@popo_trpg_ss
平日の昼間にも関わらず、煌びやかな化粧品のフロアには若い女性の賑やかな声が溢れている。
「………。」
長い髪を一つに束ねて眼鏡を掛けた彼ーー縞斑狩魔は、申し訳程度の変装をした姿でぼんやりとそのフロアに立っていた。女性たちに比べて頭一個分抜き出た長身の彼は、フロア内でこの上なく浮いている。
それにも関わらず彼が警備員に捕まらないのは、そんな彼の隣でじっと化粧品を吟味している女性の姿があったからだ。
「ねぇねぇ先輩、この色とこの色ならどっちが好き?」
振り返った彼女の動きに合わせて、緩く巻いた金色の髪がふわりと揺れる。甘い香水の匂いを纏った彼女が頬を赤らめて興奮気味に迫る様子を、周囲の女性たちは微笑ましい表情で見ていた。
一方縞斑は、苦い笑みを浮かべたまま彼女の手に握られていた赤のリップを指差す。
「…こっち?」
「ん!じゃあこれにする!」
自分の好みと一致したらしい彼女は、嬉しそうに頷くと背後でそのやり取りを満面の笑みを浮かべて見守っていた店員に声を掛けた。
自分用だから包装は要らない、ポイントカードを持っている等、慣れた様子で会計を進める彼女は、店員の好意で分けてもらったテスターに歓声を上げている。
恋人ながら完璧な擬態だ。そう感心する縞斑に向けて、彼女はあっと声を上げて振り返った。
「つけてもらってくるから、先輩はそこで待ってて!」
「え、あ…はーい…」
置いて行かれた縞斑は咄嗟に彼女を引き止めようと手を伸ばしたが、諦めて返事をする。
そんな縞斑をちらちらと見守る周囲の女性たちに居た堪れなくなった彼が頬を掻けば、化粧スペースへ足を向けた彼女ーー改め神無三十一が、悪戯っぽく舌を出して笑った。
※
「…つまり疑問っていうのは、抱いた時点で解決するべきものなんだよね。」
柔らかなソファに腰を下ろした縞斑は、左右に置かれたいくつかの紙袋を見張りながらぽつりと呟く。
「え、急になに?」
すぐそばに設置された試着室のカーテン越しに、神無の怪訝な声が聞こえた。フロアを移動して訪れたドレスショップ内の待合ソファに座る縞斑は、未だにちかちかと眩む目を覆いながら言葉を続ける。
「買い物デートがしたいから、だらだら先輩も簡単に変装してきて。……これが昨日のメールね。」
「うん。」
「だらだら先輩『も』ってところに疑問を抱いた時点で、君に行き先と変装の内容を確認すべきだったなって話。」
「ふーん?」
興味がなさそうに呟く神無は、着ていたスカートを落としてシャツのボタンを丁寧に外していく。
質の良い布の擦れる音をカーテン越しに聞きながら縞斑は、彼女の付き添いだと信じて疑わずに温かい視線を向ける店員へ愛想笑いを返した。
「…そんなわけで今確認するんだけど、なんで女装?」
「次の潜入はハニートラップも兼ねてるって話したじゃん?」
さも当然のように答えた神無は、試着室に持ち込んだドレスを手に取る。見栄を張ってウエストを絞ったデザインを選んだが、これまでの努力の成果ですんなりと袖を通すことに成功した。
「いや……だとしても別に、今日まで女装しなくたって…」
「だからぁ、化粧と衣装完璧にして速攻で釣り上げてやろうって思ったんだけど……」
それまですらすらと話していた神無が唐突に口籠る。うんうんと唸り声が聞こえる試着室に視線を向ければ、中から神無の声が聞こえた。
「せんぱーい、後ろのファスナーしめてー」
「あぁ…はいはい。入るよ。」
立ち上がった縞斑は荷物を一度店員に頼むと、一言断って試着室のカーテンを開けて中に足を踏み入れる。背後から店員の小さな歓声が聞こえたが、慣れてしまった縞斑は苦笑ひとつで切り替えた。
狭い試着室の中では、背中のファスナーを開けたままの神無が背を向けている。彼は中に入ってきた縞斑に気付くと、長い髪が絡まらないように片手で避けてうなじを晒した。
「上まであげて。」
「はいはい…よいしょ、っと。」
軽い声と共に小さな引き手を摘んだ縞斑は、髪を挟まないよう慎重に上までファスナーを閉める。背中に残る薄いキスマークがドレスに隠れたことを確かめて、縞斑は口を開いた。
「だけど、なに?」
「え?」
「さっきの言葉の続き。」
「あー…せっかく最高に可愛く着飾るのに、最初にそれを見るのが鼻の下伸ばしたおっさんなのはやだなーって思って。」
言いながらヘアアレンジを施した髪を整えた神無は、姿見で自身の姿を確かめてひとつ頷くと、縞斑の方をくるりと振り向く。
「かわいい?」
彼の動きに合わせて、繊細な模様の施されたラベンダー色のドレスがふわりと揺れた。アシンメトリーのスカートを軽く撫でつけた彼は、得意げに笑うとスカートの端を摘んで小首を傾げて見せる。
せっかく自分に似合う服を選ぶのだから、最初にその姿を見るのは恋人の縞斑がいい。そう言いたいらしい神無の可愛いわがままに、それまでの疑問を全て投げ捨てた縞斑は緩む口を手で隠したまま素直に頷いた。
「………めちゃくちゃかわいい。」
「よし、じゃあこのドレスにしよーっと。一旦脱ぐからファスナー下げて。」
縞斑の余裕を崩して満足したらしい神無は、そう言ってもう一度髪を纏めながら後ろを向く。
晒された白いうなじをじっと見つめながら、縞斑はあまりの可愛さに流されかけていた理性を取り戻して口を開いた。
「一人で着れないドレスで大丈夫?」
「ん?あぁ、当日はディーノに上げてもらうから大丈夫だよ。」
「いや…そういう意味じゃなくて……」
ハニートラップにおいて、一人で着脱ができないドレスを着て相手に言い寄る意味を、本当に神無は理解しているのだろうか。
そう眉を寄せる縞斑と鏡越しに視線を合わせた神無は、唇の端を上げて不敵な笑みを浮かべた。
「ベッドに誘ってるみたいに見える?」
「……分かってるなら、」
「大丈夫だって、これもエサのひとつだからさ。」
いくら仕事で行う色仕掛けとはいえ、軽率に体を許すような姿勢は、恋人として面白くない。
先ほどと一転して不機嫌な表情を浮かべる縞斑に向けて、神無はそう呟くと彼を振り返ってかかとを浮かせた。
リップを乗せた柔らかく湿った唇が縞斑の唇に重なる。数秒触れ合って体を離した神無は、縞斑の唇に移った赤色を指で拭いながら言葉を続けた。
「心配しなくても、あんた以外には触らせないし、脱がされるつもりもないよ。」
「………そう。」
自信を持ってそう断言する神無の瞳には、縞斑への確かな信頼が映っている。正面から彼の愛情を受け取った縞斑は、言葉を飲み込んで頷いた。
「ってことで、はい。早く下げて。」
「はぁ……はいはい。」
「はいは一回。」
「はーい。」
※
買い物を終えた帰り道の途中、女性の姿をしている神無に持たせるのは如何なものかと荷物を全て持っていた縞斑は、唐突に思い出した様子で足を止めた。
「なぁに?」
「これ、つけて行ってくれる?」
立ち止まって隣を見上げる神無に、彼はポケットの中に入れておいた小さな袋を手渡す。
受け取った神無がそっと中身を確かめると、そこには雫の形をしたアメジストが嵌め込まれたマグネットピアスが入っていた。
「…いつの間に買ったの?」
「君が着替えてる間に店内を見てたら、ドレスと同じ色だなって思って。」
偶然見つけたドレスと同じ色の魔除けの石に、縞斑は任務の成功と虫除けの効果を期待して会計に持って行った。
全てを察した様子の店員の笑顔は気まずかったが、何も言わずにプレゼント包装にして渡してくれた彼女たちには頭が上がらない。
「ありがとう、絶対つけてくから。」
たったひとつのアクセサリーに込められた愛情と執着を、神無はくすぐったそうに笑って受け取った。
試しにその場で身につけて見せた神無の耳で、しゃらりと音を立てて紫が揺れる。手を伸ばして指先でその雫に触れた縞斑は、嬉しそうに笑う神無へ笑顔を向けた。
「それと…任務の次の日は非番だよね?」
「うん?そうだけど…」
「終わったら迎えに行くから、連絡して。」
笑みを浮かべたまま口にしたその言葉に、神無は空気の変化を敏感に感じ取って一歩後退りする。
「え、や…でも任務夜からだし、先輩のこと待たせちゃうから、」
「へー、俺以外にあの服脱がされるつもりなんだ?」
固まった神無は、全身から冷や汗を流しながら笑顔を貼り付けている縞斑を見上げた。
数時間前の自分の発言が墓穴であったことを後悔しても、時すでに遅し。
「男に二言はないよねー?」
「げ…厳密には女装中だし、ノーカンかなって思うんだけど、だらだら先輩的にそこのところど」
「ないよね??」
「あっはい、ごめんなさい、はい。」
長いものには、例え恋人であろうと巻かれておくべきだ。我が身が可愛い神無は抵抗を止めると、大人しく縞斑の言葉に頷いて両手を上げた。
「消毒もちゃんとしなきゃいけないね。」
「……お手柔らかに…?」
「恨むなら自分の可愛さを恨みなよ。」
「まじであんた大人気無いな!」
観念した神無の手を取って再び道を歩き出した縞斑が鼻歌を漏らす様子に、顔色を伺っていた神無は悔しげな表情で地団駄を踏む。
こっちも必死なんだよ、なんて。
そんな弱気な言葉を飲み込んで、縞斑は精一杯平静を保ちながら道を歩くのだ。
終