モブみと(カルみと前提)
神無さん流ハニトラ
シナリオネタバレなし
@popo_trpg_ss
「ねぇ、ほら…もう少しだけ話そうよ」
落ち着いた照明と高級感漂うカウンターにそぐわない焦った様子の密やかな声を聞いて、男は僅かに顔を上げた。
アルコールの苦味を舌で転がしながらそちらへ視線を向ければ、椅子に座って熱心にバーテンダーの手を取り、何かを囁いている客の姿がある。
随分酒が回っているらしい様子の客は、どうやらバーテンダーに絡み酒をしているらしい。バーではよくある光景だったが、男は客がやたらと強くバーテンダーの手を握っていることが気になった。
ただの絡み酒というよりは、まるでナンパのようだ。そう考えた男は手の中のグラスを飲み干し、そちらを観察する。
手を取られたバーテンダーは若い男らしく、華奢な体よりも少し大きなベストに袖を通していた。おそらくあれが、店にある一番小さなサイズなのだろう。
オレンジ色の照明に照らされても尚白く見える肌には驚きだが、所詮相手は男だ。口説くほどではないだろうと呆れ混じりに男がそちらを見ていると、不意にそのバーテンダーと目が合った。
物憂げにゆっくりと瞬く長い睫毛と、輝く金の髪。大きな紫の瞳は溶け合う照明の光によって、夜明けの空を思わせる美しさだ。整ったその表情は困惑と不安に揺れている。
「ーーーすみません、注文お願いします。」
殆ど無意識に、男は机を指で軽く叩きながら彼へと声を掛けていた。どうして自分がそんなことをしたのかと困惑しているうちに、バーテンダーはこれ幸いといった様子で客の手を解く。
「は、はい!すみません、お客様がお呼びですので…」
尚も追い縋ろうとした客だったが、ちらりと男がそちらに視線を寄越しただけで大人しくなった。
店員目当ての来店で、バーそのものにはあまり慣れていないのだろう、そう一瞥した男は目の前までやってきたバーテンダーを見上げる。
「何に致しましょう?」
そう微笑んで小首を傾げるその仕草に、男は『所詮男だろう』という先ほどの内心の言葉を撤回した。
彼は驚くほど美人だ。所謂イケメンというよりは、美人という言葉が似合うタイプの中世的な顔立ちをしている。
彼ならば口説かれてもおかしくない、そう思ってしまうほどに、目の前のバーテンダーは魅力的だった。
「…お客様?」
「あ、あぁ…そうだな。」
何も応えない男に、彼は不思議そうな表情を浮かべる。呼んだ手前何か注文をと迷う男はふと、未だ彼のことを狙っているらしい客の存在に気が付いた。
おそらく注文を済ませたら、あの男はまた彼を呼ぶに違いない。それをバーテンダー自身も理解しているのか、ちらりと困ったような視線をその客に寄越していた。
男はそれを認めると、顔を上げてバーテンダーを見上げる。
「できるだけ手間がかかるやつをお願いします。何でも飲めるので。」
酒にはそこそこ自信があるため、男はそう言い切る。するとバーテンダーの彼は目を丸くしてから、考えるように口元に手を当てた。そうして背後に並んだ酒を見回した彼は、何かを思いついたように口を開く。
「それじゃあ、作りますね。」
言いながら彼は側のジンのボトルに手を伸ばした。カウンター下から取り出したレモンジュースのボトルを置くと、彼はタンブラーに氷を満たしシェイカーを用意する。
細く息を吸って集中するように吐き出した彼は、シェイカーにジンとレモンジュース、そしてガムシロップを注いだ。
バースプーンでステアし、手の甲に一雫中身を落とすとテイストに唇を一瞬寄せる。白い肌に寄せられる赤の唇のコントラストに、男は一瞬目を奪われた。
思い通りの味に小さく頷いた彼は、シェイカーに氷を入れると蓋を閉める。ハードシェイクをするその手つきは慣れたもので、タンブラーに中身を注ぐと彼はカウンター下に再び手を伸ばした。
取り出したソーダをタンブラーに沿わせるように注ぎ、もう一度バースプーンで軽くステアすると、彼はレモンの輪切りを一つタンブラーに沈めてカウンターに差し出す。
「出来ました。ジンフィズです。」
曖昧な照明の中で白のそれは幻想的に輝く。
まるで一つの完成された芸術作品のようだと、受け取った男はそのタンブラーを目で楽しみながら顔を上げた。
「良かったらお兄さんもどうですか?飲み相手がいなくて困ってるんです。」
そう言って男が肩を竦めると、彼は一瞬迷うようにカウンターの向こうにいる先ほどの客に視線をやる。
彼は言いよることをようやく諦めたのか、渋々といった様子で酒を呷っていた。顔の赤いあの様子では、おそらくあの一杯で撃沈だろうと男は半笑いになる。バーテンダーもそれを察したのか、僅かに表情を緩めて首を横に振った。
「ごめんなさい。俺、弱くて。」
「バーテンなのに?」
「はい…。同僚から、運ぶのが大変だから、あんまり飲むなって釘を刺されているんです。」
苦笑いを浮かべる彼は、代わりと言った様子でグラスにソーダを注ぐ。透明の液体が揺れるグラスを見て、男は袖口から取り出そうとしていたタブレットをしまった。
軽くグラス同士を合わせて乾杯すると、音は待ち望んでいたジンフィズに口を運ぶ。
口に広がるレモンの爽やかな酸味と炭酸、後に残るジンの風味はよくシェイクされた為か苦味をあまり感じない。さっぱりとした飲みやすい口当たりに、男は思わず舌鼓を打った。
「美味い。」
「それなら良かったです。」
安心したように彼はほっと息を吐くと微笑む。その唇がグラスに口付ける様は、アルコールでなくとも妖しい雰囲気を感じた。
目に毒だと視線をグラスに戻した男は、氷が僅かに溶けて味を変えたジンフィズを一口飲み下し口を開く。
「…ジンフィズは、バーテンダーに必要な全ての技術が含まれたカクテル……でしたっけ。」
男の言葉に彼は僅かに目を瞬いた。
ジンフィズには、材料の正しい配合や氷の大小の選び方、それらを分離させないシェイクや炭酸を飛ばさないステアの技術が求められる、まさにバーテンダーの技量を測る為のカクテルなのだ。それを自ら進んで作る彼の度胸と、その確かな腕を男は心から賞賛する。
「…お酒、詳しいんですね。」
男の言葉に彼はそう目を丸くしたまま呟いた。ジンフィズが難易度の高く技術を必要とする酒であることは、同業者や通の人間でない限り知らないことだ。
男はその言葉に、少し出しゃばり過ぎただろうかと照れた様子で頬を掻く。
「そうでもないですよ。昔彼女がバー好きで、カクテル言葉やら作り方やらを教わっただけです。」
「あはは…女性のお客様はそういったお話が好きな方が多いですから。」
男の言葉にバーテンダーは納得した様子で頷いて笑った。最近の女性は男性以上にバーやカクテルに詳しいことが多い。中でも花言葉と同じようにそれぞれのカクテルに込められたカクテル言葉は、ロマンチックな口説き文句にもってこいとされている。
男も昔の女に散々カクテル言葉やカクテルの種類について聞かされたものだ。あまり興味のある話ではなかったが、何度も聞いたおかげで今でも大抵の酒の名前や言葉は頭に入っており、今更無駄になっていない知識だったのだと男は笑う。
「それじゃあ、俺がこのカクテルをあなたに選んだ理由も知っているんですか?」
そう言って彼は、男が机に置いたあと少し残されたジンフィズを横目にそう問いかけた。
彼がこのカクテルを選んだ理由は、単に自分の腕を見せつけたかったからではない。このカクテルに込められた言葉を男に贈りたいと思ったからだろう。
その試すような視線に、男は変わらず笑みを浮かべ残りのジンフィズの飲み干してから口を開く。
「感謝、ですよね。」
ジンフィズのカクテル言葉は『感謝』。おそらく客の男に言い寄られていたところに声を掛けて遠ざけた男への言葉だろうと、男は首を傾げた。その言葉に彼は微笑む。
「正解です。…さっきはありがとうございました。」
「気にしないでください。たまたま気がついてよかった。」
やはり彼も、客を無理には拒絶できず困っていたのだろう。ちらりと先ほどまで男がいたカウンターに視線を向ければ、男は既に酔いが回って船を漕いでいる状態だった。
バーテンダーの彼はそれを見ると、カウンターの少し離れた場所で接客をしていた青色のアンドロイドに声を掛ける。それに気付いたアンドロイドは、彼の視線の先を察すると客の元へ足を運び努めて穏やかに帰りを促し始めた。
その様子を見届けた彼は申し訳なさそうに口を開く。
「本当に助かりました……自分では上手く躱しきれなくて。」
「…よくあることなんですか?」
彼の口ぶりは、こういったことが今回限りではない様子だった。僅かに眉を顰めた男に、彼は小さく頷くと言葉を続ける。
「時々…お店を出た後とか、色々あって……同僚が助けてくれてはいるんですけど…」
そう言った彼は、視線を伏せて両手を合わせた。その仕草は何気ないものでありながら煽情的で、男は思わず目を奪われる。
客の無理矢理なやり口はとんでもないと思うが、見る目は正解だと男は思わず同意してしまいそうだった。
「…あ、ごめんなさい、こんな話聞かせてしまって。」
黙っていた男を、気を悪くしたと受け取ったらしい彼は慌ててそう謝りながら新しい酒を作る支度を始める。空のグラスを受け取った彼は、次は何にされますか、と微笑んで小首を傾げた。
そんな彼を見上げ、男は笑みを絶やさないままで口を開く。
「それじゃあ………モーニング・グローリー・フィズなんてどうでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間、ぴたりとバーテンダーの動きが止まった。すぐに表情を戻した彼は、先ほどと変わらない声音で尋ねる。
「俺の腕を試すだけ?」
「そうじゃないことくらい、あなたなら分かるんじゃないですか。」
質問に質問を返せば、彼の瞳がようやく男の瞳を映した。じっと心の内を見透かすように自身を見つめる紫のその瞳を男が見つめ返していると、根負けしたように彼は目を逸らす。
「…少々、お待ちください。」
彼はそう呟くと、棚からウイスキーを手に取った。ジンフィズを作るときにも使ったレモンジュースのボトルと、アニゼット・リキュールのボトルを手にカウンターへ戻る。
その後ろで、先ほどの客を無事に帰したらしいバーテンダーが、冷蔵庫から小皿を取り出して彼のカウンターに置いた。
「ありがとう、ディーノ。」
彼は礼を言うと中身をシェイカーに注ぎ、蓋をしっかりと閉めてシェイクを始める。そうして彼は氷の入ったゴブレットタンブラーに中身を注ぎ込み、更にソーダで満たしていく。
どこかの国の洒落た煉瓦のような色のそれを確かめた彼は自信を持った一杯を差し出した。それを受け取った男は、礼を言って口に運ぶ。
混ぜられた卵白とレモンジュースによって爽やかに仕上げられたそのカクテルは、ジンフィズよりも飲みやすく後味もまろやかだ。
モーニンググローリー、花開く朝顔のように朝から飲んでも負担がないソフトな味である。男がその味を楽しんでいると、そんな男の様子にしびれを切らした彼が口を開く。
「…今の、新手の口説き文句ですか?」
「分かった上で作ってくれたんだ?」
美味しいです、と次いで小首を傾げ返して笑えば、バーテンダーの彼は困り顔からようやく口元に手を当てて小さく声を上げて笑った。
営業用の仮面を崩せたらしいと男が内心笑っていると、彼は降参だというように両手を上げる。
「…いいですよ、こんなお洒落なナンパを受けたのは初めてです。俺、あと一時間で上がりなので待っててくれます?」
「もちろん。」
笑顔で応えながら、男はちらりと時計へ視線を向けた。時刻はまだ2時頃、朝日が昇るまで十分余裕がある。
「じゃあ待ってる間に、もう一杯お願いします。」
そう言って男は手の中のモーニンググローリーフィズを飲み干す。グラスを受け取った彼は、酒に強いという話は事実なのだろうと驚いた表情でそれを受け入れた。
「ご注文は?」
「そうだな…じゃあ、ブルーラグーンを。」
そう言って彼を見上げれば、その瞳がきょとんと瞬く。やがてその瞳が蜂蜜のように蕩けて細められたかと思うと、困り笑いの表情で彼は口を開いた。
「……ふふ、順番が逆でしょ。」
「どちらにも嘘はありませんから。」
そんな彼にさらりと返事を男が返すと、そのタイミングでバーカウンターの向こうに座る客が彼を呼んだ。
周りのバーテンダーも手が離せない状態らしく、彼は少しだけ困ったように男を振り返る。
「行ってください、待ってますから。」
「ありがとうございます。」
男の言葉に彼は微笑むと、その客へと足を向けた。
「いらっしゃい、お兄さん。」
「こんばんは。急に呼んでごめんね。」
長い黒髪をひとつに結んだその男は、ちらりとこちらに視線を寄越して微笑む。話を邪魔したことを詫びるように送られた会釈に、男も会釈を返した。
「今日のオススメは何かな?」
「うーん…ブラッディメアリー?」
「はは、それは景気が良い。」
得意げなバーテンダーを見上げて、客は楽しげに笑い声を漏らす。
そんな彼らを遠目に、酒を傾けながらぼんやりとこの後の段取りを考えていた男の前に、ふと青のアンドロイドがグラスを置いた。
「なに?」
「あちらのお客様からです。」
手で指し示した先には、現在バーテンダーに接客されている長い髪の男が座っている。彼は視線を合わせると、穏やかに笑って見せた。
「さっきの救出劇見てたよ。かっこいいじゃない、お兄さん。」
「あぁ…どうも。これは?」
「ジャンディガフ、俺のオススメなんだ。このお店はビールの種類も豊富だからね。」
そういって赤を満たした自らのグラスを軽く掲げる客に、そういった意図はないらしい。一瞬眉を寄せた男だったが、素直な好意として受け取ることにした。
グラスを掲げた男は、バーテンダーの髪を思わせる美しい金色を傾ける。爽やかな風味は、確かに他の店よりも飲みやすかった。
「お兄さん、今日はカシスソーダは頼まないの?」
「君のオススメを貰ったからね。あんまり強くないし。」
「そっか、ざんねん。」
常連らしい客と、そんな穏やかな受け答えをする彼の姿を遠目に見ていた男は、まずは彼の名前から教えてもらわなければと考えながらつまみに口を運ぶのだった。
袖口に隠し直したタブレットを盗み見るバーテンダーの彼が小さく舌を出したことなど、つゆも知らずに。
終
ジンフィズ:感謝
モーニング・グローリー・フィズ:貴方と朝を迎えたい
ブルーラグーン:誠実な恋
ブラッディメアリー:断固として勝つ
シャンディガフ:無駄なこと
カシスソーダ:貴方は魅力的