了遊(付き合ってない)。いつもの本編後、了見が遊作にオムライスを作る話
@d9_bond
了見は、藤木遊作の自室で彼と向かい合いイスに掛けていた。
遊作の部屋にあるイスはテーブルとセットの小さな木製のものと、パソコンデスク用のものの二つだ。遊作は前者に、了見は後者にかけている。ちぐはぐだが普通に使えるので問題はない。
二人の間にある一人用の木製のテーブルには、一枚の皿と牛乳のなみなみと注がれたコップがひとつ。
皿の上にはグリーンサラダの添えられたオムライスが載っている。了見が作ったものだ。
遊作はその大きな目を瞬いて了見を見て、オムライスを見た。親しい者なら分かるだろうが、その翡翠の目は喜色で輝いている。
なにせオムライスは遊作の好物なのだ。
いただきます、と手を合わせて遊作はそっとスプーンを手にした。今日のオムライスはしっかりたまごでくるむタイプのものだ。たまごをたっぷりと使って中が半熟になるように慎重に焼き加減を調整しているので、スプーンを差し入れると大きく沈み、ふわりと湯気とバターの豊かな香りが広がる。すん、と遊作は小さく鼻を鳴らした。彼はこのケチャップのかかった、たまごでしっかり包まれている小判型の王道のオムライスが一等好みのようだった。
遊作はそっとすくったスプーンの一口目を、宝物でも見るかのような眼差しで見つめてからゆっくりと口に運ぶ。
そうしてすぐに相好を崩した。
続けて次のひと匙を口に運ぶ様から味も申し分ないようだと見て取って、了見も頬を緩めた。作るのはすっかり慣れていたし味見もしているので大丈夫と分かっていたが、見るからに嬉しそうな顔をされると達成感もひとしおだ。
遊作もまた、自身を見つめる了見に気が付いて目を細める。
「……おいしい、とても」
「それは良かった」
述べられた感想に頷けば、遊作は「とても、おいしいんだ」ともう一度繰り返した。
了見が遊作の食事を作るのはこれが初めてではない。月に数度ではあるが、暇を見つけて寄っている。
三ヶ月の彷徨から戻ってこちら、藤木遊作は以前と同じように──いや、以前とは違い名実共に一学生としての日常へ戻った。
それは問題ない。むしろ願っていたことだ。
了見はその頃デンシティを離れていたが、念のためと彼の消息は常から探っていたし戻ってきた際にリンクヴレインズで少しばかり話もした。その時は多少疲れも見えたが、そのくらいでさして変わりない様子に思えた。……後にその判断を後悔することになったのだが。
きっかけは、二ヶ月ほど前にデンシティへ戻った時のことだ。
その日了見は贔屓の味が懐かしくて、厚かましいと思いながらも店主のみの営業時間を狙ってカフェナギに顔を出した。
彼は了見の変わらない様子に安堵を見せ(この店主も大概なお人好しだ、とその時は思った)、次いで藤木遊作と会ったかどうか尋ねてきた。
「最近、また細くなった気がしてな。ここに来た時や機会があれば飯を食わせたりはしているんだが、もしきみが遊作と会う事があったら気を付けてやってくれないか」
などと言ってくる。
「そのような機会はありません」
「それは残念だ」
「……それ以前に、私のような人間と会う機会を作るべきではないのでは?」
非難を込めて言うが草薙はちょっとわざとらしく肩をすくめてみせただけだった。
「あいつは自分の事を構うのが下手で、こっちも困ってるんだがなぁ」
と続けて、大きなため息と一緒に、困った困ったと大きなひとりごとまでつける。
立場上どうも強く出にくい相手ではあるが強要されているわけでもない。ということで、「ありませんので」と繰り返して了見は紙袋を手に拠点に戻ったのだが、色々考えた末に結局翌日に了見は遊作の自宅を訪ねていた。
草薙翔一に述べた言葉は本音だが、そんな人間に声をかける必要があるほどに藤木遊作の様子は良くないのかもしれない、と考えたのだ。そこまで見越してあのような言い方をしたのかもしれないが。そういえばあの人はお人好しであるが、裏ではプレイメーカーと組んであれこれやっていた相当な曲者だった、と了見は心中で唸った。知っていたがすっかり忘れていた。
ともかくそんな経緯でもって、近くに来たからと適当過ぎる口実で訪問し数か月ぶりに遊作と対面して了見は驚いた。何の連絡もしていなかったため遊作も驚いていたのだが、その三倍は驚いた。
細い。
藤木遊作はもともと細めだったが、その記憶より明らかに細い。顔色も良いとは言えない。
挨拶もそこそこに、日々きちんと食べているか寝ているかと問い詰めれば当然だと頷く。
「そんな話をしにきたのか?」
「──ああ、そうだ」
初めからそのつもりだったという顔で頷いて、「きちんと」は絶対嘘だと思ったので強引に部屋に入った。そのまま有無を言わさずキッチンへ侵入し、一人用にしても小さな冷蔵庫を開けて絶句した。牛乳とごはんのパックとたまごしかなかった。いや、一応調味料もあった。チューブのマーガリンと塩。冷凍庫に冷凍食品くらいあるかと思えば空……ではなく、霜でいっぱいだった。長らく使っていないのは明白である。
あまりのことに了見はコメントがすぐ浮かばなかった。
「……塩は冷やさなくていい」
辛うじて言えば遊作は首を振った。
「置き場所がない。冷やしても問題ない」
一口コンロと相応のサイズの流し、小さな冷蔵庫しかないキッチンだが塩の置く場所に困る状態ではない。小さな鍋とやや大きめの真っ白なカレー皿、スプーンと箸、ガラスのコップ、湯煎のレトルト食品の詰まった小さな段ボール。台所にあるのはそれが全てだった。十指に足りない。
あまりの惨状と見るからに良くない体の状態に、お前は何をやっているのだと怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、辛うじて飲み込んだ。当人は台所の惨状も自身の状態にも何の疑問も抱いていない様子で、たまごは完全栄養食だ知らないのかなどとのたまっていた。
ともかく、そんな藤木遊作の荒れた生活を目にして了見は自身の判断を悔いもしたし、藤木遊作という人間を見誤っていた、何も知らなかったと痛感した。彼は優しくも強い人間であるし観察力も分析能力も高いが、基本的にその能力は外側にしか向いてないのだ。
しかしこの現状の元の元の元を辿れば元凶は言わずもがなである。
──ということで、この件をきっかけとして鴻上了見は藤木遊作に対しできる限りの手当てをすることを一方的に決定した。
遊作が金銭的理由や手間を惜しんで食事に手を抜いていたわけではないのは分かっている。
だが了見は分かっていないふりで遊作が標準体重になるまで全て手配し面倒を見ると言い渡した。異議申し立ては「草薙翔一からおまえの面倒を見るよう依頼されている」で全て黙らせた。嘘も方便、かの名前の効果は今も絶大である。絶大過ぎて少しばかり不満を感じたくらいに。
むろん了見にもやることがあるため逐一監視は行えない。そのため宅食を手配し強制的にある程度バランスをとれた食事をとらせるようにした。併せて了見が来られる時は簡単な料理を振舞う形で、生活状況の監視を兼ねた食事管理を行うことにした。
そんな経緯でもって冒頭の通り、了見がすっかり得意になったオムライスを作り、遊作が嬉しそうに食べるという現在の図に至ったのだった。
「分かっているとは思うが、サラダも全部食べろ」
「もちろん分かっている」
むう、と口の端を下げつつも遊作は素直にフォークを手にして、オムライスに添えているサラダをつつき始めた。
(素直なことだ)
了見は目を細めて、遊作が食べるさまをつぶさに眺める。
オムライスに限らず了見が作るのはありきたりなメニューばかりだが、遊作はいつもご馳走が出されたかのように喜色をみせ、おいしいと言って丁寧にゆっくり残さず食べる。意外に一口が小さいこともあって、小動物のような印象もある。少し可愛らしい。
サラダをきれいに片付けて、遊作はオムライスに戻った。
中のチキンライスは標準より肉も野菜も多めにしているが、遊作は好き嫌いがないのかおいしそうによく食べた。
「お前は本当にそれが好きだな」
言えば、遊作はむぐむぐ咀嚼しながら不思議そうな顔をした。一緒に出していた牛乳で飲み下すと、了見をじっと見る。
「……おいしいからな」
「それは良かった」
少しばかり笑い出しそうになって、了見は目を伏せた。
こうも警戒心の欠片もないのは些か問題ではないだろうか。こんなろくでもない人間を出入りさせて、何が入っているかも分からないというのに警戒心の欠片もなく出されたものを何の疑問も抱かず食べて、おいしいなどと──ああ、だが以前からこの男はこうだった、と了見はこっそりため息をついた。
かつての敵だろうと何だろうと、一度信じた相手をそのまま信じ続けることに何の躊躇もないのだ。
呆れのような、諦めのような心地で目線を上げれば遊作はまだ了見を見ていた。
「何かつまらない事を考えていないか?」
「──少し、お前の心配をしていた」
「俺の? 何を心配する事がある」
どこか不思議そうに問われて、了見は嘆息した。
遊作は、草薙に心配をかけたくないのか了見が監視しているからかは知らないが、三食きっちり食べるようにはなった。そのおかげか夜もきちんと寝られるようになったらしい。先日会った時には、了見がきまぐれに訪問するため部屋の掃除もそれなりにまめにやっていると言っていた。生活スタイルが整ったおかげで体重も体調もいい方へ向かっている。
しかし全て自発行動ではない上に当人は今だ問題意識が薄い。
心配しかない。
「……そうだな。好物につられて、妙な人間にもついていきそうだと考えていた」
率直に言うのも憚られて適当に茶化してやると、むくれるかと思いきや遊作は薄く笑ってみせた。
「なら無用の心配だ」
「そうか?」
「ああ。俺がつられるのは、どうしたってこれだけだからな」
そう言って遊作は、次のひと匙を口にした。
遊作は、ゆっくりと丁寧に、しかし手を止めず食事を続ける。
了見はその向かいで、テーブルに置かれた左手を見ながらぼんやりと考える。いつまでこの時間が続くだろうかと。
白い手首は今だ細い。
※おまけ 遊作side
最近の遊作は、鴻上了見は大概なお人好しではないだろうか──と考えている。
いつだったか当人は自身を善人ではないなどと称していたが、人の自己評価などあてにならないものなのだ。
そして今、目の前に置かれた皿の上に乗ったものを目にしてそれは一層強くなっていた。
何の装飾もない乳白色の深めの皿には、真っ赤なケチャップのかかった美しい小判型のオムライスが鎮座しており、緑の葉っぱのサラダが添えられている(以前なんとかリーフだとかなんとかレタスだと教えてもらったが忘れた)。
湯気と共にふんわりバターの香りを漂わせているそれは香りの通り良いバターを惜しみなく使われているようだ。鮮やかな黄色から察するに、たまごも良いものなのだろう。黄身と白身がまだらになっていることも焦げもない、なめらかで凹凸のないお手本のようなオムライスだ。皿まで上等な物に見えてくる。
いただきます、と手を合わせて遊作はそっとスプーンを手にした。
いつも一口目はこの完璧な美しさを崩すのがもったいないと感じるが、そのおいしさを知っているのですぐに躊躇を踏み越えてスプーンを差し入れてしまう。
たっぷりとたまごを使っているのでたまごの層が厚く、内側は見事な半熟だ。口にすればとろりとしたたまごと同時にバターの香りが鼻を抜ける。中のチキンライスも、甘みのある玉ねぎとしっとりやわらかな鶏肉にやや濃い目の味付けのケチャップライスの取り合わせがぴったりで、トマトの酸味がバターで濃厚になったたまごを引き立てる。とてもおいしい。
頬が落ちるという比喩があるが、その意味が今なら分かる。きっとおいしさのあまりだらしない緩んだ顔になるのを表現されたのだろう。
何口か食べたところで、了見がこちらを見て満足気な笑みを浮かべているのに気がついた。忙しいだろうにわざわざ人の家に来て、こんなおいしいものを食べさせて、面倒がるどころか喜んでいるような顔をして。やはり自分の見立ては間違っていなさそうだ。
「……おいしい。とても」
感想を述べれば、それは良かった、と頷く。
了見はいつも遊作の分しか作らない。だからあまり分かってくれていない気がして、こんな時遊作はいつも繰り返してしまう。
「とても、おいしいんだ」
拙い語彙では少しも届かないと分かっていても。
二ヶ月ほど前から了見は、きまぐれに遊作の家に顔を出しては食事を作ってはこうして食べさせる。
きっかけは、草薙に言われたとかで遊作の様子を見に来たことだ。
それ以前から(正確に言えば出会った当初からだ)草薙にはちゃんと食えだのしっかり休めだの言われていたのだが、それなりにやっているからとあまり取り合わないでいた。そうしたらどんな手を使ったのか、了見が派遣されてきたわけだ。余程目に余ったようだ。
了見は、冷蔵庫がほとんど空だったのを見て物凄い形相をした。
そして食事を作ってくれた。
家にはご飯とたまごくらいしかなくて、呆れた了見が近所のスーパーで冷凍の野菜と肉とケチャップとフライパンを買ってきて、オムライスを作ってくれた。その頃はあまり食欲がなくてゆで卵やご飯を少しばかり食べたりで事足りていた。だから出されたときは食べきれる気がしなかった。それを伝えると、残してもいいから食べられるだけ食べろと言われて口にした。
オムライスはおいしかった。
作ってくれたのが了見だからだとかそういうのもあるかもしれないが、とても、とてもおいしかったし気づいたら完食していた。
その時遊作は了見へ、礼と共においしかった事を精一杯に述べた。だが了見はそれで「藤木遊作はオムライスが好物」と認識したようだった。それと、藤木遊作の食生活を監督すべきだ、とも。
ということでその日了見は、勝手に宅配の食事を手配して、ものすごい顔で絶対食べろと言いつけて帰っていった。
その後もちょくちょく食事をはじめとした生活習慣について連絡を寄こし、忙しいだろうに暇を見つけては遊作の家へ顔を出し食事を作ってくれるようになった。オムライス以外も作ってくれるが、頻度としてはオムライスが一番多い。
「お前は本当にこれが好きだな」
改めて言われて遊作は、少し考えた。了見のオムライスは好きだしとてもおいしく感じるが、オムライスが特別好きな訳では無いから了見の認識はやや間違っている。だが些細なことかもしれない。
「……おいしいからな」
「そうか」
口の端に笑みを刷いて、了見は目を伏せた。
遊作はオムライスを頬張りつつ考える。了見は、遊作が食事をおいしいと食べると満足そうな様子を見せるくせに、ふとした瞬間に何とも言えない顔をする。居心地の悪そうな、困っているような、しかしどちらでもない何か。
(了見としては過去の補填の一環のつもりなのだろうから、俺が手放しで喜ぶのは良心が痛む、とかだろうか……)
遊作からすれば理由はなんであれ了見が自分のために時間を割いて料理を振舞ってくれていることは嬉しいし、そのことで何を気に病む必要もないのだが。
「何かつまらない事を考えていないか?」
訊ねたところで本当の事は聞かせてくれないだろう。どちらかというと釘を刺すような気持ちで問えば、了見は小さく頷いた。
「──少し、お前の心配をしていた」
「俺の?」
心配されるようなことがあっただろうか。まあ確かに食事に手を抜いてはいたが、今は普通に問題なく食べている。体調も悪くないし学校も普通に通っている。
「何を心配する事がある」
言えば、了見は嘆息した。
「……そうだな。好物につられて、妙な人間にもついていきそうだと考えていた」
本当の事は言わないと思っていたが、ずいぶんな言い様だ。
やはり、自分の言葉は了見にあまり届いていないんだなと苦笑がでる。
「なら無用の心配だ」
「そうか?」
「ああ。俺がつられるのは、どうしたってこれだけだからな」
案外了見は自分の事だけでなくこちらのことも分かっていないんだななどと思いつつ、遊作は次のひと匙を口にした。
言いたいことも伝えたいことも色々あるが、今は冷めないうちにオムライスを食べてしまいたかった。