@shikanoko_aki
包み隠さずに今の気持ちを告白するならば、すごくキスがしたいと思った。明確な理由などない。視界にいる彼の横顔をただぼんやりと眺めていたら、急にそんな気分になってしまったのだ。
どうしよう。鎮めようにも、湧き起こった疼きがすぐに収まることはなく。一度考え出してしまうと、そればかりが頭を埋め尽くして止められなくなる。
「……どうした?頼光。顔が赤いぞ」
「へっ!?」
指摘された途端、頼光は条件反射的に両手で自分の頬へと触れた。確かにその表面温度は、手のひらに比べれば幾分か熱い。この火照りは邪なことを考えていたせいだろうか。そう思えば、みるみると恥ずかしさがこみ上げてくる。そして、我が頬はますます朱に染まってゆくのだ。
―――ああ。なんと浅ましいのだろうか。
頼光は両足を突っ込んだこたつ布団をぐいと引っ張って、その内へと顔をうずめる。身じろいだ拍子、一定の距離感を保っていた自分の足と彼の足がこたつの中で触れ合った。たったそれだけで、胸の鼓動が余計に加速する。
―――どうしよう
ギュッとこたつ布団の裾を握り締めながら、頼光は彼の顔さえまともに見ることができなくて狼狽えてしまうのだった。
率直に言って、貞光は迷っていた。何故かって。それは目の前でひとりでにあたふたしている男が、あまりにも可愛すぎるからである。彼はすごく分かりやすい。思っていることは何もかも顔に出てしまうから、こちらは気づかないフリをするのに必死だった。
―――さあ。どうしてくれようか。
優しくするも意地悪くするも、全ては貞光の采配次第。そう考えると、楽しくて少し口元がにやけてくる。
「熱でもあるんじゃねえか」
「だ、だ、大丈夫だ!ちょっと、こたつで身体が暖まりすぎただけだと思う!!」
しどろもどろな言い訳を叫びながら、彼はこたつ布団の中へと沈んでゆく。そんな苦しい言い訳で誤魔化せると思っている純粋さが、ますます可愛い。そして、その反応が初心であればあるだけ、貞光は意地の悪い物言いをしたことに僅かな罪悪感を覚えるのだった。
さて。選択肢は二つある。ひとつは察しの良い彼氏として、彼の望みを素直に叶えてやること。そして、もうひとつは―――
ひとつのこたつに成人男性二人分の足。お互いが遠慮なしに足を伸ばせば、触れ合ってしまうのは致し方のないことだ。そんなの珍しいことではないはずなのに、意識してしまうと駄目なのだ。
自分の中で好きという気持ちが抑えられなくなり始めた矢先。彼のおどけた声が名を呼んだ。
「なあ、頼光」
きっとまだ、頼光の頬は赤い。けれど、呼びかけられて応えぬわけにもゆかず渋々と顔を上げる。変な顔をしてはいないだろうか。不安と邪さでない混ぜになった感情のせいで早打つ鼓動は止まらない。
「―――しりとり、しようぜ」
しかし、その空気は一転してガラリと変わった。変えたのは、目の前にいる彼。
「しりとり……?」
おずおずと頼光がその表情を見れば、彼は歯を見せて無邪気に笑う。……可愛い。笑うと少しあどけない顔が可愛すぎて、頼光の胸はキュンとなる。
「いいぞ」
突然の脈絡ない提案さえもすんなり受け入れてしまえるくらいに、頼光は彼を愛し信頼していた。
「んじゃ、俺からな。つっても、普通にやっても面白くねえから……そうだ。ここにある物だけ、ってことにしようぜ」
「うむ。分かった」
ノリノリな彼は、特殊な条件が付け加える。その楽しげな姿を見ていると、不思議と自分まで楽しくなってしまうのだ。先ほどまでの悶々とした気持ちが幾分か軽くなった気がして、頼光は彼の子供っぽい提案に感謝した。
ということで、突発しりとりが開始される。自分でも意味不明な提案だったが、場の空気を変えるならば、これくらい突飛な方がちょうど良いだろう。
「まずは……これ!」
言い出しっぺの自分が、スタートの言葉を指定する。分かりやすく、身の回りのものがいい。そう思い、貞光は自分の着ていたシャツを指差すのだった。
「くま!」
すると、元気の良い声がハキハキと想定外の単語を口にする。貞光が指定したのはごく普通のTシャツだったのに、彼はそれをくまであると誤認した。そのシャツの絵柄がくまだったから。
「はははっ。じゃあ、いいよ。それで」
「……?では、次は私だな」
なんとも天然で可愛らしい回答である。普通は絵柄じゃなく、その物自体を指さしていると思うのだろうに。しかし、彼は自分の勘違いに気づかない。そして、貞光も訂正はしないのである。可愛いから。
「ま、ま……ま!」
「窓」
声に出しながら、彼はまのつく物を探し始める。それから、嬉々として白く曇る四角い枠を指さした。素直な性格の彼らしく、その答えは分かりやすい。
「ど、ね。……あれ」
「……戸、いや、ドアだ」
貞光も無難に続ける。今度は変な勘違いも発生することなく、しりとりはスムーズに進んだ。
「……あ。…………あ」
反芻するようにその一文字を呟きながら、頼光は周囲をきょろきょろと見渡す。困った。あで始まる物が見つからないのだ。探しても探しても、それは見つからない。この部屋には、あの付く物など存在しないのかと思えるほどに。そんな焦りを覚えた直後、頼光の目にとある雑誌が留まる。
「……これではダメか?」
控えめに頼光はそれを指差してみる。無造作に置きっぱなされたその雑誌は、先日彼と二人で旅行に行った際に買ったものだった。
「浅草、ね。まあ、いいんじゃねえか。ルールはゆるくいこうぜ」
浅草観光の雑誌。探し回った結果、頼光が見つけられたあから始まるものはそれだけだった。ちょっとズルいかとも思ったが、彼の許可が下りたことでしりとりは続行される。
「さ、といえば……これだな」
そして、次は彼の番。頼光のように長考することなく、彼はすんなりとさで始まる物を見つけたらしい。
「……?」
けれど、それが何であるか頼光はすぐに判断できなかった。彼の指が示す先は、一番最初のそれと同じ。つまり、くまである。しかし、今はさの付く物のはずなのだから、その回答は間違っていた。
「んだよ。俺の名前を忘れちまったのか」
正しい答えが分からなくて、うんうん唸っていたら、痺れを切らしてように彼の助け船が出される。そこまでヒントを貰えれば、ようやく鈍感な頼光にも理解できる。
「……あ、貞光」
「せーかい」
にっと彼が笑う。その表情は、先ほどの無邪気な笑顔とは少し違う。大人の色気を感じさせるその笑みに、頼光は再び少しドキッとしてしまう。
「……つ!つ、だったな!」
見惚れていたのを誤魔化すため、頼光は無駄にハキハキと宣言しつつ、勇んで次の物を探しにかかった。幸い、さっきのように悩むことなく、貞光に続く言葉は見つかる。
「窓……の外か」
頼光が指さした先は、またしてもこの部屋の窓。ただし、つで始まる物があるのは、その更に先。
「……月」
寒暖差のせいで曇ってしまった窓からは、その輪郭はぼんやりとしか見えなかった。だが、察しの良い彼はすぐに分かってくれた。
「んじゃ、俺の番だな」
彼は次に何を指すのだろうか。考えながら見つめたその瞳は、何故かこちらへと向けられていた。予期せず彼の視線に射抜かれて、頼光は思わずたじろぐ。
自分なんかよりもずっと、彼は頭の回転が早い。ただ、しりとりをするだけでもその差は明白であった。彼は頼光みたいにきょろきょろ辺りを見渡したりしなくたって、目当てのものを見つけられるのだ。だって、ほら。もう、それを見つけたらしい。
「……へ?」
しかし、頼光は困惑する。彼のすらりと長い人差し指は、まさしく自分を指していたのだから。その意味するところが分からなくて、頼光はきょとんと首を傾げるのだった。果たして、自分の身の回りにきの付く物などあっただろうか。
「すまない。貞光。……分からない」
しばらく頭を捻って考えてみたものの、頼光は答えが分からなかった。仕方なく、降参を宣伝すれば、彼はにやりと不敵に笑った。
先ほどのように、優しい彼はヒントをくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていなかったといえば嘘になる。しかし、彼からの助言は無く、その指先はこちらに向けられたまま、何故だかゆっくりと近づいてくるのだ。そして、いつしか彼の体温が触れる。
「……さ、さだみッ―――」
唇をなぞるように押し当てられた彼の指先。触れた箇所がじんわりと熱を持つ。いたたまれなくなった頼光は、その皮膚を食むように唇を動かし、彼の名を読んだ。……その直後だった。
貞光は堪えきれず笑ってしまう。ほんの一瞬だけ目を閉じて、次に視界へ写った彼の顔は面白いくらい真っ赤だったのだから。わなわなと唇を震わせているのは、何かを伝えようとして、けれど言葉にならないといったところだろうか。そんな彼の最初に発した一言が、更に貞光を笑わせてくれる。
「……せ、接吻?」
「ははっ。それじゃあ、しりとりが成立しねえだろうが」
ここまですれば、分かるだろうに。呆れるくらい素直な彼が、わざと外すようなことをするはずもなく。であれば、真剣にその回答をしたのだろうかだら、可愛いにも程がある。やはり、彼はどこか抜けている。
「…………キス」
消え入りそうな声で、彼はようやく正しい答えを口にする。少し潤んだ瞳は、分かりやすく熱を孕んでいた。
「せーかい」
クスリと笑って貞光は、褒めるようにその頭をくしゃりと撫でた。彼はくすぐったげに、だけど、それだけではない感覚を抱きながらギュッと唇を引き結ぶ。もう、しりとりなんかしてる雰囲気ではなかった。
……と思ったのに。どうやら、彼にはまだこの戯れを続ける意思があるらしい。おずおずと差し出された指は、キスの続きを指し示す。
熟したりんごみたいな色の顔をくしゃりと歪ませて、その表情はまるで拗ねた子供のよう。理性的で大人な彼でもこんな顔をするのだと、知っているのは貞光だけ。
「す……、ね」
今すぐにでも彼を抱き締めてしまいたい衝動を抑えながら、貞光は理性的な男をのフリでしりとりを続ける。その指は自分の方を指していて、さて。これはどういう意味だろうか。
「―――ははっ」
数秒思考したのち、貞光ははたと気づいてまた笑うのだった。彼の素直な性格を考慮しつつ、自分に当て嵌まりそうな、すで始まる言葉を思い浮かべた。そうすると、該当するものはひとつしか見つからなかったのだ。
「……俺の負けだ。頼光」
彼の反応から察するに、貞光の予想は多分当たっているのだろう。であれば、こちらの負けでいい。早々に貞光は己の敗北を宣言した。だって、こんなお遊びの勝利よりも、一刻も早くこの可愛い男をどうにかすることの方がよほど重要なことなのだから。
―――好き