シエテ+アナシエ。七夕の日に、シエテの夢の中で二人が邂逅するお話です。後半はグランくんとシエテで進みます。(初出:2023/07/07)
途中で出てくる、シエテが初めての年に短冊云々~の件りは、前に書いたお話が下地になっています→「まだ見ぬ願い」https://privatter.net/p/6120747
@5_bluedaisy
目を開けると、星の海だった。
たぶん、夢——だと思う。
俺は十天衆のお仕事を一つ終えて、急いでグランサイファーに戻って来て。
七夕の準備で賑わってる艇内で団長ちゃんを見つけて、ほらちゃんと間に合ったでしょ、と胸を張ってみせて、彼の嬉しそうな、でも照れ隠しで努めて真面目な顔をしようとする、少年らしい葛藤あふれる表情を十分に楽しんで(ついでにちょっと出来心でからかって怒られて)。
「疲れてるなら、シエテは部屋で休んでてよ。夕食が始まる前には起こしに行くから」
と促されて、じゃあそうするよ、と風呂も着替えも済ませて、自分の部屋でうたた寝をしていたはずなのだから。
だから、夢のはずなのだ。これは。
『そうだよ。でも、そうじゃない』
唐突に、低い声が響いた。
俺であって、俺ではない声。
振り返ると、あいつがいた。
近すぎず、遠すぎもしない間合い。その気になれば、剣を抜きながら一息で詰められる距離だ。
最も、俺とあいつの間で、目に見える距離にどれほどの意味があるのかは甚だ疑問だ。俺はその気になれば、指先ひとつ動かさずにここから剣拓を飛ばせるし、ということはあいつもそうだろう。
『わかってるじゃないか。だったら、無意味に鼻息を荒くするのはやめてくれるかい? 何も戦いに来たわけじゃない』
「……じゃあ、何しに来た」
俺は片眼を眇めて、楽しそうに肩をすくめたあいつを睨みつけた。
ここが夢の中だからなのか、それともあいつが現れたからなのか。風呂に入って着替えたはずの俺の服は、いつの間にか十天衆としてのものに戻っている。小手に包まれた手を腰に当て、指先で軽く剣の柄を引き寄せながら、俺はわずかに足先を開いて重心を落とした。いつでも最速で動けるように。
あいつは——標神、とか名乗っていたが、その名を口にしたくはなかった。名を呼ぶことは、存在を認めることに繋がる。余計な力をも与えかねない——くつくつと笑うと、ふっと視線を切って辺りを見回した。
『まあ、見ろよ。今夜に相応しい星々の輝きだと思わないか? たとえ、真の星ではないにしても』
「今夜?」
『数多のヒトが夜空を見上げ、星に願いをかけるんだろう? ああ、普段は会えない大切な相手に、この夜だけは会えるってのもあるんだっけか』
「……」
俺は顔をしかめてみせて、返事はしなかった。
いつの間にか、俺たちの間に漂う星の密度が上がっていた。寄り集まった星々が、時にぶつかり合い、きらめきながら、ゆったりと左から右へ流れていく。それはまるで、いつか絵巻物や幻燈で見た天の川のようだった。
——冗談じゃない。
むかむかと、胸の底から苦いものが湧いてきた。
勝手に人の夢に入り込んできて、こんなものを見せてくれて。
七夕の夜に、天の川を挟んで見つめ合うなんて。
それで洒落た演出のつもりだろうか。
『どうした? 怖い顔をして……綺麗だろ? もっと、よく見てくれよ』
抑揚のない低い声が、空間に鳴り響く。俺の耳も内側から震わせて、中から俺を掴まえようとしてくる。
感情は無いのに、確固たる意志を含ませて。
俺の頭の髄に、あいつを刻み込もうとしてくる。
——必ず、会いにいく。
逃がしはしない。
君は、俺が世界に干渉する扉。最初の入口。
再びの創世のために、君を——
「……ふざけるな‼」
偽りの天の川を蹴散らして、俺は駆けた。
瞬きひとつの間に距離を詰め、あいつの胸倉を掴む。舞い散った星々がきらきらと降りそそいだ。
「わざわざこんな事して、何を企んでる⁉︎ 言え‼ でないと……っ」
昂る感情のままに、背後に無数の剣拓が浮かび上がっていく。あいつの喉元を狙って、切先が鋭く光る。
でもあいつは、まるで動じずに、クスッと笑っただけだった。
『だから、さっき君が考えた通りさ。今日は七夕、なんだろう? 星を越えて、君に会いに来たのさ』
「こ、の……っ!」
『そうつれなくするなって。ちょっとしたお願いを聞いてほしいだけなんだから』
「お願い、だと?」
俺はいっそう力を込めて、目の前の翡翠の瞳を睨みつけた。
「お前の言うことなんか、聞いてやる義理はないね! さっさとこの星の海を片付けて、自分の世界に帰れよ!」
『へえ、そう?』
あいつはいっそう楽しそうに、笑みを深めた。
『じゃあ、特異点に頼もうかな。彼なら、俺のお願いも聞いてくれそうだ』
「何だと……?」
どくん、と胸の奥が大きく波打った。
どうして、今。この男の口から。
あの子の、呼び名が。
「そんなこと、できるワケが無い。お前の声が聞こえるのは、俺だけだろ。だから、俺が俺のところで留めていれば、お前は何もできないはずなんだ」
『さあ、どうかな。君は、特異点とずいぶん縁が深いようだからね。それに特異点にも、涯と響き合う強い力がある。俺の声が届いても不思議じゃないだろう?』
「……っ」
俺はぎり、と奥歯を噛みしめた。
どこまでが本当で、どこからがハッタリなのか分からない。でも、団長ちゃんをみすみす危険に晒すわけにはいかなかった。
今でももう、あの子の肩には重すぎるほどのものが乗っているのだから。
誰にも——俺にも、それを取り除いてやることはできないのだから。
せめて、これ以上は。
「……何が望みだ」
低く声を絞って、俺は尋ねた。わなわなと震える舌の根を、意志の力で押さえつけながら。
「言ってみろよ。その代わり、団長ちゃんや他の奴等には、一切ちょっかい出すな」
『怖いねぇ。ま、今回はそういうことでいいよ』
とんとん、と手の甲を指で叩かれる。
俺はもう一度あいつを睨みつけてから、胸倉を掴んだままだった手を離した。同時に浮かんでいた無数の剣拓も、ふっと消える。
『ふー……』
コキコキと左右に首を傾け、肩を回してみてから、あいつは丁寧に服の襟元を整える。わざとらしいその仕草を、俺は苦虫を噛み潰す思いで見守った。
我ながら、必要以上に苛々しているのがわかる。そして、腹立たしい理由もわかっている。
俺も、こう見えてるかもしれないと思うからだ。
もちろん、自分が普段見せている自分の姿に、後悔などしていない。それでもそう思ってしまうのは、やっぱりあいつが俺だからだ。
俺ではない、俺。
俺がこうなってしまうのかもしれない、俺。
『どうした? シエテ?』
気がつくと、あいつがにやにやしながら俺を見ていた。
俺はため息をついて、首を振る。
「何でもないって。いいから早くお願いとやらを言ってみなよ」
『へぇ、ずいぶん素直になったね』
「うるさいな」
『まあいいさ。何、全然大したことじゃないよ』
そう言うとあいつは、ふわりと右手を広げた。
手のひらを上に向けて、胸の前に持ってくる。すると、きらきらとした銀色の光の粒が、手のひらの上に立ち昇り始めた。
『……七夕といえば、これだろ?』
言うやいなや、銀色の光の粒が明確な形をとって集まった。
ひらりと薄い、細長い四角の形。
「……短冊、か」
『当たり』
「それに、何を書けと?」
『何も書かなくていいよ。ただ、そのまま吊るしてくれればいい……君が、かつてそうしたように』
俺はまた思いっきり顔をしかめて、あいつを睨みつけることになった。
薄々そうだろうとわかってはいたが、自分のことがあれこれ知られてるってのは、決して気持ちいいものではない。
『そんなに睨むなって。君だって、俺のことを観測できるんだ。俺のことが知りたいなら、もっと教えてあげるよ』
「必要ないね」
『そう? 残念だ』
あいつは、ふっと微笑んだ。
手のひらの上で、銀色の短冊が光を増していく。輝く光の粒に戻りながら、俺の方へ飛んでくる。
『じゃあ、任せたよ。ああ、できれば一番高いところに頼む』
「……子供か、お前は」
『そうすれば、見つけやすいだろ? 誰もが振り仰ぎ、標とする極星のように輝ける』
どっ、と光の粒が膨れ上がった。
辺り一面の星々が、俺たちの周りに浮き上がって来て渦を巻く。すべてが銀色の輝きに覆われていって、何も見えなくなっていく。
「——御免だね! そんなのは!」
銀の光の向こうのあいつに向かって、俺は叫んだ。
「身の程を弁えろよ! 引き受けたのは、笹に吊るすところまでだ……輝いていい場所は、俺が決める!」
あいつの笑い声が、聞こえた気がした。
巻き上げられていた星々が、一斉に俺に向かって降りそそいでくる。思わず身構えたが、痛みは無かった。ただ明るい。眩しすぎる。
俺は固く目をつぶり、両腕を上げて顔を覆った。それでもまだ足りない気がして、剣拓を出して周囲に張り巡らせる。
それでも光は強くなり、まぶたの裏側まで銀色に塗り潰されて——そうして俺は、何もわからなくなってしまったのだった。
* * * * * * *
目を覚ますと、見慣れた部屋の中だった。
グランサイファーの、自分に割り当てられた個室。十字の飾り格子がついた丸窓の外は黄昏の空になっている。そこそこ長い時間、眠ってしまっていたようだった。
俺はまず、自分の服装を確認した。風呂に入って着替えたのと同じ、白いシャツに黒いパンツ。肌に馴染んだ感触も間違いない。
ということは、やはり夢だったのか。だが、しかし。
「何だって、あいつが……」
思わず深いため息がこぼれた。額に張りついていた前髪をかき上げ、ついでにぐしゃぐしゃと頭を掻く。
テーブルの上にあった水差しで手布を濡らし、顔と首筋を拭ってから、コップに水を注いで一気に飲み干す。それで、だいぶ落ち着いてきた。
そういえば、と思いついて、俺は部屋の中を見渡した。
あいつが光の粒にして、俺に飛ばしてきた銀の短冊。てっきり俺と一緒に、現実に来ているのだと思ったのに。
「無い、なぁ……」
枕もひっくり返してみたし、ベッドの下も覗いてみたが、どこにも無い。戸棚もひと通り開き、もしやと思って七星剣まで出してみたが、やはり見当たらなかった。
「まさか、短冊の調達から俺がやるの? わざわざ銀色のきらきらしたやつを探して……? えーそんなの面倒だよー、やだなぁ、もう放っておこうかなぁ……」
わざと口に出して、ぶつぶつと文句を言ってみる。声音はあくまで明るくなるように気をつけて、できればこのぼやきが何処ぞに届いて銀の短冊が降ってきやしないかと、一抹の期待を込めて。
でも、そんな唐突に短冊が現れるわけもなくて。
半ばほっとしながら、どさりとベッドに腰を下ろした時。
「……シエテ。起きてる?」
とんとん、と扉をノックする音と共に、団長ちゃんの声が響いた。
「あぁ、起きてるよ……おいでよ、鍵あいてるから」
扉の向こうで、団長ちゃんがちょっと息を呑む気配がした。一瞬の間が空いて、扉が開く。
「シエテ」
団長ちゃんは薄茶色のやわらかい髪を揺らして俺の前まで来ると、快活な光を宿す瞳で俺を覗き込んだ。
「疲れは取れた? もうすぐ乾杯だから、呼びに来たんだけど」
「うん、問題ないよー。大丈夫。へーきへーき」
「……本当に?」
団長ちゃんの眼が、きらりと琥珀色を帯びて光る。俺は正面からその眼を見つめ返した。
何も、悟らせてはいけない。彼のために。
だから、いつも以上に完璧に。
いつも通りの笑顔で。
「……なら、いいんだ。無理して帰ってきてくれたんじゃないのかなって、心配だったから」
俺の努力が功を奏したのか、団長ちゃんは思ったよりもすんなり折れてくれた。
「そんなことないよー。ちゃーんと、お仕事は終わらせてきたからね。天星剣王のシエテ様にとっては、こんなの余裕よゆー」
「はいはい、わかったから」
苦笑する団長ちゃんの肩を軽く小突いて、俺は靴を履き直す。ベッドから立ち上がり、彼を先へ促して部屋の扉へ向かおうとした。
「そういえば、七夕の宴は甲板でやるの? 雨、大丈夫そう?」
「あー、シエテが戻ってきた時は曇ってたんだっけ。今はね、もうだいぶ晴れてるよ」
「そっかー、そりゃ良かったね。俺、オムライスいっぱい食べたいなぁー」
「ローアイン達がたくさん作ってくれてるから、心配いらないよ……あ、あとね、これ」
そう言って団長ちゃんがポケットに手を突っ込んで、何気なく取り出したものを見て。
俺は、自分の目を心底疑った。
きらきらと一面が銀色に輝く、細身の美しい短冊。
この世ならぬ星を、幾千と散りばめたかのような。
「団長ちゃん……これ、どうしたの」
思わずこわばってしまった声のままで、俺は尋ねた。
確かに、ちょっとは期待した。面倒だから、何処かから現れてくれないかと。
でもそれは、こんな形でじゃない。
団長ちゃんが利用されることなんて、俺は絶対に望んでない。
——きっと俺は、ひどい顔をしていたと思う。
でも、そこにどんな幸運が働いてくれたのか。
団長ちゃんは、俺の不自然な態度を気に留めることなく、普通に話しだしてくれた。
「これはね、ルナールが懇意にしている紙問屋さんから分けてもらったんだ。いろいろな紙に銀粉を吹きつけて、星空を思い起こさせる紙を作りたい、ってことで作られてるらしいんだけど……そうすると、本にするには向かない紙もあったりするらしくって」
「……そうだろうね」
「だったら七夕の短冊にするのはどうだろう、ってことで、試作品を受け取ったんだ。団で使ってみて感想を聞かせてほしいってことで。それで僕らの意見を参考にして上手く改良できたら、来年は大々的に売り出すんだってさ」
「なるほどね」
十分に納得のいく経緯だったので、俺はほっとしながら頷いた。
きっと、ただの偶然だ。俺があんな夢を見てしまったから、過敏になっているだけで。
あいつの干渉なんかじゃない。
「……ねえ、シエテ。裏、見てみてよ」
団長ちゃんが、ちょんちょんと俺の腕をつついた。
「え? あ、あぁ」
そういえば、銀色の面に気を取られていて、反対側はまだ見ていなかった。いったいどんな紙なのだろう。
薄くて細長い紙を、くるりとひっくり返す。
現れたのは、見覚えのある色だった。
俺が初めの年に、書かなかった短冊。
それでも毎年同じように、差し出してくれた。
さわやかで、軽やかな薄緑色。
俺の剣拓の色を映してくれたかのような。
「ははっ……いいね、これ」
本当に楽しくて、嬉しくて。
俺は思わず、笑い出していた。
「うん、ありがとうグランちゃん。これ、使わせてもらうよ」
「本当⁉︎」
団長ちゃんの顔が、ぱっと輝いた。
「本当だって。ちゃんと笹竹に飾るよ。だから、行こう」
「あ、でも願い事は? ここで書いてから行ったほうがいいんじゃ……」
「そう? じゃあ……」
俺はやりかけの書類の上に放り出してあった羽ペンを掴むと、インクをつけて、さらさらと一文を書きつけた。
彼が選んでくれた、薄緑色の面に。
「……またそれなの?」
「えーいいでしょ?」
「もっと、自分のこと書けばいいのに」
「いいんだよ。俺にとっては、大事なことなんだから」
「うーん……」
腑に落ちない顔をしている団長ちゃんの肩を、俺はぽんと叩いた。
「さ、行こう。せっかくだから、一番高いところに飾らなきゃ」
「あっでも先に乾杯だよ! もう時間過ぎてるかも⁉︎」
「団長ちゃんが来てないのに始める奴なんて、この団にはいないでしょ。大丈夫だってば」
「だったら、なおさら急がなきゃ!」
ぱっと団長ちゃんは、部屋を飛び出していく。俺も短冊を持って、後を追った。
空の蒼を纏う背中が、数歩先で勢いよく弾んでいる。その後ろ姿に微笑みかけながら、俺は星の海の向こうへ呼びかけた。
見ているか、標神?
俺はこうして、確かな願いを刻むことができるんだ。この子の、おかげで。
だから、お前なんかには負けないさ。
俺に贈られた色と、お前が望んだ色が、表裏一体になったこの短冊。
でも俺には俺の、願いがあるから。
どんなに高く掲げたって、もう平気なんだ。
「シエテ、早く!」
階段の上から、団長ちゃんが俺を呼ぶ。甲板へ出る重たい木の扉に、手をかけて。
「おっけー……ほい、っと!」
俺は気合を入れて跳躍する。階段の残り半分を全部飛び越えて、団長ちゃんの隣に立った。
「何、今の。この狭い階段で、そんなことするの?」
「凄いでしょー。褒めて、褒めて?」
「はいはい、後でね」
軽く俺をいなして、団長ちゃんが笑う。始めは仕方ないなぁという顔で、次第に弾けるような笑顔になって。
大きな重たい木の扉を、二人で同時に押す。
甲板にいたみんながどっと歓声を上げる中へ、団長ちゃんと二人で飛び出していった。