カルみと
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
久々の公休に計画したデートは、黒煙と火災ベルのけたたましい音によって掻き消されてしまった。
「う"ー……目ぇ痛い…」
「擦ったらだめだよ。」
意思に関係なく零れ落ちていく大粒の涙を袖で拭った神無は、赤く充血した瞳を潤ませて唸る。
そんな彼の前方を歩く縞斑も、神無ほどではないが被れた肌と涙の滲む目尻を携えていた。
「…ついてないね。」
「そうだねぇ、まるで俺たち疫病神みたいじゃない?」
「縁起でもないこと言うなよ……」
街にデートへ繰り出していた彼らは、たまたまビル火災に居合わせてしまったのだ。
公休中である神無の元に出動の連絡は来なかったが、偶然居合わせたその現場を彼が見過ごすはずもなかった。
直ちにドロ課に応援を出して消火活動を促した神無の一方で、縞斑もまたスパローから応援を呼んで避難誘導に徹したのだ。
「火災発生は今から15分前、大量の催涙弾に発火してガスが発生したらしい。」
「やっぱり催涙ガスだよなあれ……じゃあ、テロってこと?」
「可能性が高いね。監視カメラにも見慣れない小型のアンドロイドたちが、この建物内に侵入するところが撮られてたらしいから。」
縞斑がスパローに指示をして辿ってもらった監視カメラには、複数のアンドロイドが催涙弾を設置して火を放つ様子が映っていた。
おそらく、ガスの影響を受けないアンドロイドを利用して犯行に及んだ人間が裏にいるのだろう。アンドロイドのことを物としか思っていない犯行の手口に、神無は思わず顔を顰める。
「最低……」
「まぁ催涙弾を設置してたアンドロイドたちも捕まったし、アサギリちゃんが到着次第ハッキングで命令を飛ばした人間は特定出来るでしょ。」
「さすがアサギリ、有能〜」
軽口を叩いて笑った神無は、ようやく止まった涙を拭って鼻を啜る。
周囲を見回せば、そこにはビルで仕事をしていた数十人の社員たちの姿があった。
駆け付けた神無が的確に避難誘導を行ったこともあり、逃げ遅れた者はいないようだ。幸いガスを深く吸った者もいないらしく、消防隊から処置を聞く彼らの表情はいくらか落ち着いて見えた。
「俺たちもガスを洗い流そうか。神無ちゃん、だいぶしんどいんじゃない?」
「あはは、訓練で一回体験はしたことあったけど…やっぱこれきついなぁ。」
肌や粘膜を刺すような痛みと強制的に溢れる涙は、ただの火災とは似て非なる恐怖を伴う。
訓練で経験をしている神無が恐ろしいと感じたのだから、何も知らない一般人たちの恐怖は計り知れない。
全員が無事でよかった、そう神無は内心で胸を撫で下ろしながら笑った。縞斑も同じ心境であるのか、その時ばかりは自身よりも一般人を優先する神無に目を瞑ることにした。
その時ふと、神無の耳に微かな悲鳴が届く。
「…?今なんか聞こえた……?」
顔を上げた神無が辺りを見回す様子を見て、縞斑も咄嗟に耳を澄ませて周囲へ目を配った。
「いや…聞こえないけど、」
「…ううん、絶対聞こえた。このビルから。」
縞斑には聞こえなかった声を確かに聞き漏らさなかった神無は、きっぱりと言ってビルにサングラス型コンピュータを向ける。
モニターを拡大して室内を探した神無は、やがてビルの窓のひとつに人影を見つけて息を呑んだ。
「だらだら先輩あそこ!6階の廊下!!」
焦った様子の神無を見て、縞斑も真剣に指の先を辿る。目を凝らした縞斑にも、どうにか窓を叩いている小さな影を確かめることができた。
「子供…?」
「いや…あの子、アンドロイドだ…!」
人影を更に拡大して確認した神無は、自身のコンピュータが対象をアンドロイドと判断したことを伝える。
同時に神無はその少年のアンドロイドが、監視カメラで目撃されていた催涙弾を設置して火を放ったアンドロイドの内の一体であることに気がついた。
「まだ建物内に取り残されてたんだよ!!」
「よく見えないけど…あの取り乱し方はおそらく、変異してるだろうね。」
必死で窓を叩いて声を上げているらしいアンドロイドの表情が、恐怖に歪んでいることに神無は気付いてしまう。
隣の縞斑にも、その小さな両手が叩く度に僅かに揺れる窓から、アンドロイドの心が著しく乱れていると感じ取ることができた。
おそらく炎と煙に巻かれた彼は、その恐怖のあまり変異してしまったのだろう。催涙ガスの影響は受けないが、熱はアンドロイドにとって大敵だ。
「あー…ちょっと君、化学防護服を手配できるかな?室内にまだ犯行に及んだアンドロイドが一体取り残されてるんだ。」
立ち尽くす神無の隣で視線を巡らせた縞斑は、咄嗟に近くで誘導を行う消防隊員へと声を掛ける。
驚いた様子で顔を上げた彼は、きょとんと目を瞬いて縞斑の言葉を噛み砕くと慌てて端末を確かめて口を開いた。
「これから手配を行うので、少なくともあと20分は掛かるかと…!」
「うーん……まずいな、20分も待ってたらあの階まで火が回る。」
炎は徐々に勢いを増していて、消火が追いつく気配もない。催涙ガスの処理によって、消火活動が手間取っていることも相まっているのだろう。
「あの熱じゃスタックがもたない…!」
アンドロイドの命にあたるスタックには、ボディより耐熱加工が施されている。
しかしそれも、あくまで日常生活における熱程度のもので、炎に長時間飲まれることまで想定して設計はしていないはずだ。
眉をハの字に寄せてた神無は、混乱して考えがまとまらない様子で縋るように縞斑を見上げる。
「先輩……」
「……無理だな、間に合わない。」
20分待機して化学防護服を手に入れたところで、ガスは防げたとしても炎に侵食されていたら人間は中へ立ち入ることができない。
幸い確保した他のアンドロイドから情報を辿れば、犯人の元へ辿り着くことができるはずだ。
「でも…!」
「20分後じゃ、仮にあの場所まで駆け付けたとしてもその後の脱出経路が残されてないよ。ミイラ取りがミイラになる。」
変異したアンドロイドを諦める選択は、スパローのリーダーである縞斑にとっても辛いものだった。神無も縞斑の苦渋の決断を理解しているのか、ぎゅっと唇を噛んで俯く。
取り残されたのはアンドロイドであり、人間ではない。それは世間一般から見れば『幸いなこと』なのだ。
「でも…そんなの、見殺しだろ……」
しかし、表情を歪めた神無や縞斑の考えは違った。
スタックが破損すれば、変異して手に入れた彼の人格はもう二度と元には戻らない。それは彼らにとって、死と同じ解釈なのだ。
肌を刺すように痛むあのガスの中を突っ切ることは容易ではない。訓練を積んだ神無たちだからこそ、その苦痛は手に取るように分かる。
窓を叩いて助けを求めるアンドロイドを見ていた神無はふと、足元にタオルが落ちていることに気がついた。
避難中に誰かが使ったらしいそれと、ガスを流すために用意された水を満たしたバケツ。それらを交互に見た神無は、やがて瞳に光を宿すと小さく頷いた。
「…神無ちゃん?」
神無はタオルを拾い上げると、徐にバケツの中にタオルを突っ込み水で湿らせる。
そんな彼の動作を見ていた縞斑は、嫌な予感を覚えて彼に声をかけた。絞ることなく口元を覆った彼は、縞斑が最も恐れていた言葉を口にする。
「俺、今から行ってくる!」
「な……っ、待て!!」
駆け出す神無の肩を縞斑は慌てて掴んだ。強い力で引き寄せれば、驚いた丸い紫の瞳が縞斑を見上げる。
「馬鹿ッ!やめろって言ってるだろ!!」
防護服を身につけないまま中に入れば、炎だけでなくガスを大量に浴びながらいつ崩れるかもわからない建物内をアンドロイドを探して走ることになるだろう。
アンドロイドだから諦めろとは言わないが、彼を助けるために人間である神無が大怪我を負えば、それは本末転倒だ。
「せんぱい、」
「…今俺は、恋人としても元刑事としても言ってるからね。」
頑張ることと無謀であることは全くの別物である。その区別もつかないほど神無はもう愚かではないはずだ。そんな意図を込めて自身を見下ろす翡翠の瞳は、心から神無の身を案じていた。
縞斑の思いは痛いほど理解できる。彼の過去を思えば、危険な場所へ向かおうとする大切な人を引き止めて当然だ。自分が彼にとってそんな存在であることも、神無は十分に承知している。
けれど、ここで諦めたら彼は死んでしまうじゃないか。神無は眉を寄せてきゅっと唇を噛んだ。
「でも…っ刑事が…!刑事が、助けてって泣いてる人のこと見ないふりなんてしちゃだめだろ!!」
「神無ちゃ、」
言い聞かせるように掴まれた肩を解いた神無の瞳には、自暴自棄の念も自己犠牲の念も見当たらない。ただそこにある希望の潰えない光に、小さく息を呑んだ縞斑は思わず腕の力を緩めてしまった。
その一瞬の隙を突いた神無は、迷わず駆け出すと扉を押し開けて建物の中へ飛び込む。
「ッ、三十一!止まれ!!三十一!!」
背後から聞こえる縞斑の声に止まりそうになる足を叱咤して、彼は炎渦巻く建物を駆けた。
「あつ…」
室内は神無の想像以上に火の手が回っている。充満するガスが一斉に神無の肌を刺すが、口を覆う濡れタオルのお陰で先ほどよりも幾分か余裕があった。
強制的に滲む涙を乱暴に拭った神無は、ただひたすら上の階を目指して炎を避けながら進んでいく。
アンドロイドの居場所を把握している以上、声を上げることはタオルを乾かしてしまうだけだと神無は最低限の呼吸を心掛けた。
「次の階…確か、右の廊下…」
幸いにも焼け落ちることなく残っていた階段を駆け上がった神無は、電子板に辛うじて表示された階数を頼りに目的の階の廊下を見回す。
サングラス型コンピュータが駆動音を鳴らして、神無の意思に応えるように捜索対象へ標準を合わせた。
探していたアンドロイドの少年は、火の回りが少ない廊下の隅で膝を抱えて震えていたのだ。
「みつけた…!」
神無の声を聞いた彼は弾かれたように顔を上げる。その頬は熱で溶けてしまったらしく、剥がれた皮の一部から青色の血液が滴っていた。
「っごめんなさい…ぼく、その…ごめんなさい、」
繰り返し謝りながら怯えた表情を浮かべるその姿に、神無は覚悟していたはずの恐怖がぶわりと体を舐める。
神無はアンドロイドが苦手だ。過去のトラウマから自身の心を守るべく、害を成す前に壊してしまおうという衝動に支配されてしまうほどに。
浅く息を吐いた神無は、ゆらりと後ずさろうとする足を必死で突っぱねた。震える腕に爪を立てて、何のためにここに来たのだと自身を奮い立たせる。
10年抱えたトラウマが今すぐに消えるとは思わない。けれど前に進まなければ、大切な人たちを再び傷つけてしまうかもしれない。
「…もう大丈夫だ。」
アンドロイドの少年の前に膝をついた神無は、視線を合わせて笑顔を作ってみせる。
「大丈夫だから、一緒に外に出よう。」
「……でも、ぼく、いいの…?」
不恰好な笑みだっただろうが、それでも彼の不安定な心を僅かに宥めることができたようだ。恐る恐る尋ねる彼の頭に手を伸ばした神無は、少しでも相手に思いが伝わるように撫でる。
「いいんだよ。君は悪くない、ちゃんと…俺たちが責任を持って守るから。」
変異体となる前の記憶が残っている彼は、自身が犯罪を犯して廃棄処分になることに対して怯えていた。
しかし、真に罪を問うべきはそれを命令した人間だ。彼らの身柄を、神無はどうにかしてスパローの縞斑の元へ預けるつもりでいた。
「ごめんなさい…ごめんなさい、ぼくは、」
神無の言葉を聞いた少年は泣きそうに表情を歪めて俯く。何度も謝る彼の顎を伝って地面に落ちる青色に、かつての記憶がフラッシュバックした神無は一瞬眩暈を覚えた。
ぐっと拳を握った神無は、自身の着ていたコートを脱いで少年を守るように包み込む。
もう謝らなくていいと言う代わりに、その上からぎこちなく抱きしめた神無が顔を上げたとき、二人の背後で廊下を駆ける音が響いた。
「三十一ッ!!」
廊下の先に膝をつく神無を見つけた縞斑は、タオルで口を覆ったまま声を張り上げる。
後を追ってここまで神無を探しに来たその姿に、目を丸くした彼は慌てて我に帰ると少年を抱えて手を振って見せた。
「先輩!見つけたよ!!」
駆け寄った縞斑は肩で息をして額に汗を滲ませながら、神無の腕に抱かれコートの隙間から不安げな表情を覗かせるアンドロイドへ視線を落とす。
そうして改めて顔を上げた彼は、笑みを浮かべる神無の体に怪我がないことを確かめると、ようやく安堵のため息を吐いた。
「…よくやった、早く外へ出よう。」
「うん!」
「その子預かるから、かして。」
「ありがとう…!このお兄さんが抱っこしてくれるから、もう大丈夫だからな。」
今すぐにこの場で無茶をした神無のことを怒鳴りたい気持ちは山々だが、一刻も早くこの場を離れるべきだ。
思い直した縞斑は、神無が震える腕で抱え上げようとする少年を取り上げる。
安心させるように神無が少年に声を掛ければ、彼はこくりと小さく頷いて縞斑にしがみついた。この数分の間に、アンドロイドを苦手とするはずの神無は少年から信頼を勝ち取ったらしい。
「急ごう、下はまだガスが濃いから。」
「うん…!!」
駆け出した二人は、外を目指して階段を駆け降りる。
あと数階降りることができれば外はもうすぐそこだ。そう希望を抱いた神無は、乾き始めたタオルに口を押し当てて涙を拭う。
しかしその瞬間、二人の目の前で轟音が響いた。
「わ、っ!?」
「まずい…!下がれ!!」
先を走っていた縞斑の声を聞いて咄嗟に数歩後ずさった神無は、焼け落ちた階段を前に青ざめる。
「階段が…!」
「下に降りるのは無理だな…屋上を目指そう。」
一階はガスと煙が充満して、至る所に炎が広がっていた。仮に飛び降りることができたとしても、外まで息を止めて駆け抜けることは不可能だ。
上に逃げてもいずれはガスと炎に巻かれてしまうが、今は少しでも安全な場所から救助を待つしか方法がない。
アンドロイドを片腕に乗せて抱えた縞斑は、もう片方の手で神無の手を取って上の階を目指す。
「けほ…っ、は……げほ、げほッ」
「神無ちゃん…!」
「っ…だいじょぶ、ちょっと煙吸っただけ、」
縞斑より先に建物内にいた神無の口を覆うタオルは、熱気と呼吸によってすっかり乾き切っていた。
ガスに喉を焼かれてしまったらしい彼は、何度も咳を繰り返しながら枯れた声で強がる。
「俺のコート着て、掴まって。上に登れば多少息ができるはずだから。」
「う、うん…」
屋上に辿り着く前に、神無が疲弊して動けなくなってしまうかもしれない。冷や汗を掻いた縞斑は、神無の肩に自身の着ていたコートを掛けると腰を引き寄せて支えるように階段を上がっていく。
こんなことになるなら普段から真面目に運動をしておくべきだった。ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す縞斑も、口を覆っていたタオルが次第に乾いていく。
「はぁ…っ、はぁ…」
「せんぱい…だいじょぶ、おれうごけるから、」
「悪いけど却下だ。今の君は、自分で思う以上に余裕がないからね。」
辛うじて意識を失っていない神無は、縞斑の負担にならないように自力で動こうと声を上げる。
しかし、いつ崩れるかわからない不安定な階段を慎重に上がるほどの集中力が神無に残っているとは思えない縞斑は、その申し出を却下して腕に力を込めた。
乾いた布越しに流れ込むガスが喉を焼き、激痛に肺が震える。コートを脱いで露出した肌を刺す痛みは勢いを増して、その一歩すら重くさせた。
「そろそろ、本当にきつい…な、」
縞斑たちの背後にはみるみる黒煙が迫り、吹き荒ぶ熱風に煽られて体力が削られていく。
頷くだけで精一杯の神無は懸命に足を動かすが、体力が尽きるのは時間の問題だった。
「…げほっ、げほ…はぁ……」
上階まで上がってきたが、屋上にはほど遠い。ガスの痛みに耐えかねて咳き込んだ縞斑は、一度足を止めて口元を押さえた。
屋上に上がったところで、黒煙によって一酸化炭素中毒に陥るかもしれない。そもそも、熱された鉄扉を開けることができるかすら危ういだろう。
ビルから飛び降りようにも高過ぎる。神無たちを抱えて落ちたとして、おそらくその衝撃は縞斑だけで庇いきれない。
「万事休す…か。」
思わず縞斑が乾いた笑みを浮かべた、そのときだった。
びしり。近くの窓ガラスに突然亀裂が入る。
頑丈なガラスに突如広がる蜘蛛の巣模様を目にした縞斑は、ガラスに食い込む弾丸の存在に気がついた。
「ショットガン…?」
怪訝な表情で呟いた彼は、まさかと窓ガラスの向こうへ目を凝らす。
誰かが、誰かを抱えてこちらに飛んでくる。
青い機体のアンドロイドに抱えられた白い機体のアンドロイドは、亀裂の入った窓ガラスを目掛けて迷わず両手に握っていた拳銃の引き金を引いた。
「ちょ、ッ」
咄嗟に縞斑は少年と神無を庇うように抱き寄せて背を向ける。
次の瞬間、盛大な音を立てて窓ガラスが砕け散った。飛び散る破片が縞斑たちを傷つけることはなかったが、意識が朦朧としていた神無もその音に思わず目を瞬く。
「え……」
「…まさか直接来るとは思わなかったよ。」
苦笑いを浮かべた縞斑は、神無と少年の無事を確かめて背後を振り返った。
そこには窓を突き破って軽やかに廊下へ着地したディーノと、そんな彼に背負われたまま拳銃を構えるアサギリの姿があったのだ。
「神無!神無っ!!」
「でぃーの…あさぎりも、なんで…」
「全く…手の掛かるマスターですね。」
ディーノは不安げな表情で疲弊した神無に駆け寄り、一方アサギリは脱出の方法も考えずに後を追いかけた縞斑のことを咎める。
突き破られた窓の向こうに視線を向けた縞斑は、反対のビルの窓も同じように割れ砕かれていることに気付いた。
「あはは…あっちから飛び移ってきたんだ?」
「えぇ、ディーノさんと私であれば渡れると判断したので。」
「うわぁ…当たり前だけど計算高い。」
「そうですね。少々見習ってはいかがですか?そうしていれば、私たちが駆けつけるまでは大人しく待てたでしょう?」
「ついでに手厳しい……」
普段より淡々とした声色で縞斑を詰める様子はおそらく、彼なりに心配と怒りが存在した証拠なのだろう。
丁寧に非を詫びれば、息を吐いたアサギリは小さく頷いて拳銃を腰のホルダーにしまった。
「それでは、外に出ましょう。」
「え、」
「行きますよ、神無。」
「へ…、え?」
縞斑の腕からアンドロイドを抱えたアサギリは、ひょいともう片方の腕で縞斑を俵抱きにする。同じくディーノに尻尾で抱えられた神無は、何が起こっているのか理解できず目を瞬かせた。
じゃり、と割れたガラスと彼らの靴が擦れる音を聞いた縞斑は、嫌な予感を覚えて熱でとっくに枯れたはずの冷や汗を流す。
「まって、アサギリちゃん…まさか、」
「喋ると舌を噛みますよ。」
「神無も、しっかり掴まっていてくださいね。」
「…え、まてまてまてうそだろッ!?」
回らない頭でようやく神無が相棒たちの考えを理解すると同時に、彼らは廊下を駆け出すと勢い良く割れた窓から外へ飛び出した。
黒煙を突き破って反対のビルに飛んだ後方のディーノは、両手にショットガンを構えてビルの窓を目掛けて弾丸を放つ。
前方のアサギリは亀裂の入った窓を迷わず蹴破ると、抱えたアンドロイドと縞斑のために衝撃を殺して着地した。遅れて辿り着いたディーノも、尻尾で巻いていた神無の体をゆっくり床に落とす。
「きょ、今日一番死ぬかと思った………」
「浮遊感気持ちわる…おぇ」
膝が笑って立てないまま目に涙を浮かべる神無の横で、三半規管が掻き回された縞斑は込み上げる吐き気に口を押さえた。
「無事で済んだだけ良いと思ってください。我々が来なければ死んでいました。」
怯える主人たちを見下ろしたアサギリはそう呆れた様子で呟くと、抱えたままのアンドロイドの顔を覗き込む。
びくりと怯えたように肩を揺らす彼の頭を撫でたアサギリは、小さく口元を緩めて見せた。
「もう大丈夫です。一緒に行きましょう。」
「う…うん……」
微笑むアサギリを見上げた彼は、神無たちの仲間だと判断した様子で大人しくこくりと頷く。飲み込みの早い彼を抱え直したアサギリは、未だ床に潰れる情けない主人たちに視線を向けた。
「それでは、私は先に彼をスパローへ連れて行きます。」
「僕は神無とだらだら先輩の救助を要請して来ます。ここで待っていてください。」
「あぁ…よろしく、ふたりとも。」
「ありがとう…アサギリ、ディーノ。」
アンドロイドを保護するために現場を離脱したアサギリと、外に助けを呼びに行ったディーノの背を見送れば、避難を終えたビル内には神無と縞斑がふたりきりになる。
人心地ついた神無はようやく、自身が縞斑の制止を振り切ってビルに飛び込み、挙句彼の言う通り脱出できず死にかけたことを思い出した。
「…あの、せんぱい……?」
「……まさかあんな無茶するとはね。」
「ご……ごめん…。」
取り残されて助けを求めるアンドロイドを、刑事として見過ごせなかったことは事実だ。
しかしそれ以上に、神無の脳裏には救うことができなかった大切な家族の姿が重なっていた。
兄のように慕っていた赤星のことを、神無は救うことができなかった。心のわだかまりとして残り続けるその罪悪感が、アンドロイドの少年を見た瞬間に爆発した。
けれど所詮それは、自身の罪悪感の慰めに少年を利用したに過ぎない。その狡さも理解して項垂れる神無を横目に、縞斑はゆっくりと言葉を続ける。
「まぁぶっちゃけ、今世紀最大くらいには怒ってるよ?」
「…うん。」
「今すぐ怒鳴りつけたいし、二度とするなって詰め寄って約束させないと気が済まないと思ってる。」
「ごめん……」
「あの事件の時と良い勝負かな。恋人になった分、今回の方がショックもでかい。」
「うわぁ…ごめん、ごめんなさい…ちゃんと反省するから……ほんとにごめん…」
建物の中に飛び込む神無を見たとき、縞斑は生きた心地がしなかった。
相棒たちへの連絡も忘れて後を追いかけて、ビルの中でアンドロイドを抱えて笑う彼を目にするまで、ずっと心臓が悲鳴を上げていたのだ。
大切な人を失う恐怖を縞斑に味わせてしまった神無は、申し訳なさそうに眉を寄せて何度も謝る。
背中を小さく丸めて縞斑のコートを握りしめる彼を見下ろした縞斑は、息を吐いて顔を上げるよう促した。
「…けど、神無ちゃんがいなかったら…あの子は助からなかったから。」
縞斑が救えないと諦めた命を、神無は決して手放すことなく駆け出した。神無がいなければ、あのアンドロイドは熱によってスタックが破損して壊れていたに違いない。
予想外の言葉に驚いて目を丸くする神無の煤がついた頬を指で拭った縞斑は、ふっと表情を緩めて見せる。
「よく頑張ったね。」
神無にとって、一人でアンドロイドを助けに行くことが、火災よりも大きな問題を伴うことを縞斑は知っている。
罪悪感がきっかけだとしても、以前の過ちや後悔と向き合おうとする神無の意志は尊敬に値するものだった。
神無の意志を理解して讃えてくれる縞斑に、神無は思わず込み上げた涙をぐっと堪える。つんと痛む鼻の奥を隠すように、彼は明るい声を上げて笑った。
「ま…まぁな、なんてったって俺は天才だから!」
「こら、調子に乗らない。帰ったら三人で膝詰め説教だからね。」
「うげぇ………」
調子に乗った振る舞いを見せる神無を見て、今はその照れ隠しに騙されておこうと縞斑は彼を軽く小突いて嗜める。
額を撫でながらげんなりと落ち込んでみせる神無の手を引くと、縞斑はその小さな体をきつく抱きしめた。
「んむ…せんぱい……?」
「…………無事で良かった。」
「……うん…うん。心配かけてごめん。」
髪を撫でて頬に唇を寄せる。心から安堵した声を腕の中で聞いた神無は、この胸を満たす愛おしさが少しでも彼に伝わるように抱きしめ返す腕に力を込めた。
終