第4部。Re:valeを取り囲んだマスコミの中にいた、彼らを知るフリーライター。
少しの罪悪感とともに、駆け出しの頃のRe:valeを取材した記憶を思い出す。
名無しの一般人オリジナルキャラクター視点です。恋愛要素はありません。
時間軸は第4部第17章第5話「屋上の音楽」を起点としつつ、回想に同棲時代その他を含みます。
※ファンによる二次創作です。公式及び実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
@natsuhaze_i7
その日の空はよく晴れて、柔らかな風が吹いていた。
響きあう歌声、鳴りあう金管楽器の音。
白い雲がかすかにたなびく中、音楽は、無限に天上へと駆け昇っていく。
永遠が見えるような青空だった。
◇ ◇ ◇
黒山の報道陣が、Re:valeが出て来るのを待ち構えていた。
在京各局の報道記者、全国紙からタブロイドまで揃い踏みの新聞記者、写真週刊誌のお抱えカメラマン、新興ネットメディアのエディター。
火事場の最前線だ。私のような木っ端のフリーライターはお呼びではないのだが、先輩ライターにサポートを依頼されて、気は進まぬままにこの場に立っている。
Re:valeとは縁があり、以前からたびたび取材で言葉を交わしていた。昨今、フリーライターに降りてくる案件は少なく、ここしばらくはコメント取りがせいぜいだったけれど、名前と顔を良い印象で記憶されているという手ごたえはあった。少なくとも百には確実に。
それゆえに今回のゴシップ、というかバッシングについて、個人的に思うところはある。が、仕事は仕事として、機会を逃すわけにはいかなかった。割り切れない気持ちを抱えつつ、何ということもなくあたりの様相を眺める。
がやがやと話す声、機材の擦れ合う音、場所取りの小さな諍い。報道陣の混沌と喧騒は酷いもので、道行く人が顔をしかめながら通り過ぎていった。記者もカメラマンも、呉越同舟というよりは、どこかしら後ろめたさを抱えた共犯者のようだった。
Re:valeの関係者がこの状況を見たら、正面入り口、どころか通用口も避けて、搬入口あたりを使う可能性が高いだろう。むしろそうしてくれ、と願う。
当人たちが僅かでも隙のある受け答えをしてしまえば、騒ぎはよりいっそう広められる。人の噂も七十五日。頭を低くして過ぎるのを待つのが賢いやり方だ。
なのに、彼らは真正面から堂々と出てきた。
建物の外に出たところで、詰め寄る記者たちに行く手を塞がれてふたりともに立ち止まり、群がる人々をゆるりと眺める。視線の最後のひと渡りが、人の波に押し流されて数歩離れた場所に突っ立っていた私のところで、止まった。
一瞬にも満たない間のことだった。百が、微かに目を見開く。千は、僅かに首を振った。困ったような小さな笑みが、彼らの顔を通り過ぎる。
そこにあった表情は、失望か、軽蔑か。分からなかった。私には、何も。
先頭に立った記者たちから繰り出される無遠慮な質問に、彼らは、彼ら自身の真っ直ぐな言葉で応えた。
激情を抑えてなお峻烈な千の言葉が、居合わせた者たちの醜悪を冴え冴えと照らしだし、善良を越えてさらに清冽な百の言葉が、耳を傾ける者たちの奥底にじくじくと沁み入る。その場に立つ報道陣の誰もが言葉を失い、毒気を抜かれているうちに、彼らは軽やかに駆け上がっていき、そして。
空から、音楽が降ってきた。
歌詞の欠片が耳から心へと滑り込む。真実の扉。世界を照らし出す。すべてを変えられる。軽妙洒脱でありながら、どこかしら真摯で無垢に、それでいて挑発的に、言外の意味を強く感じさせる歌。
彼らを信じれば。彼らと居れば。
――Re:valeを批難する記事を、私は書いていない。
けれど、常日頃から親しくしていた相手である私が、糾弾の場に立ち、待ち構えていたことで。
彼らをめった刺しにした刃のひとつとなった。
Re:valeのふたりと初めて出逢ったのは、四年か、五年か。それくらい前になる。
新興の芸能事務所に所属したばかりで、メジャーシーンへの露出も未満状態だった、彼らが本当に駆け出しの頃。
当時の私は、小さな出版社の編集職を辞し、フリーライターとしての活動を始めて数年。大手出版社が発刊する総合週刊誌の連載枠を得て、やりがいと自尊心の高まりを感じていた。
連載と言っても、その週に誕生日を迎える大物芸能人や知識人をピックアップし、過去の逸話を紹介するという、隙間埋めの囲み記事だ。ちょっとした事件があればたやすく吹き飛ぶ。それでも、誰もが知っている全国流通の週刊誌に掲載されることはキャリアの強みになったし、あわよくばもっと大きな仕事への足がかりに、という野望も持っていた。
フリーの人間が仕事を得るには、実績と、運と、何よりコネが物を言う。そのきっかけを求めて、件の出版社の資料センターに足繫く通っていた。総合週刊誌や写真週刊誌、文芸誌からコミック雑誌に至るまで、多岐に渡る編集部の人間が資料を求めて出入りする場所だ。記事用の写真資料を物色しながら彼らと会話を交わし、面を通して、仕事の機会を窺う。
それと、この出版社に紹介してくれた二回りも年上のベテラン先輩ライターがここを根城のようにしており、立ち寄れば高確率で会えるため、仕事を振って貰ったり情報を回して貰ったり、といった利点もあった。
ある時のこと。その日も来ていた先輩や、顔見知りの編集者たちに軽く挨拶をしてから、連載に使う古き良き時代の銀幕スターの写真を探していたところに、会話の欠片が漏れ聞こえてきた。
「――って感じですが、お心当たりはどうですか?」
「うーん。読者層的に、俺には厳しいですかね。取材にも、もっと若い人間の方が向いてるんじゃないかと。……お、いいところに。ちょっとこっちこっち」
呼ばれて、紙焼き写真のキャビネットからそちらへと目を向ける。先輩ライターと、身綺麗な若い女性がひとり。何度か見かけたことがある。女性向けのライフスタイル雑誌の編集者だ。
彼女は愛想よく自己紹介をして、すぐに本題に入った。
「特集記事の執筆者を探しています。テーマに沿ったインタビュイー探しから取材、原稿執筆まで、一括して受託してくれる人がいいんですけど」
「取材対象者の選定から……」
それはまた、丸投げにも程がある。とはおくびにも出さず、やりがいがありますねと言って笑顔を作った。横で聞いていた先輩が口を挟む。
「市井の人が取材対象だから、人力で探すしかないんだって」
先輩の言葉に、女性は鷹揚に頷いた。首から下げた身分証が揺れる。顔写真つきの正社員のものだ。
「ライターさんのつてで探していただけると有り難いです。インタビュイーの候補が決まったら、ペラ一枚でいいので取材計画書を上げて貰って」
特集のテーマは、貧困のなかで生きる若い世代のリアル。
取材対象者は貧しい若者。できれば男性で、イケメンだとなお良いかな。と、冗談交じりの口調で彼女は言った。
貧乏で、都内住みで、明日の行方もわからず、身を寄せ合って生きている若者。加えて、イケメン。
あつらえたかのようにぴったりの人物を、聞き知っていた。
「……心当たりがあります。取材計画、書かせてください」
◇ ◇ ◇
私の心当たり。それは、アイドルを志しながらひとつ屋根の下で暮らすふたりの若者だ。
ライブ関係の仕事をしている知人から、笑い話として彼らの失敗談を聞いたのが最初だった。イベントへの参加手続きを、互いに互いが済ませたと思い込んで、当日のスケジュール表に自分たちの名前がないことに青褪めていたという。そこで責任の押しつけあいになるかと思いきや、ふたりで心の底から楽しそうに、愉快そうに笑いあい、仲良く帰っていった様子が実に爽やかで、ちょっとした語り草になったのだと。
その後、デュオの片割れがライブハウスでアルバイトを始めたことにより、彼らの活動の微笑ましいこぼれ話が知人(を介して私にも)のもとに流れつくようになった。
道端で摘んだたんぽぽを食べていたとか。
児童公園でダンスレッスンをしていたとか。
事故物件の格安アパートで同居しているとか。
伝え聞いた彼らの暮らしぶりを思い出すに、今回の企画には最適な人選だ。貧乏エピソードを詰め込んで書き上げた取材計画書への反応は上々で、取材と執筆に即日ゴーサインが出た。
知人に連絡を取り、所属事務所を介して対面の段取りをつける。企画テーマで忌避される可能性を考えて、取材の申し込みにはオブラートに包んだ表現を使った。逆境にある若者が夢に賭けて奮闘する姿を紹介する、みたいに。実際、そういった方向で記事を作る気構えでいたので、これは方便というやつだ。
プレスリリースを打ってもほぼ黙殺される、弱小の新興事務所だ。知名度を上げる機会ととらえたのだろう。二つ返事での承諾を得た。
歴史ある女性誌の巻中特集。加えて、この雑誌において、特集インタビューは記名記事になる。大きな飛躍へと繋がる可能性に満ちた仕事だ。
この企画、絶対に成功させる。最高の記事を、書いてやる。
◇ ◇ ◇
取材の場所は、彼らの住むアパートからほど近い公園にした。インタビューの後、可能ならば少し踊って貰って、それらしい写真を撮ろうと算段している。顔出しはさせない方向性の企画とのことだけれど、編集者にイメージを伝えつつ、記事の出来次第ではイメージカットとして使って貰えるかもしれないという下心があった。
待ち合わせの時間ちょうどに、ふたりは現れた。同席する予定だったマネージャーは、急用が入ったとかで不在となった。かわりに、草稿とインタビュー内容を併せ、密なチェックを行いたいとの申し入れがされている。
「はじめまして、す……Re:valeの百です。こちらが、Re:valeのユキさんです」
私が自己紹介をした後、口火を切ったのは、ふたりのうちいくらか背が低いほう、真っ黒い癖毛の青年だった。闊達で、まだどこかあどけなさを残す少年めいた顔立ち。真っ直ぐに見つめる零れそうに大きな瞳には、期待と好奇心、そして、私への若干の値踏みが潜んでいた。
相方をさん付けで呼ぶ声音は、どこか恭しい。緊張からだろうか、二回繰り返されたRe:valeという音が、少し掠れて耳に残った。
「すみません。Re:valeの、って名乗るのにまだ慣れていなくて」
そう言って照れ笑いをする彼に、束の間、目を奪われる。笑顔の可愛らしさのみならず、緊張から笑みへと至るさざ波のような表情の動きに、心を惹く天性の魅力があった。
「百さんですね。今日はよろしくお願いします。おふたりのグループ名が、リバーレ……リヴァーレ、なんですよね?」
「はい。アルファベット表記で、こう書きます」
スマホの画面を見せられる。『Re:vale(リヴァーレ)』『千(ユキ)』『百(モモ)』と箇条書きのように表示されていた。
画面を眺めながら、Re:vale、と呟く。
「綺麗な名前ですね」
追従ではない。本心からの言葉だった。
Rで始まり、vを越えて、leで優しく着地する。難しめのウ濁音と澄んだ清音をゆったりと長音で繋いで、なのに全体を発語すると美しく爽快な音の連なり。いつまでも口のなかで転がしていたくなる。
Re:valeのもうひとり、千と名乗ったほう――いや、名乗ってはいない。百が『ユキさん』と紹介してくれたほうが、少しだけ首を傾げた。絹織りのような銀白の髪がさらり流れ、頬に落ちかかる。引き結んだ口の端が、僅かばかり上がるのが見えた。
「千さんが名付けたんですか?」
「そうだけど。なんで?」
「あ、いえ、なんとなく……」
語尾をぼかし、曖昧に答える。なんだか嬉しそうだったから、なんて言ったら、この白皙の青年はどんな顔をするのだろう。見てみたいような、見たくはないような。
千という青年もまた、目を奪われる存在だった。顔の造作もさることながら、頭身の均衡、所作のひとつひとつ。それらのすべてが、空恐ろしいほど完璧に整っていて、まるで人ならざる者の手で丹念に拵えられたかのよう。百とは対照的に、動きの少ない表情がそれだけで精緻な静物画のような美を作り出しており、いつまでも飽きず見惚れてしまう。
動と静。黒と白。光り、翳る。彼らが輝く星への道を見つけ、星を求める人々に見つけられたとき、とんでもないことになるのではないか。そんな予感を抱かずにはいられないふたりだった。
インタビューは和やかに、良い雰囲気で進んだ。緊張を滲ませつつも、懐っこく愛嬌のある百。冷然として見えながら、独自の感性で温順に言葉を紡ぐ千。
当初の目当てだった貧乏生活のエピソードの他に、音楽について、ダンスについて、アイドルについて、会話は広がっていった。
なかでも、何のためにアイドルを目指しているのか、という問いに対する百の答えは印象深く、今に至るまで記憶に残っている。
「Re:valeをずっとずっと続けて、Re:valeの歌を続けて、そしていつか、本物のRe:valeを届けるためです」
迷いのない口調で、力強く言い切った。けれどその声には、なにか幼気で痛切な響きがあって、思わず表情を確かめてしまう。
百は怖いほどに真剣な目をしていた。彼の眼差しは、向かい合った私をすり抜けて、どこかもっと遠いところを見ている。遠いところにいる、誰かを。
かたわらの千が手を伸ばし、そっと百の肘に触れた。一瞬びくりとして、百の肩から力が抜ける。その動きで私も息を吐き、気を取り直して受け答えの言葉を作った。
「おふたりにとっては、アイドルというよりも、Re:valeという生き方が先にある、といった感じでしょうか」
「Re:valeが先に……ああ、はい、確かに……」
そう言って百は、千へと目を向けた。ふたりの視線が絡みあい、どちらからともなく頷きあう。親愛と、信頼と、もうひとつ。彼らを繋ぐ不可視の糸が、そこには結ばれていた。
――本物のRe:valeを届けるため。
百の言葉に、どれだけの意味が込められていたかを知ったのは、五年の月日を経てのことだった。
過去に在った「本物」のRe:valeを悪意を持って曝すとともに、現在に在る「本物」のRe:valeを害意を持って責め立てる、同業の者たちの報道によって。
◇ ◇ ◇
インタビューの後にポートレート写真を何枚か撮影して、取材を終えた。
真っ直ぐに帰宅し、文字起こしツールに音声データを突っ込んで、取り込みながら記事の構成と小見出し案を作る。やがて出力されたドキュメントで全体を通読した後、一気呵成に初稿を書き上げた。
Re:valeの百と、Re:valeの千。未だ見つけられていない輝き。彼らの記事を世に送り出せることの嬉しさと誇らしさに胸が躍り、かつてないほどに筆が乗った。
書き上げてすぐに、Re:valeの所属する岡崎事務所へ初稿と文字起こしのドキュメントファイルをオンラインストレージで送る。かなりの量だったが、マネージャーによるチェックと返信は早かった。それだけ期待が大きいのだろう。
内容に問題はないとの回答を得て、本格的に推敲し、文章を整える。紙に出力して最終確認を行ったのち、仕上がった原稿をあの女性編集者へと送った。
原稿受領の連絡を待つ時間は、常ならば戦々恐々としているところだが、今回は取材内容も文章も会心の出来だという確信がある。どのように評されるか、むしろ楽しみに、何度もメールボックスを確認した。
編集者からの返信が届いたのは、一昼夜を経てのことだった。逸る気持ちを抑えつつ、メールを開いて。
書かれていた内容に、己の目を疑った。
『お送りいただいた原稿につきまして、特集のテーマから大きく逸脱した内容とお見受けしましたため、誠に申し訳ございませんが拝受いたしかねます。
テーマに沿う切り口にて再度ご執筆いただくか、もしくは題材の変更をご提案させていただきます。』
端的に、原稿の不採用を告げる文章だった。
× × ×
確かに私の書いた記事は、彼らの貧乏生活よりも、彼らの抱く夢、未来への希望に寄り添ったものになっていた。けれど、貧乏暮らしのエピソードもたくさん盛り込んであったし、貧しさのなかで生きる若者たち、という主題から大きく外れるものではないと思っていた。
なによりも、Re:valeのふたりは、貧しかろうと貧しくなかろうととても魅力的で、その魅力を浴びて書いた記事は、掛け値なしの自信作だった。
しばし呆然とした後、メールではなく、携帯電話を手に取った。こんなにも納得のいかないままでは、書き直したとしても、新たに取材をしたとしても、またボツをくらいかねない。テーマの受け止め方について、確認が必要だ。
コール八回で、彼女は電話に出た。変わらぬ愛想のよさに遺憾の意を折り込んだ、このたびはご苦労さまでした、との声を浴びる。
挨拶もそこそこに、できるだけ感情を抑えて、聞いてみた。原稿とテーマの乖離についてご教示ください、と。
『すみません。私の説明が足りなかったみたいで、コンセンサスが得られていませんでしたね。改めて申し上げますが、テーマは"貧困のなかで生きる若い世代のリアル"です。貧乏じゃなくて、貧困なんです』
貧困、という言葉をことさら強めて、彼女は言った。
社会構造の歪みを受け、人生の展望を持てずにいる若者たちの、孤独と絶望を浮き彫りにする。それが企画の意図なのだと。
『このテーマにおける貧困とは、経済的なものと精神的なもののふたつを内包しています。ただし、経済面はさほど重要視していなくて、絶対的貧困……いわゆる貧乏ではなく、相対的貧困をイメージしています。執筆していただいた記事のふたりは、経済的には貧困ですけれど、精神的には全然貧困じゃないですよね? 叶えたい夢を持ち、心を寄せ合って暮らし、芸能事務所に所属したばかりということで将来の芽吹きもしっかりとある』
「……それが、だめなんですか?」
『いえ、素敵だなあと思って読ませていただきました。文章も内容も、すごく良かったです。でも、今回のテーマとは違うものになってしまっている。私としてはやっぱり初志貫徹というか、企画の趣旨を大事にしたいんですよね』
貧困に蝕まれる若者を取り上げ、そのインパクトによって読者に問題意識を与えたいのだと彼女は言った。
ゆえに、本来取り上げて欲しかった人物像は。
『なにが楽しくて生きてるんだろう? みたいな人がいいんです。夢もない。趣味もない。人生の楽しみなんて何もない。なんのために生きてるの? なんで生きてるの? みたいな。お心当たり、ありませんか』
悪びれることもなく言い放たれた言葉が、錐のように突き刺さった。
誰かの人生を、大衆に捧げるコンテンツとして俯瞰する傲慢さ。
それは、一歩道を踏み違えたなら、私の姿であるのかもしれなかった。
× × ×
話し合いは終わった。
通話終了をタップしようとして、指が震えていることに気がつき、思わず苦笑する。何度も深呼吸をして、スマートフォンを置いた。
原稿のリテイクは行わない。他の取材対象を探すこともしない。
この企画の仕事そのものを、見送ることにした。
ライターとして飛躍するための大きなチャンスだった。己の判断が正しかったかどうか、正直、自信はない。いつか後悔する日が来るかもしれない。
けれど、今の気持ちのまま書くことは出来ない。しない。
チャンス以前に、自らの手で壊してしまうだろうから。
取材計画書。文字起こししたドキュメント。構成案と原稿の本文。それらにタイムスタンプを押して、お蔵入りフォルダに放り込んでいく。世には出なくても、出ないからこそ、しっかりと管理しなければならない。
テキストファイルの整理を終えて、画像フォルダを開いた。小さな公園の青い空の下で撮ったポートレート。インタビューを終えて幾らか打ち解けたふたりの表情は、若干の照れを残しながらも少しだけ親しみを増していて、なお魅力的だった。
百の明るくて愛らしい笑顔。千の忍びやかで美しい微笑。
まるで印象の違うふたりが並んだとき、互いの光を映しあい、照らしあって、輝きはさらに増す。
彼らはきっと、スターになるだろう。
一度は受けた依頼を反故にしたことの代償は、己の責任として受けとめる覚悟を決めている。
けれど、彼らに貰った時間を、語ってくれた言葉を、記事として返せなかったこと。Re:valeという存在が世に出ようとしていることを、記事としていち早く伝える者になれなかったこと。
それが何より、つらかった。
◇ ◇ ◇
フリーライターの仕事は、粛々と続けていった。
かの女性編集者とは、禍根を残すでもなく、むしろ小さな仕事をたびたび回してくれるようになった。あの記事を読んで私の文章を褒めてくれたのは、本心からのことだったらしい。
週刊誌の連載は細く長く続いて、いつからか毎号の掲載が確約された記名のコラムに変わり、有り難い安定収入源となった。あとは地道に積み重ねた実績と人脈の依頼、稀には企画の持ち込み採用、どうにもならない月にはアルバイトを入れたりもするけれど、なんとか生計は立てられている。
あの後、岡崎事務所に事の顛末を報告し、謝罪した。マネージャーの男性は、電話口で少しばかり苦く笑いつつ、怒るでもなく、また機会がありましたらと言ってくれた。ほんのりと滲む同情と気遣いが、有り難くもしんどかった。
本当は、Re:valeのふたりに直接謝りたかった。けれど、原稿がボツになったライターが、それを謝罪するためにアイドルの卵と会おうとするのは、職責も距離感もはき違えているだろう。
どうすることも出来ず、あえかな罪悪感を抱えたまま時は過ぎて。
Re:valeは少しずつ、見つけられていった。
時代劇のクレジットに、他の出演者の誰よりも短くシンプルで、それゆえにやたらと目立つ「千」という一文字を見つけた時には、思わず声が出た。月代が端正な顔立ちを引き立てる若き武者の、しかし意外なほどに激しい殺陣に、老いも若きも目を惹かれたことだろう。
胸の前に「百(Re:vale)」と書かれたネームプレートを置き、新人アイドル枠としてクイズバラエティの回答席に座った百は、元気な笑顔と当意即妙の受け答えで場を盛り上げていた。目配りと気配りに長けた彼の周囲は、いつしか和気藹々とした雰囲気に包まれていく。
人気急上昇中のアイドルデュオとして出演した音楽番組でのRe:valeは、楽曲のクオリティの高さとパフォーマンスの格好良さ、そしてひときわ目を惹くふたりのビジュアルで持ち時間のワンハーフを完全に支配し、SNSの話題を席巻した。
一歩一歩着実に、彼らは昇っていった。空に輝く星の座へと。
いつかまたRe:valeと仕事で関わりたい。そう思い続け、周囲に言い続けて数年の後。ようやっと機会が巡ってきた。
Re:valeのふたりが初のダブル主演を果たす連続ドラマ。その出演発表の記者会見に席を得た。残念ながら仕事――記事の執筆依頼ではなかったけれど、私が折に触れRe:valeの取材を希望していることを覚えていた編集者が、枠を都合してくれたのだった。
文字通りの末席だった。提携記事を書くでもなし、質問の機会は与えられていない。会場のいちばん後ろに立ち、無数のフラッシュを浴びるRe:valeの姿を遠くから眺めた。
児童公園の古ぼけたベンチに座り、駆け出しフリーライターのおぼつかないインタビューを受けていた彼らが、今は無数の報道陣に囲まれて、矢のように浴びせられる質問を淀みなく、如才なく、時にユーモアを交えながら捌いていく。
誇らしいような、少しだけ淋しいような。そんな気がした。
メモ打ちしていたタブレットをトートバッグに仕舞い、感慨というよりは感傷めいた気持ちを抱いたまま、会場を後にするべく踵を返す。と、その時、誰かに呼び止められて振り返った。
岡崎事務所のスタッフだった。手招きで廊下へと誘導され、しばしその場で待つことを乞われる。
まさかね、と思った。そんなまさか、都合のいい話が。
けれど、そのまさかは、現実となる。
記者会見で着ていたドラマの衣装のまま。
百が、急ぎ足で歩いてきた。
「こんにちは、Re:valeの百です!」
数歩さきで立ち止まった彼は、引きとめちゃってすみません、と言ってぺこんと頭を下げた。慌てて頭を上げるように頼むと、メッシュの頭が揺れて戻り、背筋が伸びて綺麗な立ち姿になる。
「記者会見に来られているのをお見かけして、どうしてもお礼が言いたくなって。あのっ、あのときは、ありがとうございました!」
「あのとき……?」
「忘れちゃったかな。昔、アパートの近くの公園でインタビュー取材をしてくれて、結局雑誌には載らなかったけど」
「いえ、忘れてないです、覚えてます、大丈夫です!」
勢いよく首を振る。忘れるどころか、今日だってねちねちと思い出していたところだ。疑問符がついたのは、そこではない。
百はほっとしたように笑うと、本当はユキと一緒に来たかったけれど、次が押していて、と残念そうに言った。その顔を眺めながら、正直な疑問を口にする。
「あの、でも、ありがとうって……記事は載らなかったし、時間だけ取らせて、肩透かしをさせてしまって。ご迷惑をおかけして、申し訳なかったです。お礼を言われる謂れはないと思うんですが」
言葉に出してから気がついた。ずっと抱えていた心残り、取材の謝罪を、さらりと口に出せてしまった。
百はまずひとつ頷いて、それから言った。
「確かに、当時は記事が出なかったことにすごくがっかりしたけれど、後になってマネージャーが掲載予定だった特集を見せてくれたんです。読んでみたら、なんか、想像していたのとは違っていて。それでわかったんです。あえてここにオレたちを載せないでくれたんだ、オレたちのことを守ってくれたんだって」
思いも寄らない言葉に、知らず息を呑む。向きあって立つ百は、笑みながらも真摯な目で、私を見ていた。あの日と変わらない、真っ直ぐに見つめる大きな瞳。
「それと実は、マネージャーに送ってくれた草稿も読みました。オレたちのことをすっごく素敵に書いてくれてて、ユキもオレも、めちゃくちゃ感動しちゃって」
さらなる爆弾投下に、息どころかもはや心臓が悲鳴を上げた。
お蔵入りフォルダに押し込めて、もう誰にも読まれることはないと思っていた文章に、いまになってこんな言葉が貰えるなんて、思いも寄らなかった。
「記事にしないでくれたこと、記事にしてくれたこと。そのふたつのお礼を、いつか言いたいとずっと思っていたんです。伝えられて良かった」
「私の方こそ……こちらこそ、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
ライターの語彙なんて、どこかに吹っ飛んでいた。せめてもと深く深くお辞儀をすると、今度は百が笑って制止し、顔を上げて下さい、と言った。
「次の機会には、仕事でお礼を言い合えたらいいな。今後ともよろしくお願いします!」
帰宅して、衝動のままに記者会見のレポート記事を書いた。
プレスリリースの丸写しではなく、会見の和やかで楽しい雰囲気や、ふたりが交わす視線が作る親密な空気、声と言葉に宿る気心の知れた様子を、丁寧に書き込んだ。どこに出すあても無い原稿だったが、これをサンプルとしていくつかの編集部に持ち込んだところ、アイドル方面の仕事がちらほらと舞い込むようになった。
いくつかは指名で、Re:valeに関する仕事も貰えた。と言っても、大きな記事ではない。ぶら下がり取材でコメントを取ったり、イベントの簡易レポを書いたり、新曲の告知記事を作ったり。
囲みでもぶら下がりでも、百は必ず私を目に止めて、質問すればしっかりと答えてくれた。百と比べると半分以下の頻度だけれど、千もしばしばコメントをくれた。
顔を合わせれば、また来たんだ? おかげさまで仕事に暇なしなので。そろそろ企画とか持ち込んでよ? いつかやるときは協力してくださいね。などと軽口を叩きあう。そんな気の置けない距離感になりつつあった。
スキャンダルに群がる多数のマスコミのひとりとして彼らを待ち伏せた、この日までは。
◇ ◇ ◇
「周りに夢破れて傷ついた人はいなかったのか、ってね。まあ、若いよなあ」
ホームへと降りる長いエスカレーターで、前の段に立っていた先輩が、振り返らないままに言った。
地下鉄のターミナル駅は、平日の昼も多くの人が行き交っていた。ゆっくりと動くエスカレーターの上で、ビジネスバッグを小脇に抱えた男性が横の階段を駆け上がっていくのを見送る。
「実際のところ、そこらを歩いている大人のあらかたは、誰も彼も、なにかしら夢破れたままに生きているようなもんだよ」
そう言って先輩は、最近とみに薄くなってきた後頭部を手のひらで撫でた。
軽い口調だったけれど、なにしろ長い付き合いだ。ごく僅かに潜む自嘲めいた響きが、聞き取れてしまう。
「誰もみな、破れて千切れた夢の欠片が、ふと振り返れば道しるべのように点々と散らばっている。――なんてな。記事の書き出しには感傷的すぎるか」
「それは、でも、」
衝動のままに発してしまった声は思いのほか大きくて、先輩のみならずその前に立つ人も振り返った。小さく頭を下げて、声のトーンを低める。
「――確かに、みんな、破れた夢を諦めて生きているのかもしれない。でも」
ぼろぼろと落っことしながら、歩いたり走ったり。そうしていつからか、散らばる夢を見ないふりして、日々を過ごすようになる。
拾い集めようとした夢の破片に、指先を傷つけられるのが怖いから。
「夢が破れたことに、きちんと傷つくことが出来ている人は、そんなにはいないんじゃないかなって思います」
先輩は少しのあいだ黙り込んでから、まあ、そうね。と言った。どこかで聞き覚えのある言い回し、と少し考え、思いあたって頬が緩む。
本当は先輩も、今日の囲みに乗り気ではなかったと知っている。それだから、モチベーションを切らさないために私を呼んだのだ。
エスカレーターがホームに着いた。ステップを降りながら、さっきの話だけど、と先輩が口を開く。
「俺らにとっては、書きたくて書いて世に出なかった記事のひとつひとつが、破れた夢みたいなもんだよな」
紙だし、よく破れるだろうな。いや、そもそも紙にならなかったやつか。そう言って先輩は笑った。
「お前は、ちゃんと傷つくことが出来ている。偉いなって思ってるよ」
何の話なのか、すぐに分かった。
世に出ることのなかったあの記事の原稿を、関係者以外で唯一読んで貰ったのが先輩だ。いつも辛口の先輩が、珍しく手放しで褒めた後、お蔵入りになることを一緒に惜しんでくれた。
ホームにアナウンスが流れる。重ね合わせるようにして低く呟かれた言葉は、やけにはっきりと耳に響いた。
「……また読んでみたいな。お前さんの書く、Re:valeの記事」
◇ ◇ ◇
依頼を受けて取材と調査を行い、原稿を作成して報酬を得る。それがライターという生業だ。
今回の依頼主は、私。
原稿を作成するのも、私。
報酬は、記事そのものだ。私が、私のためだけに、記事をつくる。
まずは事実関係の確認から、始めていった。
Re:valeのまわりに渦巻いているゴシップのあらかたは、彼らの過去に手を突っ込んで引きずり出したものだ。憤る気持ちはいったん脇に置いて、それらの報道を収集し、読み込み、資料としてまとめていった。書き立てられた事象を分類して時期ごとに並べ、年譜を作成して、取材源の特定もしくは推定と、信憑性の検討を行う。
そうした作業の中から、書くべき記事の切り口を見い出した。
題材は、百とサッカーの件に絞ることにした。
千とかつての相方については、一般の人を渦中に巻き込むのは本意ではないのと、千の反応を見るに、少なくとも現時点では、他者が触れて良いものとは思えなかったのだ。他方、サッカーについては、百は少しの苦みを抱きつつも従容と受けとめており、きちんと昇華できているように見受けられた。
なればこそ、書いてみたい。私だけのエゴとして。
取っ掛かりの候補をいくつか定めて、参考となる記事をピックアップした後、付き合いのある編集者を介した事実確認や裏取り、背景情報を読み取るための図書館での資料探しといった、手間と時間のかかる作業に取りかかった。ライターとして今までに培った経験、人脈、実績を余すところなく使って、丹念に事実を拾い集め、信頼に足る情報を積み上げていく。
これは通常の仕事と並行して、編集部に立ち寄った際に世間話のように振ったり、予約資料の受け取りのついでに閲覧室で調べたりして進行していった。通常業務のルーチンに入れることにより、仕事の作業と、私的な動機での作業が己の中ではっきりと意識され、距離を近くしすぎず、遠く離れすぎず、冷静な視点を保つことの助けとなった。
取材の仕上げは、インタビューだ。
これは、依頼の段階から慎重すぎるほど慎重にやらなければならない。マスメディアを介さない、無名のフリーライターの独自取材であるという説明を丁寧にすること。記事として世に出るかどうか、出るとしてもどういったかたちで出るかは分からないと伝えること。そのうえで、取材対象者――こんな取材を受けてくれる人が居るとして――の意思確認と、心情を最優先に、決して傷つけてしまうようなことのないように、と肝に銘じる。
彼らもまた、報道によって、過去を掻き回された人たちなのだから。
幸い、と言っていいのか。私には、デビューまもないRe:valeを取材したという強みがある。今のふたりのRe:valeになろうとする過渡期に言葉を交わし、ひととなりを知り、記事を一本つくったことにより、彼らを語る言葉を己の身の内に持っている。
正直に、誠実に語って、信頼を得よう。
一緒に、Re:valeの話をしよう。
× × ×
サッカーにはまるで興味がなかったし、学校あげての応援に駆り出されるのは、正直、面倒くさかったです。高校サッカーのシーズンって冬じゃないですか。とにかく寒くて寒くて。
でも、いざ試合が始まるとなんだかんだ熱くなっちゃうんですよね。気がついたら、めいっぱい声を張り上げて、応援していました。
彼は人気者だったし。あっ、いわゆるモテの意味じゃなく、いやそういう意味でも人気はあったけど、それよりも、明るく元気で、優しくて、いつも人の輪の中に居て。サッカー部でめいっぱい頑張っていて、プロとしての将来も嘱望されて。同学年どころか、学校中で知らない人はいなかったくらい。
なのに、あんな、試合中のアクシデントで。いっぱい血が出て。
彼が退場した時は、みんな泣いていました。怖かったのもあるけれど、それよりも、悔しくて。やりきれなくて。
「どうして?」「なんで?」
誰もが口々にそう言ってました。
どうして、あんなにいい人が酷い目に遭うんだろう。なんで、あんなに頑張った人が報われないんだろう。そういう涙だったと思います。
私? 何? 私も泣いたか、ですか。それ、聞くんですか。分かるでしょう。いま顔を合わせて話をしているんだから。
……だから、思い出したくなかったのに。
☆
放課後にサッカー部の練習で見かけることがなくなり、そうするとクラスが違うから姿を見る機会も減りました。通院とか、リハビリ? とかで、学校に来る日そのものが少なくなっていたみたいだし。
進路の話題のなかで、大学は推薦が決まったらしいという噂を聞いて、良かったな、でもスポーツ推薦ではないのかな、サッカーは続けるのかな、ってふんわり思って、それっきり。
だから、次に顔を見たのは、テレビの歌番組でした。最初は気がつかなくて、衣装とメッシュで印象が違ったし、っていうか歌のあいだは、私は、あのう、わりとずっと千の方を見ていて……歌い終わったあとの「ありがとうございました!」って声でやっと気がつきました。サッカー部の応援をしていて、何度も何度も聞いた言葉だったから。
もうね、驚いたってレベルじゃなかったです。何が驚いたって、私、それまでもラジオで聴いたりして、Re:valeの曲ってけっこう良いなって思っていたんです。でも、歌声だけじゃ全然気がつかなかったんですよね。歌う声と話す声の違いはもちろんありますが、そういうレベルじゃなくて、アーティストの……シンガーの歌い方なんだなって。千と声をあわせたユニゾンやハーモニーはさらに別もので、ああ、もう、サッカー部の彼の声じゃない。Re:valeの百の声、Re:valeの声なんだ、って。
それからは、元同級生とか関係なしに、Re:valeのファンになりました。主に音楽方面の。ドラマとかバラエティも見ますが、やっぱり歌が、Re:valeの歌が好きで、テレビでアップを見るよりは豆粒でもいいから現地に行って、生の音を浴びたい派です。
あの寒くて寒かった競技場よりも、もっと大きな声で。
めいっぱい声を張り上げて、応援しています。
× × ×
リハビリのプログラムに共通点が多くて、歩行訓練や動作訓練のときに自然と話すようになりました。というか、見かけると必ず向こうから声をかけてくれたんです。
後になって理学療法士さんに聞いたんですが、当時の僕は背が小さかったので、小学生だと勘違いして、付き添いの保護者があまり来られないようだから、それとなく見守ろうと思ってくれてたらしいです。だからでしょうね、中学校の部活での怪我なんですって言ったときは物凄くびっくりしていたっけ。そんなにチビに見えるのかよ、って当時はちょっと不貞腐れちゃったけれど、ここまで背が伸びた今となっては笑い話だし、良い思い出です。
優しいお兄さんって感じの人でした。早くまた歩けるように、走れるようになろう、そしたらいつか一緒に走りたいなって口癖みたいに言ってくれて。これ、誤解しないで欲しいんですが、圧をかける感じはなくて、どっちかっていうと自分に言い聞かせてるふうだったので、中学生の僕は素直に勇気づけられたし、スポーツマンらしいなあって思っていました。
まず口に出して、叶えるための努力をする。有言実行ってやつですよね。中学の体育教師がよく言ってました。
でも、それって、自分で言ったことに追い詰められてしまう場合もあるから、使いどころには注意しなくちゃいけない。部活指導員のコーチに、そうやんわりと釘を刺されたのを覚えています。
……ずっと、気になっていたことがあります。
「いつか一緒に走ろうね」
リハビリしながら、繰り返し繰り返し、あの人は言っていました。でもある日、ふと気がついたんです。
「いつか一緒にボールを蹴りたいね」とは、一度も言われていないことに。
僕は――僕も、サッカー部だったのに。
怖いのかな、と思いました。
もし、言葉に出しても叶わなかったら。サッカーが、自分を追い詰めるものになってしまったら。だとしてもサッカーを嫌いになりたくない。なれるわけがない。
それで、口に出せなくなってしまうくらい、サッカーが大好きなんだろうな、と。
☆
Re:valeとしてのあの人を初めて見かけたのは、まだ新人の頃だったと思います。家族で見るともなしに見ていたテレビのバラエティ番組で、フットサル対決の企画がありました。あの人はゴールキーパー、フットサルだとゴレイロですが、をやっていて、なかなかカメラに抜いてもらえなかったけれど、終盤にしっかり見せ場を作っていました。
至近距離からのシュートを、超反応のファインプレーで防いだんです。
食事どきだったから、僕はあまりテレビ画面は見ていなかったんですが、母親が声を上げて指差しました。ちょっとこの人、ほら、って。
うちの親、なんですぐに気づけたんだろうな。リハビリに通っていた頃のあの人とは、全然、違いました。メッシュやピアスといった見た目の印象もですが、何よりも瞳の光が違ったんです。優しく笑って、でもどこか諦めたような目で「いつか」と言っていたあの人とは、別人のようでした。
強く光る眼が弾丸みたいにボールを追いかけ、紙一重のところでシュートをパリィして、こぼれたボールを押し込まれるより先にしっかりと胸に抱き抱えました。そして、全部の指を大きく開いた手で包み込むようにボールを持ち、そのままスローイングしようとして、指先にぎゅっと力が入ったのが分かりました。
たぶん、馴染んだ大きさとは違ったから。サッカーボールより少し小さい、フットサルのボール。その違いに戸惑って、なぜだか照れ笑いしてた。
それから、数歩走って、思い切りボールを蹴りました。
ホイッスルは鳴らなかった。ゴレイロの四秒ルール。たった四秒のあいだにこれだけの魅せる動きをされて、もう飯どころじゃなくて、口をぽかんと開けて見てしまいました。
一緒には走れなかった。一緒にはボールを蹴れなかった。
でも、僕もあの人も、また走れるようになった。またボールを蹴れるようになった。
いつか、という言葉を使うなら。
いつか、プロになって、Re:valeの百と対面してみたいです。
フットサルをやるのも、いいかもね。
× × ×
はい。あの記事の「大学のサッカー部の友達」は、俺です。
これからお話することは、ただの言い訳かもしれません。いや、言い訳です。分かってます。でも、お願いです。言わせてください。
あんな風に書かれるなんて、思わなかったんだ。酒の席での、ちょっと尾ひれをつけた愚痴。それだけのつもりだった。
――俺はただ、彼と、もっと一緒にサッカーがやりたかったんです。
高校時代から彼のプレーを知っていて、一目置いていました。だから、あの事故が起こり、少なくともプロ志向での復帰は絶望的という噂を聞いて、他人事ながら胸が塞がる思いでした。
それが大学に入ってみたら同級生で、サッカー部でチームメイトになれて、涙が出るほど嬉しくてたまらなかった。
嬉しかった気持ちの分だけ、彼がいつの間にか退部し、それどころか大学を辞めたと知った時は本当に悲しかったし、心の底からの憤りを覚えました。理不尽な怒りです。俺には怒る理由も資格も、何もないのだから。なのにずっと根に持ち、長いこと腹を立て続けていた。
数年を経て、やっと気持ちが落ち着いた頃に、アイドルとして日本一になったことを知りました。
大晦日のブラホワで、初めてRe:valeとして立つ彼を見たのですが、正直、見惚れてしまいました。パフォーマンスのひとつひとつに、目を奪われた。高校時代、彼のプレーに目を奪われたように。
年が明けて、曲を聴き込みながら、これが彼の選んだ道であり、なるべくしてなったのだ、と実感しました。でも、手前勝手な自己憐憫と分かっていても、裏切られたような気持ち、真っ黒な感情の最後の燻りは、どうしても消えてくれなくて。
……それでつい、同情を込めて話を聞いてくれた記者さんに、その場の勢いで五年越しの恨みつらみをぶちまけてしまったんです。
『医療は日進月歩というし、最新の理学療法を受けて、もういちどプロを目指す道もあったんじゃないか』
『諦めてしまわずに、彼がサッカーを続けていく未来が見てみたかった』
ただの浅はかな素人考えです。医学は進んでも、失われた時間、得られなかった経験と機会は取り戻せはしない。そもそも彼はリハビリをきちんと終わらせており、大学への入学時には傷は完治していた。
サッカーよりも打ち込むべきものに、彼は巡りあった。それだけのことだった。
それだけのことが、俺には受け入れがたかった。
認めることが、出来なかった。
取材は居酒屋で、インタビューというよりも世間話の延長のように喋っていたので、半ばからかなり酔っていたこともあり、話したことのすべてを覚えているわけではないですが。あの記事の根拠となっている俺の談話が、捏造や虚偽ではないことは、認めざるを得ません。
でも、あんな記事になってしまうなんて……。
ごめん。本当にごめんなさい。
☆
どれだけ謝っても足りない。合わせる顔なんてない。そう思っていた。
けれど、先日の後追い報道で知ったんです。Re:valeの百は、俺のことまで気遣ってくれた。『記事に載っていた同級生』の俺を、好きだって言ってくれた。ファンや仕事仲間と同列に、アイドルの好きとして、好きだと。
嫌われたら残念だし、悲しいけれど、しょうがない。そうも言っていた。
だから、ひとつだけ伝えておきたいんです。
俺も、Re:valeが好きだよ、って。
俺を愛してくれるアイドルのRe:valeの百が、アイドルとして大好きだよって。
× × ×
岡崎事務所からリリース情報が配信され、あの日、屋上で奏でられた新曲のタイトルは『Re-raise』だと知った。
リレイズ――Re-raise。始まりはR。いや、Reか。
アイドルは、自分自身をベットするような職業と言えるのかもしれない。ベットすればレイズされる。レイズすればリレイズされる。
彼らは、彼らを賭けて、彼らの人生を生きている。
◇ ◇ ◇
新曲を聴きながら、記事を書き上げた。
最初は純然たる自己満足の為だけのつもりだった。発表はせずとも、ただ今の自分の力で、納得の行く記事、書きたいと思う記事を書いてみたい、と。
けれど、メディア側の人間として罵られる覚悟もしながら臨んだインタビューで、思いがけず受け取ったたくさんの言葉に、気持ちは大きく動いていた。
懐旧とともに、内省とともに、後悔とともに、語られたエピソードの数々。Re:valeを愛し、渦中にある彼らを真摯に気遣う語り手たちの想いに触れて、これは絶対に納得のいくかたちで世に出さねばならないと、そう思ったのだ。
だが、現状では、マスコミ各社のどこに持っていっても門前払いされるのは目に見えている。誰だって火中の栗は拾いたくないだろう。
私としても、どこでも良いわけではない。興味本位の大衆に媚びへつらったり、火のないところに煙を立てて煽るだけの媒体には、この記事を預けたくなかった。
思案しつつ、原稿の仕上げに入る。
頻出単語の検索、語尾の重複確認。紙ベースでの推敲、人称の最終チェック。記事の末尾に付す追補も漏れのないように作成する。
こまごまとした作業が終盤に入るころ、最後の、最も大切な確認に取り掛かった。
岡崎事務所への事前チェック依頼である。
× × ×
業界に知らぬ者のいない辣腕のRe:valeチーフマネージャー、岡崎凛人氏。かつて不採用となった記事の初稿を送った相手でもある。あの日以来、直接連絡を取ることは無かったが、岡崎事務所をドメインとする彼のアドレスは、パソコンの連絡先に今も残ったままになっていた。
メーラーを起動し、新規メール作成のボタンをクリックする。テキストファイルにした記事を添付し、本文に挨拶と、今回の用件を出来るだけ簡潔に書き連ねていった。
個人的な動機により、調査報道記事を作成したこと。発表媒体の目処は立っていないが、これをもって完成原稿とするため、内容のチェックをお願いしたいこと。事務所判断において報道を良しとしないのであれば、記事の公開はしないつもりであること。
祈るような気持ちで、送信ボタンを押した。
突然の、不躾なメールだ。そのまま迷惑メールフォルダに投げ捨てられてしまうかもしれない。勝手な思い入れで記事を作ったことを呆れられてしまうかもしれない。黙殺される、あるいは怒りを突きつけられる可能性は幾らでもある。その場合は、きっぱりと記事を封印する覚悟を決めていた。
数日を経て、返信が届いた。
緊張しつつダブルクリックしようとした指が、件名を見てふと込み上げた笑いの発作のせいで横にぶれ、別のメールを開いてしまう。
私の送ったメールの件名は『御社所属タレント Re:vale様 調査報道記事作成のご報告』だった。
いささか長すぎたからだろう。返信メールの件名は一部省略されて、『Re:Re:vale 調査報道記事の件』となっていた。
Re:Re:vale。リ・リヴァーレ。口のなかで繰り返す。
さらに私が返信したら、リ・リ・リヴァーレかな。どこか愉快な気持ちになって、メールを開く。
返信は、謝辞から始まっていた。
取材及び執筆への労いと、記事への好意的な感想を述べた後、マネージャーの自分が確認した限り、書かれた内容はすべて事実に基づいており、また記事の公開にはなんら問題はないと明快に言い切ってくれた。
ひとまず安堵し、有り難い感想を噛み締めつつ読み進めて行くと、思いがけないことに、岡崎マネージャーによる発表の場のアイデアが書かれていた。
『個人向けのウェブサービスは如何でしょうか。長文投稿が可能で、かつ画像を入れ込むことが可能な、メディアプラットフォーム風のサービスが適しているのではないかと思いました』
「なるほど……その手があるかあ」
ひとり頷く。ウェブサービスならば、刷り部数に左右されることも、グループ会社から圧力のかかる心配もない。個人の発信になるが、岡崎事務所の申し出を得たことで、胸を張って公開出来る。
だが、その続きには、なるほどどころではない、さらに踏み込んだ大胆不敵な提案が書かれていた。
『もしもそういったサービスをご利用になるのでしたら、せっかくですので――』
読んで、頭が理解した瞬間、思わずヒュッと息を吸い込んでいた。
大丈夫だろうか。これは、火に油を注ぐことになりはしないだろうか。
迷い、戸惑いつつも、とりいそぎの返信をとボタンを押す。
件名にRe:Re:Re:valeと入力された作成中メールが立ち上がったのを見て、思わず笑みが零れた。
リ・リ・リヴァーレ。
レイズから、リレイズへ。リレイズから、リリレイズへ。
――その先は、オールインだ。
私も、私を賭けて、私の人生を生きよう。
◇ ◇ ◇
校正は自前で行った。見つけた誤字・脱字などを修正し、岡崎事務所に報告をしながら二稿・三稿と重ねたのち、記事の公開へと進む。
媒体として選んだのは、個人用のメディア風配信サイトだ。SNS、ことにラビッターとの連動に強みを持ち、時宜を得たときの拡散力には目を見張るものがある。
私の所持しているSNSのアカウントは、残念ながらどれもフォロワー数は三桁がやっとで、拡散は期待できない。けれど、記事をアップしたらすぐに連携しろ、シェアしてやるから、と先輩が約束してくれた。
先輩のラビッターのフォロワー数はおよそ三千人。人数よりも、ベテランのライターだけあって、中身が濃い。業界関係者がぎゅうぎゅうに詰まっている。
彼らが私の記事を読んで、どう思うか。ワンクリック、ワンタップ、拡散の手を伸ばしてくれるか。
テキストは完璧。写真は画像ディレクトリにアップロード済。ページの下部にはひっそりと、けれど記事を最後まで読めば絶対に見落とさない場所に、岡崎事務所の許諾を記す一文を入れてある。
意を決し、投稿ボタンを押した。
一本目。
……二本目。
ふたつの記事が並ぶのを見届けて、SNSへの共有リンクをクリックし、ラビッターに投稿する。一分も間を置かず、先輩がシェアしてくれた。
あとは、見守るだけだ。
岡崎マネージャーからの提案。それは、かつてお蔵入りとなったあの記事を、メディアサイトに一緒に掲載してはどうか、というものだった。
付け加えての、破格の申し入れ。
『記事には、当時撮影されたRe:valeのふたりの写真をお使いいただいて構いません。ただし、掲載する写真は予め当事務所に提出し、透かしを入れた上で、記事ページのどこかに岡崎事務所許諾と明記して下さい』
× × ×
スマートフォンがずっと震え続けている。手に取ってホーム画面を見れば、ラビッターの通知バッジは見たこともない数字になっていた。
記事のアップから、数時間。SNSのトレンドは、Re:valeで――私の書いたRe:valeの記事に出て来る単語で埋め尽くされていた。
元同級生、ゴレイロ、大学のサッカー部。
たんぽぽ、児童公園、事故物件。
二本の記事のどちらも、凄まじい勢いで読まれ、引用され、拡散され続けている。
ゴシップの検証とも言える記事を、何処の組織にも属さないフリーライターが書いたことが、大きくプラスに作用したらしい。既存の大手メディアの報道に飽いた層に、驚くほど好意的に受け入れられた。
目につく場所に岡崎事務所の許諾を明記したことで、信頼性と信憑性を担保したのも効果的だった。しかしこれは、下手を打てば諸刃の剣だったろう。事務所の仕込みと取られる可能性を危惧していたし、実際そういった声もいくつか上がっていたが、もう一本の記事がその流れを押しとどめた。
お蔵入りフォルダから取り出された記事。こちらは、初々しさに溢れるRe:valeのインタビューと、当時のふたりのプライベートを窺わせる貴重なポートレートがファンを喜ばせると同時に、駆け出しライターだった私の文章の青くささと、ブレイク前のRe:valeにかける期待と熱量が業界関係者に説得力をもたらすという、時を経たからこその深みを増した、不思議な味わいの記事となっていた。
そんな記事を書いたライターが、五年後に、プロの仕事として再度Re:valeを題材とした記事を書いた、と。記事と記事とで、好印象の循環が起こっている。
岡崎マネージャーの提案は、ここまで計算してのものだったのだろうか。だとしたら少し……いや、かなり、恐ろしい。
ご用の際はパソコンのメールアドレスへ、と一言の呟きを残して、SNSの通知をすべてオフにする。ふう、とひと息ついてスマートフォンを置き、パソコンへと向き直った。
ひとつの区切りはついた。気持ちを切り替えて、平常時の仕事のペースに戻さねばならない。
ここしばらく私的な取材と執筆にかかずらっていたことで、連載用のストックが減ってしまっている。他に単発の仕事や、公開イベントの取材、編プロへの御用聞き。今回の件でクレームやトラブルが発生する可能性も考えて、ペースを取り戻すのみならず、前倒しが出来るものは早めに片付けておきたい。
仕事の始めにメーラーを確認すると、新着メールがあった。早速なにかが、と身構えつつ差出人を確かめる。
岡崎マネージャーからだった。件名から察するに、アップした記事を確認したという報告のようだ。トラブルの連絡ではなくて、ほっとする。
それにしても、律儀な人だ。記事を上げる前にも報告はしているのに。と、少しだけ不思議に思いつつ、メールを開いた。
上げていただいた記事の文章、写真、許諾表示、すべて確認しました、何ら問題ありません、という事務的な報告。問題が発生した場合には遅滞なく、遠慮なくご連絡下さい、連携を密にしましょう、という念押し。
その後に、さりげなくくっつけるようにして、ふたりからの伝言があります、との一文があった。
何のふたりとも、誰とも、書いていない。書かれていないけれど。
おそるおそる、スクロールする。
『記事にしてくれて、ありがとう。
話を聞きに行ってくれて、ありがとう。
次にオレのことを書くときには、先に企画を持ち込んでよね。協力したいから!』
文末にくっつけられた賑やかな顔文字は、岡崎マネージャーが入力したのだろうか。ここだけキーボードを明け渡したのだろうか。
ぐ、と目の奥に何かが込み上げてきた。何度も目を瞬かせながら、さらにスクロールをする。
『記事にしないでくれて、ありがとう。
次に僕のことを書くときがあれば、話を聞きにきて。』
「――ありがとう、なんて」
彼らは、察しているのだろう。
私が、書くべきと決めて、記事にしたもの。書くべきではないと定めて、記事にしなかったもの。あえて、手を触れなかったことを。
けれど。
『次にオレのことを書くときには、』
『次に僕のことを書くときがあれば、』
書いても、良いのだろうか。
私に書けるだろうか。「彼ら」と「彼」の物語が。
長く考え込んでしまった末に、ふと、苦笑する。
いずれにせよ私の自己満足だ。ならば、今回のように、あてもなく書いてしまえばいい。少しずつ少しずつ、紡いでいくうち、企画として彼らの目を通し、読んでもらえる日が来るかもしれない。来ないかもしれない。
どちらだっていい。
またいつか、Re:valeの物語を始めよう。
誰だって、何度だって、始められる物語。
そう。たとえば、書き出しはこんなふうにしよう。少しばかりセンチメンタルすぎたっていい。
あの公園の、あの屋上の、青い空を思い出しながら、破れた夢を繕うように、大切に書き綴っていこう。
◇ ◇ ◇
その日の空はよく晴れて、柔らかな風が吹いていた。
響きあう歌声、鳴りあう金管楽器の音。
白い雲がかすかにたなびく中、音楽は、無限に天上へと駆け昇っていく。
永遠が見えるような青空だった。
〈Fin〉