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わたしが「幸せ」を「しあわせ」と書く理由

全体公開 1 1075文字
2015-09-17 21:53:28
Posted by @den139kooo

幸という漢字を象形文字として捉えると、その意味は「手枷」をあらわします。もしくは、「夭逝をまぬがれる」です。前者の場合、執という字は「手枷をはめる」という意味で幸という形が用いられています。現在、幸という漢字から連想されるのは「手枷」よりも「夭逝をまぬがれる」から転じた「運がいい」というものばかりだと思います。幸福、多幸など。一応、「手枷」と「運がいい」の意味合いを区別するために倖という漢字があります。こちらは、手枷をまぬがれた人をあらわし、僥倖などに用いられますが、常用漢字外なので、あまり使われることはありません。しかし、小説家や漫画家の中には、上記のような理由からか、「しあわせ」を「倖せ」と書く方が何人かいらっしゃいます。パッと思い出せるのは、「フルーツバスケット」の高屋奈月さん。高屋さんの作品で、「幸せ」という言葉が用いられることはなくすべて「倖せ」と表現されていたように思います。それは、高屋さんが「しあわせ」という言葉の中に「手枷」という意味合いを入れたくないのかな、と個人的に思っています。
ところで、中国由来の漢字の話とは別に、日本語の「しあわせ」の語源は「仕合わせ」、つまり元来は「めぐりあわせ」の意味でした。しあわせが良い、しあわせが悪い、などと言って、「しあわせ」という言葉自体には良し悪しは含まれていませんでした。「しあわせ」が良い意味合いで使われるようになったのは案外と遅く、江戸時代以降だったそうです。それに合わせるように、「幸福」などから、「幸せ」と当てるようになったのだとか。
わたしがなぜ「しあわせ」を漢字表現しないのか。わたしが和語を和語として使いたいという思いがあります。それは「しあわせ」だけに限ったことではないけれど。漢字というのはその一文字の表記だけで意味を持ちます。そして、和語だった言葉の意味を限定していきます。例えば、「いう」には「言う」「云う」で多少意味合いが変わってきます。「彼という人」、には「言う」の表現は適切ではないとわたしは考えます。
「しあわせ」も同様に、わたしは意味をできるだけ限定したくはありません。めぐりあわせが良かったり、悪かったりして、そうしてどこかの瞬間、ふと「幸福」だと感じる。それは悪いめぐりあわせがあってはじめて得られるものだと思います。「しあわせ」は単語やただの感情ではなく、そこに至るまでの道程。だから、わたしはありふれた「幸せ」という表現ではなく、良いことばかりを連想してしまう「倖せ」でもなく、ひらがなで「しあわせ」と表現したいな、と思っているのです。


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