉まる直前、ぼそりと霧凍が言った。

「湊くん………
「多喜、さん。いっちゃうんですね。」
 階段下で壁に身を預けていたのは湊だった。湊には言っていない。告げずにさるつもりであった。冰叉目の元につくのであれば自然と顔を合わせるから壱樹や霧凍よりは顔を合わせる。とはいえ、湊が冰叉目の元に帰る事は稀だし、冰叉目も多忙なので、可能性が高いくらいか。
「止めないのかい?」
 ゆっくりと湊は首を振る。一番最初に出て行こうとした自分が言えたものじゃなく、引き留める権利などない。薄暗い中でもはっきりくっきり顔に書いてある。
 散々泣いたのだろう。目が腫れている。
「壱樹くんは危険を顧みず一直線過ぎる。霧凍くんは後で後悔するとしてもバッサリいくからね。衝突は君が止めるんだ。それ以外は2人に甘えちゃえ。」
「いちばん、最初に暴走した僕に、いう事ですか?」
 自嘲し、自分のつま先を見つめた湊の頭にポンと掌を置く。子ども特有のサラサラとした髪は泥藍に染められた絹糸のようだ。肌触りが良く湊はよく人から撫でられている。湊も嬉し恥ずかしの混じる笑みで返していたが今日は俯くばかりだ。
「滅多に暴走しないだろ。君が全てを奪われた迷宮と親友である柳くんのことだったからこそああなった。」
「僕の、せいで。」
 湊の頭の上に置いた手を縦に、横に動かす。
「違うよ。いつかはこうなることだった。」
 また湊が爆発したら壱樹があの日のように受け止めてくれるだろう。契約がされたので霧凍のフォローもきっと入る。仕事では壱樹、霧凍に肩を並べるほどしっかりしていた。実力に心配はない。しかし、湊だけでなく3人とも歳相応に振る舞える所が無くなるのが多喜にとって気がかりだった。
(僕だけじゃ限界がある。冰叉目さんや秋成さん、六花さんと話し合わないとな。)
「多喜、さん?」
 止まった多喜に湊は不思議そうに呼び掛けた。
「後はそうだな。雪宗くんに気をつけてね。」
「多喜さんも、体に気をつけて。お酒、飲みすぎちゃ、ダメですよ。」
 ガラガラとスーツケースを引く。霧凍も湊も酒のことばかり。
「全く僕のこと、どう思っているのか。」
「そりゃあ、湊も霧凍もお前のこと、大切だと思っていたよ。もちろんこれからも、ずっとな。」
 玄関口には壱樹が立っていた。
「今までありがとうね。」
「多喜はしっかりしているから、何処でもやってける。応援してるからな!」
 壱樹は時折鼻を啜る。ぐしぐしと手の甲で何度も目を拭う。
「泣く程かい?会社辞めるわけじゃないよ。」
「だってさ………なかなか会えなくなるだろ。」
 こんなに壱樹が悲しむとは思わなかった。
「お別れ会、したかった。」
「いいよ。」と多喜が自分の前で掌を振る。
「そんなことはお互い辛いだけじゃないか。」
「酒、呑みすぎるなよ。」
「だから、みんなそう言う。僕のことをなんだと思っているのか。」
「休日には酒で羽目外して、すぐ寝る飲兵衛?」
「言ったな?このー!」と多喜が拳を振り上げると、壱樹が笑う。泣きながら笑う。
 うん、この方がいい。
………壱樹くんと呑む酒、楽しみだな。」
「約束、覚えてたんだな。」
「忘れるわけないじゃないか。」
「後2年か。長えような、短えような。霧凍も湊も成人したら一緒に呑むんだからな!」
「わかった、わかった。」
「絶対だからなー!!!」とぶんぶんと手を振る壱樹を背に多喜は振り向かずに手を上げて答える。
 未来。
 この世界は一体どうなっているのか。どうなっていくのか。
(お酒の種類も増えるかな?………湊くんとお酒呑んだら僕、泣いちゃうかもだな。)
 笑みが自然と浮かぶ。
 せめて身近な人の幸せを願いながら、多喜は夜道を歩いた。
―――『お前が望んだ幸せ、叶うわけないだろう。』という【奴】の声には聞こえないふりをして。


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