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追憶の箱庭

全体公開 神無三十一受け 15 40 6913文字
2024-02-20 16:52:48

カルみと
シナリオネタバレあり

 

 舗装されていない山道を不規則に揺れながら走る車内、縞斑は運転の合間にちらりと助手席の恋人へ視線を向けた。
 紅葉に包まれた窓の外をぼんやりと見つめている神無の姿は、心ここに在らずといった調子だ。
 
 「正直、意外だったよ。」

 前を見たまま縞斑がそう呟けば、神無が窓から視線を外して縞斑を見やる。

 「何が?」
 「あの場所に行きたいって思ったこと。俺の知る限り、あまり君は彼らに執着しているように見えなかったから。」
 「あぁ……

 神無が天城邸に行きたいと申し出たのは、あの事件から一年が経とうとした頃のことだ。
 以前白瀬と共に独自で事件を捜査していたときに、偶然にも縞斑は神無の両親である天城の邸宅を訪れたことがある。
 その話を聞いた神無から提案を受けたとき、ほぼ同時に縞斑の端末へディーノから連絡が届いたのだ。
 自分が共にいても神無を苦しませるだけかもしれない。けれど叶うなら、神無をあの場所に独りにしたくない。だから代わりにそばにいてやってほしい、と。
 恋人である縞斑に連絡をするほど、ディーノは切羽詰まっていたのだろう。
 もちろん縞斑は神無をひとりで行かせる気など毛頭なかった。共に行くと告げた時、気のせいでなければ神無も安堵の息を吐いていたように感じたのだ。

 「正直、本当の父さんと母さんとかはよく分かんないよ。俺にとってパパはひとりだけだから。」

 神無にとって父とは、身寄りのない自分を引き取って育ててくれた黒田矢代だけだ。
 あの事件で様々な過去が明らかになったが、それでも神無の根底の考えが覆ることはなかった。

 「でも……パパはずっと、自分が父親になれてるか分からなくて悩んでた。」

 縞斑たちから手渡された手紙には、黒田が神無の父でいることに迷い悩んでいることが記されていたのだ。
 手紙を見たことのない縞斑にも、神無のその言葉から大体の内容に察しがつく。

 「なるほど、全部知った上で大丈夫だよって伝えたいんだ。」
 「あたり。パパはきっと俺がどれだけ気にしてないって言っても、俺が知らないことがひとつでもあると『知ったらどう思うだろうか?』って不安に思うだろうからさ。」

 神無にとって父親は黒田だけだ。その気持ちをどれだけ神無が懸命に伝えたとしても、神無の中に不明瞭な記憶があるかぎり黒田の不安は消えない。
 全てを知れば考えが変わるかもしれない。そんな人並みに臆病な彼を説得するには、不明瞭な記憶を明らかにする必要があった。

 「全部今すぐにってわけにはいかないけどちゃんと見て、聞いて知った上で、それでもパパはパパだけだよって伝えたいんだ。」
 「先に逃げ道を潰しておくのは説得の常識だからね。」
 「言い方もう少しなかったのかよ……

 黒田がいつ目を覚ますか分からないけれど、その時真っ先に彼の抱えていた不安を取り除いてやれるように。
 黒田が目覚めるまでの時間は、止まった時の中に残されている彼を救い出すために与えられた時間なのだと神無は思うようにしていた。

 「そういうことなら、覚悟はいい?なんて野暮なことを聞くのは止めようか。」
 「覚悟してなきゃここまで来てない。俺を見くびり過ぎ。」
 「そっか。じゃあそんな失礼ついでにひとつ伝えておくね。」

 一度運転を自動に切り替えた縞斑は、手持ち無沙汰に膝の上に置かれていた神無の手のひらをそっと握る。
 驚いて目を丸くする神無の冷えた指先が少しでも温まるように、両手のひらで包み込んだ縞斑は彼の顔を覗き込んだ。

 「もしも俺は君がひとりになりたいと望んだとしても、許容できないかもしれない。」
 「………、」
 「あのときの仕返しだから諦めてよ。」

 あの事件の時、元相棒を失ってひとりを望み自暴自棄に陥っていた縞斑の元へ向かったのは神無だった。
 そんな神無に縞斑はいくつも八つ当たりの恨み言を投げつけて、同じく兄を失い自暴自棄の底に沈んでいた神無を引き摺り出したのだ。
 それは結果として功を奏したのだが、わざわざ当時の互いにとって苦い記憶を持ち出してまで神無に伝えたいことがあったのだろう。
 じっと縞斑の真意を推し量るように見上げていた神無は、やがて困ったように小さく笑って首を傾げた。

 「正直に『恋人が心配だから離れたくない』って言えばいいのに。」
 「さて、なんのことかな?」

 縞斑の秘めた思いはどうやら、無事に神無へ伝わったらしい。

 「ありがと、だらだら先輩。」
 「お礼を言われるようなことはしてないよ。」
 「あはは、素直じゃねぇの。」

 肩の力が抜けた様子で笑った彼は、僅かに熱を取り戻した手のひらで縞斑の手を握り返した。
 彼を心配する言葉を口にしようとした縞斑は咄嗟にその言葉を飲み込む。きっと今の彼は、不安定な心のバランスをどうにか保ってここまで来たのだと正しく理解していたから。

 やがて、山道を走っていた自動車は案内を終了して停止する。到着の言葉を聞いた彼らが降りてみれば、そこには荒れた一軒の屋敷があった。

 「……ここ?」
 「あぁ間違いない。ここが天城邸だよ。」

 先に玄関の前に向かった縞斑は、錆びた門の横に下げられた表札に視線を向ける。
 『天城』と記されたそれを確かめて頷くと、背後でそんな縞斑の様子を見ていた神無はごくりと唾を飲んだ。
 門の隙間から溢れるほどの雑草が、屋敷をぐるりと取り囲むように生えている。縞斑が訪れた10年以上前に比べて、人の手が一切加わっていないその場所は更に荒れ果てていた。

 「中、入りたい。」
 「……うん。行こうか。」

 ふらりと一歩を踏み出そうとした神無を見て、縞斑は咄嗟に彼の手を強く握る。

 「神無ちゃん、先に伝えさせて。」
 「わな、なに?」

 驚いて顔を上げた神無の瞳に映る色濃い不安が、どうか少しでも晴れるように。
 知り合ってたった二年足らずの縞斑だが、事件や彼の過去と性格を知るからこそ伝えずにはいられなかった。

 「これから君が目にするものは全て、もう終わってしまったことだ。」
 「…………、」
 「後悔するなとは言わない、慮るなとも言わない……けど、背負う必要はないからね。」
 
 黒田に思いを伝えるために、神無は惨劇の跡をこの目で見るためにここに来た。この場所は、神無の母親が殺されて、幼馴染と自分が瀕死の重傷を負い、アンドロイドに対するトラウマを植え付けられた場所だ。
 幼い神無にその惨劇を止めることなど不可能だった。ディーノが庇わなければ、神無は間違いなくあの場所で死んでいたのだ。
 狙われたのは天城の血縁者と関係者だ。その事実に神無が責任を感じる必要は何処にもない。

 「うん、わかった。」
 「ならいいよ。行こう。」

 こくりと小さく頷く神無は、確かに覚悟を持って立っていた。過去の惨劇に今の自分自身を引き摺られないように、そう言い聞かせる神無の姿に成長を感じた縞斑は手を解く。
 ぎいと軋む門を押し開けて広がる雑草を踏み分けながら、彼らは焼け焦げた邸宅へと歩みを進めた。

 「崩れやすくなってるから、気をつけて。」
 「……わ、かった

 注意を促す縞斑の声にどうにか返事をした神無は、焼けてほとんど形を保たない玄関をじっと見つめている。
 家にいた人間を殺した有馬たちは、邸宅に火を放って逃亡したらしい。山奥であったため通報も消火も追いつかず、母親の遺体は殆ど残らなかったと聞いていた。

 「リビング……?」
 「だろうね。奥がキッチンで、二階が子供部屋と寝室かな。」

 広い室内には何も残っていなかった。焼け落ちたあとに、天城圭一に繋がる可能性のあるものは全て有馬が処分してしまったのだろう。
 リビングの中央の焼けた床に色濃く残った黒い染みに気がついた神無は、膝をついてその場所をそっと撫でる。

 「たぶん、ここだ。」

 きっとこの場所が神無にとっての始まりの場所だ。広がる血液はおそらく、ディーノと神無ふたりのものなのだろう。
 塗装が剥がれてささくれ立った床の上を何度も指先で辿った神無は、きゅっと唇を噛んで俯く。
 この場所に立っても神無は当時のことを思い出すことがない。それはきっと神無自身が『思い出せば精神が崩壊してしまう』と考えて自ら記憶に枷をつけているからだ。

 「はは俺、ひどいやつ……

 自己防衛は恥ずべきことではない。分かっているはずなのに、当時目にしたはずの幼馴染に庇われた景色を思い出すことができない自分は薄情だと感じてしまった。
 事件の被害者であるディーノがこの場所に居たら何か変わっていたのかもしれない。しかしだからこそ、彼は今回の同行を辞退したのだろう。本当は誰よりも神無のそばに寄り添っていたかったはずなのに。

 「神無ちゃん、」
 「……うん、だいじょぶ。わかってるよ。」

 縞斑の声を聞いた神無は腕を持ち上げて目元を擦ると立ち上がる。上の階へ向かう階段は崩落していたため、登ることを諦めた彼らは中庭に顔を出した。
 生い茂る青々とした雑草の中には、木に吊るされていたらしい焦げたブランコの板が埋もれている。子供がふたりで乗っても問題がないほど大きな板の前で足を止めた彼は、額に手を当てて俯いた。

 「ちょっだけ、夢で見たから覚えてる。」

 事件を追っていたあの日、ディーノと再会した影響で昔の夢を見たのだ。
 ふたりがロボットの絵を描いている姿を穏やかな表情で見守る父親たち。「おとうさん」と拙い舌で天城圭一を呼んだのは、紛れもない神無の声だった。

 「あのときはディーノも人間で、」
 「うん。」
 「父さんたちも………とても、幸せそうだった。」
 「……そっか。」

 あの日神無が夢の中で見たのは、この中庭での出来事だったのだろう。
 いつから父親たちの関係は変わってしまったのだろうか。自分にできることはなかったのだろうか。そう考え続ける神無の隣に立った縞斑は、ふと近くの地面を指差す。

 「あのあたりに黒田先輩の指輪が落ちてたんだよ。」
 「パパの……?」

 十年前に縞斑が白瀬とこの場所を訪れた時に、彼らはこの場所でY.Kと彫られた婚約指輪を拾った。
 当時は誰のものか検討がつかなかったが、おそらくあれは天城から連絡を受けて駆け付けた黒田矢代の落としたものだったのだろう。

 「亡くなった奥さんとの大事な思い出を落としたことにも気づかずに、あの人は君を炎の中から助け出そうとした。」
 「………そう、なんだ、」

 神無が受け取った手紙には確かに、天城から連絡を受けて神無を保護したことが記されていた。
 煙に巻かれた家の中で、生きているのかすら分からない神無のために黒田は必死に探し回っていたのだろう。
 どうして黒田がそこまで神無のことを愛してくれたのか、神無にはその理由の全てを理解することはできなかった。
 ただ、黒田の部屋を掃除した時に引き出しで見つけた子供用の小さな手袋には『みとい』という刺繍が施されていたのだ。幼い頃に手袋をなくしたと言って母親に怒られた記憶が、神無には今もぼんやりと残っている。
 きっと事件が起こるずっと前に、神無は黒田に出会ったことがあるのだ。そこで交わした言葉が黒田をここまで駆り立てたのだろう。

 「神無ちゃんが何を思っているのか当ててあげようか。」
 「………なに?」
 「君は今『あの日この場所で自分が死んでいればよかったのに』って思ってるね。」
 「……、」
 「そして同時に、そんな考えを抱く自分をひどく嫌悪してる。」
 「先輩、ひょっとしてエスパー?」
 「はは、大天才の大先輩だからかな。」

 この場所であの日の惨劇の跡をまざまざと見せつけられた神無が抱いた後悔は計り知れなかった。
 幼い神無にできたことなど何も無いだろう。それでも彼は、あり得たかも知れない『もしも』を探すことをやめられずにいる。
 肩を落としたまま作り笑いを浮かべる神無に、縞斑はあえて軽い声色を選んで言葉を続けた。

 「聡い君なら分かるはずだよ。君が欠けていたら天城圭一の託したものを引き継ぐ人がいなかった。」
 「うん。」
 「そうでなくても、戦力が足りずにあの機械仕掛けの神に負けていたかもしれない。」

 スパローの地下に隠されていた天城の研究室の鍵は、彼らの子供である神無とディーノが握っていた。
 天城は自身の死に瀕しても尚、神無を黒田に預けてディーノの体にAIを仕込み、未来への希望の灯を決して絶やそうとしなかったのだ。
 もしも神無があの場所で死んでいたら、神無を殺すために有馬が赤星に命令を下すことはなかったかもしれない。
 しかし、神無の死だけでは事件そのものを未然に防ぐことはほぼ不可能だ。それどころか、新型VOIDの起動が不完全となって対抗の手段を失っていたかもしれないのである。

 「それに、俺は君に会えて良かったと思ってるよ。きっと君に出会ったみんなもね。」

 ここまで客観的な意見を連ねてきたが、縞斑が最も伝えたいことは神無三十一という存在が仲間たちから愛されていることだった。
 数々の衝突もあったが、縞斑ももちろん彼のことを愛おしく思っている。そうでなければ恋人という関係になっていない。
 縞斑の真っ直ぐな瞳と言葉を受け止めた神無は、丸く見開いた目をぱちぱちと瞬いた。

 「……いいのかな。あのとき助けられて良かったって、俺は思ってもいいのかな。」

 瞬くたびに、ぽたりぽたりと頬を大粒の雫が伝い落ちていく。
 好き放題に伸びた雑草の上に降り注ぐそれを黙って見ていた縞斑は、手を伸ばして彼の頬にそっと触れた。

 「君のパパは、君が『自分のせいで追い詰めてごめんなさい』って謝ることを望むような人だった?」
 「ちちが、う……パパはそんなこと、」
 「ならいつか目を覚ましたときに、助けてくれてありがとうって伝えられるようになれたらいいね。」

 いつか黒田が目を覚ましたとき、自分をずっと優しい嘘で守り続けていた彼に心から感謝の言葉を捧げられるように。
 きっとその言葉は黒田の迷いを少しでも晴らしてくれることだろう。全てを知った上で生きていることに感謝ができるようになれたなら、黒田の十年に渡る努力も報われるはずだ。

 「なれるかな。」
 「はやくならないと、先に黒田先輩が起きちゃうかもね。」
 「……うん、うんそうだなパパ早起きだから、」

 縞斑がどれだけ拭っても、涙はあとからあとから溢れていく。
 くしゃくしゃに顔を歪める彼を抱き寄せて、縞斑はその背を撫でながら頬に唇を寄せた。

 「ほらもう泣かないで。神無ちゃんが泣いてると落ち着かない気持ちになる。」
 「…………泣いてないし。」
 「おや、じゃあこれはなに?」
 「それぜんぶ鼻水。」
 「ちょっと?舐めちゃったじゃない。」

 鼻を啜って強がる神無に、縞斑はわざと軽い口調で茶化して見せる。
 言いながら目元に口付けることをやめない彼の唇からは、じんわりとした熱と愛情が感じ取れた。くすぐったい気持ちになった神無が泣きながらくすくすと笑えば、縞斑はひとまず彼が笑顔を見せたことに安堵して微笑む。

 「ところで、駅前に甘味処があったのは覚えてる?」
 「ん……あんみつののぼり立ってたやつ?」

 急に変わった話題に神無は首を傾げたが、その天才的な記憶力と甘味に対する情熱故に覚えていた景色を振り返った。
 ここから自動運転車で20分ほどの地点にある駅の近くに、古い家屋の甘味処があったことを神無は覚えている。

 「そう。帰りに寄って帰ろうか。」
 「え
 「好きなだけトッピングしていいよ。俺が奢ってあげる。」
 「………………ほんと?」

 縞斑は以前神無が、甘味処であんみつにありとあらゆるトッピングを重ねて、店の特大サイズの器に溢れんばかりの品を平らげたことを知っているはずだ。
 絶句した彼とアサギリの姿が記憶に新しい神無と同じく、縞斑も当時の記憶を思い出した様子で苦笑いを浮かべて頷いた。

 「本当だからはやく泣き止みな。鼻水まみれの汚い顔じゃ店に入れないでしょ?」

 そう言った縞斑は神無の手を引いて歩き出す。神無を元気づけたいという縞斑の不器用な優しさに触れた神無は、小さく笑って涙を拭った。

 「俺はどんな顔も可愛いだろ。」
 「はいはい、かわいいかわいい。」

 夕日がふたつの影を、止まってしまったその場所に焼き付ける。
 繋いだ手が決して解けぬように、それがこの惨劇の跡地に見せつけることができる幸せの主張だと言うように、神無はその手を強く握り返すのだった。




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