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【異夢迷都二次】いつかの旅路の話をしよう

全体公開 1 10 10171文字
2024-01-31 18:54:28

小説形式 いつかの未来で共にある何某と霧花と「四半指」の話

【このお話は異夢迷都の二次創作です】

【概要】
・位面道越えで不死を得た何某と、霧花、「四半指」の日常の切り取り
・恋愛表現:異性愛なし、BLなし、一部GL描写あり(霧花+鉛鶴{CP左右なし})

【注意】
・軽度の罵倒表現あり
・死ネタあり(直接の描写なし、婉曲表現のみ)
・精神的不安、ストレスをあおる表現、希死念慮表現があります ご自身の健康に合わせて閲覧してください
・捏造設定いっぱい、オリキャラも出る、書き手の趣味でやりたい放題










「さてと……

 少年は扉の前に立ち、肩掛けバッグを背負い直す。
 一月ぶりの「仕事」だ。彼は玄関口横の呼び出しチャイムを鳴らす前に、以前と変わったところがないか軽く周囲を見回した。

 南二通りの市場へ下りる緩やかな曲坂の途中にある、古めかしい写真店。少年が目線をすぐ上に向けると、「夜煙」の屋号を象ったネオンサインがほこりを被っていつものように出迎えている。
 これが色彩鮮やかな光を湛え、看板として本来の役割を果たしている場面を、彼は見た事がない。
 家主がメンテナンスをせず放置しているせいで、かつて故障したのち再び通電させられる事なく、カビくささを漂わせたままにされているのだった。
 
「もったいないな」
 
 鞄の少年、「四半指」はぽそりと呟いた。
 汚れた外壁も、このネオンも、きちんと手入れすればアンティークな魅力を取り戻せるだろうにと、唇の隙間から細く長くため息を押し出した。
 まあそこまでは僕の仕事じゃないし。 
 四半指は意識を看板から扉へと切り替える。
 チャイムを鳴らし、応答を待つ。
 応えがないのを一分堪えて同じ動作を二回繰り返す。
 それでも反応がなければ、預かっている合鍵でこの扉から進入する。
 そういう「約束」だ。
 少年はこれも「いつも通り」だなとぼんやり考えつつ、店内の籠もった空気が外の冷気と入れ替えられる風を感じながら、扉の内部へ身体をすべり込ませた。

「お疲れ様です何某オーナー! 僕です! いつもの始めちゃいますね〜!」







 一月に一度、決められた日に夜煙の店内清掃をする。それが四半指少年の人生初アルバイトだった。
 手を入れるのは主に店舗スペース、撮影スタジオ、風呂・キッチン・リビングを初めとする水周りに、雇用主である何某と呼ばれる男の寝室。

 プロの清掃業者のように家中ひっくり返して隅々まで磨くわけではない。生活の動線上に溜まった汚れを拭いたり、雑貨の点検を行なったりと、とても「仕事」とは表せないごく軽い雑事のみが彼に与えられた業務だった。

 それで給金は並のパートタイマーの時給の何倍もあるというのだから怪しい事この上ない。
 初めは反社会的勢力の事務所か何かかと疑った時もあったが、現状高価な商材を売りつけられたり強面の輩が店奥から出てきたりする事態にはなっておらず、ネットで調べた通り夜煙は元記二桁年代から営業している単なる古風な写真館であるのは事実だと得心する過程で、少年のおっかなびっくりした心は次第に落ち着いていった。

 ここは、発展し続ける街に忘れ去られた場所だ。

 考え事をしながら廊下を掃いていると、左手に装着したスマートウォッチから通知音がした。

【お疲れ様です。終わったら店主を起こしてください。彼が準備を整えている間、リビングで自由に過ごしてください】

 これも「いつもの」連絡だ。四半指少年はこのメッセージの送り主を知らない。大方、サポートAIの自動応対なのだろうと思っている。
 何故なら、寝室にいる雇用主は彼が作業をする間、ずっとベッドで寝ているからだ。

 ずっと。ずっと寝ている。

 起きて活動している時間の方が少ないのではないだろうか。だから一月で家中がほこりだらけになるし、冷蔵庫に生鮮食品はほとんどない。水場は使われた形跡に乏しく、本人は少年が近くで作業していてもお構いなしに寝息を立て続ける。
 合鍵を預かって、店に入るなり挨拶もそこそこに仕事に取りかかるのはそのためだ。

(だって、本人からそう言われたし)

 ネット検索で「夜煙」の事を調べる際、実はこの店は写真館と探偵事務所の両刀で経営していると述べる記事も中にはあったが、男と店内の様子を鑑みるに眉唾であろうと四半指は判断した。

「いつも思うけど、本当にどうやって生活してるんだろこの人……?」
「知りたい?」
「うわぁっ!」

 ベッドの傍らで呟いた少年に応えるように、この店の主、何某は目を開き身体を起こした。

「おはよう四半指。仕事お疲れ様。ご飯にしようか」

…………

 四半指と何某は先ほど少年の手で磨かれたダイニングテーブルに腰かけ、無数の宅配チラシを眺めている。
 業務の終わり際にこうして二人で食事を摂るのも、何某が定めた就労契約のうちのひとつだった。

「さっきの話なんだけどさ」

 何某がピザを片手に向かいの四半指へ呼びかける。

「あっ。あの、すみません。お休みなのをいい事に失礼を言って……
「いや全然。気になるのも当然だよなと思って。君が聞きたいなら教えるよ、この店の事とか」


 


 

 元記年XXX年の冬。不動産会社の社長を父に持つとある裕福な少年は、進学までのモラトリアムを窮屈な実家以外の場所で過ごすべく、アルバイト先を探していた。
 偶然だった。彼と何某が出会ったのは。

 元記年XX年代中期の政変から著しく変化した新都の情勢は、新地下区――旧下水道周辺地域の開発に多大な影響を及ぼした。

 下地が発展するに従い旧下水道から旧無常街・旧裏庭と城外の南東部から北と西へ開発の手が伸び、天の柱総合研究センターを中心とする「歴史ある」地区の……言うなれば「お高くとまった」人々の棲家を取り囲むように発展していった。

 その中で第二階層――蘭香城の中でも城壁に近い地区の市街は、両者の間に挟まれる事で今なお歴史情緒溢れる街並みと均整の取れた効率重視の近代建築とが混ざり合った、独自の景観を形成している。
 「夜煙」の外観も、政変前からそのままの姿で残っている建物のひとつであった。

……四半指?」
 
 ある時、たまたま南区繁華街の路上を歩いていた少年の腕を、コートの青年が突然掴んだ。

 人違いだ。
 少年はそう言って一蹴する事もできたが、呼びかけられた名の響きが微かに記憶の端に触れるのを感じて、男に問いかけた。

「その名前は僕の曾祖父のものですが、もしかしてお知り合いですか?」

 …………

「今考えるとこの反応は悪手でした。先に僕の方から血縁の繋がりを口に出すべきじゃなかった。旦那が詐欺師じゃなくて後からホッとしましたよ」
「はは。あの時は急に声をかけて悪かったと思ってるよ。君の帽子と肩掛けバッグが、あの子にそっくりだったから」
「いやまあ、だからといって旦那がうちのひいじいちゃんと同年代だっていうのはジョークとしてもつまんな過ぎだと今でも思ってますけど」
「辛辣!」

 何某はこの少年を「四半指」と呼び、雇用主ながら友人のような関係を築いている(力関係の非対称性については、互いに承知した上で都度すり合わせが行われている)。

 今どき通り名(コードネーム)使うのなんて、カタギじゃない人間か、その文化をかじっただけのイキり野郎でしょ!と反発する彼も、何某と交流するうちなし崩しにこのユニークな呼び名を受け入れていった。

 学校の友人たちとも、曾祖母の代から苦労して成り上がった自負のある厳格な両親とも違う、少し不思議な雰囲気の歳上の知人という関係に、多少なりとも心躍ったのは否定できない。

 目の前のどう見ても二十代から三十代前半程度だろう外見の男が、曾祖母の義理の兄の友人だと自称するのも自分の事を曾祖父の通り名で呼ぶのも、彼なりの冗談のひとつだと笑って受け流していた。

 彼にはどんな家族が居たのだろうか。曾祖父母の身の上話や祖父の産まれた頃の話、政変前の情勢に詳しいのも、歴史に造詣が深いかそれに精通する人たちが周りに居たからであろう。

「四半指」は毎月の楽しみにしている選び放題の宅配ピザを炭酸飲料で流し込みながら、自分の家族について考えていた。






 
「そういえばこれ、何某オーナーの部屋に落ちてたんですけど、これもオーナーの『昔のお友達』ですか?」

 ジャンクな夕食を終え、何某が淹れた茶で申し訳程度の脂質中和を行なっていた団欒のひとときに、四半指が疑問を投げかけた。
 彼から店主に返却されたのは、色褪せた一枚のポラロイド写真。口元を包帯で覆った渋面の男が、至近距離でこちらを睨んでいる。

「うわ、懐かしい。これ"俺"だよ」
「はあ?」

 四半指は何某の指から写真を取り返し、矯めつ眇めつ両者を見比べる。

 どう見ても絵の中の男と若々しい店主の相貌は似ても似つかない。少年にとって薄茶に灼けて髪色も定かでなくなった一葉に写る人物は、言ってしまえば現代風にも昔風にもそぐわない扮装(コスプレ)のように思えて、ひどくアンバランスな感覚をもたらした。
 灼きつけられた紙片の男には眉がなく、加えて口元が隠れている分、瞳に黒黒とした力強い視線を湛えていた。

 殺意すら感じるほどに。
 
「これは確か、いつかの年末の時期に友達が、"あいつ"の顔が魔除けにぴったりだからブロマイドとしてバラ撒いて荒稼ぎしようって話になって……
「(なんだそれ……)ん? 旦那、ちょっと待ってください。今あなた、この写真に写ってるのは俺だって言ったばっかりじゃないですか」
「あれ? そうだっけ?」

(マジでこの人、若作りしてるだけで本当にボケジジイなのかな。まさか……)

「オーナーって、整形マニアなんスか?」
「んん? 違うけど?」

(いけない。話がとっ散らかってきた……) 

 それから雑談の中で、何某が新都南方にある玉露鉱山の所有者だという話を聞き出した四半指は、「結局夜煙の店主は異常に若作りな道楽金持ち」なのであろうと推論し、これ以上の追求は無為だと引き下がった。

 独り身の生活空間に活気がないのも、つまらない・解明しようもない冗談を発し続けるのも、家族や友人との繋がりが乏しく寂しいからなのではないかと、少年は口には出さないものの勝手に同情した。

 それを抜きにしても、何某の元での仕事は楽で実入りがよく楽しかったし、彼自身の事も嫌いではなかったので、バイトを辞める気は全くなかった。

「お金に余裕があるなら、ちゃんとした業者を雇ってお店全部綺麗にすればいいのに」

 四半指のごく一般的判断からの提案に、何某は
「そうだね……
と歯切れ悪くため息交じりに応えたのを最後に、その日の少年の就業時間は終了した。

【お疲れ様でした。今月分の給与の振込が完了しましたので、ご確認をお願い致します】

 少年が帰路に着く途中にサポートAIから来る通知も、毎度の如く「いつも通り」だった。
  
 …………

 何某は四半指から受け取った写真を手に自室へ戻り、隅に鎮座する金庫を開ける。
 堅牢な鉄の箱の中にはさらに一回り小さい鍵つきの箱と、分厚い綴じ込みファイルが安置されている。
 何某は退色したひとひらを再度懐かしむように眺めると、ファイルの中程へ丁寧に仕舞い、入れ替わりに小箱を持ち出してリビングに腰を下ろした。

 片手に収まる程度の大きさの、プラスチック製の箱。
 何某は手遊びをする滑らかさで鍵を外し、箱に仕掛けられた指紋認証と網膜認証を解除すると「同居人」の名を呼んだ。

「『花魁』さーん」

 呼びかけを受け、廊下の奥の居室からひとつの象が現れる。
 少年がまだ足を踏み入れる事を許されていない場所。

「はい。お呼びですか? 何某さん」







 私立探偵兼祓魔師の「何某」が不死を得たと発覚したのは、「振り子」が停止してから数年後の事だ。

 当時の事件解決の報酬(?)としてふたつの肉体を自由に行き来できるようになった彼は、巣窟の外で命を脅かす事態に遭遇するまで、自分の身が「二度と変化しない」事実を認知できなかった。

 あらゆる外的及び内的要因による傷害、疾病、飢餓、窒息、感電、火傷、凍死等に至る環境下に置かれても、何ひとつ彼を傷つける事は叶わなかった。

 これらは、研究者雷雲と何某本人の消極的協力のもと敢行された実験で判明した事実である。

 位面道を越えた者の一部がそのような不死性を帯びる実態を解明した実績を持つ雷雲をして、何某の肉体の時間が停止(もしくは認知機能以外が超低速度化)しているのか、強力な反現実性を纏っているのか、「観測者」がもたらした押しつけがましい加護なのかは、最後まで究明する事はできなかった。

 彼にとって実験の一番の成果は「とりあえず飲み食いは普段通り可能(しなくても問題ない)」である事で、それが何某の人間性・社会性・仲間との絆を維持する上で多大な貢献をしたのは、想像に難くないだろう。

 仲間の中である者は泣き、ある者は悩み、ある者は密かに喜んだ。

 正義感の強い女性たちは運命があまりに悪辣であると叫び、沈着な男性陣は友人と歳を重ねられない未来を嘆く。
 その中で、永遠に凛と咲くホログラムの"花"は、後ろめたい希望のような、燻ぶる熱情の宿る瞳で彼を見た。

 目が合うのは必然だった。

 彼も、思考の行き着く先は彼女と同じだったのかもしれない。
 何某は、記憶を擲って輪廻に還るか虚無を呑み込んで箱庭を生きるかの択一を迫られ、皆と街の行く末を見守る方を選んだ過去も霧花に打ち明けた。どちらに転んでも、何某に安寧は存在しなかった。その真実を知るのが早いか遅いかの違いで。

 いつしかふたりは、彼らにしか分からない心情を共有する時間が増え、仲間、知己、恩人たちを共に順番に見送った。

「後から気づいたんだけど」

 ある時何某は、自分の身体と意識が不死性に堪えるべく、徐々に「耐性」を身に着けていっているようだと見解を述べた。
 永遠を生きるのに、食事も排泄も感情の変化も、前のままだと「忙し」過ぎるから、自分の全てが「ゆっくり」になっていってるんじゃないかな、と。

 事実何某は"見送り"を経るにつれ、感情は凪ぎ、一月眠って数日起きるといった生活に順応していった。
 一般的な社会生活を送るには不都合な数々の変化も、玉露鉱山での半永久的な不労所得――「振り子」の繰り手が投げた、最後の賽の目の恩恵――のお陰でなんとか誤魔化せていた。

 ……本当は誤魔化せてなどいないのかもしれないが、そんな事を気にする人物は何某の周囲にはもう誰も残ってはいない。
 彼の傍らに立つ花が――霧花だけが、いつでもいつまでも、彼に寄り添っていた。

「花魁」は今年、デビュー100周年を迎えた。



 ※

 

「花魁さん、これ覚えてる?」

 何某は小さな箱から取り出したフラッシュメモリを指で摘んだ。
 現行の記憶デバイスは、今や商品名に小宇宙を冠するほど莫大なデータを記録できる。厳重な守りの中から取り出されたその端末は、男の手の中で慎ましやかに光を反射していた。

「もちろん覚えていますよ。……もうずいぶん前に、皆さんを『私の部屋に招こう』とした時に創った雛形ですね?」
「そう。あの時の俺は今より頭がおかしかったから、みんなが反対するのを無視して、隠れて全員のデータを"盗んだ"んだ。……いつかこの状況に耐えられなくなって、逃げ出したいと思った時に飛び込める『部屋』を作っておきたいっていう俺の我儘で」

 「部屋」。

 それは即ち何某と霧花が任意に介入できるメッシュネット上に形成した、かつての仲間たちの生体データを再現したVR空間を指す。
 夜煙の仲間たちを全員無断で霧花と同じ表象として再現し、死ねない我が身を慰めるために都合よく遣い、用がない時は閉じ込めておくための場所である。
 
 仮想空間の中に敷いた幻想の団欒。
 それを仕舞い込むための小さな箱。
 その小さな箱を仕舞うための重鈍な鉄の箱。
 その鉄の箱が眠っている箱。
 その箱を内包する先ほど少年の手で磨かれた箱。
 その箱を内包する発展し続ける箱。
 その箱を観測する者たちの棲む箱。
 その箱を傍観する者たちの棲む箱……

「何某さん。大丈夫ですよ。誰も、もちろん私も何某さんを責めたりしません。私も今でこそ言えますが、同じような望みを持っていた事がありますから」

 デバイスを見つめながらしばし物思いに耽っていた何某は、霧花の優しげな声で意識を取り戻す。

 これらのやり取りは初めてではなく、十年に一回ほどの頻度で度々行われている。
 霧花は、同道する友人との大切な時間として。
 何某は、過去との繋がりを想起する回顧のルーティンとして。

 何某は不可逆に途切れた絆をどうしても手繰り寄せたい願望と、手前勝手な行ないを手酷く叱咤されたい欲求を抱えながら、永遠を生きる朋友と共にここまで歩んできた。ストレスが閾値を超えそうになったら今のように会話で共有する。そうでない時はひたすら眠る。

 彼が社会不適合とも揶揄されるべき生活態度であるのは、有機体の身で以ってやがてこの世の全てを置き去りにする存在として、なんとか適合しようともがいた結果であった。
 
 たまたま何某が外出した先で四半指の子孫と出会ったのは全くの偶然である。

 絆を交わした四半指と、今の「四半指」――かつての彼の義妹の曾孫は、血の繋がりはないため外見に面影はない。何某の言う通り、身に着けた物にいくつか共通点があるのみであった。

 何某は過去を懐かしむのに少年を利用している。
 彼を一貫して通り名で呼ぶのはそのためだ。
 弟分との「別れ」から、縁者の動向を追う事も止めた。 

 霧花は「四半指」には相見えず身分を明かさず、何某のサポートAIとして振る舞うだけの対応に留まっている。
 今何某が(多少揺らぎあるものの)社会性を保った人間として生きていられるのは、この少年の貢献も無視できない。なので静観していた。

 彼女は現在芸能活動と私生活、夜煙で自由な時間を過ごす等の生活を、その身を分かたって同時に行なっている。技術の進歩で、彼女は現実に遍在できるようになった。
 その映し身のひとつを、何某との時間に進んで割いている。
 
「いつか、」

 何某の、わずかに間延びした声音が霧花へ向けられる。彼女は、こういう声色の時の何某は頭に霞がかかってあまり活力に満ちた脳内活動ができない兆しである傾向を、数十年に渡る彼との付き合いで理解していた。
 無言で先を促す。

「いつか俺が我慢できなくなって、全部を投げ出したくなったらさ。花魁さん、俺に触ってよ。花魁さんに、俺の記憶……位面道や観測者に会ったあの空間についての知識と記憶を全部渡すから」
「何某さん、急に何を……? 落ち着いてください。あなたは私に何を望んでいるのですか?」

 確かに霧花は以前、天来と対峙する最後の戦いの直前、自らの持つ能力について何某に打ち明けた。相手の肉体に触れる事で、その者の持つ全ての情報を読み取れる力だ。あまりに強力で侵害的な能力であると霧花自身は考えているため、先々使うつもりはないと明言してもいた。
 それが、今になって友人から活用の提案が出るとは。

「もし俺が生きるのをやめたくなったり、昔以上におかしくなったりしたら俺に触れて。俺と鍾馗の持ってる全部の記憶と花魁さんの力を使って、新都の『外』に出てほしいんだ。これはきっと花魁さんじゃなきゃできない……ううん、花魁さんだからこそ可能な事だと思うんだ」
「何某さん……」 

 彼の考えはこうだ。

 「何某」が経験した新都を動かす構造に関する機密を霧花に譲り渡し彼女に「学習」させる。そして犰狳沼――建物は取り壊されたため、設備は全て地下シェルターに移送済みだ――を通じて鏡影空間から「壁」を破って箱庭の外に脱出するのだ。これは生身の肉体を持たない霧花にしかできないと、何某は信じている。
 霧花はあまり現実的ではないと思っているが、彼が頼る事のできるよすががすでに自分しか残っていない手前、強く否定する事もできなかった。

 もしかしたら、できてしまうかもしれないから。
 もし実現できたとしたら、彼の望むものは……

「観測者が言うには、多分街の外も俺たちの世界と同じような作りになってると思うんだ。だから花魁さんは外に出たら、またアイドルとして活躍できるだろうし、そうじゃなくてもどこまでも自由に生きて行ける! そしたら……

 何某の語気はそこで尻すぼみになる。
 霧花は何某の座るソファに回り込み、隣に同じように腰かけ、彼の手の真上に自分の手を浮かせた。
 緩やかな時間に揉まれる有機体と、鮮やかに流動する再生像が重なる。
 触れはしないが確かに通じ合っている。

「そうしたら、どんなに時間がかかっても、皆さんを助けに戻ってきます。必ず」

 霧花ははっきりと告げた。
 可能不可能ではない。それが何某の一番望んでいる言葉だと分かったから。
 途方もない未来ではなく、今ここにいる彼の心を掬いあげたかったから。

「ごめん。ごめんね花魁さん。言わせてごめんねぇ……

 何某の心から暗雲が霧散するまで、霧花には傍らに佇む事しかできない。
 言葉を尽くすか、相手の言葉を咀嚼するしかできない。

 ここでは歌えない。

 何某も、それを承知で甘える時がある。心がままならなくなった時は、溜め込んで消化するより思いきり吐き出した方がよいと、身体の変化を賜ってから改めて学び直したのだった。
 何某は目を赤くし、しゃくり上げながらうわ言のように言葉を紡ぎ続ける。

「助けてほしい。助かりたいなあ、みんなで。
何も言わずにいなくなった少女(あいつ)も、病に倒れたあの男性(ひと)も、戦いに明け暮れたあの女性(ひと)も、仕事に身を捧げたあの少年(こ)にも、ずっとそばで見守ってくれてたあの女性(こ)にも……。また会いたいなあ……!」
「大丈夫です。きっとまた会えますよ」

 私も、愛したあの女性(ひと)にまた会いたいから。

 会えます。きっと。
 世界も宇宙も全部終わって、永い永い暗闇を超えた先で再び星が生まれる時、何も知らないまっさらな私たちが、きっと。

 素敵だね。そうだといいなあ。
 俺は死なないし、そうなったら多分宇宙のどこかをふわふわしてると思うから、頑張ってお互いを探そうね。

 ふふ。そうですね。
 私も、頑張って見つけ出します。
 だって私、もうどこへでも行けますから。







 これは実現可能性のある計画の話ではない。
 不死の重圧に苛まれる永遠の苦痛の、ほんのはじまりに足を踏み入れた男の、癇癪にも似た悲鳴である。

 未来の展望を語らう際、これでも以前よりかは取り乱さなくなった方だと霧花は顧みる。
 昔は明日が来るのが怖い、果てのない生が恐ろしいと、出会った当初の洒脱さが嘘のように嘆き続けたものだ。
 
「ありがとう花魁さん。ごめんね、また騒いじゃって」

 もし霧花が箱庭を脱するなら、残された何某はどうなるのだろう?
 霧花はこれ以上話を展開するのは彼の負担になると察し、静かに首を横に振るに留めた。
 何某もじきに穏やかさを取り戻し、迫りくる狂気から逃れるように眠りにつくだろう。

 世界ひとつ済度(たす)けるには、今はまだ彼女らに実行力はない。
 衆生を救う弥勒とて、その降臨には二兆以上の夜を越えねばならない。

 だからこれは、ただの慰め合いの世間話。
 いつか往く旅路の、野放図な希望あふれる準備の話。
 永遠を生きる荷を背負った彼と彼女が、絆を確かめ合う日課のようなもの。
 そういう事にしておこう。

…………

「そうだ。四半指に言われたんだけど、外のネオンサイン、いい加減修理しないといけないね。本体の寿命はまだまだあるらしいから」
「でしたら、来月四半指くんが来る時にみんなでやりましょうか。部品の発注などは私がしておきますので。たまにはお外も綺麗にしてみてはいかがですか?」
「そうだね。ありがとう花魁さん。……当日、また起こしてもらってもいい?」
「ふふ。もちろん」

 それまではせめて、寝台の小舟で絶望の荒波をやり過ごして。
 この世界が……電脳と現世が繋がり続ける限り、いつまでもどこまでも、ふたりは一緒だから。




【いつかの旅路の話をしよう】


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