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アル・サウラの狼煙 ※三章まで

全体公開 7 10 36183文字
2024-02-03 19:41:48

砂花転生前提のカヴェアルです。アルハイゼンがモブに攫われたのを助けに行くお話になります。

Posted by @shigxxx

登場人物の紹介はこちら→https://shigxx.futatsutomoe.com/Entry/4/

 序幕 


 学者たちの申請書の束を集めて教令官のパナーは沈黙の殿の扉を開ける。ギィと少しばかり古めかしい音を立てて開いた扉の向こうから、古書の匂いとインクの匂いが鼻腔を掠める。静けさを好む部屋の主人に怒られぬよう、パナーは極めて静かに中央のデスクへと向かった。
「書記官様、こちら新しく申請されたものたちです。お忙しいと存じますが、またお目通しを
 そう言いながらパナーがデスクの上に書類を置く。そこでふと、きらりと光るものが目に入ったのだ。それに何気なく目を向けた時、パナーの言葉が不自然に止まる。その間に「ああ」と返事をした書記官の声を無視し、じっくり三秒ほどそれを凝視して、やっと理解に至った。
「書記官様が指輪!?」
 それも薬指に!? パナーの声は常に静けさと威厳に満ちた沈黙の殿の書物たちに吸い取られ、反響こそしなかったものの清閑を愛する主人には相当な騒音だったようで、ぎろりと下から睨めつけるように見られた。
「騒ぐような事じゃないだろう。静かにしてくれ」
「す、すみません、その、びっくりしたものですから
 パナーは申し訳なさそうにしながらも興味は書記官の指輪にあるのか、ちらちらと忙しなく目を動かしている。
「えと、おめでとうございます書記官。いつ、ご結婚なされたので?」
……
 書記官はじっとパナーを見つめる。彼がこのような世間話を業務時間にすることを好まないことは重々承知していたが、自分の上司が突然結婚していたのだから正直好奇心が畏れよりも増したのだ。
 ごく、と固唾を飲む。するとふいに書記官が飽きたように視線を書類へと戻し、口を開いた。
「二日前に貰ったんだ。悪くないから着けている」
「もらった?」
 パナーはその言葉に首を傾げた。正確に決まった規則などがある訳では無いが、この知恵の国スメールにおいては一般的に結婚指輪を贈るのは男性の方からである。そして婚約中は女性のみが左の薬指に指輪を嵌め、結婚した後に夫婦共に指輪を嵌めるものであるのだが─。
「はいこれ。この申請書たちには不備がある。出した者たちに再度提出をするよう伝えてくれ」
「あ、はい。わかりました」
 パナーは言われた書類を受け取ると沈黙の殿を後にする為踵を返す。きっとさっきの書記官様の発言は何かを言い間違えたのだろうと思いながら、書記官様もやはり人間なのだなと勝手に納得したのだった。


 ꧁——————————


 ゆっくりと瞼を開き、先日パナーとそんな会話をしたことをアルハイゼンはふと思い出す。何故そんなことを今思い出すのだろうか。男に担がれてぶらぶらと揺れている自身の腕の左薬指に、そのキラキラと光るプラチナが見えるからだろうか。
「兄貴、こいつ絶対そこらの学者より身分高そうですぜ? 本当に大丈夫ですかぃ?」
「心配ねぇさ。ここに誰かいたとしてもこの砂塵で良く見えやしねぇだろうし、こいつの元素の痕跡? ってやつも、この装置が散らしてくれるらしいからよ」
「本当に便利ッスよねこれ。まさか神の目の使い手もこんな形で捕獲出来ちまうんですから」
 へへっと笑いながら下っ端のような男が、手元にある鉄の塊のような機械を弄ぶ。アルハイゼンは朦朧とする意識の中でそれを視界に捕らえ、あれが己の体内に巡る元素エネルギーを狂わせている装置か、と睨みを効かせた。
 しかし身体は力が入らず思うように動かない。ぐるぐると目眩がし、元素を集めて啄光鏡を生み出そうにも、あの装置が作動しているからか、一向に元素力が集まらない。おかげで先程から草元素の緑の光がふらふらと集まり損ねては四散していくのを繰り返している。
「兄貴、こいつ起きてますぜ」
「何? なんかさっきからキラキラしてるなと思ったらこいつか。周りの元素でも集めようとしてんのか。ハッ、諦めの悪いやつだな」
 仕方ねぇな、ターリブさんから貰ったこれでも打っとくか。
 アルハイゼンを担いでいた大男はそう言うと、洞窟の近場の壁にアルハイゼンを降ろして座らせる。抵抗しようとして元素を集めたことが災いとなったのか、先程よりも目眩は激しくなり、吐き気すら伴うほどとなっていた。そして男はアルハイゼンの首元を晒させるように彼の顔をやや横に倒させると、何の前置きもなく小さな注射器をアルハイゼンの首へと突き刺した。
「う、ぁっ!」
「痛かったか? 悪ぃな」
 痛みで顔を顰めるアルハイゼンに男は淡々と返す。そして注射器の中身が全て注入されたことを確認すると、それを抜き取り、血を拭って懐へと仕舞った。
何を打った?」
 目眩と吐き気で最悪な顔色のアルハイゼンが、大男に向かって低く唸る。それでも男は怯んだ様子もなく、仏頂面でアルハイゼンを観察する。
「あー、なんて名前だったかなきんし。まぁとりあえず筋肉をふにゃふにゃにする薬だ。俺たちは弱くはないとはいえ、神の目持ってるアンタみたいなのは俺らからすれば猛獣よりタチが悪いからな。念の為に打たせてもらった」
 時期に眠くなるはずだ。男はそう言ってなお、一定の距離を保ってアルハイゼンの観察を続ける。アルハイゼンは確信した。彼らの後ろには、少なくともあの機械を操れる、もしくは作れる技術を持ち、薬の知識も持っている人間がいる。それは恐らく砂漠の者ではなく、ファデュイいや、学者である可能性が高い。しかも複数の者が関与している。そこでふと、元素を四散させる機械について随分前にどこかで聞いたことがあることを思い出す。薬がアルハイゼンの思考を塗りつぶしていく中、必死に記憶を辿る。そして約四年前――カーヴェが家に来てから一年が過ぎようとしていた頃に、アルハイゼンはカーヴェからその話を聞いたことを思い出した。
 曰く、『特定の場所に元素が集中する現象を抑える装置を欲しいという変な奴がいたからいくつか売った』、と。
 じとりと背中を嫌な汗が流れる。それが一体これから起きることへの予見から来るものなのか、それとも機械と薬によってもたらされる異常によるものなのか、アルハイゼンはもはや判別がつかなかった。
 うつらうつらとして、座っているのもやっとのようなアルハイゼンの様子を見て、注射を打った男は再びアルハイゼンを俵を担ぐように肩へと乗せる。ぐわんと視界が揺れたことでさらに吐き気が酷くなり、アルハイゼンは数回嘔吐を思わせる嗚咽を漏らした。
「うえ兄貴〜こいつ吐きそうっすよ」
「勘弁してくれよ兄ちゃん。いくらアンタの顔が綺麗でも汚物を被る趣味はないぞ」
 そう言いながら男はずんずんと洞窟の先を進んでいく。アルハイゼンは落ちそうな意識の中で、なおも打開の策が無いかと周りを見る。そして洞窟の壁に刻まれた文字を見つけた。かすれて読みにくいが、古い雨林文字のようだった。アルハイゼンはそれを読む。
「神はすべ、てを赦して、くれる
 果たして本当にそうだろうか。規則を破った者の罪を赦すほど、神は優しくはないと思うが。
 アルハイゼンはそう考えた。そしてそこで彼の意識はふつりと途絶えた。




 Ⅰ ナールの種   


 その日カーヴェは結局一睡することも出来ずに朝を迎えた。
 アルハイゼンが帰ってこない。あの世界中のどこよりも自分の家が一番好きな男が、『砂漠に行く』という簡素な書き置き一枚だけを残して一晩も帰ってきていない。書き置きを確認したのは夕方頃。いつもしばらく帰ってこない時はその旨を伝える彼のことだから、夜には外で飯でも食ってから帰ってくるだろうと思っていた。
 そう思っていたのに、カーヴェはもはや時計を見ることすら怖くなっていた。
 現在明朝五時頃。眠れず待つ間、何度も外に出て最愛の男を探しに行こうかと悩み、カウチから立っては座るを繰り返していたが、もう我慢の限界だった。我慢の限界、というよりはカーヴェの中の不安が膨らみすぎて、もう幾ばくかでけたたましい音を立てて破裂するところだった。
 カーヴェは立ち上がった。最愛の男に指輪を贈った日から、自分は変わると誓ったのだ。もっと賢い選択を――己の感情に任せず、周りを頼ることを覚えるのだと。
 何時でも出られるように握っていた鍵を握り直し、傍に置いていたメラックを引っ掴む。早朝の五時だが早くから職務を行っているマハマトラはいるだろうと、カーヴェは玄関の扉をしっかりと施錠して、隈の出来た顔のまま教令院へと向かった。


 ꧁——————————


 あの日は久しぶりに朝からくだらない喧嘩をした。
 その日、カーヴェは昼から仕事の関係でオルモス港へと向かう予定だった。クライアントとのディレクションでたった一泊二日家を離れるだけだが、先日アルハイゼンに指輪を渡したばかりである上に、指輪を渡してから初めての出張ということもあってカーヴェは少し寂しく感じていた。何せとてつもなく遠回りをして彼らはやっと自分たちを見つめ合えるようになったのだ。最も、ずっと目を逸らしていたのはカーヴェの方であったが、それも数ヶ月前に行われた学院祭を皮切りに、二人の関係は以前よりもさらに深まったと言えるだろう。カーヴェはかつて自身の罪悪の根源である父の死の真相を知ることが出来たし、何よりもその真相を知る前に、毅然とした思いで己の真意を貫き、父の仇とも取れる冠を自らの手で打ち砕いたのだから。そして彼の成長の始終をアルハイゼンはその両の眼で見届け、国の書記官として、カーヴェの功績を歴史に記録したのだ。
 あれから二人は以前よりも互いに歩み寄るようになった。わかりやすい変化で言えば、カーヴェはアルハイゼンに感情的になって言い返すより、素直に謝ったり感謝を述べることが多くなった。アルハイゼンもそんなカーヴェの変化に、初めこそ意地悪く何度も「もう一度」と言葉をせがんだりもしたが、今では柔軟に対応していき、以前の彼らを知る者たちから見れば劇的な程に二人の距離は縮まっていた。森のレンジャー長のティナリの言葉によると、「ナツメヤシキャンディもビックリなほどの甘ったるさで、もう見てるだけで胸焼けがしてくるよ」との事だった。
 そしてカーヴェが寂しさを覚えている理由はもうひとつある。それは今日から出張だというのに、当のプロポーズしたアルハイゼンはカーヴェに構わず、マイペースに本を読んでいたからだった。名前を呼べば無視。数度呼べば、うるさいから黙れと言われる始末。かれこれもう五年共に生活しているからこそ、そんなことは彼の通常運転であることはわかっていたが、正直なところ、カーヴェはアルハイゼンを堪能したかった。大っぴらに言うと、アルハイゼンと共に時間の許す限り、寝台の上でにゃんにゃんしたいと思っていたのだ。たった一泊二日の主張とはいえ、丸一晩彼と離れることになる。それはここ最近、一年前であれば考えられないほどアルハイゼンとラブラブな関係になったカーヴェにとって、過度なアルハイゼン不足を催すもの以外の何でもなかった。カーヴェはただ彼の性格や性分が許さないだけで、余計なプライドや見栄さえ取っ払ってしまえば、子供も顔負けなほどの究極の寂しがり屋なのだ。故にアルハイゼンをたっぷりと補給して、万全の状態で現場に向かいたいと、そう思っていたというのに。
 結果、カーヴェは全く構ってくれないアルハイゼンに癇癪を起こし、そのまま要らぬ口論にまで発展し、気付けば時計は出る時刻を指していて、カーヴェは「君なんか知るか!」と言って荒々しく出てきてしまったのだ。
「ほんっっっとうに最悪だ
 カーヴェは今自分の行いを再三悔いていた。まさかあれからアルハイゼンが家に帰ってこない事態になるとは予想だにもしなかったが、たとえそんな予測が出来たとしても、あんな不毛な喧嘩はするんじゃなかった、と頭を抱えた。
 現在カーヴェは教令院に来ている。明朝、日が出たばかりの時刻の教令院には、課題に追われて朝から時間を捻出して何とか研究のレポートを纏めている学生か、その学生たちのために院内の部屋を解放する教令官やマハマトラくらいしかいない。そんな中、カーヴェは焦燥した表情でたまたまロビーフロアの噴水にいたアーラヴに声を掛けた。
『今日、書記官は出勤しない』
『アルハイゼンが砂漠に行くと書き置きを残したきり帰ってこないんだ』
 たった一晩。されど一晩。その経験はカーヴェの幼い頃のトラウマを刺激するには十分な条件であった。
 カーヴェの必死な形相に、アーラヴも何か嫌な予感を感じたのだろう。彼は真摯にカーヴェに向き合うと『すぐにセノ様を呼んでまいります』と言って、院内の奥へと姿を消した。
 そして今、カーヴェは閑散としたロビーの噴水に腰掛け、アーラヴがセノを連れて戻ってくるのを待っている。心臓が忙しなく脈打ち、自身を落ち着かせるために何度も深く息を吸ってはゆっくり吐くを繰り返している。どうにも嫌な予感が止まらない。もし、もしアルハイゼンがかつての己の父親のように、何か事故に巻き込まれてしまっていたら
 カーヴェが再び不安の渦に取り込まれていると、それを遮るように裸足でぺたぺたと教令院の床を小走りに歩く音が耳に届いた。
「カーヴェ、待たせてすまない。アルハイゼンが帰ってきていないと聞いたが、どういうことだ?」
「セノこんな朝早くから押し掛けてすまない」
 カーヴェは顔を上げて立ち上がり、やってきたセノへと向き合う。そして事の事情を説明した。
「少し大袈裟なのは分かってる。でもあいつはいつも帰ってくるつもりのない日は、必ずその旨を伝えるやつなんだ。それがあんな一言だけで一晩帰ってこないのはどうにもおかしい」
「なるほど。俺たちよりもずっと奴のことを知ってるお前が言うのだから間違いないのだろう。物事の異常さに気付いたら、即座に対処するのが一番だ。それに
 セノはそう言って顎に手をかけ、目を伏せる。
「最近砂漠で今頻繁に人が行方不明になるという話を聞いたんだ」
 カーヴェは息を飲んだ。まさかアルハイゼンも同じなのだろうかと。
「実は俺たちは今日その行方不明についての調査をしに、キャラバン宿駅に行こうと思ってたんだ。お前も来るか?」
 セノのその言葉にカーヴェは強く頷く。
「もちろんだ。むしろ一緒に行かせてくれ」
「わかった。なら直ぐに発とう。ヴィマラ村方面からパルディスディアイを通って行くぞ」
 そうして二人は教令院を後にする。アーラヴにはアルハイゼンの補佐を務めているパナーに、今日彼が出勤しないことを伝えるために残ってもらい、二人は早々にキャラバン宿駅へと向かった。



 強い日差しにからりと乾燥した砂塵混じりの風。雨林と同じ太陽があるはずなのに、キャラバン宿駅の気候は雨林の気候よりもずっと砂漠寄りだ。ひとたび砂漠に足を踏み入れれれば、雨林地方とは全く違う環境や危険が待ち構えている。故にこれから砂漠へ発つ商人や冒険者たち、ひいては学者や学生たちも、皆一度ここに立ち寄り各々に準備を整えるのだ。
 そんなキャラバン宿駅にも、もちろん教令院の観察局がある。砂漠と雨林のちょうど真ん中に位置するこの街には様々な人間があらゆる目的で往来し、集まる。先程の例にも上げたような冒険者や商人、学者、他にも砂漠の民たち――主にアアル村の人々にとっては、ここが物資を調達する主な市場でもある。往々に人が行き交うこの街には当然治安の問題や運ばれる物資にも教令院は目を光らせており、砂漠から持ち込まれた物に対して、教令に反した者がいないか、それらが害を成すものではないかを確認し搬入の有無を取り締まっているのだ。
 その教令院の観察局である建物に、現在カーヴェとセノは訪れていた。最近砂漠で頻繁に怒っている行方不明事件、それにアルハイゼンの失踪も関係しているかもしれない。それらの情報を集めるためにひとまず事件の進捗と近況を聞こうと、観察局に配属されている学者のべナムに声を掛けた。するとべナムはまさか大マハマトラであるセノがここに訪れるとは思っていなかったのだろう、目を見開き盛大に驚いて見せた。
「セ、セノ様!? いったいどうしてここへ
「最近ここらで行方不明者が多発していると聞いてその調査で来たんだ。その件に関して詳しいものはいるか?」
「あ、ああたしかに最近よく聞きますね。ここのマハマトラの方たちも一応調べてはいるみたいですけどでもどうしてセノ様が?」
「それはまだ言えない。如何せん情報がまだ少ないんだ。ここで調べているマハマトラたちは今どこにいる?」
「恐らく今『金砂の旅』にいると思います。仲間の一人が数日前から見当たらないと報告しに来たエルマイト旅団の人がいたので
「そうか、ありがとう」
 短く要件だけを聞いてセノはその場を後にする。その背中をカーヴェも追った。仕事中のセノをカーヴェが見る機会はあまりないが、いつ見ても普段のカードマニア兼ダジャレ王な彼とのギャップが凄いものである。
 そして二人はしっかりと整備された石畳を歩いていき、この街唯一の宿屋『金砂の旅』へと到着した。セノはさっそく受付にいるオーナーの元へ足を運び、声を掛けた。
「すまない、俺は教令院のマハマトラだ。こちらで今行方不明者の事を尋ねている者がいると聞いたんだが」
「こんにちは。ええ、確かに来ていたわよ。ちょうど裏手のテーブルでお話してると思うわ。案内しましょうか?」
「いや、そこまでには及ばない。ありがとう」
 左側に広がるテーブル郡では宿泊客たちが食事をしながら団欒を楽しんでいる。その隣をセノとカーヴェは通り過ぎ、建物の影になり人気の少ない所へとやって来ると、目的の人物たちはちょうど話をしているところだった。
 一つの丸テーブルに飲み物を三つ。私服ではあるが、二人のマハマトラが茶色を基調とした衣服の女性に、メモを開きながなら事情を詳しく聞いている様子だった。
「聴取中にすまない。俺達にも詳しく聞かせてくれないか?」
 セノがそう声を掛けると三人は一斉にセノへと振り返り、うち二人のマハマトラは突然の上司の登場に思わず中途半端に立ち上がって驚いてみせた。
「セノ様! お久しぶりです。どうしてこちらへ? それに彼は
 二人のうち一人が慌ててこちらへ駆け寄ってくる。そしてセノの隣にいるカーヴェを見て、ハッとした表情を見せた。
「もしやあなたは建築デザイナーのカーヴェさんですか? 初めまして、私はハフィズと申します」
 ハフィズと名乗った男はカーヴェに右手を差し出す。短くパサパサとした黒い髪、健康的な小麦色の肌に深緑の色を携えた人懐こそうな男だった。カーヴェは差し出された手に自身の右手を差し出し、握手をして彼に答えた。
「ありがとうハフィズ。まさか僕を知ってくれているとは」
「当然です。あのアルカサルザライパレスは近年のスメールの中では一番の建物です、知らないはずがありません」
 そんな二人のやり取りを見てもう一人のマハマトラがハフィズに習い、セノとカーヴェの前へとやって来た。明るい茶髪にあまり日に焼けていないペール色の肌、そしてハフィズよりも明るい新緑が輝く瞳をした、ややカーヴェよりも背の低い男だ。
「あなたがあの有名なカーヴェさんだとは。初めまして、俺はイムランです。よろしくお願いします」
「ああ、イムラン。こちらこそよろしく」
 イムランとも握手を交し、その間にハフィズがセノとカーヴェの席を用意してくれた。そしてハフィズは「飲み物もフロントに行って貰ってきます」と言って受付の方へと走っていった。
「彼は随分気が利くんだな」
「ああ、それでいて頭の回転もいい。優秀な後輩だ」
「盛り上がっているところ失礼するけど、あなたたちは?」
 訝しげにそう尋ねたのは、一人テーブルに残されていたエルマイト旅団の女性だった。突然現れた二人に話の場を遮られたのだから当然の反応だろう。カーヴェとセノはその時、改めて初めて女性の容姿をしっかりと認識し、そしてその出で立ちに意表を突かれた。
 やや深めに被ったフード。そこから覗く長い髪は、色素の薄いザイトゥン桃のような色をしており、それを三つ編みに編んで肩から前へと流している。そして何よりも二人の目を引いたのは、彼女の目元を覆っている赤い布の存在だった。確かにエルマイト旅団のもの達は皆、赤いバンダナを身につけてはいるが、彼女のように視界を遮るような付け方をしているのはより砂漠の奥地で見かける者たちばかりで、この砂漠と雨林の間である街で見掛けたのは初めてだった。
「すみません。この方々は俺たちの先輩です。こちらは大マハマトラのセノ様、そしてこちらは建築デザイナーのカーヴェさんです」
 イムランは淡々とした様子で女性に二人を紹介する。二人はハフィズが用意してくれた席に座り、イムランもそれに習ったが、女性は紹介された二人の顔をそれぞれ値踏みするように見た。カーヴェは目に布を覆った状態で見えているのかと疑問が過ぎったが、不思議としっかりと彼女の視線を感じ、彼女が視えているのだとわかると同時に、その視線が自身の中まで覗かれているような気がして、居心地の悪さを感じた。セノはそんな視線に慣れているのか、堂々たる振る舞いですましたものだった。
「まさか教令院の大マハマトラ様まで出てくるなんて、驚きね。でも私としてはとてもありがたいことだわ」
 凛として芯の通った大人の女性の声だった。透き通るような白い肌に、唇には控えめに、それでいて目元の布に負けない紅を引いている。そのミステリアスな容姿で街を歩けば、さぞかし人の目を惹くであろうことは想像に容易かった。
「私はファラウラ。あなたたちも人を探してくれることに協力してくれる、ということでいいのよね?」
「ああ。実は教令院に所属しているの書記官も先日から行方がわからなくなっていてな、ただの事故である可能性は低いと見て調査をしに来たんだ」
「書記官様も行方不明になったんですか!?」
 そう声を上げたのは、先程飲み物を持ってくると言っていたハフィズだった。手には紅茶シャーイのグラスを二つと新たなポットを持っており、グラスをカーヴェとセノの前に置いて紅茶を注ぎ入れ、彼も着席した。
「ああ。カーヴェが『砂漠に行く』と書かれたアルハイゼンの書き置きを発見したんだ。その書き置きが残されてからまだ一晩しか経っていないから確証があるわけではないが、俺もカーヴェも彼の性格はよく知っている。あいつがたとえ自分の研究のために砂漠に行くことがあったとしても、翌日の仕事を無断で欠勤するような人間じゃない。だから帰ってこないのはおかしいと判断したんだ」
 セノは慎重にそう語る。そしてファラウラへと向き直り、改めて彼女の話を聞く体制に入った。
「ファラウラ。一度こいつらに話をしたかもしれないが、よければお前の話を詳しく聞かせてくれないか?」
 セノのその言葉にファラウラはしっかりと頷いた。
「ええ、もちろん。あなたたちがあの人を見つけてくれるなら、何度だって話すわ」
 ファラウラは紅茶の入ったグラスを手に持つと、口を湿らせる程度に飲み、再びテーブルに戻して語り始める。その所作はとても砂漠出身であるとは思えないほど、優美な仕草だった。
「私が探してほしい人は、カリールという名前の教令院の学者の男性よ。私はこの街の近くにあるアアル村の生まれではなくて、もっと遠く集落の生まれなのだけど、彼とはこの街で出会ったの。もう長い付き合いになるわ。彼は私の集落の壊れた建物や道具を直してくれるだけじゃなくて、自分で働いて稼いだお金で村の子供たちのために服を何着も買ってくれた。優しくて素敵な人よ」
 カーヴェとセノは、まさか行方不明者が教令院の学者であることに驚きを覚えた。しかし彼女の語りを遮ることはせず、最後まで聞く体勢を保つことに努めた。
「カリールはお金を稼ぐために度々雨林こちらの方に赴いて、暫くしたらまた私たちの集落に帰ってくるのを繰り返していた。彼が雨林で仕事をしている時も、度々私に手紙を届けてくれて、次に村に訪れる日をいつも教えてくれていたの。だけどそれが
 彼女はそこで一度、胸の苦しみを吐き出すように小さく深呼吸して、再び言葉を紡いだ。
「彼からもう二ヶ月も連絡が来ないの。今までこんなことは無かったし、連絡をサボるような人でもないわ」
 確固たる意思を滲ませてファラウラはそう言った。そして「これは信じなくても構わないのだけれども」と続ける。
「私には人の嘘を見抜く力があるの。……いえ、本質というものかしら? 少なくとも私は、相手の悪意や邪推というものを視て感じることが出来る」
 だからカリールは悪意や権威のために私たちの集落に近付いた訳では無く、心の底から私を慕って私の村を助けてくれていたの、と彼女は言った。彼女の言った自身の能力については真偽の程は定かでは無いが、確かに、雨林で働いて得た金をわざわざ砂漠の奥地にまで行って子供たちの服にしたり、建物の修繕をしたりする人物が、二ヶ月音信不通というのは気になるところである。さらに、カーヴェとセノはファラウラの言ったカリールの仕事内容から、カリールは教令院の妙論派の学者ではないかと推測をしていた。彼女が教令院の制度についてどこまで詳しいのか定かではないが、建物の修繕や道具の修理などは主にクシャレワー学院を卒業した者が専門とする仕事である。同じくクシャレワー学院を栄誉学生として卒業したカーヴェが、そのような仕事で生活を立てているのだから間違いない。
「なるほど、事情は把握した。お前の言う能力はたしかにあまり聞かないものではあるが、俺の知り合いにも不思議な目を持つ奴がアアル村にいるからな。真偽も確かめていないのに、いきなり否定する主義は俺にはない」
 セノは勤めて冷静にそう答えた。やはりセノは大マハマトラという職をしているだけあって、交友範囲が広い。それとも砂漠と雨林の関係の歩み寄りにより、からの行動範囲がさらに拡大したということの表れであろうか。とにかくカーヴェは、泰然とした様子で話を進める彼の仕事ぶりに、素直に賞賛を胸の中で唱えた。
「もし能力の真偽の程を確かめたいのなら、すぐにでも証明してみせるけれど?」
 ファラウラは妖艶に微笑みながらそう提案した。しかしセノはそれに対してすぐに首を横に振った。
「お前がそう言うなら信じよう。それよりも、気になる点がいくつかある」
「ええ、なんでも聞いて。答えられることであれば答えるわ」
 彼女はそう答えた。そしてセノは慎重に物事を整理して、気になる点をひとつひとつ上げていった。
「まずカリールと最後に会った時、彼はなんと言っていたか覚えているか? 覚えてる範囲で答えてほしい」
 ファラウラは当時のことを思い出すような素振りで顎に手を掛け、ややテーブルに向かって俯き、ぽつりぽつりと語り始めた。
「カリールと最後に会ったのはもう二ヶ月以上前のことよ。彼はまた雨林へ稼ぎに出掛けると言って、私たちの集落を離れたわ。その後は手紙で『雨林に無事着いて今は仕事をしている。また一ヶ月後にはそっちに帰れると思うよ』と伝えてくれた。私の集落に寄っていく人間なんて、本当に物好きな冒険者がまたに来るだけだから人通りも少ないのだけど、たまにキャラバン宿駅こっちに来た時に手紙を受け取ったりするの。だから返事を送るのも一苦労よ」
 ファラウラは一度そこで言葉を区切り、再度口を開いた。
「私は彼の手紙にいつとも通り当て触りのない返事を書いて送ったわ。一ヶ月後にまた私の所へ帰ってくると信じてだけど
「奴は帰ってこなかった、だな?」
 セノは鋭くそう指摘した。ファラウラはその指摘に、目隠しをしていても分かるほどの憂愁を小さな唇目で示してみせた。
「ええ。最初は仕事が長引いたのかと思った。けれど送った手紙にも返事が来ないの。それで心配になってこうして探してほしいとお願いしに来たというわけ」
 そこでファラウラはまた一口、目の前の紅茶を口に含んで喉を潤した。
「私はキャラバン宿駅での滞在は許されているけど、ここから先の雨林地方に行くことは許されていないの。だからもし雨林に彼がいたとしても、私は探しに行けないわ」
 はぁと彼女は小さく溜息を吐いた。そうするのも無理もないことであろう。何せ未だに砂漠と雨林との格差や人種的な差別は完全には埋まりきっていないのだ。むしろ今でこそ昔と比べてかなり緩和されたと言っても過言では無いが、砂漠と雨林との差は、まさに防砂壁がそれを象徴するように存在し続ける。それはおそらく今後も完全に消えていくことは無いだろう。
「ファラウラさん。そのカリールさん、という方は、妙論派の学者だとは本人から聞いたことがないですか?」
 今まで黙って話を聞いていたカーヴェが口を出す。ずっとその問いを彼女に投げたかったのだろう。この場にいるセノも彼の後輩のマハマトラ二人も同じことを聞こうと思っていたからだ。
「正直私は教令院の制度にはあまり詳しくはないのだけれど、以前に彼は『僕は機械やギミックの研究もしていたんだ』なんてことも言っていたのは覚えているわ」
 ファラウラのその回答を得て、その場にいた四人ははっきりと確信した。カリールは間違いなく妙論派の学者――おそらくはカーヴェの先輩に当たる人間であると。
「ファラウラ、話してくれて感謝する。お前の探しているカリールは十中八九妙論派の人間だ。二ヶ月前まで雨林で他活動していたなら、おそらく彼の足跡も残っているだらう。捜査は俺たちに任せてくれ」
 セノは力強く、そして彼女を安心させるべくそう言葉を掛けた。それを聞いたファラウラは安心したのか、ホッと一息吐くと彼女のこれからの予定を大まかに話した。
「私は明後日の朝にはキャラバン宿駅ここを発って、集落『フェニキア』に帰るつもりよ。それまではここにいるから、何か分かったら知らせてちょうだい。もし時間がかかるようなら、少し手間は掛かるけど手紙で知らせてくれると助かるわ」
「わかった。こちらもなるべく早く情報を見つけこよう」
 対話の区切りが付いた時点で、今回の議事を記録していたイムランがノートを閉じる。アーカーシャシステムがあった当初は議事録など、音声の録音だけで済んだものであったが、アーカーシャの無い今は人が手書きで文字を取る事でしか記録を残せない。不便ではあるがイムラン自体はこういったいわゆる『アナログ』的なことに大した抵抗感を感じなかったため、今回の対話も黙々と記録し続けたのであった。
 セノが席を立つそれに続いてカーヴェとファラウラ、ハフィズも席をたち、セノはファラウラに向けて右手を差し出した。
「お前のところで握手こういったことが無礼に当たらないなら、交わしてくれないか」
 砂漠の民にも様々な習慣がある。それは左手は不浄だと言われるために日常的に使う機会が限られていたり、足の裏を見せることは相手に対する最大の侮辱だという習わしのある部族だってある。ファラウラの集落の習わしを知らないセノは握手が悪手にならないか、伺いを立てた。
 しかしファラウラは微笑み「そんな習わしはないわ」とセノから差し出された右手に自らの右手で返した。そしてそれをカーヴェにもハフィズにも行い、そして議事を取り終え一拍遅れて立ったイムランにも同様に接した。
「あなた達に会えてよかったわ。あなた達の探してる方とカリールの音信不通に、繋がりがあるかどうかは分からないけど、あなた達の探している人も無事に早く見つかることを祈っているわ」
 
 
Ⅱ ハタヴを焚べる  


 ファラウラとの対話を終えたセノ、カーヴェ、ハフィズ、イムランの四人は、キャラバン宿駅にある出店で昼食を摂っていた。キャラバン宿駅唯一の宿である『金砂の旅』にも様々な人が集まるが、出店にはそれ以上に多様な人物が現れる。何せ買い物を目的とするだけなら、出に出店に立ち寄るだけでいいのだし、それに様々な客を相手にする店主たちにこそ情報というものは集まるものだ。
 セノたち四人はそこで昼食を口にしながら、周りに集まる雑輩たちから聞き込みを行っていた。ある店主の話では、最近砂漠から来るエルマイと旅団の者たちが皆険しい表情を良くしているらしい。すると口々に皆こう言うのだ。
――俺たちの仲間を知らないか? と。
 もちろん店主は彼らの仲間を見た覚えはなく、特徴を述べられても該当する人物はここ最近では訪れなかったとの旨を伝えた。するとそのエルマイト旅団の者たちは他の人間たちにも聞き周り、やがてここにはいないと諦めたのか砂漠に帰って行ったという。
 また一行揃ってピタを食していたところに、エルマイト旅団の青年たちがある噂をしているのを耳にした。聞き耳を立てれば、ここ最近妙な機械を操る旅団員がいるらしいとの内容だった。その噂の内容が気になった四人は、早々にピタを平らげ、その青年らに声を掛けた。
「その話、詳しく聞かせてくれないか?」
 セノが率先してそう声を掛ける。知らない人間から突然声を掛けられたことに旅団員の青年たちはやや驚きを見せるが、セノの後ろにいるイムランとハフィズの学者服を見て何かを察したようだった。
「大した内容でもないと思うぜ。俺達もただ噂で聞いただけだからこの目で本当に見たわけじゃないんだが、どうにもその変な機械でキノコンたち? をこう捕まえてたのか何してたのか知らないがとにかく元素の流れを変えちまう装置を持ってる奴らがいるみたいなんだ」
 そんなものどこで手に入れたんだろうな。いやいやどうせただの噂だよ、と青年たちは噂を信じきっていない様子で笑いの種として済ませた。セノは青年たちに感謝を述べるとその場を去り、人気のいない場所――キャラバン宿駅の外まで三人とともに移動し、それぞれ得た情報からの推測を論じ合う機会を儲けた。
「カーヴェ。お前から見て、青年たち彼らが言っていたことはどう思う?」
 セノはまずカーヴェからの見解を聞こうと彼に話題を振った。どうも青年たちの噂話を聞いてから、カーヴェは何か思い詰めるような表情をしていることに気付いていたからだ。
 カーヴェは唸るように腕を組むと、眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「元素の流れを操る機械に関して言えば、正直妙論派でもよく議題に上がるほど、今までも造られてきてはいる。それは君たちもよく知っている事だと思う。特に素論派であるセノなら、必ず耳にしたことがあるだろう?」
「ああ。過去の産物も学生時代だった頃もよく耳にしていた。ただ、やはり元素を操ることは難しいのか成功した例はあまり見かけないし、しても用途の難しいものばかりだった記憶がある」
「そうなんだ。元素を扱う研究はそもそもの難易度が高く設定されがちだ。何せ扱いが難しい上に、用途も限られてくる。実験をしようにも大体の場合は危険が伴うことがほとんどだからね」
 カーヴェはまるで自分の過去を話すように言葉を述べていった。実際に過去、教令院にいた時代にその類の研究を行ったことがあったのだろう。
 そんなカーヴェだったが、そこまで語った後、まるで罪を告白するように瞼を伏せ、一息吐いて続きを語った。
「それで、これは僕の自論なんだが。元素を扱う機械の研究が一般的に難しいとされるのは、神の目を持つ人間が限られているからではないかと、僕は思うんだ」
 そう言ったカーヴェのセリフに、同じく神の目を所持しているセノは、その聡明な頭脳で、その先に彼が語ろうとしている事実を予測して息を飲んだ。イムランとハフィズは、それでつまり? と言った表情でカーヴェの話の続きを促す表情をしている。それにカーヴェは応えるように話した。
「僕はこの神の目を手に入れた後、それまでの悔しさの全てを注ぎ込むように、元素の流れについて研究した。そして元素を四散することが出来れば、例え神の目を持たない人たちでも、より元素生物の魔物たちを相手に有利に立ち向かえるんじゃないかと思って、一つの機械を造ったんだ」
 でもとカーヴェは続ける。
「それを作った後、気付いたんだ。たとえ元素の流れを四散出来たとしても、使い道は限られてくる。それに僕やセノのように神の目を持つもの、錬金術で元素武器を作って闘う者達がその場にいるなら、ただの邪魔にしかならないと」
 だから僕はその機械を破棄した、と、カーヴェはそう言った。しかし話はここでは終わらないらしい。カーヴェは己の過去を悔いるように片手で顔を覆い、さらに語り続けた。
「だけど僕はその機械の設計図を捨てることは出来なかったんだ。本当によく出来た作品だった。だからこそ、いつかこの機械が活躍する日が来るかもしれないと思って、教令院に申請だけを出して設計図の所有権利だけは得ていたんだ」
「それってつまり、さっきの噂で聞いた機械というのは、カーヴェさんが設計した物かもしれないということですか!?」
 ハフィズが思わず驚いた表情で尋ねる。カーヴェはその問い掛けに何か勘違いをされているのではないかと思い、慌てて弁論の意を唱えた。
「いや、違うぞ! 僕が実際に使った実物はきちんと分解して破棄したんだ。そのあとその部品の一部をメラックを作るのに利用したり、他の物を造るの再利用した。そこら辺に捨てたわけじゃ断じてないぞ!」
 そう捲したてるカーヴェに、ならどうしてこの話を? と言った表情でハフィズは返す。重要なのはここからなんだ、とカーヴェは添えて言った。
「今から四年くらい前か、ある男が僕の元に訪ねてきたんだ。一体誰から聞いたのか、元素を四散させる機械があることを聞きつけて僕の元に訪れたらしかった。男からは『砂漠で活動したいが魔物に襲われると堪らないから、良ければ設計図を売ってほしい』と言われた。それで僕は
 カーヴェは一息吐いて、自嘲するように笑った。
「やっと誰かの役に立つ日が来たのかと嬉しくなって、その男に機会の設計図を渡した。男の名前はええと確か……。そう、『ターリブ』。因論派の学者だった」
 依頼連絡は取ってないがと言葉を続けるカーヴェどったが、セノはカーヴェの口から出た『ターリブ』という名前を聞いて驚いた。それこそ彼の言う四年前――セノがマハマトラ就任した頃に、突然声を掛けられ接触してきた男であったからだ。
「ターリブという男なら俺も以前にカーヴェと同じく四年ほど前にあったことがある」
 セノのその発言に、一同はセノを振り返り彼の話を聞く。
「大した接触はしてないぞ。ただ
 あまりいい印象は抱いていないな、とセノは言った。

 セノがターリブと出会った頃、セノはまハマトラに就任したばかりであった。マハマトラに就任する際に、現在イムランやハフィズたちが着ている学者服を脱ぎ、今の装束へと変え、自身の覚悟と決意を胸に刻んだ折に彼は現れた。
 緑を基調とした学者服に、ラピスラズリの色を携えた髪を後ろで束ね、両耳に金のピアスをつけた男。彼はセノの装いを人目見た時、熱い眼差しをセノに向けた。視線に敏感なセノがそれに気づかない訳もなく彼のことを睨み付けると、彼はまるで興奮を抑えられないとでも言うようにセノに近づいた。そしてこう尋ねたのだ。
『君は砂漠出身だと聞いたが、本当か?』
 セノはその質問に何か身の毛のよだつ気味の悪さを感じたをのを覚えている。そしてセノはこう返した。『そうだとして、俺に何かようでもあるのか』と。
 それにターリブは『いいや』と返す。ただその事実を確認したかっただけだと。そして何も言わずに何やらブツブツと口ずさみながら、その場を離れていった。
 学者なぞ大抵は何かしらに狂った変な生き物であることが多い。だからこそあの男のような理解不能な行動など、この数年でもう見飽きるほどに見てきたのだが。
 セノは若干の薄気味悪さを覚えながら近くに居た者に、彼が何者であるかを尋ねた。そこでセノは初めてその者が『因論派のターリブ』という男だということを知ったのだ。

 そこまでセノは三人に語り、ターリブという人間の怪しさに思考を巡らせた。
 彼が因論派であるならば、かつてキングデシェレトの国であった砂漠に学術的興味を示すことは何も不思議なことでは無い。むしろ因論派――ヴァフマナ学院は、キングデシェレトの残した理論に対する否定と反省、そしてその中から様々な社会学科を生む学院である。故にスメールの歴史学、社会学などを重点的に学ぶ学院もである。
 しかしそれらを学ぶために例え砂漠に行くとしても、実物の文字や建物、引いては元素を研究している訳でもない因論派の人間が、わざわざ砂漠に行く理由とはなんだろうか。今は廃れたかつての病院だった場所、あるいはアアル村……。どちらにせよ、元素を四散させる装置など、因論派である学者が必要とするのは一体どういった場面での用途を指すのだろうか。
 一行は『ターリブ』という不可解な言動をする男についても詳しく調べる必要があると見て、カリールを探すついでにかれのことも調べようと、再びスメールシティへと向けて歩き出したのだった。


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 蒼々と生い茂る森の中をまた戻り、セノたち一行は神のいる街へと帰還する。四人がまっすぐ向かったのはもちろん、この国の中枢としての役割を果たす、かつては草神の牢獄であった教令院。そして教令院の豪奢な扉を潜り抜け、噴水の広場を通り過ぎ、ヴァフマナ学院の門を開いて、現賢者の執務室まで迷いなく向かって行った。
 現因論派の賢者はかつてアザールが画策していた創神計画に、生論派の賢者であるナフィスと共に反対したために一時期はナフィスと共に幽閉されていたが、かの事件が旅人やアルハイゼンの協力の元解決されてからは解放され、今は以前と同じく因論派の賢者としてヴァフマナ学院を支えている。
 そんな彼は今、賢者の執務室で机に向かい書類と向かい合っていたが、扉をノックする音で顔を上げ、「どうぞ」とセノたちが中に入ることを許した。
 扉を開け入ってきたのがまさか大マハマトラのセノであるとは思わず、賢者は驚いて席を立つ。
「セノ様! どうしてこちらへ? 何事かありましたか?」
 彼は慌ててそう尋ねる。セノやセノに続けて入室したカーヴェやマハマトラの二人に何事かあったのだとすぐにでも察した。そんな彼の問い掛けにセノは、時間は有限とばかりに担当直球に聞きたいことを尋ねた。
「突然押しかけて済まない。因論派の学者の中に『ターリブ』という男がいると思うのだが、彼が今どこにいるか知らないか?」
「ターリブ、ですか?」
 賢者はやや戸惑いの表情を見せる。その様子にセノは眉をやや顰めるも、彼からの言葉の続きを待った。
「彼ならもうこの学院には所属しておりません。数年前に学者を辞めると突然辞表を突き出して、おそらくすメールシティからも移住していると思います」
 その言葉に、一同は意表を突かれたように身を見開き驚きを顕わにした。そしてセノは続いて質問を投げかける。
「ターリブが辞表を出したのは何年くらい前か覚えてないか?」
「たしか四年程前だったと思います」
 四年前――カーヴェと接触していた時、既に辞表を出して学者を辞めていたのかは分からないが、少なくとも同じ年の出来事である事がわかった。
「シティからも移住していると言っていたが、どこに行ったか分からないか? だいたいでもいい」
 セノは続けて尋ねる。それに賢者も顔を顰めて当時のことを思い出しながら、答えていった。
「あくまでもこれは私の推測ですよ。彼が住んでいた家はシティ内にあったのですが、たまたま以前私が前を通った時にはもう別の方が住んでいましたので、移住したのかと。兼ねてより彼は、砂漠に対して他の人よりも熱心な感情を持っていましたし、恐らく砂漠の方へ行ったのではないでしょうか
 彼から直接話を聞いたわけではないので何とも言えませんがと賢者は自身の知りうる限りの情報をセノに伝えた。それにセノは頷く。賢者は、しかしどうして彼を探しているので? とセノに尋ねた。
「今朝から教令院の書記官が行方不明になっていてな。砂漠の方でも行方不明者が多発していて、そのこととターリブに何か関係があるんじゃないかと鑑みて現在捜索中なんだ」
 今度は賢者が驚きを示す番だった。書記官と言えば、件の事件で自分やナフィスを救い出す計画を立て、そして実行してくれた方だ。まさかその彼が今行方不明だなんて、と因論派の賢者は顔を青く染めた。
「もし私に何か出来ることがあればご協力致します。無事に見つかることを願ってます」
 賢者はそう言い、セノたちに積極的に協力の意を示した。日も暮れてきた頃、セノはその後賢者から以前のターリブの住所を聞き、明日の朝最初にそこを訪れようと一同は一度解散し、それぞれの家に帰宅することになった。
 教令院から出てさほど遠くない坂道を下っていく。赤く人の高さほどある大きな壺が傍にある家まで歩いてきて、カーヴェはポケットに手を突っ込んだ。
 アルハイゼンとは対になる金色の鍵を取り出して、鍵穴に差し込み、カチャリと音がするまで回す。そして抜き取り、もしかしたら何食わぬ顔で帰っているんじゃないか、なんて淡い期待を持ちながら玄関を開ける。がしかし、やはり玄関を開けた先は真っ暗で、物もカーヴェが出ていったきり動いてなどおらず、彼が帰ってきていないことは明白だった。
 カーヴェは肩を落とす。誰もいない家に帰るなんて慣れたことであったはずなのに、アルハイゼンと住んでからというもの、ここが彼の家だということも相まってか、彼のいない家に帰るのはこれ程までに悲しさを生むものなのかと、カーヴェはその現実から逃げたいような心地になった。一瞬酒場へ行って時間を潰そうかとも考える。しかしもし、この後にアルハイゼンがひょっこりと帰ってきたら? そんなことを考えてしまうと、酒場になんて行けなかった。彼の家を――自分たちの家を守るようにカーヴェは玄関から中へと入り、そして内側から施錠した。
 アルハイゼンのいない家のカウチに座り、項垂れる。膝に肘を付いて、自身の左手薬指にある彼とお揃いの指輪を、カーヴェは落ち着きない様子で右手の指の腹で撫でた。この指輪はカーヴェが数日前にアルハイゼンにプロポーズをした時に渡したものである。彼とはもう出会ってから数えれば十年弱の仲になる。互いしかいないと思えるのような学生時代を過ごし、互いに大きな溝を生んでから数年は袂を分かっていたが、何の悪戯か、アルハイゼンが五年前に酒場でカーヴェを拾ってから紆余曲折を経て、カーヴェとアルハイゼンは恋人になり、そして婚約さえも結んだのだ。一等憎らしく愛おしい彼に自分のとっておきの指輪を贈ろうと、カーヴェ自身が自作した、正真正銘この世で一つしかない指輪だ。そんな指輪を嵌めてから、まだ一週間も経ってない。
「アルハイゼン……どこに行ったんだ……。なんで帰ってこないんだよ……
 家が何よりも大好きな君が帰ってこないなら、僕のいる意味なんてないのに。そんな穿った考えをついしてしまう。ついどころか、カーヴェは元来からこういった考え方なので何も珍しいことではない。だが健全ではないので、やはりこの一人の時間を乗り越えるための〝供〟というものは必要になってくるだろう。
 カーヴェは「ダメだ」と心の隅で罪悪感を結局は伴いながらも腰を上げて、部屋の隅に置かれた霧氷花の花蕊が入れてある木箱へ近づき、蓋を開けた。開けた隙間から冷気が漏れてくる。中には二人で飲むために買っておいたワインがいくつか入っていた。
 カーヴェはその中の開封されてあるものから手を出し、木箱の中から取り出した。そして蓋を閉めて再びカウチに戻ると、テーブルに広げてある食器を一つ掴んでひっくり返し、中にワインを注いだ。
 匂いも味も、今はどうでもいい。胸の中に渦巻く不安と寂寞せきばく、それらさえ払拭出来て、この時間をただ生きて過ぎることさえ出来ればなんでもいいのだ。それが彼なりの世渡りであり、虚しい生き方であった。
 散々にして思い知らされる。もうきっと自分はずっとずっと昔から、アルハイゼン無しには生きていけない身体になってしまったのだと。
「僕に酒をやめさせたければ早く帰ってこい、アルハイゼン。さもなくば君の分まで飲み干してしまうぞ」
 カーヴェは鼻をすすりながらカップに口を付けて、その赤い液体を身体の中へと流し込んでいく。そのうち勝手に酔いが回って寝るまで、彼はそれを続けた。こうでもしなければ、彼は一人の夜に押し潰されそうだった。


  ꧁——————————


 しかしてカーヴェは朝寝坊をすることもなく、ガンガンと痛む頭を押えながら、窓から差し込む朝日に目を眩ませながら、適当にシャワーを浴びて用意も程々に髪を乾かすと直ぐに家を出て行った。ガチャリとしっかり施錠を施す。今日こそアルハイゼンが見つかることを願って、カーヴェは昨日セノたちと待ち合わせることにしていた元ターリブの家であった場所の近くへと向かった。
「カーヴェさん、おはようございます」
「おはようございます」
「ああ、おはよう。君たちはさすが早いな」
 昨日よりもラフな格好――正確には学者服ではない私服姿のハフィズとイムランが、待ち合わせ場所に一番最後に現れたカーヴェへと挨拶をした。
「おはようカーヴェ。少し顔色が悪いようだが平気か?」
 さすがの洞察力でセノはカーヴェの――自業自得のの不調を読み取り、カーヴェは苦笑しながら「大丈夫だ」と答えた。大マハマトラの彼は格好を改めるつもりはなかったのか、いつも通りのこだわった衣装を着てきている。
「ところで、君たちはどうして私服なんだ?」
 カーヴェはそれとなく話題を逸らすようにハフィズたちに声をかける。
「学者の格好の者が――それこそマハマトラみたいなのがぞろぞろといたら、周りの人に威圧感を与えてしまうでしょう? なので今日は調査だけと思って動きやすい服で来ました」
「右に同じく」
 ハフィズの回答にイムランも合わせる。本当に仲のいい二人だ。カーヴェは彼らのことを詳しく知らないが、昨日と今日とで二人の距離感は兄弟に近いような感じがしていた。二人はどういった仲で、今こうして同じマハマトラなんて職をやっているのだろうか。またこの件が終わった時にでも聞いてみようと、カーヴェは思った。
「揃ったならそろそろ行こう。ターリブが住んでた住所はここからすぐの場所だ。さほど時間は掛からないだろう」
 セノを先頭にして四人は歩き出す。スメールの民家が立ち並ぶ街を過ぎて行き、ビスマリタンを越えた先の右手側。そこにポツンとある一軒家が、元ターリブの住所だった場所だという。
「ここだな。だが
 セノはその一軒家が見える程よい距離の場所で立ち止まり、家の庭先へと目を向ける。
 快晴の空の下、鮮やかに彩られたブランケットやマットの数々を物干し竿へ干していく女性と男性。そして彼らの足元には幼い男児が元気よくパティサラの咲く庭を駆け回っていた。
「どう見てもこの夫婦の間にターリブがいるとは到底思えないな
 カーヴェがそう言った。明らかに無関係である上に、ターリブのことを知っているとは到底思えない、幸せそうな家族だった。
 僅かにでもターリブの事がわかる手掛かりはあるだろうかと淡い望みを抱いて、「ここは俺が少し聞いてみます」と人懐こそうな笑みを浮かべたハフィズはそう言うと、庭先の家族の方へと向かって行った。
 二、三言、ハフィズは夫婦に前住人のことについて尋ねる。そして戻ってくると、やはり夫婦はターリブのことはあまりのよく知らないのか期待できる回答は得られなかったそうだ。ハフィズはこちらを振り返って軽く首を横に振りながら戻ってきた。
「やはり彼については何も知らないようでした。この家も、教令院の不動産関係の方から空き家を尋ねて見つけたものらしいです」
「そうか。ならやはり、砂漠に行くしかないようだな」
 実は昨日お前たちと解散したあと、妙論派の賢者にも会ってきたんだが、とセノは続けて言う。
「音信不通になってるカリールは、どうやらファラウラの言う通りこの雨林地帯をメインに活動を行っていたらしい。それで『良い金額が集まったから、そろそろ砂漠に帰る』と言っていつものように帰って行ったそうだ」
 それがちょうど二ヶ月くらい前のことだったとのことだ、とセノ言う。以前の妙論派の賢者は件の事件で失脚しており、今は新しい賢者が抜擢されているはずだが? とカーヴェは不思議そうな顔をした。それに目敏く気付いたのか、セノはカーヴェが口を開けるより先に彼の疑問に応えた。
「どうやら今の妙論派の賢者がカリールと学生時代から仲が良かったらしく、こちらに帰ってきたら頻頻に話をしに来てくれるんだそうだ」
 なるほど、とカーヴェは納得した。
 スメールには『年功序列』というような制度は存在しない。秀でたものは若いうちからその目を芽吹かせて、際限なく陽の光を浴び続けるし、いつまでもその日陰にいる者も少なくない。なので妙論派の星とも呼ばれるカーヴェが、次の妙論派の賢者として選ばれることは十分有り得た。実際、賢者を推薦するアンケートを取った際にはカーヴェの名前も多く票に入っており、忖度無しに次の妙論派の賢者はカーヴェじゃないか? と噂されていたほどだ。しかし、結局はカーヴェはその賢者の推薦を自ら辞退し、今もこうして個人でデザイナーとして活動をしている。何故彼が賢者を辞退したか。それは一重に例の学院祭での出来事が大きく関わっていると言って過言ではないだろう。あの一連の出来事は、彼のこれまでの人生の価値観や考え方に新たな視点を齎したに違いない。
「このことをファラウラに伝えよう。今から行けば、まだ彼女はキャラバン宿駅にいるはずだ」
 セノがそう提案する。その提案に異を唱える者はおらず、一行は急いでキャラバン宿駅へと向かった。

 
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「そう彼はまた砂漠に行くと言っていたのね
 キャラバン宿駅に到着した一行は、出店で買い物をしているファラウラを見つけ、教令院に戻ってからのことを話した。その報告を受けたファラウラはほっと、しかし少し困ったように一息吐いた。その表情はまるで、カリールが自分たちを見捨てたわけではなかったのだと安堵したような、それでいて僅かな呆れを思わせるような、そんな表情だった。
「ここの出立記録を見てみよう。そうすれば彼がキャラバン宿駅を通ったのかが分かるはずだ」
 雨林から何かしらの物資を砂漠に運ぶ際にはその旨を報告するために、観察局で申請をする必要がある。そこで物資を運ぶ許可証を得てやっと通る事が出来るのだ。先日のファラウラの話から、カリールは今回も恐らく雨林で買い物をして、それらを砂漠に持って行こうとしたはずだ。故に記録が残っている可能性が高い。そしてセノやマハマトラの権限があれば、その記録の閲覧も可能だ。
 ファラウラも連れてセノたちはキャラバン宿駅の観察局へと再び足を運んだ。今日も観察局への出勤していたベナムに声を掛け、二ヶ月前からの出立記録を提示するよう依頼した。ベナムは了承するとしばらく一行を待たせ、程なくしてファイリングされた資料を持ち運んできて、それらを机の上に広げて見せた。
「ええと、カリールカリール……
 そして名前がずらりと並ぶリストを指でなぞりながら確認していく。すると「あっ!」と声を上げて、ある一点で指が止まった。
「ありました! 確かに二ヶ月前に衣服数枚といくつかの部品を持ってキャラバン宿駅から出立しております」
 ビンゴ。思わず皆は胸の中でそう唱えた。
 キャラバン宿駅を発っているなら必然的に次に向かう現場はアアル村に限られる。アアル村を通らずして、砂漠の僻地へと赴く事は困難を極めることだ。必ずでは無いにせよ、通っていない証左もない。人を探すのであれば、誰かを尋ねるより他にないのだ。
 セノやその周りの皆も同じことを考えていたようで、必然と全員で顔を合わせる。幸いなことにセノにはアルハイゼンと同様の知り合いがアアル村にいる。何かしらの情報は得られるだろうと、セノたち一行は次なる目的地をアアル村へと変更した。

 キャラバン宿駅でギリギリ塞がれていた風砂も、その境を超えてしまえば人を襲う災害となる。アアル村までの道は防砂壁の附近ということもあり、砂塵が砂漠の中心地よりも激しく舞い上がる。よって視界は劣悪で、慣れない者が一人ででここを通れば、道を失うことは想像に難くないだろう。一行にとってはハフィズとイムラン以外は砂漠に何度も足を運んだ経験があるからか、そんな風砂も慣れたもので、慣れない二人に気を遣いながら、砂漠の最後の砦と謳われるアアル村へとたどり着いた。
 ナツメヤシの生え揃う街で、セノは吊り橋を渡って階段を昇って行き、村長の家へとまっすぐ向かう。一行も迷いなく進むセノに着いて行く。すると家の出先にセノの見知った二人の女性がいるのを見掛けた。
「キャンディス、ディシア。久方ぶりだな」
 セノが彼女たちに声を掛けると、それに気付いた彼女たちが話を中断させて振り返った。
「よお、久しぶり」
「セノさん、お久しぶりです。今日は一体どうされたのですか?」
 キャンディスはセノの後ろに控えているカーヴェたちを一度見遣ってから、再びセノへと視線を戻す。セノがぞろぞろと人を連れているだけでも珍しいのに、中にはエルマイト旅団の者もいた事から、キャンディスとディシアはただ事では無いと瞬時に察知した。
「最近頻発している行方不明者について捜索をしているんだ。それで、そのうちの一人にアルハイゼンも入っているかもしれないんだが、もし何か知っていることがあれば俺たちに教えてくれないか」
 キャンディスとディシアは思わず顔を見合わせる。ぱちくりと目を瞬かせるその表情を不思議に思ったセノが首を傾げていると、ディシアが説明を施した。
「ちょうどあたし達もそのことについて話していたところなんだ。最近あたしの周りの旅団の連中も数人見当たらないことが増えたから、キャンディスにもその忠告をしてたんだが……まさかアルハイゼンも行方不明になってるなんて
 ディシアは深刻な表情でそう告げた。おそらく彼女も先程この村に来たのだろう。それでキャンディスを訪れてこうして話をしていた、といったところか。
「今俺たちが探している人物はカリールという学者の男とアルハイゼンなんだが、どちらもこの村で見かけなかったか? 少なくともアルハイゼンは二日ほど前に砂漠に来ているはずなんだが
 セノはキャンディスにそう尋ねた。しかし無情にもキャンディスは首を横に振った。
「ごめんなさい。アルハイゼンさんも、カリール? さんという方もおそらくお見かけしていません。ここ最近で学者の方は、この村に滞在されてる方々しか村を訪れていませんので」
 お力になれず申し訳ありません、とキャンディスは申し訳なさそうに目を伏せて答えた。しかしそうとなるとアルハイゼンやカリールは、アアル村へと来る前に攫われたか、あるいは別の道を辿って誘拐、もしくは遭難したか、という話になる。
「じゃあターリブという名前に聞き覚えはありませんか?」
 そう尋ねたのはカーヴェだった。唐突なカーヴェの問い掛けに、キャンディスは戸惑いの表情を浮かべる。
「いえありませんかその、あなたは?」
 ハッとしてカーヴェは居住まいを正す。そして自分が名を名乗っていない無礼を詫びた。
「失礼、僕はカーヴェと言います。ええとアルハイゼンのルームメイトってやつで二日ほど前から彼が帰ってこないから、彼を探してるんだ」
 カーヴェの名乗りに今度はディシアがハッとして、考え込むような仕草を見せた。
「カーヴェ? カーヴェ……、ああ! ドニアザードお嬢様が言ってた人か!」
「僕を知ってるのか?」
 意外だ、とばかりにカーヴェは目を張る。ディシアはスッキリと嬉々とした表情でカーヴェを知った経緯を語った。
「ああ、あの時は名前だけだったけどな。あんただろう? あのアルカサルザライパレスを作ったっていうデザイナーは。一度お嬢様と一緒に見に行ったが、とても圧巻だったことをよく覚えているよ」
 まさかアルハイゼンのルームメイトだったなんてびっくりしたよ、とディシアは続けて言った。
「あたしはディシア。エルマイト旅団として活動してる。主に個人で、だけどな。会えて光栄だよ」
 そうディシアは言ってカーヴェに右手を差し出す。カーヴェは喜んでその右手を握り返すと、キャンディスとも握手を交わした。
 あとの三人は?とディシアが控えていたイムランとハフィズとファラウラに声を掛ける。その一声にみなを代表するようにハフィズが一番に名乗りを上げた。
「俺はハフィズ。セノさんの後輩です。そしてこいつはイムラン。俺と同じくセノの後輩のマハマトラです。それから
 そう言ってハフィズは後ろにいたファラウラを振り返り、キャンディスとディシアの二人に紹介した。
「こちらはフェニキアから来たファラウラさん。カリールという学者さんを探しています」
「こんにちわ。砂漠の端くれ者だけれど、あなた達に危害を加えるつもりは無いから安心して。私はただ、カリールを見つけたいだけだから」
 芯の通った凛とした声でファラウラは言った。
「村に危害を加えないというのであれば、私はあなた達を客人としてもてなししましょう。それでターリブという学者さんのお話でしたか」
 キャンディスはカーヴェに向き直って話を戻す。それにカーヴェは黙って頷いた。
「残念ながら私はターリブという名前に聞き覚えはありません」
 その答えを聞いたカーヴェは、そうかと肩を落とした。アアル村になら何な手掛かりががあると思ったのだが。そう彼が思った時「ですが」とキャンディスが言葉を続けた。
「ですが随分と前に、学者服の男性が頻繁に『ダールアルシファ』へと足を運んでいたのを、村の住人が何度も目撃したことはあります」
 この件に関係があるかどうかは分かりませんが、そうキャンディスは言ったが、異様なら学者の存在が現れるだけでもある今回の件ではある意味収穫と言えるだろう。
「ディシア、お前の情報も出来れば俺たちに共有してくれないか」
 どうもこの件は各所の要因が重なって生まれている気がする、とセノは自身の推測を述べ、先程キャンディスに伝えていた内容をもう一度自分たちにも伝えるよう促した。
「ああ、構わない。それであたしらの仲間も帰ってくるなら、それに越したことはないしな」
 と、ディシアも快く引き受け、キャンディスに語った内容と同じことをセノたちにも共有した。
 ディシアの情報はこうだ。最近エルマイト旅団の中でも一部の連中が何やらおかしな機械を使うようになったとのこと。そしてそれはまたごく一部の砂漠の部族にいるような悪霊使いのような類いでは無いこと。それからそれらが現れてから、エルマイト旅団内でも行方不明者が現れていること。その行方不明者はすぐ特定されるわけじゃなく、大体一人でいるところを狙われるのか、数日経ってから最近見かけないことに気付いてようやく行方不明となっているケースがほとんどだと言う。エルマイト旅団はその仕事柄、いつ命を落としてもおかしくは無い職業でもあり、砂漠という劣悪な環境での生存競争を余儀なくされている。そして帰ってこなくなった者の消息を探すことは、たしかな目撃情報がないことには砂の粒を見つけるようなものだ。ゆえに滅多なことがない限り捜索などは困難を極めるものだ。
 だが今回のケースは流石におかしいとディシアはその鋭い直感から推測を出し、キャンディスを筆頭としたアアル村の皆にも知らせようと遥々村へと訪れた、という経緯だった。
 ディシアとキャンディスの話を聞いたセノは考える仕草を見せた。ここまで調査をして新しい情報といえば、やはりダールアルシファに向かっていた学者の男のことだろう。
「ダールアルシファに向かっていた学者は最近は見かけないのかい?」
 カーヴェも気になったのか、キャンディスにそう尋ねる。それにキャンディスは「ええ」と答えた。
「ここ最近は見かけなくなりました。と言っても見掛けていたのはかなり前のことでして見かけなくなくったのは一年ほど前からです」
 「初めて見掛けたのは何年くらい前だったか覚えているか?」
 セノがそう問いかける。キャンディスは遠い記憶を呼び起こすように、目を瞑って問いに答えた。
「確か三、四年程前です。村には立ち寄らず、何度も真っ直ぐにダールアルシファを目指していました。村の者も何度か声を掛けたんですよ。『危険だから一人であまりうろつかない方が良い』って。それでも彼は行くことをやめませんでした」
最近は見掛けていませんが、今でも生きているかどうか。キャンディスの話にセノとカーヴェ、引いては残りの三人も、その学者の男がターリブである可能性を見出していた。
 こんこんとした沈黙が広がる。少なくとも今現状で分かっていることは、その謎の学者が砂漠に移住したターリブである可能性がある、ということだけだ。それすらも確証の無いことではあるが、時系列を考えれば不思議と合致しているその学者を疑うより他には無いだろう。
 アアル村を守るように囲む赤岩の山々に、砂漠の熱の権化である太陽が傾き沈んでゆく。紫のコントラストをうみ始めた空に、各々考えを巡らせていた。
今すぐダールアルシファに行こう」
 一同の沈黙を破るようにそう声を上げたのは、意を決したような表情をしたカーヴェだった。焦りを滲ませる瞳はチリチリと火花を放つように輝き、今すぐにでもこの村を発って、唯一手掛かりを見つけられそうなダールアルシファへ目指さんとばかりに震えている。しかし、その闘志を挫くようにセノは「否」を唱えた。
「逸る気持ちもわかるが、これから日が暮れる。今からダールアルシファに向かうのは流石に危険だ」
 もしディシアの言う『謎の機械』を操る集団がダールアルシファにいたら、例え武の才があったとしても何が起きるか予測がつかない。ただでさえあの付近は砂塵嵐で視界は劣悪なのだ。そんな所へ寄るに向かうなど、鴨が葱を背負って行くようなものだろう。
「そうだけど……でもそこにアルハイゼンがいるかもしれないのに!」
「今から助けに行って、敵に返り討ちにされたら元も子もないだろう。それに、いると確定したわけじゃない。ここは慎重に動くべきだ、カーヴェ」
 セノは往なすように、もっともな言葉を投げかけた。カーヴェはぐっと奥歯を噛み締めるように眉間に皺を寄せ、渋い表情をする。他に理由を探すように視線をさ迷わせていたが、やがてセノを説得できるほどの理由が思いつかなかったのか、悔しげに諦めの嘆息を吐いた。
「明日、日の出と共にここアアル村を発とう。それが最善だと、俺は思う」
 セノはそう言うと、ファラウラへと振り返った。
「ファラウラ、お前はこれからどうする?明日、俺たちと共にダールアルシファへ行くか?」
 腕を組んでセノはファラウラに尋ねた。ここから先はいつ敵が出てもおかしくはない。そんな中へ、戦えるのかも分からない彼女がどう動くのか、セノは見極めていたのだろう。ファラウラは少しの沈黙の後、顔を上げてセノに伝えた。
「私はここで一泊したら、そのまま集落へと帰るわ。きっと明日あなた達と同行しても、私は足でまといになるだけだから」
 ファラウラの冷静な判断に、セノは「分かった」と頷いて応えた。
「皆さまアアル村に泊まるのでしたら、今から宿の手配をして参ります。ここで少々お待ちください」
 話が纏まったところでキャンディスがそう言い残してその場を離れていった。
「あたしは今回のことをもっと詳しく知れるように、旅団の奴らから話を聞いてくるよ。情報は多いにこしたことないだろうからな」
 ディシアは残ったセノたち一行に彼女の予定を伝えた。その場にいたものは皆その言葉に納得をし、各々に納得の意を表明した。
 それから数分後、話をつけて戻ってきたキャンディスに連れられて、一行はアアル村の宿に寝泊まりすることになり、明日に備えて早めの睡眠を摂ることにした。
 
 
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 アルハイゼンが見つからないまま二日目の朝を迎えた。ただでさえ先日も眠れていないのに、今回は酒も無いことも相まってかカーヴェはさらに寝付けなかった。しかし、たとえ寝付けなくとも朝はやってくる。大した眠りも摂れないまま翌日を迎えた。カーヴェの目の下の隈が酷くなっている事にセノは気付いていたが、彼に言っても「大丈夫」と答えるだろうと予測して、結局何も言わなかった。
 ファラウラは早朝、皆に挨拶をしてから「カリールをどうかお願い」とだけ残し、集落へと帰るためにアアル村を去っていった。一行はファラウラが向かった方とは逆側――つまりアアル村にある七天神像の近くに行き、そこでキャンディスたちに宿泊の礼を述べていた。
「キャンディスありがとう。色々と助かった」
「いえ、こちらこそこのくらいしか出来ることもありませんので。行方不明の方々が早く見つかることを願ってます」
 キャンディスは胸に右手を当てて祈るようにそう言った。セノたちもその言葉に頷き返し、ダールアルシファへと向かうための道を一歩進める。すると途端に傍にあった七天神像が眩く光り、その場にいた皆の目をくらませる。
「な、なんだ!?」
「七天神像が光ってます!」
 驚くカーヴェにハフィズが腕で目を覆いながら神像を確認する。そしてしばらくすると発行は引いていき、一人――正確には二人か――の人物の姿が現れた。一人は金髪の長い髪を三つ編みに編んだ少年。そしてもう一人はその少年の近くにぷかぷかと浮く白い妖精のような少女。
……!お前は
 セノは現れたその人物に思わず口角を上げて迎える。思わぬ助っ人が登場してくれたものだ。
「セノ、カーヴェ、アーラヴから話を聞いたよ。良かったら俺も手伝わせて」
 

Ⅲ  イシュクの実  

 
 捕らえられてから一晩が経った。筋弛緩剤によって眠らされた身体と意識が、倦怠感を伴って目覚め始める。そしてここがどこなのかアルハイゼンは確認しようと身動ぎ、そして、ジャラという音が聞こえると共に、嫌でもこれが夢ではないことを突きつけられる。大して広くもない鳥籠のような檻の中。腕は後ろにし、手首に枷を掛けられて解けない。両足首には枷と、歩くには支障がなさそうな長さの鎖が枷と枷の間にジャラリと生えていた。服も眠っている間に剥がされたのか、薄汚れた白いガラビアに変えられており、神の目も押収されていた。
「ああ起きたのか」
 声を掛けられる。意識が落ちる前にも聞いた、己を攫った男の声だ。アルハイゼンは緩慢な動作で振り向くと、やはり例の男がアルハイゼンの入れられている檻の外からアルハイゼンのことを見ていた。
「俺はお前の世話を任された。儀式の日が来るまで、舌でも噛んで死なれちゃ困るからな。だからそれまで良い子にしてろよ」
 人間の世話なんてしたことねぇし、まぁ夜になったら別のやつが来るんだけどな、と男は素っ気なく言う。男のその発言に、洞窟内で考えた『この男を動かしている人物がいる』という推測は正しいことが証明された。それが未だに学者なのか旅人の言うファディュイなのか、はたまた別の勢力なのかは分からないが。
 無口なアルハイゼンの様子に呆れでもしたのか、男はため息をついて再び口を開く。対するアルハイゼンは言わずもがな、変なところに連れてこられて、その上清潔感のなさから大層ご機嫌ななめだった。
「んでお前。メシと用を足すの、どっちを先にしたい?」
「なぜ君にその選択を迫られなければならない?」
「はあ? お前自分の状況分かってないのか?」
「君が世話係と言うなら世話をされる側である俺の要求を聞くべきだ。君から選択を投げられる筋合いはない」
「はぁマジでターリブさんの言う通りだぜ。お前チロンハ? の人間なんだってな。チロンハのやつらとはまともに会話をしたらダメだって言ってた意味がわかったよ」
 そんで、お前は何がしたいんだ? と男は尋ねる。
「ちなみに枷を外せとか、脱出とかそういうのは聞いちゃやれねぇぞ。わかってると思うけどな」
「なら用を足す。ここから出せ」
「へいへい」
 男が檻の鍵を開ける。瞬間、アルハイゼンはそれを見計らい男を突き飛ばそうと突撃するが、それを予測した男が一歩横にズレて躱し、アルハイゼンはの足首の鎖の長さに見合わない動きをしたせいでつんのめり、そのまま硬い砂の上へと倒れてしまった。筋弛緩剤の作用が抜けきっていないのか、足がもつれ、それに加えて急に動いたせいか息が上がり、目眩がした。
「はは、元気がいいな。言っとくが暴れたらまたこの薬を打つからな」
 男は洞窟で見せたものと同じ色の液体が入ったし注射器をチラつかせる。そして倒れたアルハイゼンに近づき、片腕で腕を引いて抱き起こすとアルハイゼンの背中を叩いて歩行を催促させた。
「着いてこい。案内してやる」
 男はアルハイゼンの前へと進み、顎をしゃくって方向を指し示し先へと歩いていく。アルハイゼンはフラフラとした足取りのまま、洞窟の中の奥へと連れていかれた。松明が一つともされただけのその場所は暗く、しかし近付くにつれて徐々に酷い臭いがアルハイゼンの花を掠めていき、そこがここの者たちの閑所なのだと分かった。
「早く済ませろよ」
 男はそう言って壁にもたれる。そんな男の所作を見てアルハイゼンはここからの脱出を画策するが、薬の副作用か意識が散漫として、いつものように考えがうまくまとまらない。それに手枷をつけたまま用など足せない。そんなことは気付かないのか、男はのんきに待ち、挙句に「はやくしてくれ」と催促する程だった。
 アルハイゼンは別に用を足したいわけではなかった。外に出れさえすれば脱出出来ると思ったのだ。メシを選ばなかったのは、檻の隙間から与えられるだけだと判断したからであり、用を足すとなれば自身を檻から出すほかないと踏んだのだが、これは神の目を剥奪され薬の作用を考慮しなかった自身の爪が甘かったと言えよう。
「手枷を解いてくれなければ用は足せないんだが」
 アルハイゼンは呑気に待つ男に向かってそう言った。男が風の鍵を持っているとは到底思えなかったが、物は試し手見なければ分からない。男がどう動くのか、アルハイゼンは注意深く観察した。
「あぁ、わりぃ。そりゃ出来ねぇよな」
 男は組んでいた腕を解いて頭を掻き、うーんと少し考えると大きな声を上げて誰かを呼んだ。
「ナチ!こっちに来てくれ!」
 暗い遺跡内に男の野太い声が響く。しばらくするとこれまたアルハイゼンが気を失う前に男と共にいた仲間の男が姿を現した。
「兄貴、どうかしやしたか?」
「こいつのトイレ手伝ってやるから、もしこいつが暴れたらこれをこいつに打ってくれ」
 男はナチと呼ばれた、やや細身の男に筋弛緩剤の注射を渡す。そしてアルハイゼンに近付くと、アルハイゼンを壁に向かせて背面に立ち、後ろから前へ腕を回し、ガラビアの裾へ手を掛けた。
 男のその行動にアルハイゼンはゾッとする。男は恐らく鍵を持っていない。だがその上で、このような行動をアルハイゼン相手に取ったのだ。これが捕らえた人間に行う扱いだろうか。気味の悪い献身さをアルハイゼンは男から感じた。
「もういい。出ないから裾を下ろせ」
「なんだよ。用を足したいってのは嘘だったのか?」
 裾を脚の半ばまで上げられたところでやめさせた。男は持っていた裾を離すとナチに渡した注射器を再び手に取り、アルハイゼンの腕を掴んで引っ張る。
「生憎だけど俺は枷の鍵なんざ持ってねぇよ。それが気になったんだろ」
……
 伊達に砂漠でエルマイト旅団をやってないのか、アルハイゼンの目論見は気づかれてしまった。
「誰が持ってるかは……まぁ、その賢い脳みそ持ってるなら言わなくてもわかるだろ」
 男はアルハイゼンの腕を引っ張って檻まで連れていき、再びその中へ入れて施錠し、ナチを檻の近くに残してその場を離れた。アルハイゼンは男の言った言葉で先程男が『ターリブ』という名を口にしていたことを思い出す。男曰く、そのターリブという人物から知論派のことを聞いたらしいが、教令院の学派の特徴をよく知っているような口ぶりから、恐らくそのターリブという人物は教令院の学者の出自、もしくはそうでないとしてしも教令院の近くにいた人物と考えられる。そして裏で何かと手を回しているのも、十中八九ターリブという人物であろうことは容易に推測できた。
 ここまで用意周到に薬や機械を扱えるなど、もしターリブが一般人であれば、とんだ天才だ。ただの一般人であれば普通こんなことは出来ない。故にアルハイゼンはターリブを教令院出身の学者だろうと見込んだ。
 そこまで考えが至ったところで場を離れていた男が両手に何かを持って戻ってきた。持っていたものを檻の隙間から中へと入れる。それは半分に割ったデーツの実と何かの干し肉だった。
「餓死でもされたら困るからな、メシだ。食っとけ」
 そう言って男はアルハイゼンの使えない手の代わりに干し肉を持って差し出してくる。
…………
 確かにアルハイゼンはここに来るまで何も食べていないし飲んでもいない。喉はカラカラで、腹も空いている。しかしアルハイゼンはそれを到底食べようと思う気が起きなかった。そして差し出されたそれに顔を背けて、不要の意を示した。
「今食べとかねぇと後で食えないかもしれないぞ」
「死なれたら困るんだろう?ならそっちはどうにかして俺を生かすだろ」
「それもそうだが……ああくそ、お前みたいに頭のおかしい奴と話すのはめんどくせぇ」
「それはどうも」
 男は大きく溜め息をつくと持っていたデーツと干し肉を檻の中へ置き、自身の武器を取り出して近くの岩場へと座って武器を磨き出した。
「まぁどうせ食わなくても、儀式は明日行われるんだ。そうしたらきっと、俺たち砂漠の民は救われる」 
 男は誰に言うでもなく、独り言のようにそう呟いた。
 
 
 それから男やナチと会話をすることもなく日は傾いていき、斜陽が冥府へと至る頃、洞窟の入口の方から赤い目隠しをした別のエルマイト旅団の男が現れた。
「交代だ。夜は俺が見る」
 屈強な筋肉のついた上半身を惜しみなく晒し、古代の呪具のようなものを身に纏った男だ。その呪具にはジンニーと呼ばれる悪霊が取り憑いていると噂に聞くが、実際にアルハイゼンはその目で見たことがなかったため、審議の程は定かではなかった。
「ラウダ、待ちくたびれたぜ。この兄ちゃん喋ったら嫌味しか言わねえからつまんなくてよ。来てくれて安心したぜ」
 じゃ、後のことは頼んだ、と言って男は檻の鍵を手渡してナチを呼び、共に洞窟内から去って行った。
 ラウダと呼ばれた男がアルハイゼンのいる檻へと歩み寄る。すぐ傍までやって来て緩慢な動作でしゃがみ、中にいるアルハイゼンをまるで観察するように眺めた。目を赤い布で覆っているのに見えているのかとアルハイゼンは疑問に思ったが、口にはしなかった。
……何も口にしていないのか」
 ラウダは檻の中に置かれたやや乾いたデーツの実と干し肉を見てそう尋ねた。
「人の世話の下手な奴だったんでな。生憎」
 アルハイゼンは自分から断ったことを棚に上げて男への皮肉を口にした。
「待っててくれ。ほかのものを持ってくる」
ラウダはそう告げるとその場を離れていき、しばらくした後またあの男のように両手に何かを持って帰ってきた。
「パンとミントティーだ」
 ラウダはまず檻の中へとそれらを置き、不用心にも檻の施錠を解いて十分にスペースを確保し、アルハイゼンが飲めるようにとまずはミントティーから差し出した。
「せめて一口でも飲んでくれ。でないとあなたの身体がもたない」
……
 確かに彼の言う通りである。丸一日以上飲まず食わずでいるのは砂漠の駄獣になったわけでまあるまいし、さずがのアルハイゼンでも限界というものがあった。ラウダは真摯にもアルハイゼンがそのミントティーに口をつけるのをただじっと待っている。健気なその様子に、先程の男とは違うことを何となく察したアルハイゼンは、にじりとラウダに近づき、様子を伺いながら差し出されたカップへと口をつけた。お世辞にも清潔とは言えない薄汚れたカップに味のイマイチなミントティーではあったが、カラカラに乾いたアルハイゼンの喉には心地よい潤いを与えてくれた。唇が、舌が、喉が、与えられた水分に歓喜する。こくこくと二口ほど飲み、口を離して再びラウダを見る。ラウダはアルハイゼンが飲んだことに対して別段表情を変えることなく、カップを檻の床へと置き、今度はパンを手に取って適度な大きさにちぎってね差し出してみせた。
 互いに無言で義務的な作業を行うかのように適度なタイミングでミントティーを差し出しながらそれを繰り返し、ラウダはアルハイゼンに食事を取らせた。
 ラウダの対応には何故か献身さが見える。アルハイゼンは食事を受け取る中で漠然とそう感じた。昼間の男にはどうにも気を許せなかったのに、何故ラウダからの食事は素直に受けることが出来たのか。アルハイゼンは自身に問うたが、不思議な直感で「彼は信頼出来る」と感じていること以外には何も分からなかった。
 やがて食事を終えて平らげたアルハイゼンを見て、それでも結局表情を変えることのないラウダは檻を閉じて、何を話すでなく見張り再開した。
 そうして幾許時が過ぎたか。月も高く昇ったであろう頃合に、ラウダがおもむろに口を開いた。「俺に取り憑く悪霊が、あなたを酷く懐かしんでいる。あなたは一体何者か?」と。
 アルハイゼンは彼が何のことを言っているのか分からず、ラウダの言葉に首を傾げる。自身がこの教令院に所属する書記官であること以外に、アルハイゼンをアルハイゼンとする要素が――彼らにとって重要な要素が他になにかあっただろうか。記憶をいくら辿ろうがそんな覚えは全くと言っていいほど無く、「聞かれている意味が分からない」と返した。
「俺に取り憑く悪霊は――ジンニーは、あなたは人間だが、我が主の気配によく似ていると主張している。俺にもよく分からんが、あなたはジンニーとって重要な存在なのだろう」
 独りごちるようにラウダはそう言った。砂漠に登る月が灯りの少ない辺りを青白く照らす。昼間の暑さとは裏腹に、夜の砂漠は寒さと孤独を一緒くたに連れてくる。昼間はまとわりつくような灼熱、夜は耳が痛むほどの静寂。その両極端な地で砂漠の民は生きているのだ。雨林に生きる人間とは持ちうる感覚自体が違ってくる。
「君たちの目的はなんだ」
 アルハイゼンはラウダに尋ねた。昼間攫ってきた二人はアルハイゼンが教令院の書記官の身分であることを知っている様子はなかった。それはつまり教令院への不満や謀反を企てた計画の一端でないことを表している。ならば無作為に人を攫う理由は他にある。何かの実験にでも使われるのか、それがアルハイゼンの考えであったが――
……
 ラウダは緩慢な動作でアルハイゼンを見ると、目隠し越しにじっと観察するようにアルハイゼンのことを見た。そして口を開く。
我らの王――アフマル様の復活だ」
 
 
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 砂しかない地平線から朝日が昇る。朝日と共に砂漠の空を支配する赤鷲は今日の骸を探して飛び回り、コサックギツネたちが餌を探しに跳ね回る。生き物にとって過酷な砂漠でも、生きていくために懸命に命を繋ぐ生き物がいる。砂漠の民たちもそれに然り。
 太陽の熱を感じて目を覚ましたアルハイゼンは、大して寝心地の良くない檻の中で目を覚ました。寝心地が悪かったので、いつもの通りの睡眠の質は当然ながら保てなかった。何とか右肩を床に付けて身体を起こすと、ちょうどその頃合いに入口から昨日の昼間の男が逆光の中こちらに向かって歩いてきた。その男の隣には細身の、どう見ても砂漠出身には見えない男がいた。
「おはようございます。あなたをこんな所に置き去りにして申し訳ございません」
 小麦にやけた肌は元は白く、滑らかなものであっただろうことが伺える。砂漠で日に焼けて乾燥したのだろう。ここで調達したであろう麻を編み込んで作られた衣服も、一目見ただけでは砂漠出身を思わせるが、アルハイゼンはその言葉の言い回し方から男が教令院の学者の出で立ちであることが瞬時にわかった。
「私はターリブと申します。アルハイゼン書記官、あなたなら私が砂漠出身でないことくらいすぐに分かりますよね」
 ターリブと名乗った男はアルハイゼンが問いただすよりも先に答えを提示した。そして続けざまにアルハイゼンの疑問を払拭するように言葉を続ける。
「どうして自分はここに連れてこられたのか、と言いたげな顔ですね。結果から言うとたまたまです。私は決してあなたを狙って拉致したわけではありません。」
 たまたま、あなたが我々の罠に掛かったのです。ターリブはそう主張した。
「なら何故人を拉致する。何が目的だ」
 アルハイゼンはターリブに直球に尋ねた。前日に聞いた“儀式”や“アフマルの復活”のキーワードから、“儀式の贄”という大凡の見当はついていたが、それが真実かどうかを確かめるためにアルハイゼンは尋ねた。そして案の定ターリブは予想していた答えを言う。
「儀式の贄の為です。砂の王――アフマルの復活のためのね」
 まさかその贄があのアルハイゼン書記官になるとは想像も着きませんでしたが、とターリブは続ける。
「あなたのことはあなたが学生だった時から見ていました。あなたとカーヴェさんが手掛けたキングデシェレトに関する研究の数々は今思い返しても感嘆します。あの歳であなたはキングデシェレト時代の言葉さえも解読して見せてしまうのですから」  
 まるで檻の外から美しい小鳥を眺めるかのような目でターリブはアルハイゼンを見る。それは羨望の眼差し――否、狂信的な眼差しであった。アルハイゼンのような、いわゆる天才と周りから呼ばれる人間の受ける眼差しと言えば嫉妬や羨望がほとんどと歌われる中、このターリブという男は嫉妬や羨望もなく、ただ檻に捕らわれたアルハイゼンのことを美しい生き物のように見つめたのだ。
 アルハイゼンを捕らえている檻に手を掛けてじっくりと覗き込み、ターリブは嘆息する。
「以前より私はこう思っていました。あなたには大賢者の椅子も人々からの熱望も似合わない。枯れた地に咲くオアシスが相応しい、と」
 じっとアルハイゼンの瞳を見つめてそう呟いたあと、ターリブは静かに檻から離れた。
「あなたを捕らえてしまったことは想定外でしたが、何もあなたではいけない理由はありません。何より捉えてしまった以上返すわけにもいきません。あなたには今日、アフマル様の贄となっていただきます」
 檻から離れたターリブは傍にいたラウダに近づくと、檻の鍵をラウダから拝借し、再び檻の前へと戻ってくる。そして檻の錠前を開けると檻の扉を解放し、手を差し伸べた。
「暴れないでくださいね、部屋に移動するだけなので。着いてきてください」
……」 
 アルハイゼンは反抗するかどうか思案したが、抵抗したところで再び押さえつけられて筋弛緩剤をまた打たれることは目に見えていた。故にアルハイゼンは大人しくターリブの言うことに従うことにし、差し出された手のひらの上に両手首を拘束する枷を、相手に対する嫌味を含めてどんと乗せて立ち上がったのだった。
 
 


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