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2023二次創作短歌オンリー歌会(メイン歌会)

全体公開 企画案内 81464文字
2023-11-16 22:36:03

2023年秋に開催した二次創作短歌オンリー歌会(メイン歌会)の参加作品とコメント一覧です(参加申込順・敬称略)。

企画詳細→ https://privatter.net/p/10391147
企画用ハッシュタグ→ #二次創作短歌オンリー歌会

Posted by @Dr_gaap

目次

2≫ 池田いくら
冴ゆるほど輝る冬銀河どこまでを落ちればわかりあえるだろうか
聞き分けの悪い子たちを入れておく御伽話はもう終わらない

3≫ 古月もも
雪解けの騒々しさも知らぬまま自由になれる気がしたなどと
折り目から裂けた便箋日が刺してそれは確かに本心だった

4≫ せいら
革命を説くくちびるが夕闇に紛れて低く歌う旋律
(おかあさん)あれがあなたの愛だった 俺だってそう信じてた、けど

5≫ 水川怜
君の眼は神代かみよの秘密を閉じ込めた翡翠のように遠くにあって
どれほどの悪意がこの世にあろうともまことの人として生きてゆく

6≫ くぼたむすぶ
選ぶのは最適解になる言葉林檎は赤いそれだけのこと
許せない言葉の波が押し寄せて座礁していく二つの心

7≫ 山と森と街
目の中に入れたら痛い 眩さが夢のかたちを鮮明にする
大丈夫 ピアスホールの夜嵐は君がむすんで、ひらいた 朝だ

8≫ ゆの
ではお茶を淹れてたまには語ろうか我が師父の手のあたたかさなど
魂喰いの手から零れた種からも命は芽吹く世界は進む

9≫ ナツ
オークション列車は停まらず競りおとす最高級は悪の蒐集
「最悪だ」口角がやや上がる音 隠すのならば暴かずにおく

10≫ 石ころ
葡萄より美しい目をした君に言葉ではなく薔薇のお菓子を
盾としてお前に傷を付けぬため赤く染まったこの手は取るな

11≫ 深山静
本物が真実だとは限らない渋谷のまちを丸ごと盗む
風が吹く 名も無き街の片隅で死ぬまで生きろと墓標が笑んだ

12≫ 谷澤
踏み外すことは容易い つまらない大人ほど信じているそれを
戦火とふ天鵞絨の上へ降りたてば王よここが腕の見せどころ

13≫ 南天
絶望の背後から刺す光たれ瓦礫踏み分け連れてきた朝
虹彩に光閉じこめて人間静かに眠る定命の水

14≫ おかのきくと
外套を崖から棄する スプリング・グリーンの海きらりきらり
じんせいの渡り方とか分かんない道路のほうは教わったけど

15≫ 月ノ華
叶うならまた君のことを撮らせてよ 最期と言わずに何年だって
「正しさ」を求めて斬った先の世で美しく咲け折節の花

16≫ 海月雪夜
絶望と知っても一途に手を伸ばす小さな希望のぞみ大きなはこ
清と濁相入れぬ世を嘆きつつ違う旅路で同じ未来を

17≫ てくてく
青はただ一色だけと言い切る為に手放した君の眼の色
冥府から見上げた空はただ遠くただ遠い空でみんな光って

18≫ toico
何にでもなれるしなっていいのだと笑う永遠でないほうの夏
断ち切れたはずのもやい結い直せば帆に風はらむ、何処までもゆく

19≫ 隙間
届かぬとわかっていても赤い目は「お前」を探し乾いたまんま
紡いだBPMは150 俺らの日々を映したすべて

20≫ 四月
地獄でも君の居場所のはずだった 更地をなぞる U R MY SPECIALユ・ア・マイ スペシャル
気に食わぬ背中を睨み続けてる情けない顔してんじゃねえよ

21≫ じゃしんちゃん
ボタニカよ 我らと共に道歩め いも永遠とわなれ 朋友とも永遠とわなれ
しぬほどね すきだよ とても すき スキ 好き 言うこときく子は ご褒美あげちゃう♡

22≫
死んだ名の面影見せる愛弟子にはなむけ贈る 強くなったね

23≫ Dr.ギャップ
でもだから行くんだあなたに見送られあなたにもらった声で体で
思うまま腕は勝手に踊るもの左右の腕を好きに名乗って


池田いくら

冴ゆるほど輝る冬銀河どこまでを落ちればわかりあえるだろうか

【選評コメント】
★読んだ時に浮かぶ景色が美しいです。冷え込めば冷え込むほど離れれば離れるほど研ぎ澄まされて星が輝く前半と後半の「どこまでを落ちればわかりあえるだろうか」というわかりあえない寂しさともしかしたらわかりあえるかもしれない希望の感情、その対比でさらに歌の深度が強くなっていると感じました。「冴・輝・冬銀河」漢字がぐっと詰まっている前半と「落」以外がひらがなの後半とで文字にしたときも対比が好きです。特に後半のひらがなの文字列は前半の漢字から零れて落ちていくようにも見え冬銀河(輝いている人たち、場所)からの遠さを思わせます。多数ではなく君と、輝く場所から離れ同じ暗闇で君とわかりあいたい、と深く迫っていくすてきな歌だと思いました。(なんとなく浮かんだ景色は漫画の見開き白黒ベタ塗りで表された夜空のイメージで漫画作品かな?と思っています)──山と森と街

★上の句のさえざえとした冷たさと、下の句の孤独が非常にうつくしく響き合っていると思います。また、冬銀河という物理的な「上」から、「落ち」るという上下運動を感じて、その効果にも惚れ惚れしました。落ちているのにまだわかりあえない、しかしこのまま落ちてゆけばいつかはわかりあえるかもしれない……諦念ににた切実さ、切実な願いだからこそ時に抱いてしまう諦念、そのふたつが複雑に絡み合っていると感じます。とても格好いいです!──せいら

★すごく好きな歌です。特に好きなポイントが二つあって、一つが〈どこまでを落ちればわかりあえるだろうか〉という彼らの関係と感情、もう一つが〈冬銀河〉と〈落ちれば〉の取り合わせです。
 「わかる」でも「わかってもらえる」でもなく〈わかりあえる〉ことを望むというのがとてもツボです。二重のエゴという感じがして……〈落ちれば〉を「悪に堕ちる」といったニュアンスで取っているのですが、ともに苦境に立ち、本意ではない選択肢を取るようになって、そうして初めて〈わかりあえる〉タイミングが来るのだろうかと想像しているのかなと。翻せばそうまでしなければ〈わかりあえる〉イメージのない間柄で、それでも共に落ちていくんだなぁと、考えれば考えるほどときめく彼らでした(すごく勝手な妄想で願望なのですが、こういう彼らには、どこまで行ってもわかりあえないけれど「わかった気がする」一瞬が人生の中で一度だけあって欲しいなと思います)。
 そしてもう一つ、〈冬銀河〉から〈落ちれば〉にイメージが飛ぶのが意外だけれど納得感があり、このイメージが本当に綺麗で大好きです。抜けるように高い天を仰ぐと〈落ちる〉=落下のイメージがあるんですよね……そして冬の冴えた空気に痛いほど輝く〈冬銀河〉。落ちる先は地ではなく、温かくはないけれど強い光に囲まれている。うつくしく説得力のある景でありイメージであり、そして非常にツボを刺激される一首でした。ありがとうございます。──Dr.ギャップ

●星空の冷たさ、美しさが孤独感を高めています。背景が広大できらびやかであればあるほど、主体のちっぽけさと無力感が際立ち、どこまでも落ちてもわかり合えないという澄んだ諦念が前面に出てくるように感じました。──ゆの

●「冬銀河」に森閑とした気持ちになりました。景色がぱっと浮かびました。季語にフォーカスさせる言葉選びにも脱帽です。冬の銀河を流されていく二人の姿を想像すると同時に「瀬をはやみ……」の歌を思い出しました。──おかのきくと

●銀河というのは星空のことなので、見上げるイメージがあったのですが、「落ちる」という表現から重力にもとらわれない宇宙の広大さを感じました。そんな広い世界で「落ち合えるか」「わかりあえるか」。これからの季節にもぴったりですし、人がわかりあうことの難しさを宇宙になぞらえている表現にうっとりします。──四月

【作者コメント】
山姥切長義/刀剣乱舞──池田いくら



聞き分けの悪い子たちを入れておく御伽話はもう終わらない

【選評コメント】
★寝物語には不向きな騒々しい展開ばかり続きそうで、面白い歌だと思った。思わずその中で、間近で御伽噺をこの目でみたいと好奇心が湧きそうになるが、同時にアクの強い「悪い子たち」は離れた場所から見ておく方がいいとも思う。──深山静

★フィクションである御伽話は作者や語り手、読み手がその後を綴っていかない限りは読み終えられてしまうものですが、この歌では御伽噺(その登場人物たち)がひとりでに歩き始めるんですね。童話や寓話は聞き分けの悪い子への教訓として作られる側面があると思いますが、逆に聞き分けの悪い子たちだからこそ御伽話は生かされ、終わらなくなる、という面白さを感じました。聞き分けの悪い子というのは御伽噺の読み手である子どもと、作中に描かれる悪い子の両方にかかっている気がします。──谷澤

●終わらない「御伽噺」は、辛い現実から目を背けるためのものでしょう。「悪い子」も、語り手自身も、「御伽噺」から醒めて、その現実に立ち向かわなくてはなりません。彼らの葛藤が水面で揺らぐのが見えるようです。──おかのきくと

●原作はツイステッドワンダーランド7章かなと私は思いました。西洋風の言葉選び、ロマンがあって好きです。聞き分けの悪い子たちが「入ってしまう/入り込んでしまう」御伽話はどんな話なのか、また「終わらない」で歌が締めくくられるのも怖くて素敵です。御伽話=フィクション=虚構に閉じ込め、現実世界からの締め出しをする大人の図、恐ろしくてとてもいいですね。──四月

●マザーグースの世界のような可愛らしさと不気味さが同居する歌です。御伽噺がまるでベビーサークルのように描かれていて面白いです。入れられた「悪い子」たちは出られないのですね。いい子になれば出られるのでしょうか。「もう終わらない」という結句の勢いが好きです。──ゆの

●不穏な場面ながら、この子たちは更生するのか、できないのか気になります。
不穏さ、緊迫感の表現が好きです。──海月雪夜

●この歌が〈もう終わらない〉で締められるのが大好きです!!
 〈聞き分けの悪い子たち〉は〈御伽噺〉の邪魔になるからと隔離して、けれどそんな子たちが大人しくしているはずもなく、たとえハッピーエンドをあてがわれたとしたって好き勝手に物語を紡ぎ続けてしまうから〈御伽話はもう終わらない〉。〈もう〉のダメ押しも愛おしいです。
 現在はまっているジャンル《ツイステッドワンダーランド》はもっぱら聞き分けの悪い子たちばっかり出てくる(そうした子たちにライトを当てることで物語が始まり続いている)ので、つい〈もう終わらない〉に「やっちゃえやっちゃえ!」と拳を振り上げてエールを送りたくなってしまうのでした。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
マレウス・ドラコニア/Twisted Wonderland──池田いくら


古月もも

雪解けの騒々しさも知らぬまま自由になれる気がしたなどと

【選評コメント】
★「雪解け」は、春が近付き雪が解けるときに崩れるような音や、木々の芽吹きや動物たちの目ざめと共に活発になる物音などをにぎやかな様子としてストレートに想像しましたが、関係性の緊張がゆるんでいく様とも取れます。
眠りから覚めた主体が周囲のにぎやかしさに、あるいは誰かとの関係性がゆるんでいくことに、戸惑いを覚えているような印象を受けました。そういったものを介さずに自由になれると思っていた、ということでしょうか。
ここでの「自由」は具体的にどんなものかまでは分からなかったのですが、肉体的・心理的を含む様々な自分を縛り付ける苦しみや悩みなどからの解放だろうかと考えます。
主体はその「自由」を望んでいたけれど、実際には想像していたものと違って、困惑している。しかし、「雪解け」や「騒々しさ」「気がしたなどと」の言葉からは、ポジティブなものも若干含んでいると感じました。静かなままひとりで自由になれると思っていたがそうではなかった、けれどそれも存外悪くはないような気もするとでもいうような、苦笑いをおさえているような感じと読ませて頂きました。
ストレートな感情を示すのが苦手でちょっぴりシニカルな主体を想像しています。
心の内を独りごちるような言葉使いが印象的な一首で、口に出したときの流れも気持ち良く、とても好きな歌です。
どんな人物で、どんな自由を欲していたのか、今はどうなのか、原作が気になります!──ナツ

●余白がきれいすぎやしませんか?春を迎えられたんだろうか、自由にはなれたんだろうか──てくてく

●「雪解け」は、たいていの場合において生命活動の再開として描かれます。冬の間止まっていた全てのものが動き出すので当然たくさんの音を伴い、それは喜ばしいにぎやかさのはずですが、主体はそれを感じることができない場所にいるようです。雪解けでも自由になれない失望や怒りが、にぎわいを「騒々しさ」と感じる気持ちにつながっているように思いました。──ゆの

●南生まれの私は、「雪解け」のうるささを知りません。「などと」の部分に、ぽこんと浮かんだ、鼻歌のようなとりとめのない考え、気持ちを感じました。でも、どこかアンニュイ。語り手の複雑な感情が交差しています。──おかのきくと

●雪や氷が解けることはよく自由や活動の再開として表現されますが、「騒々しさ」ということは、春になることによって多くの人や要因が絡み合ってくるのが、煩わしいということなのでしょうか「自由になれる気がした」のはそんな騒々しさを知らない周囲なのか、この主体が過去に抱いていた期待なのかでも解釈が変わってきますね。周囲の人間が喜ぶ中、がんじがらめになっている主体のしんどさや孤独が伝わってきます。原作が気になりますね。──四月

●「雪解け」「自由」の表現から、歴史的な出来事を連想しました。スムーズには物事が進んでいかない様子が、雪解けの実際の音、氷が割れる音や水が流れる音と重なるようです。──toico

●無力感の歌かなあと読みました。結句のうしろに(思っていた)と付けられるような主体自身の経験の回顧だと思います。雪解けの騒々しさを知っていたら自由になれるだなんて思わなかっただろう、という心の動きが描写されているのかなと思うのですが、雪が身近な暮らしをしてこなかったので季節感覚や環境はなかなか想像が難しく、意味がうまく読み込めなかったので皆さまの評を読むのが楽しみな歌です。──池田いくら

●雪解けを文字で見ると春が来る旅立ちの祝福のようにうれしい気持ちのイメージの中に変わっていくバタバタとした「雪解けの騒々しさ」は確かにあるものだと思います。泥濘んだ道は歩きやすいということはなく想像以上に疲労を伴います。歌の後半「自由になれる気がしたなどと」にある認識の甘さと雪解け=困難さが結びつくことで歌の重さが増しているように思いました。また、雪解けが初句にあることでパッと浮かぶ祝福のイメージとその後の歌の重さとのギャップが好きです。──山と森と街

●問題がひとつ解決したと思ったら事後処理や新たな問題が山積みだった、みたいな感じでしょうか。騒々しさが嬉しいような迷惑なような、内面の複雑な印象を受けました。──谷澤

●雪解けは静かな印象がありますが「騒々しさ」を選ぶセンスが素敵です。
固く積もった雪が解ける際の割れる音でしょうか?雪解け水が流れる川の音でしょうか?春が来て人々が動き出す音かもしれません。
雪解けの音を知らないことと世間を知らないことがリンクしているところが好きな歌です。──海月雪夜

●不思議な味わいで、じっと噛みしめたくなる歌でした。〈雪解け〉と〈騒々しさ〉、そして〈自由〉の取り合わせが一見不思議で、けれど読み込む中ですとんと落ちていく感覚があって、とても惹かれました。
 〈雪解けの騒々しさ〉が最初は不思議だったのですが、雪が溶けた下からいろいろな生き物や植物が顔を出す様子は確かに騒々しいだろう、と膝を打ちました。そして続く〈自由〉にまた首を傾げたのですが、でも確かに、雪解け後の世界の賑やかさを知らず、静かな白一色の世界しか知らないままであれば自由を知っているとは言い難そうだと思い、それで〈自由になれる〉日を夢見ていただなんてと苦笑してしまう“私”を想像しました。
 〈したなどと〉という語りかけは過去の自分ではなく他者に向けたものかもしれないし、この“私”が今もまだ自由ではないという読み方もできると考えます。ただ、こじつけかもしれないですが、〈雪解けの騒々しさ〉は実際に雪解けを体感として得ないとなかなか出てこないのではとも思いますし、今の”私”は自由になっていると思いたいなと、歌を読み返しながら思いました。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作【魔法使いの約束】
オズの二次創作短歌です。初めて2カ月の新米賢者ですが、強い絆の二人が刺さって抜けなくなりました。──古月もも



折り目から裂けた便箋日が刺してそれは確かに本心だった

【選評コメント】
★「裂いた」ではなく「裂けた」という表現から大切に折りたたんだ手紙であったことが伺えます。裂けた便箋の日が当たる方に書かれた言葉(本心)は誰のものなのか。前述の「裂けた」「刺して」など痛みを伴うような言葉も相まって、これは主体が渡せなかった手紙、伝えられなかった想いのことを詠まれたのではないかと推測しました。陽の光が当たる情景であるのにどこか寂しさがある歌だと感じました。──くぼたむすぶ

●「本心だった」手紙は受け取った手紙なのか、自身が送れなかった手紙なのかどちらかなと思い送れなかった手紙で読みました。裂けてしまった手紙は渡せずしまい続けて何度も開き続けて裂けてしまった、渡せなかった「本心」に光が刺す景色は後悔や懺悔も感じます。また、渡したけれど本心が伝わらない=裂けてしまった手紙とも思えました。「折り目」と初句にあることで丁寧に手紙をたたんだのかなと宛先の人物を大切に思っていると感じました。渡せなかったとしてもなかった事にはならない、歌を読む時に広がる少し古びた手紙と光のイメージがあり後悔や懺悔だけではなく祈りも浮かびました。美しい歌だと思いました。──山と森と街

●日が「差す」ではなく「刺す」。「裂けた」から、便せんで手を切ってしまったような痛みを共有した気分です。「確かに本心だった」と叫ぶ語り手の手から、ぽたり、と血が落ちる……そんな風景を、イメージしました。──おかのきくと

●折り目から紙が裂けるなら、相当古い便箋なのだと思います。それが裂けて、遠い昔に書かれた「本心」が暴かれてしまった。「日が刺す」という表現から、光に断罪されているような印象を持ちました。書かれていたのは罪の告白なのでしょうか。下の句の突き放した過去形が、主体にとってもすでに過去のことなのだという時の流れを感じさせました。──ゆの

●下の句が好きです。手紙でしか言えないことがあったんですね。──石ころ

●真ん中から便箋を破ろうとしたのは送り主なのか受け取った側なのか。日差しに照らされて「本心だった」と思い知る後悔(なのでしょうか)が目に浮かぶようで、映像の美しさも合間って痛々しくて心に刺さりました。──四月

●あ、知ってる感情だ!?と思っちゃいました。忘れてたけど本当のこと、それはエモ──てくてく

●「刺して」という漢字の選択が、日差しに主体の心を突き刺す鋭さを与えていると受け取りました。裂ける、刺す、などの鋭い単語のチョイスは主体の痛みと響き合います。便箋が裂けたのはひらいて、畳んでを繰り返したことによる摩耗なのだろうと思います。脆いものがあるべき形を失うさまを描写しているようで好きな歌です。──池田いくら

●折り目をつけて裂いたのか、劣化などでひとりでに折り目から裂けていったのかで変わる気がしますが、本心であることをわざわざ自分で確認する主体はなんとなくですが普段けっこう器用に自分をコントロールして振舞っているか、あるいは自分の内面の動きに鈍いのかなと思いました。──谷澤

●裂けた便箋に封をせず出せなかった日々、伝えられない強い想いが伝わります。
日が「刺す」表現が想いの強さ、心の痛みを強調し、素敵です。──海月雪夜

●裂けた便箋の裂け目から日の光が差してきた、という光景をイメージしました。机の上に置いているものに日が当たっているというより便箋を日にかざしているイメージです。
 便箋(手紙)は受け取ったものなのか、書いたけれど出さなかったものなのか、〈それは確かに本心だった〉という結びから後者かなと想像します。折り目からとはいえ裂けるほど劣化するには時間がかかると思うので、過去に出しそびれた、一度は便箋にしたためたけれど出せなかった、出さなかった言葉たちを思いました。出せなかった手紙、裂けた便箋といったモチーフから痛みをイメージする一方で、日の光や下の句の力強さから痛みに対する救いのイメージもあり、しみじみ噛みしめるように読ませていただきました。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作【ポケットモンスターSPECIAL】
通称「ポケスペ」。4章ルビーサファイア編の二次創作短歌です。幼稚園の頃から今まで、ずっと大好きな作品です。
ポケスペはポケモン派生作品の中でも「ポケモンが現実にいたらこうなんだろうな」と思える細かい描写がとても好きです。特に4章はバトルも友情も恋愛も詰め込んだ、満足度満点のストーリーに加えて、独立して楽しめる章でもあるので、気になる方は15~22巻をよろしくお願いします。──古月もも


せいら

革命を説くくちびるが夕闇に紛れて低く歌う旋律

【選評コメント】
★一目見た瞬間から好きです。ララバイ・鎮魂歌・望郷の歌あたりを歌っていてほしい……
高らかに歌う革命歌ではないのでしょう、たぶん歌っている彼(彼女?)に近い者しかその歌を知らない。あるいは誰もそれを知らない。立場上、心の柔らかいところを見せることのできない人間の、物寂しく、気高いシルエットが見える気がします。それ故に求心力のある人なんだろうな、とも。──南天

★申し訳ございません、原作はわかりませんでした。私は「革命」という単語にどうしても血の匂いを感じます。そしてやはり血の匂いを感じる「夕闇」という言葉がそれを引き立てているように感じました。革命を説くからには普段はきっと厳しい言葉の多いくちびるなのでしょう、しかし夕闇の中、その人はどんな歌をどのような気持ちで歌うのか、想像を掻き立てられるお歌でした。──水川怜

●サウンドホライズンかタクトオーパスかな、と思って読みました。切なさを感じます。──月ノ華

●「革命を説く」のと同じ口が、「低い」音楽を奏でる。そのどちらもが語り手の人となりであり、表裏一体の真実でしょう。フィクションの世界で生きているであろう語り手の、血の通った人間としての厚みを感じました。──おかのきくと

●「革命を説く」強く、激しく時に鼓舞しておそらく多くの熱や羨望を浴びているだろう人が周囲の目から少し離れた瞬間に見せた姿にハッとして詠んだ歌かなと想像しました。「低く歌う旋律」に普段のその堂々とした大人(少なくとも声変わりしているくらい?)の言葉とその歌声が同じくちびるから生まれるギャップにびっくりしたのかな。小さな子が歌うような童謡を想像しました。相手に対する一心な眼差しが伝わる歌だと思います。──山と森と街

●もうこのキャラクターがカッコいいことが伝わってきます、知らないキャラクターの濃縮されたいいところを味わえるのは二次創作短歌の醍醐味だと思います。自分を鼓舞するような歌でも良いですし、命懸けの革命の前では不似合いな、なんでもない日常の歌を歌っていても良いなと思いました。──四月

●視覚と聴覚に訴えかけてくる歌です。主体は何を歌っているのでしょうか。「改革」という熱を感じさせる単語で始まりながら、どんどん全体の印象が暗く冷たく低くなっていき、不穏な気配で終わるスリリングな構成。「夕闇」「歌う」という単語が時間の経過を意識させます。主体は改革の成功を本当に望んでいるのだろうか、実は権力者側の工作員ではないか、など楽しく想像しました。──ゆの

●革命を説く役割からひととき解放されて、休息の時間を過ごすシーンを想像しました。──toico

●「革命」という初句から始まる歌が鮮烈な印象です。広場や街頭でビラをまき、革命を促す演説をしている主体の熱を帯びたまま、下の句ではそのくちびるが低く静かな旋律の口笛を吹いている、あるいは歌を口ずさんでいる。そんな情景を思い浮かべました。
昼間には革命を熱く説いていたくちびるが、夕方にはその闇にまぎれるようにして今度は静かに歌っている、そのギャップごと歌に描かれているのが「革命」という語の強さに負けない物語性があって格好いいと思います。
黄昏の橋の下に身を隠し、ひそやかに歌う姿は一枚の絵のようで美しい。それはどんな歌なのかまでは書かれていませんが、革命とは真逆の、あかるく穏やかな子守歌のようなものであったり、恋や愛を唄ったものであったなら、よりドラマティックで、主体という人物像にとても興味が湧きます。
革命家であっても、ひとりの人間でもある。そんなふとした瞬間をとらえた歌だと読みました。
何となく、フランス革命の時代を想像しました。──ナツ

●重厚な雰囲気があって格好良い歌だと思います。民衆を鼓舞し、人から人へ情報を伝達させていく歌ってなんとなく革命と相性が良い気がして(これは個人的にミュージカルとかの印象が強いだけかもしれないです)、そういう内容を「短歌」という媒体で歌い上げられているのが面白いと思いました。時間帯としては日没が迫っている頃かと思うのですが、くちびるが見えないくらいの状況はガチの闇では?という点は気になりました。夕景はあくまでも喩えで、社会が暗く傾いていくなかで顔の見えない匿名の人間が歌い始める革命歌、という状況とも読めるかもしれません。──池田いくら

●情景がとても格好良いですね。革命の先駆者が密かに歌を歌う、とても好みで素敵な場面です。──海月雪夜

●〈革命〉と歌(旋律)が〈くちびる〉でつながるところに味わいを感じてとっても好きです。ギャップでもあり地続きでもあるという印象で、奥行きのある風景が自然と立ち上がってくるような……
 〈説く〉からはそそのかすようなニュアンスも感じるのですが、〈説く〉と〈旋律〉が〈くちびる〉の動作としてまっすぐつながる反面、屈折の感じられる〈説く〉と夕闇に紛れつつも伸びてゆく〈旋律〉で対比としても感じられて、順接と逆接が同時に成り立っているような、不思議だけれどすごく馴染む感覚にうっとりしてしまいます。〈革命〉は理屈によってなされ、〈旋律〉はその外側にある、というようなイメージ。とっても好きな歌の一つです。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作:『ヒプノシスマイクDivision Rap Battle
主要な悪役のひとり、東方天乙統女について詠みました。乙統女は男性中心の社会からの革命を成し遂げた、いわば強いフェミニストであり、わたし自身の政治的な思想とは相容れないことも多くあるのですが、どうしても嫌いになれないキャラクターです。総理大臣という政治のトップであると同時に、その地位をめざすからこそ切り捨てなければならなかった、彼女自身の子供を深く愛しています(すくなくともわたしはそう思っています……!)。「旋律」は子守唄のつもりですが、これでは子守唄と伝わらなかったなと今頃後悔しています。よく語られる「良い母」のテンプレートになってしまわないか、その点はとても悩んだのですが、きっと総理大臣になるまでの間、魑魅魍魎のうごめく政治の中で、将来への不安や現在の世界への絶望を抱えながら子供にそっと子守唄を歌ったこともあるだろうな、と想像しました。彼女はなにより「言葉」の力を信じているキャラクターでもあるので、きっと音楽や歌が好きなんだと思います。
このあたり気になった方は、ぜひヒプマイの「中王区 言の葉党」のドラマトラック「流転は篠突く雨でも流せない」「山雨来らんと欲して風楼に満つ」を聴いてみてください……!音楽から入りたいかたは「Femne Fatale」という曲を。どれもapple musicなどのサブスクで聴けます。──せいら



(おかあさん)あれがあなたの愛だった 俺だってそう信じてた、けど

【選評コメント】
★最後の「けど」が効いてますね!何か思っていたことや言いたいことがあっても直接母に言えない子だったのでしょう。切ない。ヒプマイのだいすくんを思い出しました。──石ころ

●家族からの異常な愛情は、成長して初めて分かるもの。逆に言うと、語り手は大人になりかけているか、なってしまったかのどちらかでしょう。信じてきたものが、崩れてしまう。こんなに痛ましいこともないと思います。──おかのきくと

●初句を()で囲み、ひらがなにすることによって、幼さやいじらしさを感じます。主体は一人称が「俺」なので、おそらくある程度成長した状態であると考えられ、初句とのギャップに胸が締め付けられます。自然なフレーズが短歌の音の中に嵌められているのが素晴らしいと思いました。──四月

●愛だと信じていたものは愛ではなかった。母親の愛がどのような形のものだったのかは分かりませんが、主体はかなり以前からおかしいと気付いていたのではないでしょうか。それでも必死に「信じて」きたのに、もう誤魔化せない決定的な何かが起きてしまった。絶望と、それでも絶ちきりがたい母への愛に混乱する主体の胸中が「けど」に表れています。──ゆの

●小説のシーンの一節を切り出したような独白で、「あれ」を読み手が知る術はありませんが、自分のためだと思っていた行動に別の思惑があったことが判明してショックって感じでしょうか。後半からは主体がもうしっかりした大人であるような印象を受ける一方、初句の呼びかけが平仮名表記からは幼い雰囲気を感じます。主体の母親との時間はその頃に終わってしまったのでしょうか。──池田いくら

●一人称が「俺」の主体が「おかあさん」と呼んでいることにより母親への心理的距離の遠さや、幼い頃から変化していない畏怖と依存を感じました。──谷澤

●〈信じてた〉と一度言い切ってから〈、けど〉と接がれることに切なくなってしまいます。かつて確かに信じていた、けど、という、〈信じていた〉という断定では終われない葛藤。〈俺だって〉が指すのは「あなた(母親)がそう言っていた」ということだと考えます。〈けど〉と続くのは、〈俺〉の世界が母親の影響下にあるそれから広がり、他の価値観や考え方に触れたためでしょう。
 色濃く感じる葛藤や苦悩とともに、そんな一首が〈おかあさん〉という幼さを思わせる呼びかけで始まるところに胸が詰まりました。かつてはそう呼んでいたのか、今もそう呼びたいのか。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作:『青野くんに触りたいから死にたい』
もう一首でも「母」を詠んだので、どうせなら母親をテーマに詠みたい……と思って考えついたのが、大好きであり畏怖しているホラー漫画『青野くんに触りたいから死にたい』の母親像でした。いろいろな意味で原作が「これからどうなっちゃうの!?」な展開の真っ最中であり、もうこの歌ではほかに捕捉するようなこともない気がするので、背景などはあまりお話ししません(できません)が、『青野くん』における家族の描写というのは物凄いので、気になった方はぜひ読んでみてください。ホラー漫画なだけあり、じとっと怖いのですが、基本的にホラーを楽しめないわたしも大好きです。あとものすごく短歌と相性が良い作品な気がするので、青野くんに触りたいから死にたい二次創作短歌増えろ〜!の気持ちです。──せいら


水川怜

君の眼は神代かみよの秘密を閉じ込めた翡翠のように遠くにあって

【選評コメント】
●君を見つめる時の距離は瞳の色がわかるほどとても近いのに「遠い」と思ってしまう寂しさや途方もなさを感じます。私は見ているけれど、君は私を見てくれないさみしさ。秘密がどんな秘密かはわからないけれど翡翠に閉じ込められた秘密は高潔で自分勝手に暴いてはいけないような気持ちになります。声に出して読んだ時に君・秘密・翡翠と音の繋がりが重なるたびに硬度を増していき内容と相まって透明度の高い鉱物のイメージを持ちました。またこの歌から熱のような圧縮されている手触りも感じていて不思議で綺麗な歌だと感じます。──山と森と街

●「神代の秘密を閉じ込めた翡翠」、秘境にこんこんと湧く泉のようなきらびやかさと、静謐さがあります。「目」は「遠くにあって」しかるべきものなのかもしれません。手元にないことで、美しくなるような気がします。──おかのきくと

●比喩が神秘的で美しく、「君」の存在がとても遠く、手の届かないものであることをよく表していると思いました。「君」は人ではないのかもしれませんね。人であったとしても、決して主体を見てはくれない気がします。おそらくすぐ近くでその眼を見ている主体は、もどかしい思いを少なからず持っているのではと想像しました。──ゆの

●ミステリアスかつ遠い存在であることを表現する語彙が素晴らしく、うっとりします。翡翠、緑の瞳かつ、秘密を抱いているキャラクターを何人か思い浮かべました。この「君」がどう思っているかはわかりませんが、主体と君の関係性が気になる短歌です。原作も知りたいものです。──四月

●長い時間をかけてできる翡翠という宝石と、神代からこれまでの時間の長さと、「君」と主体との距離の遠さが、静謐さと共にオーバーラップするような歌だと感じました。──toico

●遠くにあるだけで美しく感じられるし、美しいだけで遠く感じられるの、神代のエモだなと思いました──てくてく

●眼を「翡翠」にたとえ、翡翠は「神代の秘密を閉じ込めた」と表現されている、修飾が美しい歌だと思います。儀礼に用いられる宝玉、神秘的の付与の観点から見ても、まるくて輝きがある眼球をたとえるという視点から見ても、翡翠の読みはヒスイかなと思って読みました。しかし結句を鑑みるとカワセミでも読めるような気がして。そこにある、いるのに届かないさみしさを感じる歌だと思います。──池田いくら

●神秘的で近寄りがたく美しい人を想う歌で、とても素敵です。──海月雪夜

●馥郁たるファンタジーの香りにうっとりとなる一首でした。
※〈閉じ込めた〉を終止形ではなく連用形として読んでいます。
 〈君の眼〉が遠くを見つめるのではなく〈遠くにあって〉と描写されているのが印象的でした。遠くを見つめているイメージも残りつつ、〈君〉そのものが“私”から遠いところにいるのだろうと。〈神代〉〈秘密〉〈翡翠〉といった神秘性を感じるアイテムで形容されていることとも合わせて、〈君〉は巫女のような特別な能力を持った存在で、だから〈遠くに〉いるのかなと想像しました。うつくしい〈君〉に対する“私”の憧憬の視線が印象的です。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作「千と千尋の神隠し」
たいていの方はあらすじをご存知だと思います。千尋を助けるハクは川の神で龍神です。設定資料にはハクは「常にどこか遠くを見ているように」と書かれています。千尋に優しくしたかと思へば「ハク様と呼べ」と冷たくなったり、湯婆婆に何かやらされていたり映画中盤までは謎めいています。千尋から見たハクのイメージをハクの翡翠のような眼に込めて歌にしてみました。実際に日本神話には川と翡翠を司る「奴奈川姫」という女神か登場します。とても美しく賢い女神だそうで女神版のハクのようです。翡翠は古代よりお守りや神事で重宝されており、神道と関わりの深い鉱物です。もしかしたらハクの眼が緑色なのもそんな由来なのかもしれません。──水川怜



どれほどの悪意がこの世にあろうともまことの人として生きてゆく

【選評コメント】
●悪意に染まらないという主体自身の決意の強さや高潔さを感じました。──toico

●「呪術廻戦だ!真人だ!」と読んだ瞬間興奮しました。しゃんと胸を張る真人の姿が浮かびました。──月ノ華

●おそらくこの歌は「君たちはどう生きるか」から題を取っているのかなと予想します。その場合、物語の冒険が終わってからも続く真人の人生における決意、その道行への祝福の歌として読めて、とても好きです。
一方で『呪術廻戦』の真人の可能性も考えました。とすると意味は反転し、人の恐怖や悪意そのものから生まれた呪霊が自らを「真の人」と名乗るとき、そこには「人間とはなにをもってして人であるのか?」という問いが見えてくるのではないでしょうか。この場合は「どれほどの悪意がこの世にあろうとも」が最高に皮肉の効いた生存への仮定として浮かぶので、これはこれでいいですね……──南天

●語り手のつぶやきのような言葉選びが好きです。世界は悪意に溢れているけれど、自分を曲げずに生きていく。難しいことです。でも、語り手はそうありたいと思うし、歌を通して、口に出していく。とても、強い人です。──おかのきくと

●この原作において「真」という言葉がどう使われているのか、どの定義において真なのかとても気になりますね硬い言葉づかいからも前をまっすぐ見つめるような主体の覚悟が伝わってきます。──四月

●悪意に立ち向かうのではなく、悪意に満ちた世界と決別する歌だと感じました。主体は世界と混ざりあうのではなく、「真の人」として生きることで自己の純度を保つ道を選んだ。その潔癖さに少しの危うさも感じつつ、厳しい道をあえて選んだ主体を応援したくなりました。──ゆの

●主体が自分自身のことを描写しているというより第三者目線で語られるキャッチフレーズっぽいと思いました。内容がかなりまっすぐなので自分の口で表現するには気恥ずかしさが出るかもと思ったのですが、その手の照れがないタイプの人だと大丈夫だったりするのかな。「真の人」という語の選択がちょっと堅めなので、時代背景は現代日本より古いのではないかなと想像します。──池田いくら

●〈真の人〉あるいはそうではない存在としてこの”私”が想像しているのはどんなモノなんだろう、ということが気になりました。一般に人間性と呼ばれるものを保持した状態で、ということなのかなとふんわり想像しています。
 力強い言挙げだと感じる一方で、「悪」ではなく〈悪意〉を対象に挙げ、また〈悪意〉を個別具体的にではなく〈この世に〉広がるものとして捉えているのが独特の視点に感じられて印象的でした。「あの敵が許せない」という構図ではなく、まるで気体のようにこの世界に〈悪意〉が蔓延したとしても、自分はそれには染まらず屈せず、またそれに対抗しうる〈真の人〉であろうという形での矜恃なのかなと。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作 ジブリ映画「君たちはどう生きるか」
主人公眞人の決意を短歌にしてみました。宮崎監督はこれまでのジブリ映画で一貫して「この世は生きるに値する」というメッセージを込めていると私は考えています。この映画の終盤で主人公が穏やかに、しかしはっきりと「元の世界で生きていく」と口にします。監督のメッセージを短歌にするのもおこがましいですが、映画の感動を歌にしてみました。──水川怜


くぼたむすぶ

選ぶのは最適解になる言葉林檎は赤いそれだけのこと

【選評コメント】
★最適解を考えながら言葉選びをするタイプの誰か。悪いキャラか、理屈っぽいキャラか。「それだけのこと」の冷めた感じが好きです。何のキャラの歌かとても気になりました!──石ころ

●正しいけれど、それでも、それでも!と手を伸ばしたくなる、どんなキャラなんだろうと気になります!──てくてく

●個人的には「文豪ストレイドッグス DEAD APPLE」かな、と思いました。冷静で頭脳派な作中主体の笑みが浮かんできました。──月ノ華

●「林檎」「赤」という言葉も、誰かがその言葉を「選択」した結果。選ばれなかったものは夢や幻と変わりない。存在しないものを描くことで、逆に、選択したものの輪郭が浮かび上がってくる。そんな歌だと感じました。──おかのきくと

●誰も否定しようのない客観的な事実を言葉として選ぶ、ということは、腹の底には全く別の思いが隠されている証のように思います。結句「それだけのこと」は自分に言い聞かせているような抑圧的な雰囲気もあり、いつか主体は最適解ではない言葉を選んでしまう日がくるのかな、と思いました。──ゆの

●主体は、言葉がたくさん浮かぶ中で、最適解をどうして選ばなくちゃいけなかったんでしょう林檎が知恵の実に関係するなら、知らせたくない知恵や真実を教えるか迷った末に教えたということなのでしょうか。
「一番単純で突き放す言葉を選んだ」ように思える「それだけのこと」がなんだか切なく思いました。──四月

●「最適解」「それだけのこと」と簡潔に割り切る様子から、主体は人ならざるものに近い存在なのかな、と感じました。──toico

●この歌からは拒絶のニュアンスを感じます。わかってもらえるとは思わないし、わかられたくない、というような。自分自身にも言葉を受け取る相手にもあらかじめ諦めを抱いている、そんな雰囲気を受け取りました。林檎は赤い、確かにそれは林檎の性質ですが、林檎は丸いし甘いし、赤くない林檎だってある。林檎は林檎である、そうとも言えるのに。一つの面をばっさり言い切るのは、理解のために言葉を尽くすのは自分のすることではないと主体が思っているからでしょうか。──池田いくら

●主体は人間関係やコミュニケーションを冷めた目でみており、こなすべきタスクみたいに思っていそうですね。今までそれでうまく世渡りしてきた印象を感じました。──谷澤

●原作の具体的なシーンというよりは登場人物の生き様のようなものに基づいた歌なのかなと想像しました。合理性とシンプルさを信条としているような……とても気になる"私"です。
 具体的に読んでいくと、〈林檎は赤い〉は〈それだけのこと〉と言い切れるのかというところが気になりました。林檎は赤さ以外にも様々な要素を持っています。それを〈それだけのこと〉と言い切るのは、“私”のなかでそうだからなのか、それともあえてそう言い切っているのか……上の句を「最適解になる言葉以外は切り落とす」と読むのであれば、あえてそう言い切っている方でしょうか。〈それだけ〉とは限らないと知りつつ〈最適解〉のために〈それだけ〉以外を切り落とす”私”をイメージします。
 言葉の連なりがなめらかで、まるで”私”の登場シーンの台詞のような印象でした。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
アイドルマスターSideMのC.FIRSTというユニットの眉見鋭心をイメージしました。
彼は過去の自分が犯した罪により、人とコミュニケーションを取る際に相手が一番望みそうな言葉を選んで伝えてしまう癖がついています。それだけでは関係を築けないということにまだ気づいていない部分と、彼がよく話題にしている果物を絡めて歌にしました。
真面目で名前の通り鋭くまっすぐな彼の危なっかしいところが応援したいところでもあります。──くぼたむすぶ



許せない言葉の波が押し寄せて座礁していく二つの心

【選評コメント】
★「許せない言葉」は互いに向けて発したものなのか、それとも全くの他者から投げかけられたものなのか。波によって削れていく砂浜、次第に心もとなくなっていく足もと、為すがままにされていく心などを想像で重ねながら読みました。──toico

★初句切れで読むか、句切れなしで読むか迷いましたが、初句切れで読ませていただきました。荒れ狂う言葉の波の暗さと暴力性、そして翻弄される恐怖が「座礁」という言葉ひとつで見事に表現されていると思いました。二つの心は対立する心情でしょうか。許せない心と信じたい心、何かひどい裏切りがあったのだと想像します。「座礁していく」と現在進行形にしていることで、刻々と砕かれていく生々しい苦しみが伝わってきました。臨場感と迫力が素晴らしいです。──ゆの

●コントロールできない感情が溢れ出す直前の緊迫感が胸に迫ってきました。
溢れ出す感情を海に関する言葉で例えることで決壊直前の緊迫感が伝わります。──海月雪夜

●「許せない」のは、自分のことか、誰かのことか……。それとともその両方なのか。全てがしっちゃかめっちゃかになって、ついには「座礁」してしまった。もうどうしようもない悲しみ、複雑なやるせなさを感じました。──おかのきくと

●二つの心というのがキーポイントのように思います。二人分の人生を背負っているのか、譲れない決意のようなものが二つあるのか原作との答え合わせが楽しみです。言葉の波が押し寄せて、溺れる、ではなく、座礁するというのも印象に残りました。陸に上がった船はどうなるのでしょうか。──四月

●二つの心は、ひとりの中にある相反する心のことか、それとも登場人物がふたりいるのか、によって異なる景が浮かびます。「座礁していく」と実感の伴った修飾があることから、ひとりの心が描写されているのではと思いました。──池田いくら

●「許せない言葉」はどんな言葉だろう?座礁してしまえば何度も何度も波に打ち寄せられ逃げられず身をすり減らします。長く続く辛さから「許せない言葉」は大切な人・信じている人から投げられたのかなと切なく思いました。「二つの心」はその人を大切に・信じたい気持ちともう大切に・信じることが出来ない気持ちなのだと思います。その強い憤りと諦観のような感情が「ゆるせない・ことば・ふたつ・こころ」の表記が一つでもひらがなであったなら少し揺らいでいたと思うのでひらがなにしないチョイスがすてきです。歌の芯を確かにしていると感じました。──山と森と街

●二人の関係性が気になる歌でした。「座礁していく」とあることから、きっと二人はうまく通じ合うことができていないのだろうなと思います。
いろいろ言いたい事がある時や言いたくもないはずの言葉が口をつきそうになる時の、言葉が波のように押し寄せる感覚も、その波に対する心のモヤモヤや違和感を座礁と表現するのも、とてもしっくりくる表現で。すごい、と思いました。──有

●〈許せない言葉の波〉に〈座礁していく〉と続くのが、ああそういう”私”なんだと印象的でした。許せなさから攻撃に転じるのではなく、〈座礁していく〉=どこにも行けなくなるんだと。許せないけれど、その許せなさを積極的な行動で示すことはできない、しない。深く静かに打ちのめされている“私”を想像しました。
 〈二つの心〉を初読では「二人分の心」と受け取り、「どこにも行けないけれど一人ではない」「二人いるけれどどこにも行けないまま」の両方を思って果てしない気持ちになったのですが、何度も読むうちに“私”一人のなかに二種類の感情や思考があるという読み方もできるなと思いました。二種類あっても〈許せない〉も〈座礁していく〉も変わらない、むしろ二種類の間に葛藤があればこそ〈許せなさ〉に対抗することができずにいるのかもしれない、と。“私”あるいは“私”たちの明日が明るいものでありますように、と思います。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
アプリゲームの「リンバスカンパニー」より囚人番号7番ヒースクリフと8番イシュメールの二人の関係性を詠みました。
作品の序盤からよく衝突している二人ですが、場面によっては気遣うようなことができるような変化を見せてきました。その二人がいざこざを起こし、殴り合い、互いの触れてはいけない部分を傷付け合う様子が現在ゲーム内で描かれています。(次章の更新が11月に入ってからなのでこのコメントを書いている今は二人の関係が悪化したまま物語が止まっています。)
仲間たちと船に乗って進む湖の上、その船が座礁してしまうような不安定な関係を表現できればと思いました。──くぼたむすぶ


山と森と街

目の中に入れたら痛い 眩さが夢のかたちを鮮明にする

【選評コメント】
★夢が持つ輝きと残酷さが美しく表されていると思いました。自分を傷つける、直視することもつらい眩さ。目に刺さるその痛みは夢の姿をあらわにするとともに、自分の姿をも暴き出すのではないでしょうか。その対比こそが一番の痛みなのだと感じました。──ゆの

★この短歌を評する語彙が見つからないぐらい好きです。目の中に入れたいほど愛しいもの、ちゃんと痛みを伴うもの、眩いもの、だけどいまだ夢であるもの原作も含めて知りたいですね。──四月

★憧れのようなポジティブなイメージと、ままならないもどかしさとが両方感じられて、そのバランスがとても好きでした。(ああ、そうだよな。でも、眩さを厭いはしないんだろう)と思います。言葉が互いに補いあいつつ一首のイメージを確かなものとして組み立てているのがすごくて……
 上の印象の核は〈目の中に入れたら痛い〉という表現にあると感じました。続く〈眩さ〉の光のイメージが強調されると同時、「目の中に入れても痛くない(可愛くてたまらない様子)」が否定されることで「可愛いという一種の侮りを含む感情の否定」になっていると感じました。(もしかしたら人ではないかもしれませんが)“あなた”はあくまで憧憬の対象であり、可愛いなどといって愛でる対象ではない、という、ある意味で線を引くような”私”の態度を想像します。
 また〈眩さ〉について自分は視界が奪われるイメージで捉えることが多いのですが、比喩的な捉え方を混ぜつつ「光が目を刺す痛みによって〈夢〉が鮮明になる。具体化する」というイメージが鮮やかに広がり、ああそうだなぁとすとんと納得しました。目をくらませない眩さ。
 眩しさ、憧憬、痛み、それでもその〈眩さ〉が強く惹かれる光であることには変わりないこと。“私”にそうした光があることを、勝手に嬉しく思ってしまいます。この”私”から対象に向けての感情がすごくツボという気配がするので、原作発表が楽しみです。──Dr.ギャップ

●「目の中に入れ」ても痛くない、くらい可愛いはずが、実際に入れてみると「痛い」し、「眩しい」。しかしその痛みが、語り手の身体と精神、目の中に入れた誰かの存在、そして「夢」の形を、鮮明に映し出します。──おかのきくと

●「目の中に入れても痛くない」をもじった歌かなと思いました。具体的な場面は浮かびづらいものの、きらめきがあります。──石ころ

●「目の中に入れても痛くない」という喩えのことわざを普通に考えたら「痛い」という発想が面白いと思いました。
そう、コンタクトでも目に入れたら割と痛い。そんな至極当然のことが新鮮に映る初二句から引き込まれます。
主体は何を入れたら「痛い」と思うのか?ははっきりと言及されていませんが、それは「眩さ」を持つものであり、その眩さこそが「夢のかたち」を鮮明にするのだ、という下の句がやや飛躍もありつつも腑に落ちるところがありました。
眩すぎて目の中に入れたら痛いけれど、主体はその対象を大切に思っている様子が伝わります。焦がれているような相手への心情でしょうか。その相手が眩く、まただからこそ自分の(あるいは相手の・二人の)夢をより確かなものに見せてくれる、そんな場面として読ませて頂きました。──ナツ

●言葉にできない〜〜〜!!!!けどそういう眩さを私も推したちからいただいているなと思ったりしました。──てくてく

●夢ってどっちなんだろうとまず思ったのですが、ここでは起きている時に見る方の夢として。実景というよりは心象風景の例え話寄りの内容かと読みました。まず前半の内容はよく分かる一方、後半の内容を掴めない感覚があります。通常眩さを感じている時、物の輪郭ははっきり見えていない状態になりますが、この歌では反対に「夢のかたち」が鮮明になっている。
前・後半が並び立つ形で組み合わされているとすると、近づきすぎると痛くて、自前の照度では暗すぎる。手に入らないからこそ見えるものがあるということでしょうか。──池田いくら

●とても好きな歌です!(特選が2首しか選べないのが苦しい……
強烈な光を浴びた時の目の痛さが体感としてよく思い出されます。夢はとても大きくて眩しくて、直視してしまえばその苛烈さに目を傷めてしまうけれど、だからこそその存在を実感できるのだと思いました。「夢」に対する苦しさと、それでも諦められないような気持ちがまざまざと伝わってくるような歌だと感じました。──古月もも

【作者コメント】
ONE PIECE 尾田栄一郎(集英社)
Netflixオリジナル実写版ワンピースから海上レストランオーナー・ゼフで詠みました。サンジがルフィ達と共にグランドラインへと出港していく、それを見送る養父の関係や視点が原作ともアニメとも少し変わりまた味わい深い別れのシーンになっています。
ゼフとサンジの旅立ちの回は原作の時からずっと好きでドラマ鑑賞後更にふつふつと胸にあり今回の歌会を機会に10首ほど詠み、その中から今回1首提出しました。「目の中に入れたら痛い」は海上の光、サンジの髪の反射などの物理的なものとことわざ「目に入れても痛くない」の溺愛して可愛がることとはまた少し違う天邪鬼気質なふたりを表す意味合いでキャラクターがわかった上なら感情も乗せられるかなと上の句にしました。ふたりが出会ったことによってふたりそれぞれの夢が実体を強くしているのが改めて良いなぁと感じ詠みました。今回の実写版は原作漫画アニメと観てきた中でまた改変もありつつとてもすてきなドラマになっていると思います。未視聴でしたら是非。──山と森と街



大丈夫 ピアスホールの夜嵐は君がむすんで、ひらいた 朝だ

【選評コメント】
★ピアスホールを開けるという行為の爽快さが素敵に伝わってくる歌だなと感じました。ピアスホールは(最近はそんなことないのかもしれませんが……)何かへの反抗心だったり、少しの背徳感のようなものを孕むことが多いと思っていて、この歌でも「夜嵐」と表現していることから客観的に見てあまり良くないことの象徴なのかな、と読みました。それを「大丈夫」「朝だ」と肯定してくれることの救い・嬉しさが伝わってきて、とても惹かれる歌でした。「むすんで、ひらいた」の読点や、「朝だ」の前の一字空けがゆっくりと言い含めるようなニュアンスが感じられて、とても効果的で素敵な使い方だなと思いました。──古月もも

★夜の嵐から君が「むすんでひらいた」朝というのが独特の表現で、原作が気になるところです。ピアスしてるキャラクターはたくさんいると思うのですが、呪術廻戦の夏油傑なら五条悟が手印を結んで開いて逃がしたシーン(夏油は大丈夫って言いそう)を想起しますし、ジェイドとフロイドなら「縁を結んで未来を拓いた」とも取れますし(アズールとの関係性も含め)、ヒプノシスマイクの白膠木簓なら「ピアスホール(何も埋まっていない状態の穴)」は「君」の存在によって必要ではなくなったことで「朝が来た」ように心が楽になったとも取れますね。好き勝手解釈してしまいましたが、ピアスキャラ良いものです。──四月

●きみだから、朝が来るから大丈夫なんだなと思えてとてもすきです。ぴ──てくてく

●詩歌とは「赤い」という言葉を使わずに林檎を描くこと、という言葉を思い出しました。「ピアスホールの夜嵐」とは何なのか。上手く言語化できず申し訳ないのですが、言葉の絵具で景色を描くような、美を感じました。──おかのきくと

●「ピアスホールの夜嵐」という表現に引き付けられました。ピアスホールを開けたのは「君」で、痛みに耐える主体の隣で一緒に徹夜で朝を迎えてくれたのだと読みました。「むすんで、ひらいた」も童謡を思い起こさせて面白いです。緊張の緩和と同時に朝が来て、「大丈夫」とほっとする気持ちが感じられました。──ゆの

●「きみ」への不思議な信頼感がうかがえます。好き。──石ころ

●夜嵐の語の選択が美しいと思いました。ピアスホールと風の歌というと個人的には「春一番ピアスホールに吹き抜けてあなたなしでも春なのだろう/toron*」が浮かびますが、(10)の歌は「君」が風をつかんでいるので実体があり、より心象風景の比喩寄りのイメージです。「君」が何をしているのか、主体と君の位置関係等はうまく捉えられませんが、主体にとって「君」は孤独を紛らわせてくれる存在かと想像しました。──池田いくら

●散文で書き換えるなら「大丈夫だ。ピアスホールにやってきた夜嵐は君がむすんでひらいた。そうして朝が来た」となるかな、という風に読んでいます。〈夜嵐は君がむすんでひらいた〉が具体的にどういった状況を指しているのかなど読み切れていないと感じる部分もあるのですが、イメージの組み合わせがとても魅力的で印象に残る一首でした。
 一つは〈ピアスホール〉と〈夜嵐〉の取り合わせの素敵さ。ピアスホールというごく小さな、けれど確かな穴=風を通すものと〈夜嵐〉の組み合わせが新鮮で印象的でした。
 もう一つは〈むすんで、ひらいた〉から〈朝だ〉への展開の鮮やかさ。手遊びの「むすんでひらいて」が下敷きになっているのだと思うのですが、夜嵐を手で包んで、握り込んで、ひらいたらもう朝だ、という映像カットの切り替わりが想起され、その光景が鮮やかで魅力的でした。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
「MIND ASSASSIN」かずはじめ(集英社)
大戦中に生み出された頭部に触れるだけで相手の記憶と精神を破壊する暗殺用の能力を持つマインドアサシン。その血を受け継ぐ医師・奥森かずいの物語です。かずい目線で同居人である虎弥太への歌を詠みました。ピアスはマインドアサシンの能力の制御アイテムです。作品内のアイテムを読み込むのも二次創作短歌の楽しみの一つかなと今回は作品の特徴的なものを使って詠みました。
かずいの虎弥太への思いは夜明けの光のようだと感じます。暗闇から朝日を連れて来てくれる、そんなイメージと童謡の「むすんでひらいて」を合わせました。むすんでひらいての原曲がオペラ用の曲から賛美歌や唱歌、軍歌そして私達がよく知る形になり時代により変化している。変わりたい・変わっていくものだと生きるかずい(また、かずいの父)の祈りに重なるところもあるような気がしていています。読んだ時にリアルな景色が浮かぶ歌ではないと思うのですが、原作中によく登場するかずいが虎弥太を語る時の穏やかさ、救いのイメージやリズムよくむすんでひらいてを歌っているかもしれない虎弥太の姿が浮かんだらうれしいです。──山と森と街


ゆの

ではお茶を淹れてたまには語ろうか我が師父の手のあたたかさなど

【選評コメント】
●この場にいない師への思いが伝わりました。師がいない悲しさより師がくれた暖かさが思い浮かびました。──海月雪夜

●「我が師」「父」は亡くなっているのでしょうか。お通夜や酒の席で、誰かとの思い出話をしているような印象です。死者は忘れられた時に二度目の死を迎える、なんてよく言いますが、彼は、だいぶ長生きしそうですね。──おかのきくと

●なんだか寂しさが穏やかに光っている感じがして、くううううとなりました。手の暖かさが祈りのようです〜──てくてく

●小説の始まりのようなフレーズのリズムの良さが個人的にとても好きです。「たまには」の四文字で我と師父の関係性がいかようにも想像できるところがロマンがありますね。──四月

●小説の冒頭、おとぎ物語が始まっていくシーンのような、やさしい書き出しのような歌だと思いました。すぐその辺りにいる人の手のあたたかさをかしこまって語るのは気恥ずかしさが勝つように思えるので、その人はもう存命ではないか、もう簡単には会えない存在なんじゃないだろうかと想像します。「手のあたたかさ」から話し始めたくなる存在であるなら、主体にとっては良い思い出、良い関係だったと想像します。──池田いくら

●主体は背伸びしたい年頃でしょうか?あらたまった印象の口語に「手のあたたかさ」という幼い組み合わせでそう感じました。──谷澤

●接続詞から始まる短歌に心底弱いんです……!! シンプルに格好良いですし、一首の前に広がる時間や世界に思いを馳せることになるので……
 短歌の“私”と語りかけられている対象との絶妙な関係と二人の時間が垣間見えて素敵でした。〈我が師父〉とあるので兄弟弟子同士ではなく、むしろライバルであったり〈師父〉の弟子と友人だったり、近しくはあるけれど親密さとはやや違うような、近しくも礼儀が忘れられることはない関係性をイメージしました。けれど〈たまには〉いつもより少し空気を緩めて、それぞれにお茶を手にしながら語らいの時間を持とうという、ささやかで嬉しい時間があること。台詞としてとても自然な雰囲気でありながら、彼らの関係や時間の繊細な部分まで重層的に感じられて、とても好きな一首です。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
「銀河英雄伝説」より、ユリアン・ミンツを詠ませていただきました。原作後、亡き人たちのことを偲ぶ夜があったらという想像の場面です。
不敗の名将と呼ばれた養父ヤン・ウェンリーと共に暮らし、その哲学やひととなりを誰よりもよく知るユリアン。彼が大切な人と語りたいのは、歴史には残らないヤンとの思い出や、ふとした瞬間の印象だと思うのです。大の紅茶党だったヤンに紅茶を淹れるのはユリアンの大事な役目でした。
「師父」は外伝2巻『ユリアンのイゼルローン日記』で、ユリアンがヤンを指して使った言葉です。養父への思慕と敬愛の念が詰まった言葉だと思い使用しました。──ゆの



魂喰いの手から零れた種からも命は芽吹く世界は進む

【選評コメント】
●「魂喰い」は悪者なのでしょうか。そんな存在からも命は芽生えるし、世界は回る。邪悪な存在でも、何かの痕跡を零しながら生きている。そういった不条理もまた、悲しいけれど、この世の掟であり、自然なあり方です。──おかのきくと

●上の句でかなり重たい原作なのかなと思いましたが、下の句でぐんと力強さとスピードが上がるような感覚が好きです。命が芽吹くことが希望なような、一方で世界は進むことに少し焦燥感を覚えるような、そんな歌に感じました。──四月

●「種」をどう読むかがこの歌の肝かと思います。魂喰いというからには魂を食べているのだと思いますが、その手からこぼれていくと描写されているのは魂ではなく種。魂が種(植物)に例えられているのか、種(植物)を魂と言い換えているのか。後者だとするとベジタリアンの魂喰い……とちょっと面白くなってしまいましたが「魂喰い」って字から想像する荒々しさや不穏さからするとその読みは合わない感じもします。構造が凝っているのでうまく読み解けていない気がするのですが、おこぼれのように命を繋いだ者にもこの世界で果たす役割はある、みたいなことなのかなと想像しました。──池田いくら

●死と生が共存している歌でとても好きです。
下の句の力強さがとても素敵です。──海月雪夜

●〈魂喰い〉という人の理から外れた存在の手からも零れた種からであっても命は芽吹く=「理から外れた存在などないのだ」という歌のように感じました。この世界で〈魂喰い〉がどういう存在なのか(すごく単純化すれば”悪”とされるのかそうでないのか)は分からないものの、〈命は芽吹く〉という回収のされ方に、世界は思っているよりも優しい形をしているのだと言われたような気持ちになります。一方、〈世界は進む〉は〈命〉の成長のイメージにつながる一方で〈魂喰い〉を置いて進んでいるのかもという印象があり、それが寂しいような、でも〈魂喰い〉は〈命〉の背を押すのかもという想像もあり、優しさとさみしさの混じる読後感でした。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
来年HDリマスターが出る名作RPG 『幻想水滸伝Ⅰ』より、主人公の親友テッドを詠ませていただきました。
この世界には「27の真の紋章」という世界を動かす理(ことわり)があり、テッドはそのひとつ、「生と死を司る紋章(通称ソウルイーター)」を右手に宿しています。紋章の呪いで少年の姿のまま、300年もの間世界を放浪したテッドの旅に思いを馳せてみました。
死神と呼ぶにふさわしい禍々しい紋章を宿しながらも、諦めずに旅を続けられたのは、生命の力を信じられる瞬間があったからだと思っています。
結句は、ゲームのテーマ曲『予感』の歌詞「希望は世界をめぐり、進んでいく」からお借りしています。歌手のヤドランカさんはサラエボ出身、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は彼女の故郷の出来事でした。故郷を失う痛切な思いが歌われたこの歌は、故郷を失ったテッドの心情そのものだと感じ、使わせていただきました。──ゆの


ナツ

オークション列車は停まらず競りおとす最高級は悪の蒐集

【選評コメント】
●列車が停まらず走り続けることと、オークションの値段が吊り上がっていく状況が重なるような印象です。また、オークションで「悪」が最高級となることに、人間に対する悪の誘惑が強力であることを感じました。──toico

●スピード感がたまりません。一定の速度を下回ると爆発するような、映画「スピード」を思わせる疾走感と緊張感を受け取りました。「オークション」で競り落とすのが「悪」というところも、アイロニカルで魅力的です。──おかのきくと

●列車の中でオークションが行われているのでしょうか。オリエント急行のような豪華な客室が思い浮かびます。最高級の悪を競り落とすという背徳的な行為が、止まらない列車のスピード感とリンクして緊迫感を高めているように思いました。──ゆの

●列車のように止まらない値段の釣り上げ、疾走感とスリルがたまらない短歌でした。オークション、行き着く先が悪、全ての世界観にロマンがある蒐集という言葉選びも風情がありますね!──四月

●ひえ、とするほど情景がかっこいいですね!
停まらないにあらゆる止まらなさが感じられました!──てくてく

●ドラマティックで臨場感のある歌だと思いました。「オークション列車」というひとつの名詞(車内でオークションが行われている)として読むか、初句切れでオークションを進み続ける電車に喩えていると読むのか、どちらとも読めるな……と迷っています。──池田いくら

●語順が面白いな~と思いました。アングラに白熱していく雰囲気を感じます。──谷澤

●闇の組織の非合法さを垣間見ることができます。摘発するために乗車したのでしょうか?巻き込まれたのでしょうか?
物語の行く末を固唾を呑んで見守りたくなる歌です。──海月雪夜

●ここがクライマックス! ここがハイライト! という、一番美味しいところを見せてくれている一首のように感じました。〈停まらず〉〈競りおとす〉とだんだん盛り上がっていくのも、そのクライマックスに置かれているのが〈最高級は悪の蒐集〉というとても魅力的なモチーフであるのも、とても惹かれます。アングラだけれど華やかな、そんな空気を感じます。〈悪の蒐集〉も紳士の嗜みのよう。
 〈オークション列車〉で一つの単語なのか、それとも〈オークション〉で一度切れるのか迷いつつ、停まらぬ列車のスピード感とオークションの白熱した空気が重なって感じられました。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
「ロード・エルメロイII世の事件簿」魔眼蒐集列車(レール・ツェッペリン)をイメージ
『Fate/stay night』のスピンアウト作品のひとつ。三田誠:著のノベルと、コミカライズ、アニメシリーズ(魔眼~のみ)あり。
魔術やミステリ、英国の雰囲気が好きな方、ぜひ!──ナツ



「最悪だ」口角がやや上がる音 隠すのならば暴かずにおく

【選評コメント】
●語り手は、相手が隠し事をしているのを知っていて、あえて「暴かずにおく」。リスキーな共犯関係に、ハードボイルドみを感じました。本当はしないはずの「口角を上げる音」に、それが現れているのかなと感じました。──おかのきくと

●こういうキャラクターはみんな好きだよね、と主語が大きくなってしまいました。「暴かずにおく」ことにした主体は、好戦的な相手にやれやれと呆れているのか、それとも復讐などが成し遂げられることを喜んでいるのか、嘆いているのか想像がいろいろとできる気がしますが、全体的にハードボイルドで僭越ながらかなり私の好みでした。──四月

●「最悪だ」に皮肉めいた印象を感じました。また、発言した人間は直面している状況を楽しんでいるのかな、と感じました。──toico

●上の句は隠し事をしている人物の描写として読みました。最悪と言いつつ笑う不敵な人物です。主体はそんな相手を追及しませんが、おそらくする必要がないのだろうと思いました。下の句からは、暴こうと思えばいつでも暴ける余裕を感じられるからです。相手が信頼する親しい人物であれ、信用ならない敵であれ、「待てる」主体の優位性がにじむ描写に、二人の関係性が気になりました。──ゆの

●映像的な描写の歌だと思いました。口角が上がる音、漫画でいうニヤリってやつでしょうか。初句の発話とニヤケ笑いをした人、下の句の思考はそれぞれ同一人物?相手がいる?その辺が見えなくて、状況を把握するのが難しいなと思いました。──池田いくら

●口角が上がる「音」の表現が好きです。
四面楚歌の状況下での緊迫したやり取りが格好良いです。──海月雪夜

●下の句がめちゃくちゃ好きです……こちらの方が一枚上手だとしても相手の意図を汲んでその通りにしてあげるというのがヘキにくる……相手の意図を汲める有能さとそれを通してあげる余裕……主人公の”君”とサポート位置の“私”をイメージしていますが、実際はどんな二人なのかとっても気になります。
 〈最悪だ〉と口にしつつ口角をあげる(笑みを形作っている)という一連の仕草が〈隠す〉にあたるのだと読みました。〈最悪だ〉の言葉で隠そうとしているのか、笑みで隠そうとしているのか。後者かなと思うのですが、その場合、虚勢を虚勢とわかったうえで暴かず近くにいる、〈最悪〉に立ち向かう“君”の意思を尊重するところが好きで、虚勢とわかったうえで〈最悪〉にも一緒に立ち向かってくれるのではという予感がします。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
ソーシャル・ゲーム「FGO」のサーヴァント、オベロン・ヴォーティガーンをイメージ。
妖精王・オベロンがもとになっていますが、真の姿は――。というゲーム内屈指のシナリオ(二部6章/アヴァロン・ル・フェ)のメインキャラの一人で、キャラデザインは羽海野チカ先生。
「本当のことを言わない」性格を詠めていたらいいな、と思います。──ナツ


石ころ

葡萄より美しい目をした君に言葉ではなく薔薇のお菓子を

【選評コメント】
★葡萄より美しい目という言葉と薔薇のお菓子の対比が森茉莉先生の作品や70年代の少女漫画のような耽美な雰囲気でとても好み。──じゃしんちゃん

●詠み手の方が考えた原作と違っていたら恐縮なので既知の作品と極力重ね合わせないようにしていましたが、この歌だけは瞳を「葡萄」に例えた迷言を残したキャラクターが思い浮かび、最後まで離れませんでした。
彼はこのような気持ちを抱きつつさらっと素敵なお菓子を出してきそうなキャラクターのため、思わず和んでしまいました。作品を間違えていたら申し訳ありません。
葡萄に目、薔薇にお菓子と食べるものと食べられないものが対になっていてとても素敵です。──海月雪夜

●トレイ・クローバー!!!!誰をたぶらかそうとしているんですか!!?!???!(大好きです)──南天

●情景が圧倒的に美しいです。なんとなくですが騎士と騎士が想いを寄せる姫のふたりきりのお茶会の光景が浮かびました。──月ノ華

●「葡萄より美しい目」をした「君」。黒く輝く瞳の比喩として、脱帽です。言葉やルールに雁字搦めの「きみ」には、「お菓子」の方が届く。長い時間をかけて、関係を構築してきた語り手には、分かっているのでしょう。──おかのきくと

●真に美しいものへの賛美に言葉は無力。そんな相手がいたら、自分が美しいと信じる最善のものを捧げることしかできない。そんな心酔の気持ちがうかがえました。「葡萄より美しい目」という表現が中東の詩のようで、アラビアンナイトの世界をイメージしてしまいました。──ゆの

●主体が「君」のことをとても大切に思っていることが伝わってくる短歌です。言葉ではなく薔薇のお菓子を、に真実ではなく甘い嘘を、というふうに解釈したりなどしました。関係性が気になります。──四月

●ひとつまえの歌は「眼球」を翡翠にたとえ、こちらの歌は葡萄が「目」の比較対象に出されているのを面白く読みました。
葡萄を表現する言葉においしそうではなく美しいを選ぶ主体の感性が愛おしく、また、葡萄は言わずもがな美しいのですがと前提条件が透けて見えるのも微笑ましいです。そしてその主体が果実より美しいと言い切る「君」へ差し出すのもまた「お菓子」。薔薇ではなく、薔薇のお菓子。口下手な人間が何かを語るとき、自分の領域に引き付けてからでないと言葉を見つけられないように、大事な「君」について話すなら食べものと絡めて語らずにはいられない。主体が食べものへ抱いているそこはかとない憧憬と執着の波動を感じ、私はそこに好ましさを感じてなりません。──池田いくら

●一読して反射的にアプリゲーム《ディズニー ツイステッドワンダーランド》に登場するトレイ・クローバーの短歌では……!? と思ったのですが、同時に(あの人の歌がこんな端正に……?)とも思ってしまい、トレイ先輩ごめんなさいの気持ちになりました。また原作が全く別でしたら作者の方にもすみませんでした……
 この歌からトレイ・クローバーを連想したのは、ゲーム内イベント『ゴースト・マリッジ ~運命のプロポーズ~』において彼が他者の瞳を葡萄にたとえてその美しさを褒めようとするシーンがあったこと、所属寮のモチーフに薔薇があること、また彼がお菓子作りを趣味兼特技としていることが挙げられます。またゴースト・マリッジはすごく大雑把に言えば「偽のプロポーズ」を行うというストーリーでした。これらを踏まえるとこの短歌は、
〈葡萄より美しい目をした君〉=イベントでの求婚相手とは別の、より愛している/大切な君
〈言葉ではなく〉=トレイがプロポーズに用いた求婚ソングは歌詞の比喩が独特(的外れな感がある)ともっぱら評価されている
〈お菓子を〉=自信のある手作りのお菓子を贈ろう
 という風に読めました。〈薔薇の〉は、彼が自分を〈薔薇の〉寮の人間として置いているのか、あるいは薔薇がアイコンとなっているリドル・ローズハートが〈君〉だからなのかなと想像します。
 また〈葡萄より〉と自分で切り出しながら、〈言葉でなく〉とあっさり撤回する仕草にもトレイ・クローバー味を感じるように思いました。──Dr.ギャップ

●「言葉ではなく薔薇のお菓子を」という下の句が印象的ですてきです。差し出すよう終わり美しい君を甘やかす雰囲気の中にどことなく毒のような惑わすようなニュアンスを感じました。言葉ではなくお菓子という所が本心が別にある?と思わせるのかもしれません。その隠されたものが作品・キャラクターがわかった時に深みを増すんじゃないかとわくわくしています。──山と森と街

【作者コメント】
みんな大好きトレイ・クローバーの歌です(ツイステッドワンダーランド)。ゴスマリイベントめちゃくちゃ好きなんですよ。──石ころ



盾としてお前に傷を付けぬため赤く染まったこの手は取るな

【選評コメント】
★きっと好きなタイプの関係性を詠んでいる短歌なのではないだろうかと思い、コメントを残します。
誰かを傷つけないために、ヴィランになったりするキャラに心を持っていかれがちなので、この短歌にそのような要素を感じ、惹かれました。
おそらく、守りたい対象はその人を嫌いになれない/好いているのだと推察します。
きっと、赤い染まった手を見ても、何度も手を伸ばし、その人と手を繋ぎたいのかなと。
どの作品のどの人なのだろうかとても気になります!──隙間

★結句のカーブがすごく好きです。「お前に傷を付けぬため」とあるのでその分主体が傷を負っていると思うのですが、そうまでして守った相手には何も求めない、これは愛の話じゃないですか?最後「取るな」と命令形で終わるのも格好いい。主体の人柄、というか性格が垣間見えるようで、最高の締めくくりだと思いました。──池田いくら

●「お前」の為に手を汚す、語り手の健気さ。同時に、自分を汚いと感じる自己卑下。相手のために戦うことは美徳のはずなのに、そう思えない、ほの暗い気持ちを感じました。語り手が一方的に引く断絶に、胸が痛みます。──おかのきくと

●盾になったことすら「お前」に伝えていないような、徹底した献身を感じますね。この手は取るな、ということは「お前」はまだこの主体との関わりを求めているのでしょうか。原作も気になる短歌です。──四月

●主体は大切な誰かを護るために手を汚したのでしょう。暗殺者のイメージが浮かびましたが、盾と言っているので、もっと堂々とした状況かもしれません。結句が「この手を取るな」ではなく「この手は取るな」なのが効いていて、では何なら手に取っていいのかと、相手は思うことでしょう。本当は触れてほしいという主体の思いが隠されているように感じました。──ゆの

●「お前を守って手を汚した“私”はお前にはふさわしくない」という構図にベタの良さを感じつつ、〈赤く染まったこの手〉に〈盾〉と来るところに、そこに"私"の矜恃があるんだと味わい深く感じました。剣ではなく盾、あくまで〈お前〉を守ること、〈傷を付けぬ〉ことを第一に置いている人なんだなと。
 〈お前〉〈取るな〉といった言葉遣いから一種の対等さや親密さを感じ、たとえば従者のように身分差のある関係ではないと想像しました。“私”が〈お前〉の盾となっていのも、身分の差というより役割の差、あるいはもっと単純に”私”がそれを自らに任じている、矜恃にしている、という印象があります。
 〈赤く染まったこの手〉を〈お前〉が手に取ったとしても〈お前〉に傷を付けぬという役割に背くことはないだろうと思うのですが、それを良しとしない・したくない(傷を付けたくないだけでなく汚したくないという思いがある)のだろうところに“私”のエゴが見えてソワソワします。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
ファイアーエムブレム風花雪月のフェリクス・ユーゴ・フラルダリウスの歌です。ディミトリの盾としてだけ生きることを決めたフェリクスを思って詠みました。──石ころ


深山静

本物が真実だとは限らない渋谷のまちを丸ごと盗む

【選評コメント】
★語り手のアイデンテティは、誰かから盗んだものだったのかもしれません。ですが、「渋谷」の人々も、他者の時間を「盗」み、共有し生きています。語り手も「渋谷のまち」の一部になっていくのではないでしょうか。──おかのきくと

●混沌だ!!!!真実がほしいのか、本物がほしいのか、全部ほしいのか分からないけど、とにかくゾクゾクする始まりの気配がします──てくてく

●「渋谷のまちを丸ごと」というスケールの大きさが楽しい歌です。真実とは一種の物語ですから、本物だけれど真実ではない、というケースもあるのだろうと思います。主体は渋谷というまちが内包する「事実とは異なる物語」を求めていたのかな、と思いました。──ゆの

●本物と真実と渋谷という三つの単語でヒプノシスマイクか?いや、呪術廻戦か?と頭を抱えました。(渋谷はいろいろな物語の舞台になるので全然違う作品かもしれません)
「丸ごと盗む」というのが解釈が広がるところですが、「まち」をひらがな表記にしていることによって、どこかいたずらっぽいような印象も受けますし、簡単に盗める状況にある、意のままにしてしまえる、そんな高揚感とも捉えることができるかと思いました。──四月

●個人的にはFling Posseか渋谷事変かな、と思いました。「本物が真実だとは限らない」という言葉と「盗む」という言葉に怪しさと作中主体の微笑みを感じます。──月ノ華

●上の句、難しい話をしているなと思いました。本物と真実があたかも並列可能な概念かのように見せられていますが、どういう状況か、またその例がぱっと浮かばなくて。言い切られてしまえばなんとなく、そうだねと頷きたくなり、それでいて煙に巻かれているようで釈然としない気持ちもあり、それこそが主体の語り口なのでしょうか。詐欺師、泥棒等語りが巧みな主体像が浮かびますが、決め手がなく掴めない。渋谷の街のもつ混沌としたイメージと相まった怪しい雰囲気が好きです。──池田いくら

●スタイリッシュな怪盗のイメージの歌ですね。彼(彼ら?)なら本当にやってのけそうな自信が伝わってきます。──海月雪夜

●言葉遊びで相手を煙に巻く、飄々とした人物を思い浮かべました。〈本物が真実だとは限らない〉という切り出しもですが、そうして提示した本物/偽物、真実/虚偽という枠組みを丸ごとひっくり返すような下の句!! 飄々としつつも筋金入りの天邪鬼、しかも我が強いといった印象でついニヤニヤしてしまいます。枠組みをひっくり返すにあたって〈盗む〉という能動的な行為が来ているのは、我が強いあるいは自信の表れゆえだろうなぁと。
 〈本物が真実だとは限らない〉を具体的に読むのであれば、たとえばクローンや影武者のような本物/偽物と、偽物であっても”私”の捉え方次第で「ほんとうのあのひと」になる、といった状況を想像するのですが、たとえこの想像が合っていてもいなくても結局〈丸ごと盗む〉ですべてが“私”の手の内に収まってしまう、偽物も本物も真実も嘘も──と思うと、細かいことは気にせず〈丸ごと〉の快さに腰を落ち着けてしまいたくなるのでした。掌のうえで転がされているなあと思います。──Dr.ギャップ

●「渋谷のまちを丸ごと盗む」のスケール感にドキドキしました。
目に見えるもの、「本物」だと言われるものと、「真実」は別個のものであり、みんなが言う「本物」に真実のために立ち向かう主体の姿が思い描かれて、とてもワクワクします。
(何となくペルソナ5を想像しましたが、違っていたらすみません……)──古月もも

【作者コメント】
BATTLE OF TOKYO(バトル・オブ・トーキョー)
架空未来都市「超東京」を舞台に、特殊能力を持つ若者たちの5つのグループが「ファイナル・ファクト」争奪戦で激突する。
LDHが仕掛ける、音楽、アニメ、小説、ライブ……メディアミックスした次世代総合エンターテインメントがBATTLE OF TOKYO(通称BOT)である。
渋谷を拠点とする神出鬼没の怪盗団MAD JESTERS(チームスキルは複製)が最推し。オタクのハートも財布の中身も盗んでいく。
ウエハースチョコに付いてるカードは全50種ランダムなので、箱買いしたオタクたちの主食はしばらくウエハースとなる。
2023年のライブではド頭5分間ほど盆踊りを見せられた……──深山静



風が吹く 名も無き街の片隅で死ぬまで生きろと墓標が笑んだ

【選評コメント】
●文豪ストレイドッグスの織田作と太宰かな、と思って読みました。頬を撫でる海風を感じる短歌です。「死ぬまで生きろと墓標が笑んだ」というところから今は亡き人物と今も生きている人物との死しても切れぬあたたかな絆を感じます。──月ノ華

●荒廃した街の片隅でぽつりと建つ「墓標」を眺めている……そんな情景が浮かびました。身勝手な読解ですが、ともするとこの「墓標」の主も、誰とも知らぬ人なのかなと。そんな死者に励まされるような印象を受けます。──おかのきくと

●こういう邦画みたいな切ないフレーズ大好き〜!と率直に思いました。「死ぬまで」「笑んだ」いうからには、この墓標に眠る人はおそらく悔いのない人生だったのでしょうし、主体にもそうであってほしいのだろうと想像できます。「風が吹く」のを感じる、どうしようもなく生きている主体と、「笑んだ」という珍しくもある言葉選びが、たしかにある声なき会話を表現していて、素敵です。──四月

●墓標を見ている主体の寂しさが「名も無き」「片隅」という言葉から感じられました。「風が吹く」の後に空白が入ることで一瞬の余韻のようなものも伝わってきます。「死ぬまで生きろ」は一生のことなのか、それとも主体は死を探しているのか、私は後者なのかなと解釈しアンデッドアンラックのアンディを思い出しながら読ませていただきました。──くぼたむすぶ

●旅立ちの歌と受け取りました。墓標の下にいるのは共に旅してきた人でしょうか。進め、と自分の死後も主体を勇気付けることのできる人物です。主体とってこの墓標は道標であり、この先、迷ったり立ち止まったりしたときに立ち戻る場所として、ずっと胸のうちにあるのだろうと思いました。──ゆの

●西部劇っぽい世界観を感じました。
結句、墓標そのものがこちらにアクションを起こしてきたというよりはその下にいる人が語りかけているように主体が感じていると読みました。名もなき雑草が無いように名もなき街も無いので、あんまり危ない街で派手なことをするんじゃないぞ程度の制止の表現かと思うのですが、このパートはあくまで主体の頭の中で起こっている描写なんですよね。
主体にとっては今の自分に何を言われるか、聞かなくても分かるほど親しい人が眠っている墓標なんじゃないでしょうか。──池田いくら

●隙のない言葉選びでかっちり構成されたハードボイルドな世界観の一首だと感じました。
 あくまでなんとなくの印象なのですが、結句がもし「笑った」だったら何か含みがあるのかな……と感じただろう一方、〈笑んだ〉は素直に受け取って良いのだろう(“私”にこの先できるなら長く生きていてほしいと衒いなく願っている)という予感がします。また、名も無き街で初めて出会った墓標という読み方もできるだろうという一方、〈笑んだ〉の柔らかさから特別な“あなた”がいてほしい(〈死ぬまで生きろ〉を“私”が確かに受け取れるだけの信頼のようなものがそこにあって欲しい)と感じました。風に背を押され、墓標を置いて次の街へ進む“私”の背中が見える気がします。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
HiGH&LOW
全員主役をテーマに掲げ、LDHが企画したドラマ、映画、音楽、ライブの総合エンタメ作品。
シリーズは2023年遂に宝塚でも上演され、来年は戦国時代へと遡り舞台化される。おれ(オタク)たちですらもう何がなんやら。
5つの勢力が割拠するSWORD地区において、1本のUSBが後に日本を揺るがす事態へと展開していくことになる。
スラム街「無名街」を守るRUDE BOYS(SWORDのR)は高い身体能力から無慈悲なる街の亡霊とも呼ばれている。
そのリーダーであるスモーキーは病を抱えながらも、血の繋がらない家族のために超過保護に戦っているので、無名街の住人はみんなスモーキー強火担。スモーキー嫌いな住人はおらん。
パルクールの世界チャンピオンも紅白アーティストも仮面ライダーも所属する愉快なRUDE BOYS!──深山静


谷澤

踏み外すことは容易い つまらない大人ほど信じているそれを

【選評コメント】
●「容易い」と言いながら「信じている」ということは、踏み外すことが実行されていないのだと感じました。実行できていない他者を蔑んでいるような、はたまた主体自身に対するもどかしさのようなものを感じました。──toico

●子供の私と大人の私がバタバタしております、踏み外した故の言葉なのかな、と想像してます──てくてく

●個人的に、僕のヒーローアカデミアの荼毘、ヒプノシスマイクの山田一郎(MCD/TDD時代)、HUNTER×HUNTERの旅団のみんなを連想しました。
はじめに読んだ時に、どこか寂しさを抱えながら、強く生きている/生きてしまっている/生きようとしている表情を感じる短歌だなと感じ、抉られたような気持ちになりました。
解説がとても楽しみな短歌の一つです。──隙間

●語り手は「つまらない大人」になりたくない、少年少女でしょうか。踏み外すことが難しい、若者の余裕のなさ。裏を返すと、自由で、何にでもなれるということ。社会への理不尽さとちょっとした諦観を受け取りました。──おかのきくと

●「それ」は、社会のルールやしがらみ、束縛のようなものと受け取りました。パラダイムのような、もっと大きなものを指しているのなら革命の歌ですね。既成の常識を疑いもせず信じて不自由になっている大人へ、挑発的な視線を向ける子どもの歌のようです。しかし、すでに「それ」を踏み外してしまった誰かの自嘲的な呟きのようにも読めるところが面白いです。──ゆの

●多分この「それ」は内面化された「常識」のたぐい、しかも「つまらない大人」が信じるものと限定されているので、反抗期まっしぐらの少年少女なのかなと思います。容易く踏み外せるけれど、今はまだ踏み外してはいない。まだ踏み外していないという自覚があるんですね……ここに、結局は自分も踏み外せてはいないという諦念が見える気がします。──南天

●思春期の青さのようにも、大人を(さまざまな意味で)翻弄する若者のようにも読み取れる短歌でした。57、577の区切り方が、主体の尖っているパーソナリティを感じて、個人的にとても好きです。──四月

●それぞれの単語の意味は一読して取れるのですが、どういう内容、状況が描写されているんだろうと踏み込んでいくと、いろいろと考えたくなる歌でした。この歌で主体は第三者の立場にいると思うのですが内容は結構メタ的で、踏み外す側・つまらない大人側双方への造詣も深そうに感じられます。主体も過去にどちらかの、もしくは両方の立場を経験したことがあるのか、または身近な人を見ていたことがあるのか。淡々とした詠みぶりに根雪のような諦念を感じました。──池田いくら

●〈踏み外すことは容易い〉を反語として取ることもできるかなと思いつつ(踏み外すことは容易い。しかしそうはしない)、「つまらない大人ではない自分」に自負のある若者の歌として受け取りました。冒頭57のきっぱりした言い切りの形から、反語ではなく素直に受け取って良いかなと。
 〈それ〉に何が入るのかというところから想像が広がります。自分がぱっと思いついたのは「年功序列」や「子どもの愚かさ」や「社会通念」あたりだったのですが、はてさて……「つまらない大人ではない自分」への自負と同時、それによって〈つまらない大人〉より上に行くのだという気概のようなものも感じました。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
スラムダンクの水戸洋平のイメージです。──谷澤



戦火とふ天鵞絨の上へ降りたてば王よここが腕の見せどころ

【選評コメント】
★詠んでて、「風の谷のナウシカ」かと思った──じゃしんちゃん

●戦火で荒廃した国の持つ儚さと新しい王が持つ希望の対比が鮮やかに伝わりました。この国が長く繁栄すると良い、と思わず願ってしまいました。
特に天鵞絨の表現が良かったです。──海月雪夜

●戦火を天鵞絨に見立てているのが好きです。血みどろで汚れた戦場でも、高潔であろうとする「王」が見えます。熟語の多用により、パッション、高貴さ、様々な側面が同時に表現され、詩歌として素晴らしいと感じます。──おかのきくと

●「天鵞絨」をビロードと呼ぶのを恥ずかしながらこの短歌で知り、言葉選びのセンスが素晴らしいと思いました。戦火のことをビロードと漢字表記するのも、好戦的な下の句も、まとめて「とにかく格好いい」印象を持ちました。──四月

●天鵞絨(ビロード)に例えられるのならば、一面の戦火なのでしょう。そんな凄惨な戦場も、この「王」が降り立つならば豪奢な天鵞絨の絨毯に変わる。絶大なカリスマ性を表す描写と受け取りました。「王」の手腕と勝利を信じている主体の高揚が伝わってきました。強い信頼関係で結ばれた主従なのではないかと思います。──ゆの

●一面に上がる炎を赤絨毯に見立てている、恐ろしくも美しい景だと思いました。敷物の上に降りるという表現から、「王」が戦火の上にダイレクトに着地している景が浮かびます。そうなると、王は耐火性がある生物で、上空から火の上に降りるための翼があるか思うままにできる飛行する生き物を従えている気配があり、いずれにしてもただの人間ではなさそうで神話性がある歌だと読みました。──池田いくら

●〈ここが腕の見せどころ〉なのは“私”? 王? 少なくとも二通りの読み方があると思うのですが、直感的に”私”だと思いました。“私”から〈王〉への、あなたのために腕を振るいますのでご覧ください、という宣誓のように感じました。ゲームだったらカットインとボイスが入りそうな、決めセリフだし決めのシーンという印象です。”私”の自負が格好良くて惚れ惚れしてしまう一首でした。──Dr.ギャップ

●1首として読んだ時に文字としても音としてもすっと真っすぐ立っている歌だと感じました。王を見ている視点なので側近や仲間(鼓舞する・見守る)、もしくは敵対の王(煽る)などでも読めるかなと思いました。「戦火とふ天鵞絨」「王よここが腕の見せどころ」のすらすらと音にできてかっこよい様が名乗り口上に近くわくわくします。名乗りの目線で読むと元々王という立場でない人が自分を鼓舞するために詠んだ歌にも。どの視点だとしても力強いすてきな歌です。──山と森と街

【作者コメント】
魔入りました!入間くんの歴代魔王についてのイメージです。──谷澤


南天

絶望の背後から刺す光たれ瓦礫踏み分け連れてきた朝

【選評コメント】
★かっこいいー!でもそのかっこよさの前には絶望があることが目の前に書いてあってとてもすきです。!──てくてく

★眩しい光景が浮かびました。安心感と高揚感と、喜びと涙でいっぱいになりそうなワンシーンでした(ヒロアカの出久がオールマイトに憧れた瞬間のあの一コマみたいなイメージです。)。
ヒーローとしての宿命を背負わされたような歌で、「ああなんてカッコいいんだろう!」という高揚を感じつつ、その期待の重みを想像して、その光景をただ称賛して良いものか迷いました。光景としてカッコいいだけでなく、こういう複雑さも感じられて、好きでした。──有

●絶望の暗さと、それに対する光のコントラストが対比する情景が目に浮かぶようです。光に「刺す」という漢字が使われているのは、絶望を刺し貫いて倒す希望を強調する意図もあるのかな、と想像しました。──toico

●希望を感じる歌です。瓦礫を踏み越える音。背中から差してくる朝日の眩しさを背に立つ、凛々しい姿が思い浮かびました。たくさんの絶望を乗り越えても、目はまだ死んでいない、そんな力強さが伝わって来るようです。──おかのきくと

●この「絶望」や「瓦礫」は主体が遭った不幸なのか、自ら引き起こしてしまったものなのか、という点でも想像が広がりますし、連れてきた「誰か/何か」に「光たれ(光であってくれ)」と望んでいるのか、朝の光が垂れ込んでいる描写なのかダブルミーニングかもしれませんが、どのようにでも読み取れるし、どう読み取ってもドラマティックな短歌だと思いました。──四月

●朝日の光線で剣のように絶望を「刺す」イメージ。瓦礫の中で背負う朝日はきっと後光でもあって、神聖さすら感じさせる場面描写です。この人物は絶望と希望をともに背負い、乗り越えることのできる、強い人なのだろうと思いました。救世主を描いた宗教画のようです。──ゆの

●戦災の景が浮かびました。光でもって「刺す」ことができるなら絶望には実体があるのではと思ったので、絶望そのものというよりは絶望をもたらした原因である存在と、「瓦礫踏み分け」てやって来てそれに終止符を打つ存在の最後の、攻防が歌われているのではと想像します。──池田いくら

●歌を頭から読み進めていって、“私”が〈連れてきた朝〉なのか!と気づいた瞬間の衝撃といったら……めちゃくちゃ格好良くって本当に痺れます……!!
 光が差しますようにとただ祈るのではなく、〈朝〉はすでに私の手で連れてこられているのだという確かな事実がそこにあり、そのうえでの〈絶望の背後から刺す光たれ〉という願いであるというのが本当に格好良くて……〈連れてきた〉ははっきりと他者のための振る舞いで(”私”だけであれば〈朝〉に出会ったところで良しとしてもよかったのでは)、それをごく自然に振る舞っているところにも魅力を感じずにはいられません。〈背後から〉という修辞もこの人が後光を背負っているようであり、不意打ちのように〈絶望〉に光が差すイメージがあり、一首の一つ一つが格好良く、“私”に強く惹かれる一首でした。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
血界戦線アニメ一期、最終話「Hello,world!」を題材に読みました。主人公レオナルド・ウォッチの背後から登る朝日が眩しく、その情景から浮かんだ歌です。
ただでさえはちゃめちゃな日常がさらに危機的状況に陥ったとき、それでもひたすらに真っ直ぐに、友と信念の為に走り続けることができるか。
「光に向かって一歩でも進もうとしている限り人間の魂が真に敗北することなど断じてない」。物語序盤にレオナルドにかけられたこの言葉が彼の中で指針となって生き続け、それを見事に体現されたことが分かったとても嬉しいアニメ最終回でした。この話が大好きな理由はもう一つ、私が巨大建造物崩壊フェチというのもありますが……
『血界戦線』は内藤泰弘の漫画が原作。世界を観測するための「神々の義眼」を持つ、それ以外は"普通"の男の子であるレオナルドが、ある日突然霧に包まれ、世界の虚があいた超常現象が飛び交う街、ヘルサレムズ・ロット(旧ニューヨーク)で秘密結社ライブラに所属して過ごす日常を描いています。──南天



虹彩に光閉じこめて人間静かに眠る定命の水

【選評コメント】
●「定命」とは寿命のことなのですね。勉強になりました。「水」という単語で「虹彩」の煌めき、閉じ込められたものの静謐さが際立ってくるのが妙だと思いました。オフィーリアのように横たわる人をイメージしました。──おかのきくと

●「静かに眠る」が死とも、定命(寿命)を受け入れて眠っている状態とも読み取れますが、どちらにしても「虹彩に光閉じ込めて」という描写から、光のある人生だったのだろうと思います。この主体の閉じられた瞼の下、瞳の水分が光りながらゆらめいているようなイメージが浮かびました。美しい歌ですね。──四月

●人間は光を閉じ込めた水のようなもの、と人外の生き物が見守っている場面と読みました。きっと主体は人間よりはるかに長い寿命を持っているか、寿命がないのでしょう。人間ははかないけれど、その内にある光の揺らぎを愛さずにはいられない。そんな慈しみの視線を感じました。──ゆの

●全体的に人間の儚さと美しさが感じられます。繊細で素敵な歌ですね。──海月雪夜

●句切れなしで「人間」=『静かに眠る定命の水』とたとえている内容で、二句目から三句目の句跨りが独特なので、どことなく掴みきれないリズムを感じます。上の句は黒目(黒じゃないかもですが。白目じゃない部分の意)にハイライトが入っている状態が頭に浮かぶのですが、全体を通して読むと瞼を蓋に見立てて「閉じこめて」と言っているようにも読めて、起きているいっときの間の描写というよりは、生きている人間という存在そのものへの慈しみの目線の歌かと読みました。──池田いくら

●「虹彩に光を閉じ込めて人間は静かに眠る。人間とは定命の水である」という風に読みました。具体的な意味は読み解けていない箇所もあるかもな……と思っているのですが、モチーフの組み合わせ方やそのバランスが絶妙で、分からない部分があっても一首まるごとの世界を受け取ってうっとりさせてもらえているとも感じました。
 眠るために目を閉じている様子が〈虹彩に光閉じこめて〉と描写されていると取ったのですが、すごくおしゃれな表現でうっとりしてしまいます。目を閉じている=暗闇ではなく光を閉じ込めているのだという発想の転換。〈人間〉が種族全体を指すのではなく、“私”の目の前にいる特定の誰かなのだとしたら、瞳が大きかったり色彩が鮮やかだったり、その人の瞳そのものに光のイメージがあるのかもなと思いました。
 また人間に対する〈定命の水〉という表現も素敵で、「人体の大部分は水」、「水は巡り果てがないが、水の入れ物としての人間の器は有限であり、またその命には限りがある」、「目の前で眠る人間のなかにも水は湛えられ、巡り、その命を象徴している」といった様々なイメージが広がっていきました。定めはある、けれど確かに生である、ということを思います。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
シオドア・スタージョン『夢みる宝石』より。SF幻想冒険譚です。
主人公、ホーティーは養家を飛び出し、カーニバルの一員となります。一緒のトレーラーで旅をすることになるジーナの目線、さらに、ホーティーが生まれた時からそばに居る、びっくり箱のジャンキーの目に映る彼を思って詠んだ歌でした。
人間は約7割が水だという話から、人間と全く異なるものが「人」をまねぶとき、それにはホモ・サピエンスという生き物が寿命のある水のように見えることもあるだろうな、という着想です。──南天


おかのきくと

外套を崖から棄する スプリング・グリーンの海きらりきらり

【選評コメント】
★冬から春への移り変わりや明るい日差し、晴れやかさを感じます。「きらりきらり」の六音での終わり方に、海や世界の広がりを感じます。──toico

★「崖から棄する」、不穏な気配です。それにもかかわらず海は「きらりきらり」、この不穏と美との不安定な取り合わせが好きです。まだ肌寒い春、冬の気配が残る頃の情景が浮かびました。穏やかでない事件の香り、人死にのある失恋でもあったのかしらん、とつい、裏にある物語を想像してしまいます。この歌は読む人によって全く別の物語を感じるだろうなと、そこも面白いと思いました。──南天

★棄てられた外套が崖下を広がりつつ落ちていく情景、その外套の向こうで輝く海。何とも美しい情景だと思いました。外套は主体にとって大切なものだったのでしょうが、海の煌めきによって物悲しさはなく何か希望のようなものも感じられるお歌だと思いました。──くぼたむすぶ

★初二句の「外套を崖から棄する」がドラマティックな場面を連れてきてどきどきしました。
続く「スプリング・グリーン」は、新芽の色であり、リスタート、新たな出発、成長を意味するそうで、古い外套を棄てる=今までの自分の殻を脱ぐ、過去を捨て去るようなイメージが湧きます。
そうして、主体が外套と共にそれらを明るいスプリング・グリーンの海に投げ捨てれば、新たなる門出を祝うように海が輝いている、そんな場面として読ませて頂きました。
「スプリング・グリーン」の語や「きらりきらり」のオノマトペで終わる結句も、重く暗いイメージを棄てる上の句からの対比としてあかるくきれいで、とても好きです。
「きらりきらり」いいですね!まぶしくあかるくかがやいて見える様子がうつくしく表現されているオノマトペで音も字面もきれいです。
一首を通して映画の一場面のようなドラマ性と、「外套」「崖」「グリーン」の重めで硬いgの音は主体の人物像を思わせ、間に挿入されるkの音(崖から・棄する・きらりきらり)が重い外套を脱ぎ捨て身軽になった主体の心情や未来を軽やかに感じさせて、その韻律の対比も歌に響き合っていて気持ちの良い歌だと思いました。
とても好きです。──ナツ

★崖に至るまでにつらめのドラマがあり、主体の情動を行動や視界で詠んだ歌なのかなと思います。下の句が好きです。──谷澤

●スプリンググリーンのさわやかな印象が残る歌ですね。崖から海に外套を投げ捨てるという動きの意外さから、外套を追った視界に一面の海が広がる解放感が気持ちいいです。「きらりきらり」は「ひらりひらり」に語感が通じて、外套が落ちていく映像も浮かびました。──ゆの

●単語のチョイスが文学的でうっとりしますね。この主体にとって外套とはどんな存在だったのか思いを馳せます。「海きらりきらり」のリズム感がとても好きです!波打つ水面を見ているよう。一字余るのもきらりきらりと光り続ける余韻を感じます。──四月

●後半の読み心地の爽やかさと、前半のかっちりとした格好良さの対比が鮮やかな歌だと思いました。そこが主題では絶対にないのですが、読むたびに海洋投棄シーンにどきどきしています。創作物を現実の倫理観のコードに則って読むと興醒めするため、それは言わないお約束、と暗黙の目配せがあることも多いと思うのですが、ポイ捨ては割と身近な禁忌なので雑念込みで読んでしまって……。一首のうち後半で歌の雰囲気が一気に明るく変わり、そこがこの歌の素敵なところでもあるのですが、その光る海に今投げたコート沈んでるんだよな、とつい想像してしまいました。──池田いくら

●きらりきらり、が悲しさのように感じられて綺麗で苦しかったです。ぴ──てくてく

●情景がとても綺麗な歌ですね。
「きらりきらり」が直前の色と相まってとても美しいです。──海月雪夜

●結句7音に置かれた〈きらりきらり〉の「3音+(短い休符)+3音」のリズムから抑制された印象を受け、やや不穏に感じる一首でした。最初は〈スプリング・グリーン〉の春のイメージと捨てられた外套から「冬から春への解放」というイメージで読んでいたのですが……
 抑制の印象を持って〈外套を崖から棄する〉を振り返ると、自分を死んだものとして偽装するため……? という想像が広がりました。一つの解放ではあるけれど、手放しで喜ばしいものとは呼べないような。そう考えると、海が〈きらりきらり〉で外套を飲み込んでしまうのも、”私”の気持ちや事情には関せずという自然の無慈悲さの一種のようにも見えます。でも同時に〈スプリング・グリーン〉も〈きらりきらり〉も綺麗な光景のイメージであることには変わりなく、そのバランスに惹かれました。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
(「魔法使いの約束」より、ファウスト・ラウィーニア)
 師・フィガロとの和解を経、新しい生活に希望を持つファウストです。外套は、彼が長年抱いてきた恨みの象徴。「グリーン」は、師の瞳の色。新しい生活=春のイメージで、スプリング・グリーンを採用しました。
自由になる、という意味で、最後の七音をあえて字足らずにしました。
 上の句の「がいとう」「がけ」の濁点が「棄する」を境にして取れる、という意味で、「スプリンク・クリーン」にするかどうか、二日悩み、知恵熱を出しました。
 情景が浮かぶ歌を目指しました。みなさんの中に、何かの景色が浮かんでいたら、とても嬉しいです。──おかのきくと



じんせいの渡り方とか分かんない道路のほうは教わったけど

【選評コメント】
●分かんなくてもいいよね、そうだよね、と嬉しくなりました。道路の方も教わったこと反故にすることすらあるもの。──てくてく

●「じんせい」の予測変換には人生、人世、仁政などいくつか候補が出てきます。道路の渡り方を教わったという主体は人ではないのかもしれず、それなら「人の世」の渡り方がまだわからない、ということかもしれないと想像しました。「じんせいの渡り方」も教えてもらえると思っていそうな、少し幼い口調がかわいらしいです。──ゆの

●「じんせい」がひらがな表記であることから主体の精神的な幼さや不安が強調されているようです。また、"人の生"はわからない、とも読み取れるかと思いました。「道路を渡る」は世渡りのようなものでしょうか。どこか幼い喋り方、人ではない、などの要素を持っているキャラクターとして、ヒプノシスマイクの飴村乱数やツイステッドワンダーランドのフロイド・リーチを思い浮かべました。──四月

●「じんせい」を平仮名に開いているのは幼さの表現かと思うのですが、人生に思うところが出てくるのはある程度自我があるはずなので主体は思春期くらいの年齢を想像しました。どう生きるかははっきりした答えのある問題ではないし、人によって最善の方法が違ってくるものですが、誰かの背中を見て美学を確立することもあるかと思うので、主体にとってのモデルケースや反面教師にしたい人はいない環境なのかなと思ってしまい、少し寂しいです。──池田いくら

●すごく味を感じる一首でとても好きです。短歌も好きだし原作も気になる……全然予想ができない……
 〈じんせい〉と言いつつあくまでひらがな表記で深刻な雰囲気はなさそうなこと、〈道路のほうは〉が〈じんせいの渡り方〉の対比になっているようで微妙にすれ違っていそうな印象のあること(道路の「右見て左見て」といったルールの明確な〈渡り方〉と、人生のあれこれをこなす〈渡り方〉は別物では?という)、〈分かんない〉や〈けど〉といった放り投げ方、一つ一つがツボでした。歌に描かれている景とは別になんとなくのイメージとして、車道と歩道を区切る縁石の上を平均台渡りしながらこの歌が口ずさまれているシーンを想像しました。
 教わったという〈道路のほう〉すらそんなに大事にしていなさそうな、交通ルールも人生も「なんとなくでなんとかなる」「なんとかならなくてもだいじょうぶ」「ほら今だいじょうぶじゃん」という雰囲気を一首全体から感じて、その味がとても好きです。言語化が全然追いついていなくて恐縮ですが、好きですという部分をどうにか受け取っていただけましたら……!──Dr.ギャップ

【作者コメント】
(『帰り道』「おそ松さん」三期第五話より)
 友人の結婚式の帰り道。それぞれの将来を憂いながら、帰路につく六つ子のお話です。
二十分三十八秒秒ごろの、ゾーン30(三十代)へ渡っていくシーンを詠みました。
 「じんせい」の同音異義語の多さに驚きました。人生、人性、靱性……
 どうぞ、お好きな「じんせい」をお選びください。──おかのきくと


月ノ華

叶うならまた君のことを撮らせてよ 最期と言わずに何年だって

【選評コメント】
★叶わないからこそ願ってしまう。永遠に残る作品の中の「君」の姿が最期であることが悲しい。形に残した君は微笑んでいそうな気がする。移ろいゆく季節の中で思い出を重ねていきたいと願う歌だ。──深山静

●「叶うなら」「最期と言わずに」の表現から、永遠の別離と、その時が近づいていることをを互いに理解している二人の歌なのかな、と感じながら読みました。──toico

●「最期」という言葉にドキッとしつつ、願いのこもった優しい歌だな、と思いました。主体は恐らく写真や映像に関わりがある方なのかな、と想像したのですが、限られた空間の中で一人を見つめ続けて、被写体の魅力を最大限に引き出す作業ってとてもロマンがあるな、と思います。
きっと相手にはなんらかの命の制限があって、もう撮ることはできないとわかっていつつ(だからこその「叶うなら」という言葉)、「何年だって」撮り続けたいという切実な思いが伝わってきます。──古月もも

●「最期」とは死別でしょうか。「何年」でも撮りたいのに「叶」わない。造語や力強い言葉を使わないがゆえに、「最期」にカメラが寄るような感を受けました。老舗料亭のお茶漬けのような、洗練された引き算の美です。──おかのきくと

●大切な人の「最期」の撮影を頼まれた主体のやりきれない思いが伝わる歌でした。相手はもう覚悟を決めたか、あきらめてしまったのでしょうが、頼まれたほうはつらいですよね。「叶うなら」という言葉から、次の機会が難しいという現実と、それでも願わずにいられない切実さを感じました。撮ったのは写真と映像、どちらなのか少し気になりました。──ゆの

●切ないシーンですね。今際の際なのでしょうか、最期に写真を撮るというドラマ性がありますし、何年だって、という、これから先ずっととは言い切れない絶妙な期間がこの二人のなんとも言えない距離感を表しているような。原作も気になります。──四月

●被写体だった人との別れだと思うのですが、「最期」とあるので君はもうこの世にいないように思います。主体は写真を撮る/「君」は撮られるというポイントにフォーカスしている感じがするのと、関係に期間のリミットが存在していた気配があるので、恋人・友人というよりはややビジネスライクな関係性がベースとなっていた繋がりだったのではと想像します。──池田いくら

●ここで一旦離れたら今生の別れになってしまうような切実さを感じました。「君」は病などでもう長くない人物でしょうか。──谷澤

●「叶うなら」「最期」から切なさが伝わってきます。
思わず一日でも長く二人が一緒に居られるよう願ってしまう歌でした。──海月雪夜

●下の句は「これが君の最期と言わずに何年だって撮らせてよ」もしくは「君の最期しか撮っちゃいけないなんて言わずに何年だって撮らせてよ」のどちらかかなと思っています。どちらの場合も〈何年だって〉から “私”が望む時間の長さとを思って切なくなります。「何度だって」よりも、撮影に限らず君の時間そのものを共にしたいという“私”の思いが感じられるようで……
 〈叶うなら〉と呼びかけている先もまた〈君〉という風に読んでいるのですが(〈君〉は二人称なので呼びかける先も〈君〉)、もし〈君〉が寿命などによって最期を迎えようとしているなら酷だと思いつつ、神や仏ではなく〈君〉が祈りの先であることから見える”私”の祈りの痛切さや真摯さがあるように思います。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作:文豪とアルケミスト
作中主体は久米正雄、「君」は芥川龍之介です。
この二人は生前のアレソレの影響で関係が拗れまくってたせいで久米の実装以降ホントに色々あって……! 数々の闘いを経て現在は生前通りとは行かずともある程度関係性の修復が見られたのではないかと私は思っています(というか修復しててくれ)。
久米は生前、田端の芥川邸にて芥川が煙草を吹いていたり木登りしたりしている姿をビデオカメラに残しています(田端文士村記念館で見れます)。しかしその翌年、芥川は久米に「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」などを記した遺書『或旧友へ送る手記』と遺稿を遺してこの世を去ってしまいました。
せっかく転生したんだから昔のままとはいかずとも旧友同士仲良く笑っててくれ、もちろんこれで最期だなんて言わずに図書館が続く限りこの先何年だってさ――二人を取り巻く史実と過去を踏まえ、そんないち特務司書の願いと共に詠ませていただきました。──月ノ華



「正しさ」を求めて斬った先の世で美しく咲け折節の花

【選評コメント】
★先の時代に思いを託しつつ戦う、幕末や革命期の人の姿が鮮やかに浮かびました。
未来を生きる人々を「折節の花」とした表現が素敵です。──海月雪夜

●上の句の「斬る」という苛烈さから下の句「折節の花」への祈りに転換する流れが、イメージ的にも鮮やかで引き込まれました。幕末、歴史の転換期に信念を持って活動した新撰組などが思い浮かびました。潔さが印象的な歌です。──ゆの

●語り手は、今世を諦めているのでしょう。何かを「斬」らなければならない自分には、季節の花が彩ってくれるような鮮やかな生活は無い。諦観と潔さそのものが、研ぎ澄まされた刃のようです。白く輝く刀身を見ました。──おかのきくと

●一つの「正しさ」を求めて斬りながらも、その先の世で咲いてほしいのは一種類の何かの象徴のような花ではなく、折節の、さまざまな種類の花が咲いていてほしい、未来は今より広がっていてほしいというような、苦い祈りの歌だと感じました。──四月

●かぎ括弧つきの正しさは、他と相容れないと分かりつつも主体が信じ、求めるものなのだと感じました。未来への祈りの成就と、花開く風景が重なるようです。──toico

●ヒーローが自己犠牲の末世界の平和を守る話かなと読みました。主体が暴力行動(防衛のためだったとしても)を起こさないと、美しい花が人々から美しいと愛でられているような平和な未来が来ない、ということでしょうか。斬られた存在がその後も五体満足であるとは考えにくいので、この行動は「正しさ」のためであると自分に言い聞かせ葛藤をねじ伏せながら刀を振るう主体の姿が浮かびます。「求めて」いるのがなんとも苦しげで、斬った相手と互角のいい勝負をしているというよりは、殲滅戦のように主体有利で状況が動いており、だからこそ本当にこれでいいのかと迷いが起きているように想像しました。──池田いくら

●「正しさ」をと「」で強調している所が主体自身が言い聞かせるような気持ちを正しさに持っているよう感じました。人を斬ることに対する心の揺れ動きと覚悟、それでも先の世界・人たちへの祈りのようなものがあるのだと思います。すっとした意志の上の句とそれを受け継いで開く祈りの下の句に思いの強さを受け取りました。──山と森と街

●カギ括弧付きの〈「正しさ」〉と〈美しく〉の対比あるいはバランスが印象的でした。この”私”が武器を振るう理由は「正しさ」で、その先に望むのは〈美しく咲け〉なんだなぁと。また〈折節の花〉ということは、咲いて終わりではなく美しい花が四季を巡るような、平穏の継続を望んでいるのかなと想像しました。ただのハッピーエンドではなく、それが末永く続きますようにという祈り。少し切なくなるくらいまっすぐな祈りだなと思います。
 またその祈りがあくまで〈先の世〉に向けられており、今ここでは花が美しく咲くことは望めないとしているのも印象深く感じました。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作:刀剣乱舞
「舞台『刀剣乱舞』綺伝 いくさ世の徒花」の歌仙兼定と「ミュージカル『刀剣乱舞』江水散花雪」の和泉守兼定をイメージして詠みました。
異なる本丸の話なはずなのに、二振りとも自らの大切な人を花に例え、「花を愛でる」という表現を使っていたのが印象に残っています。「正しい歴史」を守るために誰かの願いとそれによって歪んだ歴史を斬り、咲くべきときに咲き散るべきときに散る人々の命の花を愛おしむ、そんな二振りの兼定の姿が映し出せていれば本望です。──月ノ華


海月雪夜

絶望と知っても一途に手を伸ばす小さな希望のぞみ大きなはこ

【選評コメント】
●希望とはこ、というとパンドラの話を思い出します。主体が大きな匣へ手を伸ばす場面として読みました。中に小さな希望があることを主体は知っているのですね。「一途に手を伸ばす」という描写から、必死さとともに匣の大きさも感じられました。小さな希望をなんとしても掴みたい思いが強調されていると思いました。──ゆの

●「小さな希望」さえ、手に余るということでしょうか。「匣」という漢字が禍々しさを醸し出しています。触れてはいけないものだけど、手を伸ばしたい。大きな世界の、自分という存在の頼りなさをひしひしと感じます。──おかのきくと

●「希望」のルビが「のぞみ」であることから、一途に手を伸ばしているけどもやはり状況としては絶望的なのかと感じたり、「大きな匣」の表記からパンドラの匣のような、いやまだわからないぞという気持ちにもなりました。言葉の使い方が工夫されていて、切迫した状況をいろいろと想像できました。──四月

●「絶望」「希望」「匣」などのフレーズから、パンドラの箱がベースにある歌かと読みました。この歌では「匣」に「大きな」と視覚要素が付与されているため実体がありそうという感覚があり、原作の特定の状況をパンドラの箱になぞらえているのでは、と想像します。──池田いくら

●下の句が印象的な一首でした。最初に読んだときに「大きな匣に小さな希望」や「小さな希望と大きな匣へ」じゃないんだなと思ったのですが、でも確かに〈手を伸ばす〉対象=欲しいのは〈小さな希望〉なんだよな、と思って印象深かったです。あくまで匣は入れ物なんだと。
 ギリシャ神話の「パンドラの箱」がモチーフとなっているのではと思っているのですが、あのお話では箱の中身は知らずに開けたような気がしていて(勘違いだったらすみません)、一方でこの“私”は箱の中身を知り、絶望を引き受ける覚悟を持って希望を求めているんだという部分も印象的でした。絶望を引き受ける覚悟と、希望を求める思いの強さ。原作は分からないけれど主人公の歌!という印象でした。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作『葬送のフリーレン』
長命なエルフ・フリーレンが魔王討伐後、新しい旅をする物語です。アニメも話題ですね。
フリーレンがミミック(宝箱そっくりな魔物)と知りながら、魔導書が入っていることを期待して宝箱を開けるシーンがオチ込みで大好きなので詠みました。──海月雪夜



清と濁相入れぬ世を嘆きつつ違う旅路で同じ未来を

【選評コメント】
★申し訳ございません、原作はわかりません。本当は手を取り合いたい「清」と「濁」、今は互いの正義が噛み合わずそれは叶いませんが、同様にこの世を憂い世が平らかになることを願って旅をする、いつかそれが丸ごと受け入れられる世が来ることを願わずにはいられません。私の知っている作品でしたら「風の谷のナウシカ」のナウシカとクシャナのようです。そして今世界で実際に起っている戦争にも通じるお歌のように感じました。──水川怜

●主体と相手は同じものを目指しながら正反対の道を歩むことにしたのでしょう。嘆きながらもお互い譲れない信念がうかがえます。百人一首の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)」の歌を思い出しました。この二人にもいつか再会のときは訪れるのでしょうか。──ゆの

●「清濁併せ呑む」といいますが、語り手はまだ「併せ飲む」ができずにいるのでしょうか。愚直なのか、幼いのか……。誰かと道を違えてしまったことへの哀愁と、相手の息災を願う、綺麗でまっすぐな正義感を感じます。──おかのきくと

●こういうあえて道を違う二人好きだなとなりました(二人、ではないかもしれないけど)清濁のラインもキャラクターによって違うかもしれませんが「違う旅路で/同じ未来を」の下の句の対句が、希望を感じていいなと思いました。──四月

●前半に書かれている断絶から下の句の将来への予感への急転換に喝采したくなった歌です。義賊とお巡りさんみたいな関係性でしょうか。三句目の「嘆きつつ」からは主体の人柄が見えてきそうで、主体は辿り着く結果が同じであればそこまでの道筋はどうでもいいと思うような合理主義者ではないことが読めるんじゃないかなと思いました。主体はどちらなのかとか、他方の道を行く人の話、主体からもっと聞きたいな〜等を思ったので、ぜひ連作で読みたいです。──池田いくら

●“私”がどの立場かによっていろんな味わいのある歌だなと思いました。〈清と濁〉は陣営というより「清=正義側にいる誰かと、濁=悪側にいる誰か」を指していると考えるのですが、たとえば自分を〈清〉の側にいるとしてのこの歌であればなかなかに傲慢な気がして個人的にとてもツボですし、〈濁〉側の主要人物の右腕や側近だとしたら(初句の〈清と濁〉が「彼とあなた」になるような位置関係の人だとしたら)それも非常にツボです。あるいは〈濁〉その人の歌だとしたら、歌の展開がすごく素直なので、本質的には〈清〉の人なのかもなあと想像したりも。
 個人的には、どんな世の中であれ〈清と濁〉は基本的に相容れないだろう(相容れないものをそう呼ぶ)と思っています。なので“私”が嘆いているのは自分たちが清と濁に分かれざるを得ないこと、あるいはそう見なされていることなのだと解釈しました。そしてこういう二人には非常に燃えるタイプの読者です。
 小野不由美『十二国記』や藤崎竜『封神演義』のような歴史を舞台にした原作を想像しました。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
原作『憂国のモリアーティ』
ホームズの宿敵・モリアーティが主人公のマンガです。
モリアーティとホームズの関係で詠んでみました。ネタバレになるのであまり語りませんが、二人の背中合わせの関係性が大好きです。
本来は「相容れぬ」が正しいですが、互いの世界に立ち入れないイメージを強調したくなり、当て字にしました。──海月雪夜


てくてく

青はただ一色だけと言い切る為に手放した君の眼の色

【選評コメント】
●「ただ一色」の至高の青に殉じるために、同じく青い「君の眼の色」を手放す、ということでしょうか。譲れない信念のためとはいえ、大切な人の最も美しい部分を否定するのはつらいことだろうと思います。相手を嫌ってのことではなく、今でも愛惜の念があることが「手放した」という言葉遣いから感じとれます。──ゆの

●「君」と他の「青」、どちらかを選ばなければならず「君」を手放さざるを得なかった……。本当は「君」を選びたかったことでしょう。薄暗い部屋でぽとりと零れたような、誰も知らない語り手の後悔に胸が痛みました。──おかのきくと

●「青」「青春」がテーマになっている呪術廻戦かな〜〜手放されたのは青色の目の五条悟だしな〜〜と思って唸りました。原作はもちろん分かりませんが、「一色だけと言い切るために」という状況が辛いですね。必ずしもそうではないとわかっていて敢えて「言い切り、手放す」の切なさの描写が秀逸です。──四月

●全体では三十一音ですが「言い切るた/めに手放した」と読むのは韻律が難しいので5/7/4/8/7で読みました。内容が入り組んでいるのでうまく掴めているか自信がないのですが、主体にはより大切な”青”があるゆえに、青い眼をしている君を遠ざけねばならなかったということでしょうか。「君」と天秤に掛けざるを得なかったものも恐らく人間かなと想像します。──池田いくら

●読んだ時に景色が浮かぶ時というよりはその感情をひっそり覗いたような感覚で色々と想像が膨らむ歌ですね。「言い切る為に手放した」は近い場所にいた君と袂を分かったのかなと読み、「青」と「君」は同じ位重要だったのだろうと想像します。どちらかを選ばなければいけないという思いの中で例えば「青」に正義や愛を入れることもできると思うのですが、そこが青や君の眼の色が選ばれている所がとても詩的ですし主体が重要であり大切だと感じている所なのだろうと感じました。好きです。──山と森と街

●同じ色でも見る人によっては何種類もあるようですが、あえて一色にするため、手放すことの切なさが伝わってきます。
不要、と切り捨てなければならない辛さが伝わります。
切ないですがとても綺麗な歌です。──海月雪夜

●〈一色だけ〉とされた青は何なのだろう、ということに思いを馳せつつ読みました。君と何かを天秤に乗せて、君のほうを手放した。手の中にないものを手放すことはできないので、〈君〉との関係や距離は決して遠いものではなかったのだろうと思います。それでもと選ばれたものは何だったのか。
 また〈青はただ一色だけ〉というのは君がいなかったとしてもなかなか強引な物言いだなと感じるので(空、海、ポカリのラベル、ローソンの看板……)、自分に言い聞かせているのではという印象を受けました。私にとっての青はこの青でなければならない、だから君を手放す。
 君のなかでも〈眼〉にフォーカスがあたっているのは、君の眼も青色だからなのかな、もしくは手放したときに君の眼に浮かんだ感情が忘れられない、それを思い出しているシーンの歌なのかなと思いました。後者だとすれば、青ざめたという語からの連想で君もショックを受けたのかもしれないと想像します。──Dr.ギャップ

●「青」という色から「正しさ」を連想します。この主体は青い目を持つ「君」と価値観を違えてしまったのかな、と想像しました。そして、その自分の持つ価値観(正しさ)を捨てることができなかったのかな、と。
自分の信じる正しさがただ一つ正解である、と言いたくて、「君」を手放さざるを得なかった切なさや痛々しさが伝わってくると感じました。──古月もも

【作者コメント】
呪術廻戦より夏油傑。夏も青もたくさんあるけど、あの夏とあの青は一つだけだし、善や幸せを一つだと言い切ることが彼の強さで弱さなんだろうと思っています──てくてく



冥府から見上げた空はただ遠くただ遠い空でみんな光って

【選評コメント】
★イデアの歌として読みました。「ただ遠くただ遠い」と繰り返しているところが、彼の諦めと憧れが感じられてとても好きでした。感傷的すぎず、それでもきゅっと切なくなるような言葉遣いが素敵です。
自身の生まれを理解し、受け入れながら、それでもなお憧れてやまない、遠くの「ふつう」の世界その世界が彼にとっては楽しそうで、眩しくて。でも恨めしいわけではなく、ただただ「ああ、いいな」と呟くような。そんなほんの少しの切なさが感じられて、とても好きでした。──有

●冥府という暗い場所と現世の光(明るさ)の対比が素敵でした。現世への祈りも感じる素敵な歌です。──海月雪夜

●語り手は「冥府」に閉じ込められている。この「冥府」は物理的なしがらみか、心理的なしがらみか。あるいはどちかもなのか。きらびやかな地上をぼんやりと眺めているような語り手のやるせなさが伝わってくる歌です。──おかのきくと

●ツイステッドワンダーランドのイデア・シュラウドをイメージしました。
死の世界というと私たちはつい天国、上をイメージしますが、冥府にいる主体が「ただ遠く」とリフレインしながら「みんな光って」と下から見上げているのが、先入観と違ってハッとしましたし、光って見えるということは自分は暗い場所にいるということで、孤独を感じました。本来は上に行けるはずだったのに、訳あって地獄、冥府、地下に行くことになってしまったのかと、想像が膨らみますね。──四月

●遠く見上げた空はハレーションを起こして白く光っている。それほどに深いところに主体はいるのだという描写がきれいで切なくなります。手の届かない「みんな」はあまりに遠く、光という抽象的な概念になってしまっており、主体はただまぶしく見上げることしかできない。そんな孤独が伝わりました。──ゆの

●空で光るものは基本的には星々やそれに類するものだと思うのですが、結句の「みんな」、星になってしまった人の暗示と読めるなと思った。「空はただ遠くただ遠い空」の準リフレインの構造からは、特定の人間への強い感情というよりは、漠然とした諦めのようなものを感じた。死者が行くところに主体はもういるのに(いるから?)いなくなってしまった人とは埋まらない隔たりがあるとか切なすぎる。──池田いくら

●〈冥府〉と〈空〉、“私”と〈みんな〉の間に横たわる遠さが印象的で切なく感じました。〈空はただ遠く〉〈ただ遠い空〉の繰り返しが印象的で、「遠く離れているからこそいっそう光って“私”には感じられるのでは」と想像して胸が詰まります。
 〈冥府〉の語がありますが、「死んだ“私”と生きている〈みんな〉」というよりは「先に死んだ“私”と、今は生きていて死後も天国へ行くだろう〈みんな〉」というイメージで読みました。この〈みんな〉は(少なくとも“私”のイメージの中では)死後も冥府で合流することはなさそうだな、という感じがします。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
twisted wonderlandよりイデア・シュラウド。自分自身を地の底におく彼もちゃんと光っています。そして彼にとってはただ遠いだけで、伸ばせば届く空。──てくてく


toico

何にでもなれるしなっていいのだと笑う永遠でないほうの夏

【選評コメント】
★何となく学生の主体が思い浮かびました。「何にでもなれるしなっていい」、可能性を感じるとても清々しくて素敵な言葉だな、と思います。永遠とは即ち不変のようなイメージもあって、その夏がいつか終わるものだということは少し寂しいけれど、永遠でないからこそ、何にでもなれる/変わっていけるのかな、と期限付きのものに対して肯定的になれるような素敵な歌だと感じました。──古月もも

★永遠の方の夏なんてあるんだろうか、とも思ってしまうけどそれが救いのようにも思えてとてもすきです。ひぇ〜!──てくてく

★なんて優しい目線を感じる短歌なのだろうと心に響きました。
それと同時に最後の「永遠でないほうの夏」で、切なさもあり
このひとつの短歌のなかにさまざまな解釈を入れることのできる"空間"を感じました。
心から「たいせつ」に思っている人への「何にでもなれるし〜」なのか、それとも軽く「何にでもなれるし〜」なのか
皆様の解釈も楽しみですし、詠まれた方の解説も大変楽しみです。──隙間

★上の句で描写されている内容は、当たり前にそう思えていたら改めて噛み締める必要が発生しないはずです。主体は自分の人生の舵を自分で取れない、何かしらの制限下に置かれていたのではないか、という想像がかき立てられます。
下の句は「燃えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火/井上法子」の本歌取りでしょうか。「永遠でない」夏を提示されると、その反対側の概念として、あったかもしれない永遠の夏を思い浮かべずにはいられません。しかし、季節がめぐり、時がすすんでいく「永遠でない」夏のさなかを駆け抜けてこそ、主体の未来には無限の可能性がある。爽やかさと切なさが同居した読み心地で好きな歌です。──池田いくら

★やさしい言葉づかいでありながら、もしかしたらだからこそ、胸に深く沁みいる歌です。「永遠でないほうの夏」ということは、きっと「永遠のほうの夏」もあり、そちらのほうが一見大切なのかもしれない。しかし歌われているのは「永遠でないほう」の、きっとありふれた夏であり、誰にでも訪れるような夏なのでしょう。でも、だからこそ「何にでもなれるしなっていい」という言葉がみんなに向けられた、希望とやさしさに彩られた言葉であり、胸の奥でじんと熱を持つようなものなのだろうと思います。とても好きな歌です。──せいら

●「何にでもなれるしなっていい」時期が誰にでもあったはずで、でも成長するにつれてなくなる。永遠だと思っていたのに、今振り返るとそうではなかった。「笑う」は無知の証でもあり、自由の象徴でもあるのでしょう。──おかのきくと

●「永遠でないほうの夏」という表現が面白いです。めぐり来ない、ひと夏限りの刹那的な何かが、その後の生き方を左右する言葉をくれる。主体がこの言葉に従って生きることで、「永遠でないほうの夏」は主体の中で逆に永遠になるのかな、と思いました。──ゆの

●「永遠でないほうの夏」ということは、「永遠の夏」もあるということだと思います。未来への可変性を寿ぐ「永遠でないほうの夏」を思い浮かべるとき、同時に変わることのできない「永遠の夏」が浮かんできました。ここから先は私の妄想ですが、何ものにもならない、不変のもの=死者?または記憶の中の人間なのかな、と思いました。
なっていい、という表現は自身には使わないんじゃないかと思うので、これは寿がれた側の視点でしょうか。とすると、季節は過ぎ去るものであり、しかも永遠でないとされていることから、ここに歌われている一瞬の情景に儚さを感じました。たぶん、この一瞬が、のちにずっと思い出すことになる一瞬になるだろうという予感がします。そうすると、永遠でないほうの夏は、記憶の中で永遠になるのでしょう。──南天

●「永遠でないほうの夏」ってめちゃくちゃエモい〜!!と思いました。何にでもはなれないのに、何にでもなれるって信じられた頃。──石ころ

●この言葉たちを短歌のリズムに乗せているのが秀逸ですし、一見呪いを解くようなことを言いながら逆に呪いになっているのが癖なので好きです。下の句で突き落とされるのが気持ちいいし短歌の醍醐味を感じます。ところで「永遠でないほうの夏」いうフレーズで呪術廻戦の夏油傑が出てきてしまったのですが、そうでなくても原作が気になります。──四月

●「永遠でないほうの夏」とはなんと美しく儚い印象になる言葉でしょうか!学生たちの青春の一ページが連想される歌でした。──くぼたむすぶ

●〈永遠でないほうの夏〉の抜群さよ……!! つい永遠であるほうの夏のことばかり意識してしまうのですが、いつまでもは思い出せない、大切に抱えてはいけない瞬間もまたキラキラしたものをこぼしているよなと気づかせてくれる一首でした。どれだけ大切な思い出や時間の中にだって〈永遠でないほう〉はあって、そして永遠でないことがその輝きを損ないはしないのだということ。
 〈何にでもなれるしなっていい〉は中高生くらいの青春や思春期のイメージで、〈永遠でないほうの夏〉からはそうしたモラトリアムの終了の予感(この夏が永遠でないようにモラトリアムも永遠には続かない)、永遠でなさを含めての“今”という青春のいっそうの輝きのイメージを受け取りました。
 また翻って、この主体にとって「永遠であるほうの夏」はどんな夏なのだろう、と思います。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
映画「THE FIRST SLAM DUNK(2022)」は、原作の漫画とも、TVアニメーションとも異なる視点に光を当て、描かれた作品です。この短歌は、登場人物の一人である宮城リョータというキャラクターをイメージして作成しました。試合終了後にチームメイトと抱き合いながら、ひとり上方を向く彼の表情の晴れやかさがすきです。──toico



断ち切れたはずのもやい結い直せば帆に風はらむ、何処までもゆく

【選評コメント】
★船出のすてきな歌だと思います。断ち切れたロープを結び帆を張る、帆を張っていなかった=進めない、航路を諦めていた日々からの再出発。もやい結びを何かと何かを繋ぐものと考えた時に、大切な人や物事と再び向き合うことが出来たのだろうと思います。「何処までもゆく」と読み終わったときに、主体の感情を読んでいたところからふっと少し離れた俯瞰の目線になって船出を見送るような、その風が順風でありますようにと願えるような感覚になりました。また、もやい結びと結び方を指定する事で船に乗ること、恐らく船乗りでその基本結びを身体で覚えている人なのかなと感じられてキャラクターをしっかりと受け取れる気がしました。すてきな歌だと思います。──山と森と街

●何も捨てられなくなっちゃうな!でも断ち切らなかった決意が推進力なのだわ。苦しい〜!愛しい〜!となりました。爽やか。──てくてく

●「もやい結い」は船のことでしょうが、私は首吊り縄と読みました。風に揺れる帆と首吊り縄が、語り手よりも自由に見えるのが、皮肉です。「どこまでも」は物理的なものか、別の意味か。ぜひ解説を聞きたく思います。──おかのきくと

●情景が目に浮かぶような短歌です。もやいとは縄のことなのですね。「帆に風をはらむ」という言い回しもきれいですし、その後の読点が、この光景を見ている/もやいを結っている主体の感嘆の余白があるようでいいなと感じました。また、短歌でありつつ文の一節のような表現であるところもとても好きです。──四月

●とても前向きな歌だと思いました。「もやい」はそのままの意味かもしれないし、人との絆の比喩かもしれない。どちらであれ、切れたものはまた結べばいい、そうすればまた進むことができる。帆の描写が風を感じさせて、舟が波を切って進んでいく様子が想像できました。──ゆの

●リスタートの歌と読みました。
船舶に使われるもやい結びは力のかかり方が一方方向とのことでそうそう切れたりしないそうですが、一度切れたものをそのまままた結び直して大丈夫なんだろうかというポイントは気になりました。船旅は人生に喩えられることもあり、実景と言うよりは心象風景寄りなのかもしれません。──池田いくら

●もやい=舫綱は船を岸につなぎ止めるものだと思っていたけれど……?と思って調べたら、「二艘以上の船をつなぐとき用いる綱」も指すらしく、つまりこちらの歌は「二艘(以上)で〈何処までもゆく〉、その縁を〈断ち切れたはず〉だけれど結び直してより強いものにし、ともにゆく」という歌なんだなと解釈しました。
 一首の展開や言葉の連なりが素直で気持ちよく、〈何処までもゆく〉に自然と頷く気持ちになれるのが心地よいです。〈断ち切れたはず〉に軽い屈託を感じつつ、けれど〈結い直せば〉から“私”が”私たち”であろうと能動的に選んだことがわかって嬉しくなります。〈帆に風はらむ〉の風もそんな“私”の選択や道行きを応援してくれるよう。とても好きな歌です。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
この短歌は、映画「アキラとあきら(2022)」に出てくる東海郵船グループを率いる階堂家の人々をイメージして作成しました。2023年11月現在、Amazonプライム等で視聴できます!──toico


隙間

届かぬとわかっていても赤い目は「お前」を探し乾いたまんま

【選評コメント】
●「赤い目」は語り手の瞳の色のようにも、何かを探し疲れて、充血したまなこのようにも読めます。その悲痛さ、声に出せない叫びに、惹き付けられました。しかも、自分の存在は相手に届かない。ままならなさすぎます。──おかのきくと

●この赤い目というのが上の句では泣いて充血しているのかと思っていましたが(もしかしたらそうでもあるかもしれませんが)下の句では探し続けて瞬きもしていないほど乾いているからなのかと、さらにいい意味で苦しい気持ちになりました。主体の執念や「お前」への想いがひしひしと伝わってくる歌です。──四月

●目が乾くほどに見開いて、血眼になって誰かを探しているのでしょうか。「届かない」とわかっていても探さずにいられないほど、「お前」は主体をとって大切な人物なのでしょう。自嘲しているような口調もまた「乾い」ていて、ヒリヒリした空気感が出ていると思いました。──ゆの

●赤い目が元から赤かったのか、血眼になって探すという言葉があるように、乾いて充血したことによる結果だったのかが気になるところです。「届かぬ」は ”目が届かない” の管理が行き届かないという意味よりは、探し当てることができないという意味で受け取りました。──池田いくら

●〈届かぬ〉は比喩として読みました。届かない、追いつけない、同じステージには立てない、対等ではあれない。それでもなお「お前」を探してしまう。また〈乾いたまんま〉は涙を流さないことの謂いかなと想像します。〈赤い目〉はシンプルに”私”の身体的特徴かなと思いますが、「かつては泣いていた(から赤くなった)」という想像もできると思いました。
 最初に読んだとき、〈届かぬ〉けれど〈探し〉はできるんだなと思ったのですが、視界から外れた「お前」を探し続けているのかもと思って苦しくなりました。〈まんま〉から長い間探し続けている(この後もすぐに決着が付くことはなさそう)という印象があり、〈探し〉もあまり近い距離では成立していなさそうだなと。
 “私”と「お前」のライバルのような、けれどライバルというには圧倒的に届いていない関係性を苦しく思いながら眩しくも感じます。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
作品名:僕のヒーローアカデミア
僕のヒーローアカデミアより相澤消太が学生時代にとても親しかった友人の一人白雲朧へ抱く想いについて詠みました。
(この先はネタバレの要素を含むため、ヒロアカを途中まで履修中の方はお気をつけください!)
白雲は学生時代ヒーローインターン中にビルの倒壊に巻き込まれ、亡くなってしまいます。
ですが、相澤そして同じく仲の良かった山田ひざし(プレゼントマイク)は何年も経ったある日とある場所に呼び出され、白雲朧の死体をベースに作られたヴィランが存在することを知らされます。
その存在は、敵連合の重要人物の一人「黒霧」だったことが判明します。
以前ふたりは黒霧と戦ったことがあり、まさか白雲であるとは誰もが予想し得なかったことでした。
相澤の個性(異能)は見つめている相手の個性を抹消することであるため、白雲が強制的に発動させられている個性を取り除くことができたら、彼を救うことができるのではないだろうかと抹消を試みます。
相澤の個性は発動中目が赤くなると言う特性があるのですが、作中で目が赤くなっていたのは個性を発動していたからなのでしょうか?それとも
この歌は、山田が必死に個性を使って白雲を救おうとする相澤消太に「大丈夫か」と声をかけるシーンがあります。
相澤は真っ赤な目をしたまま「乾いてしょうがねェよ」と返答したところをベースにして詠みました。
届かないと心のどこかで思いながらも、届くと期待をしているふたり。
モヤの中に白雲がいると信じ、今も探しています。(39巻現在)──隙間



紡いだBPMは150 俺らの日々を映したすべて

【選評コメント】
●BPM150を速いと見るか、遅いと見るか。読み手が聴いている音楽によって、意見が分かれます。(ボカロが好きな私は遅いと感じます)それによって、語り手が過ごした日々の印象も変わる。自由な歌だと感じます。──おかのきくと

●BPM150、アップテンポなポップスなどに良いリズムと感じていますので、青春の疾走感を感じます。気になっているけど見れていない「ぼっち・ざ・ろっく!」かな?と予想したりしました。
「BPM」の6音や「150」の5音を綺麗に嵌める発想も、映画のキャッチフレーズのような下の句も素敵です。──四月

●BPM150の曲がどのくらいの速さか調べてみたら、ランニングにおすすめと出てきました。その速度、テンポが「俺らの日々」。躍動感や少し上がった息遣いが感じられる表現が素敵だと思いました。──ゆの

●4/7/5/7/7のリズムで読みました。一分間に150拍は忙しない感じの曲のイメージかなと思ったので、こちらの歌では一音分の余白があるのがなんだか不安定というか、不思議な感じがしました。既存の曲に日々の全てを投影するのは難しそうなので、下の句からすると主体の自作の歌かな〜と想像します。──池田いくら

●〈BPM〉=Beats Per Minuteとは、音楽などでの一分間あたりの拍数のこと。ただし、たとえば音楽の中でもクラシックであれば「テンポ150」や「アレグロ」といった言い方をするイメージがあり、バンドのような方向性をイメージしました。〈俺ら〉という複数形の一人称もあり、バンドもしくはアイドルグループかなと思っています。〈俺らの日々〉という言い回しは別に特別なものではないはずなのに、自然と「俺らが〈紡いだ〉」なんだなと思わされて、すごく眩しく感じました。
 一首を通してドライブ感が心地よく、また一番山場のワンシーンを切り取ったような鮮烈さがあり、アニメだったらこのシーンで絶対に挿入歌が入るでしょ!OPアレンジとか!と思いました。彼らの物語の一端に触れさせてもらっただけなのに、その一端が〈日々〉の結晶なんだと思わされて感極まってしまう一首でした。──Dr.ギャップ

●音楽に関係する主体でしょうか。何となく若い男の子たちのバンドを想像しました。
BPM150というと少し速めというイメージがあるのですが、その疾走感と「俺らの日々を映したすべて」という言葉から、若さによる瞬間の強烈な輝きを連想させます。その一曲に今までの日々を全てつぎ込んだのだな、と伝わってくる熱い歌だな、と感じました。──古月もも

【作者コメント】
作品: ヒプノシスマイク
ヒプノシスマイクに登場する山田一郎と波羅夷空却の二人について詠んだ歌です。
(初句にミスを見つけました!「紡いだ」→「紡がれた」です!)
この二人はある時期、お互いを「相棒」と認識し合う仲であり、それは他者から見てもとても素敵な関係性でした。
二人にとって大切なコミュニケーションの一つに「ラップ」があったのでは?と解釈しており、このような歌になりました。
音楽のBPM(楽曲の速さ/テンポ)は落ち着いた曲だと70〜90、少しポップなテンポ感のものは100前後、ヒップホップなどのリズムと共に音楽がどんどんと進むものは140〜180くらいと言われています。
そのため、二人の生活の目まぐるしさと「ラップ」のテンポ感を「BPM150」という表現に落とし込むことにしました。
たまには、BPM80くらいでゆるりと過ごせる時間を過ごせていますようにと願いながら、二人の唯一無二のかけがえのない日々にオタクは勝手にめくばせをしていたいなと思います。──隙間


四月

地獄でも君の居場所のはずだった 更地をなぞる U R MY SPECIALユ・ア・マイ スペシャル

【選評コメント】
★のっけからの「地獄でも君の居場所のはずだった」っていうのが作品のざらついた感じを表していて好きです。「U R MY SPECIAL」というのはジャンル用語でしょうか。特別な言い回しに「君」と作中主体との間に流れる親密な空気が込められているように思います。──月ノ華

★ああ、切ない! と床を殴りました。地獄でも一緒だと思ったのに、特別だと思っていたのは自分だけ。なんてやるせない。語り手に共感しました。更地に悲痛に響く「UR MY SPECIAL」が、聞こえてくるようです。──おかのきくと

●もしかして呪術廻戦では?と思い、つい反応してしまった結句でした。
実際は呪術廻戦かはわかりませんが、「地獄でも君の居場所だった」は以前夏油傑の周りにいた人(たち)が夏油傑への「愛」に似た「エゴ」あるいは「エゴ」でありつつ「愛」でもあるなにかを詠んだのではないかなと感じ、胸が締め付けられました。──隙間

●地獄で相手を待っていたけれど来なかった。「君」のために空けたままの空間を「更地」と呼ぶのがいいですね。「君」以外の誰かのために使うつもりはさらさらない、という執着を感じます。──ゆの

●一緒に地獄に堕ちようと誓った関係性だが、叶わなかったのだろうか。でも「君」は「MY SPECIAL」だから、地獄に堕ちなくてよかったというような、主体のある種の安堵を想像させるような歌だと感じました。──toico

●地獄に行くと分かりすぎている果てしなさが特別なんだなと思いました更地〜!──てくてく

●主体のスケール感が大きい歌だと思いました。
君がいない自分の隣を更地と表現しているかと思ったのですが、更地となるとある程度広さがありそうな空間で、主体って人間サイズなのか?というのは気になります。結句に現代ネットスラングが使われているので、主体が生きているのはこの世界と大きく隔たった場所ではなさそうです。──池田いくら

●不穏な言葉選びと英語がとても格好良く、目が離せない歌でした。とても素敵ですね。──海月雪夜

●〈U R MY SPECIAL〉が歌詞っぽいなあと思い(アイドルソングの歌詞かな?とも)、原作由来なら調べたら出てくるかな~と検索をかけたらKing Gnu《SPECIALZ》(『呪術廻戦』の「渋谷事変」オープニング)の歌詞に出てくると知ってビックリしました。『呪術廻戦』のことはふんわりとしか知らないのですがそうなのですね……
 初読の際、〈はずだった〉と言及されているのは”私”なのかなと思っていたのですが(自分たちが地獄に行っても君の居場所となるのは"私"のはずだった)、〈更地〉ということは「たとえそこが地獄だとしても君に居場所はあるはずだった」なのかなと思い直しました。そしてそこはもう更地であり君はいない。君にとって地獄だとしても/世間では地獄と呼ばれるそこであっても、私にとって特別な君にそこにいてほしかった、君の居場所があって欲しかったという願いの歌なんだなと思い、”私”の勝手さと〈君〉の揺るぎない特別さを感じて胸がぎゅっとなりました。〈地獄〉で始まって〈SPECIAL〉で終わるのが、ああこの二人はそうなんだと思って繰り返しこの歌を辿りたくなります。そして〈はずだった〉の過去形と、〈なぞる〉ことしかできない現在の”私”のどうしようもない切なさ……〈君〉視点の短歌も気になります。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
「呪術廻戦」の渋谷事変を経て、作中のあらゆる関係性に向けて。オープニングテーマになっているKing Gnuさんの「SPECIALS」の歌詞を最後の句に強引に詰めました。──四月



気に食わぬ背中を睨み続けてる情けない顔してんじゃねえよ

【選評コメント】
●言葉でなくもの語る雄弁な背中と、顔を見ずともそれを理解する主体、二者の緊密な関係性を感じる歌だと感じました。──toico

●この短歌を読んだ時、ふと僕のヒーローアカデミアの荼毘が浮かびました。
ここでは詳しい内容はネタバレ防止のため伏せるのですが、荼毘がヴィランになった(ならざるを得なかった)きっかけを思わせる短歌のように感じました。
ヒロアカでは一貫して、「何を持ってヒーローとするのか」「ヴィランはなぜヴィランになることを選ぶのか」というテーマがあるので、まさに「睨み続け」なくてはいけない存在に対してのこの短歌での感情が本人にとってできるだけ苦しいものでなければよいなと思いました(苦しさを変化して行ったりもできたらいいなと思ったりもしました)──隙間

●語り手と、睨みつけた誰かは、ライバルのような関係なのでしょうか? 負けたくない。でも情けない姿は見たくない。「何やってんだよ」という無言のエール。語り手と誰かは、互いにとって大切な存在なのだと思います。──おかのきくと

●ひいかっこいい!それを睨み続けるに留める訳に想いを馳せてしまいますね──てくてく

●「情けない顔」をした相手の背中を主体が睨んでいる、と読みました。主体は相手の弱った姿に歯がゆい思いを抱いているのですね。ちょっと荒っぽい言葉遣いからすると、睨み付けるだけで済ませているのは優しいほうではないかという気もします。もしくは、相手は主体には手が出せない問題を抱えているのか。関われない実感は、自分と相手が「他人」であるという現実を突き付けてきます。主体はそのことにも苛立っているのかもしれないと思いました。──ゆの

●背中を睨んでいながら、相手がいまどんな表情をしているか分かる。相手のことをよく分かっているからこそ及ぶ想像なので、ふたりは気心が知れた仲なのではと思いました。洒落にならないギスギスではなく、雑な物言いが許容される関係性だと思います。物言いがかなり尖っているので主体はまだお若いのでは、高校生くらいの友人同士かな?と感じました。──池田いくら

●ライバル関係の歌だ!! と一読してテンションを上げてしまいました。〈情けない顔してんじゃねえよ〉という心の寄せ方をする関係性が非常に好きです……
(自分に対する〈してんじゃねえよ〉という発破かけの可能性もありますが……〈背中〉の持ち主への声かけという風に読んでいます)
 顔ではなく〈背中を睨み〉とされているのは、“君”の方が先に進んでいたり、あるいは何かの大舞台に立っているからかもしれないなと考えました。ライバルだけれど相手の方が前にいて悔しく、そんなお前だからこそ〈情けない顔〉はしてほしくないという状況なのかなと。”私”のまっすぐな在り方が快いです。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
「銀魂」の沖田総悟から土方十四郎に向けての短歌です。ミツバ編、ミツバ編を経てのさらば真選組編を思い起こして読みました。ちなみにミツバ編は単行本15〜16巻です。──四月


じゃしんちゃん

ボタニカよ 我らと共に道歩め いも永遠とわなれ 朋友とも永遠とわなれ

【選評コメント】
★語感が素敵で思わず声に出して読みました。下の句が対になっているところが読んでいて心地良かったです。
植物に生涯を捧げた人々の生き様が伝わってくる素敵な歌です。──海月雪夜

●下の句の韻の踏み方が読んでいて心地よいです。作中主体は牧野富太郎でしょうか(違ったらごめんなさい)。──月ノ華

●23年前期朝ドラ「らんまん」を思い起こしながら読みました。主人公が長い年月をかけて完成させた植物図鑑は、植物の姿を永久に留めるとともに、関わったたくさんの人々、盟友たち、そして最愛の妻の存在を永久にしました。図鑑は人の寿命を越えてこの先、百年、二百年たった未来でも人類と共にあり、生きる道しるべになってくれると思います。──ゆの

●下の句の踏み方が最強です。「ボタニカ」がリズミカルにそよいでいる情景を受けました。愛した人や友人と一緒にいたいと願うのは、未来への願いか、過去への惜別なのか。白いキャンバスのような可能性を感じました。──おかのきくと

●ボタニカとは植物の意味らしいですが、人名かもしれませんし、なんらかの概念かもしれませんね。下の句のリフレインや文語が力強く、主体の祈るような強い願いを感じます。──四月

●永遠(とわ)なれ 朋友(とも)よ永遠(とわ)なれ
初句、「ボタニカ」なるものへの呼びかけかと思うのですが、検索でそれらしきものに辿り着けず。植物や学術書のタイトルが出てきたのですが決め手にかけるかなと……。下の句の古典的な響きは校歌っぽさがあるなと思いました。──池田いくら

●〈ボタニカ〉=botanicaはイタリア語で「植物学」のこと。〈よ〉と呼びかける対象が「植物」ではなく「植物学」であることや、また「植物学=道」ではなく、道行きの共として〈ボタニカ〉へ呼びかけていることから、植物学という学問領域への敬愛や信頼のようなものを感じました。学生ではなく研究者として”私”を想像します。
 下の句のリフレインのリズムが心地よく、かつ植物のツルが伸びてゆくイメージや〈永遠〉のイメージと響き合ってうっとりしてしまいます。また〈永遠〉については不老不死というよりも「妹や朋友のいるこの世界が健全に続いていきますように」という印象があるのですが、これも植物のイメージから来ている印象かなと思いました。〈道歩め〉を含め、まっすぐ健やかな成長や前進と、そこに対する素直な希求が込められた一首と受け取りました。力強く大らかな雰囲気が素敵です。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
NHK朝ドラの『らんまん』の最終週を元に詠んだ歌です。
前半に出てくる「ボタニカ」という言葉はイタリア語で植物・植物学を意味する言葉で、道はこれからずっと永遠に続く主人公のモデルになった牧野富太郎先生の功績を道に喩えてみました。
後半の「妹(いも)」は妻の寿恵子さん、「朋友(とも)」は主人公の恩師や主人公と共に植物学を学び、日本の植物学に貢献した朋友たち、それから後の世の植物学を学ぶ人達皆の情熱が永遠に絶えることがないように。という主人公の万太郎くんの想いを交えながら詠みました。──じゃしんちゃん



しぬほどね すきだよ とても すき スキ 好き 言うこときく子は ご褒美あげちゃう♡

【選評コメント】
★ひらがなとカタカナと漢字が混在しているところに作中主体のドロドロとした溢れて止まらない重い想いを感じます。三十一音で、しかもストレートな言い回しでここまでの重さを表現した作者のセンスに脱帽です。──月ノ華

●読み進めるほどに圧があり、表記も「すき、スキ、好き」と色んなバージョンがあるのが四方八方を、全体で塞がれていく感じがしてとっても怖くなりました。「しぬほどね」と「言うこときく子は」の一方的な感じがまたキャラクターの求めるもの以外いらないという雰囲気を想像できます。好きの後にある隠れていない暴力性と芯のようなものを感じ、どの原作のどのキャラクターなのかとても気になる歌でした。(こちらの原作ではないと思いますが音楽で戸川純「好き好き大好き」を思い浮かべました。「好き」圧力は近い気がしました)──山と森と街

●どストレートで好きです。素直な言葉ゆえに、語り手の狂気的な偏愛、執着がどろどろと伝わってくる……。もちろんいい意味でおどろおどろしい歌だと感じました。最後のハートマークが最強に猟奇的です。ホラーです。──おかのきくと

●とても印象に残った短歌です。三句以降が字余りになるので音の響きがテンポアップされてゆき、主体の興奮が伝わってくるようでした。「すき、スキ、好き」がどんどん愛が重くなっていく感じがして、表現の塩梅が秀逸だなと思いました。怖さと可愛さに惹かれます。──四月

●全ての短歌を通して見た時に一番はじめに目につき、「なんだ!?!これは誰のことを詠んだ短歌だ!?!」と衝撃が走りました!
キャラの「粘着さ」がこの短い短歌の中に凝縮されていて、目が離せなかったです。──隙間

●ポップな言葉遣いながら、主体のサディスティックな一面がにじみ出ていてちょっと怖い歌です。読み進めるにつれ漢字が増えていくところが、猫なで声の笑顔から声のトーンが変化していく様子を表しているように感じました。甘い毒のような愛情、という印象。言うことを聞かない子はどうなるか考えるとより怖いです。──ゆの

●音楽の方の歌の歌詞みたいだなと思いました。テンションが振り切れている主体像で、上の句は懇願のニュアンスのような気がするんですが、下の句には主体が相手をコントロールできるという示唆があるように感じられます。地雷系アイドル……?とかでしょうか?──池田いくら

●詠草一覧を見た時に(来たわね……!)と反射的に思った歌でした。一次創作として見た時と二次創作として見た時の印象が大きく変わる=原作の癖が強く出ていそうだなあというところで、この歌会ならではだなとワクワクした歌です。
 可愛さとそこはかとない狂気のバランスが絶妙で、特に〈しぬほど〉から切り出しているところ(ただしひらがな表記のため使われている言葉ほど印象はきつくない)、あくまで〈言うこときく子は〉が対象であるところに、感情的な部分と計算の働く部分を垣間見た気持ちになりました。どんなあなたでも〈すき スキ 好き〉なのではなく、言うことを聞いてくれる私にとっての良い子であれば、という当たり前といえばそうで、極端と言えば極端な態度。〈言うこときく子〉ではない相手への態度が非常に気になります。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
こんにちは。じゃしんちゃんです。
『BLEACH』のジジことジゼル・ジュエルくんというおとこの娘を題材に詠んでみました。
この子は対象をゾンビ化して操るネクロマンサー能力を持っていて、作中で味方のリーダー格の女の子をゾンビ化して使役する場面があり、その場面と彼のポエム要素を入れつつ、リーダー格の女の子に対するジジちゃんの想いをポップでかわいらしい女の子のような口調で表現してみました。──じゃしんちゃん



死んだ名の面影見せる愛弟子にはなむけ贈る 強くなったね

【選評コメント】
●愛弟子の旅立ちをことほぐ主体の深い愛情を感じました。先人の名前と面影を受け継ぐ弟子を誇らしく頼もしく思いながらも、巣立ちのときが来たさみしさも少し混ざっている気がします。相手へも語りかける優しい声が聞こえてきそうです。──ゆの

●情景、ストーリーが浮かびます。語り手は「愛弟子」が弱かったことを知っている。強くなるまでの積み重ねも見ている。詠者さんとは別の作品でしょうが、大好きなキャラクターを重ね、泣きながらこれを書いています。──おかのきくと

●死んだ名前を受け継ぐ面影があるってどんなストーリーなのか原作が気になりました!どこまで主体が愛弟子に気持ちを伝えているかは不明ですが、最後の7音の前の空白に主体の愛情が詰まっていて胸がいっぱいになりました。──四月

●切ない!切なくて好きです!
師匠と弟子の間に流れる暖かな空気感をひしひしと感じました。──月ノ華

●名、というかその名をもつ人が「愛弟子」に重ねられていると思った。武道の一族の襲名とかでしょうか。死んだ名=主体の名前とすると亡くなった師匠が草葉の陰から語りかけていると読めますが、師匠は存命で弟子が亡くなった親族に似てきたとも解釈できる幅があると思ったので、主体がどの視点から語りかけているかを知りたいなと思いました。──池田いくら

●〈名〉から「襲名」のニュアンスを受け、亡くなったのは〈愛弟子〉から見た師匠や親のような存在なのかなと想像しました。たとえばその人が亡くなったことで”私”が次の師匠として〈愛弟子〉の面倒を見ているという関係なのかもと。そして愛弟子の旅立ち(巣立ちでもあると想像しています)にはなむけを贈る、というシーンだと捉えました。
 師匠である“私”の優しい視線が印象的で、たとえば「弟子」でも意味は通じるだろうところを〈愛弟子〉としているところから深い愛情を感じるように思います。
 〈死んだ〉を〈強く〉と結びつけるなら、弟子-師匠の関係はスポーツや芸術のそれではなく、戦闘を含む使命や生業のもとに成り立っている関係のように思われます。死地にもなり得る場所へと愛弟子が独り立ちしていくときに贈るはなむけが、頑張れでも死ぬなでもなく〈強くなったね〉であるというところから、彼らの生きる世界や彼らの関係、”私”から愛弟子に向ける思いの端に触れさせてもらったような気持ちになりました。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
「ミュージカル忍たま乱太郎12弾 まさかの共闘!?大作戦!」より、オリジナルキャラクターである鵺と土井先生(ミュージカルオリジナルの設定として、土井先生は幼少期に夜霧という名前で、鵺のもとで忍術を習いました)の歌を詠みました。
夜霧もとい土井先生が鵺のもとを去ったとき、鵺の部下の手により夜霧は殺されたことになっていました。しかしひょんなことから土井先生は生きていることが鵺の部下にバレてしまい、土井先生は鵺の部下に命を狙われました。そんな土井先生に、鵺は「お前はもう夜霧ではない。夜霧は死んだのだ。お前は土井半助として生きてゆけ」と背中を押し、部下を制しました。そのシーンがあまりにも好きで、そのまんま詠みました。──有


Dr.ギャップ

でもだから行くんだあなたに見送られあなたにもらった声で体で

【選評コメント】
●一句目の「でもだから」に、別離への葛藤と決意を感じます。また四句目の「もらった」という表現から、主体と「あなた」の血縁を超えたつながりや関係性を感じました。──toico

●冒険の旅立ちへの希望と見送る人への愛が詰まっていました。
主人公が旅立つ作品には血の繋がりが無い場合も多いように思います。この作品はどちらでしょうか?
血縁の有無に関係なくこの家族の愛情深さが伝わる素敵な歌ですね。──海月雪夜

●いい感じのBGMが聞こえてきます〜!!夕陽なのか朝日なのか、どちらでもないのか、それでもその背中は小さくて大きいんだろうな!──てくてく

●自分を慈しんでくれた人から旅立つためのさよならの歌かなと読みました。「でもだから」で始まるところに旅立つ決意を強く感じます。読んでいくうちにもしかしたらあなたはもう亡くなっているのかもしれないとも思いました。見送られること、あなたにもらった声と体を持っていることがどこか奇妙ででもしっくりと来ている。(ファンタジー作品?他者の能力を引き継げたりするのかなと想像しました)もらったからこその「でもだから」なんだろうと感じます。声に出すとさらっとしていますが静かな業が見える歌だなと思いました。──山と森と街

●「でも」が句の頭にきていることで、語り手の、後ろ髪を引かれる感情が思い浮かびます。それでも行く。行かなきゃいけない。この「でも」の前に、沢山逡巡したのでしょうし、これからも「でも」を繰り返すでしょう。──おかのきくと

●「でもだから」から、本心では行きたくないけれども行かねばならない葛藤と決意を感じました。外界とコミュニケーションを取るために必要な声と体をくれた「あなた」は、主体にとって生みの親や神に等しい存在なのではないしょうか。お互いへの深い愛情を感じます。『どろろ』の百鬼丸が育ての親のもとから旅立つシーンを想像しました。──ゆの

●初句の「でもだから」で主体の葛藤の末の決意が描かれているような。振り返り振り返り前を向く主体が目に浮かぶようです。優しい追い風のような歌ですね。呪術の禪院姉妹だといいなと思ったりしました。──四月

●どこに行くのか、ふとした切なさが過ぎる。旅立つ理由が「あなた」に関することなのかなと感じた。また帰ってくるのか、考えると更に切なくなる。──深山静

●声(声帯含む?)や体などの器官があなたから与えられたと開示される結句、初読時の衝撃が大きかったです。初句から順調に読んでいって、結句まで来たところで主体は人じゃないのかも!?と。「あなた」は創造主や製作者、主体は製作品かな?と想像します。その従属関係からの離別の歌と読みました。見送りがあるなら円満そうな旅立ちですね。初句の逆接から別れ難さが感じられます。この歌自体が主体の発話だと思うんですが、とするとこの主体には心もある。「あなた」は体を与えただけじゃなく、主体の心も育てたんじゃないでしょうか。主体は心を持った人形とかロボットとかをぼんやり思い浮かべていたんですが、評を書いてみると刀剣乱舞の修行開始シーンっぽさも感じられるなと思いました。──池田いくら

●旅立ち、一人立ちの歌でしょうか。声という少し細かめの単位が出てくるところに何か特徴付けの要素を感じました。──谷澤

【作者コメント】
 原作は野田彩子『ダブル』でした。とある天才と、彼に惹かれた天才でない一人の、関係と感情を中心に置いた物語だと思っています。
 歌の視点は天才=多家良で、彼から彼に惹かれた天才でない一人=友仁に宛てた歌として作りました。具体的には第十九幕「神曲」の15-19ページから、第十八幕「幽霊はここにいる」最終ページを振り返るイメージで作っています。
 言葉をかなり原作から借りてしまっており力不足を感じるのですが(原作から言葉を借りることそのものが悪いのではなく、自分で構成する力が足りなかったためにそのまま借りてきてしまったなという反省です)、この歌を作るために原作を読み返して初めて気づけたことがたくさんあり、いっそうこの作品を好きになりました。12月14に最新5巻が発売予定です。
作品公式サイト〈https://viewer.heros-web.com/episode/10834108156642488617〉──Dr.ギャップ



思うまま腕は勝手に踊るもの左右の腕を好きに名乗って

【選評コメント】
●腕という表現から、二人の部下をそれぞれの好きにさせているボスの余裕そうな姿を想像しました。──toico

●右腕さんと左腕さんがいらっしゃるのかしら?そうでなくても自由に踊る腕を御するかっこよさですね!──てくてく

●自身の腹心の部下への歌でしょうか。好き勝手に動いていることですら信頼している、面白く思っていそうな所の関係性がとても好きだなと思いました。「踊るもの」と「名乗って」からどことなく剣を振るうキャラクターを想像しています。その2つの言葉のチョイスがこの歌に軽やかさを持たせていて読んでいて爽快になりました。読み返したくなる歌だと思います。あと部下?二人は自分で「名乗って」いるのか……と可愛くなりました。どちらが右腕(◯◯の右腕は自分だ!的な)とかで一悶着ありそうですね。──山と森と街

●腕は自由に振っていい。どんな名前をつけたっていい。その通り(誰?)
 しがらみから解き放たれたような、すがすがしい気持ちを感じました。きちんと踏まれた五七五のリズムは、まるでスキップのように、軽やかです。──おかのきくと

●「左右の腕」は、腹心の部下という意味で右腕・左腕と呼ばれる人物のことを指していて、主体がその二人に「好きにやれ」と呼び掛けている場面を想像しました。踊るとき無意識に動く腕、それくらい信頼しているという表現として読みました。──ゆの

●腕(おそらく相棒のこと)を「踊る」と表現しているのがお洒落で相棒を尊重していていいなと思いました。腕というからには多少の上下関係はあるのでしょうが、好きにさせておく感じが、いい関係性ですねツイステッドワンダーランドのオクタヴィネルをイメージしました。──四月

●“右腕”という語が頼りにできる部下を指すように、この歌の腕は主体のリアル腕ではなく、そういった人物たちの暗示と読みました。常に側に控えて粛々と命令をこなすクールな部下たちというよりはだいぶわんぱく寄りな印象です。勝手にやってきて、好き勝手に振る舞って、でも使いどころがないわけでもない。主体もそれを押さえつけることなく容認しており、面白い関係だなと思いました。押し掛け弟子ならぬ押し掛け部下、みたいな……。──池田いくら

●作中主体の身体感覚によって腕が操られ、それぞれ自由に踊るということと思いますが、それがまるで腕が独自に意思をもって動くように見えるのかもしれませんね。主体が楽しそうです。──谷澤

●とっても魅力的な主体だと思いました。「腕」と言うと所謂「右腕」、従順な部下といったイメージを受けますが、この主体はそれとは真逆で、好き勝手に動き回る様子がどこか制御の効かない妖しさ・気ままさを孕んでいて、魅力があると感じました。
また、その言動を咎めない上司(?)との信頼関係のようなものも垣間見えて、良い関係性だな、と思いました。──古月もも

【作者コメント】
 原作はアプリゲーム《ディズニー ツイステッドワンダーランド》です。幼馴染であるアズール・アーシェングロットおよびジェイド・リーチ、フロイド・リーチの三人をイメージして作りました。視点の“私”はアズールです。
 ジェイドとフロイドはアズールの有能な両腕でもありますが、それぞれに我が強く自己の欲求に忠実で、従順さとは程遠い性格でもあります。アズール曰く「気分が乗らないときは僕の指示なんかまっっっっっっっっっっったく聞きません」とのこと。そしてアズールはそうしたリスクを好むタイプではないように見え、であればこんな両腕は困りものだろうにそれでも一緒にいるんだなあという部分をプレイヤーとして噛みしめたりもしているのですが、そもそもタコの人魚であるアズールにとっては〈腕は勝手に踊るもの〉なのかもしれないなという閃きから作った歌でした。タコの腕にはそれぞれ脳があり、メインの脳がその動きを把握していないように見えることもあるのだとか。
 どう逆立ちしても「主人と従者」ではないし「友人」とも本人たちは言わないだろうけれど、どうしたって「仲間」で「身内」な三人の形を楽しく愛おしく思っています。
公式サイト〈https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/
#twst短歌 #ツイステ短歌──Dr.ギャップ


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