喧嘩して勢いで、もう君とは別れる!と家出したカーヴェが酒場で飲んだくれてるところを即口説かれてお持ち帰りされる話です。相手は一体何ハイゼンなんだ……
タイトル案ボツ:某書記官による復縁RTA
@tomosane1120
スメールシティに開いた酒場は、常に冒険者から傭兵、学者まで身分を問わず集い、賑わっている。喧騒の中で、カウンター席で一人の男が憤りを露にし、音を立ててグラスを置いた。
「……だから、僕はアイツに言ったんだ。もう君とは別れるってね!」
そうして元恋人とやらの不平不満を並べると、周囲が無責任に囃し立てる。美しい男が、砂漠に眠る真紅の宝石――サングイトを思わせる赤の瞳を据わらせて、酒を呷る。店主が黙々と、カウンターの中から水の並々入ったピッチャーを手にして注いでいた。
「何でか、って? そりゃ、堪忍袋の緒が切れたからさ。だってあいつときたら、僕のことを肝心なところでは一つも理解しようとしないくせに、知った顔で僕を語り、勝手に人の気持ちを量るんだ」
顔を真っ赤にして、既に要領を得ない鬱憤を身も知らぬ相手に吐き出す。店の明かりに照らされて煌々と煌めいた金糸が揺れる。口を噤んでさえいれば誰もが振り向くであろう美人が、今は酔いと怒りで異様な迫力を醸し出していた。
「一体、あいつに何が分かるんだ? 普段本と論文、それから遺跡としか対話していないようだから、そのツケなんだろうな。とはいえ、少しは目の前にいる相手のことを見たらどうなんだ。あいつはそういう人間関係を疎ましがっているのは理解しているけれど……」
目を伏せ、グラスの中の真っ赤な液体が波を立てる様子を見つめる。周囲の相槌を受け一旦溜飲を下げたらしい男は、一旦そこで何かを思い出したのか、瞳を曇らせる。今度は拗ねるようにちびちびと酒を傾けた。どこか物憂げな瞳の中に、迷いが浮かんでいる。
「……ただ、恋人と喧嘩してしまったからね。今晩、帰る場所がないんだ」
物憂げな表情からは何も読み取れない。酒で赤らんだ頬が妙に扇情的ですらあった。緊張が漂う中、酒場の客が一人、意を決したかのように席を立ち、彼の不自然に空いたままの隣の席を埋めようと立ち上がったその時、酒場のベルが音を立てた。
男が扉を開けるとまっすぐカウンターに向かう。周囲の視線を物ともせず、迷いのない足取りで進むと、徐に男のすぐ隣の椅子を引いた。
「……隣、邪魔しても?」
「ああ。空いているんだ。別に好きにしたらいい」
そう投げやりに言うと、隣に座った男に怪訝そうな瞳を向ける。その男は訝しげな視線を真っ向から受けても飄々として動じず、ただ片手を上げて店主に隣の男と同じ酒を頼んだ。
「随分と賑わっているようだな」
「ああ、今こいつの話を聞いていたんだ。どうやら恋人と喧嘩別れして、そのまま家を飛び出してきたらしい」
面白そうな顔で店主が茶化し、金髪の男がふんと鼻を鳴らした。
「恋人と別れた、と言っていたが」
語る声は低く落ち着いていて、尋ねる形を取っている癖に有無を言わせぬ迫力がある。その言葉に唇を尖らせたまま、金髪の男が答える。
「そうだよ。僕の恋人……いまは元恋人かな、彼は本当に酷いやつでね」
一度は落ち着いていた感情が、再び柔く火を灯す。唇を尖らせて、文句を並べる。
「どれだけ一緒にいたところで、僕のことを一つも信用しようともしない。そりゃあ、同居だって恋人関係だって、最初はどうしようもない経緯で始まったのは確かだったさ」
揺らめく赤を隣に向けながら、男が続ける。指先はナッツが入った小皿を弄んでいた。
「それでも今は少なくとも好き同士で生活してるわけだろ。それで一般的に恋人がするっていうあれこれを、僕らも一通りやってみたわけだ。別に悪い気分ではなかったよ」
店の明かりのせいだと言い訳するには、耳まで赤く染まっている。それを恥じらいではなく怒りだと言い訳するように声を荒げた。
「だけど次にしばらく声が掛からなかったから、僕は恋人を意を決してベッドに誘ったんだ。そうしたらあいつは一体なんて言ったと思う? 無理をする必要はない。一般的な恋人関係を模倣しようとするな。俺は君にそんな施しを受けたいと思っていた訳ではない。――これが本当に恋人に投げる言葉か!? あいつは僕の気持ちのことなんか一つも考えてない。ふん! 一体僕がどんな気持ちで……」
濁ったような赤の色、スメールではそう聞かない異国の言葉の酒が届けられ、金髪の男は一度言葉を止めた。それから拗ねるように自分のグラスを手に取り、隣の美丈夫の顔を上目遣いで覗き込む。
「なあ、これを聞いて君はどう思う? 最低な男だと、別れたほうがいいと、そう思わないか」
「――それは、君の意思の問題であり、俺から言えることはないが。とはいえ、君の話だと確かに多少なりとも相手に落ち度があったようだ」
「何だよ、煮えきらない言い回しだな。今、僕は傷心なんだ。恋人と別れて、家に帰ることもできない。一番口説きやすい状態なんだぞ。それを聞いてもまだ、君は僕を口説こうとは思わないのか?」
家に帰ることもできない、あたりで男の瞳が鋭く細められる。どうにも物騒な視線だったが、肝心の本人はそれに気づいてはいないようだ。何かを牽制するように男は周囲に視線を遣ったが、流石にこの期に及んで彼らの間に割り込もうなどという勇士がいる訳もなく、騒ぎ立てていた大半の人間はもはや静まり返り、動向を窺っていた。
男は一つ、重苦しい息をついたかと思うと口を開いた。
「そうだな――君の意に沿うかは分からないが。たとえば俺ならば、今すぐにでも、スメール一の建築デザイナーでも困らないだけの部屋を準備できる。当然、調度品も家具もすべて君好みのものだ」
「……」
「今飲んでいるそれも含め、これからも俺の名前を使ってツケを作ることも良しとしよう。夜中の騒音も、ある程度は目を瞑る」
「至れり尽くせりだな。だけど口説き文句としては0点だ。いくら君がロマンを解さない知論派だとはいえ、そんな言葉で僕が落ちるとでも思ったか? いいか、僕は口説いてみろって言ったんだ。一番肝心な要素が抜けているだろ」
文句をつけているというよりは、どちらかといえば駄々を捏ねてでもいるようだった。それに一瞬視線を向けたかと思えば、深い溜息を一つ溢し、男の無骨な指が、照明を受けて輝く金糸を一筋掬った。顔を上げ、意外そうにサングイトの瞳が瞬く。
「ならばこんなのはどうだ? ……学生時代から、ずっと君に懸想していた。」
「……っ、は……?」
「離れても忘れられなかった。君を連れ帰り、共に同じ家で生活できることは、君がどう思っていたかは知らないが俺にとっては間違いなく僥倖だった」
真っ直ぐ向けられる視線を受け、戸惑ったように赤い瞳が逸らされる。銀髪の男はそれすら意に介さず、まるで畳み掛けるように言葉を続けた。
「君が傍にいること、共に議論ができること、意見を、言葉を交わし合えること。それだけで俺には価値があることで、失うリスクを取りたくなかった。だが、それが君の矜持を傷つける結果になったというのなら結果的には過失だったんだろうな。本意ではない」
「……もう、いい! 分かった、分かったよ!」
「可能ならば、ここで君を口説き落として、もう一度家に連れて帰りたいんだが」
「……っ、君は、またそういう……」
耳まで紅潮させ、ぱくぱくと口を開閉させてから、男は自分に差し伸べられた手を見た。手と相手の顔を何度か見比べ、やがて逃げられないと悟ったのか、乱暴にその手を取る。差し伸べた方の男が瞳を細め、片手を上げて店主に会計を頼んだ。
◆◆ここから文庫メーカーに入らなかった部分◆◆
一体こいつは、何を考えているんだ。
外気に晒され、酔いの熱が冷めていく中、カーヴェは今の状況に心底疑問を抱いていた。喧嘩して、君とは別れると勢いのまま口走って家を出た。そのくせ、今はその別れたはずの男に手を引かれている。言葉もなく、二人並んで、電灯と民家の灯りだけを頼りに薄暗い夜道を歩く。ふとアルハイゼンが、視線も向けずに言い放った。
「そもそも、君は別れたと一方的に言い残して行っただけだ。勝手に過去の箱に入れるな。俺は了承した覚えはない」
「何だよ……」
言い返そうと思ったが、どうにも毒気が抜けてしまって言葉にならない。まるで拗ねたようにも聞こえる物言いに困惑する。
「君は形式に拘りすぎるきらいがある。友達だと言えばその友達らしい振る舞いに終始し、恋人だと言えば、世間一般の在り様をなぞってまるで手本のように関係性を作りたがる。だが、形式だけ真似たようなごっこ遊びになんの意味がある? そんなものはすぐ破綻する。別に俺は君に世間一般的な恋人を求めるつもりはない」
分かったように言うアルハイゼンに、カーヴェは唇を尖らせる。
「いいや、君は分かっていない。確かに君が言う通り、僕は恋人ならそうするべきって規範に縛られてる側面がない訳じゃないが」
そこで口籠った。意地になって、俯いたまま続ける。
「でも、それ以上に、僕は君に触れることは気持ちいいと知ったんだ。別に、君のためにやってる訳じゃない。僕は、僕がそうしたいから君を誘ったし、それは君自身にすら否定される謂れはないはずだ」
この男はこちらの気持ちを最大限尊重しているようで、その実慎重になりすぎて気負いすぎるところがある。そしてその原因まで思考を走らせると、かつての苦い記憶が蘇った。
「確かに、軽率に別れるって言ったのは悪かったけど……。僕は別に性愛を抱かない相手と付き合ったつもりはないし、それを君に疑われるのはまっぴらだ」
酒場から家まではそう遠くはない。目的地が見えてくるような段になって、カーヴェはじわりじわりと自分の言ったことを思い返してきた。
今から、二人の家に着く。だというのに、今自分はアルハイゼンにまるで誘うようなことを口にしなかったか?
先程の茶番を思い出す。傷心のところを口説かれ、酒場から持ち帰られる愚かな男が自分の役どころだ。ならば、この後は。
ちらりと横目で見遣ったが、こんなときに限ってアルハイゼンは何も言わない。沈黙に居た堪れなくなる。せめて皮肉でも何でもいいから返してくれたらいいものを。じりじりと、身体に火が灯る。
繋いだ手は茶番の延長線だと思っていたが、離そうとしてもがっちり組まれたまま離れない。今、この場から今にも逃げ出したい内心を読まれているのかもしれない。鍵が扉に差し込まれる間、ただ息を詰める。
開いたと同時に、腕を引かれる。強引に室内に連れ込まれて、扉が閉まるより先に背中が壁にぶつかった。何か考えるより前に唇を塞がれ、外から見えると抗議する隙すら与えられはしなかった。
「口説いてみろと言ったのは君だろう」
肩で息をするほどの間の後、やっと一瞬離れたかと思えば、どこか険しい顔でアルハイゼンはそう言った。
「君が俺を口説いてどうするつもりだ」
「そ……んなことは」
言いかけて、口籠る。どうせ茶番から始まったのだ。お互いらしくないことばかり口にして、丸め込まれて、道化を演じて。そう思えば吹っ切れた。ならばもう、そういうことでもいいのかもしれない。今夜ばかりは。
「それなら今からどうしたら良いのか、賢い書記官様なら分かるだろ」
苛立ちにかそれ以外にか、瞳を細めた男がもう一度唇を合わせてくる。或いはそれは単純に黙らせたいがためかもしれなかったが、少なくともこの場に於いて正解であることは間違いなかった。