X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです

Lost Children(非公開

全体公開 奈落の大穴 25547文字
2024-06-14 12:27:16

     目次

 一 ライザ、気まぐれに厄介事を持ち込む            5
 二 オーゼン、旅に臨むものの困惑する             8
 三 オーゼンとライザ、地獄の門をひらく            15
 四 オーゼンとライザ、氷の国でくつろぐ            23
 五 オーゼンとライザ、花見に散策する             32
 六 オーゼン、夜籠もりに醒める                38
 七 オーゼンとライザ、古代都市をあまかける          41
 八 オーゼン、土産の在り処を知り、当面の任務につく      49

   あとがき/奥付  


注意書き
・創造設定
・ゲーム『闇を目指した連星』、及び『ドアビートルリコ 2011~2017』の設定含む



   一 ライザ、気まぐれに厄介事を持ち込む




「私たちの長期休暇をもぎ取って来たぞオーゼン! 旅行しよう!」
「嫌だね」
「なんでだーっ⁉ ここは喜んでって返事するところだろうが白笛の私が誘ってるんだぞー‼」
 招いてもいないのに窓から土足で飛び込んできて無遠慮にオーゼンの襟元を引っ掴みぐわんぐわんと揺らしてながら、なぜ都合のいい返事が返ってくると思っているのだろうか。いやライザなら本気で思っているにちがいない。オーゼンが逃避している間に常人なら目が回る勢いの速さで揺すぶりはじめたのがうっとうしくなってきたので、ぐいと首根っこを引きはがし、うるさい猫を天井に向かってぶん投げる。
 吹き抜けづくりの天井に一度バウンドしてライザがべちゃりと地べたに叩きつけられる。そんなじゃれあい程度ではかすり傷ひとつ負わないうえに、まるでめげないライザは俊敏にオーゼンのそばに寄って来て、今度は断りなしに膝上に居座る。ごろにゃんと頬をすりよせてくる様子は家人に慣れきって野生をわすれた猫だ。ただし、ネコ科でも肉食の獰猛な類だ。
「なぁ、オーゼン……
 いよいよオーゼンは報告書を投げ出して革張りの椅子に深く背もたれた。意気揚々とライザが首に腕を回して絡みついてくる。昔は羽のように軽かったというのに、ずいぶん体重も身長も伸びたものだ。それでもオーゼンには誤差のようなものだが。一方で暴風っぷりは格段に増大した。白笛になってからは権限の範囲がとんでもなく広くなったので、やることなすことがいちいち被害甚大である。
 白笛二人が同時に休暇を取るなんて組合本部の上層部が頭を抱えていそうだな、とオーゼンはライザの後頭部をあごにぐりぐり押しつけられながら思う。考えをまとめている最中だ。気が乱れるのでやめてほしい。
 いいかげん暑苦しくなってきたので、オーゼンはまとわりつく奈落髪を根本から思いきり引っ張った。
「痛っだぁ!」
「重い。降りな」
「はぁーい……。でもゴンドラ素手で運ぶオーゼンには重くなんかないだろー?」
 しぶしぶとライザは膝から滑りおり、流れるように机に置かれた報告書をちらと指でつまみ上げて顔をしかめた。ライザは書類仕事がいっとう嫌いなので、印を押すほかは部下に丸投げしている。旦那であることをいいことに、トーカはよく駆り出されている。
 せっかく仕分けしているのに荒らされるのは不服なので、オーゼンはライザの手から紙きれをひらりと取り上げた。
 ひと吹きの涼しい風が窓から入ってくる。顔を上げたライザの長い奈落髪がはためき、窓から差し込む日の光に透けてきらめいた。
「一緒に行くだろう? オーゼン」
 観念したため息すらも前向きアクセル全開なライザには効きやしない。ライザはオーゼンにタックルをかまし、熱烈すぎて暑苦しい抱擁を贈った。




   二 オーゼン、旅に臨むものの困惑する




 にくらしいほどの出発日和な青空だった。オーゼンはさっそく帽子を持ってこなかったことを後悔していた。アビスの天候に慣れていると地上の太陽はまぶしすぎる。
 北区の港はいつでもざわざわとよそ者であふれかえっている。大半は共用語だがときどき訛(なま)りのある会話や、外国の言葉が聞こえてくる。ライザが予約を取っていたのは乗組員が片言の共用語を使う、東の国の文様を凝らした客船で、半分も言葉が通じているのか怪しいのにライザは水夫とさっそく意気投合していた。腕に墨絵を掘った日焼けした腕をうらやましがり始めたあたりで、えんえんと続く長話に飽きたオーゼンは強引にライザを引きずって客室に向かう。この船でいちばんの部屋だった。
 石灰で塗り固められた部屋は、まるい船舶窓から大洋を眺望できる、景観のよい客室だ。二人分の寝台と壁に固定された小さな机と椅子、天井のランプ、鏡という実用的で質素な調度品が設えられていた。鉄製の二階建てパイプベッドはライザが腰かけるだけでもぎしぎしと鳴って、オーゼンは顔をしかめる。
「懐かしいなぁ! 孤児院のベッドみたいだ」
「こんなんで耐荷重保つのかねェ。犬小屋の方がマシだよ」
「あはは、オーゼンにはちっさいかもな! 安心したまえ、寝袋の用意はあるぞ!」
「寄越しな」
 ライザが冒険の準備は任せろ! と豪語したのでオーゼンは本当に最低限の遺物装備を身につけたほかはまったくの手ぶらだった。たいてい探窟中もオーゼンの仕事は遺物運びであって、他人に預けることには抵抗がない。ライザは二人分の荷物を詰め込んだリュックを担いで来ていた。それは背負えばライザの頭がすっぽり隠れてしまうような高さほどの大きさである。
 荷物の奥底から寝袋が放り投げられて、オーゼンはさっさと寝袋に潜り込んだ。
「まだ昼間だぞ?」
「どうせ船酔いするんだ、寝ていた方が得だよ」
 オーゼンは唇をとがらせるライザに背を向けて寝返りをうつ。まぶたをおろして眠りにつこうとした。しかしすぐ脇でライザがごそごそ荷物をひっくり返している気配がして一向にまどろみがやってこない。
 つかの間の昼寝をあきらめてオーゼンが薄目を開けると、ライザがちょうど着替えているところだった。返り血の痕跡を隠す探窟服ではなく、涼しげな様相を思わせる、若草色のこじゃれたワンピース。オース風でない、育ちのいい金持ちの観光客のような恰好だ。
 反射的にオーゼンは口にしていた。
「なんだそれ、似合わないね」
「オーゼン起きてたのか?」
 ライザが長い髪をふわりと持ち上げて下ろす。振り返った顔を見ると、唇に紅も差しているようだ。襟ぐりの開いた胸元は、オースの権威を示す白笛ではなくレースリボンが飾られている。知らない奴のようでオーゼンはまじまじと観察して、感想をそのまま口に出した。
……似合わないねェ」
「二度も云わなくていいじゃないか! せっかくとっておきを出してみたのに」
「お前さん、着飾るなんてタマじゃないだろ。いったいどんな心境変化だい? いや、アビスの外に行きたいなんて云いだしたあたりから変だが……
 ライザがさっと頬を色づかせる。
「な、なんだっていいじゃないか! 起きてるなら船を探検するぞ!」
 なぜだか早口に云い放って、ライザが力任せにオーゼンを引っ張りにかかる。どこぞの童話のカブよろしくオーゼンはびくともしなかったが、至近距離でやかましく騒がれては睡眠妨害もいいところだ。
 結局オーゼンは根負けしてライザについてひととおり船を見て回った。ライザのように着飾った観光客がオースの夢見心地な思い出に後ろ髪を引かれながらもくつろいでいる。アビスのある島はすでに遠く豆粒ほどに離れてしまっていた。ライザは微塵も心残りがありそうな様子はなく、始終楽しげに観光客や船員を捕まえてはとまらないお喋りに励んだ。
 オーゼンはライザに付き合って浮かれた旅人になりきるつもりは微塵も考えられなかったので、普段と同じ黒固めの探窟服を着込んだまま船上を過ごすことにする。オーゼンはかすかに胸が痛んだ違和感には目をつむることにした。
 出航から十数日、最初に客船が錨を降ろしたのはオースより北東に位置する港町である。甲板から展望した、水上に浮かぶような高床式の木造家屋の港町は、酸っぱいようなしょっぱいような異国の匂いに満ち満ちていた。
 船員が説明したところによると、この港町は夏頃になると暖風が吹き毎年のように高波が押し寄せるらしい。果樹に柱を立てて草木の家を建てたのが町の始まりで、建設も取り壊しも容易とのことだ。
「オーゼン! 早く行こう、早く!」
 ライザは甲板から身を乗り出さんばかりに興奮状態だ。今にも手すりを乗り越えて飛び降りそうなのでオーゼンはいつもするように首根っこを捕らえた。
「お前さんときたら、いつまで経ってもちっさな子供(ガキ)みたいにはしゃいで恥ずかしくないのかねェ。目立ってるよ」
「冒険の始まりに胸が高鳴るのは当然だろう? それに、オーゼンの方がだんぜん目立ってるぞ。でっかいから」
……ともかくおとなしくするんだね」
 オースの外では身分証明どころか無駄に恨まれかねないのでオーゼンもライザも白笛を外していた。それでも桁外れに長身なオーゼンと、好奇心旺盛で声がよく通るライザの二人組はひときわ他人の目を引く。視線がうるさいのでひと睨みすると、船員や客たちは周囲から散り散りに去っていった。
 下船の準備が整い、一等客室のオーゼンとライザがまっさきに案内された。まだオースから距離が離れていないせいか、白笛をかざしただけで荷物検査は迅速に完了したが、代わりに検査員全員と握手を求められてオーゼンは閉口した。
 意気揚々とライザが目についた借り馬車の店を物色するのを止めさせ、オーゼンはライザを引きずって町中へと繰り出す。船上生活でなまった身体を伸ばすのにちょうどよい散歩だった。
 匂いの大元である背の高い果樹がそこらじゅうに植えられていた。どこでも実が鈴なりになっているが、反り返しの棘が生えた幹は素手では登れず、オーゼンの背丈でも取れない。ライザが猿のように小一時間ほど立派なたわわに実った果樹と格闘しているうちに、飽きたオーゼンがそこらの果物屋から果実を買ってきたらライザは憤慨して奪い取った。果実は皮が硬くてジュースのような中身をくり抜いて飲んだ。住民は屋根より高いはしごをかけて、危なっかしく果実を収穫しているのだった。
 昼下がりの食事は海鮮ものにした。とっ散らかった印象の地元風の大衆食堂で、町の名物だという大ガニをあますところなく調理した煮込み料理と、出汁を使った雑炊はオーゼンも満足した。デザートは先ほどの果実をゼリー寄せにしたものだ。
 腹が膨れたころにオーゼンは切り出した。
「ところでさァ、なんにも聞いていないのだけど、結局どこへ行く予定なんだい?」
「話してなかったっけ」
「ちっとも聞いていないよ。まァ、休暇内にオースに戻れるなら、それに越したことはないけどねェ」
「んー、ちっと待て。たしか持ってきたはずだから」
 ライザはリュックを漁り、脇ポケットから真新しいガイドブックを引っ張り出す。
 オーゼンは呆れた。まさか、アビスに関連しない書物をライザが新品で買い求めていたとは。
「旅のおともには必要だろぉ?」
「そんなルールは知らないよ」
 ふんふんと下手な鼻歌を歌いながらライザはやたら厚い冊子をめくる。待ちぼうけのオーゼンは薬草酒を注文した。
 どろりと葉色に濁った酒が運ばれてきて、オーゼンが黙ってちびちびと飲んでいると、とうとつにライザがガイドブックの見開きページを差し出してきた。
「オーゼン! ここにしよう!」
 竜のごとく激しく炎を巻き上げる写真が載せられている。砂漠にぽつねんとたたずむ、百年を超えて燃え続ける洞穴。炎のすさまじさに辺りは昼も夜もなく、地獄の門、あるいは竜の息吹と呼ばれている――
 たいして興味は持てなかったが、ライザが満面の笑顔なのでオーゼンはうなずく。店主オリジナルという名目の薬草酒はひどく苦くて舌が痺れていた。





   三 オーゼンとライザ、地獄の門をひらく




 樹木も枯れる不毛な礫砂漠地帯。生きものは岩と同化する砂ネズミやヘビの種、あるいはオオカミ。乾燥に耐えうるわずかな植物と虫が生けるものすべてを生かす。
 目的地に最も近い村から徒歩にして半日、馬車を使っても半分は道も整備されていないためにちっとも楽にならない険しい道程。村唯一の宿で出会い、同行することになった冒険家たちもまるまる二日は補給がないことを承知のうえで、水や食料を買い込んでいた。
 ライザもよそいきのワンピースを脱ぎ捨てて、見慣れた探窟服になった。白笛がないことだけがしっくり来なかった。
 宿でたっぷりの睡眠を取った翌日、夜が明けきらぬ前から三人の若い冒険家と待ち合わせた。彼らは遠く西の国から、はるばる昼も夜もない炎を拝みに来たのだと云い、ほがらかに挨拶した。
 オーゼンが寡黙な同行者であった代わりに、ライザが景気よく冒険家たちと喋っていた。世界最後の秘境アビスの際(きわ)、大穴の街オースから来たのだと云えば、冒険家たちは口々に驚いて、いずれ訪れてみたいものだと褒めそやした。ライザは鼻高々にオースと、アビスの素晴らしさを語った。
 若い冒険家たちも生まれ故郷の話をした。彼らの国では恵みを降り注ぐ太陽が信仰の対象なのだった。逆に月は人を狂わせるとして畏れられる。王族にはまれに月に呪われた子供が生まれるのだと云う。太陽の光を浴びることを拒まれて、十を迎えられずに死ぬ運命なのだと。
 ライザは他国の伝承を熱心に訊いたし、オーゼンも無口なままに耳をかたむける。
「そいつは君たちは見たことあるのか?」
 いいや、と一人が答える。庶民には縁遠い物語であるし、何十年もそんな子供がいると聞いていない。
「なんだ、つまらんなぁ」
 ライザはがっかりしたようにつぶやいた。
 日は薄く広がる雲に隠されて、さえぎるものがほとんどない砂漠の中とあってはまたとない良天候だった。とはいえ倒れかかった剥げた標識と、コンパスと時計とかすかな足跡が頼りの行路で、たびたび砂塵嵐にさいなまれる。四度目にもなる足止めの後、さて――と一行が息をついたときのことだ。
 砂嵐にまぎれて近づいていたのか。足音がかき消されて、砂漠の獣が目前に迫っていた。
 しなやかな四つ足の体躯はまだらな灰色。この礫砂漠で目撃されるオオカミはいずれも単独だった例にもれなかったが、主に夜行性で遭遇には早い時間のはずだ、などと悠長に考える間もなくオーゼンは突撃していた。最重装の遺物の外套を纏っていないことは百も承知だったが、『千本楔(ヘルスジャンキー)』は腕に埋め込まれて外せないのでそのままあった。急に突進してきた獲物にオオカミはひるみ、全身の毛を逆立てて後退する。勝負は一瞬で決着がついた。空高くに突き飛ばされたオオカミは地面に激突し、かぼそい断末魔を上げて震えているうちに動かなくなった。
 腰に衝撃が当たり、オーゼンはとっさに払いのけて軽々と避けられた。ライザがぴょんぴょんオーゼンにまとわりついて果てには腕にぶら下がろうとしてくるので、虫よろしく叩き落とそうとしたがかなわなかった。
「やったぞ、さすがオーゼンだ! どんな味がするかなぁ! 『しわ鍋』も小さいのだが持ってきてるんだ」
 すげなくされてもライザはいそいそとオオカミの前にしゃがみ、その場で解体を始める。オーゼンも手伝いながら、ふと存在を思い出して同行者を振り返ると、三人ともそろって腰を抜かしていた。
 皮剥ぎや血抜きの処理を済ませてひとまとめに包み、オーゼンが担いだ。冒険家たちは自分たちも分け合って運ぶと云ったがオーゼンは首を振って断った。二十キログラムを超えるだろうオオカミ肉もオーゼンからすれば気を失った人間を担ぐよりはるかにたやすい。探窟中ならば『不動卿』にそんな不遜な申し出をする度胸の探窟家はいないので、勝手の違いには少なからず面食らった。
 さらに休まず歩くこと二時間ほど、日が天空を真っ赤に染めるころ、ぼやけた地平線に燎原の火のごとくの轟音がとどろいた。見渡すかぎりの礫砂漠に、突如として不可思議な炎の柱が登場したのだ。冒険家たちはあんぐりと眼を見張り、ライザは興奮のあまり一行を置いて走り出した。
 それは巨人の落とし穴かクレーターか――アビスほどに立派な大穴ではないが。火山の火口が平坦な風景にぽっかりと口を開けている。腐った卵のような臭気がただよい、火炎が断続的に吹き荒れ、火花をちりばめた石を周囲に巻き散らす。地獄の入り口とは云い得て妙だった。近づきすぎれば火をまとう石に火傷を負い、さもなければ地獄の釜へ真っ逆さま。日が落ちるころだというのに、周囲はまばゆいほどに明るかった。
 昼も夜もない――は噂の誇張だろうとオーゼンは思ったが、旅人には遠目にもわかるよい目印だった。
「見ろ、オーゼン! 火の熱泉みたいだ!」
「いちいち云わんでも見えてるよ。やれやれ、火起こしの手間がはぶけた」
「じゃあ任せた。私たちは円周一周してくる!」
「はいはい」
 返事を聞き届ける前に、ライザは若い衆と一緒になって駆け出していた。ひとり置いていかれたオーゼンは憂鬱にため息をつく。オーゼンはライザが投げ出していったリュックから調理器具を取り出し、食事の準備を始めた。
 『しわ鍋』に水筒の真水を少しずつ注ぎながら鍋をかたむけて水を全体に行き渡らせる。オーゼンにとっての小鍋ほどに膨らんだ。熱せられた石を拾い集めて、即席かまどに。オオカミ肉をナイフでそぎ落とし、鍋にあふれんばかりになると、重石で蓋をして、少ない水で蒸し焼きにした。その間も、わずか数十メートル先で地獄の門が断続的に火炎を噴いていた。
 地べたに座り込んで慣れた作業をこなしながらオーゼンの頭を巡らせるのは、ライザのことだ。旅行をねだられたときからずっと、歯車がずれたような違和感が降り積もっていて、それが不快だった。
 生まれたときにはアビスを目指していたような、オーゼンに三度蹴られてもついてくるような、あまつさえ笑顔で師匠にならないかだののたまうような、生粋のアビス馬鹿が旅行したいと云ったとき。オーゼンはプライベートな深層探窟のおねだりなのかと思った。互いに白笛になってからは揃っての長期探窟もろくになかったし、うるさい弟子とふたりきりなのも退屈しないだろう。そう打算をつけて計画に乗った。
 ところが西区の奈落門に行くのかと思えば北区の港に足を運び、探窟家の乗らない国外の客船に乗り込み、そこらの町娘のようなワンピースに身を包んで、……。似合わない、とオーゼンは思う。なにをするにつけても、アビスの話にしか興味を示さなかったようなライザが、アビスを遠く離れるなど。
 オーゼンにはアビスから離れた生活なぞ考えられない。いまだって、すぐにでも引き返して大穴に飛び込みたいような渇望に襲われているというのに。
 花火を打ち上げたような閃光と衝撃音に、オーゼンは異国の地に引き戻される。地獄の竜がとびきり大きな慟哭を鳴らしたのだった。鍋がシュンシュンと吹きこぼれていた。
「おぉ――い、オーゼン!」
 ライザが大手を振りながら戻ってきた。冒険家たちが引き離されながら疲れきった顔で後に続いている。
「楽しかった! 向こうっ側にもいっぱい穴があって、ぐわぁーって!」
「そうかい。飯は待ちな」
 ライザは隣に腰を落ち着けるなり、重石をよけて肉鍋をかき混ぜているオーゼンの膝に、無遠慮に頭を乗せて寝転がった。
「邪魔だよ。あいつらと遊んできな」
「ふふっ、嫉妬してるのか、オーゼン?」
「いますぐ火孔に蹴り出してもいいんだよ」
「魅力的なお誘いだが、いまはやめておこう。あの中は有毒ガスが蔓延しているようだし、『空気まんじゅう(マーマイントバーブ)』がなきゃ火だるまになる前におだぶつだ。それに、底までの約二十メートルに対して横穴は合計三十にのぼるけど、どれもたいした距離も行かずに行き止まり。神秘も面白味もありやしないさ」
「お前さんは十二分に楽しんでいるようだけど」
「オーゼンは楽しくないのか?」
 ここで楽しくないから帰ろう、と云えばライザは納得するのだろうか。ただ、仰向けに見上げてくるライザの瞳のきらめきを見ていると、意地悪をしてやりたい気分がしぼんでしまって、蒸し焼きに塩と香辛料を振ることに集中するふりをする。なぁなぁ、と機嫌をとるように腰にまわしてくる腕がわずらわしかったのでオーゼンは腹に肘鉄を喰らわせた。ライザがぐぇっと空気を潰した咳をした。
「でかいだけの火焔なんて三層の凍熱坑道に見れるじゃないか」
「それもそうだなぁ! 考えておくよ。なぁオーゼン、飯できたのか? 腹減った」
 ライザは一息に起き上がって、火口から離れたところにテントを張っていた冒険家たちに合図を送って誘った。せわしなく力いっぱいに満喫しているらしいライザに、オーゼンの気分はざわつく。
 オーゼンが仕留めたオオカミ肉の蒸し焼きは、若い冒険家たちもライザにも好評だった。オーゼンはそのうちの半分を陣取った。
 それから、ライザが寝袋に入って見張り交代までの仮眠を取っている間、ライザを背にあぐらをかいて、夜空をかき消すような炎をぼんやりと眺めていた。





   四 オーゼンとライザ、氷の国でくつろぐ




 南から北へと国境をいくつもまたぐ鉄道列車の乗り心地は最悪だ。コンパートメントのガラス窓は建付けが悪くて揺れるたびにガタガタ音を立ててすきま風を通すし、布張りの座席はクッションに穴が開いているせいで薄くなってしまっている。オーゼンとライザが向かいになって座れば四人掛け座席はいっぱいになってしまった。
 ライザは激しく縦に揺れる窓の風景を熱心に眺めている。のどかな緑の丘陵に牧畜のヒツジや赤い屋根の建物が過ぎ去っていく。オーゼンは社内販売の、カラメルと糖蜜を固めた甘いパイと安い葡萄酒を口にしていた。パイは一口ごとに歯にくっついた。
「私にも寄越せ」
「私のだよ。自分で買いに行きな」
 パイを軸にもみ合いになった末に、ライザがコンパートメントを出ていって、数分して両腕いっぱいの菓子を買って戻ってきた。
「おばちゃんがおまけしてくれた!」
「うだつのあがらない小娘に見えたんじゃないか」
「なんだとぉー! 白笛なんだぞ、子供じゃないもん!」
「そうとしか見えないんだよ……
 刺繡のブラウスに黒の厚手のスカートとブーツ、頭もすっぽりかぶれる丈の長い外套は気温の下がる地域では必需品だと、列車に乗る前に買いつけた服飾店の店主は太鼓判を押していた。オーゼンはライザを見て年若い娘と勘違いしたのではないかと疑っていた。そうするとオーゼンが母親か祖母になってしまうのが受け入れがたいが。一揃いを着込んでしまうと、童顔のライザは落ち着きない言動とあいまってますます幼く見えた。
 おばちゃん酒売ってくれなかったんだよなぁ……とぶつぶつつぶやきながらライザは腰を下ろす。クッションから埃が舞った。
 拗ねられても困るのでオーゼンは葡萄酒を分けてやった。水で薄めたような葡萄酒を交互に飲みながら菓子を食べる。焼き菓子は中に挟んだ粘りのあるクリームでごまかされて生地はパサパサ、真っ黒な細長い飴は塩辛いうえに甘味を含んだ刺激臭がして、ライザは端をかじっただけでオーゼンに突き出した。
「塩と蜜蠟とゲロの味がする」
 食べられなくはない線なのがよけいにひどい。菓子が悪ければ飯にも期待できなさそうなことが不満だった。ライザが食べなかった菓子は、目的地に着くまでにオーゼンが腹に収めた。
 遺物が動力の列車は二日一晩走り続け、オーゼンとライザは途中駅で下車した。最果ての地はまだ二週間以上もかかるという。年中雪に閉ざされた冬の国に向けて旅立つ列車を見送り、オーゼンとライザはうっすらと灰雪がちらつきはじめた街に踏み入れた。
 夫婦が経営するこじんまりした宿で歓迎になった。夕食は量は充分だったが味が薄くてライザはこっそり塩を多量に足していた。明日の予定を聞かれて答えると、そこまで無料で走行する乗合馬車があるから使いなさい、と親切な宿屋の主人は勧める。この国いちばんの観光名所なだけあった。
 翌日、朝食をとってから乗合馬車に向かった。屋台の朝食はまだましなほうで、香味野菜をたっぷり詰め込んだ、辛子饅頭に似た蒸し饅頭をライザは五つ、オーゼンは十二食べた。息が臭くなるのが難点だった。
 暖房の焚かれた馬車内でまたしてもガタゴト揺られ、やがて氷の山に囲まれたふもとにたどり着く。ライザが我先にと飛び降りて、御者にチップを払ったオーゼンが続けて降りる。つんと鼻にくるすえた匂いが鼻をくすぐった。刺すような冷たい風が吹いていた。
 見渡せるほどに大きな乳白色の泉が目的地だった。泉は水面に薄い雲がかかり、その周辺には溶岩が固まってできた黒い岩場がある。飲食店のある建物を中心に、この小国のどこから現れたのだと思えるほど観光客でにぎわっている。観光客は泉に浮かんでくつろいだり、マッサージを受けたり、酒を呑んだりしていた。ライザの眼が輝いた。
「オーゼン、酒買ってきてくれ! 私が行ってまた断られちゃかなわんからな!」
「ハイハイ、師匠遣いの悪い弟子だねェ」
 異論はなかったのでオーゼンは場所取りをしに行ったライザに小銭を握らされた。売店で氷葡萄酒と火酒の大瓶を購入してライザが駆けていった方向に足早に歩く。雪まじりの地面にうっかりして滑っている観光客を何人も見かけた。
 なるべく観光客が見られない、奥まった岩場にリュックを投げ出してライザは待っていた。いや、オーゼンを待てなくて、すでに分厚い外套と衣服とブーツを脱ぎ捨てて素っ裸で泳いでいる。頭まで深く沈んで息継ぎに顔を出すという遊びに興じ始めていたライザは、オーゼンを見つけて岸辺に寄って来た。
「あったかくて気持ちいいぞー。早く来いよー」
「犬より堪え性のない奴だねェ……。着替えくらい待ちたまえ」
 ライザが点々と散らかした服を回収してリュックのそばに置き、オーゼンも探窟服を脱いだ。氷と黒い岩に素足をつけると冷気が伝わってひんやりする。酒瓶を地面に並べ、遺物に焼かれた肌を隠しつつオーゼンも泉に入った。
 人肌ほどにぬるい湯が寒さをやわらげる。数歩進んだだけでがくんと首まで浸かった。あまり観光客が寄りつかないわけだ。ライザは自身が埋まるような深さにものともせずバシャバシャと波を立てて自在に泳いでいる。
「あ――
「おっさんみたいな声が出てる」
「うるさいねえ。こっちは年なんだよ……
 ライザは泳ぎ回るのに飽きたとみえて、オーゼンが浮かぶ泉のふちまで来て黒岩に腰かけた。遺物の腕にライザがくっついてくるのもオーゼンは心地よさに許した。
「いい景色だなぁ。四層の秘湯よりもでかくていいだろう?」
「まァ、いいんじゃないか……原生生物の襲撃もないという点ではさ……
「たまに渡り鳥が来るらしいぞ。けっこう美味いらしい。そうだオーゼン、酒は⁉」
 おざなりな返事をしていると、あっという間にライザの気が散ってオーゼンは気だるく背後の酒瓶を指差した。ライザは泉から這い上がって取りに行く。水に濡れてもかたくなに跳ねる巻き毛が鮮烈な傷痕の残る肌に張りついていて、オーゼンは無意識にじっとライザの身体の傷の数を数えた。下手をうって傷ついたり、原生生物にやられたり、オーゼンが仕置きをした痕もある。盗掘連中とやり合って深く刺されたときの傷を見つけて、オーゼンは舌打ちした。
 オーゼンの内心などつゆ知らずふたたび泉に半身を浸けたライザは下手な鼻歌をうたいながら瓶の栓を抜く。酒精の濃い匂いが弾けて湯気と混ざった。ライザはご機嫌に瓶をかたむけている。
 ぷは、とライザは酒臭い息をついた。
「旨い! こいつは当たりだぞ」
「私にもくれ」
「やぁーだー! 師匠だろぉー!」
「年長者を敬いたまえよ」
「列車でお菓子分けてくれなかったじゃないか!」
「菓子は別で買ったし、酒はやったろ。いいから寄越しな」
 ちょっとばかりこぼれてしまったが、オーゼンは酒瓶を強奪することに成功した。ぐいとあおるときつい酒精が渇いていた喉を焼いた。ずいぶん辛い火酒だ。まろやかな苦み、スモーキーな香りが素晴らしく欲を満たす。
「ん、たしかに旨い」
「あああぁぁー……! 私の酒が……!」
 おおげさな泣き真似をしたところでちっとも可愛げなどない。続けて氷葡萄酒を開けようとするとライザが待ったをかけた。無視して口をつけようとすればマタタビを得た猫のごとく奪い取ろうとしてくる。腹いせかとオーゼンは顔をしかめる。
「なんだい。私が買ってきた酒だよ」
「待て! ちょっとだけ、思い出したから!」
 あんまり必死なので三十秒だけ待ってやる気になった。ライザは転がるように泉をあがってリュックを探ると取って返してくる。ライザが両手に引っ掴んできたものを見て、オーゼンは眼を細めて口角をつり上げた。
「荷物だろうにそんなものまで持ってきたのかい」
「いい酒を見つけたらオーゼンと酒盛りしたいと思って」
 ふいに、ライザの素直な笑顔にオーゼンは見惚れてしまった。その隙に酒瓶をかっさらわれ、一口ほどの猪口に酒をなみなみに注がれた。芳醇な果物の香りが透き通る。どうぞ師匠、とうやうやしく差し出された猪口をオーゼンは一息に呑み干した。
「乾杯してない!」
「あァ……いい酒だねェ……。ほれ、もう一杯」
 猪口を突き出すとライザがしぶしぶという顔で二杯目の酌をしてくれる。弟子にかしずかせるのは実にいい気分だ。
 またちらほらと雪が降ってきている。氷の景色にしっとりした湯、人里離れてライザとふたりきりで酒を酌み交わす。巨人の盃の秘湯で酒盛りをしたことがあったが、原生生物の襲来に緊張が解けなかったそのときよりもおだやかな時間だ。
 実が氷結するまで育てた葡萄から作られる氷葡萄酒は、果実の甘味と酸味が混じり合い、華やかな香りが突き抜ける。オーゼンはほぅ、と感嘆にため息をつく。ライザは手酌をしながら首まで泉に浸かっていた。とろけそうに頬がふにゃふにゃ緩んでいる。
 琥珀と黄金の酒を交互にかたむけているうちに、身体がふわふわと浮いているような心地にほぐれていく。大酒呑みで滑落亭の呑み比べにもほとんど酔わないようなライザが額と頬を赤く染めている。きっとオーゼンも似たような色をしている。にごり湯には鏡のように水面に映らないために自分ではわからなかった。
 こんな褒美があるなら旅も悪くはないのかもしれない、とオーゼンは息をつく。旨いものは正義だ。あとはオーゼン好みの珍味もあれば最高なのだが。
「これで飯が旨かったら最高なのになぁー」
「次は飯が旨いところにしたまえ。一昨日(おとつい)からまずい菓子とまずい饅頭しか食ってないんだよ……
「オーゼンもそう思うか⁉」
 勢いよくライザが首を振ったせいでばしゃりと温水が顔にかかった。めずらしく酔ったようなライザが興奮のままに抱きついてきて、あろうことかオーゼンも肩に猪口を持っていない方の腕を回してやってしまった。
「他に要望はあるか? オーゼンが行きたいところ!」
「ううん……あったかいところがいい……
「わかった、次は花盛りの、飯が旨い場所に行こう!」
 アビスの方がいいに決まっているのに、うっかり、さも旅行を楽しんでいるふうに答えてしまったのは、酔っているせいだ。ライザがくふくふ笑いながら上機嫌にオーゼンに酒を注いでくれる。まあまあ手遅れに絆されていることには見て見ぬふりを決め込んで、オーゼンも酒に任せることにする。
 ツーッと腹の白い鳥が泉を横切った。冬籠りか丸々太って旨そうだ。ライザの眼がきらめく。
「渡り鳥だ! オーゼン、弓か何か持ってないか⁉」
「ないよ」
「じゃあ石灯爆弾、リュックに入れてあるから出して!」
「ないってば。汽車に乗る前の税関で没収されたろ」
「なんでだ⁉」
「危険物だからだろ」





   五 オーゼンとライザ、花見に散策する




「オーゼン、オーゼン! きれいだなぁ!」
 薄紅色のしだれの花木がそよ風に揺られている。ひと枝に無数に咲き誇る小花のせいで重みに耐えられずに下向きにしなっているのだろうか。満開の季節だった。雨上がりの街は水と草木の匂いが染み渡っている。
 平らにならされた道の両側に薄紅の可憐な花をつける樹木は等間隔に並ぶ。瓦屋根に白壁の平屋が道にそって何軒も連なり、道は四方に垂直に別たれてまた家屋が続き、几帳面な格子模様の街を作り上げている。
 そのまた昔、高名な篤学の士が居を置いたのをきっかけに学問の街として栄え、学者、哲学者、文人、詩人、あらゆる知識階層が集まり智を求道したという。時を経るにつれて学者はひとり、またひとりと自らの足で戻らぬ探求の旅に出てしまい、いまや名が知られるばかりとなってしまったが、かれらが残していった優美な屋敷としだれの花木が過去の風雅な趣味が愛された面影を残している。
「中にはアビスを目指して旅立った奴もいたらしいぞ? 黄金郷を目指した予言者についていったとかなんとか」
「さて。呪いの大穴に突っ込んでいく身の程知らずの大馬鹿野郎なんて大勢いたから、どいつのことだかわからんよ」
「私たちにも跳ね返ってくると思わないか」
「探窟家はみなそうだろ」
「違いない!」
 ひとしきり笑って、ライザは急に真顔になって前方に走り出す。ゆるりと動いていた人力車が急ブレーキをかけて危ない。ライザは店の裏側にあたる細い路地に入り込み、塀の上の野良猫を驚かせ、水たまりを踏み荒らしながら隣の街路へ駆けて行く。
 ライザを追いかけてオーゼンが大通りに出ると、正面には青銅の人物像が座していた。共用語で書かれた立て看板によれば、遠い昔に街に立ち寄った件の予言者の像であるらしい。年月に風化してしまっていたが、へらりと眉を下げた顔つきをオーゼンはうさんくさく思った。
「オーゼン! こっちだ!」
 ライザが暖簾のかかった店先の長椅子に腰掛けている。さっそく三つ折りのメニュー表を手に眺めていた。
「甘いもんの匂いがしたからって突然いなくなるのはやめておくれ」
「団子屋だって! 豆の餡とアイスをかけたり、あまじょっぱい蜜をかけたりするんだって」
「話聞いてないな。私はお茶がいい」
 まもなく店員に案内されて、オーゼンとライザは個室に落ち着けた。格子に薄紙の張られた窓は開け放たれ、茶屋の自慢の庭が照明を抑えた店内からよく映えた。天上から降り注ぐ日光が庭だけぽっかりと舞台のように照らし、苔むした岩は青々と潤して、溜め池にぽーん、かぽーん、と清涼な水が流れ落ちていく、優雅な設えだ。ここにも薄紅の花木が植えられていた。
 ライザは塔のような器に盛られた色あざやかな餡蜜を、オーゼンは温かい緑茶と炭火焼の団子を注文した。いかにも甘ったるそうな餡蜜は胸やけするのではないかとオーゼンは思いながら茶をすする。ライザが団子とたっぷりのクリームを乗せたさじをオーゼンにやろうとするので、勘弁してあーんと食べさせられ、感想も求められて甘いとだけ告げる。結局ライザは、飽きたと云ってオーゼンに大半を寄越し、オーゼンが追加のミソ仕立て団子とともに完食した。
 小腹が膨れたのでまた周辺の散歩へと繰り出す。ライザはガイドブックを片手に、オーゼンへ得意げに説明した。
「この季節にしか咲いていない花らしいんだ。春は花、夏は新緑、秋は枯葉、冬は雪――だとさ」
「文人詩人とやらは仰々しくて理解に苦しむなァ。季節の移り変わりなぞに一喜一憂してたら足元がおろそかになるんじゃないか」
「だからオーゼンは『不動卿』なのか?」
 本当に不思議そうにライザが見上げてくる。そう呼ばれるのもずいぶん久しぶりな気がした。白笛を首元に携帯しない日常に慣れかけている。
 ライザのらしくない衣装にも見慣れてしまった。今日は袖まわりが膨らんだブラウスと腰をベルトで締めるえんじ色のトレンチスカート。大仰な荷物は衣装替えのためだったのかと思わせるような衣装持ちだ。オーゼンは変わらず探窟服を身にまとっていたが、このところは暖かい地域なのもあって上着のない軽装だった。さすがに遺物の埋め込んだ手や捻くれた髪を自然のままさらす真似はしていないものの、――なぜだか、ふとした瞬間に弾んでいる自覚が湧いてきている。
「オーゼン?」
……さてねえ。二つ名なんて他人が勝手につけてるんだ」
「まぁ、そうだな! 私なんて『殲滅卿』だし! いったい私がなにをしたって云うんだ!」
「日頃の行いをかえりみてみな」
 少なくとも、ライザの苛烈なお礼参りを体験した者は二度とアビスに近寄りたがらないだろうな、とオーゼンは考える。
「あの木、アビスに一本くらい持ち込めないだろうか」
 枝をつついて雨露(あまつゆ)を落として遊ぶライザの横顔は、本気なのか冗談なのか判断しがたい。オーゼンは思いついたままに返した。
「やめときな。往々にして外来種は負けるんだ」
「オットバスみたいなのもいるだろ」
「じゃ、逆にトコシエコウが減ってもいいのかい?」
「それは駄目だ! やっぱいまのなし!」
 匂いを嗅いでいたしだれ花の枝から手を離して、ライザは一軒の土産物屋に入っていった。かつて学者たちの住まいであった家々は、風情そのままに食事処か土産物屋か博物館として繁盛している。たいしてものめずらしい土産はないので、オーゼンは子供向けのおもちゃを眺めた。
 ライザは絵葉書を真剣に選び始めた。いずれも屋敷と花を描いている。じっと固まったまま動かないでいるので、オーゼンは寄って行った。
「土産かい?」
「トーカに出してやろうと思って。心配してるだろうから」
……ふぅん」
 間抜け面ののんびりした顔は思い出すのもいらいらするので脳内から締め出す。なんで旅先でまで思い出さなければならないのか。
「あ、オーゼンも土産いるか? あの木彫りの牛とか!」
「要らないよ」
「可愛いんだけどな。ひとつ買ってくか。私からの土産なんだ、喜ぶだろ?」
「いいんじゃないかい」
 トーカにやるぶんにはオーゼンはむしろいい気味という気持ちでうなずいた。ライザが指した牛人形は奇妙に歪んでいて、絵の具を塗りたくったような派手な色味という、なかなか前衛的な趣をしていた。店員がこの街に住む木彫り職人の作品だと紹介する。今も昔も、芸術家は街に馴染んでいるらしい。
 ライザは木彫りの牛と、しだれの花木を写実に描いた絵葉書を買って、その場で郵送に出した。オースへは船便などを経由して一か月ほどで届く予定だそうだった。





   六 オーゼン、夜籠もりに醒める




 ある日の宿に転がり込むなり金勘定をしていたライザが眉をひそめた。
「路銀が足りない」
「変なものばかり買うからだよ」
「変じゃないもん! お土産だもん! よし、遺物売って金にする」
 ライザが無一文になると困る手ぶらのオーゼンは好きにさせることにした。翌日ライザは宿泊した街で一番の金持ちだという邸宅に乗り込みに行った。オーゼンは宿で朝飯を取ってから、だらだら惰眠をむさぼっていたが、昼過ぎにもライザが帰ってこないので迎えに行くことにした。ライザがいざこざを起こして邸宅を破壊していたら、さっさと回収してずらかろう。
 あくびをしつつ丘の上の城門まで出向いたところで、ライザが城門から意気揚々と現れるところだった。オーゼンを見つけて飛び跳ねるように駆け降りてくる。飛びつかれたので反射で即座にはたきおとした。
「首尾は上々だったようで」
「まぁな! 令息がアビスの遺物蒐集に熱中してるらしくて眼の色変えてきたから、相場の四倍吹っ掛けてやったんだ! 『保存器(フォーゲッター)』なんて相当数出てるのに馬鹿だなぁ」
「よく信用してもらえたもんだよ……。ずいぶん遅いからお前さんが館主ぶん殴ったのかと」
「オーゼンからの信頼がなくて私は悲しいんだが⁉ 令息が挨拶に来たんで、白笛を見せたら大興奮でさ。豪勢な食事の代わりに、根掘り葉掘り白笛の話をねだられた。あっ、『命を響く石(ユアワース)』とかハリヨマリ伝承とか口外無用の話はしてないぞ!」
「フーン……昼飯食ってきたんだ……私を置いていってさァ……
 ライザはさっと顔色を悪くする。
「わ、悪かったよ! オーゼンが食べると思って包んでもらったから、食っていいぞ!」
 ライザが広げて見せたタレがけスペアリブが肉汁滴って美味しそうだったので、拳を落とすことで許してやることにした。香草の効いた味付けはたいそう美味だった。
 ライザがたんまり手に入れた通貨でオーゼンとライザはなおも旅を続ける。
 固有の鹿が群れる大草原、断崖絶壁に経営する料亭、水晶が育まれる鍾乳洞、塩分が固まった虹色の湖、死者を迎える行進がにぎやかな祭り。これほど勝手気ままに歩いたことはなかっただろう。早朝から日没まで歩き通し、夜は顔を突き合わせてガイドブックをめくってから眠る。ガイドブックはライザの書き込みにまみれていた。
 オースからずいぶん離れてしまったが、ライザの歩みはずんずん止まらない。まるで帰り道を考えていないような道のり。半端な情報が乗った地図を片手に、未踏破の地へ突き進んでいく感覚と似ていた。終着地のない、あてのない旅はアビスを舞台にしない絶界行(ラストダイブ)のようだ。もしかすると、ライザはオースに、ひいてはアビスに還る気がないかもしれない。
 ある夜の寝床で、寝相の悪いライザに抱き枕のように抱きつかれていたせいで目が覚め、うつらうつらと考えていた。オーゼンは初日以来、真意を訊ねていないままだった。
 半生に染みついたものを切り離し、そぎ落としていくことは恐ろしいようで、ライザが一緒ならば構わないような気がしていた。オーゼンはライザを潰さないように寝返りをうち、吐息を聞きながらふたたび夢をみない眠りに落ちた。




   七 オーゼンとライザ、古代都市をあまかける




 飛行船から降り立った街は山の中腹を削るように造られていた。石造りの青い壁が照りつくように眼にまぶしく、空気も澄んでいながら薄い。オーゼンとライザは大衆食堂で肉を中心にたらふく食べた。高山のヤギ肉は筋張った赤身で、香辛料で焼き上げるとたいへんに旨かった。食後には高山病予防になるという茶を飲んだ。その茶葉を食む習慣があるらしく、道行く人はみな口に含んで噛んでいた。
 街の中心部の広場には露天市がにぎわい、青果や日用品や家具にいたるまで、あらゆる声がかけられている。オーゼンとライザは手分けして食料を買い込んだ。共用語がまったく通じず、オーゼンは指差しと短い単語で買い物しつつ悪態をついた。
 ライザは噴水前で合流するなり、石垣に腰掛けていたオーゼンの外套を引っ張った。
「オーゼン、かがんでくれよ」
「私はくたびれたんだけど」
「可愛い弟子のおねだりなんだぞ」
「弟子のわがままは毎日聞いてやってるだろ」
 押し問答していると首を折られそうな様子だったので、オーゼンが猫背に身をかがめると、首にくすぐったいものが巻かれた。ライザがふんふんと喉を鳴らしながら端と端を結ぶ。この街の女が流行なのかよく身につけていて、露天市でいくつも出店していた布屋でも見かけていた柄物のスカーフだった。透ける黒地に鳥を幾何学的に図解した刺繡がほどこされている。
「うん、思った通り似合う」
……私に?」
「せっかく旅行してるのにいつもの服ばっかりだったろ? 旅に土産はつきものなんだ」
 そんなの知らないよ、と喉まで出かかった憎まれ口をオーゼンは呑み込んだ。
「悪くはないんじゃないかい」
 ライザが誇らしげな笑顔を浮かべたのをオーゼンは眼に焼きつける。たしかに悪くはなかった。ライザが楽しそうだったから。
 翌々日からはさらに山の頂上を目指してキャラバンと行動することとあいなった。かれらは山の頂上付近の村まではるばる物資を売りに行くのだった。
 キャラバンの隊長は痩せた髭の老人で、御者や炊事番のほかに、医師や薬師や見習い小僧もいて、まるで小さな村がまるごと移動しているようなものだった。獣除けの犬や、のろのろ歩く荷運びの家畜も連れていた。家畜はオースでも飼われている種だが、ひとまわり大型で、ライザがうろちょろ頭からおしりまで観察していたらかなり香ばしいおならを被った。御者娘がけらけらと膝を叩いて笑った。
 一日の半分を、整備されてはいるがきつい山道を歩き通す。あちこちに古い時代の遺跡が見え隠れする。山道もかつてこの地を治めた王国が造ったものが下地になっているのだ。ライザはアビスの方が古いと自慢した。しかしこの山の遺跡は建築方法や利用方法がとうに解明されていて、いまの街造りに貢献しているのだから格段に偉いのだ、というようなことを医者の嫁が云い張るのでライザと弁論になり、オーゼンが軽く指でひたいを小突いて双方痛み分けと収まった。
 ライザは対抗するようにアビスの素晴らしさを熱烈に語った。険しくも美しい自然、そこに繁栄する原生生物、不可思議な呪い、神秘に満ちた遺物。求められてオーゼンも一言ふたこと付け加える。焚火に温まりながら、見習いの少年は薬師の先生の膝に乗って、ライザの冒険譚に眼を輝かせて身を乗り出すように聞いていた。
 一行はゆるやかに進み、四日目に村に辿り着いた。一行まるごとを受け入れられる宿がなく、キャラバンの犬が伏せたそばで野宿し、空が白むのを待ってオーゼンとライザはキャラバンと別れた。
 涼しい風が聞こえるさわやかな朝だった。空は快晴で、標高が高いために地面近くに薄霧がかかっていた。オーゼンとライザは霧が晴れるのを待った。
 霧の切れ間に都市が現れる。
 高山の頂(いただき)を抱く古代都市。かつては麗しい花々をふんだんに咲かせた空中庭園。大理石で建てられた天空神殿。滅びてから千年以上、遺跡は手つかずのまま今日(こんにち)まで保管されている。近隣の村の住民は、鳥を神の遣いと崇めた古き民の末裔だというが、――
「美しいな」
 ライザがまぶしそうに手を掲げる。朝日が本格的に昇ってくる。神殿であった石垣の建物に日の光が差し込み、計算された屈折によって都市全体をいっそうあかるく照らし出す。自然の緑と都市の白の見事な明暗が映えた。独自の生態系を育むという遠景には底のない滝が流れ落ちて雲を生み出している。生けるものはオーゼンとライザだけだった。
 ゆったりした足取りで二人は低草が埋め尽くす古代都市をめぐる。
「アビスの黄金郷はこういうものを云うんだろうな」
「ここよりは温暖だろうけどね」
「水の確保が課題だな。もしかすると水にも毒生物が住んでるかもしれないぞ」
「考えたくもないねェ。六層といや、時計塔らしきモノが浮かんでいたとか……こういう絶壁の建造物かもしれないなァ」
「なんだそれ⁉ 聞いたことないぞ! なぁオーゼン、私だって白笛になったのになんで内緒にしてるんだよー!」
「ぜんぶ教えたらつまらんだろ」
 話せばアビスのことばかりだ。ここぞとばかりにライザは白笛の秘密を訊ね、オーゼンは包み隠さず答えた。ふたりきりなので誰かに盗み聞きされる配慮もいらない。ずいぶん長い話になった。
 腹が空いてきて、リュックを下ろして均等に積まれた石垣にどっしりと座り込み、街で買い込んだ黒パンに塩辛い燻製ハムを挟んだサンドイッチを食べた。
 ライザはあっという間にぺろりと平らげると、紙とペンを取り出してスケッチを描き始めた。ライザの筆跡は最初の港町から始まり、飯と生物とときどき遠景のような落書きを量産する。走り書きすぎて読みづらいのに、情景がありありと映し出される。オーゼンはライザが描いている間、ハムを増量しつつ残りを食べ尽くした。
 ライザが筆を置いたのを待って、オーゼンは訊ねた。
「気は済んだかい」
「うん」
 うわの空のような短い返答だった。
 オーゼンは疲れたため息をつく。
「とんでもなく遠くまで来たもんだ。だいたい、どうしたって海外なんか……
「だって、オーゼンはアビスを知り尽くしてるじゃないか」
 夜空色の瞳が一瞬潤んだように揺れて、瞬きに消える。長い奈落髪が風に吹かれて、ライザは前髪ごとかきあげた。
「底は見たことがないよ」
「わかってる! でも、オーゼンはアビスのたいていのところを冒険してるだろう? 絶界行(ラストダイブ)は駄目だっていうなら、オーゼンが行ったことない場所に行くしか、私のもんにならないじゃないか!」
 子供の駄々をこねるようなわがままだ。オーゼンはすっかり呆れ果ててしまった。白笛になってもなお、生意気で自意識過剰で無鉄砲な赤笛だったころとちっとも変わっていない。だいたい、旅行している間もアビスの話ばかりしていた。それでは望郷を忘れたくても忘れられないではないか。
「私だって、たまにはオーゼンを独り占めしたかったんだ」
 拗ねてふくれた頬が完璧に熟れていたのでオーゼンは吹き出す。ますますライザがふてくされた。
「馬鹿だねェ」
「馬鹿とはなんだぁっ‼」
「私もお前さんも、アビスを出ていったって他に還るところもないだろうに。よくもまあ、粘ったもんだよ……
 くしゃりと頭をかき回したらぼろぼろ泣き出したのはライザの勝手であって、決してオーゼンのせいではないはずだ。叩いても蹴っても小突いてもいないし。オーゼンは服をハンカチ代わりにすることを許してやるほど優しくはないので、袖をじっとり濡らして泣きじゃくるライザの頭を撫でてやるだけにとどめる。そうしたら、ライザが懐に飛びついてきて結局しわだらけのぐしゃぐしゃにされた。
 オースを飛び出して、西へ東へ北へ空へ。ふたりでなら、きっとどこまででも行けるに違いない。オーゼンは想像してみる。ライザとともに、白笛の地位も矜持もすべて投げ捨てて、世界の果てまで駆けて行くことを。
 きっと最期にはアビスに戻ってくるほかないのだ。オーゼンはアビスで生きるすべしか知らない。ライザとて同じだろう。すべてが踏み荒らされたこの世界で、未知への憧れが眠っているのはアビスだけなのだから。
「ライザ、帰ろう」
 ライザが昔に戻ったように腰にしがみついたまま、顔を見せないでこくこくとうなずく。本当に遠くまで来たものだった。アビスの底はこの比ではないだろう。いずれ本当の絶界行(ラストダイブ)に踏み入るときにはオーゼン自らライザの手を引いてやってもいいかもしれない。
 ひと吹きの風がライザの奈落髪とともに描き上げたばかりのスケッチをも掬い上げる。オーゼンは瞠目する。旅の記憶を記した数枚の紙きれは、トコシエコウの花びらが舞い散るように、涼しくも異国の匂いがする風を受けて二転三転とくるくると舞い踊りながら、オーゼンでも手の届かない遥か下方の緑の谷間へと吸い込まれていった。







   八 オーゼン、土産の在り処を知り、当面の任務につく




 岸壁街に向かう道のりをジルオが数歩後ろを黙ってついてくる。疑問は腐るほど浮かぶだろうが、理由を訊ねずオーゼンに指針の全幅を置いている青年をオーゼンはより気に入った。ライザと違っていつまでももの静かな子だ。畏れても泣きわめきもしないのは少々物足りないが。
 もしこのまま、オーゼンが船に乗って、アビスを捨てて海外を目指したらどうだろう、と考える。ほんの思いつきだ。昔の思い出がよぎっただけ。
 オーゼンはジルオを振り返る。
「ジルオ、君はどこか行きたいところでもあるかい?」
……どういった意図の質問でしょう、不動卿」
「なァに、ただの雑談さ。警戒するこたァないよ」
 ジルオの表情が怪訝そうにゆがみ、正解を探して沈黙を帯びる。律儀に当たり障りのない回答をした。
「探窟に行きたいですね。……そんな時間があるなら、の話ですが」
「フゥン……。海外に行ってみたいとかは?」
「なんですか、いきなり……
 いよいよ困惑めいた顔色に変わる。無感動のしかめっ面に見えてあんがい、ジルオは表情に出やすい方だ。オーゼンはおかしくなって、クク、と喉を鳴らした。それでまたジルオが首をかしげる。
「もし、この仕事に一区切りついたら、私と旅行にでも行くかい? 行き先に希望がないなら勝手に決めるけど」
 すらすらと誘いながらオーゼンは、さすがに断るだろう、と確信を持っている。オーゼンはジルオからわずかでも好かれている覚えはないし、マルルクを置いて行かなければならない理由もある。逃げ道は用意してやっている。
 ジルオの足音が止んだ。ややあって、緊張ぎみな返事があった。
「俺でよければ、お供しますよ。もっとも、ライザさんのように賑わせるなんてできませんが」
 オーゼンはひそかに眼を見張り、ふたたびジルオに背を向けて歩き出す。岸壁街のよどんだ空気が端にまで流れてくる。ここから先はまともな探窟家は立ち入らない無法地帯だ。どうしても踏み入るならば笛は外して、できれば顔も隠した方がいい。
 白笛を首に提げたまま、オーゼンは堂々と岸壁街に立ち入った。なにをするでもなく路地に座り込んでいた住民どもが散り散りに去っていく。
「ライザから聞いたのかい?」
「昔、海外の土産をもらいました。子供のおもちゃのような……ありていに云えば不細工な、牛の彫り物を」
 思わぬ思い出を起こされてオーゼンは吹き出した。しだれ花の街の木彫りの牛か。ジルオの手に渡っていたとは。当時は弟子がいることを知らなかったので思いつきもしなかった。ライザの美的感覚はジルオにはまったく伝わらなかった様子だ。オーゼンは箪笥にしまいこんだままだった土産のスカーフの柄を思い起こす。
「いいのかい? 嫌になっちまっても二言は云わせないよ」
「ええ、相応の報酬を頂けるのなら」
「ちゃっかりしてるねェ。マァいいよ。ライザは私の時間とやらを欲しがったけれど、君はなにを望むんだい?」
「黒笛試験の推薦を」
 あらかじめ用意していたようにジルオが即答する。オーゼンは大笑いした。師弟そろって強欲なものだ。ライザの横暴も酷かったが、ジルオの無茶ぶりも相当酷い。ジルオの年齢で黒笛に到達した探窟家の例は、ライザも含めて誰ひとりとして達成していないというのに。
 オーゼンはひとしきり笑い飛ばして、了承を返した。二千年の問題が終わるまで、いや、果たして解決するのかもまるで予測がつかず、いったい何年かかるのかわからないが、将来の楽しみはないよりあった方がいいに決まっている。
 そうしたら、ライザに倣ってしゃれた服を選んで、ガイドブックを見ながら行先を選んで、弟子に土産を買ってやろうか。マルルクをあまり不安がらせるといけないから手紙も出してやろう。オーゼンはライザとの思い出をなぞりながら、スケッチを失くすとは惜しいことをしたなァ、とも考える。
 オーゼンを置いて、たったひとりで絶界行(ラストダイブ)に向かってしまったライザが、思い出を上書きするんじゃないとアビスの底で悔しがっているにちがいないと思えば、溜飲が下がった。




     あとがき

 メイアビ本九冊目となりました。
 十二巻六十六話がまさかの単行本先行で、発売日にいそいそ紙の本を買いに行き、巻末で無事に墓に埋まりました。ここでドコカの続きが来ると思ってないじゃないですかー! オーゼンの背後にたたずむジルオ、岸壁街の住民視点だと何者かわからなくてゾクゾクします。
 アニメも決まっていることですし、映像化が楽しみすぎて震える。

 今回の逃避行本は、私が旅行が好きなので憧れを込めて書いています。ここ数年はなかなか行けていないのですが……。旅先で美術館を回って、土産物屋を見て、珍しくて美味しいものを食べて、本屋に吸い込まれて、ふらふらあてなく歩くのが好きです。今までで素晴らしく美味しかったもの、広島のはっさく大福、大阪の串カツ、ミュンヘンの屋台ヴルスト二本乗せ、釧路のクジラ肉の刺身、函館で凍えたときに飲んだコーヒーとシフォンケーキ、などなど。食べながらやばいなあと思ったのもいくつかあったのですが、中でもアウクスブルクで食べたダンプフヌーデルは、旨そうな匂いを放っておきながら激甘で微妙に胡椒の香りがして完食が苦しかったです。意地で食べました。
 次は国内なら金沢、海外ならフランスのモンサンミッシェルがいいなぁ。憧れです。いつかアイスランドに行ってオーロラを見るのがひそやかな夢です。

 作中に登場する秘境や町、あるいは食べ物などにはいずれもモデルがありますが、モデルとはいくらか変更した設定になっています。また、外伝的に語られるアビスの世界や、つくし先生の別作品『ギアーズメイデン』の設定(『ドアビートルリコ』収録)から膨らませた小話も創造しつつ織り込んでいます。推察しつつ楽しんでもらえたら嬉しいです。

ロンド




   こぼれ話 仮装パレード


 何十メートルも続く仮装パレードを横目に人混みを通り抜け、目当ての食堂に入る。まだ昼飯時でなかったり、パレードが祭りの目玉であるからして――店内は落ち着いた様子だったが、それもいまに繁盛するだろう。ライザは窓際のいっとういい席で黒麦酒を呑んでいて、オーゼンに気づくと大手を振った。彼女もまた、ほおに橙色の花のボディペイントをほどこして、大きなつばあり帽子をかぶっている。袖が膨らんだ黒いフリル衣装も含めて祭りの借り物だ。
「オーゼン! 遅かったな!」
「お前さんの頼みだろ」
「そりゃそうだったな。で、首尾は?」
 ライザは通りすがりの給仕に黒麦酒のおかわりとオーゼンのぶんを注文して、わくわく顔でオーゼンが持つ紙袋に身を乗り出した。紙袋の中身は、屋台飯の粗挽きソーセージ、数種類の豆のパイ包み、花をあしらった揚げ砂糖菓子、干し果物を練り込んだ固めのパン、甘辛く炒めたひき肉の団子……。古びた丸テーブルはほかほか出来立ての飯で埋め尽くされた。
 黒麦酒で乾杯して、さっそくオーゼンはパイ包みにかぶりついた。ライザは両手を砂糖と油まみれにしながら素手で熱々の菓子を口に放り込む。ふかふか何か云っているが、湯気に邪魔されてなんと喋っているのかわからない。
「あっつい!」
「またお前さんはそんなに汚して」
「旨いぞ、オーゼン! 冷や酒が喉にきゅーっと来るんだ!」
「はいはい。話聞いてないね。気に入ったならなによりだよ」
 オーゼンもライザに負けじとソーセージを一口で飲み込んだ。香ばしい肉の匂いが鼻を突き抜ける。あまり早くなくなるので、オーゼンは酒のおかわりと大皿料理を注文した。
 今度は茹で野菜と豆とハムと茹で卵と冷製肉が見目麗しく盛られた料理がテーブルを占領する。これまた黒麦酒がよく合った。酸味のあるソースが絡み合う。
 開け放たれた窓から眺められる仮装パレードはすでに終盤、花火と吹き玉と紙吹雪でいっそう賑やかしい。熱狂的にパレードを見送る人々が押し合いへし合いしながらパレードを追いかけていく。
「なあオーゼン、提案なんだが」
 上目遣いでライザがおねだりしてくるときは、たいていろくな提案でないことは身に染みてわかっているのだが、オーゼンは外の様子を見ていて無意識に適当な相槌をうった。
……ン」
「やった! じゃああとで! 実は、一度オーゼンの顔に化粧をしてみたかったんだ」
……なんだって。嫌だよ」
「なんでさ、私とお揃いなんだぞ。衣装だってオーゼンみたいなの選んだのに」
 ライザが膨れっ面で唇を尖らせる。そのフリルだらけの服のどこが私みたいなんだ、とオーゼンが訊ねる前に、仮装した団体客がなだれ込んできて、聞きそびれてしまった。





   こぼれ話 川下り


「この川、ワニがいるってさ。毎年何人か食われてるとか」
「ワニ肉は旨いらしいけど」
「本当か⁉ オーゼン、もし見つけたら教えてくれ。捕まえてみせる!」
「馬鹿云うんじゃないよ。こんな川のど真ん中でどうやって調理するんだい」
「このロープで村まで牽引して、解体して食う!」
 オーゼンは手漕ぎボートに引きずられていくワニを想像する。悪くない案だが、張り切って水面を覗き込むライザは止めた方がいいかもしれない。興奮して暴れてボートがひっくり返ったら、泥水のような川に二人してぼちゃん、である。
 アビスの原生生物でもないただの人喰いワニに食われるのは御免なので、オーゼンはオールをライザに押しつけた。ライザはしぶしぶという顔でオーゼンと位置を交代して漕ぎ出した。
 ライザが両手のオールを押すたびに、川の流れも手伝ってゆったりと浮き沈みしながらボートは進む。川は地元の村人が上流に向かう船とときどきすれ違う。ライザはそのたびに手を振って挨拶した。周囲は深い熱帯雨林に囲まれていて、この辺りの村々にとっては、川が唯一の移動手段なのだった。
 川沿いだろうが生き血を吸うヒルが巣くい、足元には皮膚を焼く植物が生い茂る。森の中は凶暴な生物が縄張りを争っているために道を拓(ひら)けない。たとえ肉食のワニが生息していようとも、夜行性であるからと行き交う村人たちは陽気なものだ。
 ライザが以前立ち寄った港町で聞いた船乗りの歌をふんふんと鼻歌でうたっているのを聞き流しながら、オーゼンはガイドブックを開く。
 ざぱぁん、とボートが大きく波に揺られる。気だるく顔を上げたオーゼンは、目前にワニが牙の生え揃った大口を開けているのを見つけた。舌は分厚く、喉は赤く、牙は黄ばんで臭い息を吐く。ワニの濁った白眼と目が合った。
「なんだ、晩メシになりに来たのか」
 ボートが前のめりになったオーゼンの方に大きく傾く。ライザが楽しげな悲鳴を叫んだ。オーゼンはぽきぽきと骨を鳴らして立ち上がると、上顎と下顎を両手で引っ掴み、腕力をもってして閉じた。
 数分後、ロープでぐるぐる巻きにされて川に浮かぶワニをボートに括りつけて出発した。






投稿にいいねする


© 2026 Privatter All Rights Reserved.