了遊(付き合ってない)。それなりに交流してるタイプのふたり。了見は回想にしかいない。
多分了見サイドからすると全然違う話になるなにか。
@d9_bond
自分の悲鳴で目が覚めた。
ぽかんと口を開けたまま、遊作は暗闇に目を凝らした。
あげた声はとうに夜の静寂に溶けている。カーテンのない窓からの星明かりで自分がいるのが自室のベッドと確認し、脱力して大きく息を吐いた。そのまま目を閉じ深呼吸するが、胸の動悸は簡単に収まりそうにない。こめかみを伝う汗に気がついてパジャマの袖で拭う。
夢を見ていた。
いつもの──決して慣れることのないものだ。夢の中では夢と気づかない事が多いから、こうして自分の悲鳴で目を覚ますことになる。あまり内容を思い出さないようにして、ただひたすらに大丈夫だ、今はもう安全なのだと自身に言い聞かせながら深呼吸を繰り返す。
そうしていくらか落ち着く頃には、目はすっかり冴えていた。
遊作は汗でべたついた額を手の甲で拭って、のそのそとベッドに起き上がり、明かりをつけた。経験上、こうなってしまうともう寝られない事がほとんどだ。ベッドの中で粘ったところで鬱々とした記憶が蘇るくらいなら、寝るのを諦めて別のことをした方がましだ。
(といっても、何をしたものかな……)
少し考える。
以前ならばネットで情報収集やら集めたデータの解析やらやることはいくらでもあったが、今は何もない。いっそ勉強でもしようかとベッドを降りて、案外冷たい部屋の空気に反射的に身を竦める。残暑もすっかり収まって秋らしく朝晩の気温が下がってきているようだ。汗をかいたのもあるだろう。
──こういう時は、面倒がらずにきちんと着替えろ
不意にそんな言葉を思い出す。
それを言われたのは少し前、了見の家に泊まった時だった。
泊り自体は初めてではなかったし、他愛のないことをしながら余暇を了見と過ごすのは、とても楽しい。
ただ、過去の悪夢はいつだって前触れなく顔を見せる。夢に慣れずとも見ること自体は慣れている。だからあてがわれていた客室で身を縮めてひっそり恐怖をやり過ごそうとしていた遊作へ、了見は声をかけてくれた。
よく気づいたものだと思う。自分の悲鳴が聞こえたのだとしたら過去の事を考えるとさぞかし嫌な気分にさせたことだろうが、了見は非常に理知的なので不用意に自分のマイナス感情を他人へ見せたりしないし、性根が真っ当であるので遊作を気遣ってくれた。
大丈夫、慣れているし眠れると強がる遊作の手を引いて、ベッドから連れ出して。
「こういう時は、面倒がらずにきちんと着替えろ」
「……大げさ」
「合理的判断だ」
そう言って遊作をじっとみて、顔をしかめる。
「そもそも、そんな様で眠れるものか。いっそシャワーを浴びてこい」
とても合理的とは思えなかったが、こちらを思っての言葉なのは分かったので遊作はそれ以上は抵抗せず、素直に浴室へ言って言われた通りその夜二度目のシャワーを浴びた。
確かに浴室を出る頃にはすべて洗い流されてすっきりしていたし、用意されていたふかふかのバスタオルも新しい肌着も気持ちよかった。
借り物のパジャマの裾がいくらか余ったのは些か不服に感じたが。
──さすがにシャワーを浴びるのは億劫に感じたので、顔を洗い、体は濡らしたタオルで簡単に拭いてすませる。
汗で湿ったパジャマを下着ごと着替えて汚れ物をまとめて洗濯機に放り込み一息つくと、それだけでもずいぶんとさっぱりした。湿った服を変えたおかげか先ほどよりも部屋が冷たいとも思わなかった。
「合理的判断……」
改めて納得して呟いて、遊作は小さく笑いをこぼした。
「……それから、あいつはなんと言っていたっけな」
先よりずっと穏やかな心地で記憶をたどる。
「一度、体を内側から温めるのが有効だ」
キッチンに立った了見は、牛乳をコンロで温めながらそんな話をした。
「上がった体温が下がっていくと同時にに体も休息へ向かう」
ぽってりとしたフォルムのミルクパンにたっぷり注がれた牛乳を、木べらでゆっくりと混ぜる。混ぜないと焦げ付いたり膜ができやすく、沸騰させてもいけないのだと言う。了見が鍋に付きっ切りなので遊作も並んでぼんやりと了見の手元を眺めた。
「レンジの方が早かったんじゃないか」
「今日はこちらの方が良い」
「そういうものか」
何だか先と違って非合理的にも思えたが、了見の事だから合理的な理由があるのだろう。
牛乳からふんわりやわらかな湯気が上がり始めたところで木べらを置いて、了見は棚から蜂蜜の瓶と大きめの匙を取り出した。
「甘いものは平気だったな?」
問われて頷くと、了見は金色の蜂蜜を匙いっぱいに掬い上げ、鍋へと落とす。そのまま匙でぐるりと鍋をかき混ぜると、湯気と共に牛乳と蜂蜜の混ざった甘い香りが一気に広がった。
そうしてなおも温めて、ふつふつと鍋肌に泡が立ち始めたところで火を止めた。大きなマグカップふたつへゆっくり注ぐ。ただ牛乳を温めただけなのに、特別な飲み物のように見えてくるから不思議だ。
「お前の分だ。少し熱いから気をつけろ」
「ありがとう」
受け取ったマグカップは当たり前だが温かくて、なんだかとても嬉しくて遊作は自然と口元をほころばせた。
──今なら、なぜレンジを使わなかったのかよく分かる。
遊作は記憶をなぞって小さな鍋に牛乳を注ぎ、コンロに火をつけた。そのまま白い水面を眺め、時折ゆったりかき混ぜる。
これは意識を今、ここへ持ってくるための作業だ。話をするだけでも良かっただろうが、ホットミルクを作ることを選択するのは効果からしてとても合理的でもある。
棚から蜂蜜を取り出して、温まってきた牛乳へ足す。
丁寧に溶かしながら沸騰しないように、焦げ付かないように、ゆっくり混ぜる。キッチンが次第に暖かな、甘い匂いに満たされる。
そうして出来上がったホットミルクの入ったマグカップを手に、遊作は部屋に戻った。
ふんわり上がる湯気の向こうの窓の外はまだ暗く、夜明けは遠い。
遊作は部屋の明かりを落とすと窓辺へイスを引いた。外気の温度もあって窓辺の空気はひやりとしていたが、手元のマグカップが温かいので気にならない。
街灯にぼんやり照らされた暗い道は車一台通らない。暗闇に沈む町並みに明かりも数えるほどで、まさに街は寝静まっている。街中の明かりが少ないからか目が慣れてくると、星がいくつも瞬いているのが見えた。
(皆、寝ているように見えるが……もしかしたら俺みたいなやつがどこかで同じことをしてるかもしれないな)
ぼんやり想像をしながら作ったばかりのホットミルクを口にする。
口当たりのやわらかな甘いミルクは、身体を内からじんわり温めてくれる。
(温かい)
この感じだ、と遊作は目を細めた。
あの日も今と同じように温かなカップを手に、了見と並んでリビングのソファにかけて窓の外を眺めた。口にするホットミルクと隣の温度は心地よくて、時折交わす会話の声音は穏やかで優しかった。
強がりではなく心から、もう大丈夫だと思えた。
(……単純だな)
自分の事ながら呆れつつ──そもそも昔からだったと気が付いて、呆れは苦笑に変わった。「あいつ」の記憶はもうずっと前から幾度となく、苦しい時ほど遊作を力づけてくれている。
(お前はずっと不本意だろうがな)
ふふ、と小さな笑いが漏れる。
手にしたマグカップが空になる頃には自然とあくびが出てきた。まぶたも重い。片づけは朝の自分にしてもらうことにしてカップをイスに置き、遊作はもそもそとベッドへ潜り込む。
「……おやすみ」
囁いて、遊作は目を閉じた。