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始まりの終わり、終わりの始まり 後編

全体公開 3234文字
2024-01-09 12:41:26

電子書籍『雪原に星が歌う』第1部後の番外編です。説明は省きましたので本編未読の方にはなんのことやらさっぱりな感じかと思いますのでご注意ください。

 木々は葉を散らし、吸い込む息には刺すような冷たさが混じっている。獣たちは分厚い冬毛をまとい、食糧を蓄えて、恐るべき季節に備えていた。
 冬である。
 ふたりは歩き続けた。雪が降り、足首まで埋まる根雪となって、歩みは遅くなり、話すことも減った。
 エウレオーサは極端に口数の少ない男だが、ここ数日は言葉を発することもほとんどなくなくなっていた。何に張り詰めているのか、彼が話さない限りフレイトにはわからない。訊いてはいけないようで、彼女も何も言わず彼に従った。
 そして彼女の方にも、異様な変化が起こり始めていた。
 手足が重い。息が苦しい。雪には慣れているはずが、足がもつれ、つまずいては転び、エウレオーサに助けられた。昼間だというのに朦朧として、目眩を起こし歩けなくなったこともあった。
 いつしか彼女は自分たちがどのくらいイズキットから離れたのか、何か月経ったのか、いまどの方角へ向かっているのかもわからなくなり、ただ人形のように漂うだけになった。夜はエウレオーサの腕の中で泥のように眠り、かじかんだ手足を彼が懸命にあたためてくれたことも、耳元で名を呼んでくれたことも意識できなかった。眠りたい、眠りたいとそればかり考え続け、ほかのことは頭から滑り落ちていった。
 フレイトが弱っているにも関わらず、エウレオーサは歩みを止めなかった。何かに追われるように進み続けた。ついには荷も彼女も背負い、ひとりで歩いた。その頃のフレイトには申し訳ないと思う気力すらなく、なぜこんなに衰弱しているのかと疑問に思う余裕もなかった。
 その状態でさらに数日過ぎ、エウレオーサは唐突に足を止めた。フレイトがどうにか目を動かすと、ふたりの前に狼がいた。見たこともないような、輝く真っ白な毛並みの狼だった。あまりにも気高い姿に彼女は目を奪われた。
 エウレオーサが深くため息をつく。
「着いた。もう大丈夫だ」
 フレイトは驚いて顔を上げた。そういえば、少し気分がよくなった。呼吸も楽だ。重苦しかった手足も、随分とましになっている。
 着いたのは丘の麓だった。ぽっかりと木のない場所である。ほとんど消えかけてはいるが、何かの痕跡があった。かつては人が住んでいた土地なのかもしれない。
 狼は姿を消していた。あるいは幻だったのだろうか。エウレオーサは何も言わなかったが、明らかに安堵した様子だった。
 彼は急ぎ天幕を建て、フレイトを寝床に横たえた。心配そうにはしていたものの、一時のような息詰まる緊張感はなかった。
「何があったの? 私はどうしたの?」
 フレイトはやっとこれを訊けた。やっと疑問を抱いたというべきだろうか。
 エウレオーサは後にしてきた方角に一瞥をくれた。
「よくないものがお前の身体に入り込んでいた。俺にはどうすることもできなかった。安全な場所まで逃げるしか」
「どうすることもできないって……、あなたが?」
「姿のあるものならば戦える。だが、あれは違った。俺には触れられない」
「それは……悪霊、みたいなもの?」
 彼は頷いた。
 フレイトは悪寒を覚えた。決して寒さのためばかりではない。
「あの兆しを見た時にお前についたらしい。迂闊だった。あれはそもそも近づくべきものではなかったようだ」
「罠だったの?」
「そうだともいえるが、違うともいえる。兆しを見て隙ができたところに、それ・・が入り込んだ」
「でも、どうしてそんなことが起こったの? 私たちは何もしていないのに」
 エウレオーサはふと口を噤んだ。それから、つらそうに続けた。
「歓迎しないと言っただろう。あの土地のものは俺を嫌っていた。俺が死を背負っているからだ」
 それはつまり、フレイトに入り込んだものはエウレオーサを害しようとした、ということになるのだろうか。もしくは、遠くへ追いやろうとしたか。
 彼の手が頬に触れた。
「俺のせいだ」
「ううん、あなたは私を助けてくれた。ありがとう、エウレオーサ」
 むしろ彼の負担になっているのは自分の方だろうとフレイトは思う。エウレオーサひとりならば、何が来ようと入り込めなかったはずだ。弱い自分がいたから付け込まれたのだ。
 強くなりたい。彼と生きるために。
 気を取り直し、フレイトは周りを見回した。といっても、天幕の中では外は穏やかな天気だとしかわからなかったが。
「安全な場所って言ったけど、ここがそうなの? どういう場所?」
「わからない。どこか遠くへと思っているうちに、ここに辿り着いた。着いてからここを目指していたとわかった」
「あの狼が助けてくれたのかな」
 エウレオーサは<雪狼>である。狼――狼の姿をした神のような何か・・が、同族と見なし力を貸してくれたのだろうか。
「ここには力がある。祭りが行われていた場所かもしれない」
「ああ、そうか。ええと……『神様』のいる場所だ」
 ふたりが話しているのはシンディン語だが、シンディン語にはその単語が存在しない。神とはすなわち<運命>を指すからだ。そのためフレイトはそれをヴァンダリス語で言った。
「いまはもう誰もいないんだね」
「人はみなどこかへ行った。力だけが残っている」
 なぜ人がいなくなり、力、すなわち神だけが残ったのか。それもまた、フレイトたちには知りようもないことだ。
「しばらくここにいる」
 エウレオーサは言った。
「どのくらい?」
「長くなるかもしれない。少なくとも冬はここで越すことになるだろう」
「そう。いいね。私もここは好きになれそう」
 彼らを拒むものもあれば、手を貸してくれるものもある。不思議な旅だった。人間の思惑とは違う次元でことが動いていた。
 もしかしたら、自分たちは人の世界から離れていっているのだろうか。フレイトにはそんなふうに思えてならない。誰と交わることもなく、ふたりきり、人ではなく獣やそれ以外の何か・・とともに生きるのだ。
 帰る道はない。
 外で足音がする。さっきの狼だろうか。普通ならば恐怖を覚える状況だが、フレイトは落ち着いていた。
 エウレオーサが何も警戒していないから。彼にとって、それ・・は味方なのだ。
 いつかフレイトも彼と同じく感じるようになるだろう。人よりも獣に近い存在となって、さらに超えた、人ならざる何か・・に近づいていくのだろう。
 怖くはない。ひとりではないから。
 エウレオーサの胸に抱かれ、フレイトは眠りに漂っていった。頭上に輝く美しい星たちを、彼女は確かに見ていた。



終わり


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