ホラー描写注意/雪宗の話。夏の一幕。
@lianmiso
「もうちょっと彼女の告白を上手く捌けなかったのかよ」
「婚約者がいるのは事実だ。君こそ飲み物購入の経緯を事細かく語るから彼女が引いたのではないか。『蛾が顔にぶつかってふわふわしていた』等のくだりはいらないだろう」
「いや、雪宗が『ほら!この地域に住んでいる珍しい虫ですよ』って言って蜘蛛を見せたのが止めだろう。俺の顔くらいあったぞ。おい!元凶!聞いているか」
「ん?」と雪宗は台本から顔を上げた。
ショートムービーを撮って上に提出する。今年の夏の報告会はこれで決まりだ!と理央が指を鳴らし、柳がセッティングしたのはいいものの「理央がヒロインをやるには雄々しすぎる。もっと儚い感じの女性を」と3人の意見が一致し、雪宗が女優志望の彼女を連れてきた。
が、撮影の舞台であるペンションにはきっちり掃除をしているにも関わらずアリにスズメバチ、蜘蛛が先に住んでおり、きゃあきゃあ!と悲鳴を上げ、文句たらたら。女優が自分しかいないことを盾に柳をパシリに使う我儘放題。果ては理央に告白した。無論理央はキッパリと断るものの柳が我慢の限界に達する。
遠回しに報復をし、反応が良かった彼女に我慢ができず雪宗が趣味に走った。
いざ「さあ撮るぞ!クランクインだ!」と彼女を待っていても来ず、迎えに行ったら部屋に残るのは甘ったるい香水の残り香だけ。ペンションのどこにも彼女がいない。
仕方がないので最寄りのカフェで作戦会議をしている。蝉は避暑地でも騒がしく、聞いているだけでも暑い。窓硝子を突き抜けて話を掻き乱す。話の骨を折るのはいつも柳か理央が発する「暑い」という言葉だ。何とか諌めながら、この先の話を進める。
「理央さんの顔面で釣りましたが、あのくらいで逃げてちゃ俳優としてどうかと思いますけどねぇ。嫌いなのは構いませんが、逃げるとなると出演できる作品の幅が狭い。若者が育たず嘆かわしいです」
「またそんなこと言って」
「ほら、これ見てみろ」
理央がスマホを2人に見せる。RAINに『何が避暑地よ!暑くて虫がたくさん!もうたくさん!バーカバーカ!』とメッセージが入っていた。
「今時の子はこんな風な対応をするのか」
柳がしげしげと画面を見つめた。
「いや、古いよ。でも、ありがたくネタにさせてもらおう」
くつくつと笑いながら、理央がスマホを懐に入れる。
「ヒロインどうするよ。また俺、女装するの?」
「私としても嬉しい。君には白いワンピースがよく似合いそうだが誰にも見せたくない」
「うるせぇ、想像するな!止めろ!」
「君が言ったんじゃあないか!」
予定では色白でつぶらな瞳、天使のような清らかさを持つ砂糖菓子のような女の子だったのだが、正体が柳となるとまた上層部に揶揄われる上、外部のラインが弱いことを指摘されるだろう。チーム解散若しくは+1名になるかもしれない。
(うまくいくか、今後はともかく、久方に3人で映像の仕事ができて嬉しかったんですけどねぇ)
最近は副業に重きを置いているが表現の仕事だ。
ガムシロップ15個分レモン汁のポーション5個分の紅茶を啜り、雪宗は2人の喧嘩をBGMにこれからどうするか頭を回す。
(今年の夏が恨めしい。撮影大当たりの年で彼女しか都合つかなかったんですよねぇ。主演女優を現地調達?いいや、そんな都合よくベタな清純派はいない。いたとしても釣り合わない)
辛いことがあったヒーローがラベンダーの香りの中で運命の人に出会うというありきたりな展開だったが、逆手に取って学生が撮った風にする予定だった。
太陽の光を浴び、天を突く青紫の花々は一風吹くと波打ち、硝子越しでもむせかえるような香りがした。ラバンディン系のラベンダーは前持ち主の趣味によりこだわりを持って掛け合わせられ、色香りともに鮮やかに出ている。花畑は3キロ先まで続く。ロケーションは抜群。我儘を言えばもう少し涼しいといい。いい場所を見つけて来たものだ、と柳を見るが本人は顰め面をしている。嗅覚が鋭い分辛いのだろう。撮影地に着いた瞬間、「ラベンダーの穂花を足先から尻、頭まで直に詰められている感じ。直射日光で焼いたら俺の香草焼きの完成だ」とぼやいていた。
「雪花が使う安眠枕の匂い」
ラベンダーが添えられた肉料理の印象を台本を読む事で上書きしたのに今度は理央がそんなことを言う。ラブロマンスを描いていた雪宗の脳内はぺかっと笑う妹に塗り潰された。
「ロマンもへったくれもねぇな。雪花、怪獣みたいにラベンダー薙ぎ倒してくんじゃねーの」
「彼女はそんなことしない!」
がお、と指を曲げて怪獣の物真似をする柳に理央が声を荒げた。
また言い争いを始める2人をまぁまぁと雪宗は宥めた。
「ハプニングこそ撮影や人生に深みを増します。言い争いはここまでにして………」
「雪花、連れて来れないのか。彼女が最適だ」
「色々と事情が………同社の他チーム連れてきたら面倒でしょう」
「んなもん、原型残んねえぐらい化粧させて」
「雪花の良さが消えるじゃないか!」
2人の言い争いから目を逸らし、ラベンダー畑に目を向けた。
一面に広がる青紫の中にポツンと白い点。
眼鏡の奥で目を見開き、雪宗が立ち上がる。
「おい!椅子が倒れるところだったぞ!」
外へ出るとふらふらと紫の海を掻き分ける。
雪宗の口が動いた。言葉にならず意味を成さない音が届き、レースで縁取られた日傘の持ち主が振り向く。
白いワンピースを翻し、涼やかな声で応えた彼女はまさしく絵に描いたような、いや絵の中から出てきた【お嬢様】であった。静かに笑い、雪宗を見つめる。
「あの、もしよかったら映画に出てもらえませんか。」
真夏の熱に浮かされた勧誘に彼女は日傘を一回転させ勿体ぶって返答した。
「えぇ、いいわよ」
16歳くらいの少女かスカートの裾を摘んで恭しく挨拶をする。手編み風の靴下までレースがひらひらと付いていた。
◇
「よかったな。不審者として投獄されなくて今の時期のムショだったら、お前心臓止まっていたぞ」
「雪宗がそんな風になるとは珍しい。恋にでも落ちたかな?」
揶揄う2人に雪宗は頬を書いて困り顔を浮かべた。
「そんなんじゃないです。なんでしょうかね」
戸惑った様に笑う雪宗に柳と理央が顔を見合わせる。
昼の撮影がギリギリ間に合い、今度は夜の撮影だ。澄んだ沢が近くにあり、今ではもう珍しくなった蛍が飛び交う。
「綺麗ね」
ぼんやりと蛍の光で彼女の顔が浮かび上がる。
「ええ、そうですね」
―――君の方が。
用意された台詞であるが、飾りない雪宗の心からの言葉だった。撮影は問題なく終わり、ペンションに戻る。
「頑なに名前をいわねぇし、意味ありげに笑うだけだしよ。本当に信用していいのかよ」
パタパタと藍染に露草が描かれたうちわを仰ぎながら、柳は椅子に腰掛けている。ガンガンに冷房を掛けていたが機械が古いせいか気密性が薄いせいか或いはその両方か中々ペンション内は冷えない。これでは彼女を呼べないなと雪宗は壁の罅を指でなぞる。
「君はいつも人を怪しみますね。そんなに人が信じられませんか」
「報酬も断られたろ。俺たちにとってこんな都合のいい人間いるかよ。てめーがどうなろうとなんとも思わねえ。おめぇが連れてきた奴だしな。信じたいなら勝手にしろ」
「ハイハイ」
おなざりな返事に柳が顔を顰めた。
「後は知らんぞ」
そっけない態度だが雪宗を心配してのことだ。「何にやにや笑ってやがる」と柳が立ち上がり、肩を怒らせて脛に蹴りを放つ。
「いてて。心臓が止まるかと思いました」
「こらこら、暴力はいけない」
理央がノートパソコンを小脇に抱え、持ってきた。
「お前が言うな」
「雪宗、今後の話をしよう。その前にもう一度君の意思を確認したい」
「変わりませんよ?僕はこのまま撮影の続行を希望します」
「そうか、君が決めたなら文句は言わないよ」
開いたノートパソコンには今日ラベンダー畑で撮ってきた映像。
画面中で惚けた表情を浮かべる雪宗。彼女の横顔にカメラがズームする。
毛先が巻いてある前髪やロングヘアの合間から顔が覗く。
伏し目がちな瞳は白濁していた。スカートから伸びる華奢な足や二の腕には紫の斑紋が浮いている。
―――死人。
最初はタチの悪い悪戯かと思ったが、理央や柳が仕事上そんなことをするわけがない。
職務放棄した彼女の嫌がらせ?そんな技術を彼女は持っていないだろう。ちょっと撮影の専門用語を使っただけでも「よくわからないことを振らないで!」と不機嫌になった彼女だ。彼女のファンや関係者が悪戯したのか?
そうではない。確信があった。アレは本物だ。
雪宗のみならず理央、柳も同様。
彼女を理央は好奇から歓迎し、柳は遠回しに追い払おうとした。
「恋愛映画からホラー恋愛映画への切替か。今晩中に纏めなければならない。脚本家の腕の見せ所だな。しかし、ここは埋めると死体が生き返る土地とかじゃないか?そうだろう!」
「ない。そんなもんで撮影の邪魔はされたくなかったからこの山ん中丸ごと調べ尽くした。あるのは幽霊の目撃談くらいだ。それにそんな都合のいいモンは存在しねぇ。大抵は死体を利用したい奴が集めるためか死体を処分したい奴が流した噂。すっごく迷惑。」
柳出身の烏島はそういった噂が絶えず度々トラブルになっていた。実感がある言葉に理央が柳を撫でようとして、乱暴に手を振り払われた。
「だが、噂に埋もれつつも本物は存在する。事実になる」
「不完全なままなぞるように再現されていく。だが、稀だ。なんか道具かなんかでも持っていたのかもな」
「いいえ、それはないです」
雪宗がキッパリと否定する。雪宗はそういったものの専門だ。腕を組んで理央が「うん!」と力強く頷いた。
「じゃあ、世の不思議という事にしよう!年若い子だったな。それこそ雪花と同い年くらいだろう。不憫な」
「世界は平等に不平等だよ。誰しも幸せで不幸だ」
「神社の息子がそれでいいのかい」
理央の言葉に柳が歯軋りする。
「生きてるのも死ぬのも普通だ。どうやって彼女が亡くなったかも知らねーのに偉そうに」
また言い争いが始まりそうになった2人に雪宗が割って入る。
「まぁまぁ、彼女は生きてるにしろ死んでるにしろ今ここにいる。気持ちは彼女の物。それでいいじゃないですか」
「で、どうすんだよ」
「映画撮影の契約は成されました。ならば、全力で取り組むのみ」
挑戦的な笑みを湛えて雪宗は胸を張った。
「役者の意地を見せるときです」
◇
昨日出会った場所に彼女は佇んでいた。
紫の海の中に日傘をさした姿は一枚の絵画。別の部署の人間が見れば題材にしたいと是が非でもお願いしたいだろう。
桜の下には死体が埋まっているという話はよく聞く話。
ラベンダーの下という話は聞いたことはない。
ハーブの女王と呼ばれる華やかながら柔らかい芳香を放つ花穂には安眠効果があることが有名だ。防腐効果もある。見事な紫の海に死体が埋まっていたとしても腐りにくそうだ。
(種によって神経性の毒があるけど僕には効きませんね。あ、でもあの2人に鎮静は効いていますか)
彼女の頬は白桃の様に瑞々しく柔らかそうで唇も赤過ぎない艶やかな赤色だった。東響の駅前を歩いていたらすぐにスカウトされていただろう。うちの事務所の所長だったらすぐ声を掛けそうだった。
「何考えているの」
少女が無邪気に尋ねる。
「ラベンダーより貴方といる方が癒されるなぁ、と。衣装もよくお似合いですよ。イメージ以上。とても素敵です」
「まぁ!」と頰に手を当て、薔薇色の方が真紅に染まる。薔薇が綻んだ様な笑顔だ。レースの手袋を嵌めた右手を上品に口に当てる。白い生地の重なったスカートがゆらりと揺れた。雪宗は目を細める。服どころか彼女が眩しい。
「マイク、オッケー」
憮然と柳が告げる。
「カメラの用意、完了だ!」
モニター画面を覗いている理央が親指を立てる。いつもの通り自信満々の笑みでどう映っているか読み取れない。
「ねぇ、ずっとぼんやりしているけど暑いからかしら」
「君が何処から来たのか、誰なのか考えていました」
ずっと彼女はレースに包まれた人差し指を伸ばす。雪宗の唇の前で止まった。
「それは駄目。秘密は秘密の方が楽しいでしょ?」
「違いありませんね」
前に出された手を壊れものを扱う様にそっと握ると雪宗はレース越しにそっと口づけた。ぽっと彼女の頬が赤くなる。
「少し歩きましょうか」
手を繋いで肩を並べて歩く。後ろから理央。柳の姿は見えないが、何処か音声の拾える位置に隠れているのだろう。木漏れ日の中を闇を固めた様な真っ黒な蝶が飛んでいく。羽の内側が青緑に輝いた。
撮影は滞りなく順調に進んだ。
「撮影の協力、ありがとう。明日で撮影はクランクアップだ。湖畔で花火大会があってね、夜の撮影になってしまうが大丈夫だろうか」
理央の言葉に少女は思案し、斜め上に視線を向ける。
「いいえ、平気よ」
「そっか、ありがとう。柳!」
「あいよ」
理央の呼び掛けで柳が木陰からひょこりと現れて、彼女に紙袋を差し出した。彼女が袋を見て「わぁ!」と歓声を上げた。中には空色の浴衣と下駄が入っている。
休憩中、彼女に好きな花を聞いたり、姿が見えなかったのはこれを買いに行っていたのか。
「着付け、できるか」
「えぇ、大丈夫!ありがとう!」
柳はぶっきらぼうであったが、彼女は気にする様子はなかった。
浴衣の包みを大事そうに抱いて彼女は森の小道を歩いていく。
「彼女は何処に帰っていくんだろうなぁ」
白い後ろ姿は段々と小さくなり、消えた。
◇
脇腹に衝撃走る。肺から空気が抜け、咽せる。
ずれた眼鏡を直す。
柳が不機嫌に雪宗を見下ろしていた。今自分が寝ているのはフローリングの床の上だ。冷たくて気持ちいい。
「今、僕、死んでいましたか?」
「床の上で死んでんじゃねーよ!」
補助具が無ければ蚊に刺された衝撃でも死んでしまう。精神的な物でも同様で今回の死因は妹からの連絡だ。
いつも身につけていた懐中時計をうっかり外してしまったのか。
「大事なもんだろ。落とさずしっかり身につけてろ」
柳が時計を投げ渡す。よく見ると留め具が壊れている。落ちてしまったのか。このくらいならすぐ直せる。柳の表情には心配が含まれていた。普段は不機嫌な顔を貼り付けているが別荘に来てからわかりやすい。柳を見下ろし、ニマニマと笑みを浮かべる。好物を目の前にした子どものような雪宗の笑い顔に柳は顔を顰めて「気持ち悪い」と言い放った。
「映像チェック。先に行っている」と大股で柳は部屋を出ると、勢いよく扉を閉めた。
下に降りると、先に2人は映像を確認している。
「腐敗しているにしては虫が寄ってこない」
「ラベンダーの魔法じゃないのか」
「君にしてはロマンティックだ。君が嫌がらないのだから死臭もしないのだろう」
「それかラベンダーで鼻がバカになっているかだ」
ノートパソコンを覗きながら、柳と理央が唸る。彼女の状態に関して謎だらけだ。狐か何かに化かされている様な気がする。
「進んでいるな」
理央がため息混じりに画面を指差した。
木陰の下で雪宗に笑いかける彼女の顔はどこにもない。
骨の形がしっかりと浮き出、皮膚は土気色を通り越して黒ずんでいる。薔薇の花びらを2枚重ねた様な唇は色を失って半開きになり、うろの向こうに薄黄色の粒がいくつか見える。
「体調は?」
画面から目を逸らさずに柳が雪宗に声掛ける。
「いつも通り絶不調ですよ」
背中に衝撃を感じた。前につんのめりそうになり、視界がぼやける。眼鏡がずれたのだ。
理央に背中を叩かれた。雪宗の背中にある手を首に腕を回す。
「またくだらんことでも考えてるんだろう!いつもと変わらないのなら絶好調と言え!絶好調と!」
「じゃあ、絶好調です」
「じゃあとはなんだ!」
理央にがっくんがっくん肩を揺らさられ、「はははっ!」とわざとらしい高笑いをする雪宗に柳は片眉を上げた。
「具合悪くなったら言え。適当に何とかしてやる。………ちゃんと看取ってやれよ」
「看取る?」
雪宗が目を瞬かせた。柳がモニターに視線を戻す。
「何の因果か因縁か知らんが、お前は彼女の感情と表情を最期に受けているんだ。変わりねぇだろ。変に揺らしたりしないで自然に受けてやれ。祟るぞ」
「彼女が?」
「いや、俺が」
「うん、そうだな!彼女を泣かせたら私もぶん殴る!」
「柳くんの祟りは何が起きるかわからないし理央さんに殴られたらトンボみたいに首が飛びますよ」
裏拳を見せる理央に雪宗がいじけた笑みを浮かべた。
「お前、首もげても生きる気か?」
「冗談。しかし、雪宗。怖くないのか。気持ち悪くないのか」
理央が雪宗の顔を覗き込む。雪宗の顔は変わらず笑顔だ。
「腐った臭いはしませんし見た目も僕らと変わりませんもの。それに人間が最後に行き着く先なので敬意を持って接するべきです。」
「そうかい、神社の息子よりご立派だこと」
「変な気は起こすなよ。彼女は亡くなっていて、お前は生きているんだ」
理央が雪宗の手をギュッと握った。
「ちゃんと映画公開するんだからな。3人で発表するんだからな」
◇
ペンションから車で30分。彼女との待ち合わせには湖畔近くの東屋を指定した。
太陽が山の端に傾き、黄昏の光が湖面に映る。陽が完全に山の向こうに落ち、宵が来れば船着場と対岸から花火が上がる。徐々に増える浴衣姿の人々の中、彼女の姿はまだ見えない。
昼中の蜃気楼が現れるような暑さは過ぎたが、じわじわと汗が滲み出てきそうだ。汗を掻いた方が学生らしいか徹底して抑えた方が不自然でむしろ学生らしいか。
思考していた雪宗の耳にカラコロと乾いた木の音が耳に入る。気がついたら彼女が夕闇に浮かび上がっていた。
数日間フリルとレースに包まれた彼女の姿はかわいらしく甘い繊細な砂糖菓子の印象だったが、明るい青緑を基調とする浴衣を着ると引き締まって見え、凛としている。白く細い線で描かれた描かれた菊牡丹の柄がよく似合っている。
「待った?」
「いいえ、今来たばかりです」
提灯の並ぶ屋台前をゆっくりと歩いていく。雪宗の戯言に くすくすと笑う彼女の手にはレースの手袋は嵌められていない。側にいると柔らかな息遣いをしている。今の彼女と映像の中の彼女は似ても似つかない。
「何か食べますか?やりたいことは?」
「いいえ。………貴方は私のこと何も聞かないのね」
「秘密があった方が楽しいでしょう」
「確かに最初そう言ったけど、私は貴方のことが気になるわ」
「そうですか。似た者同士ですね」
「聞かないのに気になるの?」
「そうですよ」
即答した雪宗に彼女は驚きに目を見開き、照れが含まれる嬉しそうな笑い声を上げた。華やかな笑い声だ。
腹に響く音が数発続く。ぱっと、雪宗と彼女の顔を照らした。
長く尾を引く火花が空へ駆け上っていく。
「始まりましたね」
「もっと見える場所に行きましょうよ!」
少女は雪宗の手を掴むと駆け出した。遊歩道から湖の湖畔へ。遮る物も灯りもない。空に大輪、湖も美しく煌めいて空に咲き、枝垂れる火花を写す。少女も手を叩き、無邪気に飛び跳ねた。
「ほんと綺麗!」
花火が上がるたび彼女の顔が一瞬闇に浮かび上がる。
「そうですね」と雪宗も頷いた。
綺麗だった。どの表情にも翳りがない。
ほとんどの人間は顔にこれまでが現れる。表情もそうだ。ただ単純に人の表情を見るのが好きだったが、歩んできた人生を想像するのも楽しみ方の一つだった。
彼女は初めてのように一瞬一瞬を心から楽しんでいる。
「本当に、綺麗だ。」
空に咲くは大輪の百合。形は崩れ、火花はすぐに夜に溶けてしまう。言葉も同様。静かに彼女は微笑んでいただけで届いたか不安だった。
しばらく2人で夜空に散る火花を眺めていた。
黄色い火花の滝が湖に注ぐ。ナイヤガラだ。あの火花が流れきってしまえばお祭りは終わってしまう。
「貴方達に逢わなかったら、こんなに素敵な夏の日を過ごす事はできなかった」
仕掛け花火のパチパチとした音と周りの人の感嘆の声がこだまする中、はっきりと彼女の声が聞こえた。
「ありがとう」
少女が背伸びをして、唇で雪宗に触れる。
「浴衣、きちんと返すからね」
彼女はサッと身を翻して岸辺を小走りで駆けていく。
呼び花火が弾ける。花火大会の終わりを告げた。
次の日、ペンションの前に紙袋が置かれていた。浴衣は綺麗に畳まれ、下駄も綺麗に洗われている。
「限界だったのだろう。夜明け前に這いずる音が聞こえたよ。」
理央が泥一つついていない紙袋を頬杖をつきながら眺める。
「せめて成仏して欲しい」
「そうですね」
柳の言葉に雪宗は静かに頷く。撮影は終了した。
◇
駅前をふらついていたら肩を叩かれた。雪宗に「よっ!」と親しげに片手を上げたのは、所長である東風縁。気軽に外を出歩ける身分ではない。抜け出してきたのだ。
(十二月三十一日さん、慌てているでしょうね)
秘書である十二月三十一日慈海はお手本のようにいい反応をする。どうしてやろうと考えていたら所長が悪戯っぽい光を浮かべて雪宗の手をぐいと引き、近くの喫茶店に入ると奥の席に座った。前から見えにくい席だ。同じ考えだったらしい。
「『薫衣夏』いい作品じゃない」
座って注文もせずに開口一番それだった。
「あ、アイスコーヒーとアイスティーを」
「避暑地で夏に出会う少年、少女の恋愛話!ベタだが、だからこそ素晴らしいね!今度の会社紹介用の映像に含ませてもらうよ」
「ありがとうございます。理央と柳も喜びます」
「声を出さずBGMとナレーションだけで切り取ったように進んでいくのも良かったね。しかし、疑問点が残る」
店員が2人の前にアイスコーヒーとアイスティーを置いて一礼して去っていく。
「スペシャルサンクス。そう!主演女優の子!あの子だ!演技もバッチリだった。ぜひうちの事務所に入って欲しいくらいで………!だが、不思議な事にあの子の名前、先日見つかったご遺体と同じ名前だね」
「何処で見つかったんですか」
「那賀野県だ。山中のラベンダー畑」
「へぇ、知りませんでしたねぇ」
アイスティーのグラスが汗を掻いている。雪宗は店員を呼び止めると、コースター2枚とガムシロップ、レモン汁を頼んだ。
「犯人たちも無事捕まったそうだ。自首らしい。どいつもこいつも『死刑にしてくれ』って喚いているそうだよ」
「死体は今後どうなるんですか?」
「神社で供養されるとのことだ」
所長がストローを回す。氷がグラスにぶつかり、涼しげな音を立てた。
「ご遺体の発見場所は匿名のタレコミ、犯人の周辺は友人知人会社周りが崩壊し、葬られる先は美烏神社だ。よもや君らが関わっているのではないのか」
「さぁ?しかし、唯ならぬ縁を感じますね。僕らも葬儀に参加しますよ」
所長から葬儀の話を聞くと、さらさらとメモに記入していく。
「あの作品で周りの者達が君が本当に恋をしたのだと騒いでいた。しかし、そんな訳あるまい。君は―――」
けたたましい音が2人の耳に突き刺さる。所長のスマホは初期設定のままだ。「すまない」と断ると、電話に出る。
(お見通しですか)
ポリポリと雪宗が後頭部を掻く
生きている様で死んでいる彼女とすぐ死ぬが生き返る自分。お似合いと言われたら頷く。しかし、恋心ではない。
会った時に感じたのは既知感。まるで鏡を見ているような気分だった。同じロスタイムを過ごしている同族。
所長は何度か相槌を打ち、スマホをしまった。
「慈海の奴、冰叉目に連絡したようで。あいつは怒らせたらまずい。先に出るよ」
一気にアイスコーヒーを飲み干し、釣りは取っておけ、と机の上に一万円札、文鎮がわりに五百円が置かれた。
所長が立ち上がり、襟を正す。
「キスはどんな感じだったか?」
通りすがりに所長が囁く。
にこりと笑顔で雪宗は返した。
喫茶店の鐘が所長の退店を告げる。
―――無粋なことを。
映像の中で彼女がどう映ろうとモノローグでどう語ろうと如何とでも言えばいい。真実は雪宗だけの物で誰にも打ち明けるつもりはない。
秘密は秘密であるからこそ楽しいのだ。
彼女の接吻は暖かく、柔らかいラベンダーの香りだったのを知るのは自分だけでいい。
静かに笑いながら雪宗は唇をそっと撫でた。