@tuka8180
「ぽんこつ物騒リーチがゆく!」より再録
(小エビちゃんって、ふにゃふにゃって感じ。漂ってる海藻よりももっとヤバい)
あれは本当、気をつけねぇと駄目。ジェイドは絶対無理だと思う。触れたら飛び上がるね、と彼はそんな言葉をぽろぽろと零した後に、自分を見て笑っていた。
急にどんな気分になって出てきた言葉の数々なのかがジェイドにはすぐに理解出来ず、ぱちぱちとゆっくり二度瞬きをする。
何故フロイドがそんなことを自分に向けて言おうと思ったのかと考えてみたが、答えは全然浮かんでこない。
とはいえフロイドのこういった突拍子のない言葉は何も今に始まったことではないので、ジェイドは小さく口元に笑みを浮かべた。
優秀な片割れの中では何かが繋がっているのだろう。それが今、ジェイドに理解出来るものではなかったというだけの話だ。
フロイドの言葉を媒介に、ジェイドの中に監督生の小さな背中が浮かび上がる。
光も届かない海の底のような深い色の髪と、星が瞬いている空を切り取ったような目を持つ異世界からやってきた人。
片割れに何故小エビと呼ぶようになったのかと前に聞いたところ、小さくてよく飛び跳ねるところがエビっぽいと思ったというのが命名の理由だったようだ。
その時はまた新しいフロイドのお気に入りが増えたのか程度の認識だったのだが、その後に、小エビことユウはジェイドの中に色鮮やかに刻まれた。
アズールが陸でぼんやりと生きている人間に出し抜かれるということ自体がジェイドの予想にはなかったし、彼女との関係が今はそれなりに関わりのある先輩、後輩というものに収まったというのも不思議で仕方が無い。
オンボロ寮の監督生であるユウを、クロウリーは猛獣使いと呼ぶらしい。本人は変な呼び名をつけられましたと苦笑していたが、確かに彼女にある意味ぴったりの名前だとジェイドは納得した。
アズールのオーバーブロット騒動の後から、ユウはモストロ・ラウンジで働くようになった。本人曰く、いくら学園長に生活費を支援してもらっているとは言え、自由になるお金を少しでも多く手に入れたいらしい。
ラウンジで働き出した彼女は仕事に対してとても真面目だった。
与えられたアドバイスを一生懸命聞き、自らの中に落とし込もうとするその姿勢がジェイドは嫌いではなかった。
あんなに脆そうな見た目なのに変なところで思い切りが良くて、気づけば人の中心にいることの多いユウのことが、頭の隅に焼き付いて離れない。
あちこちと走り回る小さな背中のことを考える。
確かに、あの細い枝のような身体に筋肉はついていないだろうことは想像に難くないし、実際に絞めたことのあるフロイドが言う言葉は正しいに違いない。
(……しかしふにゃふにゃとは、それは人に使う表現ではないのでは?)
片割れの言葉を反芻して、ジェイドは苦笑を一つ零した。
(えー、だって本当にそんな感じなんだって)
試しに触ってみたらわかるってと笑うフロイドの細められた目を見つめてジェイドは口元に手を当てた。
それなりに良好な関係を今の自分はおそらく築けている筈だ。とはいっても今まで周りにはあまりいなかったタイプの人なので、ジェイドもどのような対応が正解なのか考えながら彼女と共にいる。
ちなみにオンボロ寮の監督生ことユウが女子であるということを知っているのは限られた者のみである。ジェイドがこのことを知ったのはフロイドが突然小エビちゃんのところに遊びに行くと寮を出て行った時に偶然ついていったからだ。
ノックもせずにフロイドが寮の扉を開けた時に着替えている瞬間を見てしまい、ユウが男ではなく女の子であると知った。
その時にゴースト達にそれはもう怒られた。いつもは穏やかにふわふわ笑って宙を泳いでいることの多い彼らの笑顔に、ひやりと背中に冷たいものが滑り落ちたのを覚えている。
ユウはキャミソール姿をちらりと見られただけなので大丈夫だと言ってくれたが、ジェイド達はひたすらに謝った。
女の子のテリトリーに勝手に入ったあげくに肌を見てしまった。やってはいけないことをやってしまったのだ。
結局、しばらく課題を手伝ってください、それでチャラにしましょう! という彼女の言葉でその場は収められた。
細くて、小さい、人間の女の子。
ジェイドが地上に上がったのはナイトレイブンカレッジに入学してからなので、殆ど人間の女性との関わりはなかった。
興味がなかったので、関係をもたなかったという方が正しいかもしれない。何せ、アズールやフロイドと一緒に過ごしていた方がずっと楽しいとジェイドは知っていたからだ。 だから、ユウはジェイドにとって初めての関わりが深い人間の女の子だった。
元々性別が男だと思っていた時から細くて、このままではいけないのでは、と思っていた相手が、実は女の子だった。
それを知ってしまうとシャツから覗く腕の細さだとか、体操着のまくられたジャージの下から見える足首の細さがさらに気になってしまう。
とは言え、彼女が一緒にいる友人のエースやデュースと、なんなら今の自分も殆ど同じ構造をしている筈だ。
だから前にフロイドが言っていたふにゃふにゃという言葉は大げさすぎるだろうと考えながらジェイドは、隣の棚を見ている監督生を横目で見た。
今日はモストロ・ラウンジは休業日で、今は備品の数のチェックを彼女と共にしている。
備品の数を確認し、手に持ったボードに書き込んでいるユウの手はとても小さい。
確かに自分やフロイドは勿論、男性としては小柄なリドルと並んでも、監督生の線は細いと何度見ても思う。だがフロイドが時々ふざけていても絞めているのだ。
多少は大袈裟に言っているのだろうと判断を下したジェイドは苦笑した。
「ジェイド先輩、チェック終わりました。いくつか補充しておいた方が良いものがあると思います」
「わかりました。ミステリーショップで購入しておきましょう」
自分もいきますと告げたユウと共に移動したジェイドは、モストロ・ラウンジで必要なものを購入し、ラウンジに戻る為に並んで歩いている時のことだった。
「あっ!」
バランスを崩したユウの身体が倒れそうになる。
咄嗟にジェイドは右手をさしだし、彼女の腕を掴み、そして大きく目を見開いた。
***
自分で自分の足に躓いたユウは地面とキスをする覚悟をしたが、隣を歩いていたジェイドが腕を掴んでくれたおかげでどうにかその事態は免れた。
慌てて体勢を立て直し、ユウはへにゃりと笑う。まさか何もないところで思い切り転びそうになるなんて夢にも思っていなかったので、少しばかり恥ずかしかったのだ。
「ありがとうございます。すみません、何もないところで転びそうになるとか恥ずかしい。ってジェイド先輩……?」
お礼やら言い訳やらを口にした後に、ユウは首を傾げた。
なんだか彼の様子がおかしいと思ったのだ。
ジェイドは目を見張ったままユウを見て、それから自分の手へと視線を落とした。
一体どうしたのだろう。もしかして、自分がかなり重かったというあれそれかもしれないと気づいたユウは、僅かに唇を噛んだ。
この世界に来てから体重をちゃんと量ったことがない。ただ、そんなにたくさんご飯を食べていたわけではないので大丈夫だと思っていた。しかし思い返せば、ここ最近アルバイト先で美味しいまかないをたくさん食べていたので、太っていたのかもしれない。
ツナとアスパラのペペロンチーノ、サーモンのマリネ、かぼちゃのポタージュ、オニオングラタンスープ、どれも美味しすぎて、おかわりなんてしたから! でも、とっても美味しかったのだ、たくさん食べて良いと言われてしまっては素直に食べてしまっても仕方のないことだと思う。
(体重計を買わないと)
サムさんのところで買えるだろうし、値段を見て検討しようと考えていたユウの視界でジェイドが僅かに身体を揺らした。
「……監督生さん」
「え、あ、はい! なんでしょうか」
ぐるりと首を動かしたジェイドの見開かれた目が少しだけ怖い。しかしそう思った言葉はぐっと喉の奥にしまい込む。
ジェイドが腕を伸ばしてきたので、どうしたのだろうと再び首を傾げた。すると彼が自らの手に視線を落とし、何故か腕を引っ込めて、それからゆっくりと口を開いた。
「……腕に骨は入っていますか?」
ジェイドの薄い唇から発された言葉に、ユウは一秒、二秒と思考する為に動きを止め、それから大きく口を開けた。
「一本も欠けておりませんが⁉」
一体どういう意図の質問ですかとさらにユウが言葉を重ねれば、眉間に皺を寄せた深刻そうな顔をしたジェイドの唇が再び開かれた。
「あまりに柔すぎて……、本当に貴女のそれは僕と同じ腕ですか? 実は魔法で、骨が柔らかくなったりしてるのではないでしょうか?」
もし何か悪い魔法がかけられているのであれば、すぐにアズールに相談しましょうとぽろぽろと言葉が降ってくる。ユウはことりと首を傾げた後、言葉を発した。
「変身薬を飲んだ今の先輩と基本構造は多分一緒です。そんなびっくりする程のものじゃないと思いますよ?」
「でもふにゃりってしたんです」
やはり骨がなくなっているのだと思いますと、とんでもないことを口にしたジェイドがじぃとユウを見つめてくる。
顔が綺麗で直視すると眩しいなぁとかそんなことを考えつつ、ユウは思考を巡らす。
何かの冗談だろうというのが最初に浮かんだ考えだった。
「この柔らかさはありえません。ユウさんが気づいていないだけで何かの呪いがかかっている可能性もあります。すぐにアズールのところに行きましょう」
「そんな大袈裟な……」
じぃとジェイドの瞳を真っ直ぐに見つめてユウは多分本気でそう言っているのだと判断を下した。明確な理由はない。なんとなくだが、間違っていない気がする。
となると、この状態がユウにとっては普通なのだと彼に理解してもらわなければいけない。海だと女性がとても強いとかなのだろうかと思いつつ、ユウは再び声を発した。
「先輩、ちょっと見てください。ちゃんと骨も揃ってるし、筋肉も多少ですけどついてますよ!」
ほら、とジャケットの袖をまくって、腕を曲げてみせる。
ユウとしてはこうすれば、服の上からではわかりませんでしたが、確かにとジェイドが肯定してくれると思ったのだが、何故か彼の顔色が少し悪くなっていた。
「ジェイド先輩?」
「そんな細くなってしまったのですか?」
何が一体細いのか、あぁ、自分の腕か、とユウは自らの腕に視線を落とした。とは言っても腕の太さはここにくる前とあまり変わっていない。
「元からですが?」
「元からっ……!」
ユウの言葉を復唱したジェイドの口から悲鳴のような声が出たかと思うと、元々多くない、だがユウがラウンジまで持っていく筈だった荷物が攫われてしまう。
「先輩、どうしたんですか。それ自分の荷物ですよっ!」
「とりあえず食生活から改善しましょう。事態は急を要します。アズールやフロイドにも相談しないといけません」
すごいシリアスな顔をしておかしなことを言い出したジェイドの顔を斜め下からまじまじと見つめてしまう。
一体、彼の頭の中でどんな事態になっているのか、さっぱりわからない。
だがこのままではアズールやフロイドにも迷惑がかかってしまう可能性が高いとユウの背中を汗が滑り落ちていく。
「いや、これが普通ですから。ジェイド先輩、一体どうしたんですかっ! 熱とかあるんじゃないですか?」
もしくはそれこそジェイドに何か悪い魔法でもかかっている可能性もある。ただ、それに関しては、悲しいことにユウに出来ることは一切ないので、誰か他の人に見てもらわないといけない。
「僕はいたって健康です。監督生さんの体をどうにかしないと」
「いや、自分はいつも通りですよ。先輩こそ、どこか具合悪い可能性があります」
そうして一向に終わることのない二人の不思議な言い合いはしばらく続くのであった。