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恋暇

全体公開 こいひま 19 15835文字
2024-05-20 22:38:18

恋なんてする暇ないんで〜初恋こじらせ独身貫くつもりが五歳年下の教え子に娶られそうです?!〜

の連載ページ。
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Posted by @morietsu0

恋なんてしない──そう決めたのは、十六歳のとき。

私は八歳のときに恋をした。
その人のすごいところを真似して、頭の良いところを尊敬して、自分も勉強を頑張って。生まれつき魔力を持たない私が、魔法の勉強を続けるには、それはもう周囲の目とか偏見とか、たくさんの障害があって大変だった。

それでも、親は学ぶ私を許してくれたし、姉達も応援してくれた。
隣に並びたくて、追いつきたくて、頑張る私をみんな見守ってくれたのだ。

スミレ・セイラン。セイラン侯爵家が三女だった私は、努力の結果、高等学院に進む。

高等学院は六年制で、その人はもちろん卒業して、研究員となっていた。
若手研究者として、彼が学院に通っていたことを知っていたから、私はそこを選んだのだ。

それなのに。
それなのに!

「誰、お前。なに、質問? それなら教授の居るときに来てくれないとさあ」
……えっ?」

研究室の前で待ち伏せ? してないしてない。ちゃんと私はアポイントを取って、部屋に入ったのだ。
それなのに、そいつははあやれやれと耳掃除なんかはじめて、挙句の果てに──

「悪いけど、研究者も暇じゃないんだよね。このあとクジョウ家のお嬢さんとお茶する予定で……で、質問って何?」
……オジカンヲトッテイタダキアリガトウゴザイマシタ、失礼します!」

走馬灯のように脳裏を過ぎ去るのは八歳の私と、十六歳のそいつ──アイ・メノウの姿。
姉のお茶会に呼ばれてきた彼と魔法の話で盛り上がり、私達はこう約束したのだ。
『スミレちゃん、僕の研究を手伝ってくれる?』
『うん! 私、アイ様のお手伝いする!』

(ああああ今すぐ記憶から消し去りたいっ! 初で少女小説脳の自分を穴に埋めたい!)
そんな思いで学院の廊下を全力疾走で駆け抜け、私は決めたのだ。
もう恋なんてするものかと。
恋なんてする暇がないくらい、人生を楽しんでやる!







「──なんて考えていたこともあったっけ」

独り言を呟いた理由なんて、ないはずだった。

……何か言ったか? スミレ」
「先生でしょ、スミレせんせい。先生を付けなさい」

スミレは少し後ろを歩く青年を振り返り、教本を取り出す。
ここはメノウ家の中庭だ。四季に合わせて花が咲き、植物が枝葉を伸ばす、緑の庭。その一角にガゼボはあった。青年を促し、自分もベンチに腰掛ける。

「さて、それでは昨日の復習といきましょう。ルアン様」
……持ってる」

教本を差し出そうとすると、彼は他愛ない素振りで空中から一冊の本を取り出し、ページを開く。
その横顔が小憎たらしいあの人に少しだけ似ていたが、この横顔は嫌いじゃない。

メノウ家長男アイは魔法学の最先端を往く研究者として有名だ。容姿端麗、眉目秀麗、加えて頭脳も良しとくれば、女性たちの噂になって当然なわけで……けれどメノウ家には一つだけ、眉を顰めるような噂話も存在した。

メノウ家次男ルアンは、魔力が高いくせに魔法学を学ばず、感情のままに魔法を暴発させる不良──。

スミレがここに来たのは、学ばせたいと願う彼らの親の意を汲んだからだ。
そして、他ならぬルアンが、スミレから学びたいと言ってくれたからだった。

……おい、読んだぞ。ちゃんと聞いてたか?」
「聞いてますよ。よく読めましたね。それでは今日はその後の歴史から始めましょうか」
「歴史、歴史って……こんなのが魔力管理と関係あるのか?」
「ありますよ〜。人類の歴史があるから今私は魔法が使えるわけですから! ……ルアン様の魔力管理については、ここからもう百年ほどあとの話になりますけどね」
…………早くしろよな」
「はいはい、お任せくださいな。緑紫歴千七百八年──」

期間はたったの三ヶ月。
アイには腸煮えくり返る想いがあれど、あなたなら! と任されたからには頑張りたい。それに、最初は話を聞こうともしなかったルアンが、たった二週間でこんなに素直になったのだ。
ぜひともスミレを通して先人の知識を学び、未来を切り開いてほしい。

スミレはそんなふうに考えていたから、ルアンがその時どんな顔で彼女を見ていたのか、全く気付いていなかった。





ーープロローグ





魔法大革命──それは当時一介の術者に過ぎなかったカトラ・リシアが提唱する魔法起動理論により起きた、人々の意識変化を指す。
それまで、魔法とは、血とは別の、目に見えない魔力なるエネルギーを元に発動するものだった。生まれつき魔力を持った者しか使えず、使えたとしても属性に限りがあり、魔法の操作は魔力の量に比例すると考えられていた。
しかし、このエネルギーは自然界にも存在する。カトラ・リシアはそう云った。
人間が魔力を介さずとも操作することができ、さらには、これまで成し得なかった非常に繊細な動きまで叶えることができるもの──それこそが、本来の魔法の持つ力なのだ。
彼女の提唱した理論は当時魔力を持たない王族には理想的なもので、王家に受け入れられ、これにより民にも浸透。
今では、魔力の有無と魔法の強弱は関係ないと言われている──。


「よーし! いいか? 校門に先に到着した方が勝ちな!」
「おうおういいぞ! 俺の風魔法の力をなめんなよ!」
賑やかな子供たちの声が聞こえる。
ここ研究棟は小学部棟に隣接しているから、どうしても元気な声が届きやすい。

……元気ねー」
「そうだね」

スミレは手元で走らせていたペンを置いて、頬杖をついた。
毛先にいくほど青みの増す髪を耳にかけ、のんびりと返事をした同期を振り返る。
ソファ席を陣取るのは、長めの黒髪を項あたりで一つにまとめた男性だ。鼻筋の通った綺麗な顔立ちからは人当たりの良さがうかがえ、切れ長の黒い目は微笑むだけで女性を虜にする。

「マコト。さっきから同じものを読んでない?」
「どうかな。これとこれと……同じ魔石の解析なのに、結果がばらばらでね。見比べている」
「それはあれなんじゃない? 死骸化した魔石と、生きた魔石の違い……とかなんとか」
「うーん。生きた魔石ならここにもあるのだけど」
「ああ、ダメダメ。それ、自殺願望だからね」

マコトの首筋には月形の紅い魔石がある。スミレの人差し指ほどの大きさだが、色と形がどうにも目立つので、彼は襟を立てて普段は服の下に隠していた。
この世界には魔石を身体に宿す人種と、そうでない人種がいる。マコトは前者で、スミレは後者。
魔石というのは簡単に言えば魔力を結晶化させた、エネルギーの塊だ。これを体内に宿しているのだから、そりゃあ宿す魔力は、魔石を持たない人間と比べものにならないほど大きい。

「マコトはもっと安全な方法で魔石の研究をしなきゃ。そういう被検体は魔石の大きな方々にお任せして……
「──失礼する。マコトはいるか?」
「ツキシロくん?」

ノック、開扉、呼びかけとものの一秒未満で全てを終わらせた銀髪の青年に、マコトが目を丸くして応えた。

「書類が溜まってる。早く帰ってこい」
「ええ……。まだ読み終わっていない論文もあるし、今日はそんなに忙しくしなくても」
「理事から追加されてる」
「ああ……

ツキシロことツキシロ・スズはマコトの研究室で秘書兼助手をしている青年だ。学院に籍を置いているのだったか、スミレは彼らとは所属が違うので詳しくは知らない。
マコトとは高等学院時代からの友人で、性別も人種も違うけれどずっとこんなふうに仲良くやってきた。お互いにいい年になっても、近況が変わることはなく、昨日の研究どうだった、とか、講義お疲れ、とか、学生気分でやり取りをしている。
助手が増えても、それは変わらない。共通の弟ができたみたいで、スミレも微笑ましく見守っている。

「じゃあ、ツキシロくん。マコトをよろしくね」
……はい。言われなくても」

手を振って見送り、一人になった研究室で、スミレは実験台へと向かった。
魔法を、物を介して自由に扱えるようにする。それがスミレの研究分野だ。

「今日もお願いね」

両耳に付けた青い虹が煌めくイヤリングは、スミレが王立学院に属して初めて成功させた触媒である。お守りのように耳につけ、触媒生成の度に触れているのは祈りのようなものだ。

かつて、この世界──緑紫と呼ばれていた──には神様がいたらしい。
今はその神様がいなくなった後世という扱いだ。
神も祈りも自由になった結果、個人が思い思いに行う願掛けを祈りと呼ぶ。

そんなわけで祈りを済ませて、セイラン家の領地で採れたサファイアに術式を入力していく。空中に線を引くように指を動かせば、耳元の触媒を通して大気中の魔力が反応し、術式を模る。それらを入力の術式でまとめ上げ、注ぎ込めば──完成だ。

「よしよし、いい出来なんじゃない?」

この作業自体はすでに多くの工房で取り入れられ、防犯魔石だとか、生活魔石の安価版として売り買いされている。
スミレがそれを願って論文を公開したからだ。
教師として在籍が許されてまだ一年。魔法学はそれだけでなく様々な研究分野があり、魔力に困らぬ者も多いので、門戸を叩く者もまだ居ない。

けれど、そのうち講義室いっぱいに生徒が話を聞きに来てくれるはず……

スミレは未来の自分の姿を夢見ながら、作成した触媒を管理ボックスにしまった。

「スミレ先生。いらっしゃいますか?」
「ん? どうかしました?」

早速生徒からの呼び出しか?
スミレは浮かれ気分で、質問か、雑談か、はたまた進路相談かと入口へ向かったが、現れたのは学院の伝達屋だ。

「こちら、ご実家からです」
「うちから?」
「はい、こちら受領のサインをお願いします」
「は〜い……っと」

(なんだろう……?)
スミレの実家、セイラン家は侯爵だ。侯爵とは王族以外の親族のことを指すわけで、つまりはスミレはこれでも王族の端くれに当たるそうだが、セイラン家はかなり端の分家になるため、侯爵家の中でも知名度が低く、四大公爵家と比べると地位は弱い。
そんな実家だが、侯爵家としての務めは果たさねばならないわけで、とどのつまり、このときスミレに届いたのも、おそらくどこぞの貴族の茶会だか誕生日会だかに参加しろ、の話だろうと思ったわけだが。

……メノウ家次男の家庭教師に推薦……!?」

わなわなと腕が震え、力加減を誤って手紙がしわくちゃになる。

「どういうことなの!?」

スミレの悲鳴のような叫びは研究室の中にしか響かず、窓の外では枝に小鳥が留まり、呑気に歌を歌っていた。



一話目、長閑な日常の終わり(仮)




連絡を受けた翌日、あれよあれよとスミレは魔導馬車に乗せられ、故郷コーディエへ送られた。

預かり知らぬ内に済まされた手続きでは、休暇期間は三ヶ月半となっていた。
それだけの間、家庭教師をやれということだろう。

スミレは教師もしているが、所属としては研究員だ。
研究というのはモノによっては遠征をして採取をしたり、観察したりと──要は突然長期不在となるのはよくある職だった。よって、今回の休暇でお咎めを受けることはない。
弟子や研究生もいないため、生徒を巻き込むこともなかった。

……里帰りなんて学生以来だわ)

スミレは慣れない馬車のソファにもたれ、窓の外を眺める。

高等学院を卒業したのが二十二歳のとき。
王立学院に研究員として入職する前に一度帰ったきりだとすると、四年ぶりの実家となる。

セイラン家は侯爵位だ。王都からそこそこ近い領地が与えられているので、獣除け、速度上昇の効果が付与された魔導馬車を使えば、領地には数時間で辿り着く。
ここから普通の馬車に乗り換え、邸へ移動だ。

「お帰りなさいませ、スミレお嬢様」

屋敷に着くや懐かしい面々に迎えられた。
侍女や執事に久しぶり〜なんて穏やかに返し、着替えたあとは昼食を取った。
食事とデザートに舌鼓を打ち、さて、父は来るだろうかと伺ったが、もうしばらくお待ちください、と部屋へ戻された。








「お嬢様、ご当主からお呼び出しです」
「ありがとう。一人で行くわ」

ようやくその声がかかったのは、空が暮れ始めた頃だった。
自室から父の執務室までは直ぐだ。
ノック、返事を待ってからの開扉。
中へ数歩進んでからの一礼──後に。

「父様。説明してください」

怒りを笑顔に込めて問いかける。

「ほら、来ただろう?」
「それがスミレの良いところですもの」

どこ吹く風のセリフを返したのは、先に部屋で待っていた父と、一番上の姉だ。

「セラ姉様? どうしてここに、……っまさか!」

なぜこの時間まで待たされたのか。甚だ疑問だったが、姉が揃うのを待っていたとすれば、筋は通る。

「帰ります、帰らせていただきます!」
「待って待って、ねえ、スミレ〜。話だけでも聞いてちょうだい」
「メノウ家の話の時点で疑うべきでした!」

この部屋には魔法封じの札が随所に隠されているので、スミレは身一つで逃げ出す外ない。
たおやかな姉の手に腕を掴まれ、咄嗟に身構えたのは理由がある。

「ほーらスミレの好きなきんつばよぉ」
「んぐ」

身長で言えば頭一つ分スミレが高いというのに、姉は子供でも抱えるかのように軽々と抱き上げる。
挙句の果てに、目にも止まらない速さで茶菓子をスミレの口に突っ込んだ。
そう、この姉はとにかく力が強い。

セラ・マディラ・セイラン。
マディラ侯爵家に嫁いだスミレより八歳歳上の、セイラン家の長女だ。
空色のウェーブがかった髪に、間延びした話し方。それこそ鈴を転がすようにころころと笑うので、昔は数多の男がこぞって婚約者にと押し寄せたものだ。

「セラ、スミレ。食べるのならばソファに座りなさい」
「そうね、父様。マッチャソーダも持ってきたものね」

父はそう言って自分もソファに腰を落ち着けた。
執務室は広く、脇に長テーブルと二脚のソファがある。
流されるままスミレも座らされ、きんつばを──東の離島で採れる豆を砂糖で煮て固めたものを薄い皮で細長くまとめた美味しいお菓子だ──口に入れられる。

「アイ様がね、是非ともスミレにって、わたくしにも手紙を寄越したのよ」
……そう言われましてもね」
「あら。……あんなにアイ様のこと好きだったのに、つれないわね」
「ゲホゴホッ! 姉様!」
「うふふ、ごめんなさい」

スミレがアイに恋をし、高等学院まで進んだのは他ならぬこの姉セラの応援があったから、だ。

今なら分かる。
自身の開いた茶会で恋に落ちた妹が、周りの声も構わず勉学に励む姿を見て、姉なりに応援したかったのだろう。

しかし、思うのだ。
一度くらい、冷静に諭してくれたってよかったのに。

貴族での恋愛結婚は珍しくもなく、ここ数十年は一層盛り上がりつつあるという。それでも公爵家と侯爵家ともなると、立場や家柄も関わってくる。おいそれと恋愛にうつつを抜かすわけにはいかない。

──とどのつまり、スミレの失恋は、決まっていたのだ。

当時二十四歳のアイには、婚約者候補が数人いた。
その中から誰と手を取るかの選定時期に、スミレが接近しようとしたから、アイは拒否せざるを得なかった。態度と言動については、後日謝罪の文も届いていて──そのせいで失恋が家族に知られたのだが──姉からも両親からも慰められて終わった。

そう、終わってることなので、ここで姉が話を振るのは、ただスミレを刺激したいだけなのだとすぐに分かる。

……とにかく、私怨を拗らせて引き受けたくないわけではありません。なぜ私なんですか。理由は?」
「侯爵家とのつながりを持ちたい……と考えると自然だがなあ」
「新しい命が生まれてから、アイ様も忙しいみたいなの。メリーヌさんは二人目を授かったと言っていたし、ますます家族のことで手一杯で。先代当主様はご病気がちと言うし、心配を減らしたいんじゃないかしら」
「メノウ家といえば、軍事と魔法術式の基礎理論だ。隣国との関係が穏やかな今、軍部は動かしようがないとなると、まあ……国益となる研究を推し進めるしかないのだろう」

父と姉の回答は、非常に曖昧なものだ。
スミレは大人しく聞く姿勢だけを見せてマッチャソーダに手を伸ばす。

「そもそも……メノウ家次男の家庭教師はどこから来たんです?」
「メノウ家当主からだ」
……はい?」

スミレが教師となったのは一年前だ。研究員として入職してから、近況を共有する相手は限られているので、メノウ家にまでその話が伝わっていること自体、妙だ。

「去年、メリーヌ様の開いたお茶会に参加したとき、スミレが教師になった話をしたのよ。そのお話がアイ様にも届いたみたいね。……ああやだ、睨まないで、スミレ。ただの世間話じゃない」

これだから姉は。
スミレが額を押さえてため息をつくと、セラは自分の皿と空になったスミレの皿を交換する。
きんつば一つで手を打てと言いたいらしい。

……私に拒否権はなさそうですね?」
「うん? 帰ってきたからには、引き受けるんじゃないのか?」
「そういうことを言ってるんじゃないんですよ、父様。物事には順序というものがあります」

きんつばには手を出さず、キリッと顔を引き締めて主張すると、父は濃紺の瞳を細めて、すまない、と口にした。

……侯爵家にも派閥があってな。我が家としては魔力の高いメノウ家とは繋がりを持っておきたいところではある」

目立った特産物はないが、領地では宝石も取れるし農業や畜産業が盛んだ。国民の食を支えているのだから、他の侯爵家と比べてそこまで立場は弱くないはずだが、それは地位が脅かされない理由とはならない。

公爵というのは、武勲なりなんなり王族に貢献することで与えられる爵位の中で、最上位にあたり──立ち位置は侯爵家に匹敵する。

王族の遠戚というだけで地位を得ている侯爵家としては、やはり力のある公爵家とは良好な関係でいたいわけだ。

特にメノウ家は、生まれ持つ魔力量が非常に高い武闘派の家系で、国同士の争いとなると先陣を切って戦いに出向いていたと聞く。
セイラン家は王族に次いで魔力量の少ない血筋であるため、有事の際はどうにも弱い。

平和な今の世で、活躍の場のないメノウ家と、平和な世のうちに後ろ盾を得ておきたいセイラン家。ここが噛み合ってしまったがための、今回の話なのだろう。

「父様」

なんだか嫌な予感がしたので、スミレはさっと父を睨みあげた。

「言っておきますけど、私は誰とも結婚しませんからね?」
「ああ、その話は、まあ……覚えているぞ」
「まあまあ。別にお見合いしろって話じゃないんだから」
「本当かなあ〜?」

セイラン家は男児に恵まれず、セラ以外は並の魔力も持たない。
二番目の姉イオラはこの間カルサ侯爵家との婚約が成立したばかり。
残るはスミレしかいないわけだ──

「本当本当。ルアン様はスミレより年下で……五歳は離れていた気がするし」
「二十一? それなのに家庭教師って……

家庭教師というのは、古い慣習で、貴族だけに許されている個人教育の一つだ。
一般的に、身分を問わず、子供たちはみな、小学部、中学部に在籍する。卒業すればほとんどが就職したり、侍女教育や執事教育を受けたりするので、高等学院へ進む数は減る。
しかし、メノウ家ともなれば、最低でも高等学院を卒業しておかなくては、貴族社会で生き残れない。

「向こうも事情があるらしい。詳しくは同封された書類に書いてある」

おもむろに父は立ち上がり、執務机から一通の手紙と書類を持ってきた。
香りの焚きしめられた、上品な手紙だ。
手紙には、美しい流麗な文字で、真摯な想いが綴られていた。

『息子はどうやら、自分の力でクラスメイトを傷付けたことを、酷く気にしているようだ』
『もともと、好奇心旺盛な息子だった。屋敷から外に出ようとしない今の環境は、あまりに憐れで……
……どうか、あの子がまた友人と笑い合って過ごせるよう、手を貸してほしい』

末尾には、先代メノウ家当主の名が末尾に記されていた。

……魔力暴走」

二人は無言だったが、それは肯定しているのと同じことだった。
魔力が高いことは魔法を扱う上で有利に働くが、一つだけ欠点があった。感情に引きずられると、暴発してしまうのだ。

執務室の魔法封じの札は、何も攻撃を防ぐためにあるのではない。そうやって感情的になった魔力持ちの人間が、意図せずして魔法を発動させないように貼られているのだ。

「調べたところ、相手は平民で、幸いにして怪我をしたのは腕だけだったという。水魔法の医者を送って、完治まで面倒を見たと聞いているが……
「そういうことじゃないでしょう、これは。友達を意図せずして傷付けたなんて、……相当嫌だっただろうな」

スミレにも身分違いの友人がいる。
魔力暴走の被害にあったことも、見たこともある。
大半は窓が割れたり、壁に穴が空いたりするだけだ。だからこそ、人に向かったとなれば……何か理由があったのではと不穏な想像が掻き立てられるわけで。
(嫌な話だ)
メノウ家は戦争で武勲を立てて公爵の地位を手にした。人を殺してその座を得た歴史がある以上、この出来事をうまく利用しようとする者は居るだろう。

……ね、スミレ。彼が少しでも学院に戻れるよう、手伝ってあげてほしいのよ」
「わたしからも頼む。立場の問題や利があるからということもあるが……これはあまりに可哀想だ」

そしてスミレも含めたセイラン家は、どうにもこういう立場の弱い者に寄り添う傾向が強かった。
魔力の少なさを理由に、嫌な目に合うことも多かったからだろう。

魔力の少ない王族が、それでも王族として君臨しているのは理由がある。シュ家とクジョウ家が、王族を支えているからだ。
魔力の少ない王族を侮れば、不敬罪以前に両家に目を付けられ、家を取り潰される。故に彼らは、王族とよく似た特徴を持つセイラン家を、不満のはけ口にした。

それでも侯爵家の威厳を保ち続けているのは、セイラン家を支えてくれる領民と、そんなセイラン家とつながってくれている、王侯貴族達のおかげだった。

メノウ家は四大公爵家に数えられているが、その中では立場が弱い。
そういう意味でも、セイラン家としては、助けてやりたいと思うのだろう。 

……はあ。もう引き受けてしまったのでしょう?
やりますよ、やります」
「スミレ! ありがとう!」

セラに抱きつかれ、なんだかなあ、と思いはしたが、結局苦笑して抱きしめ返す。

(大丈夫かあ……?)

スミレは頭の片隅で少し不安に思ったが、やってみなくては分からない。

本人に会ってから考えよう、と今は差し出されたきんつばの美味しさを堪能することにした。




二話目、勝てない家族



メノウ家はセイラン家から更に南の、海に面したスノーシーと呼ばれる土地にある。

かつては碧南州と呼ばれていた領地の南側の地域で、雪のように白く輝く海辺で有名な土地でもある。
北方の貴族達には大人気の浜辺で、国にとっても貴重な場所ということで、戦後、守護せよという名目でメノウ家に与えられた。──という歴史がある。

(そのうち、海も見に行けるかな)
スミレは四年前まで専属で世話をしてくれていた侍女ミカゲとともに、メノウ家の魔導馬車に乗って、三日かけて移動した。

「うーん、腰が痛い」
「これでもマシな方ですよ、お嬢様……

ソファはふかふかだったし、街から街を経由したので夜はベッドで寝ている。それでも、こう、疲れるものは疲れるのだ。風魔法で腰を浮かせばよかった、と後悔しても遅い。
馬車が停まる。屋敷の前に着いたのだ。
先に伝達屋に先触れをお願いしておいたので、門の前には数人の執事と侍女が並んで待っていた。

「ようこそおいでくださいました、スミレ様。本邸をご案内致します。お荷物はこちらへ」
「ありがとう。ミカゲ、また後で」
「いってらっしゃいませ」

砕けた会話をする仲だが、人前となるとそうもいかない。しゃなりとデキる侍女の顔をして去っていくミカゲの仕事っぷりに惚れ惚れし、スミレもようしやるか、と気を引き締めた。
案内されたのは客間だ。茶菓子が用意されている。
こちらでお待ち下さいと椅子を案内された後、改めて執事から挨拶を受けた。筆頭執事のトルーナ・ハナは碧色の髪をきっちり後ろで結び、上品な上着の内側から一枚の紙を取り出す。

「スミレ様のお部屋は本邸にご用意致しました。侍女ミカゲ様のお部屋はその隣に。差し支えなければ、先に家庭教師の件について、詳細をご説明させていただきますが、いかがいたしますか?」
「分かりました。今、伺います」
「では……

ここでは、いわゆる労働条件の確認をされた。
家庭教師は基本的に住み込みとなる。スミレは侍女を一人連れて来ることができたが、一般的には身一つで送り込まれるため、どうしても孤立化しやすい。
雇い主に不当な扱いを受けないためにも、また、家庭教師だからといって屋敷の中で横暴な振る舞いをされないためにも、国から発行された契約書類に署名することが定められていた。

というのも、もし記された禁止条件に抵触した場合、状況的に不利な側を護るよう、隠し魔法が付与されているから。ついでに発動したことは国の法務が察知してくれるので、監視という意味でもこの契約書類は重要だ。

「ルアン様は別邸にてお過ごしです。授業の際は、別邸へお越しいただくか、私にお申し付けください」
「はい」
「それでは、主人の様子を見てまいります」

卒のない身のこなしでトルーナが部屋を出ていく。
その靴音が聞こえないところまで遠ざかったのを風魔法で探知、確認をしてから、スミレは、はあ~っとソファに背中を預けた。

……こういうとき、着替えなくていいんだっけ?」

一応、馬車に乗る前に仕事着には着替えてきた。
紺色一色のドレスで、胸元は淡い水色のレースで覆っている。コルセットの不要な今風の細身のドレスで、スミレの青い髪とも馴染みが良く、使い勝手がよかった。

汚れはないことを確認し、いい香りのする紅茶を味わう。
数分後、スミレは当主へご挨拶を、と別の部屋へ案内された。
(あれ、なんか忘れているような……

「アイ様、スミレ様をお連れしました」
「ご苦労」

……そうだったわ)
手紙の送り主がメノウ家先代当主であったから、ここでも挨拶する相手はそちらなのだと勘違いしていた。
執務室には美しい小麦色の髪の男性が待っていた。肩まで伸ばした髪をすべて後ろへ流し、後れ毛だけが顔の左右に落ちている。
瞳はスミレの髪よりも深い──海の色。
彫りの深い顔立ち、体の内側にまで響くような美しい低い声。
アイ・メノウだ。
思わず見惚れてしまう。仕方ない、仕方ないのだ。初恋だったことを差し引いても、彼はあまりに人の目を引き付ける色をしている。

……ごきげんよう、アイ様」
「遠方からご足労いただいてすまなかったな。スミレ殿」
「い、いいえ」

同位の貴族とはいえ、スミレは令嬢の立場であるため当主のアイにはカーテシーを行う。

「自由にしてくれ。ゆくゆくは貴殿の研究分野の話も聞いてみたい」
「ありがとうございます」

(いま、いま……私の研究分野って言った!?)
彼を追いかけてこの道に入り、突き詰めていった先の研究分野だ。好かれるより何よりずっと嬉しい言葉だ。
胸の内側では大歓喜で両手を挙げて喜んでいるが、スミレももう大人であるので顔には出さず、傾聴の姿勢を取った。

「先代が寄越した家庭教師の件は私も聞いている。……父は療養中でな、ルアンと同じく別邸でお過ごしだ。挨拶は不要だが、様子を見に行くこともあるかもしれない」
「承りました」
「では、ここからは肩肘張らずにいくとしよう。──ルアンの件だが、あいつは十八の時にクラスメイトを負傷させて以来、ここで教育を受けている。……はじめは反省して真面目に受けていたが、今では講義を投げ出し騎士達の訓練に潜り込む始末だ。剣と、あとは……乗馬が好きだったか。魔法を使わない分、身体を動かして発散しているが、それでも炎が零れ落ちることがある」

魔力を用いる場合、個人と相性の良い属性魔法が発動しやすい。
いかに自分の魔力を管理して、多属性を扱えるようにするか。これが、もっぱら魔法研究の主流となっている。
触媒を介するスミレには無縁な話だ。媒体と、適切な術式の展開さえできれば、属性操作も簡単だからだ。

「つい一ヶ月前も、騎士達の訓練大会で炎を出した。あわや火事になるところだった。……それがどこからか漏れたらしく、二週間ほど前からこの話が不穏な形で広まりつつある」

その話は、スミレもミカゲから少しだけ聞いている。
ルアンが屋敷に引きこもっているのは、兄アイが力の強い弟を飼いならすためだとか、当主の座継承にあたり、兄弟間で衝突があるからだ、とか。
要は、ルアンの魔力暴走は家庭環境の不和が原因だとする噂があった。

「三ヶ月後に開かれる王族主催の夜会に、ルアンも呼ばれている。貴殿には、そこで彼が噂とは異なる人間であるということを示してもらいたい」

……ん?)

「貴殿の夜会出席の話も、当主から伺っている。しばらく夜会には出ないと聞いていたから、妻も喜んでいた。馬車はこちらで手配する、ルアンの監視も兼ねて、同伴してくれ」
「は、はあ……

聞いていない話がチラホラと入り混じってきて、スミレは頬がひきつるのを感じた。
(や、夜会出席必須なんて聞いてませんけど──?!)
夜会なんていわばお見合い会場だ。恋をしないと決めた女がそこにわざわざ出向く理由なんてない。友人には別途茶会で顔を合わせばいいのだし、などと考え、実行してきた四年あまり。

これは、あれだ。家庭教師の件は、色んな意味で──いいきっかけとして利用されたのだ。

「私はしばらく職務と子どもの世話にかかりきりとなる。定期報告は執事に。私からは以上だ」






その後、どんな顔をして、どうやって自分の部屋に戻ったのか、よく覚えていない。

「──聞いてないわよ!」

スミレはソファに置かれていたクッションに思いをぶちまけた。
一通り屋敷の説明を受けて帰ってきたミカゲが、心配そうに近寄る。

「お嬢様、なにか言われたんです?」

彼女に泣きつこうと思ったが、その背後でずらずらと運び込まれる衣装箱に気づく。
どう見ても、家を出るときに預けた時より、数が多い。
胡乱な目でミカゲを見る。

「ミカゲも知ってたの? 私の夜会出席の件」
「さあ〜……ドウダッタカシラー」

なんて白々しい反応だ。

「もおおおお! 私だけまた何も知らされてない!」
「まあまあ、みんな、お嬢様を信頼しているんですよ」
「それは信頼って言わないのよ!」

いつもそうだ。スミレなら上手くやるだろうと言って、これまで何度もそんな目に合わされてきた。

茶会での特技披露も、親戚の前での抜き打ちマナー試験も、入職者代表挨拶も──いやこれは単にもともとの代表者が風邪をこじらせたんだった──とにかく、ぶっつけ本番でなにかをやらされることが多かった。 
スミレもつい、ええいままよとやり通してしまうので、良くないのだろう。いつの間にか、話の通されてないことを任されることが増えた。
今回のことだって、そうだ。

なんて、どれだけ訴えたところでミカゲを困らせるだけ。スンッ……と切り替え早く冷静になったスミレは、大きなため息をついてソファに横たわった。
ミカゲがオロオロと顔を覗き込んでくる。

「お休みになりますか?」
……ううん、いい。散歩する」

宣言してから起き上がり、すっくと立ち上がる。

「よろしいんです?」
「んー、私室はだめだけど、一階に関してはどこも大丈夫って話だったのよね。それに、初めてのお屋敷を探検なんて、そんなにできることじゃないし」
……お嬢様?」

ミカゲが説教モードになる前に、慌てて説明する。

「だ、大丈夫大丈夫! ちゃんと認識阻害をかけてひと目に見えないように出歩くし! 迷ったら誰かに聞くし!」
……くれぐれも、メノウ家の方々にご迷惑はおかけしないでくださいね?」
「なーに言ってるの、大丈夫よ!」
「ああ……心配」

ひとまずミカゲの許可は得たので、廊下に出る。
人の目がないことを確認してから、イヤリングに手を伸ばす──スミレはこうやって、祈りの形を取って魔法を発動する癖がある。
日属性と闇属性の術式を空中に描くと、書いたそばから式は淡い光となって薄く広がり、人の目に認識されにくいヴェールとなる。
自分の周りに展開したそれを確認してから、足下に風属性を発動し、自分の足音が拾われないようにした。

左右を見て、迷い、とりあえず、右手奥に進む。
広い邸だ。
調度品は美しく磨かれ、埃もほとんど被っていない。
天井画は、古い聖書を参考にしたものだろう。壁はメノウ家らしい落ち着いた淡黄色で統一され、全体的に温かな印象を与える屋敷だった。

(へえ……

緑が豊かな地域とは聞いている。
中庭に、正門の庭、それから裏庭に屋上庭園。
あちこちに緑が生い茂り、この時間は木漏れ日が心地良い。
日焼けをするとミカゲに怒られるので、スミレはちょうど中庭にあったガゼボへ向かった。
ここで日属性の光遮断をかけて、再び散歩に出ようと思ったのだ。

「えーっと……認識阻害を解いて。光反射の式に、波長を変える式と……

すいすいと術式を書くほうに気を取られて、スミレはそこへ人が近付いていることに気付かなかった。

「はあ……ったく」

現れたのは金髪翠眼の青年だ。
息を切らし、汗だくで、彼が走ってきたことは見てわかる。

「誰だお前」

スミレは柄にもなく、恐怖を感じた。
金色を持つということは──彼は大きな魔力をその身に宿している。

実は、神がいなくなった後世においても、ずっと、お守りのように受け継がれている呼び名がある。
『神の落とし子』
かつては金髪金目の人間のみを指したその呼び名は、金色を持つ者が減ってきた昨今において、金色を体に宿す者を指すものに変わった。
魔力、魔法、ともに、才覚に恵まれる彼らは、その色を持つだけで王族から寵愛されるという。
(いや、でも……メノウ家にそんな話、)
事前にスミレが聞かされた話の中に『神の落とし子』なんてキーワードは一つもなかった。
スミレが夜会なり茶会なりに参加して情報を収集しておけば、気付けたのかもしれないが……今更悔やんでも遅い。

それよりも。
誰かが意図的に隠したのなら、一体、何のために?

「──何をしてる?」

考えている間にスラリと剣が引き抜かれた。
鋭い眼差し。スミレの返答次第では喉を掻っ切るつもりだろう。殺気を感じる。
足が竦む。指先すら動かすことに神経を使う。

魔力の少ないスミレにとって、目の前の青年は立っているだけで脅威だからだ。

だが、ここで唇すら動かせないスミレではない。

……随分な態度ですね。メノウ家の兵士が無礼な人間と思われても良いのですか?」

ゆっくり、はっきりと言い返す。

「思うような人間はそもそもこんなところに居ない。間者か?」

彼が声を発する、それだけで火の粉がちらついた。
ここは庭だ。木に燃え移ってしまうとまずいと彼も思ったのだろう、一瞬、苦い顔をする。
口ぶりからして、兵士ではないと思ったが──おそらくルアン本人だ。
別邸にいるという話だったから、ここでは出会わないと思っていた。
正体が分かれば身体は動く。スミレは自分の顔の影で片手で祈りの仕草を取り、素早く、青年の放った火の粉を大気中の水で包み込んだ。

「な……!」

相手が動揺すると、自分が冷静になるもの。青年は剣先をスミレの顔前に突きつけたが、スミレはすかさず風魔法で弾いた。簡単に言えば、瞬間的に足下から強風を吹かせ、空気の塊で剣を押し上げたわけだ。手から離れやすい方向へ押してやれば、容易く剣を奪える。
トス、と庭の地面に突き刺さった剣を見て、ルアンが火の粉を辺りに散らした。

……詠唱破棄の術者が何故ここにいる? 兄上の部下か?」
「セイラン侯爵家が三女、スミレです。ルアン様の家庭教師の任を仰せつかり、本日こちらへ参りました」
「そんな話は聞いていない」

聞いていないのか、覚えていないのか。なんにせよ家族以外の女性がいたらまずは名前を聞くなりすればいいのに。
噂に尾ひれがついたのはこういったところが誇張されたからだろう。

「今夜、話があるのでは? では、私はこれで……
「待て」

手首を掴まれ、顔をしかめた。確かにこれは、教育をしたほうが良さそうだ。
どんな事情があれ、相手の話に耳を傾けない態度はいただけない。

「侯爵家との繋がりを断つつもりで?」
「お前が侯爵家である保証はないだろう」
「──悪いな、ルアン。そいつは俺が保証する」

第三者の声が割り込む。
聞き覚えのある声にスミレはどきりと心臓が跳ねたように感じた。
庭から現れたのは、当主アイだ。

「兄上。仮にもこの女が侯爵家だとして、なんでこんなところに一人でいる? 女は茶と菓子でも食べて会話して過ごすものだろ」
「人の話は聞いておいたほうがいい。家庭教師が茶会ばかりでは仕事放棄だと疑われるぞ」
……家庭教師というのは事実なのか」
「そうだ」

ルアンが手を離す。怪我はないし跡もない。大丈夫だとアイに目配せすると、彼は、すまない、と謝罪を口にした。

「弟の非は私が代わりに詫びよう。この通り、躾がなっていない子供だが、貴殿の力で青年へと戻してやってほしい」

重苦しい非難というよりは、軽やかな揶揄の響きのある言い方だ。スミレが、はあ、と返事をするか迷っている間に、ルアンが火の粉を散らして怒る。

「兄上までそう言うのかよ」
「お前が初対面の女性に剣を向けたのは事実だろうが。いい加減学べ、バーカ」

そういえば本性はこっちだった。
スミレはさっきまでときめいていた自分の心を滅多刺しににしながら兄弟喧嘩を傍観する。
スミレの存在を思い出したアイが、ハッとルアンの首を掴む。

「スミレ殿、邪魔をして悪かった。愚弟は連れて行くので、これで」
「はい、ではまた」

スミレは大人しくアイ達を見送り、引きずられていくルアンからの手文字威嚇も無視してスカートを翻した。



三話目、神の落し子


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