カルみと モブみと(痴漢)あり
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
通勤ラッシュを僅かに過ぎた電車内は、学生たちでひしめき合っている。
自分よりも頭一個分小さな背丈の少年少女たちが揺れる様子を見下ろして、縞斑は深いため息を吐いた。
何度目か数え切れない寝坊をしたその日、端末で道路の混雑を把握した縞斑は、普段は使わない電車を利用して警視庁へ出勤することにしたのだ。
電車通勤の社会人たちが捌けて空いているだろうと読んだ縞斑だったが、その場所は通学ラッシュによって第二の混雑を見せている。
「…はぁ、」
全く、本日も実についていない。
仕事に行く気すら失せそうだ。
白瀬恭雅が独自捜査の罰として警視庁を辞めさせられて3年、残された縞斑は厄介者として様々な部署をたらい回しにされて日々を過ごしていた。
どうせ本日の遅刻も認識すらされないことだろう。こちらとしては都合はいいが、陰湿極まりない嫌がらせには辟易としてしまう。
電車がカーブに差し掛かって大きく揺れる。扉の横を陣取っていた縞斑は、揺れる学生たちを眺めながら本日何度目か分からないため息を吐いた。
面倒だからいっそ、電車を降りて空くのを待ってから向かおうか。どうせ一時間の遅刻も三時間の遅刻も、遅刻には変わりがないのだから。
そう考えた縞斑が、次の停車駅を確認するために頭上のモニターを見上げた時だった。
「……ん?」
くいと小さく袖を引かれる。
揺れとは異なるその感触に縞斑が視線を下せば、ブロンドの髪の少年が立っていた。
俯いているためその顔は見えないが、まだ新しいブレザーに袖を通している様子から察するに高校一年生なのだろう。
「ぁ…ご、ごめん…なさい……」
「いや…?」
彼は縞斑の視線に気づくと、慌てて袖を掴む手を離す。居場所なさげに空を彷徨う手は、強く握りしめ過ぎた名残かまだ白い。
そわそわと落ち着かないその姿を見下ろした縞斑は、体調でも悪いのだろうかと声を掛けようとした。
「君……」
そうして声を上げた直後、彼はその少年の背後に立つ近過ぎる人影に視線を向ける。
遅い時間の出勤らしいスーツ姿の男性は、少年の後ろで前屈みになってごそごそと動いているようだ。
怪訝に思った縞斑がちらりと窓の反射を利用して様子を確かめれば、男の手が少年の尻や腰を這っていることに気がつく。
男の手が触れるたびに、小さく息を呑んだ少年は体を震わせて、逃げ場を探すように視線を彷徨わせていた。
「ーーー、」
この少年は痴漢に遭っている。
そう察した縞斑の行動は早かった。
「…体調が悪いみたいだから、場所替わるよ。」
背後の男にも聞こえるようにそう声を掛けた縞斑は、咄嗟に少年の手を引いて自身の体を反転させる。
扉の横を少年に譲って自身の体を盾がわりに男との間へ割り込むと、背後で小さく舌打ちをした男が僅かに距離を取る気配があった。
腕の中にちらりと顔を落とせば、涙を溜めた美しい紫の瞳と視線が絡む。恐怖によって真っ青に血の気が引いたその顔は、不調でありながら息を呑むほど美しく整っていた。
「あ、あの……」
その美貌に動揺した縞斑は、少年のおずおずとした声を聞いて我に帰る。揺れによって密着した体を装って、彼は少年の耳元で小さく囁いた。
「降りるのは次の駅?」
縞斑の言葉から、痴漢に遭っていることを知って守ってくれたのだと理解したらしい聡い彼は、泣き出してしまいそうに震える唇を噛んでこくりと頷く。
「犯人のこと、捕まえたい?」
「え…?」
「出来ると思うけど、そうなると君に被害者として署まで来てもらうことになるかもしれないから……」
この目で男の犯行を目撃した縞斑には、犯人の男を確保する権限がある。しかしそうなれば騒ぎは免れず、被害者として同行を頼むことになる少年は注目の的になってしまうだろう。
この電車にはおそらく、彼と同じ学校の生徒も乗っている。噂好きの年頃である彼らに目撃されてしまえば、学校でも被害者として噂されることになるかもしれない。
そんな縞斑の懸念も汲み取ったらしい少年は、ますます青い顔になって小さく首を横に振った。
学生にとって学校とは世界と同じだ。その場所で後ろ指を刺されることがどれほど恐ろしいことか、縞斑も十分理解している。
「分かった。じゃあ付き添うから、次で降りよう。」
犯人を捕えることよりも日常を守ることを優先したいと願う少年の意思を尊重して、縞斑はひとつ頷いた。
満員電車が揺れるたびに掛かる人の圧から守るように、少年の前に立ち塞がった縞斑は窓に手を当てる。
痴漢から守っただけでなく駅まで無事に送り届けようとする縞斑のことを、少年は不思議そうに見上げていた。
今は触れられることも視線を向けられることも嫌だろうと、縞斑は素知らぬ顔で窓の外を眺めながら背後の犯人の気配を探る。
「降りたら近くのベンチで待ってて。」
「え…は、はい。」
「大丈夫、ちょっと仕事済ませてくるだけだから。」
縞斑の言葉に首を傾げた少年がおずおずと頷いた時、電車は目的の駅へと滑り込んだ。
扉が開き生徒たちが一斉に電車を降りていく。少年の背を軽く押して電車の外に出した縞斑は、くるりと振り返ると人の波に紛れてその場を逃げ出そうとしていた男の腕を掴んだ。
「おい。」
「な、なん…僕はなにも、」
顔を覚えられているとは思っていなかったらしい男は、慌ててその手を振り解こうと声を上げた。
それより早く腕にみしりと力を込めた縞斑は、彼にだけ見えるように懐から警察手帳を見せる。その瞬間驚愕に固まった男に向かって、縞斑はそっと囁いた。
「…次は現行犯で捕える。こんな落ちこぼれでも、お前の人生めちゃくちゃにしてやれるくらいの権力はあるからな。」
「…ぁ、あ……」
状況を理解したのか、真っ青な顔でがたがたと震える男から手を離すと、縞斑は踵を返して閉まる直前の扉から駅へ降りる。
あれだけ釘を刺しておけば、当分は大丈夫だろう。少なくとも、この電車に再び乗り込んであの少年に手を出すような気力は削いだはずだ。
ひとつ息を吐いた縞斑はきょろきょろと辺りを見回す。少し離れた場所にあるベンチの前に困ったように立ち尽くす少年の姿を見つけた縞斑は、安堵してそちらへ歩み寄った。
「大丈夫…じゃないだろうから、座って少し休みな。」
「…でも……えっと、」
「まだ始業時間まで少し余裕があるでしょ?その顔色じゃ友達に心配されるよ。」
自覚のないらしい青年は、青白い頬に手を当てて小さく頷くとベンチに浅く腰掛ける。
少年の姿がホームの生徒たちから見えないように立った縞斑は、勢いでここまで来てしまったなとようやく気がついた。
出過ぎた真似だっただろうか。とはいえ、痴漢に遭っている子供がいたら助けることは刑事として当たり前だろう。
悶々と考える縞斑がこれからどうしたものかと悩んでいた時、彼の背後から機械音声が響いた。
「何かお困りでしょうか。」
気配もなく歩み寄った存在に驚いて振り返れば、そこには駅員の制服に身を包んだアンドロイドの姿があった。
この駅の案内を担当しているらしいアンドロイドは、体調の悪い少年と落ち着かない様子の縞斑を見つけて声を掛けに来たのだろう。
生徒たちの通る駅のホームで休ませるよりは、駅員室に入れてもらった方が気が休まるかもしれない。そう考えた縞斑はアンドロイドに少年を預けようと顔を上げる。
「ちょうどよかった。頼まれてほしいんだけど……」
そう言って説明をしようとした縞斑は、再びくんと袖が引かれたことに気がついた。
咄嗟に口を噤んで視線を落とせば、両手で袖を掴んだ少年が今にも泣き出してしまいそうな表情でふるふると首を横に降っていたのだ。
「…中の方が暖かいと思うよ?」
「っ、や…いい、です、だいじょぶ、」
先ほどよりも更に青白い顔には強い怯えの色が映っており、彼がこの場を離れることを嫌がっていると言外に伝えている。
念のために確認をとった縞斑は、彼はこれ以上人に知られたくないのだろうと解釈してアンドロイドへ向き直った。
「やっぱり何でもない。俺が見るからここは大丈夫。」
「そうですか…かしこまりました。お大事に。」
飲み込みの早いアンドロイドは、丁寧な所作でぺこりとお辞儀をするとホームの見回りに戻っていく。
その背が人混みに完全に消えたことを確かめて、ようやく少年はほっと息を吐くと袖を掴む手を解いた。
「……ごめんなさい。」
「別にいいよ。乗り掛かった船だし。」
そう言った縞斑は、ベンチの横に設置された自動販売機に手を伸ばす。
「ところで君、甘いものは好き?」
「え……と、とても…?」
躊躇いがちに返された返事は想定外で、思わず小さく笑った縞斑は液晶のひとつに触れて端末を押し当てた。
支払いを終えて取り出し口から現れた小さなボトルを受け取ると、縞斑は蓋を僅かに緩めてから少年の手に押しつけた。
「はい。」
「わっ…ミルクティー?」
「こういう時は甘くて温かいもの飲んだ方がいいでしょ。」
目を瞬いた少年は意外と言った様子で、まじまじとボトルと縞斑の顔を交互に見つめる。
飲むよう促されてそっと中身を傾ければ、甘いミルクの匂いが少年を優しく包み込んだ。
じわりと温かく胸を満たすような感覚にほっと息を吐いた少年は、安堵を覚えると同時に先ほどまでの恐怖を改めて自覚してしまったらしく、俯いて小さく肩を震わせる。
項垂れる頼りない体は、成長を見越して買ったらしい一回り大きなブレザーも相まって、ひどく儚い印象を与えた。
泣き止んでほしい。ただそれだけの願いのままに伸ばした縞斑の手のひらは、躊躇った末に少年の髪をそっと撫でる。
触れた瞬間はぴくりと肩を震わせた少年だったが、それが縞斑の手だと分かるとされるがままに身を任せた。どうやら縞斑は僅かな時間で彼の信用を勝ち取ることができたらしい。
「…明日からは安全に乗れるから。」
「………はい。」
「もう大丈夫。あんな思い、二度とさせない。」
同じ男に痴漢されていると声を上げることは難しかっただろう。縞斑の袖を掴んだことも、偶然だったのかもしれない。
縞斑の言葉に小さく頷く少年の膝にぽたぽたと涙が落ちる。必死に声を殺して泣いている彼を、縞斑はその震えが収まるまでずっと撫で続けていた。
※
「でさ…泣き止んで気がついたら、もうその人いなかったんだよ。」
「…そうなんだ。」
話しながら神無は、買ってもらったミルクティーのボトルを開けて傾ける。甘く温かな懐かしい味に小さく頬を緩めた彼の隣で、縞斑は相槌を打ちながらマフラーの中に顔を埋めた。
「お礼も言えなかったし、何度かパパや透也と探したけど見つからなくて。」
学生の頃、神無は電車内で痴漢に遭って見知らぬ青年に助けられたことがある。
黒田との養子であることも相まって注目を集めていた神無は、学校生活が壊れることを恐れて犯人の通報を止めた。
居合わせた青年も神無の気持ちを尊重してくれたらしく、その後も彼は噂や騒ぎになることなく平和な学校生活を送ることができたのだ。
「最初はちょっとだけ怖かったけど…ちゃんとあの人の言った通り、次の日から痴漢した男には会わなかった。」
「そう。」
「顔もほとんど見てなくて、よく覚えてないけど……あの人かっこよかったなぁー…」
「へぇ…」
当時の記憶を振り返り、痴漢から自分を守って泣き止むまで頭を撫でてくれた青年のシルエットを思い浮かべる神無の隣で、縞斑は空になったコーヒー缶の飲み口を齧りながら視線を逸らす。
生返事ばかり繰り返す縞斑に痺れを切らした神無は、むっと唇を尖らせるとそんな彼の咥える缶を取り上げてゴミ箱に落とした。
「だらだら先輩、ぜんっぜん俺の話聞いてないだろー!?」
「いや…聞いてる聞いてる。」
「うそつき!というか、飲んだなら捨てろよな!舌切ったらどうすんだよっ!」
頬を膨らませて怒る神無の姿は、歳よりもずっと幼く見える。普段ならばそんな彼を可愛いと言って目一杯愛でるところだが、それどころではない縞斑は口に手を当てて視線を逸らした。
あの時の子かぁ。そう手の中で呟いた縞斑は、幸か不幸か記憶が曖昧で相手のことをほとんど覚えていない様子の神無にほっと息を吐いていたのだ。
あの日、少年が泣き止んだ頃を見計らって縞斑は駅を離れた。周辺にあの男がいないことを確かめてから、今度こそ大遅刻で職場に向かったのだ。
それがまさか、幼い神無だったとは。偶然とは良く出来たものだと縞斑は冷や汗をかく。
「…君が思うほど、その人は良い人じゃないんじゃない?」
「え…何でそう思うの?」
「その時間に電車に乗ってる時点で、普通の社会人なら遅刻だろうし。」
「痴漢した奴と同じで、遅い出勤の人かもしれないじゃん。それにあの人、駅のアンドロイドにも預けずに一緒にいてくれたんだよ?」
「うーん…」
当時の記憶を宝物のように話す神無の中で、縞斑は随分美化されているらしい。
さながら王子様のような自分の姿が居た堪れない反面、想像の青年にまるで恋をするように語る神無の姿に言いようのない嫉妬心が顔を覗かせる。
「真面目で、正義感がある人じゃないと…赤の他人の俺のこと助けて、そこまで面倒見てくれないと思うんだ。」
「いやー…いや…うん、いやぁ…」
複雑な心境の縞斑は、神無にどう説明したものかと悩みながら言葉を濁らせた。
あの時の青年は自分だと打ち明けるのは気恥ずかしいし、神無が夢見ているほど当時の縞斑は輝かしい存在ではない。
神無を助け出したきっかけは刑事としての義務だし、彼に最後まで付き添った理由はそうすることで職場に行くことを先送りにしたかったからだ。
「…神無ちゃん、あの……」
意を決して縞斑が声を上げようとしたとき、アナウンスと共に駅のホームに電車が滑り込んできた。
縞斑の声は電車の音にかき消されてしまったらしく、顔を上げた神無はボトルを鞄にしまって縞斑の手を取り首を傾げる。
「電車来たよ、先輩いこ?」
「………うん。そうだね。」
きっと今事実を打ち明けてしまえば、久しぶりの公休を利用したデートを楽しみにする神無の顔は、外を歩けないほど真っ赤になってしまうだろう。
縞斑は神無の照れた顔が一等好きだが、見るのはきっと今ではないし、他の人間に見せたいとは思わない。神無にこのデートを楽しんでもらうことが、縞斑にとって何よりの最優先だ。
言いかけた言葉を飲み込んで、縞斑は頷くと神無の手を握り返した。
「今日はいっぱい遊ぶぞ〜!」
「はしゃぎ過ぎて転けないでよ?」
「いくつだと思ってるんだよ!俺だってもう大人なんだからな!」
「はいはい、大人大人。」
「2回言うの禁止!!」
ただ今は、神無が変わらず電車に乗ることができているのであればそれで良い。
笑顔で手を引く彼を見下ろして、縞斑はそう穏やかに笑った。
終