CoC【鰯と柊】自陣HO鰯:鴇崎燈火とHO柊:下総累誄のその後のエピソード。ネタバレあり。現行・未通過×
@nekoginka_gno
柔らかく暖かな光の入る大聖堂。その参列席の一番先頭の席に、ぼんやりと何かを見ているかのように、燈火は腰を下ろしていた。
誰もいない、空っぽの大聖堂。なのに、まるでそこに誰かいるかのように手を差し伸べる。
「…解っていますよ。ふふ、後ほどおやつを持って遊びに行きますから。」
どこか虚ろな眼差しで、誰もいない虚空へと伸ばした手が、まるで子供の頭をなでるように動いたが。ふいに力を失ったかのように膝の上へと落ちる。
「……っ…」
唇を固く噛み、項垂れ、小さく肩が嗚咽に揺れる。
耳をふさいでも聞こえてくる、【幸せだった頃】のざわめき。自分の名を呼ぶ聞きなれた声。目を開けば、穏やかに笑いあい、手を振り親し気に声をかけてくる信者たちの姿がまざまざと映される。
…それは全て幻であると分かっているのに。
自ら壊した幸せを、幻と理解した上で見せつけられる。甘く柔らかな記憶が心を軋ませ、ひびを入れていく。
きっとその幻に溺れ、浸ってしまった方が楽なのだろう。けれど、それはできなかった。
皆をまとめ、導いてきた灯火は、導くものも、照らすべき道も失い、朧げな幻だけを映し出していた。
何かから逃れるように壁を伝い、累誄はフラフラと廊下を彷徨っていた。
誰もいない、静まり返った廊下。だが、その角や陰に潜み、恨めし気に伸ばされる血みどろの手が服の裾を、足首を捉えようとする。特別な力など持ってもいないくせに神の力を得たと謀って自分たちを殺した、と責め立てる声が耳元に響く。
そうだ。自分は【神の加護】を得たかのように振舞い、【天罰】を願う者たちの話を聴き、そしてこの手で加害者たちの命を奪ってきた。
「う、ぁ…、それ、でも…っ」
全てをあの人に背負わせるくらいなら。
その業を僅かでも肩代わりしようと決めたのだから。
決して後悔はしていないと歯を食いしばる。
だが。
『あんたが、私のお父さんを、殺した…!』
背後からひときわ大きく聞こえた呪詛の声にびくり、と大きく肩を震わせる。振り返れば、胸から溢れる血で全身を赤に染め上げた莉々が殺意を持った眼で累誄をねめつけていた。
『あんたが…私を、お父さんを…殺した…!!』
だらり、と下げたその手には一振りの包丁が握られていた。それが無造作に振り上げられ、累誄へと向かって振り下ろされる。
「ぁ、ぁぁああ…っ!!」
それは幻だと分かっているのに。思わず声を上げ、目に映った扉の中へと累誄は逃げ込んだ。
パタン、と閉じる扉の音に顔を上げる。そこは大聖堂だった。柔らかな光が天井近くのステンドグラスから差し込んでおり、床には様々な色の光が散らばっている。
かつては多くの信者が祈りを捧げていた場だが、今では誰一人として姿はない。……いや、ただ一つ、参列席の先頭にぽつんと座る人影があった。その後ろ姿は累誄が見慣れた、ただ一人、幻ではないと確信を持てる人の後ろ姿だ。
「燈火…さま…」
ふら付く足取りで参列席の先頭へと向かい、ぼんやりと虚空を見つめるその背中に、そっと声をかける。
「ああ…累誄、おかえり。今ね、子供たちが一緒にオレンジを畑に採りに行こうって。それでオレンジゼリーを皆で作って、僕たちにもごちそうするんだって張り切っているんだ。楽しみだねぇ」
名を呼ばれ、穏やかな笑みと共に振り返る教祖であった彼。ふふ、と浮かべる笑みは虚ろで、その目に映しているのはきっと在りし日の幻影なのだろう。
その笑みのまま、不意に真紅の瞳に涙の粒が浮かび、はたはたと頬を伝い、胸元や膝を濡らしていく。
「………解ってる。全部、幻…なんだって、こと……それでも…それでも、見ずには、いられないん、だ……」
嗚咽の狭間から、言葉を絞り出す。両の手で顔を覆い、項垂れ肩を震わせる燈火の姿。累誄は一瞬の戸惑いの後に黒い革手袋で覆った手をゆっくりと差し伸べ、背後からその肩を静かに抱きしめる。
「大丈夫…大丈夫です、燈火さま。僕は、ここにいますから」
……あの出来事があってから約ひと月。その身に曝された大きな精神的ショックの影響を二人は受けていた。
……まるでそこにあるかのように幻覚が苛むのだ。燈火はいなくなったはずの信者たちとの柔らかな記憶が。累誄は自らの手で殺めた者たちの怨嗟に満ちた姿が。
こんな状態では唯一生き残った寿々を悲しませるだけだと、彼女は信頼のおける保護施設へと預け、誰もいなくなった広い教団の施設の中、一人では到底耐えきれないだろう責め苦に、二人で支え合い何とか暮らしていた。
だが、昼となく夜となく襲い来る幻覚と呪いの声にまともに休めるはずもなく、燈火と累誄は精神だけでなくその体力も限界に近づいていた。
目の下に隈を作り、まるで何かから逃げるようにおぼつかない足取りで施設の中を徘徊する。
何かを振り払うかのように力なく振り回すその腕を柔らかく捉えた温もりに、ゆる、と生気の消えかけた視線を向ければ、燈火が累誄の腕を取り、今にも泣きだしそうな微笑で見つめていた。
「…累誄、累誄…。…もう、随分とゆっくり休めてない、よね…?今日は一緒に休もう?二人なら…きっと、少しは…怖くないよ。それに…ほら。もう夕刻を知らせる鐘が鳴ってる」
「…鐘…?」
「そう。そろそろ夕飯の時間だ。みんなと、ご飯を食べよう」
鐘の音なんて聞こえない。夕刻を知らせる鐘を鳴らしていた者もいなくなったのだから。けれどいつものように響いていた鐘の音とここで暮らしていた信者たちの楽し気にざわめく声が燈火の耳には聞こえているのだろう。
幻に飲まれてしまいそうな自分を踏み止まらせようとするためか、遠くへと行ってしまいそうな幼なじみを引き止めようとするためか。燈火は幸福で残酷な狂気の狭間を縫って、まるで縋るようにぎゅ、と累誄の腕を掴む。
「……燈火さま。…そう…そう、ですね。でも、ご飯は僕たち二人分だけ、作りましょう。僕たちの好きな物だけの、夕ご飯。…昔から憧れだったんです」
そう言って累誄は小さく微笑むと、傍にいることを確かめるかのように腕を掴む燈火の手をそっと握りなおし、繋いで。二人で食堂の調理場へと向かう。
幸いにも材料はまだまだあった。冷凍庫に保存されていた物や日持ちのするもの。それらを使い作った料理を、まるでお子様ランチの様にワンプレートにまとめると二人で燈火の部屋へと向かい、ゆっくりと会話しながら食事を摂る。
食べたいものだけ作るのも楽しいね、と笑う燈火。その料理の腕は幼いころ児童保護施設に引き取られてからずっと職員たちと一緒に他の子どもたちの食事を作っていたことだけはあり確かで、一流シェフの様な…とはいかずとも、口にするものに安心を与えるような、そんな落ち着ける味だった。
食事を終え、別室から布団を持ってこようとする累誄を止め、燈火は自分のベッドをポンポンと叩いて一緒に休もう、と誘う。
「ほら、昔、怖い事や哀しいことがあった時、一緒にお布団に包まって眠ったの、累誄は覚えてる?…せめて、今夜だけでも怖い事を忘れられるように…一緒に、眠ろう?」
「…でも、燈火さまのベッドにお邪魔するのは、なんだか申し訳なくて…」
「いいから。ほら、累誄も入って」
燈火は遠慮する累誄を半ば強引に布団の中に引きずり込む。
大き目のベッドに合わせた布団は、細身の大人二人が頭からすっぽり入ってもまだ余裕があって。まるで繭の様だと累誄は思う。
「……こうしてると、ほんとに小さい頃みたいだ。悲しい時とか、怖い夢を見た時、よく一緒にお布団で丸くなってましたっけ」
「ふふふ。そうだね。………累誄、傷はまだ…残ってる?」
暗闇になれた目が、うすぼんやりとお互いを映し。燈火はそっと累誄の前髪に隠れた顔の左半分のへと手を伸ばして触れる。
昔、両親からの虐待でつけられた傷がそこにある。保護施設でその傷を見るなり痛かったろう、怖かったろう、とぽろぽろと涙を零してそっと手を伸ばしてきた幼い頃の燈火の姿が重なった。
「傷は残っていますが…燈火さまが薬を塗ってくれたおかげで、痛みなどは全くありません」
「そっか…傷も、綺麗に消えればよかったんだけど…」
慈しむ様に顔へと触れた指がそっと傷の上を撫ぜる。少しだけひやりとするその感触に目を閉じて、累誄はふと気付く。
―――亡者たちの怨嗟の声が聞こえない。
燈火もまた、自分を呼ぶ信者たちの声やざわめきが聞こえないことに気付く。
柔らかく温かで心地よい布団の繭の中で聞こえるのは二人の話す声だけ。
「…ね、累誄。僕はきっと、君がいるからまだ少し正気を保っていられるんだ。累誄がいなかったら…もう、とっくに壊れてしまっていたかもしれない」
「…それは、僕も同じですよ、燈火さま」
「【さま】は付けなくていいんだよ、累誄。僕はもう、教祖なんかじゃあない」
「…でも、長年の癖で…それに…」
傷ついた自分の代わりに泣いてくれた。傷ついた誰かの痛みを自らの業に変え背負い続けた。例え与えられていた力を失ってしまっても、自分にとっては神さまにも等しいのだ。
言葉がまるで塊になってつっかえて居るかのように胸の奥、ぎゅっと詰まる。
そんな累誄にふふ、と小さく笑気を零した燈火は、累誄の頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫でた。
「僕も、累誄ももう特別な力なんてない。僕たちはただの人なんだ。だから、ね、昔のように呼んでほしい」
「昔の様に…」
「うん。なんだか無性に悲しくて寂しくて泣き出したくなってしまって、こうして二人で布団の中で包まってた時とか、面白いものを見つけて呼びに来てくれた時みたいに」
「ああ…そんな事、ありましたね。蛹が羽化する直前の所を見つけて、二人で観察したりとか」
「『燈火、燈火、蝶の蛹が出てくるのを見つけた』って呼びに来てたの、懐かしい、ね…」
「子供心ながらに、がんばれ…て応援、したりして…」
二人の瞼が、うとうとと、眠気に誘われどんどんと重たくなる。
ああ、そういえば…繭の中の蛹は一度溶けて、身体を作り変えるのだと、何処かで聞いたことがある。
それなら、僕たちは蛹でこの布団が繭で。眠りにとろとろと溶けたら、目覚めた時には生まれ変われているのかな。
もしかしたら、そうかもしれないね。
どちらが話した言葉かどちらとも分からない。眠りの淵を漂いながら交わした言葉。
気が付けば二人手を取り合っていて。その日は何にも脅えることなく微睡みから深い眠りへと落ちていく。
―――どこかで、ぱしゃり、と水の跳ねる音がした。
それはまるで、おやすみ、と二人に囁く言葉の様だった。