リが傭に溺死させられそうになる(理想を抱いてとかではない←)
@azisaitsumuri
冷たいあぶくが頬を鋭く通り過ぎて行く。
それは自らが勢い良く水に沈められた衝撃によるものだった。
「はぁっ!?」
押さえ付ける力に荒がって体を起こせば、漸く潮の匂いと海水の味に脳が顔を顰める。
なのに尚自分を押さえる手、そう熱い手が、己から離れない。
知った手だと思ったのだが、何かがおかしい。
「貴様ッ、何をするんです!」
「なにって。」
相手も事態のおかしさに気付いて力を緩めるも、反して目はなんらおかしい行いはしていないという声でこちらを見下ろす。
「おまえは海水が無いと死ぬだろうが。」
「はぁ?」
今正にその海水で溺死しそうになっているのですが?
そこで漸く相手も顔を顰め、ついでとばかりに顔を掴まれる。
「おまえ、鱏じゃないな?」
「は!?」
見れば分かるでしょう!?不躾な手を振り払う。
「なんでおまえはここにいる?」
「それはこちらの台詞です!」
だが確かに、身に覚えの無い「ここ」に居るのは自分の方だった。
「おまえが取り替えられたと考えるのが妥当か。」
妥当、妥当だと?そんな、その考えのどこが。
「は、妖精がいるでもあるまいし。」
吐き捨てたところで、相手は黙って小首を傾げるだけだった。まさか。
絶句したこちらにそれ以上を望めないと思ったのか屈んで海を覗き込んだ。
「嗚呼。」
そして何やら嘆息した。
倣って水底を見ると、さっき迄冷たく刺すように責苦を与えてくれたそこは、今はそんな様子も見せずゆらゆらと揺れていた。
その向こう、きらきらと輝く小さなものが円を描くように沈んでいた代わりに、水草の一本も緑を見せていなかった。
「そう言えばおまえ、ニンフだかヒュドラだかにちょっかい出したんじゃなかったか。」
「わたしじゃありません。」
「そうだな。」
相手は海を見詰めた儘、一つ息をついた。
「水は流れるものだ。痕跡を頼るのは面倒なんだがなあ。」
そうしておもむろに、自らに刃を当てると、そこからさらさらと血を流した。
どうしてだかそれは波に流れては行かず弧を描き、血潮でも渦潮でも無い、もっと乾いた匂いを上げた。
干上がったようにそこだけ海が割れ、流砂に沈むように足を取られた。
「濡れてなくともおまえの肌触りは奇妙だな。」
大きなお世話だ。
直ぐに砂を埋めるように海が戻り、また冷たいあぶくを浴びた。
「うわあっ!?」
今度は容易く身を起こすことが出来た。
驚いたように身を引く男は、今度こそ自分が良く知る相手だった。
「ここは……。」
そして良く知る部屋だった。
ベッドシーツをひっぺがした男が、こちらの水気を吸わせてくる。
「戻ったのか……なんだったんだ?」
「さあ……?」
こちらこそ訊きたい。
しかし潮がざりりと張り付いた水が疲れと不快を浴びせ、強く返す力も無い。
男も混乱しているのか、ズレたことを言って来る。
「おまえの替わりに居た奴に、食堂から水やら塩やらを持って来てやったら、優しくて気持ち悪いとか言われたんだが。」
本当になんだったんだ。男の声も力無かった。
「……妖精の悪戯じゃないですか?」
男の手は熱かったが、海水越しのあちらの方が熱かったように思う。
耳に残った濁流は、狼の遠吠えに似ていた。