@humito727
不可解な事件が多発しているのは今に始まったことではない。
それは唐突に、起きる。
前触れもなく、人を襲い、そして殺してしまう。それは誰でもいい、女だろうが子供だろうが老人だろうが、ただ刺したかったという理由で特にはっきりとした動機もなく事件は起きてしまっていた。止める理由は無かった、突発的な感情が優先されている、そんなもの事前に食い止めることが出来るわけもない。
隣人がどう思っているかまでは分からない。善意の裏には悪意がある、善い行いをするには建前がある。
誰もが疑ってはいるものの、どこかでは自分はそんなことを体験する訳が無いと信じ切っていた。
朝は冷え込んでいた。まだ暖かさが実感できず、ミコトが先を歩いている。このまま帰宅できるかとは思ったが、そう簡単に事は進まず、携帯端末が鳴り深々とため息が漏れる。
開店早々にファーストフード店の最初の客は埜田とミコト、そして後から入ってきた飴屋しかいなかった。空腹に飢えてうるさくなる前に埜田は魚バーガーを二つ注文した、ドリンクとポテトを頼み、コーヒーを二つ頼むとすぐに出来上がったものがトレイに乗せられていた。ミコトは先に席を取ると言って、誰もいない店内の広々としたテーブル席でうつ伏せになっており、魚バーガーを見ると目の色をすぐに変え身体を起こした。
「おなかすいた……いただきまーす」
ミコトは手を合わせると包み紙をめくって、魚バーガーを齧った。
杖をつきながらやってきた飴屋も席につくと、深々と息を吐いた。朝から老人を使わせるなとでも言いたいようだった。しかしそれはこちらも同じことだ。
埜田はカードケースを取り出し、テーブルに置いた。飴屋もまたカードを出し、カードケースに差し込むと小さな電子音が聞こえた。仕事の入金を確認するとケースを仕舞う。
「ご苦労だったな」
「休ませてくれないのか?」
「例外が起きたんだ、しかし……」
埜田は飴屋にコーヒーを渡して、それから自分のコーヒーに口を入れた。苦いというだけで、その他に味がしない。つい先ほどまで人間を処理してきた所為なのか感覚が鈍いままだった。
「気が進まん」
飴屋は仕事の紹介人であり、自分たちの上司にあたる存在だ。基本的に拒否権は無いので、与えられた仕事はきっちりこなすが、指示を出す人間が仕事を渋るのもあまり見ないような気がする。
「何がだ」
「お前達にこの仕事を提供することが、だ」
「じゃあさっさと帰らせてくれ、寝たい」
本来であればしばらく休暇を取るはずだった。惰眠を謳歌し、この世界から離れ、長い眠りにつきたいと思うのは埜田の願望だ。
しかし仕事を終え、始発に乗り一番の朝を見た瞬間飴屋から連絡が入ったのだ。不満の一つは言いたくもなる。
飴屋もそれを理解しているつもりなのだろうが、どうにも解せない事があったらしく普段のため息が一段と大きく聞こえた。
「そうもいかない、悪いがお前達に頼む他無いだろう。お前らは優秀だからな」
「それはどうも。で、相手は」
飴屋は一枚の写真を取り出して埜田は見る。どこかの監視カメラから撮影されたもののようだ、雑踏の中に若い男が映っている。そこには赤いペンで丸つけられ、この男が標的と言う事だろう。
ミコトにも写真を見せたが、彼女は一瞬見たきり、眉をひそめそれからすぐに魚バーガーを食べる事に集中した。彼女からすればどんな相手だろうと関係が無い。それは埜田も同じことだった。
「この男なんだが、何人もの加工屋が返り討ちにあっていてな」
「どういう男なんだ」
「逃亡中なんだが、どうやら用心棒を雇ったらしい」
「用心棒?」
「よーじんぼー?」
埜田とミコトの言葉が重なった。互いに顔を見合わせてから、それから再び前を向いた。ミコトは喉を鳴らしてからジュースを飲んで喉を潤した。
「埜田、よーじんぼーって?」
「ボディーガードだろ」
「こんな肉うっすい奴を誰が守んの? 変な奴もいるんだね」
「いいからお前は黙って食ってろ」
頬を膨らませてからミコトは再び食事を始めた。指についた塩を舐めてから再び残ったバーガーを口に入れると、まだ口端にソースがついていた。指で拭って舐めてみると、ミコトの口を曲げてソースを取るなと小言を言われた。
飴屋はため息を吐き、寄せられた皺を広げるかのように額をさする。
「もう数人の加工屋がやられている」
「競争相手がいなくて助かる。用心棒とやらの素性は?」
埜田は水色の箱から煙草を取り出した、手放す事が出来ない煙草、これがないと日々を過ごす事が難しい。
煙をゆっくり吐くと、飴屋は嫌がる様子も無く首を振るだけだった。
「分からん。だが相当強い事は確かだ」
「どこかの組織の人間の可能性は?」
「今の所は不明」
「厄介のようだな」
「柘植と三森がやられてな、三森が怪我を負った」
面識のある二人の名前を耳にして、少しだけ意識を記憶に傾ける。彼らも腕が立つ優秀な加工屋だった。そこら辺の奴らよりもずっと仕事が出来る。
「俺たちに回さなかった理由は?」
「言っただろう、優秀だからだ。本来なら回すほどの相手ではなかっただけだ、余計な奴さえいなければ」
その続きは、余計な奴さえいなければ、すぐにでも魚にさせるのに、だろう。その男一人で数十人の食糧になるのだから必死にもなる。
この街にいる人間は常に空腹だ。
食べ物は沢山あるのに、食べれる人間なんてそういるものではない。安価ですぐに食べられるものをあえて選ぶ、何かに急かされているように。
金を出せば食べられる。
手間も無く味を精査する必要も無い。
「優しいことで。用心棒の特徴くらいはわかってるんだろ」
「黒髪、長身でサングラスをかけている。そして刀」
眠気に閉じそうな瞳がすっと開く。
「刀?」
武器としては古風だ。銃ではないあたりが、妙に印象づける。そんなもの振り回すなんてまるで……。
埜田が眉をひそめた時、突然ミコトが喜々として乱暴に席から立った。
「さ、サムライだ!」
「あ?」
「サムライだよ埜田! この前映画で見たじゃん! ずばばー! しゃきーん! って奴! 弾斬ったりでっかい岩斬ったりするの!」
ミコトがよく言っている映画のワンシーンの事だろう、暇があればすぐにアクション映画をよく見るミコトにとっては爆発や車での脱出劇は興奮ものらしい。
そして、刀を持つサムライというのもその一つで何が面白いのか理解はできないが、ミコトがサムライを見るとテレビの前で興奮している、一瞬の内に悪者がばたばたと倒れていく様、つまらないものを斬った……といった名台詞等、刀、つまりサムライはミコトにとってはかっこいい存在なのだろう。
ミコトは今にもテーブルに足をかけようという勢いで興奮をしていた。これでは他の子供となんら変わらない、埜田も一緒に映画を見たことがあるがサムライというものに特別な感情を抱いたことは無い。
「コミックかよ、そんなものあるわけない」
「斬るらしいぞ」
「爺さんまで何言ってる、あんたもコミック読むのか?」
おどけて言って見せるが、飴屋の顔は笑っていなかった。仕事の話で冗談を言えるほどのものではない、そういう相手であることは伝わってくる。
「相当の動体視力を持っているようで、銃は使い物にならなかったと報告を受けている」
「おいおい……」
「まじか……」
ミコトまでも驚愕の様子だ。
飴屋も冗談で言っているようには見えなかった。嘘を言う理由も無いのだから事実なのだろう。
そんな相手をどう対処する?
ただ獲物を一匹狩ればいいだけなのに、余計なおまけがついてきて厄介な事になってしまっている。用心棒をどうにかしつつ目的を肉にしなければいけないというのは単純に困難だ。
「包み紙があるか無いかの違いだね」
席に座りながらミコトは言った。
「包み紙を破いて食べるか、それとも包んでいないバーガーを食べるかの違い。せっかくアツアツバーガーを食べたいのに、包み紙があるからめんどっちいってくらいなもんでしょ」
「汚れなくて済むな」
「汚れたら手を洗わないといけない、洗ってる間にバーガー冷めちゃうでしょ」
「意味わかんねえよ」
ミコトはけろっとそう言ってしまう。困難であるとすら思っていないようだった。つまり用心棒はただの薄紙だと言いたいらしい、障害ですらない。
目的はあくまでも、不要とされた人間ただ一人だ。
よくもわからない喩え話に、ミコトは続けてこう言った。
「綺麗なお皿なんかで飾らないで、さっさと食べたいけど。仕方なし、でもその分仕事が終わった時のご飯は美味しいしね」
「……はあ」
面倒だが仕事というならば、断る理由も無い。
またしばらく眠れない日々が始まる。しんどくなりそうだ、と全身の力が抜け落ちそうだ。
「金は出す、追加もあるしな」
まだなにかあるらしい。
ミコトは嫌な予感と言わんばかりに口を動かしたまま身体を縮めて食べる事に専念するようにした。飴屋は気に留めることもなく写真を指す。
「この若宮なんだが……実は儂の部下を潜り込ませていてな、そいつが行方不明になっている。若宮はどうにも上層部しか知らない情報を掴んでいると聞いて近辺を調べるために送ったんだが、定期連絡が来ない」
「あんたの傍にいた女か」
埜田もその女は知っている、確か飴屋の補佐をしていた若い女だ。その女も一緒に探せという事らしい。
用心棒だけでなく、飴屋の同業者も生存確認する。
厄介だ。
ミコトの手が止まり、だんだんと肩を落とした。今回の仕事は一筋縄ではいかないということを理解したらしく食べ終えた魚バーガーを飲み込みながら、こちらによりかかってきた。
「おい、包み紙が二枚になったぞ」
「めんどくせー……」
埜田は女の顔を思い出そうとした、いつも飴屋の近くにいたし、連絡も時折その女からしてきたこともあった。名前は聞いていないが顔は覚えている。
「最後の連絡は」
「下層処理センターだ、事務員として働かせていた」
「埜田、下層処理センターって?」
「知ってるだろうが、下層は死体もゴミも好き勝手に捨てられる。だが捨てる場所によっては一か所に集まってしまうから、それを間引くためにあえてゴミを回収したりして処分する、そんな場所だ」
「ふーん」
下層。
ミコトもその単語を聞くとさすがに思う事あるようで、何かを考え込んでいる様子だった。それは埜田も同じだ。
海に囲まれた塔の街。それは上層、中層、下層と積み上げられた大きな塔のような街だ。上層は誰もその景色を知らないが、富裕層が住んでいると聞く、中層が自分たちが住んでいるところ。そして真下にある広い空間は大量のゴミと死体が捨てられてしまう場所が下層なのだ。
中層の路地にゴミ箱が無いのは、下層へすぐに捨てる事が出来るからだ。分別することなく誰でも捨てることが出来る、中層にはどこかしこも底の見えないほどに大きな穴が存在しているからだ。そこにゴミも、死体も嫌な物も見たくない物も全て捨てられる。
そして一度落ちたゴミが戻る事は無い。
なぜなら単なる大きな廃棄層であり生きる方法なんて無いからだ、戻る必要が無い。
だが埜田は下層に落とされ、下層に住んでいたミコトに出会った。
二人にとって下層には深い縁があり、あまり触れたくない場所でもある。特にミコトはあまり行きたがらない。
「やってくれるか?」
「仕事だからな。お前もそれでいいな?」
いつの間にか俯いていたミコトがゆっくりと顔を上げる、少女らしい無垢な表情が抜け、青白くも見えたがすぐに笑顔になった。
「いいよー、別に」
無理をしている様子はない、埜田は視線を戻すと飴屋はふうと息を吐く。
仕事は受ける、あとは行動するだけだ。まずは若宮の自宅へと向かうと決めたところで埜田は席を立つと飴屋が目端を上げて言った。
「お前の古巣も最近動きが目立つ、気をつけろ」
「古巣?」
「商会だ、忘れたのか」
「ああ、そんな名前だったな」
あまりにもどうでもいいことで忘れていた。店を後にして埜田は歩き出す。
その背をミコトがじっと見ていたことに、埜田は気づかなかった。