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海に還るまで

全体公開 神無三十一受け 10 32 2728文字
2024-06-26 16:52:44

カルみと
シナリオネタバレあり
オンリーリクエスト2本目

 

 堤防を抜けた先、潮風に促されて顔を上げた神無はその先に広がる光景に小さく息を呑んだ。

 「ついた!」

 寄せては返す穏やかな波の音と、遠い水平線の向こうに広がる群青色。神無は堪らず階段を降りて砂浜へ駆け寄る。
 空に溶け合って境界線を曖昧にするその景色に見惚れた神無は、太陽に向かって大きく伸びをした。

 「海だー!綺麗!!」
 「はしゃぎすぎてこけないでよ。」
 「わかってるよ!先輩俺のこと子供扱いしすぎだって!!」

 彼の後を追った縞斑は、はしゃぐ彼の隣に並んで海風に揺れる髪を撫で付ける。
 口では親のように注意を促す彼だが、その瞳は海を背に笑う神無のことを眩しそうに眺めていた。

 神無が海に行きたいと提案したのは、偶然にも二人の公休が被った日の朝のことだった。
 6月末の平日、昼前の海はまだ肌寒く、解放されていない海辺は閑散としている。
 人気のない砂浜をぐるりと見回した神無は、そわそわと待ちきれない様子で縞斑の顔を見上げた。
 
 「ちょっとだけ入ってもいい?」
 「いいけど、まだ寒いから足だけね。」
 「過保護だなぁもう。」

 唇を尖らせた彼は、しかし許可が降りたことが嬉しい様子でそそくさとサンダルを脱いで素足を砂浜に下ろす。
 初夏を目前とした砂浜はまだ肌を焼くほどの熱を孕んでいない様子で、砂の地面を踏み締めた神無はくすくすとくすぐったそうに笑った。
 そんな彼が滑って転んでしまわないように手を取った縞斑は、いつになく機嫌の良い神無の顔をじっと覗き込む。

 「この前雨に濡れて風邪ひいたでしょ。」
 「今日はちゃんとタオル持って来たし!だらだら先輩も入ろ!!」

 自信満々に鞄を叩いた神無は、繋いだ手を引いて波打ち際へ足を踏み出した。促されてサンダルを脱いだ縞斑がそのあとを追えば、彼は素足を満ち引き繰り返す透明に晒す。

 「つめたっ!」
 「まだ水は冷たいね。」
 「にゃはは!びっくりしたー!」

 ひんやりと肌に触れた感触に悲鳴を上げた神無は、おかしそうに笑って縞斑の両手を取った。
 透き通ったゼリーのような柔らかい波をかき混ぜて、子供のようにきゃっきゃと笑う神無は心底幸せそうだ。

 「カップルみたいに水かけっこする?」
 「神無ちゃん元気だねぇ。」
 「だってずっと行きたかったんだもん!」

 人がいないことも味方して、恋人らしい戯れの提案をしてみせる神無の体が冷えないようにやんわりと宥めれば、彼は縞斑の手を取ったまま水平線に視線を向ける。

 「昔行ったんだけど、俺はしゃぎすぎて目回して倒れちゃってさ。」

 ひとしきりはしゃいで落ち着いたらしい神無の海の向こうを見つめる夜明け前の瞳は、微かな憂いを孕んでいるような気がした。

 「その頃から体弱かったんだ。」
 「なのかな?どっちかっていうと、海行くのが楽しみすぎて眠れなかったから寝不足かも。」
 「その頃から子供だったんだ。」
 「どういう意味だよ、その頃は正真正銘の子供だろ。」

 幼い頃、神無は一度だけ黒田と赤星に連れられて海に行ったことがある。幼い頃の記憶のない神無にとってそれは、初めての家族でのお出掛けだった。
 前日の夜は興奮して眠ることができず、結局不眠のまま迎えた当日の朝に神無は海へ着くや否や睡眠不足と貧血によって倒れてしまったのだ。

 「いつかリベンジしたかったんだよね。」
 「……そっか。」

 目を覚ましたときにはすでに夕方で、黒田が運転する帰りの車内で帰りたくないと駄々をこねたのだった。
 またいつか行こうと宥める赤星の困ったような声を、今はもう鮮明に思い出すことができない。
 あれほど大切に思っていた人たちの声や表情が、少しずつ波にさらわれるようにして記憶から消えていく。

 「先輩ってさ、人が死ぬときは海の匂いがするって話聞いたことある?」

 徐に身を屈めた神無は海に手のひらを浸して呟いた。
 ひやりと冷たいその温度は、人の温もりを持たない機械の体に良く似ている。
 どうしようもなく胸を締め付けられるやるせない温度に眉を寄せた神無を見下ろした縞斑は、潮風に晒された彼の肩をそっと撫でた。

 「体内のナトリウムが飽和して、その匂いが海に似てるんだったっけ?」
 「そう。さすが、よく知ってるね。」

 人は最期は海に還るとはよく言ったものだ。
 死の間際、あらゆる臓器の機能が低下した人間の体は限りなく海の匂いに近しいものになる。
 海とは死そのもので、だから人は広大なあの場所に時折畏怖の念を覚えるのだろう。神無は以前その話を耳にしたときにそう納得したのだった。

 「俺も最後は、こんな匂いがするのかな。」

 刑事として働く自分は果たして、平穏に海に還ることができるのだろうか。
 そんな諦めにも似た神無の呟きを聞いた縞斑は、すんと鼻を鳴らして周囲の匂いに意識を向ける。

 「俺はこの匂い好きだよ。」
 「……すき?」
 「そう。だからこの匂いを纏う神無ちゃんのことを、俺は最後まで愛せそうだ。」

 終わりの匂いを好きだと笑うその姿に、神無は小さく息を呑んだ。
 最後まで共にいると当たり前のように言ってのけた縞斑のきょとんと首を傾げる不思議そうな姿に、思わず神無は声を上げて笑い出す。
 
 「あははっ!そっか、そっかぁ先輩もこの匂いすきなんだ。」
 「そうね。安心した?」
 「ちょびっとだけ!」

 それなら死ぬのも悪くないなんて言わないけれど、最期まで愛してくれる人がいるだけでそのときが少しだけ心強く感じた。
 手を握り海の向こうを眺める神無の姿は、太陽の光を浴びて眩しく輝いて見える。光に溶けて消えてしまいそうな美しさと儚さに、思わず縞斑はその手を引いた。

 「せんぱい?」
 「冷えるからそろそろ出よう。まだ海水浴には早いでしょ。」

 死の匂いから遠ざけようとする縞斑の意図を正しく汲み取ったのか、神無は穏やかに微笑むとこくりとひとつ頷く。
 波打ち際から離れて階段の上に神無を座らせると、濡れて砂の張り付く彼の足を丁寧に拭う。さっぱりとした様子でサンダルを履き直した神無は、隣に腰掛けた縞斑の同じ仕草を見守ると立ち上がった。

 「なんかお腹すいちゃった。」
 「さっき海の家があったけど、もう開いてるかな?」
 「海の家?!かき氷食べたい!いちごのやつ!!」
 「体冷やしたらお腹壊すよ。」

 ふたりは波の音を聞きながら海岸を歩いていく。
 離れないように結んだ手のひらは、海で冷えた体に温もりを与えてくれた。
 



 


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