いただいたマシュマロのお話(前編)
・大学生の世界線
・モブ(名前あり)たくさん出てきます
・日置の情緒不安定気味
⚠︎日置が渡会以外と事故キスしてます(非合意)
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【新しい登場人物】
近衛:このえ
佐山:さやま
吉野:よしの
獅堂:しどう
@RcNfe37
いつも通りの帰り道。
隣には二つ以上の影が並び、友人達の笑い声が耳に響いていた高校時代。一つの影を伸ばし、イヤホンから流れる音楽に耳を傾ける大学生の今。
"寂しい"と思ったのはほんの数週間前、少し肌寒くなった日だった。すぐに慣れるだろ、と気にしない振りをしていたのに日を重ねるごとに暗い気持ちは大きくなっていった。
「(…………会いたいな)」
執着心や欲求は薄いほうだと思っていたのに、渡会を好きになってから自分がよく解らなくなった。
こんなに寂しがり屋で、こんなに我儘だったのか。
夕陽のオレンジに照らされるアスファルトに目を伏せると、自転車が横を通り過ぎた。同時に冷えた風が頬を撫でる。
「(いや、ありえな。女々しすぎでしょ)」
フルフルと頭を振って、ポケットに手を突っ込むと、邪念を払うようにイヤホンの音量を上げた。
*
渡会と最後に会ったのはニ週間前……正確に言えばニ週間と三日。
「日置、最近元気無くね?」
「どした〜?悩み聞こか?」
空になったお皿にフォークを乗せる音を立てながら、二人の友人達が首を傾げる。
大学生になってから数ヶ月、まだ飲酒できる歳ではないので自然と集まる場所はファミレスが多くなっていた。
「全然元気だし、悩みも無いけど」
「うっそだ〜!絶対なんかあるって」
「顔に書いてあるもん」
友人達は顔を見合わせて肩をすくめた。そのうちの一人、近衛が鏡代わりにスマホの黒い画面を向けてきたが、そこに映る自分は普段通りに見える。
困惑したまま二人に顔を向けるともう一人の友人、佐山がグラスを手にして席を立った。どうやら、ドリンクバーのおかわりに行くらしい。
「マジで最近なんかあった?」
「いや?マジで無い」
「嘘つくなって。じゃあさ、気分転換に大人の遊びしない?」
「…………は?」
何を言ってるんだ、と言わんばかりに眉を顰めると、俺の反応に近衛はケラケラと声を上げて笑った。
「日置にはまだ早いか〜」
「何言って……」
近衛の意図が分からず、説明を促そうと口を開くと、ちょうど佐山がグラスにメロンソーダを並々と注いで帰ってきた。
佐山は慎重にグラスをテーブルに置くと、なぜか俺の隣に腰を下ろした。
「あ、それは"あのプラン"を近衛から言われて引いてる顔だな」
「"あのプラン"ってなに?」
佐山の言葉に更に眉間に皺を寄せる。何を考えているのか分からないが、少なくともしょうもない事だけは分かった。
俺の表情をニコニコと見ていた近衛は降参というように両手を挙げた。
「いやいや、如何わしいことじゃないよ?ただの飲み会のお誘い」
「飲み会って……俺ら一応未成年だろ」
「まぁまぁ大学生なんて……てか、サークルに入れば嫌でも分かるよ」
佐山は意地悪そうに口端を吊り上げると、メロンソーダを喉へ流し込んだ。鮮やかな緑がみるみるうちに飲み込まれていく。
「俺は行かない」
「やっぱりか〜」
近衛は予想していただろう答えに頷くと、クルクルとストローのゴミを縛り出した。それでも笑みは浮かべたままなので何かまだあるらしい。
近衛の次の言葉を待っていると、喋り出したのは隣の佐山だった。
「てのは、冗談で。あ、飲み会は冗談じゃないけど、日置に手伝ってほしくてさ」
「手伝いって、なにを?」
「今度サークル内でバーベキューするんだけど一年が足りなくて、設営だけでも手伝ってくれね?」
「一年だけが準備すんの?」
「分かるだろ?そういう決まりなの」
たしかに一年が率先して準備するのは高校時代に部活をやっていた身としては経験がある。佐山の言葉に頷くと、二人はパッと顔を輝かせた。
「え!やってくれる?!」
「マジ感謝〜!」
「いや、まだやるって言ってない」
「「んだよ〜……」」
二人は大袈裟に肩を落とすと溜め息を吐いた。溜め息を吐きたいのは俺のほうなんだけど。
もう一度断りを入れようとしたところで、その言葉は店員によって遮られた。
「お客様、申し訳ありませんが……あの、店内混み合っておりまして、お席を譲っていただけますか?」
新人なのか緊張した面持ちの店員だった。
気にして無かったけど、ここに来てからなんやかんや二時間は経とうとしている。
「いいですよ。すぐ退きます」
「ありがとうございます!」
荷物を背負いながら答えると、店員はガバッと頭を下げて厨房へ戻って行った。
伝票を取ろうと腕を伸ばすと、それは先に近衛の手に収まった。
「俺らのお願いもさっきみたいに快く頷いてくれたらいいのに〜」
「設営だけでしょ?俺に良いことないじゃん」
「いやいや、んなわけないでしょ。ちゃんと肉も食べて良いって」
レジに向かいながら財布を取り出していると、佐山が首を横に振った。というか、日付も時刻も分からないので頷こうにも頷けないのだけど。
割り勘で会計を終えると三つの影を並べて駅へ向かった。
「日時はあとで伝えるから、またそん時に答え聞かせて」
「タダ働きじゃないから安心しろよな〜」
「分かったよ。じゃあ、また明日」
「「じゃあな〜」」
二人に別れを告げて反対側のホームへ降りる。先発のラインに足を乗せた時、ふと胸の辺りがキュッと締め付けられる感覚がした。
またいつもの暗い感情の渦にゆっくりと体が沈む。先程までのように友人達と一緒の時は何とも思わないのに、一人になった途端にこうだ。渡会と会えなくなってから、最近はずっとこんな感じ。何か熱中できる趣味でも作ったほうがいいだろうか。
冷たい風を感じながらイヤホンを耳へ突っ込むと、音漏れしない程度に最大まで音を上げた。
プシューと息を吐きながら開いた扉に足を踏み入れれば、向かい側のドアに反射した自分の顔に目が向いた。見慣れた顔はまるで別人のように悲しい表情でこちらを見ている。
ドアに寄り掛かりながらスマホを開くと、ポチポチとフリックを動かした。
『会いたい』
迷わず送信ボタンを押すと、トーク画面をジッと見つめた。
仮に、この約束が明日や明後日でなくとも、一週間後や一ヶ月後になったとしても、会えるならそれでいい。
確実な約束が無くても、会える期待が欲しかった。
窓の外へ目を向けると、どんよりとした雲がオレンジの空を覆い始めていた。明日は雨かもしれない。
*
シャワーを浴びてから下着のまま冷蔵庫を開けると、水の入ったペットボトルを取り出した。熱った身体を冷やすように中身を飲み干すと、ラベルを外してゴミ箱へ放り投げた。ペットボトルは弧を描きながらカコンッとゴミ箱の縁に当たり、コロコロと床に転がる。
「あーあ……」
独り言をこぼしながらペットボトルを拾い上げるとゴミ箱へ入れ直す。最近、入る確率が高かったから今日もいけると思ったのに。
掛けていた眼鏡を外すとベッドサイドへ置き、無造作に散らばっている体育着を手に取った。パジャマなんて洒落ているものは着ない。高校のジャージで充分だ。
ボフンッと体をベッドに沈めるとスマホの画面が光った。
「あっ」
それは渡会から通話の着信があったことを告げる通知だった。急いでパスコードを入力すると、トーク画面を開いて返信を打ち込む。
『ごめん、シャワー浴びてた。今からかけ直していい?』
文章を確認してから送信すると、マナーモードを解除した。二十分前のメッセージだからもう違うことをしているかもしれないけど、通話ができる事実に自然と頬が緩む。
枕に顔を埋めるとピコンとスマホから音が鳴った。昂る鼓動を抑えて画面を覗き込むと、俺の期待とは違った文章が送られてきた。
『BBQのやつ、今週の日曜の18時からだから〜!集合は××駅近くの河川敷駐車場に17時半』
頼むから空気を読んでくれ。
近衛からのメッセージに既読も付けずにスマホを閉じた。また枕に顔を埋めると照明のリモコンを手繰り寄せて、部屋の中を淡いオレンジに照らした。
五分、十分とただただ時間が流れた。外を走る車の音や冷蔵庫の稼働音だけが聞こえる。目を閉じて音だけを感じていると自然と眠気が襲ってきた。まだ22時を過ぎたばかりだけど、寝る体勢に入ったのが悪かったのかもしれない。やっぱり電気付けよ。
〜♪
「わっ?!」
突然流れた着信音に肩が跳ねる。
慌ててスマホを手に取ると"渡会"の文字を見て心臓をギュッと掴まれた感覚がした。受話器のボタンをタップする指は僅かに震えている。
「もっ……もしもし」
声が裏返ってクソ恥ずかしい。
誰も見ていないのに顔を覆うと、スマホ越しからずっと聞きたかった声が耳に届いた。
『ごめん、もしかして寝てた?』
「ううん……ちょっと寝かけてたくらい」
『ごめんね』
「いや、全然。通話できて嬉しい」
『俺も』
本当は顔も見たいけど、これだけの会話だけで充分。
一人で満悦感に浸っていると、遠くの方から雑談や笑い声が聞こえてきた。
「あれ、家じゃないの?」
『うん。部活終わって帰るとこ』
「そ、そっか……いつもこの時間?」
『まさか。大会近いから遅いのは今だけ』
「そうなんだ……疲れてるのに連絡してごめん」
『なんで?疲れてるからこそ日置の声聞きたい。てか、こっちこそ最近返信遅くなってごめん』
「いいよ、全然。大会とかレポートとか色々あるの知ってるし」
『うん……』
腑に落ちないような小さい返事。
気にしなくていいのに、と口を開こうとするとまた一段と部活仲間らしい人達の笑い声が大きくなった気がした。楽しそうだな、なんて思っていると渡会の息を吸う音が聞こえた。
『俺も会いたい』
「ぁえ…………」
思わず呆けた声が漏れる。
先程まで聞こえていた周りの雑音はすべてシャットアウトされた。周りの雑音など気にならないくらい、渡会の声はしっかり耳に届いた。
待ち望んでいたメッセージの返答は百点満点。いや、それ以上か。
先程の言葉を一言一句噛み締めながら笑みを浮かべると、「えっと……」と次の言葉を探した。
「俺が……そっちの駅まで行ったら迷惑?」
『ん?え?迷惑なわけない。でも遠いし、俺が日置のとこに行くのでも──』
「俺が行きたい……だめ?」
『…………』
「お願い。会いたい」
スマホ越しに息を呑む声が聞こえた。
静寂に包まれた空間に、また、忘れていた雑音が耳に届く。"試合"とか"エントリー"とかいろんな単語が聞こえた。
『…………防犯ブザーって持ってる?』
「え?」
『もしくは催涙スプレーとか』
「な、なに?待って、なんで?どした?」
突然防犯対策の話に頭が追いつかない。そんな話、微塵もした覚えはない。
困惑する俺を置いて渡会は淡々と言葉を続けた。
『こっちの駅あんま治安良くないから……特に夜は』
「でも、俺、男だし大丈夫」
『……そういう問題じゃないけど』
「だ、だめ?」
『ダメなわけ…………な、さっきのもう一回言って』
「さっき?」
『会いたいって言って』
期待の込められた声で先を促された。
改めて言うとなると恥ずかしいけど、本心はどうすることもできない。
「あ……会いたい」
『うん、俺も』
「……好き」
『……え』
「大好き……早く、会いたい」
気が付けばポロポロと言葉を紡いでいた。
枕に額を押し付けると瞼の裏が熱くなった。恋人に会いたすぎて泣きそうになるとか、子供っぽくて呆れる。
スン、と鼻を啜ると柔らかくて優しい声が降ってきた。
『日置……俺のスケジュール送るから来れそうな時においで』
「……ん」
『来る時は絶対連絡して。あと駅着いた時も』
「……うん」
画面越しに頷くと遠くから渡会を呼ぶ高い声が聞こえた。今いる場所には男子だけではなく女子もいるらしい。女の子達の声は徐々に近くなってきた。
『部活のマネージャーだよ。ごめん、もう切るね』
「うん、おやすみ」
『おやすみ。また連絡する』
プツンと切れた通話画面を眺めると袖で涙を拭った。
ボーッと天井を見つめながら照明のリモコンを手繰り寄せると暗闇に身を預けた。目を閉じれば先程の会話が鮮明に浮かんでくる。渡会の声も、後ろの雑談の声も、マネージャーという女の子達の声も。
「やっぱりモテるよな……」
渡会が注目されるのは高校生の時から分かりきっているのに、胸騒ぎがして落ち着かない。
大学ではどのくらい告白されただろう。どれくらい好意を寄せられているのだろう。大学なんてイケメンも美女もゴロゴロいるだろうし、俺より好きな人ができたらどうしよう。
今までそんな心配したことないのに、心が弱っているからか不安が頭を覆い尽くした。早く寝てしまいたいのに、目を閉じれば渡会の隣には知らない誰かが立っている。
「マジでどうしたんだ俺……」
体を起こして大きく深呼吸を繰り返した。あれだけ声を聞きたかった渡会と今さっき通話したばかりなのに、心にぽっかりと穴が空いて寂しさが込み上げてくる。
一人の時間は余計なことばかり考えて苦しい。
気が付けば、スマホを手に取り、近衛からのメッセージに『行く』と返信していた。
*
日曜日の手伝い当日────前夜。
姉から進学祝いで貰ったテレビでチャンネルを流し見していると、スマホが着信音を告げた。
明日のこともあるし、近衛か佐山からかと画面を覗き込むとそこには恋人の名前が表示されていた。
一瞬、時が止まったように静止すると震える手でテレビを消し、咳払いをしてから通話ボタンをタップした。
「もしもし?」
『急にごめん、今大丈夫?』
「うん」
『明日って空いてたりする?部活の予定が変わって早く帰れるんだけど』
「明日……何時?」
『移動時間考えたら16時以降になっちゃうかも』
「16時……」
運が悪すぎる。
明日、17時半集合を踏まえると、渡会と会えても一時間……いや、電車移動を考えると一時間にも満たない。そんな時間で満足できるわけがない。かと言って、先に自分から了承した近衛達との約束を「やっぱ無理」で断るわけにもいかない。
すっかり黙り込んでしまった俺に、渡会は心配そうな声で続けた。
『先約あった?』
「…………ごめん」
『謝らないでよ。突然誘ったの俺だし……どこか出掛けるの?』
「出掛けるっていうか、友達の手伝い」
あれ、友達の手伝いってセーフだよな?
不安と緊張で固唾を飲んで返事を待っていると、渡会は『ふーん』と呟いてゴソゴソと物音を立てた。ベッドの上なのかシーツの擦れる音のように聞こえる。
『なんの手伝い?友達と二人だけ?』
「バーベキューの設営だって。サークルの手伝いだから人数は結構いるんじゃないかな」
『何のサークル?』
「えっと…………名前忘れたけど、なんとか同好会」
『飲みサーじゃなくて?』
「あぁ……実際は多分それかも」
『どこでやるの?』
「××駅近くの河川敷」
『男だけ?』
「いや、女の子もいると思う」
『何時に終わんの?』
「分かんない。でも、片付けもってなると遅いかも」
怒涛の質問責めに背中に冷や汗が流れた。スマホを握る手にも汗が滲む。ただ、友人たちの手伝いに行くだけなのに、なんでこんなに緊張するのだろう。
「こ、……断ろうか?」
『いや……でも、何かあったら連絡して』
「な、何かって……」
『例えば、水と間違えて酒の誤飲とか』
「あぁ、それは…………善処します」
高校二年の夏。渡会から仮の告白をされた日。俺は間違えて酒を飲んだ。なんなら皆の前で吐いた。
過去の失態に顔が熱くなっていると、スマホ越しに笑う声が聞こえた。
『まぁ、大丈夫だと思うけど。念のため気をつけて』
「分かった……あ、そうだ。この前スケジュール送ってくれたじゃん?」
『うん』
「来週の火曜日。授業終わったらそっち行っていい?」
『いいよ。何時くらい?』
「そっち着くのは19時くらいかな」
『分かった。ちょっと待たせちゃうかもしれないけど大丈夫?』
「うん」
先日通話した後に送られてきた渡会のスケジュールと自分のスケジュールを交互に確認するとスマホ越しに頷いた。
思った以上に会える時間は限られていた。俺はそんなに忙しくないけど、渡会のスケジュールはびっしりと詰まっている。ほとんど部活だが、スケジュール帳がカラフルに彩られていて目が眩みそうだった。貴重な休みを俺に当ててくれることに罪悪感が湧いてくるくらい。
『泊まってく?』
「…………え?」
『火曜日、うちに泊まる?』
「ううん。少しお邪魔したら帰るよ」
『なんで?水曜って三限からだよね?』
「あ、うん、まぁ…………」
空いた時間は少しでもゆっくり休んでほしい、と言ったところで、渡会は「大丈夫」の一点張りで返してくるだろう。
もちろん、一緒にいられるなら泊まりたい気持ちしかない。けれど、無理させたら元も子もない。
「その……朝、ゴミ出さないと」
『出してから来れば?時間指定ないよね?』
「そ、その前に掃除しようかな、みたいな」
『それ、水曜じゃなきゃダメなの?』
「えっと…………」
いや、無理だわ。誤魔化すなんてできない。なんならどんどん墓穴を掘っているし、渡会の声も訝しんだ声に変わっている。素直に言ったほうが吉だ。
「渡会忙しいから、ゆっくりしてほしくて」
『……ゆっくり?それ、日置が泊まることに関係ある?』
「一人の時間もあったほうが良くない?」
『好きな人との時間を差し置いてまで一人の時間を優先したいとは思わないけど』
「そ、そう」
『泊まってくれる?』
「…………泊まる」
『ありがと』
「こちらこそ」
「ありがとう」と伝える前に、風呂の沸いた音楽が部屋に鳴り響いた。渡会にも聞こえたようで、柔らかい口調のまま言葉が続いた。
『長くなってごめん』
「いや、全然」
『明日気をつけて』
「………………うん」
あぁ、嫌だな。会話の終わりを醸し出すこの雰囲気が本当に嫌だ。
『好きだよ、日置』
「えっ」
『大好き』
「俺も……大好き」
『火曜日楽しみにしてる』
「うん」
『また連絡するね』
「うん、おやすみ」
『おやすみ』
通話の切れる音を合図に机に突っ伏すと、深く息を吐いた。
好きすぎて、どうにかなりそうだ。満足な言葉を聞けたのに、今から会いたい衝動に駆られる。二日後に会えるのに、それでは足りない。
「…………風呂入ろ」
俺はいつからこんなに女々しくなってしまったのか。
重い体を起こすとノロノロと脱衣所へ向かった。
*
「いや〜!助かったわ。ありがとな日置!」
「うん」
グリルを組み立てながら頷くと、佐山は嬉しそうに俺の背を叩いた。
実際来てみれば、意外と一年だけでも人数が集まっていた。詳しく聞けば、俺のようにサークルメンバー以外もいるようで、みんな肉に釣られて手伝いに参加したらしい。
なんとなく周りを見回していると、ザリザリと砂利を叩く音を立てて男女のグループがこちらへ近付いてきた。いかにもこのサークルを牛耳っているような風格だ。その中の一人がこちらへと足を向けた。
「準備させて悪いな。調子どう?」
「う、うす!もう今すぐ焼けるくらいには整ってますよ」
声を掛けてきた先輩らしき人物は、チャラチャラと耳の飾りの音を立てながら佐山に頷くと、チラッと俺を窺った。
「新入り?」
「いえ、こっちは手伝いで来てもらいました」
「ふぅん。手伝わせちゃって悪いな」
先輩はニコリと微笑むとザリザリと砂利を踏みながら盛り上がっているグループの中心へと歩いて行った。
見た目の割には良い人そうだな。また作業に戻ると、隣の佐山は、はぁ……と重い溜息を吐いた。
「やっぱ緊張するわ〜」
「え、なんで?」
グリル網を乗せながら呟くと、隣から「えっ」と驚いた声が上がった。佐山に顔を向ければ、まん丸と目を見開いて俺を見つめている。
「さっき獅堂さんの顔見たよな?」
「うん」
「何とも思わなかったわけ?」
「え?……あぁ、意外と良い人そうだなとは思ったけど」
「そこ?!」
佐山は切れ長の目を更に見開くと、ガシッと俺の肩を掴んだ。そのまま前後に揺さぶられて、ガクンガクンと視界がブレる。
「日置、お前目ついてねーのかよ!」
「ついてるよ。てか、気持ち悪くなるからやめて」
佐山の腕を強めに引き剥がすと、歪んだ視界を正すようにフルフルと頭を振った。
「ごめんごめん。目節穴だなって思って」
「失礼だな」
「でもマジであんなイケメンうちの大学では珍しいぜ?」
「い……いけめん?」
佐山の言葉に先程の獅堂という先輩を目で追った。グループの中心で笑みを浮かべる獅堂は、たしかに、言われてみれば、イケメンかもしれない。
「イケメン……かも」
「かもって……お前どんだけイケメンの基準たけーんだよ!あのレベルなかなかいないぜ?!」
「そう言われても」
「イケメン見慣れてるってか?」
佐山は呆れたように眉を顰めると、立ち上がって使用した工具を片付け始めた。その後ろ姿を一瞥すると、おもむろにスマホを開いた。写真フォルダの渡会や守崎、堀田、仲里を順々に眺めてから、また顔を上げて獅堂を見つめる。
「………………」
どうやら俺は、イケメンの基準を渡会達に設定しているらしい。好みはあれど、何度見比べたって渡会や守崎達のほうがかっこよく見える。高校時代からずっと見てきているけど、あの獅堂という人より何倍……いや、何十倍もかっこいいと思う。
「目肥えたな……」
「何の話?」
「っ?!」
突然入ってきた声に肩を跳ねされると、バッと後ろを振り返った。そこにはビニール袋をぶら下げた近衛が立っていた。
「な……んだよ……驚かせるなよ」
「勝手にそっちが驚いたんだろ〜。てかそろそろ乾杯するから日置も来なよ」
「え、俺も?」
「もちろん」
そう言いつつ近衛は俺の腕を引くと中央のテーブルに向かった。一年から四年までのサークルメンバーと肉に釣られた一年の手伝い係が集まると人数は50人は超えそうだった。これでも、サークル全体の半分の人数にも満たないらしい。
「日置ジュースでいい?」
「うん……あ、俺自分で注ぐ」
「うぃ〜」
近衛の持っていたビニールコップの筒から一つ取り出すと、目についたオレンジジュースの缶を開けた。
「じゃあ、乾杯の音頭を部長から〜」
進行役らしい先輩の声を聞きながら周りを見回せば、みんなコップを片手に談笑したり、スマホを掲げて動画を撮っていたりしていた。
飲みサーってこんな感じなんだ。進行役の先輩へ目線を戻そうとすると、たまたま獅堂と目が合った。
「(うわ、気まず)」
慌てて軽く会釈をすると目の前へ視線を戻した。丁度「乾杯〜!」と声が上がり、隣の近衛や佐山とコップを交えるとオレンジジュースを喉へ流し込んだ。てか、こいつら普通に酒らしい飲み物を持っていたけど、いいのかそれで。
乾杯の音頭もそこそこに各グリルの場所に散らばると今日のメインの肉を焼いた。肉が焼き上がるまでの間、近衛と佐山以外の同級生とも会話を交わし、課題の話や趣味の話に花を咲かせた。
あれ、意外とサークルって楽しいもんだな。
*
全言撤回。
全然楽しくない。
なんなら帰りたい。
「うわっ!あいつらチューしてる!」
「おいおい盛んなよ〜」
「ヒュー!もっとやれー!」
お酒が入った先輩達は男女問わず理性が焼き千切れ、ところ構わず抱き合ったり、キスをしたり、そこら辺で寝ていたり、もうめちゃくちゃになっている。
乾杯から一時間。そこには地獄絵図が広がっていた。
「日置も俺とチューしとく?」
「しない」
「なんで〜?じゃあハグしとこーぜ」
「いい!いらないってば」
右から唇をとんがらせて迫ってくる近衛を押し返しながら、左から両腕を広げて迫ってくる佐山を押し返す。何これ、ジュラシックワールドかよ。
なんとか二人を座らせると強引に水を飲ませた。
「ゲホッ!ひどいな日置〜」
「日置、ハグしようってば〜」
「しない。てか、もう帰っていい?」
「「ダメ、片付け係と介抱係が減る」」
そこは冷静なのかよ。溜め息を吐きつつコップを手に取ると、ほとんど残っていないオレンジジュースを飲み干した。ぬるくなってあまり美味しくない。
誰も手を付けない野菜をつついていると急に向かい側の女の子達が黄色い歓声を上げた。同時に隣に人が腰を下ろす音が耳に届く。
「どう?盛り上がってる?」
目を向ければ片手にビールを掲げた獅堂が微笑んでいた。周りには彼の友達らしい男性陣もぞろぞろと集まっている。
獅堂に愛想笑いを返すとまたテーブルの上に目を向けた。てか、誰だよ野菜こんな買ってきたの。肉のほうが人気なのだからもう少し控えめの量で良かったのに。
「な、佐山と近衛も野菜食べて」
ズイッと紙皿を押すと佐山と近衛は切羽詰まった様子で俺の服を引っ張ってきた。
「おいおいおい、日置くん?あの獅堂さんの前でなんで通常運転なの?!」
「お前がとんでも面食いなのは分かったからさ!もっと反応しねーと失礼だろ!」
「えぇ……?」
何故か小声で説教をされている状況に動揺が隠せない。
そもそも彼を持て囃す理由はなんなのか。手を離された服を正しながらチラッと獅堂を盗み見すれば、女の子達に囲まれて満足そうな笑みを浮かべていた。
「てか、なんで人気なの」
「「は?」」
「イケメンなのは分かったけど、それだけじゃないんだろ?」
小声で伝えれば佐山と近衛は顔を見合わせてから自信満々の表情で向き直ってきた。
「そりゃ、女の子紹介してくれるし」
「合コン誘ってくれる」
なんだよ、そんなことか。もっとすごいことかと期待していたがそうでもなかった。
期待外れ、と顔に出ないように「ふーん」と呟くと近衛が恥ずかしそうに、そろり、と右手を上げた。
「なんなら俺、彼女ができました」
「「え、マジ?」」
佐山と声を揃えて驚きの声を上げると、近衛は嬉しそうに鼻を鳴らした。
「先に一抜けで悪いな」
「このやろ〜!抜け駆けかよ〜!俺と日置を置いて行くな〜!」
佐山ごめん。俺もいる、彼氏。
心の中で謝罪しつつ近衛の惚気話に耳を傾けようとすると、隣からものすごい歓声が耳をつんざいた。
ビリビリと響く耳を押さえながら隣に目を向ければ、獅堂ともう一人の男子学生がキスをしていた。それも結構ハードな。
「最近、こういうの好きな子多いんでしょ?なんだっけ?ボーイズラブって言うの?」
獅堂は口端をペロリと舐めてから顔を上げると、更に女の子達の声は盛り上がる。
俺も男……と言うか渡会が好きだけど、流石に人前で繰り広げられる男同士の濃厚なキスには引いた。
「えー!獅堂先輩男の子もいけるんですか?!」
「んー、可愛い子ならオッケー。君とかね」
「キャー!好みの子はどんな子ですか?!」
「ん〜」
獅堂は目を泳がせると女の子達の隙間を縫って俺と目を合わせてきた。嫌な予感に後ずさろうとすると、先に長い腕に手首を掴まれる。
「こういう大人しそうな子も好き」
「は…………?」
そう言って獅堂はペロリと唇を舐めた。
自身のではなく俺の。
一瞬頭が真っ白になり、されたことの咀嚼ができなかった。ただ目の前で可笑しそうに笑みを浮かべる先輩と大発狂をかます女の子達の声だけに包まれた。
そして気付けば俺は獅堂の胸の中に収まっていた。約二週間と五日ぶりの人の体温を感じて、胸の奥から何かが溢れてきた。
「童貞くんには刺激強かったかも〜」
「キャー!獅堂先輩カッコいい!」
「やばいー!新しい扉開けそうー!」
盛り上がる酔っ払い達を他所にハッと正気を取り戻すと、獅堂の腕から這い出てて一番遠くの位置に座り直した。
心配そうにこちらを窺う佐山と近衛に、唇をゴシゴシ拭いながら目を向けると震える声を絞り出した。
「俺、さっき、何されてた?」
「ペロペロされてた」
「ギュッてされてた」
やっぱりアレは夢ではなかった、きも。酒が絡むとロクでもないことにしか巻き込まれない。
キスもハグも渡会としたかったのに。明後日やっと会えるのに。あんなに気を付けてと言われたのに。こんなんじゃ顔向けできない。
しかも一番最悪なのは抱き締められたと同時に謎の安心感が芽生えてしまったことだ。最近ずっと一人だったから、どこかで安心してしまった自分が一番気持ち悪い。
「泣くなよ〜日置〜」
「むしろラッキーって思ったほうがラクだぜ?」
「泣いてねーし」
ポンポンと背中を叩いて鼓舞してくる友人達を他所に水をコップに注ぐと一気に飲み干した。
事実、泣きそうにはなったので顔を伏せると、また隣に誰かの気配を感じた。先程の失態から反射的に身を引くと、驚いたように目をパチクリさせる男子学生が目に入った。彼は気不味そうに頬を掻くと眉を下げて笑った。
「えっとー、俺はキスとかしないし、そもそも酒飲んでないから安心して」
穏やかな笑みを浮かべる男子学生は持っていたコップを掲げると、烏龍茶のボトルを指差した。無害そうな彼だけど、イマイチ信じきれない。
説明を求めるように近衛と佐山に目を向ければ、なんと獅堂の餌食になっていた。目の前で繰り広げられるスキンシップにドン引きしていると、トントンと肩を叩かれた。
「とりあえず移動する?」
席を立った男子学生と地獄みたいなこの場所を天平にかけると、迷いなく席を立って彼の後に続いた。とは言え、まだ彼への信用度は低い。歩く距離は1メートル開けた。
比較的落ち着いた場所に腰を下ろすと隣の男子学生はまた気不味そうに口を開いた。
「俺、一年の吉野。名前は?」
「……日置」
「日置くん、珍しい苗字だね」
「……そう?」
「うん……てか、警戒してる?本当に酒飲んでないよ」
吉野はそう言いながら悲しそうに眉を下げて、わざわざ新しいコップにお茶を入れ直した。その姿に罪悪感が湧いてきて慌てて首を振る。
「ごめん、そんなつもりは無いんだけど……さっきの今で、人間不信になりかけてるっていうか……」
「あー……まぁ、そうだよね。獅堂先輩、酔うとキス魔になるから気を付けて」
「それ、先に言ってほしかった」
「ご、ごめん」
吉野は力無く笑うと一口お茶を含んだ。
彼もまた、俺と同じように設営手伝い係だろうか。失礼だけど、あまりこういうサークルに入る性格では無さそう。
「吉野……くんも誰かに頼まれて来たの?」
「ううん。こう見えて一応このサークル入ってるよ」
「えっ、そうなんだ」
「やっぱ馴染めてないかな?」
「いや、そんなことないけど」
「あはは、気遣わせてごめん。大学デビューていうか、友達作りたくて」
「そっか」
健気な吉野に思わず笑みを溢すと、コップをテーブルに置いた彼はおずおずとスマホを取り出した。
「よ、よかったら連絡先交換しない?」
「えっ、連絡先?」
「あ、ダメだった?ごめん、まだそんなに親しくないのに」
「いや、そういうわけじゃ……」
実を言うと最低限の友達しか登録したくない。返信が面倒だからとかではなく、渡会に変な心配をかけたくないから。
また親しくなったら、と声をかけようとするが、寂しそうな吉野の表情にグッと言葉を飲み込む。まぁ、一人増やすくらい大丈夫か。
ポケットからスマホを取り出すと、QRコード画面を開いた。
「俺、そんな返信早くないけど」
「いいよ、全然。ありがとう日置くん」
「……呼び捨てでいいよ。なんか慣れなくて照れるし」
「そう?じゃあ俺も呼び捨てで呼んで」
「うん」
"新しい友達"に登録された吉野のアイコンを眺めてから顔を上げると、遠くから近衛と佐山の声が聞こえた。二人の声は段々と近付いてきて、目を凝らせば半泣きの二人の表情が窺える。
フラフラな足取りで駆けてきた二人はガバッと俺にしがみついて来た。
「日置〜……なに、勝手に、どっか行ってんだよ〜」
「うぇ〜ん、俺、彼女いんのに〜!」
獅堂にめちゃくちゃにされたのだろう。ヒンヒン泣き喚く二人を引き剥がそうとすると、佐山が吉野をジッと見つめて首を捻った。
「あれ〜、吉野じゃん?日置と仲良かったっけ〜?」
「ううん、さっき話したばっかり」
「もしかして〜、日置を慰めてくれた系〜?さんきゅな〜、日置最近さ〜、全然元気なかったし〜」
余計なことを口走る佐山に呆れていると、吉野は心配そうに俺を窺ってきた。
「そ、そうだったの?」
「ううん、気にしないで」
「いーや!あれは失恋した男の目をしていたよ、俺は分かる……!だって俺は彼女がいるから〜!!!」
いつの間にか吉野の肩を組んでいた近衛は、片手に持っている何が入っているか分からないコップを傾けた。
「吉野からもさ〜なんか言ってやってよ〜」
「ほんとに気にしないで」
ベロベロに酔い始めている佐山を地面に転がし、近衛を吉野から引き剥がすと強引に折りたたみの椅子に座らせた。ついでに、地面に寝転がりながらモニョモニョ言ってる佐山も近衛に寄り掛からせる形で座らせた。
パンパンと手を払いながら椅子に座り直すと、吉野は可笑しそうにクスクスと笑った。
「お母さんみたいだね」
「嬉しくない」
「手慣れてそうだったけど?」
「……なんかこういうタイプの友達とずっと一緒に居たから慣れた」
「そうなんだ……それでさ、さっきの話だけど」
「ほんとに気にしないでって」
「うん、でも……余計なお世話かもだけど、バイトとか始めてみるのはどう?」
「バイト?」
「ほら、忙しいと余計なこと考える時間も減るし」
俺の心情を読まれているのかってくらい、的確なアドバイスに言葉が詰まる。たしかに、このバーベキューに参加したのも寂しさを紛らわせる為だし、実際、気も和らいでいる。
吉野になんて返そうか悩んでいると、外野の近衛と佐山が一斉に騒ぎ始めた。
「いーじゃん!バイト!やろ!」
「出会いもあるし〜?金も貰えるし〜?一石二鳥〜」
出会いは求めてないけど、お金はいくらあっても損はない。寂しくならないし、経験にもなる。たしかに言われてみれば一石二鳥かも。
二人の後押しに頭を悩ませていると、吉野がそろっとこちらを窺ってきた。
「あんまり接客得意じゃないなら、図書館とかどう?最近できたとこで俺も働いてるんだけど……ほとんど本の整理とかだし」
吉野はそう呟きながらスマホを操作すると、バイト先の図書館の地図を表示させた。大学の最寄り駅から二駅ほどの立地も遠くなくて丁度いい。
そんな良い話があるものなのか。吉野のスマホの画面を見つめていると、また外野の二人が騒ぎ始めた。
「面接だけ受けてみれば〜?」
「無理そうだったらやめればいーし」
「えぇ……そんな軽くていいのかよ」
バイトは少し興味があったけど、働くということが未知でよく分からない。けれど、今のところメリットの方が多い気がする。
「他に働いてる人ってどんな感じ?」
「うーん、館内にカフェもあるから俺らと同じくらいの子も多いけど、こっちは比較的年齢層は高めかな」
「俺、あんまり人付き合いよくないかもだけど」
「あぁ、打ち上げとかそういうのはないから」
益々魅力的で気持ちが揺らぐ。
やってみようかな。バイトって大学生ぽいし。聞く限り職場の雰囲気も良さそう。
一種の憧れであるバイトに、黙り込んでいると近衛が我慢できないように声を上げた。
「も〜!行ってみろって!面接予約入れといたから!」
そう言って近衛はスマホをズイッと突き出した。画面にはバイトアプリの申し込み欄が表示されている。
それより、いや、待て。今なんて言った?
"予約入れといた"と言ったか。
「え、なに勝手に決めてんの」
「あ〜、確定はしてないから、へーき!あとは連絡先指定するだけだから〜!」
「チャレンジしてみよーぜ、日置〜」
「んー…………」
楽しそうな酔っ払い達から目線を外すと、今度は期待に満ちた目を向けてくる吉野が映った。よく分からないけど、多分、吉野は一人っ子か末っ子だと思う。
「俺も友達がバイト先にいると楽しいんだけど……」
友達って……まだ吉野のこと名前しか知らないのに。
けれど、いつまでも悩むわけにはいかないので近衛に顔を向けると手を差し出した。
「連絡先入力するから貸して」
「いえーい!祝!初バイト!」
「初給料でなんか奢ってくれな〜」
勝手に盛り上がる二人を無視してメールアドレスを入力すると、希望日時を指定して確定ボタンを押した。数秒の間を置いて完了のメールが自分のスマホへと送られてくる。
メール内容を確認していると、吉野がトントンと肩を叩いてきた。
「日置ってゲームとかするの?」
「ゲーム?最近はしてないけど何個か持ってる」
「そうなんだ。smitchは?」
「持ってるよ」
「今さ"どうぶつの木林"やってるんだけど、これオススメ」
「へぇ。聞いたことある」
「結構やり込み要素あるから熱中できるかもよ」
「ふーん。買ってみようかな」
優しい性格なのか分からないけど、真剣に俺へのアドバイスを話す吉野に耳を傾けていると、遠くから誰かの声が聞こえた。
「そろそろ、切り上げろ〜!」
片付け開始の合図にスマホをポケットに突っ込むと立ち上がって周りを見回した。それはそれは自由な学生達の姿があちこちに見受けられる。食べていたり、寝ていたり、喧嘩していたり、まだキスしていたり……。
もう一生このサークルの手伝いには参加しない。
固い決意表明を心に刻みながらゴミ袋を手に取ると、重い足取りで片付けに取り掛かった。
*
そして、迎えた待望の火曜日。
渡会の通う大学の最寄り駅まで、心臓はうるさいほど鳴り響いていた。授業はほとんど上の空で、朝食も昼食も喉を通らなかった。近衛と佐山から病院へ行けと心配されるほどだったが、そんな場合ではない。
目当ての駅に着くと迷わずトイレへ駆け込んだ。鏡の前に立つと髪を直し、服も気持ち程度に正した。鏡に映る顔は嬉しさと緊張に染まっていた。
トイレを出ると改札を出て端の壁に避けた。震える手でスマホを握りしめると、震える指で『駅着いた』と打ち込んだ。
あとは待つだけなのに、吐きそうなくらい緊張する。なんなら、お腹も痛くなってきた。
駅のホームの端で、小難しい顔でスマホと睨めっこしていると、いきなりスマホが着信音を告げた。
爆鳴りする心臓をそのままに急いで通話ボタンを押すと、イヤホンから息を切らした渡会の声が聞こえてきた。音響装置や車の音が後ろに響いている。
『どこいる?』
「えっと、ホーム内のパン屋さんの向かい側」
『分かった』
「ぶ、部活終わったの?」
『さっき、終わったばっかり。ちょっと早めだったから、ラッキーだった』
「そ、そうなんだ。転ばないでね。ゆっくりでいいよ」
『ん、ありがと。でも早く会いたいから』
「うん、でも……」
『日置は、違う?』
「ちがっ、違くないんだけど……」
もちろん俺も早く会いたい。けれど、先程から心臓がうるさくて、お腹も痛くて、手も震えて、とても笑顔で迎えられる気がしない。どんな顔で待っていればいいか分からない。
心配そうな渡会の声にギュッとスマホを握ると本音を打ち明けた。
「久しぶりに会うから、その、緊張して……俺、変かもしれない……」
目線を足下に落とすと、イヤホン越しに駅内放送が聞こえた。それがイヤホンから流れたのか、今頭上から聞こえている放送なのかは分からなかった。
いよいよ俺の鼓動は最高潮に達した。バクバクと鳴る音は周りに聞こえているのではないかと思うくらいうるさい。
「日置」
ピロンと通話の切れる音がすると、もう繋がっていないはずなのに目の前から声がした。ずっと聞きたかった声が、電波越しではなく、直接耳に届く。
恐る恐る顔を上げると、優しい笑みを浮かべた渡会が立っていた。三週間ぶりの彼を目に留めた瞬間、笑みより涙が溢れそうになる。
「あ、…………えと、…………こん、にちは」
「あはは!こんにちは。久しぶり」
イヤホンを外しながら、下手な笑顔と下手な日本語を送ると、渡会は端正な顔を崩して笑った。その笑顔に頬を緩めると強張っていた肩の力が抜けた。
「「あのさ」」
見つめ合ったまま同時に口を開くと、どちらかともなくまた笑い合った。
付き合って二年目なのに、ただ三週間会っていなかっただけなのに、まるでマッチングアプリで出逢った人同士の会話のようで可笑しすぎる。
「日置からいいよ」
「いや、渡会から」
「うん。日置はお腹空いてる?」
「あー……実は朝も昼もあんま食べてなくて」
「えっ、体調悪い?」
「いや、渡会と会うの緊張して……」
恥ずかしさに頬を染めると、渡会は逆に嬉しそうに頬を染めた。
「そんな楽しみだった?」
「…………うん」
「か……可愛いね」
渡会は上げた手を俺の頭に乗せようとして、寸でのところで止めると口元に手を当てた。
そう言えばここ駅だったな、なんて周りを窺えばジロジロと視線を寄越してくる人達は何故か微笑ましい表情を浮かべていた。
「どっ、どこ行く?俺今ならなんでも食べれる」
「駅内でもいいけどちょっと歩く?」
「う、うん!行こう」
早くこの場から立ち去りたくて渡会の手を取ると駅の出口を目指した。とにかくここから抜け出したい。てか、見せんもんじゃないんだけど。
ただひたすら歩いていると、ギュッと手を握り返された。
「日置、ちょっと待って」
「あ、ごめん」
「いや、手を繋ぐのはいいんだけど……その前にカフェ寄っていい?」
「えっ、ご飯そこで食べるの?」
「ううん。ちょっと急用」
渡会はそう言ってスマホを掲げると、メールの画面を写した。それを覗き込めば『レポートの確認』という件名が付いていた。
頭にハテナを浮かべていると渡会は俺の手を引きながら歩き始めた。
「今日提出したレポートに不備があったから修正しろって」
「え、今すぐ?」
「……ごめん、提出期限今日だから。あ、あそこ入ろ」
渡会は恥ずかしそうに目を逸らすと、前方のお店を指差した。横断歩道を挟んだ向いにあるカフェは地元でもよく目にするチェーン店だった。あそこならコンセントもWi-Fiも充分だろう。
信号が赤から青へ変わるのを待っていると、背後から小さい女の子の声が聞こえた。
「マナちゃんもあのお兄ちゃんたちみたいにママと手繋ぎたい〜!」
振り向けば5歳ほどの女の子が俺たちを指差して地団駄を踏んでいた。
手。その単語にハッとすると慌てて渡会の手を離した。
「ごめっ、ここ外だった」
「………………うん」
不機嫌そうに返事をする渡会に罪悪感を覚えつつも、さすがに周りの視線が耐えられない。背後を振り返れば、母親らしい女性がペコペコと頭を下げながら女の子と手を繋いでいた。
会釈してから前に向き直ると、せめてものお詫びとしてギュッと隣の袖を掴んだ。渡会は掴まれた袖へ目線を下げると嬉しそうに口元を綻ばせた。
横断歩道を渡り、店内に入った渡会はレジ前で俺に振り返った。
「席取ってくるから並んでて」
「ん。渡会は何頼む?」
「俺はカフェラテ」
「だけ?」
「うん」
「分かった」
「財布渡しておくね」
「え、いいよ」
「じゃあこのあとご飯奢らせて」
渡会はそう言い残すと階段へと向かって行った。
別にご飯も自分の分は払うのだけど。そう思いつつメニューを見上げると自分の頼むものを探した。レポート修正はどれくらいかかるかな。お腹空いたしフードメニューも頼もうか。
「次にお待ちのお客様どうぞ〜!」
店員の声に足を進めると、メニューを指差しながら口を開いた。
「カフェラテを一つと、ブレンドコーヒーを一つ。あとデニッシュサンドを一つお願いします」
「店内でお召し上がりですか?」
「はい」
「かしこまりました〜」
店員は軽快にレジを打ち込むと金額を口にした。支払いを済ませて、出来上がりを待っていると、席を取ってきただろう渡会が戻ってきた。
「カウンター席でも大丈夫だった?」
「うん、ありがと」
「日置は何頼んだの?」
「俺はブレンドコーヒーとデニッシュサンド」
「このあと普通に食べるのに?」
「うん。平気、入る」
「まぁ、朝と昼食べてないもんね」
渡会は差し出されたトレーを受け取ると、軽快に階段を上がっていった。ミルクシロップを多めに手に取ってからその背中に着いていくと目の前がガラス張りのカウンター席に腰を下ろした。目の下には人の波が行き交っている。
「多分、三十分くらいで終わる……てか、終わらす」
「いいよ。ゆっくりで」
「ははっ、最近"ゆっくり"が口癖なん?」
「あれ、そんなに言ってる?」
「うん、駅でも言ってた」
渡会は笑みを溢しながらノートパソコンを開くと、ゴソゴソとバッグの中を漁った。
そんな彼を横目にウェットティッシュを手に取るとヒラリと一枚の紙が床に落ちた。レシートは財布にしまったはずだが、なんだろう。腕を伸ばして拾い上げるとそこには可愛らしい文字が連なっていた。
"いつも見てます。よければお友達になってください。これ、daylogのIDとチャットアプリのIDです"
すごいな、こういうアプローチ方法マジであるんだ。丸く書かれている英数字を眺めてから顔を上げると隣の渡会へ紙を差し出した。
「渡会、なんか連絡先、が…………」
そこで言葉を途切らせると、目を開いたまま固まってしまった。渡会は俺の不審な動きに気付くと柔らかい笑みを浮かべて首を傾げた。
「なに?」
「め、眼鏡…………」
渡会が眼鏡掛けてる。あれ、視力悪かったっけ。俺の記憶ではどこかの民族並みに視力が良かった気がするけど。
次の言葉が浮かばず口をパクパクと動かしていると、渡会は「あぁ」と呟いてから掛けていた眼鏡を外した。
「ブルーライトカットの眼鏡。つい最近、父さんから貰ったんだよね…………変?」
渡会はまた眼鏡を掛け直すと、ジッと俺を見つめてきた。眼鏡フェチではないが、こんなにもかっこよく見えるものなのか。
「へ、変じゃない。かっこいい」
「ありがと」
渡会は笑みを浮かべると、俺が手にしていた一枚の紙に目線を落とした。
あ、そうだ。これを渡さないと。
「多分ここの店員の子かな……連絡先書いてある」
「日置宛じゃなくて?」
「いつも見てますって書いてあるから渡会宛だよ」
「へぇ」
スッと渡会の手に収まった紙は可愛らしい文字を読まれることなく、綺麗に折りたたまれてバッグの中へと消えていった。
「え、見なくていいの?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって、連絡取る気ないし」
「そ、そう」
興味無さそうな横顔に頷くとピリッとミルクシロップの蓋を開けた。安心したような、渡し主の女の子が可哀想のような、モヤモヤとした感情が渦巻いた。
クルクルとコーヒーを掻き混ぜるとチラッと隣を窺った。渡会はタブをいくつか開きながら慣れた手つきでタッチパッドを操作している。
話しかけていいのだろうか。久しぶりだから、以前のような感覚が掴めない。コーヒーを一口飲み込むと、クイッと渡会の袖を引っ張った。渡会は一度作業を止めると俺へと目を向けた。作業を止めたかったわけではないので、慌てて首を振る。
「あ、作業はしてていいよ」
「うん……?」
「その……作業中に話しかけてもいい?」
「今まで通りでいいけど」
「あ、うん。ごめん」
今まで通りってどうするんだっけ。
三週間前の俺ってどんなだっけ。
緊張で恋人との距離感を忘れてしまい、おもむろにコーヒーを掻き混ぜた。渦巻いた表面が落ち着く頃、また隣に視線だけ向けた。
「ここってよく来るの?」
「いや?今日で……三回目くらい」
「さ、三回?だけ?」
「うん」
渡会はキーボードを鳴らしながら頷いた。
三回目で"いつも見てます"と書かれるのか。それほど渡会の印象が強かったのか……もしくは同じ大学の子か。どちらにせよ、渡会がモテている事実は変わらない。
やっぱイケメンってすごいな。デニッシュサンドを手に取るとパクリと一口含んだ。お腹が空いていたからか、なんだかすごく美味しく感じる。
食べながら喋るわけにもいかず、スマホを弄りながら食べることも出来ず、街行く人並みを眺めていると頬に何かが触れた。触れた先を追えば、渡会が紙ティッシュを畳んでいた。頬にソースか何か付いていたらしい。
「ありがとう」と喋ることが出来ず微笑むと、頬杖をついた渡会はニコリと笑みを浮かべた。チラッと目線をパソコンのスクリーンに向ければ、文字が羅列された画面のまま止まっている。
終わったのかと渡会に目線を向ければ、左右に首を振られた。
「今は保存中」
「ふーん」
口の中のものを飲み込むと、鼻奥で返事をした。
やけにジッと見つめてくる渡会に、まだなにか口周りに付いているのかとペロッと舌で口端を拭うと、目の前の渡会は頬を緩めて笑った。
「もう付いてないよ」
「そう?」
「それ美味しい?」
「うん。渡会も食べる?」
そう言いながらデニッシュサンドを差し出したところで背後からテンションの高い声が俺達の間を割って入った。
「あれ?!紬嵩じゃん〜!」
「やほ〜!何してんの?レポー……ト?」
ギャル、の一歩手前みたいな派手髪の女の子二人組は渡会の顔を見るなり頬を染めて固まった。眼鏡は学校では掛けないらしく、余程珍しく映ったらしい。
それより俺は名前呼びに引っかかったのだが、そんなことは露知らず、二人の女の子は黄色い歓声を上げた。
「うそ!普段メガネなん?!」
「えっ、ギャップ?ヤバ!」
「ごめん、迷惑になるから静かにしてくれない?」
渡会は周りを気にしながら、掛けていた眼鏡を外した。
女の子達は「ごめ〜ん」と手を合わせると俺をチラッと窺った。けれど、それだけ。特に挨拶を交わすことなく女の子達の目線はすぐに渡会に戻った。
俺も椅子に座り直すと、要が済むまでスマホを開いた。
「よくここ来るの?」
「今日部活ない感じ?」
いいな、渡会と共通の話題があって。
いいな、渡会と毎日会えて。
スマホの画面を眺めながら女の子達の会話を聞き流していると、若干不機嫌な声が隣から聞こえてきた。
「……悪いけど、今日中にレポート提出しないといけないから。またね」
「ごめんごめん!お邪魔しました〜」
「また明日ね〜」
女の子達も渡会の不機嫌を感じ取ったのか、パタパタと階段を降りて行った。その後ろ姿を見送ってからスマホを閉じると、申し訳なさそうに眉を下げる渡会が映った。
「ごめん。気分悪かったよね?」
「ううん、全然」
「もうすぐ終わるから、そしたらご飯行こ」
「あのさ、紬嵩」
「…………え?」
渡会はカップを取った手をピタリと止めると、驚いた表情のまま俺を見つめてきた。
「って、呼ばれてるの?」
「……あぁ、あれは、勝手に呼ばれてる、だけ」
「そ、そっか」
俺の気にしすぎか。てか本当に最近は女々しくてどうかしてる。
恥を隠すようにコーヒーを飲むと、隣からトントンと肩を叩かれた。顔を向ければ今度は期待したような表情の渡会が目に映る。
「もう一回、名前呼んでみて。お願い」
「え、うん。紬嵩」
「もう一回」
「紬嵩……」
あれ、なんかこれデジャヴな気がする。修学旅行でもこんなやり取りしたぞ。
「覚えてるか分かんないけど、修学旅行でも名前言わされた気がする」
「……うん。言わせた」
「その時は"まだ苗字のまま"って言ってたけど。それは今も?」
「名前で呼びたい?」
「まぁ、そろそろ……」
名前で呼び合ってもいいのではないか。そう口にしようとすれば、目の前の渡会は意地悪そうに笑った。
「朝陽」
「んぇ」
「朝陽の好きなほうでいいよ。今日から名前で呼び合う?」
「あ、いや……その……」
「耳真っ赤だよ、朝陽。名前呼ばれて恥ずかしくなったの?」
「……いい……も、もう、いい」
「名前呼ばれたかったんじゃないの?……あさ、ひ」
「「……………………」」
散々揶揄ったのに、最終的に恥ずかしくなったのか渡会も耳を朱に染めて俯いた。何これ、クソ恥ずかしい。
同士討ちの状態に顔を覆うと、パタンと何かが閉じる音が聞こえた。顔を上げて指の隙間から隣を窺うと、目線を逸らしたままの渡会がスッと階段を指差した。
「…………ご飯行こ、日置」
「…………行く」
もうレポートは終わったのか、とか。デニッシュサンドは食べなくてよかったのか、とか。色々聞きたいことはあったがあまりの熱に全て飛んでしまった。
名前呼びの破壊力、マジでやばい。
*
ガラガラと引き戸を開けると、涼しい夜風が体を包んだ。昼はまだ陽射しが強いけど、夜はちょうどいい。
満腹になった腹を摩ると、フッと息を吐いた。デニッシュサンドを食べた後に竜田揚げはさすがにキツかったか。結局、完食できずに渡会にパスしてしまった。
「そこで止まると邪魔になるよ」
「あ、ごめん」
慌てて一歩踏み出すと、戸の閉まる音が耳に届いた。振り返ればバッグを背負い直す渡会が目に入る。
「奢ってくれてありがと。あと俺のぶんも食べてくれてありがと」
「どういたしまして。やっぱデニッシュサンド重かった?」
「うーん……いけると思ったんだけど。胃袋小さくなったかも」
返事をしつつ街並みに目を向けると、平日にしては多い人混みに驚いた。俺の最寄り駅より栄えている気がする。
あ、あそこなんだっけ。たしか、姉が好きなブランドの……
「車来てるよ」
いきなり腕を引かれたかと思えば、車が横を駆け抜けて行った。バクバクと音を立てた心臓を落ち着かせると、隣を見上げる。
「ごめん、助かった」
「あとは帰るだけだから、もう少し頑張って」
「え」
「学校終わってすぐ来たんだよね?疲れてない?課題にも付き合わせちゃったし」
心配そうな渡会の表情に胸が痛んだ。
むしろ疲れているのは渡会のほうではないのか。忙しい時間を割いて「会いに行きたい」という俺の我儘を聞いてくれているのだから。
帰りたくない。まだこの時間が続いてほしい。けれど、そんな我儘は言えない。言ってはいけない。渡会を困らせたくない。
「疲れてはないけど……でも、渡会の家も久しぶりだから、ちょっと楽しみ」
「期待するほど綺麗じゃないよ」
「俺の部屋はやばいよ。足の踏み場ない」
「掃除手伝いに行こうか?」
「いやいや、闇鍋の部屋バージョンだから危ないよ」
「ははっ!何それ」
改札に繋がるエスカレーターに乗れば、サラサラの髪を靡かせる頭を見つめた。渡会を見下ろせるのはこういう機会しかないから、なんだか新鮮に感じる。
「渡会、身長どのくらいになったん?」
「あー……ちゃんと測ってないけど、180……2とか3くらいじゃない?」
「守崎とどっちがでかいの?」
「さぁ?あいつのほうが低いんじゃね」
そう言って渡会は俺を見上げると、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。子供っぽい笑みを浮かべる渡会に笑いを溢すと、エスカレーターを降りてホームを目指した。
「そういえば、あれ知ってる?"どうぶつの木林"」
「あぁ、smitchの?」
「そうそう。あれ、面白いんだって」
「誰に教えてもらったの?」
「大学の友達」
「ふーん……smitch持ってたっけ?」
「うん、引っ越す時に実家から持ってきた」
ホーム先発に立つと電光掲示板を見上げた。各駅停車はあと十分程で到着するらしい。
「日置って意外とゲームするんだ」
「あれ、意外だった?」
「そういう雰囲気無かったから分からなかった」
「そう?中学の時は辻谷たちと結構ゲームで遊んでたよ」
「あぁ……だからカートゲーム上手かったんだ」
「少しだけね。高校の時は渡会たちが色々外に誘ってくれたからあんましなくなったけど」
「そっか……知らなかったな」
渡会は小さく微笑むと、線路の奥を見つめた。
電車、来たのかな。つられて線路に目を向けるが、まだヘッドライトの光さえも見えなかった。
「…………俺も買おうかな」
「ん?」
渡会の声が上手く聞き取れず、隣を見上げると複数の男女の声が背に掛かった。
「うっす、渡会〜!」
「お疲れ〜!まだ帰ってなかったの?」
振り返ればジャージに身を包みスーポーツバッグを肩に下げている複数の男が目に入った。その男達の壁の後ろから華奢な女の子が二人こちらを覗いている。
「お疲れ様です」
渡会はペコッと頭を下げると、「部活の先輩達」と小声で伝えてきた。
あの通話の向こうから聞こえてきた声はこの人達だったのか。しばらくジッと見つめていると、一人の先輩が目線を寄越してきた。
「友達?」
「あ、はい。初めまして」
「どーも。どこの学科?」
「あ、いや、俺は……」
「この子は同じ大学じゃないので」
返事に躊躇っていると、先に渡会が口を開いた。肯定するように首を縦に振れば、先輩達は「へ〜」と各々呟いて話題を移した。
また気まずい空気に一歩後ずさる。先程の女の子達ならまだしも、先輩の前でスマホを開くわけにはいかない。暇を潰すようにホーム内に目を移せば、耳だけ会話に傾けた。
「てか、ミスターコンエントリーしないの?」
「しないですよ、目立つの好きじゃないんで」
「もう充分注目の的だよ〜!私の周りの子達はみんな渡会くんに投票するって言ってたよ」
ミスターコンって学園祭か。
ああいうのって推薦かと思ってたけど、自分からエントリーするもんなんだ。てか、早く電車来ないかな。あとどのくらいだろ。
「先輩達ってこっちのホームでしたっけ?」
「いや?俺らはあっちの上り線、たまたま渡会見かけたから」
「んなことよりさ!今噂になってんだけど、芽衣ちゃんと付き合ってるってマジ?」
広告パネルや自動販売機を眺めていた視線をピタリと止めると、隣に立つ渡会を映した。渡会は戸惑う様子も、焦る様子も見せずに先輩達に首を振った。
「付き合ってないです」
「んだよ〜。脈もなし?」
「……はい」
「えー!めっちゃお似合いだと思うけどな〜。芽衣ちゃんめっちゃ可愛いし」
「マネージャーと部員のカップルとかよくあるもんな」
先輩達は面白みを求めているのか、なんとか二人をくっ付けたいのか、芽衣という女の子を口々に褒めだした。
可愛いだとか、気遣いができるだとか、料理が上手いだとか、実家が太いだとか……全て俺に持っていない内容ばかりで更に気分が重くなった。気を紛らわせたいのに、俺の目は渡会から固定されたまま外すことは出来なかった。
当の本人はチラッとまた線路の奥を窺うと、盛り上がっている先輩達を差し置いて口を開いた。
「てか、俺好きな子いるんで」
「「「えっ」」」
一瞬、静寂が俺達を包むと、パーッと電車のクラクションの音がホームに響き渡った。同時に背後で風が巻き起こる。
「じゃあ、俺はここで。お疲れ様でした」
渡会に腕を引かれて乗車すると、ポカンと口を開いて固まっていた先輩達は魔法が解けたように一斉に喋り出した。
「ちょっ!その話詳しく!」
「え!だれだれ?!」
「ヒントだけちょーだい!」
「明日詳しく聞かせて!」
盛り上がる先輩達を残して、プシュー、と扉が閉まると一定のリズムで電車は走り出した。
車両の隅に身を収めると、控えめに渡会を見上げた。
「な、さっきの好きな人って……」
「一人しかいないけど」
「いや、そうじゃなくて」
「日置は知ってる?俺の好きな人」
「そんなん…………」
"俺だろ"と言いかけて口を噤んだ。
危ない危ない。引っかかるところだった。きっと、渡会は自惚れている俺が見たくて揶揄っているだけだ。
「そ、それよりさ」
「俺の好きな人当ててみてよ。日置なら絶対分かるよ」
「もう分かったから……」
「じゃあ答え合わせ。で、誰?」
「……言わないと次の話いけないの?」
「うん」
渡会は真っ直ぐ俺を見つめたまま即答すると、続きを促した。
渡会って、時々子供っぽいよな。仕方ない、ここは少し大人な俺が折れて渡会を満足させるしかない。
とは言え、恥ずかしいもんは恥ずかしいので周りを確認したあと、
「…………………………おれ」
と小さい声で自分を指差した。
恥ずかしさに眉間に皺を寄せると、目の前の渡会はニコリと微笑んでから周りの死角になる位置で俺の手を握った。
「正解」
「……うん」
「それ、忘れないで」
「え?」
「俺が日置のこと好きだって忘れないで」
そう言って渡会は手を離すとまたニコリと微笑んだ。
忘れるもなにも。分かりきりすぎていて逆に忘れるほうが難しい。
渡会の意図が汲み取りきれないまま頷くと、ちょうど最寄駅の名前が車内放送を通して聞こえた。
まだ数え切れる程度しか訪れていない駅に降り立つと、人の波に紛れて改札へ向かう。ポケットからパスケースを取り出すと、隣を歩く渡会を見上げた。
「それで、話の続きだけど」
「うん」
「"好きな人いる"って、言って良かったの?」
ピッと音を立てて改札を出ると、北口の標識を目指して歩いた。紅葉のポスターを横目に階段を降りると久しぶりの光景に目を細めた。
「間違ってないよ。嘘じゃないし」
「それは、そうだけど……さっきみたいにめっちゃ詰められるじゃん。いいの?」
「今までとあんまり変わんない」
徐々に住宅街になる景色を背に、渡会は呆れたような溜め息を吐いた。
「そ、そっか……」
本当は付き合っている相手が女の子ならこんなに過ごしにくくないんだろうな。
渡会は恋人がいるか、いないか気になるほど人気なわけで。でも、相手が男で、俺だから言いづらいわけで。
考えれば考えるほど渡会に申し訳なくなってくる。
「……あの、さ」
「ん?」
「大学入ってからどのくらい告白されたん?」
今日のたったニ時間程度で渡会がモテることは嫌というほど見てきたのに、結果なんて想定がつくのに、そんな質問をしてしまった自分に苦笑してしまう。
「それ聞いたら安心すんの?」
「えっ」
「心配しないで……って言うだけじゃ信じてくれない?」
「あ、いや……」
「俺が好きなのは日置だけだよ」
そう言って優しく微笑む彼に頷くことしかできず、街頭に照らされる二つの影を見つめた。
すると突然、頬をふにっと摘まれた。顔を上げれば渡会は眉を下げて笑っていた。
「そんな悲しそうな顔しないでよ」
「してないよ」
「もうすぐ着くから早く風呂入って寝よ」
渡会は頬から手を離すとバッグからキーケースを取り出した。気が付けばすっかり住宅街だ。あの公園を曲がれば、あとはもう目と鼻の先に渡会の住むマンションがある。
また一つ終わりを迎えてしまった。
マンションの敷地内のライトに照らされる端正な横顔を見つめると、なんとなく口を開いた。
「この前使ってた入浴剤ある?レモンっぽい匂いのやつ」
「え?もう使い切ったけど……気に入ったの?」
「うん、どこで買えるん?」
「あれ貰い物だから、あとで親に聞いてみる」
「あぁ、そこまでしなくても……」
「いいよ、全然手間じゃないから」
渡会はそう呟きながら慣れた手つきでポスト内を確認すると、ダイヤル回して中から数枚のチラシを取り出した。
自動ドアを通過して、エレベーターに乗り込むと"5"のボタンが点灯する。
「入り口結構しっかりしてるのにオートロックじゃないのが不思議なんだけど」
「オートロックあったらここに住んでないよ」
「家賃高くなるから?」
「そう」
「ふーん」
ぐんぐん進む階層を眺めながら頷くと、控えめな音と共にドアが開いた。そこでなぜか忘れていた緊張が走った。
渡会の背を追いながら、気を紛らわせるように外廊下の柵越しに見える街並みに目を向けた。駅から少し離れているからそれほど明るいわけではないけど、点々とした灯は静かに夜を照らしていた。
柵外から目を外すと、ガチャンと鍵の開く音が耳に届いた。
「どうぞ」
「お、お邪魔します」
渡会の横を過ぎて部屋に踏み込むと、不思議と肩の力が抜けた気がした。なんというか、変態っぽいけど、渡会の匂いに包まれて安心する感じ。
「入らないの?」
「えっ、あ、ごめん、なんか気が抜けて」
「大丈夫?本当に体調悪かったら……」
「あ、違う違う。匂いに安心した、と、言うか…………ごめん、今の忘れて」
思ったことをそのまま言葉にしてしまって、恥ずかしさに顔を伏せた。逃げるように靴を脱ぐと、そそくさとリビングを目指す。家主より先に上がっちゃったけど、まぁいいや。
「日置」
リビングへ通じるドアノブへ手を掛けると渡会の声が俺を引き留めた。
「な、なに?」
「先に風呂洗うから俺の荷物も持って行ってくれない?」
「あぁ……分かった」
来た道を戻れば渡会の手から荷物を受け取ろうと、腕を伸ばした。
その瞬間、体が前に傾いたかと思えば温もりが体を包んだ。抱き締められたと気付いたのはそれから三秒後。
行き場を無くした手がやっと渡会の背中に落ち着いた時、耳元で微かに笑う声が聞こえた。
「三週間でこうなら、もっと期間が空いたらどうすんの?」
「……………………我慢できるよ」
「本当に?」
「……ん」
「俺は我慢できそうにないけど」
その言葉と同時に、踵が浮きそうなくらい強く抱き締められた。けれど痛くない。むしろ幸福感に満ちた。
俺だって我慢したくない。それでも、口にしたら止まらなくなりそうだから言わない。
応えるように背中をポンポンと叩けば、隣人らしき人のドアを開ける音が聞こえた。別に見られた訳ではないのに、体は反射的に渡会の胸を押した。
「も、もう遅いし、風呂入ろう」
「うん。引き留めてごめん」
「それは全然いいんだけど……荷物持ってくね」
自分と渡会の荷物を抱えてリビングを目指すと背後で扉の開く音が聞こえ、しばらくするとシャワーの音が耳に届いた。
リビングに足を踏み入れると勝手知ったる行動で荷物をソファ端に置いてグルリと部屋の中を見回した。
最後に来た時と変わらない。綺麗じゃないとか言っていたけど、俺からしたら充分綺麗だ。
キッチンで手を洗ってからソファに腰を下ろすと、背もたれに頭を預けた。白い天井を見つめていると徐々に瞼が落ちてくる。疲れていないと思っていたのに、体は正直なのかもしれない。
「大丈夫?眠い?」
声の主へ目を向けると、開けっ放しにしていた扉を閉めながら渡会は優しく微笑んでいた。そのままキッチンへ向かう背中を追うと、水の音やグラスの重なる音が聞こえてくる。
「座ったら眠くなってきた」
「なんか飲む?」
「んー、水貰う」
上体を起こしながら頷くと、グラスを二つ持った渡会は右手に持っていた方を俺に手渡してきた。
「ありがと」
「気を付けて、飲めなそうだったら飲ませるけど」
「そこまでヘロヘロじゃない」
「はは!そうだね」
渡会は立ったまま一口水を含むと、ローテーブルにグラスを置いた。
座るかな、と体をずらしたが、なぜか渡会はクローゼットへ足を向けた。
「日置、服いる?」
「え、服?」
「うん。もしよかったらだけど」
「見てもいい?」
「いいよ」
渡会はクローゼットから収納ボックスを取り出すと、ローテーブルをずらしてラグの上に服を並べた。何度か見たことある服や、帽子やベルトなどが散りばめられる。
ソファから降りてラグに座るとなんとなく近くのパーカーを手に取って広げてみた。やはり体格や身長が違うからサイズも若干大きい。まぁ、上着とかならサイズデカくても大丈夫だろう。ジーンズは脚の長さが違うから無理かもしれない。
何着か目星をつけると渡会を見上げた。
「着てみてもいい?」
「ん。どうぞ」
渡会が頷いたのを確認するとトレーナーの裾に手を掛けた。頭を抜こうとするとパチパチと音が鳴る。
「髪、立った?」
「うん、ちょっとね」
渡会はそう言って笑うと俺の頭に手を伸ばした。髪を直すのではなく、完全に撫でる仕草だけど気にせずにパーカーに腕を通す。渡会の手が離れたタイミングで頭から被れば、柔軟剤の香りが鼻を擽った。
やはりサイズは少しだけ大きいが、着れないことはない。着心地を確認した後に渡会を窺うと少しだけ腕を広げてみせた。
「どう?」
「うん、似合う」
渡会は嬉しそうに頬を緩めると、立ち上がって立て鏡を移動させた。俺の前まで持ってくると「確認どうぞ」と言うように目を向けてくる。
俺も流れで立ち上がったものの、いざ確認しようと思うとぎこちなくなる。変に体を動かしてから助けを求めるように渡会を見ると、その手には何着か服が抱え込まれていた。
「日置、こっちも着てみて」
「分かった」
「それは気に入った?」
「うん。貰っていい?」
「いいよ」
「ありがと」
着ていたパーカーと交換して受け取ったタートルネックのニットに腕を通すと、先程のパーカーとは違って体にフィットする感じがなんだか落ち着かない。と言うか、あまり着ない系統だから余計に違和感を覚える。
「これってこのままなん?」
「まぁ、そのままでもいいけど」
渡会はカーディガンのような上着を手に持って背後に回ると、パッと広げて腕を通すように促してきた。素直に袖に腕を通すとボタンを留めて鏡の中の自分を見つめた。目線を上げると満足そうに笑みを浮かべる渡会が鏡越しに窺える。
「……似合う?」
「うん。すごく可愛い」
「あ、ありがと」
「ちょっと待って、まだ脱がないで」
渡会はそう言ってラグの上に散らしていた帽子の中から黒いベレー帽を手に取ると、俺の目の前に立って器用に被せてきた。
スタイリングを任せている間、することもないので袖をいじっていると前髪を整え終えたらしい渡会が満足気に口を開いた。
「日置、ベレー帽似合うね」
「そう?」
「うん、めっちゃ似合う。すごく可愛い」
「………………あ、りがと」
恥ずかしさに目線を逸らして礼を伝えると、渡会の肩越しにチラッと鏡を窺った。見慣れた顔だから似合うか似合わないかよく分からないけど、渡会が言うなら変では無いのだろう。
「あ、ごめん。邪魔だったね」
「ううん、大丈夫」
「あのさ、よければこれ一式全部貰ってくれない?」
「えっ、俺はいいけど……逆にいいの?」
「うん。元々捨てる予定だったし」
「そっか。じゃあ貰おうかな」
「ありがと」
「いや、こちらこそ」
今年の秋はなにも買わなくていいかもしれない。ラグに散りばめられた服やら小物を眺めていると風呂の沸いた音楽が流れた。
渡会は名残惜しそうにスマホの時刻を確認すると、ベレー帽を外した俺に向き直った。
「日置先にどうぞ」
「いいの?」
「うん」
「ありがと。あ、そうだ。部屋着貸してほしいんだけど」
「もちろん、いいよ」
渡会はクローゼットに向かうと、スウェットらしい上下セットを取り出した。
本当は泊まるための衣類も持ってこようと思っていたけど、渡会から「最低限の荷物でいいよ」と言われたので必要なもの以外全て置いて来てしまった。さすがに下着は持って来たけど。
「ちょっと大きいかも」
「大丈夫、ありがと」
渡会からスウェットを受け取るとバッグごと持って脱衣所へ向かった。
*
気付いたのは吸水マットに片足を乗せた瞬間。
「バスタオル借りるの忘れた……」
ポツリと呟いた声は静かな脱衣所に虚しく落ちる。周りを見回せば、バスタオルはなくともハンドタオルはストックされているのが見える。しかし、それで体を拭いていいものか分からない。
下手に動かないほうがいいと判断した俺は渡会に声を掛けることにした。多分、声を張ればリビングに聞こえるだろう。
そう思いつつ、ドアに手を掛けようとした瞬間、
コンコン
と、目の前の扉から音が鳴った。
「えっ?!…………っ!いって……」
普通に考えれば、渡会の家に来ているのだから勿論ノックをした主は渡会だと分かる。けれど、ビビりな俺はただのノック音に心臓を跳ねさせ、よろけ、壁に頭をぶつけた。本当に情けない。穴があるなら入りたい。
鈍い音を聞き取ったのか、扉の向こうの渡会は心配そうな声色でこちらの様子を窺ってきた。
「ごめん、驚かせちゃった……?」
「いや、これは俺が悪いから大丈夫」
「そ、そう?えっと……さっきバスタオル貸すの忘れてたから持ってきたんだけど」
「ありがと」
頭をさすりながらドアを開ければ、目の前から「えっ」と驚いた声が上がった。ボヤける視界のまま首を傾げれば渡会は気まずそうに顔を逸らした。
「…………俺、なんかおかしい?」
「い、や。おかしい、ていうか…………服……」
不安になって声を掛けると、渡会は顔を背けたまま強引にバスタオルを押し付けてきた。
服。その言葉で自分が今、一切布を纏っていないことを思い出した。
「あ、……ごめ、ん…………」
スーッと静かに扉を閉めると、バスタオルを抱えたまま放心状態で立ち尽くす。
状況が頭の中で整理されると途端に体に熱が走った。バスタオルに顔を埋めると声にならない声を漏らす。
別に男同士だし、渡会とは修学旅行で風呂に一緒に入ったこともあるが、それとこれとは話が違う。
冷えていく体温も気にせずゆっくりと体を拭き、服を着て、髪を乾かし、歯を磨いた。このあと、どんな顔をして渡会の所へ戻ろうか。ずっとそれだけが頭を埋めた。
最後に眼鏡をかけて、全ての身支度を終えると、扉の前で深呼吸を繰り返す。意を決して脱衣所から出ると重い足取りでリビングへ向かう。長く感じる廊下を経て静かにドアを開けるとバチッと渡会と目が合った。
「ふ、…………風呂、ありがと。あと、さっきは変なもの見せてごめん」
「俺は大丈夫だけど……こっちこそ変な反応してごめんね」
「渡会は悪くないだろ」
先程のことを思い出して頬を染めると、渡会はソファから腰を上げてこちらへ近づいてきた。手にはタオルや衣服が抱えられている。
「俺も風呂入ってくるね。さっき着てた服は袋に入れといたから、他にも欲しいのあったら持って行っていいよ」
「ありがと」
「……俺のも見とく?」
「えっ?」
「俺の裸も見とくかって」
「み、見ないって。早く行きなよ」
冗談を言う渡会の背中を押して廊下へ押し込めば面白そうに笑う声が静かな廊下に響いた。
こっちは恥ずかしい思いでいっぱいなのに……とはいえ、悪いのはどう考えても俺なのでどうすることも出来ず、ソファへ向かった。紙袋に入っている服を確認してからラグの上に目を向けようとすると、ローテーブルの上で何かが光った気がした。通り過ぎようとした目は渡会のスマホの画面に固定された。
『明日授業前にちょっと話せる?』
『この前教えてもらったところ分からなくて』
連投で送られてきたメッセージ。淡いフィルターがかかったプリクラ。顔の上にハートのスタンプが押してあり、明らかに男ではないアイコン。
「……この前ってなんだろ」
他人のメッセージを勝手に盗み見るのはどうかと思うが、その一文が引っ掛かってしまった。
その子と二人きりで勉強会でもしたのだろうか。渡会に限ってそんなことはないか……今日だってカフェで女の子達避けてたし。あれ、でもそれって俺の前だからだろうか。俺のいないところだと違ったりするのかな。
渡会と会って寂しさは減ったのに、不安は増えた。目に見える形で渡会が多方面から好かれているのを見ると心臓が痛い。
固定されていた画面からラグ上へ目線を移動させると、服を手に取って収納ボックスへと移した。ローテーブルを元の位置に戻すとソファに身を預ける。
自分のスマホをバッグから取り出し、見る気はなかった動画を流し始めると、雑談のようなラジオのような会話を聞き流す。内容はまったく入ってこない。
何分くらい経っただろうか。ボーッと画面を眺めていると、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。顔を向けることは出来ず、音だけで渡会の行動を追っていると足音は迷わずこちらに向かってきた。
「日置、そこで寝ると風邪引くよ。あっちの部屋行こ」
完全に俺が就寝モードに入っていると思ったのか、渡会は俺の肩を控えめに揺すった。
動画を流したまま顔を上げれば、左右に首を振った。
「まだ眠くない」
「それならいいけど……せめてブランケットとかかけなよ。まだ暖房いれてないし」
「ううん、大丈夫」
ブランケットを持ってこようとする渡会を引き止めると、チラッとローテーブルの上のスマホを窺ってから顔を上げた。
「あのさ、高校の文化祭で撮った写真持ってる?8人で映ってるやつ」
「持ってると思うけど……なんで?」
「大学の友達が見たいって」
「俺ら見てどうすんの」
「さぁ?なんか気になるみたい。みんなに聞いてる」
「……へぇ。あとで送るね」
「あ、今ほしい。忘れないうちに」
「分かった」
我ながら最低だなと思う。渡会があのメッセージを見て動揺するのか、隠そうとするのか気になって仕方がなかった。
密かな作戦は成功したようで、渡会は画面が上のままのスマホを手に取った。
固唾を飲んで見守る俺を他所に渡会は平然とロックを解除して画面をスクロールしている。
「(あ、あれ…………?)」
想像していたものとは違う反応に呆気に取られていると、スマホから顔を上げた渡会と目が合った。
「送ったよ」
「え、あ……ありがと」
「確認しないの?」
「あっ、する」
いつの間にかブラックアウトしていたスマホを開くと渡会とのトーク画面を開いた。そこにはしっかり文化祭準備期間に撮った8人が映る写真が送られていた。
再度をお礼を伝えようと顔を上げると、渡会は空になったグラスを抱えながら首を傾げた。
「それで大丈夫そう?」
「うん。ありがとう」
「ん」
渡会はニコリと微笑むとキッチンへ向かった。その背中を見送るとホッと息を吐いてソファに寝転んだ。
なんだ。なにもかも俺の考えすぎじゃん。
もしかしたら内心焦ったのかもしれないけど、顔に出ていない時点であのメッセージの重要度は高くない……と思いたい。
安心と共に息を吐くと、呆れたような声が頭上から聞こえてくる。
「そこで寝ないでってば」
「ごめんて」
「ベッド行こうよ」
「…………渡会」
「ん?」
「抱っこして」
身動いで体を上に向ければ、躊躇いなく腕を広げた。動きたくない気持ちもあるけど、今はなんだか渡会の体温を感じたかった。素直にハグしたいなんて言えないから、こんな赤ちゃんみたいなお願いになってしまうけど。
抱っこ待ちの状態で固まっていると、渡会は呆れるかと思いきや嬉しそうな表情を浮かべた。
「いいよ」
「ありが…………あっ、お姫様抱っこじゃなくて」
「こっちのほうが抱えやすいんだけど、その体勢だと」
「……普通の抱っこがいい」
「じゃあ一回立って」
「ん」
体を起こして渡会の首に腕を回すとヒョイと持ち上げられた。立った時点で歩いて行けという話なのだけど、そこは目を瞑ってほしい。
とは言え、寝室はすぐ隣なので扉を開ければ到着。この距離をサボる俺は相当な甘ったれだ。
同じシャンプーの匂いや、心地よい体温に身を委ねていると背中に柔い感触が伝った。名残惜しく腕を解くと、カチッとサイドランプの点く音がした。淡いオレンジに照らされる部屋で、渡会は優しく俺の髪を梳いた。
「リビングの電気消してくる」
「うん、抱っこしてくれてありがと」
「全然いいよ」
渡会は頬を緩めると、ギッと音を立ててベッドから出て行った。目で追う先の扉の向こうが暗闇に変われば、途端に一日の終わりを感じる。渡会と居れるのも残り数時間。
眼鏡をサイドテーブルに乗せると、パタンと扉の閉まる音が聞こえた。しばらくしてもう一人分の重みでベッドが音を上げる。隣に寝転んだ渡会を見上げれば、なぜか寂しさが込み上げて来た。渡会は目の前にいるのに。
「渡会」
「うん?」
「もっかい……」
くっ付いてもいいか、抱き締めていいか、と口にしたいのに先程の抱っこをせがむように上手く言えない。
「おいで」
言いたいことを察したのか、完璧な渡会は俺の手を引いて長い腕の中に閉じ込めた。優しい手つきで頭を撫でられれば、脱衣所でぶつけた鈍い痛みなどどこかに飛んでいってしまった。
縋るように渡会の背に腕を回すと、嬉しそうな声が耳元で聞こえた。
「日置が甘えてくるの珍しいね」
「あ……迷惑だった?」
「なわけないじゃん。もっとわがままになってほしいくらい」
「……渡会は優しすぎるよ」
「日置だけだよ」
今死んでもいいな。
そう思うくらい幸せな感覚に瞼を閉じた。渡会の体温も、心臓の音も、何もかも全てが安心する。
徐々に薄れる意識に身を委ねれば、いつの間にか微睡の中へと落ちていった。
*
「日置、日置起きて」
薄明るい世界で渡会の声が聞こえる。体を揺さぶられ、ゆっくり瞼を上げればカーテンから差し込む光に目を細めた。
今、何時だろ。手探りでスマホを探すが見つからない。そういえば、昨夜ソファの上に置きっぱなしにしてしまったか。
体を起こして布団を被ったまましばらく静止していると、バタバタと騒がしい音が耳に入る。眼鏡を手に取って扉へ目を向ければ、寝起きとは思えない爽やかな笑みを浮かべた渡会と目が合った。
「おはよ」
「…………はよ」
「起きたてで悪いんだけど、電車あと15分」
「…………え?」
「10分で支度できる?」
「……ん、え……?…………えっ?!」
状況を理解できないまま布団から飛び出すと、脱衣所に駆け込んだ。雑にスキンケアを施すと、下地だけ顔に塗った。姉二人から清潔感は大事だとかなんとか言われまくった末に大学生になってから逆に塗らないと落ち着かなくなってしまった。幸い、渡会も見た目には気を遣うタイプだし仲里達も同様なので引かれることはなかった。辻谷達も好感度が上がるなら、と言っていたけど今も続いているかは分からない。
「あ……着替えてなかった」
今更思い出して一旦リビングへ戻るが、昨日着ていた服が見当たらない。ある程度探したあとに腕時計を身に付けている渡会の背を叩いた。
「渡会、俺の服知ってる?」
「あ、ごめん。洗濯機回しちゃったから俺の着て」
「うん。服、どこに」
「これ」
手渡された衣類を目に留めると急いでスウェットを脱いですっぽりとトレーナーを頭から被った。問題のズボンは絶対裾が余ると思っていたのに案外履けた。普通に考えればそんなことはあり得ないのに寝起きの脳では何も考えられない。
「日置、寝癖直すからおいで」
「うん」
手招きされて再び脱衣所へ戻ると、髪は渡会に任せて俺は歯ブラシを手に取った。歯を磨きながら鏡越しにドライヤーをかける渡会を窺えば、スイッチを切ったタイミングで視線が交わった。反射的に目を逸らすと頭上から笑いを溢す声が聞こえた。
なんやかんや俺が歯磨きを終えた時には、アイロンもヘアスプレーも掛けれてしっかりセットされた状態だった。
「ありがと。渡会はいいの?」
「俺は日置送ったら戻るから大丈夫」
「そっか」
「もう行ける?」
「行ける」
リビングに戻ると、スマホをポケットに突っ込み、荷物を抱えた。周りを見る限り忘れ物は…….あ、そうだ、貰った服を持っていかないと。ソファの上の紙袋を手に取ると急いで玄関へ向かった。
靴を履きながら玄関のドアノブへ手を掛けようとすると、鍵を手にした渡会が「あ、待って」と俺の手首を掴んだ。プシュッと音が立てば、爽やかな香りが鼻をくすぐった。
「首にも付けて」
「うん」
渡会の動作に合わせて手を首に持っていくと、嬉しそうに渡会が微笑んだ。いつも渡会が纏っている香りに自然と俺も笑みを溢す。
現実逃避も虚しく渡会は腕時計を一瞥すると、ガチャリと玄関を開けた。途端に冷たい空気が流れ込む。
「うわ、今日寒いかも。ちょっと待ってて、上着持ってくる」
「分かった」
部屋に戻って行く渡会を見送ってから玄関の壁に背を預けると、シューズボックスの上に置かれているカレンダーに目が向いた。シンプルな日付の表に、昨日の枠だけ黄色の丸が記されていた。
こういうところ可愛いよな、なんて思いながら次の月に捲ろうとするとパタパタと足音が聞こえたので慌てて手を引っ込めた。
「大きいかもだけど、これ着れる?」
「え?俺もいいの?」
「え……当たり前じゃん」
渡会は不思議そうに首を傾げるとスタジャンを手渡してきた。てっきり渡会だけ上着を取りに戻ったと思っていた俺は、戸惑いながらもありがたく受け取って腕を袖に通した。無論、サイズがデカくて袖が余るけど変ではない……はず。
「なんか、渡会のものってだけでお洒落に感じる」
「何それ。日置はいつもかっこいいよ」
「可愛いじゃなくて?」
「あぁ、やっと自覚してくれた?」
「えっ、あ、ちが……いつも言ってくるから」
「もちろん可愛いけど」
「てか!早く行かないと電車乗り遅れる」
渡会を押し除けて玄関を開けると冷たい風が頬を撫でた。背後で鍵の閉まる音が聞こえると、振り返って渡会を見上げた。
「あと何分ある?」
「んー…………3分」
「えっ」
「走れば間に合う」
渡会はニコッと笑うと俺の手から紙袋を抜き取ってエレベーターではなく階段を目指した。その背中を慌てて追いかけると控えめに叫ぶ。
「もっと早く言ってよ……!」
「ごめんごめん。ギリギリまで一緒に居たくて」
「そっ……それは、俺も同じだけど…………てか叩き起こしてくれて良かったのに」
「日置一回起きたのに気付いたら寝てるし、寝顔可愛かったから」
「えっ、俺起きたの?」
「覚えてないの?俺のこと離さなかったのに」
「えっ、うそだ……そんな、えっ……マジ?」
「………………嘘」
「う……どっから嘘……?!」
渡会の冗談に振り回されて住宅街を駆け抜けた俺は、駅に着いた頃には息が上がって喋ることすらキツくなっていた。
「はぁ、はぁ……うぅ、きもちわる…………」
「大丈夫?」
「はぁ……だ、だいじょばない」
「水、買ってこようか?」
「う、ううん……へいき……」
渡会の腕を掴んだまま息を整えていると、頭上からホームアナウンスが流れた。別れを惜しむ時間も許されない。もっと早く起きるべきだった。
「じゃ、行くね、……またね」
「……うん、気をつけて。また連絡する」
渡会の腕を離してパスケースを取り出すと重い足を引きずって改札を通った。
帰りたくない。学校行きたくない。脳内では駄々を捏ねるが、出発時刻は刻一刻と迫る。
チラッと振り返れば渡会は寂しそうに眉を下げていたが口元は優しく微笑んでいた。引き返したくなる足を叱咤して手を振ると、ホームを目指した。
一生会えない訳ではないし。会いたくなったら俺から行けばいい。
ガラガラの車内で端の座席に腰を下ろすと、一件のメッセージが表示された。
『"バイト面接"今日19時30分』
カレンダーアプリからのメッセージで更に現実に引き戻された気がする。
「(…………面接だるいな)」
勢いでバイトを申し込んだのはいいが、今は後悔だけが募る。
けれど、これは自分のため。渡会からはもっと我儘になってほしいと言われたけど、きっと一人になった時の反動がデカい。現に気分は最低値を突き抜けているし。
ガタンガタンと揺れ始めた車内で、スマホを閉じると、ギュッと袖を握った。
渡会が居なくても大丈夫にならないと。
-続-