お見せできるところだけでも。
120話の三ヶ月の話です。
雰囲気シリアスぽいけど、リボルバーと遊作がリンクヴレインズをあちこち探索しつつのんびり仲良くなるほんわか話の予定です。(いつになるかは未定)
@d9_bond
【1】
目が合った時、息が止まるほどに驚いた。
新緑を思わせる鮮やかな緑の目に青の髪、特徴的な前髪にピンクのメッシュ、覚えのある顔立ち──ただ、その年の頃はどう見ても小学校低学年。
初めて出会ったあの頃の、かつて自分が地獄へ手を引き、その悲鳴に耳を塞ごうとし、生かそうと声をかけた小さな子供の姿がそこにあった。
(藤木、遊作……!)
リボルバーが声にならない声で呼んだ、その名が聞こえたかのように子供は目を瞬いた。
──そして次の瞬間には、エフェクトと共にその姿はかき消えていた。
追いかけようと反射的に手を伸ばし、ハッと我に返る。予想外のことに動揺していたようだ。冷静になれと自身に言い聞かせながら通信回線を開く。
「一瞬だが目標と接触した。──追跡はできそうか?」
『申し訳ありません、完全に隠蔽されています。突破には少々かかりそうです』
スペクターの返答は予想の範疇だ。そのまま解析の継続を命じ、リボルバーは念のため周辺を調査することにした。
現在地はリンクヴレインズの端、特に何の施設もない閑散としたエリアの一角にある鍾乳洞を模した洞窟だ。
アトラクションでも作られる予定があったのか、それなりに大きな岩山とその中の洞窟はしかし全て外側だけでギミックなどは皆無だ。上空にやや大きなデータストームが流れており、それが岩山を吹き抜ける音が遠く、低く響く。
遊作の姿の子供は、洞窟の中央近くの、狭い横穴からいきなり現れた。それこそ子供しか通れないような場所であり予測していなかったこと、現れた子供の姿がよりによって幼い藤木遊作であったため完全に判断が遅れた。
アバターだけならVR世界である以上、好きな姿かたちをとれる。誰かの姿をしていたからといって、その本人かどうかは調べないと分からない。
だが、ほんの刹那と言えど直接顔を合わせたリボルバーは確信していた。
あの子供は確かに藤木遊作だった。
(しかしなぜ、あの姿を……)
彼が現れた狭い穴をスキャンするが、目に付くものは特にない。横穴自体は洞窟の別の部分に繋がっているだけで、途中に隠し部屋や違う地点へのリンクなどもない。
(目的は何だ? なぜこの何もない場所にいた)
考える。
かのアバターはもともと、ハノイの騎士の調査対象のひとりだ。
最初はリンクヴレインズの片隅にある進入禁止エリアで行動をしているだけの存在だった。
ハッキングなど珍しくもない。常ならばその人物の身元と目的を特定、結果によっては相応の対処をするだけで終わる。ネットワークの監視者として活動している現在のハノイの騎士からすればよくあることだ。その辺のハッカー相手ならば、三騎士かスペクターがリンクヴレインズへ行くまでもなく処理している。そのため最初期は通常と同じ処理を行うはずだった。
少し様子が違う、と分かったのはそれからすぐの事だ。
進入禁止エリアに入り込まれていながらSOLのセキュリティは全く感知できていなかった。ハノイの騎士が気づいたのも、別件での調査時にたまたまパンドールが侵入者の存在を確認したからだ。つまり偶然でしかない。
そしてハノイの面々の手腕をもってしても侵入者の身元が割れなかった。周到にあらゆる形跡を消しており、結局確証が取れたのはアバターネームしかなかった。
実際のところ、本気で探そうとするならばそう手間はかからないはずだった。ハノイはネットの全てを監視している、というのは誇張でも何でもない、全域に何らかの形で情報網を敷いている。
だが向こうはこちらの行動を探知でもしているのか、するりとその網を躱していた。とにかく注意深く行動しているようで監視に映ることはなく、たまに形跡が見つかるがその先へ注意を向けた時には移動していたりログアウトしていたりといった具合だ。
今回も、この辺りにいるらしいと突き止めて、リボルバー自ら慎重に気配を隠して探索していたのだがこの結果だ。
こうまで逃げられると逆にやましいことをしています、と言っているようなものだ。
(おまけにあの姿……)
リボルバーは不機嫌もあらわに目を細めた。
ずっと昔に見た、記憶と同じあの姿。十年前に初めて出会った時の藤木遊作のものだ。
彼にはプレイメーカーという使い慣れたアバターがある。身元を隠したいなら全く別のものを作ればいいだけだ。自身の幼少期の姿を使うメリットが浮かばない。
そもそも藤木遊作は、ひと月近く前から──正確には闇のイグニスとの戦いの直後から行方をくらませている。
彼がAiを下したことは、スペクターや三騎士が目覚めた事で分かっている。ゆえに彼が戻ってこないのは、彼自身の意志であることも明白だ。
(──そうだ。奴は自分の意志で戻らない事を選択している)
周囲を改めて見回す。
(奴は目的があって戻っていない。そして、目的がある以上行動に意味がある。この場に何もないという事は目的を果たしたからだ)
今はまだ、あの『藤木遊作』は何もしていない。あえて言うなら禁止エリアへの侵入くらいだが、SOLが気づいていないものをあえて取沙汰する必要はない。
だが、あの姿を目にしてしまった以上どうしても放置はできなかった。
次の策を考えながら、リボルバーは帰還を伝えた。
かの者のアバターネームはNobody。
リンクヴレインズの英雄が名乗るには皮肉に過ぎるが、らしいとも思えた。
***
──数日後。
遊作は、追われていた。
追跡者が何者かはその見知った気配で分かっていた──ハノイの騎士だ。
リンクヴレインズの端、廃棄されたデータ処理施設の地下へ続く地下道だ。施設自体はSOLの管理下にあったもので、リンクヴレインズの管理の上で周辺エリアの不要となったデータの定期的な収集と削除を行っていた場所だ。
現在はシステムが変わりエリア自体が立ち入り禁止になっているので、誰もいないはずだった。SOLのセキュリティもあるにはあるが、目的としては安全の保障できないエリアに一般人を入れない、というものが大きい。ゆえに遊作はさしたる手間もなく潜入できていた。
先日別エリアでリボルバーと遭遇してしまったので、それを考慮して今回はリンクヴレインズのほとんど反対側にあたるこの場所を探索していたのだが既に手を回されていたらしい。
薄暗い地下道を記憶を頼りに走り抜け、梯子を下り、また通路を走り、曲がり、梯子を上る。
VR空間で走り回ったところで息が上がったりはしないが、ハノイの気配を気にしながらの逃走は骨が折れる。彼らに咎められるようなことはまだ何もないが、何をしているのか問われるのは避けたかった。
「……ログアウトできない、か」
そういえば彼らは相手のログアウトを阻害するエリアを発生させる技術を持っていた。本来それなりに近くないと効果はないはずだが、近くに気配がない辺り効果範囲を広げたのかもしれない。
(突破できなくもないだろうが、時間はなさそうだな。それにしてもこちらの居場所を把握しているのはなぜだ。いや、追い込まれたのか、俺は)
考え込んだ遊作は、しかしすぐにハッとして振り返った。少し遅れて、今走ってきたばかりの通路の先に見覚えのあるアバターが現れる。
軽やかにひらめく裾の、白を基調とした美しい佇まい。逆立つ髪はグレーに赤のメッシュ。特徴的なバイザーの下から覗く眼光は鋭くこちらを刺す。
(──リボルバー!)
遊作は慌てて周囲を見回し、少し先に小さな四角い穴を見つけた。
「待て、藤木遊作」
呼ぶ声を振り切るように潜り込む。これはかつてこの情報処理施設が現役だったころ管理用のドローンが行き来していた点検通路で、小さな子供が身をかがめてやっと通れるくらいの大きさだ。大人は入れても四つん這いになるしかない。
これで子供の足でも十分に振り切れる。このまま隣のエリアへ抜けて──と頭で考えながら走る遊作の後ろで、ばし、と小さな雷撃に似た音がした。
同時に、背筋がひやりとするような感覚があった。遊作は思わず足を止めて後ろを見やり、
「──な」
それを目にして絶句した。
点検通路の中は自分が持っている明かりしか光源はない。だから入り口にいるそれは、逆光で最初、白いシルエットだけが見えた。
リボルバーの気配なのに全く違う姿のそれを、遊作は最初、犬かと思った。だが、のそりと中へ潜り込んできたその所作が、こちらを見据える鋭い眼光が、低い唸りが犬のそれではなかった。
踏み出した太い前足の、かしりと床に爪の当たる音で我に返る。ともかく逃げようと走り出しながら思い出した。犬ではない、狼だ。
相手が犬だって人は負ける。ましてやこちらは現在子供のアバターで、対するリボルバーは狼だ。勝負になるはずもなく遊作は追い付かれ、大きな肉球で背中から抑え込まれて御用となったのだった。
「さて。藤木遊作、お前には聞きたい事がある」
「その前に、離してくれ。もう逃げたりはしない」
「……いいだろう」
背中を押さえつけていた肉球がはなれて、代わりに着ていたパーカーの帽子部分を掴まれた。狼に手はないので、正確にはくわえられた、だが。
「おい」
抗議するもリボルバーは無視したため遊作はそのまま狼のリボルバーにパーカーの襟首をくわえられ、最終的に元の通路まで通路へ引っ張りだされた。
「乱暴がすぎる」
「止まれと言うのに聞かないからだ」
ふん、と鼻を鳴らしてリボルバーはこちらを睥睨する。
「それで、これは一体どういうことだ」
「……アバターについてなら俺も聞きたいんだが」
まじまじと互いを見る。
狼のアバターは、なぜそんなものを持っているのだろうという疑問が湧く程度に精巧な作りだった。
本物の狼に触ったことはおろか見たことすらないが、うっすら青灰を帯びた銀の毛並みはつややかで美しい。いつものアバターと同じ淡い藤色の眼は肉食獣の眼光を宿しながらも纏う空気は冷徹なリボルバーのそれで、遊作は見ていて妙な納得感を覚えた。
「この姿なら、以前にアバター作りの修練で作っただけのものだ。活用する機会が来るとは思わなかったがな」
「それなのにその出来なのか……」
もしかしたら見た目以上に色々と技術が詰め込まれているのかもしれない。状況を忘れて感心している遊作が無意識に伸ばした小さな手を鼻先で押しとどめて、リボルバーがじろりと睨む。
「お前は」
「俺か?」
遊作は自身の姿を見下ろした。
服装こそパーカーにズボンとごく普通の物だが、その姿は完全に子どものものだ。面差しは残るものの、声はもちろん頬も目も体のラインもパーツも丸みを帯びてやわらかな子どものそれでしかない。
(そうだ、そんな顔をしていた)
心中で呟いて、リボルバーはそっと息を吐いた。目を伏せる。
それを目にして遊作は眉を下げた。
「その、リボルバー。俺のこれに大した意味はない。いや意味はあるんだが……単純に、狭いところに入るには子供のアバターが便利だから作っただけなんだ」
「……何だと?」
考えもしなかった返答にリボルバーは顔をあげた。遊作はきまり悪そうに明後日を見ている。
「おまえみたいに動物だと、移動はよくても何かあった時に手が使えないだろ。リアル系の動物のアバターは操作も勝手が違う。……おまえは関係ないみたいだが」
その言葉でリボルバーは、アバターを変えたままだと思い出したようだった。瞬きすると、ふむ、と呟いてから目を閉じた。次いで、ばしりと雷光ににたエフェクトが体を包むと、次の瞬間にはいつものリボルバーが立っている。
狼よりもずっと見慣れた姿ながらその眼差しが一層に厳しく感じるのは気のせいではないだろう。
「話がしづらい。お前も戻れ」
「無理だ。こいつにはこのスタイルしか入れてない」
リボルバーは目を眇めた。
今の藤木遊作はデュエルディスクこそ身につけているがデッキは空、身元を隠すためのプロテクトはしっかりしているがそれだけだ。
「何の用意もないようだが、追いかけてきたのが私でなければどうする気だった」
「おまえたちじゃなければさっさとログアウトできていた」
「む……」
そもそも重要なものが存在しない立ち入り禁止エリアだ。危険な人間と遭遇など考えるだけ無駄かもしれない。
「……ディフォルトの外見にしなかったのは」
「外見データも自分に近い方が扱いやすいし、誰かに見られるものでもないからと自分の容姿をそのまま流用しただけだ」
「本当にそれだけか?」
「他に何があると言うんだ。……そもそも気にされないように痕跡は消したはずなんだが」
「お前は周到にやり過ぎた。場合によっては無名ハッカーの腕試しくらいには考えたかもしれないが、その姿を見てしまってはな」
「なるほど」
手間を惜しんだせいでこんなことになるとは、と遊作は難しい顔になった。といっても六歳では大人の真似をしてのしかめつら、くらいの印象にしかならなかったが。
「それで。ここで何をやっていた」
遊作は答えに躊躇する。
「……傷心旅行、とでも言ったら納得するか」
「ほう──貴様がそんな殊勝だとは初耳だ」
周囲の温度が一段下がった気がした。
あまり話す気のなかった事だが、やはり触れないわけにはいかないようだ。遊作は小さく息をついた。
「冗談だ」
「笑えんな」
リボルバーは口の端を上げた。
バイザーの下から真っ直ぐ、遊作を睨む。
「ならば私が代わりに答えてやろう。藤木遊作、貴様は闇のイグニスを取り戻そうとしている。違うか?」
常より一段低い感情を抑えた声は、返って内に潜んだ苛立ちを伝えてくる。
「この施設は不要データを廃棄していただけだが、その中にはデータストームの吹き溜まりのものある。大方、奴のデータの欠片でもありはしないかと探し回っていたのだろう」
「……その通りだ」
「自分のやろうとしている事がどういう事か、分かっていてのことか」
「ああ」
「奴は人間と敵対し、多くの人間を傷つけた。どんな事情があろうと現実にあるのは人のための社会であるがゆえに社会は人を傷つける存在を許さない。AIの意志は何の考慮もされず、何の権利もない」
「人もAiから多くのものを奪ったし傷つけた。それでなかったことになるとは言わないが、少なくともAiは自分の行いを理解していたし俺に止めさせるために命をかけた」
「それで償いに足ると?」
「人なら犯した罪に対して財産か時間か命かで償うものだろうが、お前の言葉通り権利がないあいつの命が何にもならないというならどうしろというんだ? 法に委ねるか?」
法の話で言うならばAIの意志も権利も認められていない以上、その不始末の責任を負うのは持ち主になる。この場合の持ち主が誰になるかはともかく、それ以上はもう別次元の話になってしまう。
「リボルバー、おまえは俺とAIの人権について話し合いたいわけじゃないだろう。重要なことは繰り返さない事じゃないのか」
「奴の敵対行為は本意ではないと言うのだな」
「そうだ。Aiがあんな行動に出たのには理由がある」
あれは、と説明しようとした遊作をリボルバーはあっさり制した。
「シミュレーションの事なら知っている」
「……そうか」
六体のイグニスの内、Aiのみが生き残った場合──Aiの存在が人間を滅ぼす。そして、それに巻き込まれて自分も死ぬという。
リボルバーが知っていたことについて遊作は、やはりな、としか思わなかった。ライトニングが自身でたどり着き、ボーマンも知っていたことだ。ライトニングの企みも動機も看破した彼がその先に至るのも道理だ。
(ん? ……シミュレーションを知っていたなら、なぜその話を先にしなかった?)
遊作は浮かんだ疑念を以て改めてリボルバーを見た。声音と同じく厳しい眼差しはやはり、非難よりも苛立ちをはらんでいるように見える。
「つまり貴様は、奴の存在が世界の危機の火種になると知りながらこの世に呼び戻そうと行動しているということになる。感傷や同情でするには危険が過ぎる行いだが、それも正しく理解しての事か」
「俺はあの結果を信じていない」
「だから何だ? 可能性と貴様が信じるかどうかは関係ない」
「Aiは何千何万と試して結果は変わらなかったと言っていた。可能性としては100%なんだろうが、そんな数字はお前こそ疑ってかかると思っていた」
人がいつか死ぬ確率だって100%だがその過程も原因も様々だ。だから遊作は、人間が滅びる未来とAiの存在の因果関係が絶対というのは全く以て信じられなかった。
「反証の余地がないからこその結果だとは考えなかったのか」
「世界を大きく変えようとする意志が動くとき、守ろうとする意志も動く。お前は良く知っているはずだ」
ハノイの塔の時も、ライトニングの一件の時もそうだった。遊作は一人ではなかったし、色々な繋がりが絡み合い連鎖して勝利をもたらした。
「驕るな。貴様は確かに世界を救ってきたが、結果的にそうなっただけで負ける可能性もあった」
「むしろ負ける可能性の方が高かっただろうな。それでも各々ができる限りの行動をしてひっくり返せた。あのシミュレーションだって同じことじゃないのか? Aiがシミュレーションの未来を変えようと行動したことで変わったこともある。この先だって関わる存在の選択の分だけ可能性は分岐するわけだが、それら全ては見切れていないだろう」
「だから信じられる代物ではない、と?」
「そうだ」
遊作は、小さな口の端に笑みを浮かべた。
「なあ、リボルバー。最後の戦いの時、Aiはお前が俺にカードを寄こすなんて想定していなかった」
最後の戦いの時、ヴァレルロード・F・ドラゴンを呼び出した時のAiの顔を思い出す。
「AIが完全に未来を予測するなんて、まだ早いという良い見本じゃないか」
見上げるバイザーの向こうで、薄色の眼がいくらか見開かれる。リボルバーもそんな話を持ち出されるとは思ってもみなかったのだろう。
「それに、俺はこの先Aiを取り戻せたなら、あいつにひとつだってひどいことをさせる気はない」
「ずいぶんと信頼性の低い情報だな」
「ならそこに、あいつ自身がそれを望まない可能性も足してくれ。草薙さんや尊や、俺と同じことを言いそうなやつの可能性も」
「詭弁が過ぎる」
「そもそもが起きていないことの話だ」
「……」
リボルバーは目を細めた。
(──ただメソメソと骸を集めて回っているかと思えば)
心中で呟く。
遊作はAiの話をする時、最初から最後まで真っ直ぐに了見を見つめていた。揺ぎ無く、恐れも迷いもなく。結局何があろうと何を失おうとこの少年の本質を変えるには至らなかったようだ。
ふ、と密やかな安堵の息をつく。
「……お前の考えは分かった」
静かに言う。
そうして不意に踵を返した。歩き出す。
「リボルバー?」
呼ぶと、足を止めて肩越しにこちらを見やる。
「まだ何かあるか」
「その……俺を止めないのか」
「止めて欲しいのか?」
問い返しながら向き直る、その声音からも眼差しからも先の苛立ちは嘘のように消えていた。遊作は戸惑いながらも口を開く。
「そうじゃない。ただ──」
言い淀む。
遊作は、自分がなそうとしていることは彼をとても傷つけると思っていた。
加えてAi自身が危惧していた、あの信じがたいシミュレーションの結果がある。ライトニングも、Aiも、そしてリボルバーも同じ結論に至っている。
Aiをうまく取り戻せたところでシミュレーションが現実となれば、リボルバーは今度こそどのような手を使おうともAiを手にかけるだろうし、必要となればまたいつかのように世界のために非情な選択をするかもしれない。
少なくともAiは今『死んでいる』。それだけで、その可能性は存在しなくなる。今のままが本来、なんの波風も立たないのだ。
その波風をあえて起こそうとしているようなものなのに、許容するのかという驚きがある。
「おまえは、俺を許さないと思っていた」
「為せることが決まっているかのような言い草だな」
「……そうだな」
遊作は少しだけおかしくなった。まだデータの欠片を集めて回るばかりなのに、勝手にできると思い込んでいる。
ただ、できるだけのことはやりたいというのは確かで。
「そもそも一度自らを消したやつだ。復活などお前一人で簡単にできる事ではない。が、誰が何を言ったところで、藤木遊作──お前はやるのだろう」
リボルバーの言葉に遊作は唇を引き結んだ。
それでも目をそらさず、真っ直ぐに前を見つめて頷く。
「ならば私が言う事は何もない」
「そう、か」
(そうだ。お前はそういう人間だ)
リボルバーは、その眼差しを見つめ返す。
傷ついているのは確かだろう。疲弊しているかもしれない。藤木遊作は強い人間だが、同時に無自覚に他者へ優しい。目の前で傷つくものがいれば心を痛めるし、傷つけるものへ自分のことのように腹を立てる。そんな情け深いくせに、懐へ入れたものを手放す術を知らないものだから傷つき続けている。
だというのにどうしても歩みを止められないのだ。きっと、自分でも分かっていないのだろう。
それでいい、と思う。
腹落ちしないものを抱え続けて生きることは難しい。
(──せめて、そんなお前を助けようとする者に気付いて、その手を取れるようならもう少し楽に生きられたのだろうがな)
「無論、万が一にも上手くいったところで、お前たちが選択を誤るようなら我々が始末をつけるだけのことだ。そこは理解しているな」
「分かっている」
頷いた遊作にリボルバーは、ふ、と吐息のような笑みを零した。すぐに身を翻してしまったので見間違いかもしれないが。
「既にログアウトできるはずだ。用が終わったなら帰れ」
その言葉と同時にリボルバーの白い背中は瞬きの間に消えていた。
(あれだけ人を追い回しておいてあっさり引くとは、どういうつもりだ……?)
遊作は、もう何の痕跡もないそこを見つめてしばし考えたが、どうにもその真意は測りかねた。
施設内にはもう他に何の気配もなく、辺りは静まり返っている。遊作は、デュエルディスクを抱きしめるようにして、小さく息を吐くと、その場からログアウトした。
【2】
遠くでサイレンが聞こえる。
ふ、と浮上した意識はまだはっきりしなくて、遊作はしばし毛布にくるまったまま外の音を聞いていた。マットと毛布だけの簡素なベッドは、それでも室内よりずっと暖かい。
サイレンが遠ざかると、辺りは静けさに包まれる。天井近くの明り取りの窓の外は暗い。携帯電話で時刻を確認すると十八時を回っている。
あくびを一つして、遊作はベッドに起き上がった。伸びをする。
今間借りしている倉庫はネットで適当な身分を詐称して借りたものだ。本来住居とするものではなかったが事務所としても使えるようになっており簡単な水回りや手洗い、ネットなどの最低限の生活インフラは揃っている。
簡単な食事をとって、遊作は片隅にあつらえたデスクのパソコンへ向かった。
リンクヴレインズには今もデータストームが吹いていて、それに伴いあちこちにデータの吹き溜まりが出来ている。旧リンクヴレインズにあった下水道のような不要データの通り道も各所にあり、そこへ繋がるSOL やネットワーク関連企業の情報管理施設も多い。
遊作はそういったデータが集まる場所を中心に、ネットワークに残ったデータパケットを利用してAiの行動履歴を追いながら各地を回っている。
先日リボルバーと遭遇した一帯はあらかた探索し終えたので、今日は目星をつけていた次のエリアの下調べをするつもりだ。
探索をはじめてひと月あまりたつが、見つかるデータは少しずつ減っている。どこかに集まってしまっている等ならいいが、データ処理施設に流れ着いて処分されている可能性もある。その想像に気が急いた。
あれこれ考えながら画面を眺めていた遊作は、とある施設のデータを目にして手を止めた。
(……なんだ、この施設)
それは、とあるネットサービス企業の情報処理施設だった。
企業自体はSOLの子会社で、リンクヴレインズにある娯楽エリアのひとつを管理している、恐らく名前を聞いても皆ピンと来ない程度の会社だ。だがエリアのデータバンクと不要データ処理を担っている施設の方に違和感がある。
というのも、クラッキングで施設の内部構造にアクセスしようとしたが弾かれたのだ。
予想だにしなかった強固なセキュリティに、遊作は困惑した。少し手を変えてセキュリティの方を崩し、盗み出したパスコードでようやくアクセスに成功したものの、今度は内部の状態に眉をひそめた。
各所に設置された監視カメラに生体認証を含む多重ロック、セキュリティドローンまで巡回している。
(会社の規模にしては妙にセキュリティが厳重だな)
少し調べてみたが、経営状況は可もなく不可もなく、悪い噂もない。規模もリンクヴレインズでは平均よりやや小さいかな、という程度で何か目立つようなことは何一つない。いっそ不自然なまでに。
(扱っている業務内容からするとそこまで敏感になるようなデータがあるとは思えないが、ここまでするということは何かあるんだろう)
少しだけ考えて、遊作は現地へ直接確認に行くことに決めた。
最初で最後のデュエルの後、遊作はすぐにAiを取り戻そうと決めた。あんな一方的な別れはどうしても受け入れられなかった。
工場にあった台車を拝借しAiの使っていたソルティスを持ち出したが、その中にAiのデータは残っていなかった。本人が言っていた通りきれいに消えていた。だが諦めきれず記憶領域の解析をしていると、断片的な、本当に欠片のようなデータが僅かに残っているのを見つけた。
本当に欠片でしかなかったが、かき集めたそれは自力で自身を再構成しようとした。遊作は、そこに生物のもつ治癒能力のような、Aiの生きようとする命の力を見たような気がした。
一つの個としてのAiは自身が消してしまったわけだが、Aiの本体である意志はデータ上の存在だ。これまで行動したネットワークやリンクヴレインズ上にも断片的なものは残っているかもしれない──もしかしたら、Aiを取り戻せるかもしれない。そう考えて遊作は、リンクヴレインズのあちこちを巡り、Aiの欠片を探して回っていた。
自分のわがままなのは分かっている。
ことにAi本人が望まないことは明白だ。だが、それでも絶対に譲れなかった。Aiは自分の最期を決めていて、遊作に何も選ばせなかった。お互い様だ、そこに文句を言わせるつもりはない。
ただ、このわがままには誰も巻き込みたくはなかった。ハノイの騎士と戦ったり草薙の弟を助けようとするのとはまるで違う、本当に身勝手な、自分だけの望みだからだ。
だから遊作はこれまでの生活を放棄し目的のためだけの行動に出ている。プレイメーカーを使わないのもそれがあるからだ。
遊作はリンクヴレインズの件の情報処理施設にほど近いエリアへ降り立った。
今日は最近の探索に使っている、中学生のころ作ったアバターを手直しして使っていた。アンノウンの前に作ったそれは黒パーカーにジーンズの、特に特徴もない少年の姿をしている。
とはいえ前回までと違いセキュリティの強固な場所に潜入することになる。アバターにもステルス機能や万が一に備えての緊急脱出用のプログラムなど、多少の備えはしておいた。
目的はもちろんAiのデータフラグメントがないかの探索だが、この施設が何を警戒し、何を守っているのかも調べたほうがいいのかもしれない。
(単純に施設管理者が用心深いだけ、ではないだろうな)
セキュリティには金がかかる。企業は予防措置に対する費用を抑えたがるものだ。
(この分だとセキュリティにひっかかった時点でそれなりの騒ぎになるのは間違いない。最低限必要の情報が手に入ったら引き上げるくらいがいいかもしれないな)
施設はリンクヴレインズの過疎エリアに作られている。
周辺は砂漠を模してあって、多少岩山があるものの施設周辺は見晴らしがよく、高い塀が周囲をぐるりと囲っている。内部の様子が伺いづらく、下手に近づこうとしても隠れるものがないので目立つ。よくできた要塞のようだ。
正面突破はどうやっても目立つ。塀の上も当然監視されているだろう。
(データ用の経路はあるが、人は入り込めそうにないな。となると職員用のゲートを使うしかないか)
調べた限り、施設の警備は主にシステムが行っており人間の管理者の数は多くない。出入りは現実の会社から施設内に直接アクセスしているようだ。
盗み出したパスコードで入り込むのは簡単だが、いきなり中へ飛び込んでしまう形になる。出入りも恐らくリアルタイムで共有されると考えると、入った時点で何者かが侵入したとわかってしまう。
(──仕方ない。多少強引だが、中に入って対応しよう)
遊作は、ステルス機能を使い身を隠すと、施設のゲートへアクセスした。
ゲートは施設の正面入り口のエントランスへ繋がっていた。他に人の姿はなく、中へ続く扉に認証式のロックのかけられたドアと警備ロボットの姿がある。
遊作はひとまずゲートを操作し、使ったパスコードですぐに退出操作をした。その上で、入退出履歴に偽装のエラーコードを追記しておく。施設内部の人数はデータ上増えていないので、アクシデントがない限り深く調べられることはないだろう。
(あとは内部のシステムに直接接続できれば、簡単にでも扱っているデータを確認できるんだが)
施設は現実のこの企業が所有する建物の構造をコピーして作られていた。おそらく遊作が子供のアバターを作った時と同じ理屈で、ガワを一から作る時間と手間を省いたわけだ。
通常リンクヴレインズでは現実との混同を防ぐために使えない決まりのはずだが、一般人の使用がない前提の場所ということで許されているのかもしれない。
これがどういうことかというと、この施設には本来VR世界では不要な天井裏や床下が存在する。
遊作は、内部データを取得した時に目をつけておいた、エントランス端にある形だけの手洗いへ入り込んだ。洗面台の頭上に天井に通風孔が張り付いている。
(……子供のアバターなら入り込めるな)
遊作はアバターを切り替えると、蓋を押し上げ天井裏へ入り込んだ。
当然ながら中は暗い。遊作が上がってきた場所のような通風孔が点在しており下から光が漏れているものの光量は十分に程遠く、配管や配線もあり全体的に見通しが悪い。
アバターの視界を暗視に切り替えると、一定間隔で赤外線センサーの光線が走っているのが見えた。ステルスがあっても、さすがにこれに引っかかれば見つかってしまう。
(ここも警戒していたか……当然といえばそうだが)
少し考える。これより奥も同程度か、あるいはもっと厳重かもしれない。
だが、そこまでして隠しているものが気になる。
何より、感覚でしかないが、ずっと下の方になにか知っているものがあるような感覚がする。ぼんやりとした、何か遠くにあたたかいものがある、くらいの曖昧なものだが。
ただ、経験上こういう感覚的な勘はよく当たる。
(……ここの奥にオペレーションセンターがあったはず。その近くで情報が抜けそうな場所を探してみるか)
近くにあった大きな梁の上に上がり、近いところにある通風孔のそばまで移動する。
天井に降りて様子伺いに格子を覗くと、オペレーションセンターに続く通路が見える。壁に二つほどドアがあったが出入りはなく、通路を通ったのはエントランスで見たものと同じ警備ロボット一台のみ。施設内は静かだった。侵入には気づかれていないようだ。
パスを抜いた時分かったことだが、ここへのログイン権限を持っている人間は会社の規模に対してかなり絞られていた。警備自体は機械への比重がかなり高い。
(機械相手ならシステムに入り込んでしまえばなんとかなる。そこに行くまでがな……)
もう少し奥へ行こうと立ち上がった遊作は、再度梁の上を移動しようと近くの太い梁に手をかけた。
その時だ。
前触れもなく、ぞわりと総毛立つような寒気がした。
「──っ!」
振り返りながらそばの太い配管の影に身を隠す。ほとんど同時にさっきまで遊作がいたところへ赤い光線が放たれた。
間を置かず足下でけたたましい警報が鳴り響く。
息を飲み、周囲を伺う。警報に紛れて低いモーター音が聞こえた。ガシャ、という硬い音も。
配管の影からそっと覗くと、丸い円盤型の本体に長い脚を何本も生やした蜘蛛のような形のロボットが暗がりから姿を現したところだった。
「これは──」
呻く。
緊急脱出用に用意していたプログラムで強引にログアウトしようとした時、別方向から同じような重たい金属の足音が聞こえた。
見やれば、先のロボットの同型機がもう一体近づいてきている。
ステルスを無視して感知できる程度の能力はあるようで、六つ並んだレンズをこちらに向けた。同時にレンズのすぐ下にぽつん、と赤い光が灯る。
その光が自分の胸に当たったことに気づいて、遊作はその場から飛びのいた。
そのまま二体のロボットと逆方向に天井を走る。梁を飛び越え、ひときわ大きな配管の影に潜り込むようにして体を確かめる。
痛みはなかったが、アバターのパーカーの袖の肘に近い部分が焼き切れたように破損しているのを見つけた。避けていなければ胸に穴が開いていた。
(警告もなしに侵入者を排除とは、そうとうな何かを扱っているようだな)
ガシャガシャと耳障りな音を立てながら近寄ってくる追跡者の前で考え事の時間はない。遊作は辺りを見回し、手近な通風孔の格子を蹴落とし、飛び込んだ。
そのまま強制ログアウトを試みる──が、一帯に強力なジャミングがかかっていた。脱出を阻まれ、遊作はそのまま階下に落ちて強かに背中を打った。
「くそ……」
毒づきながら身を起こそうとしたところで、天井の穴から赤い光が見えた。続けて放たれた攻撃をかわそうと必死で身をよじったが遅く、左足に灼けるような痛みが走る。
上げそうになった声を歯を食いしばって押し殺し、起き上がる。幸いロボットは脚のせいか通風孔を通れないようだ。遊作は足を引きずりながら周囲を見回し、手近な部屋へ転がり込んだ。
幸い室内には誰もいなかった。簡素なテーブルとイスがきれいに並ぶそこは小さな会議室のようだ。
遠くで警報が鳴り続けている。ズキズキ痛む足を抱えながら遊作は必死で考える。ログアウト妨害がある以上、その妨害を切るか範囲を抜けるかしないとならない。
この部屋に隠れる場所はない。施設内のマップを開くが近くの部屋も似たり寄ったりだ。かといって天井に戻るのはリスクが高い。では下へ、というのは問題外だ。この施設は今いる地上階より下にしか階層がない上、おそらく重要なものは地下階にある。警備はそちらの方が厳しいだろう。
(隠れるだけなら床下もあるが、天井と同じく警備は置いていそうだ。賭けとしては分が悪い。あとは──)
傷ついた左足を検める。脛から足首まで真っ直ぐ焼き切られた傷は、アバターの修復機能を大きく超えているのか一向に治らない。調べる時間はないが、もしかしたら修復を阻害するウイルスでも仕込まれている可能性すらある。
(あとは、なんとかオペレーションセンターのコンソールに接続してジャミングを切る、か。しかしこの足では移動も難しい)
足の痛みがひどい。痛みに引きずられそうな思考を必死で目の前の事へ引き戻す。
(落ち着け、何もしていないのにこんなところで終わるわけにいかない。考えろ──)
必死に自分に言い聞かせていた遊作はしかし、あり得ない気配を感じて顔を上げた。
目の前の床に幾何学模様の光の帯が走り、正円を描く。何者かが外部からセキュリティホールを生成していく。
いや、何者なんて問うまでもなく、その気配で遊作にはそれを成したのが誰か分かっていた。
「なん、で」
茫然と呟く。
現れたのはリボルバーだった。
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