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たまごとひよことおやどりと/バラコチャ行進曲

全体公開 奈落の大穴 19540文字
2024-07-06 21:58:50

私主催のアビスごはん合同誌『探窟家たちの食卓』にて、私が書き下ろしました小説二編の再録です。
在庫あります。→https://rondonozatta.booth.pm/items/4000993

たまごとひよことおやどりと


 昼下がりのオースを駆け抜ける赤笛がひとり。北区を回る午後の配達を済ませたので、午後いっぱいは自由時間だ。うまそうな匂いを漂わせ夕方の盛りを待っている市場には目もくれず、組合本部は通り過ぎ、観光客の行き交う土産物の通りを駆け抜け、よく見知った東区の住宅街へと向かう。
 今度は狭く複雑に伸びた路地を迷わず選び、生活用水たる川を飛び越え、ようやく平坦な道を出ると、アビスは真正面に巨大な口を開けている。
 探窟家のほとんどは生涯をアビスの中で生き、アビスで眠りにつく。ちいさな鈴付きの頃からアビスに憧れ、ごく浅い淵を探窟することを許されるようになった赤笛の今ですら、底には手を伸ばしても届かない。大穴の方面にじっと目を凝らしていると、ぶわりと不規則に巻き上がる強風に前髪を撫で上げられて、ちっともくるりとした巻き毛にならずにただくしゃくしゃになった髪を手でかいた。
 ジルオの立っているより一段下の通りに、ゆったりと歩いてくる荷車がいる。網をかぶせた荷台に腰かけている探窟家の奈落髪が金色になびいているのを見つけて、ジルオは飛び上がって先の交差点に向かって駆けだした。
「師匠‼」
 叫ぶように呼びかけながら一生懸命手を振ると、ヘルメットを目深にかぶったライザが首をかたむけて手を振り返してくれた。
 交差点で折り返して急激な坂道を下っていくと、鈍足な荷車が待ち構えるように止まった。ふああ、と口を開こうとするのでジルオは脇に飛びのく。直撃はまぬがれた。ぐぷーっと長いゲップが吐き出されて、なんともいえない腐ったような臭いと清涼な消臭剤が空気に混じって消えた。
「やあ、卵の弟子! 奇遇だな、サボりか?」
「違います。配達が終わったので、自由時間なんです」
「なら尚更都合がいいな。よし、任せた」
「いきなりなんなんですか……
 ひょいと荷台から飛び降りたライザが荷台を指し、つられてジルオは視線をやった。蒼笛たちがツチバシをまとめて捕らえるときに使うような網がかけられていたが、縫い留められていたそれはツチバシではなかった。やや楕円形にまるくて、薄い青みがかったまだら模様の、ジルオの背丈ほどもありそうな、――卵。
……たまご、ですよね?」
「当然卵だよ、大きさも重さもツチバシ卵の五十倍はある。今夜はこいつで、ふわっふわのとろっとろのオムレツが食べたいんだ‼」
 ぐっと親指を立てるライザ。呆然と口を開くジルオ。荷車を操っていた影の薄い爺さんが待ちくたびれたようにあくびをした。
 ジルオはあらためて卵をまじまじと見つめる。卵はアビスで貴重な栄養源、食料だ。衛生の観点から加熱して食すのが鉄則。卵生の原生生物は層をまたいで数多いが、中でも最も簡単に捕獲でき、複雑な処理をせずともおいしく食べられるのがツチバシの卵である。孤児院の食事でもたまに登場するし、授業で扱うこともある。ただしそれは手のひらにすっぽり収まるサイズのもので、なにもジルオの体重をはるかに超えた巨大な卵ではない。
「師匠、こんな大きな卵、どうやって調理するんですか?」
「そこは任せた」
「え?」
うちまで運んでいるところだったんだが、君が来たならちょうどいい。私は久しぶりに地上に上がって来たオーゼンを冷やかしに行くという、とっーても大事な用があるんだ。私が帰るまでに、うまいオムレツをつくっておいてくれよ!」
「えっ、え⁉」
「ジルオだって孤児院で料理の授業あるだろ? ちょっと大きい食材使うだけさ」
「ちょっととは云えないと思うんですけど」
 思わず生意気だとよく云われる口調になってしまったが、知らない食材が怖いわけではない。断じて。
 かつてライザが持ち帰ったヘビがまだ生きていて、これを酒蒸しにするぞ! と云いつけられたときに比べれば、少しばかり眼をみはるような卵なんて可愛いものである。
 あの酒蒸しはたしかに美味しかったけれども、やたらぬめりがあって桶から逃げ出そうと暴れ、隙あらばジルオの手を嚙みつこうとするものだから、傷だらけになりながらまな板に二人がかりで押さえつけて調理したものだ。
 思い返している間に、ひょいとジルオの小脇が両手で抱え上げられ、さっきまでライザが座っていた荷台の端に乗せられた。ジルオがぱちくりとしていると、ライザが爺さんに手を振る。
「おーいおっちゃん、こいつ連れて不屈邸まで!」
「はいよー」
「師匠!」
「マァだいじょぶだって。君ならちゃんとできるさ」
 ぽん、と頭をひとなでしたライザの夜空色の瞳が期待に輝いている。ジルオが見惚れていると、のろりと荷車は動き始め、ライザは荷車と反対方向へ歩いて行った。先に宣言した通りオーゼンのいる酒場に行くのだろう。
 がたがたと揺れる荷台にしがみつきジルオは風になびく金色の奈落髪を見えなくなるまで見送って、膝に顔をうずめた。

     *

 ライザのトコシエコウで飾られる邸宅に着くと、爺さんが通りすがりの探窟家に頼んで巨大な卵を荷台から降ろしてくれた。
 さて、どうやって玄関をくぐらせたものか。ジルオが途方に暮れていると、玄関のにぎやかさに気づいたように扉が開いた。
「どうしたの、ライザ帰ったの……
 ひょっこりとおもむろに頭を出した若草色の髪の青年がぽかんと髪と同じ色の眼をまるくして、それから気が抜けたような笑顔を浮かべる。
「やあいらっしゃい、ジルオ君。素敵なお土産まで」
「お邪魔します、トーカさん。これはししょ……ライザさんが今夜の飯にって」
「うちのライザがいつも迷惑かけててごめんね。運んでくるの、大変だったでしょう」
「別に、荷車で来ましたし」
 休日だったらしいトーカは探窟家らしからぬエプロン姿で、とてとてとジルオに駆け寄ってくる。これまでの親切から嫌味でもなんでもなく、本当に歓迎しているのだとわかってはいるのだが、ジルオはこのライザの旦那と会うたびに背筋がむずがゆいような心地がする。ジルオがめいっぱい背伸びをしても、一人前の探窟家にしては小柄なトーカの背丈に届かないのがちょっぴり悔しい、なんて思ってはいないはずなのだが。
 トーカのことは先達の黒笛として敬意は払っているが、ライザとは違った意味で底が知れずとっつきにくい。それはトーカが最初からずっとジルオに親切にしてくれることや、奈落髪でない風貌からは熟練の探窟家にはとうてい見えないこともある。
 ライザから頼まれたことを云いだすべきかどうかジルオが迷っていると、トーカは卵の周りをぐるりと一周回ってみて、それからにっこりと微笑んだ。
「それで、ライザは何が食べたいって?」
 コンコンとこぶしで軽く叩いた卵はびくともしない。ジルオは卵とトーカを交互に見比べて、別に隠すほどのことじゃないと思い直し、正直に申し出た。
「ライザさんが、晩御飯にオムレツ食べたいって」
「またライザったら無茶を……。こんな大きなの、どうやって玄関に入れるつもりだったんだろね」
 やれやれと腰に手を当ててトーカがため息をついた。
「じゃあ、オレは孤児院戻るんで……
 トーカがいるのならもはやジルオに出番はないだろう。きっとライザだって、トーカの手料理の方が好きに決まっている。そう思うと、居たたまれなさにジルオがもごもご後ずさりして逃げ帰ろうとした瞬間、襟首をひょいと片手で捕らえられた。
「待って。ライザが、ジルオ君に頼んだんでしょ?」
「そうですけど……トーカさんのお邪魔になるなら」
「だーめ。僕も手伝うけど、ジルオ君がつくらなくちゃ。ね?」
 笑顔が妙に圧をはらんでいる。ジルオはこくりと頷いた。

     *

 いそいそとトーカがジルオにエプロンを着せてくれる。自分で後ろも結べるからいい、と跳ねつけようとするも、いいからいいから、とリボン結びまでされてしまった。
 キッチンは一般的な高さよりも低く設計され、トコシエコウの花びらの色に似たまろやかな乳白色にまとめられている。ライザの屋敷は不屈邸の名を冠する通り、そこかしこにトコシエコウの意匠で飾られているが、キッチンもまたそうだった。すみずみまで綺麗に使われていて、天井から下げられた薬草の束が独特の匂いを漂わせていた。
「外に放っておいていいんですか?」
「あんなに大きな卵、わざわざ盗み出すひともいないよ」
 それに、殲滅卿のお礼参りは苛烈だからね、とトーカはころころと笑う。お礼参りの後は死屍累々の凄まじい光景だというが、そう笑っていられるものだろうか。ジルオは見たことがないのでライザの武勇伝から想像するばかりだ。
 何か負けたような気持ちになって、ジルオは普通サイズのフライパンを準備しているトーカから視線を逸らす。
「さて、ジルオ君。オムレツは作ったことある?」
「ううん……ないです」
「じゃあツチバシの卵で練習からしようか」
 ツチバシの卵、バター、ミルク、マヨネーズ、瓶詰めの塩とトコシエコウの実を砕いたもの。トーカが材料をキッチンに並べていく。てっきりさっそくあの大きな卵を割るのだと思っていたジルオは面食らいながらも、踏み台に立ってカウンターを凝視する。
「卵はツチバシなら二つね。オニツチバシなら三つ。うつわに割り入れて、ミルクとマヨネーズを深めのさじに二杯、塩とトコシエコウの実を少々……
 カチャカチャとまんまるな卵の黄身があっという間に渦に巻き込まれて、もったりと重さのある黄色い水たまりにのように。フライパンが火にかけられて、バターがひとかけ落とされると、黒い鉄フライパンをバターがじゅわじゅわと溶けながら滑り、全体に行き渡っていって。塩辛いような脂の香りが鼻を刺激する頃合いで、卵液がなだれのように流し込まれた。
 ジュ!
 木べらでぐるぐるとかき混ぜられて、ふっくら固まり始めると火が止められた。まるで黄色い花畑のよう。へらで手早く紡錘状にまとめられて、天地がひっくり返り、ふんわりオムレツが皿の上に着地した。
「はい、できあがり。ジルオ君、味見してみて」
 トーカの声で我に返る。ジルオは鮮やかな工程にすっかり見入っていた。昼飯を食べ損ねていることを思い出した腹の虫がぎゅるるるるると元気の良すぎる返事をして、ジルオは顔を赤らめた。トーカはニコニコを崩さない。
 手渡されたさじに促されるがままに、ジルオは端っこをひとかけすくってみた。
……美味しいです」
 卵の甘みとトコシエコウの実のまろやかな辛さがピリリと効く。オムレツの中は半熟でとろとろ、完璧な一品にジルオは内心舌を巻いた。
 空になった皿を水に浸けて、トーカが新しい卵をジルオの前に置く。
「手順はわかった? 隣ついてるから、練習、始めようか」
「はい」
 コンコン、と縁に当ててツチバシ卵にビビを入れる。トーカは器用に片手でやっていたが、ジルオは両手で割った。
 卵はうつわに。ミルクとマヨネーズを正確に二さじ、塩と砕いたトコシエコウの実を瓶からひとつまみ。木べらで軽くかき立てて。
 きれいに拭いたフライパンを焜炉に設置して火をつけようとして、着火装置がなかなか固く、火花が散るばかり。横からトーカの手が伸びてきて、あっさり小さな青い炎が息を吹いた。
 ジルオが振り返ると、頭ひとつぶんの高さからトーカが見下ろしていた。続けて、と云うように微笑まれ距離が遠くなる。フライパンは温まっている。
 切り分けられていたひとかけのバターを溶かし、茶色に焦がして卵を一息に流し入れた。急いで中心からかき回し、端の方が焦げていきそうになったのを木べらで削り取る。
「ん、んん? あれ」
「火は落とそうか。手前から奥に向かってたたんで。端を内側に折り込んで、ひっくり返して」
 トーカが云う通りにやってみてはいるのだが、フライパンにくっついてしまってうまく剥がせず、真ん中に穴が開いてしまった。ジルオは眉を寄せて四苦八苦しながら、できあがったものを皿にぽとりと落とした。
 ジルオは唇を噛む。オムレツには見えなかった。せいぜい焦げた炒り卵。否、炒り卵を作ったときの方がまだ上手だった。
 味見をしてもジルオの眉は上がったままだった。固まりすぎてぱさぱさしている。ちょっと失敗した炒り卵と思えば食べられないほどではないが、トーカのオムレツには明らかに及ばない。なにより、失敗作をライザに食べさせるわけにはいかない。ジルオはさじを持つ手に力を込める。
 同じように味見をしたトーカは小首をかしげただけだったが、味の違いは歴然だったろう。
「ジルオ君、まずは卵の混ぜ方からもう一回するね。空気を含まない方が焦げにくいから、黄身と白身を切るようにしてね。……ここの焜炉はちょっとコツが要るのだけど、押しつつねじを回して……そう。……バターは焦がすよりは溶かす感じで……
 二度目に焼いたオムレツは、形は悪いながら少なくとも炒り卵よりもなめらかに仕上がっていた。コツは分かった気がした。トーカに教えられたことを反芻しながら、ジルオは顔を上げる。
「もう少しやるかい?」
「はい」
「満足するまで使っておいで。僕はその間、仕込みをしているから」
 籠一杯に積まれたツチバシ卵を指して、トーカは云った。

     *

 香辛料の香りがする。
 ラフィーの香辛料店はあらゆる香辛料の匂いが混ざって、店に入るといつも鼻がつんとくるくせに、ハボルグの部屋に入り浸って書物を読んでいると鼻が麻痺して気にならなくなってしまう。ライザの家のキッチンもそれに似ていた。
「すごい集中力だねえ」
「あっ……卵、ぜんぶ使ってしまいました」
「そのつもりで出したもの。お肉と炒めたりスープに入れたりするから。明日もライザは卵三昧だね」
 トーカに話しかけられて初めてジルオは香辛料の香りがいっそう強くなっていることに気づいた。
 気づかないうちにトーカが色々の食物と香辛料を広げて、敷き布を引いた籠にどっさりと山盛りにしていた。それらはすぐに使えるよう刻んであったり、保存瓶から出して混ぜてあったりして、二つの籠に分けられていた。トーカがひとつの籠を示す。
「あとは庭で炒めるから、運ぶの手伝ってもらえる? 卵も移動させないと」
「うん、……これは?」
「オムレツだけだとせっかくオースにいるのに味気ないでしょ。炒め飯しようと思って」
 よいしょっと、トーカは洗濯籠よりも大きな籠を持ち上げて、裏口の方へ行った。
 よろけるように追いかけて行くと、トーカはアビス向きの庭にかまどの用意をしていた。トーカは籠をひとつ持ってきたジルオに見事な植木の脇に置いておくよう云いつけ、生米の袋を取りに戻った。
 オースでも東区の高台にある不屈邸は、裏庭からアビスを広く一望できた。薄い雲が奈落に続く縦穴を塞ぐように覆い隠し、大穴にはみ出るようにかかる岸壁街は今にも落っこちそうにアビスに突っ込んで傾いている。ちょうど街の反対側にある奈落門は遠く小さく眼に映る。ジルオが数歩前に進めば、真っ黒な暗闇に真っ逆さまに飛び込めるのだ。
「ジルオ君」
「ぬふぉ⁉」
 ぽん、と肩を叩かれてジルオは飛び跳ねた。あと一歩で奈落だった。小石がばらばらと落ちていくのをジルオは眼の端で捉えた。
「もう、そこから飛び降りるのはライザだけにしてほしいな。今日は探窟お休みなんだから。フライパン、納屋にあるから取りに行こう」
……うん」
 ライザが飛び降りた話をもっと聞きたかったが、とても訊けるような気持ちがせずジルオは口をつぐむ。トーカはジルオの手を引いて納屋に案内した。
 ジルオがすっぽり寝転べそうなほど巨大なフライパンを二人がかりで納屋から引きずり出す。大きすぎて浅めの鍋のような深さがあった。三十人前でも一気に調理できるから、大探窟に行くときに持っていくのだけど、とトーカが云った。ジルオは不遜ながら、ライザがよく一緒に行く探窟隊で突き抜けて大柄な不動卿が背中に背負っている様子を思い浮かべた。
 卵はゆっくり玄関から転がしてくる。トコシエコウの咲き乱れる花壇を通り過ぎ、植木が引っかかって邪魔であったのでトーカが小刀で枝を切って通した。ジルオは卵が割れるのではないかとひやひやとしていたが、ひっかき傷がついた程度でやはりびくともしなかった。
 卵を運び終えた頃には、空には黄色が混じりかけて、日は西に、ゆっくり傾いている。額に浮く汗を腕で拭き取りながらトーカが伸びをして一息ついた。
「はーっ、ライザったら本当に無茶ぶりなんだから……。こうなったら、絶対に美味しいごはんをつくって、ライザを唸らせてやろうね」
 野営用の石灯ランプを持ち出してきたジルオは、かまどのそばにランプを置いた。膝をついて煉瓦を組んだかまどに火のくすぶるタジカサを突っ込んでいるトーカの背は黒笛にしてはちいさくて頼りないように見える。
 トーカはいつもやさしげな空気をまとっていて、突然ライザの弟子として転がり込んできたようなジルオにもとびきり甘い。今日だって、ジルオが何も云わないうちから当然のように料理を教えてくれる。ジルオにとっては、そうも優しくされる理由がわからない。
 トーカが頬にすすをつけたままかまどから身を起こすのを横目にしながら、ジルオは一呼吸置いた。
「トーカさん」
「うん?」
「トーカさんって、なんでライザさんと結婚したんですか?」
「ええ、今聞く? 照れるなぁ」
 振り返って口を開けて笑うさまは何だかわざとらしくて、子供扱いされているようでジルオはムッと眉を吊り上げる。前後も脈略もない唐突な質問だったが、トーカはジルオの機嫌をよく読みとったらしく、いかにも困ったなあという顔で肩をすくめた。トーカはジルオの方に歩いてくると、椅子代わりの丸太に座り、ぽんぽんと隣を叩いてジルオも来るよう促した。ジルオが腰かけると、トーカは悩むようなそぶりを見せる。
「ライザはね、偏食が酷くて」
「知ってます」
 ライザは好き嫌いが激しいのだ。あれはまずい、あれは嫌い、あの店のこの料理は好きだがそれは駄目だ、行動食とやらは壁の味がして食い物じゃない、等々。トコシエコウ酒は気に入りの銘柄でないと呑まず、名物の辛子饅頭を食べる店も決まっている。アビス料理ならば好奇心が勝つのか、まずひとくちめは食べてみるが、気に入らなかったらその場で突き返す。
 アビスで生き残りたいならば食べ物を粗末にするなと孤児院で教えられてきたジルオは最初こそ困惑したが。ライザの態度は一貫して変わらないので半ば諦めている。
 トーカは断片的に話し出す。殲滅卿、殲滅のライザなんて呼ばれているけれど。ごはんに関してはひときわ子供っぽくて。全然食べてくれなかった探窟のとき、たまたま持ち回りで僕がつくったごはんを食べてくれて。
「ライザが、僕のつくった料理を、美味しい美味しいって食べてくれるから、かな」
……それだけ?」
「うん、きっと僕は、ライザが嬉しそうにおかわりって云ってくれるのが好きなんだ」
 とろけそうな笑みを花開かせるトーカに、ジルオは言葉が詰まってしまった。トーカがジルオの癖のある髪を撫でつけるように頭をぽんぽんと叩いた。そして立ち上がってかまどの火の様子を確かめて薪を差し込んでいる。フライパンは充分に温まっているようだった。トーカの手際はよどみなく、キッチンでオムレツをつくるときと同じで、まったく気負いが見られない。
 ジルオはずっとこわばっていた肩の力を抜いて、振り返ったトーカを見上げた。視線にこてんと首をかしげるトーカはやはり、深層から何度も帰還した熟練の黒笛には見えなかったが、ジルオは飲みこんだ。
……トーカさん、良かったら、オレに、……料理を教えてもらえませんか?」
「もちろん。今日だけと云わず、いつでもおいで」
 トーカは変わらない笑顔を浮かべたまま頷いた。

     *

 ジルオが火吹き棒でかまどに風を送っている間に、トーカが熱されてきたフライパンに肉脂の塊がたっぷりとナイフで削り落としていく。じゅわじゅわと泡立つように脂が溶けて匂い立った。
 ヘガ米の袋をフライパンにひっくり返す。ざーっと流し込まれた米は脂に触れてぱちぱちとはじけて踊っている。半透明になるまで二人でそれぞれ一抱えもある木べらでかき回すのはなかなか重く、汗があごに落ちて行った。
 米に火が通ったら細かく刻んだサイノナなどアビスの野草を数種類、砕いた木の実、裂いた海獣肉の燻製をたっぷり二籠。脂の濃い匂いに燻製の匂いが混ざって、ジルオは思い切り、たまにしか食べられない肉の匂いを吸い込んだ。美味そうな匂いの移った煙がアビスから吹く風に飛んで行った。
 味付けはトコシエコウの実とギントコ、トーカ自家製の香辛料ペースト。ひっくり返すようにして米と具材を木べらでざくざくとかき混ぜた。味をなじませるための水をフライパンのふちから流して、アマギリの葉を敷き詰めれば、しばらくは待ち時間だ。
 炒め飯を蒸らしている間、トーカが探窟中に食べた料理の話をしてくれた。オットバスで二百人前の煮込みをつくったこと。三層のネリタンタンはどんな調理も美味いが、なかでもライザの気に入りは串に刺した香草焼きであること。ダイラカズラの皿から外れた森で見かけるシャヨウコウベはシチューに入れるととろみがついてなかなかイケるがいかんせん発光して食べにくいこと。ジルオは先程までの無口が嘘のようにトーカに色々を訊ね、トーカはいっそう笑顔で応えた。米の蒸らし時間はあっという間に過ぎていく。
 ぷしゅーっと水が蒸発していく音を聞きながらアマギリの葉を取り払う。この葉は天然の皿になる。香辛料の匂いがいっぱいに広がってジルオは眼を輝かせた。
 味見という名のつまみ食いは、肉と香草の旨味が米にぎゅっとなじんでいて、ジルオはふかふかと白い息を吐きながらトーカと顔を見合わせてへにゃりと笑ってしまった。辛い。旨い! しびれるような爽やかな辛みが鼻を通り抜ける。カリカリのおこげが一等美味かった。
 フライパンから炒め飯をすべて皿に上げ、濡れた布巾で焦げを拭きれば、卵の出番、オムレツである。
 一転、手に汗を握るジルオに対して、トーカはのんびりしたものだ。
「オニツチバシやナキカバネの卵なら食べたことあるけど、こんなに大きな卵は初めてだよ。成体はとんでもなく大きいんだろねえ」
「どうやって割ればいいんでしょうか?」
「つるはしで一部分を掘って、殻の中で混ぜてからフライパンに直接流し込むことにするよ。ドリルとハンマーもあるけど、使う?」
「つるはしでいいです」
 おっかなびっくりながら、つるはしで殻を叩いていく。まるで岩を掘っているかのような硬さ。十回もつるはしを横向きに振ってようやく小粒の穴が開いた。
 ペンチでヒビの入った殻を取り除いていけば、殻の厚みは一センチもあった。とても手で割れるような硬さではなく、再びつるはしを振るって穴を広げていく。ガン、ガン、と卵を割っているとは思えないような音が庭に響く。
「ライザの帰りが遅くて助かったけど、連絡なしにごはんの準備だけさせるなんて困るね」
「たしか、不動卿にちょっかいをかけに行くって」
「じゃあ酒場かな。オーゼンさんも連れてきてくれるといいんだけど。いくらライザが健啖家といってもこの量を食べきれるとは思えないもの」
 思わずむうと顔をしかめてしまったジルオに、トーカは安心させるように背中を叩く。
「オーゼンさんに食べてもらうのは緊張する? だいじょぶ、あの人はライザほどこだわらないから」
 ジルオが入れそうなくらいの穴が開いた卵には、たっぷりの白身に、満月のようにまるい黄身――色は海のような真っ青だったが――が浮かんでいる。木べらで切るようにかき混ぜながら味付けのミルクとマヨネーズ、トコシエコウの実と塩をそれぞれ一瓶、順番に加え入れる。白身、もといねっとりした水色のゼリーはもったり重さがあって、探窟の成果を持ち帰るときよりよほど汗をかきながら、トーカがいいと云うまでジルオは木べらで全体をかき立てる。
 いよいよフライパンの出番である。バターがフライパン全体に行き渡らせ、火加減を見て、トーカが梃子を使って卵を傾けた。濁流のように流れ出る卵液! バターの香りが匂い立つ。キッチンのフライパンとは勝手が違い、卵液はなかなか固まらないでフライパンを滑るようにとろけている。トーカがかまどに薪を足していた。
 ぐんと熱気が増した。卵液がふつふつと泡立ちながら鮮やかに色づいていく。青い花畑か雲海か、なだらかな波が仕立て始められたことにジルオは息を詰めて攪拌を続ける。見計らったように火が落とされた。成形は余熱の残るフライパンに任せて、ふちから削るように剥がしていき、紡錘状になるように両端から巻き込んでいく。
 緊張と熱さから汗で木べらがぬるぬる滴っているのも気にならない。眩しいような派手な青色を見つめすぎて眼がしぱしぱした。はたして裏側もきれいな均一の青をしていた。内側に折りたたまれてもう一度ひっくり返された卵焼きは、ちゃんと、初めにトーカにつくってもらったようなオムレツの形をしている。
 ジルオは今さらながらがくがくと震える膝が崩れ落ちそうになって、トーカに支えられた。見上げると頭ひとつぶん上の高さから、ニコリと微笑まれた。
「お疲れさま、ジルオ君。よくできました!」
「はい、トーカさ…………先生?」
「ふふ、教え甲斐のある生徒さんだ」
 見計らったように、玄関の方向から聞きなれた元気な声が聞こえてきた。

     *

「たっだいまー、美味そうな匂いする!」
「お帰り、ライザ。とーっても遅いお帰りだね」
「げっ、なんかトーカが怒ってる⁉ 別に遅くなったのは私のせいじゃないぞ! オーゼンが酔って仮面野郎の頭ぶち抜いたのが悪いんじゃないか!」
 怒られる気配を敏感に感じ取ったライザがオーゼンを盾に外套の裏に隠れるものの、オーゼンはいつまでたっても生意気な弟子をため息ひとつで摘まみ上げた。首根っこを吊られてなおバタバタ暴れるライザはどこか楽しそうだ。
「私のせいにするんじゃないよ。だいたい最初はお前さんが要らん喧嘩を売ったのが始まりじゃなかったかね……。そんで、なんだねこのバカでかい卵の殻は」
 オーゼンの胡乱な視線が庭のほとんどを占領する大きな炒め飯と真っ青なオムレツ、そして空の卵に移動する。
「そいつは今日かっさらってきた卵だ。ジルオにオムレツにするよう、頼んでおいたんだ!」
「そう、ジルオ君ががんばってつくってくれたんだからね。すっごくいっぱいあるからライザはちゃんと最後まで食べるんだよ」
「なんでトーカはそんなに怒ってるんだ⁉」
 無事に空中から降ろされたライザは慌てつつもわくわく顔が抑えきれていない。跳ねるように庭を見回して、トーカの後ろで縮こまるようにして様子を窺っていたジルオとばちりと音を立てそうに視線が合った。
「ジルオ!」
 急に飛びつかれてふらついたジルオをライザは目いっぱいの力で抱き寄せてくれた。暗闇をくり抜いたような眼をしているオーゼンの生ぬるい視線が痛い。ライザはジルオをわしゃわしゃと撫で回してくる。一杯ひっかけた後らしく酒精の匂いがした。
「さっすがは私の弟子! 完璧な仕事だ! あんなでかい卵、どう調理したものか困ってたんだ!」
「確信犯⁉」
 すっかり呆れ顔のトーカが口を尖らせたままライザからジルオを引き離した。力任せの抱擁にへなへなと倒れそうになってしまいジルオが丸太に座り込むと、ライザがひょいと丸太を飛び越えて隣を陣取ってくる。まるで猫みたいに肩を抱えられて、ジルオの心臓がばくばく高鳴っている。顔が熱い。近い。ライザの奈落髪が頬を撫でてくすぐったいのに、離れてほしいなんて微塵も思えなかった。
 石灯ランプをつけて回りながらトーカが特大のため息をついた。
「ひどいねライザは。可愛い可愛いジルオ君の弟子心を弄ぶなんて」
「もしかして怒ってるのはジルオのことか⁉ だって弟子は師匠の命令はなんだって聞くんだろう⁉」
……オーゼンさん?」
「そんなこともあったかね。君には関係がないけど。さて、飯が冷める前にご相伴に預かってやろうじゃないか」
 矛先が向いたオーゼンはしれっと腰を下ろして、いの一番にオムレツを頬張っている。食べきれるのか不安なくらいあったオムレツと炒め飯だが、オーゼンの奈落のような口の前にはまたたく間に消えてしまいそうだ。
 アビスは闇を映したようにぽっかりと浮かんで、その周りに街灯りがぽつぽつと光っている。どこも夕飯の時間なのだろう、夕陽の沈んでゆく空にあちこちから煙が立ち上っていた。
 夢のようにぼうっと灯りを見ていたジルオの目の前に、ぐいと食欲が減退しそうな青い塊が突き出された。まばたきをすると、ライザがオムレツがこんもりと大盛によそわれたさじを餌付けのようにジルオに差し出していた。
「師匠が食べさせてやろうか? 君のつくったオムレツだぞ!」
「いえ、自分で……むぐ」
「美味いだろ? トーカの料理が一番だが、君の料理もなかなかの腕だぞ!」
 問答無用でオムレツが突っ込まれる。トーカがいさめるような声を出したり、オーゼンが面白そうに酒を傾けていることにはジルオは気づかなかった。口の周りをべたべたにされて一生懸命咀嚼しながら、ジルオはライザの喜色満面な夜空色の瞳から眼が離せずにこくりと頷く。
 美味しいもなにも、味がわからなかった。


(終)




バラコチャ行進曲


 先輩の休憩所、思い出のダイオウミーティ崖と訪い、一行は冒険を続けている。
 奈落を照らすお日さまの光は高く高く降り注ぎ、昼も夜もないような明るさであるために、時間経過が余計にわかりにくかった。リコが息を上げ始めてからしばらく、ふっと足取りを乱れすようにふらついて、しんがりを務めていたレグはそっと肩を支えた。
「リコ。少し休憩しよう」
「だいじょぶだって、レグは大げさだなー。さっき休んだばかりだし、進めるだけ進も?」
「リコ疲れたそす?」
 腰にまとわりつく白いふわふわの成れ果て。ファプタのひたいの赤い角にぴたん、とリコの汗が滴って、ファプタは跳ね除けるようにぶるぶると頭を振った。
「んなぁー。レグの云う通りにしようぜ。ただでさえ獣道すらねえような足場の悪いとこ、ずっと歩いてんだからよ。隊長が倒れちゃオイラたちも困る。それに、オイラもそろそろ休みてえ」
 先頭を行くナナチが周囲に注意を払いながら云った。ぽてぽてとなんてことないように岩肌が金属の腐食に侵されたような硬い場所を選び渡っているが、力場を観測する眼は研ぎ澄まされ、ときどき、ずんと沈むような感覚を掴んでは避けている。
「わかった。休憩しよ」
 こくり、とリコがおとなしく頷いたのを見届けて、一行は滝のほとりにキャンプをすることにした。
 滝がざあざあと遥か下方、およそ300メートル以上も流れ落ちていて、ものすごい水しぶきに雷のような地鳴りが絶えず鼓膜を震わせた。そこから平行に渡れる石造りの橋の反対側で発見した崩壊しかけている建物の洞は、枯れた蔓に覆われて、湿気がこもっていたが、身を隠せるという点でちょうど良かった。
「ふぅーっ」
 火を起こして煮沸してから冷ましたぬるま湯が喉を通っていく感覚にリコは気の抜けた息をついた。
「結構歩いたが、さすが六層は広えんなぁー」
「七層の入口にあるという光の環はまるで見えないな……。リコ、どうした? また腹を壊したのか?」
 お腹を押さえるようにもぞもぞと縮こまっていたリコが照れくさそうに頬を染める。きゅうう――と控えめな腹の音。
「えへへ……お腹空いちゃって」
「無理もねえ強行軍だもんな。しかし……今は食料といえばさっき作りたての燻製と、ボンの固形食しかねえぞ」
「固形食?」
「お姫さんは知らなくていい味だぜ」
 元気いっぱいのファプタはくるくると思案するように駆け回っていたが、不意に思い至ったようにリコに顔を近づけた。あたたかな香ばしい匂いが鼻をついて、リコはぱちくりと驚く。お日さまの光を集めたような金色の眼がリコをじっと見つめる。
「リコ、肉食えば元気なるそす?」
「うん、元気になるかも。どうして?」
 リコが小首をかしげながら答えると、ファプタは興奮したように飛び上がった。
「ファアアン! ファプタ、リコに肉、獲ってくる! そこで待て!」
「えっ⁉ ファプタ、待って⁉」
 静止は間に合わず、突風のごとく白い獣が洞を飛び出して行く。火を焚いている煙がぐにゃりとゆがんで、呆然と固まってしまった三人が残された。

     *

 そこらを行ったり来たり。洞から顔を出してみたり、ひっこめたり。はらはらと落ち着きのない調子でファプタを待つレグは迷子の犬みたいだ。
「レグ、そんな心配すんなって。お姫さんはオイラたちよりよっぽど六層を熟知してんだ。ちゃんと帰ってくるさ」
「でも! このあたりはファプタの縄張りの外だったようだし、少しくらい様子見に出ても……
「戦力バラけんのは危険だ、わかってんだろ? オイラじゃリコを守りきれねえ。お姫さまを信じて待とうぜ」
 火に採取した蔓を足しながらナナチがのんびり構えて云う。湿った葉はすぐの燃料に向かなかったが、乾かせば充分な量になるだろう。 
「ファプタ、だいじょぶかなぁ」
 ひざを抱えてライザの封書をまた読み返していたリコが呟いたそのとき、行きと同じく風のように白い塊が洞に吹き込んで来た。
「ファプタ!」
「獲物そす。ファプタ褒めるそす!」
 口に咥えていたものをぽとりとリコの足元に落とし、ふんすと誇らしげに背筋を伸ばす。ボスに獲物を見せびらかす猫、とナナチは思ったが口には出さなかった。
 キツめにかじられて血の出ている小動物が二匹、折り重なってピクピクと痙攣している。まだ息があり、か弱そうにぴるりりりりと鳴いた。
 封書も放り投げてリコはファプタに抱きつく。
「お帰り、ファプタ!」
「どうだ? 二匹も捕まえたそす!」
「すごい、すごいよ! よしよし、いいこだねー」
「リコくすぐったい」
 ここぞとリコがふわふわもふもふのしっぽを撫で回すのでファプタが身をよじって耳を上下させる。おしりがお日さまとふかしたおいもの匂いながら、白ふわなしっぽも格別にいい匂いがして、リコはまどろむような息をついた。
「それにしても、この生物、何かに似てるな……
 六層の風景になじみそうな砂色の体毛、扁平にまるく大きなしっぽがしなる姿、くりくりのつぶらな瞳に短い手足、背中のとげのようなでっぱり。思い至って、レグは、あっと声を上げる。
「リコ、こいつ三層の」
「うん、ネリタンタンだ! 大断層以外でも生息してるとは聞いたことあったけど、六層にもいるなんて」
「ネリタンタンってあれかよ? 大断層に開いた穴ん中に棲みついてるっていう」
「そうそう。バラコチャ回廊で巣を作ってて、おとなしくて捕まえやすくて、アビスで最も安全な食料のひとつなのよ。それに、バラコチャの実で育つからお肉はやわらかくて美味しいんだ」
「こいつも美味いそす?」
「うーん……見た目はすごく似てるんだけど、バラコチャの匂いしないんだよね……。花の蜜よりも甘ったるくて虫が寄って来る感じの匂いなんだけど。それに、甲羅かぶってるみたいに背中が硬い……
 リコが鼻をぴとりと六層ネリタンタンの鼻にくっつけてみても泥と乾いたうんちと血の臭いしかしない。興味を覚えたらしいファプタがクンクンと鼻を動かしたが、ファアアアンと一声鳴いただけだった。
 レグはもう一匹を嗅いでみるも、かぐわしいバラコチャよりは、よだれが染みた布団のような生臭さが強く、顔をしかめた。
「ファプタはこれをどうやって食べてたんだ?」
「頭から食う。はらわたは暴れる虫がいるが、食えんこともないそす」
「お姫さんは良くてもリコは丸かじりは腹壊すだろ。リコ、オイラはもう一匹やるから先に手本見せてくれ」
「よしきた。任せるそす!」
 腕まくりする動作をしてみせたリコは、サバイバルナイフを取り出す。
「まずは皮を剥きます」
 太い枝を地面の割れ目に突き刺し、しっぽのつけ根を壁から剥いだ枯れ蔓で縛りつける。
 ピィィという弱々しい断末魔を最期に、やわらかな腹の真ん中を縦に切り開き、両手で毛皮を引っ張ると三層のネリタンタンよりも濃い色の肉が現れる。レグはちんまりした後ろ足の肉の色と熱を残した感触におっかなびっくりながら、ずるりと衣服のように脱がしていく。
……なまあたたかい……
「んなぁー……なんか後ろめたくなっちまうよなー……
「冷えると剥けなくなっちゃうから、あったかいうちにやらないとなんだよ」
「理屈はわかるけどよー、違うモン思い出すんだよ」
 おやおやと通り過ぎていく黒い仮面を追いやって、ナナチはしっぽまで剥いだ二匹目もまな板代わりの岩に降ろした。
「次は内臓モツ取るんだよな。また保存食にするか?」
「今回は食べないでおく。もったいないけど、深層の寄生虫はお母さんの封書でもわかんないし」
 内臓モツを傷つけないように慎重に腹にナイフを入れていく。
弾力はあるが関節が甘く、骨も薄い。筋を切りながら薄い膜を破らないようはらわたを切り離した。
 こぶしほどの内臓モツをつまみあげてリコが観察する。
「ネリタンタンと構造ほとんど一緒だ……。やっぱり食べられるんじゃないかなぁ」
「リコ、ここで腹を壊したら大変だぞ」
「わかってるもん! ちょっと気になるだけだもん!」
「じゃあファプタ食べる!」
 しゅるりとリコの背後から現れ出る影。肩に一瞬重みがかかったかと思えば、リコの指から生の内臓(モツ)を奪い去っていった。
 じゅるるうじゅぴ! 丸のみしたファプタは満足そうにしっぽを揺らしながらげっぷをした。
 止めどころを見失っている手を無意味に指を曲げたり伸ばしたりしながら、レグがはらはらと息をのむ。
「おおおだいじょうぶなのか……⁉ 腹壊さないか⁉」
 リコがわくわく顔で身を乗り出す。
「美味しいそす?」
「食べれるそす」
……私も先っぽだけなら食べてもいいかなぁ」
「腹壊すくらいならマシだけど、知らない毒性持ってたらヤバイだろ」
「そうだよねぇ……やめとく……
 しゅんと口を尖らせるリコの前でまたファプタの手が生肉のかけら付き内臓モツをかっさらっていった。
 閑話休題。
 しなやかな細い骨を関節で折って切り離していく。お腹の肉は薄く削ぐように切り、しっぽの肉は一口大にぶつ切りにする。
 鍋にざく切りしたサイノナを敷き詰め、その上にネリタンタン肉を並べる。荒く砕いたトコシエコウの実、藻塩を少し。水はおたまに一杯、サイノナが湿るくらいまで。ファプタが手持ち無沙汰に鍋とリコの周りをぐるぐる駆けまわりながら訊ねた。
「また肉の鍋そす?」
「今回はちょっと変えるのです」
「リコ、火を強くしたぞ」
 煙がバンバン上がり始めた焚火を囲って石を組み、枯れ蔓を餌に燃えている焚火の上に鍋を下ろした。それから、大きめの葉を三枚重ねて蓋をする。
「これでしばらく待つそす」
 リコが高らかに宣言した途端、ぐきゅうう――ともはや隠しようもなくお腹が激しく主張して、リコはみるみるうちに耳まで真っ赤になってしまった。ナナチが慰めるようにぽんぽんと肩を叩いた。
「腹減ってたんだもんな。オイラもさっきから腹の虫が鳴ってるぜ」
「僕も早く食べたい」
「ファプタも肉食いたい」
 鍋の四方を囲んで葉っぱが揺れ動く様子を揃って観察する。ときどき火に枯れ蔓を足し、細長く昇り立つ煙を避け、葉のすきまから出てくる湯気に混じるトコシエコウの実の香気を嗅ぎ、まんじりともせずにじりじりと待った。
 ファプタは落ち着きなく爪で地面をがりがり引っかいたり、しっぽを立てて伸びをしたりと過ごしていたが、リコの膝に寝転ぶように寄りかかって下から覗いた。
「まだそす?」
「もうちょっと」
 香ばしいふわふわが絡みついて、リコは遠慮なく耳のつけ根を撫でながら答える。ファプタは気持ちよさそうに眼を細めていたが、しばらくしてまた訊いた。
「まだそす?」
……もうちょっとだけ。お鍋がコトコトして、おうたを歌っているうちに出来上がるの。って、リーダーが昔云ってた」
 リコが待てないときの口実だったんだろうな。レグは察した。
 ファプタが興味を駆られたように首をかしげる。
「おうた歌うそす?」
「うむ。ナナチ、ハリヨマリのうたの続きを歌ってみてくれないだろうか」
「改まってなんて恥ずかしいに決まってんだろお」
「そんなことないよ! 私も一緒に歌うから!」
 軽く咳払いをして、リコがくつろいでいた姿勢を正す。ファプタをやさしく撫でる手は止めないままに、遠い記憶を呼び覚ますように、眼を閉じて身体を揺らしながら歌いはじめた。

 いつしか 岩つぶては
 尾をひく 焼けた鉄の雨となり
 氷を鎧う木々を
 雲へと変えてゆきます
 狭間の空に 首を伸ばした大きな亀が
 群れをなして
 こがねの空を仰いでいます

 ずいぶんゆったりした、眠りを誘うような民謡が洞に反響する。独唱は次第に二重唱となり、うたともつかぬ鼻歌がたまに音を外しながらも参加する。最後にすうすうと吐息が三人の耳に入って、顔を見合わせて同時にふにゃりとゆるく破顔した。リコの膝で丸くなっているファプタは心地よさそうに寝入っていた。
 鍋を下ろしてじっとり水滴を含んだ葉っぱを取り払うと、くたくたに煮込まれたサイノナと鮮やかなピンク色に変わったネリタンタン肉が姿を現した。肉の臭みはすっかり消えて、代わりにトコシエコウの香りとほのかな甘い匂いに包まれている。
「旨そうじゃねーかあ」
「バラコチャみたいな匂いもするな」
「もしもーし、ファプタ? できたよ。食べる?」
「食べる‼」
 バチッと音がしそうなほどに眼を開けたファプタが勢いよく飛び上がった。リコはくすくすと笑いながらおたまを手に取る。レグからうつわを受け取ってよそうと、興奮を抑えられない様子でしっぽをぱたぱた叩いているファプタに、一番で手渡した。
「お待たせしました。リコ蒸し焼きです」
「美味いそす!」
「こら、先にいただきますだろ」
「いただきますそす」
 まだ口に入っているというのに、覚えたてのさじをこぶしで握って、かっこむようにしてファプタが肉を頬張った。はふはふと湯気を立てながら、へにゃあととろけそうな笑みを浮かべる。
「なんというかこれは……! さっぱりしていて、甘みと旨味があふれてきて、美味い……!」
「バラコチャだけじゃなくて、他の木の実も食べてるのかな? 身体も小さいし、アマカガメとの共生関係がなくて、コロニー作って暮らしてるのかも。もしかして、寄生虫がより強い消化を促しているのかな。内臓解剖したらわかったかもだけど……
「ファプタがまるっと呑み込んでしまったな。見ろ、素晴らしい光景が並んでいる」
 ファプタは肉もサイノナもきれいに平らげて、うつわに顔をうずめるようにして底についた肉の脂の一滴までぺろぺろと舐めている。リコと目が合うと、「おかわり!」と満面の笑みで要求した。コリコリしたほほ肉が気に入ったらしく、牙が付いたままの筋の多い肉を舐めしゃぶってご満悦である。
 ナナチといえば、幸福をかみしめるようによく味わって一口ごとにため息をついている。背中の殻の内側のやわらかい肉は崩れやすくほろほろにほどけて、脂の染みたサイノナとよく合った。
「んなあまぁ――……
「ナナチもおかわりする?」
「あぁ! ……あ、いや、リコが腹減ってたんだろ。おめーがおかわりしとけ」
「私いっぱい食べてるよ? しっぽのとこ、もきゅもきゅしてて美味しいね」
「ファプタおかわり!」
「おめーさっきもおかわりしてなかったか?」
「僕はあまりお腹空いてないから食べてくれ。サイノナもいるか?」
「草要らない。肉欲しい」
「だーめ。お肉だけじゃなくて、おやさい食べないと大きくなれないよ」
「マェン……わかった」
 渋々ながら、リコの微笑みに当てられるようにしてファプタが神妙にうなずいた。いいこだねー、とまた白ふわの撫で撫でを堪能しているリコは嬉しそうで、ファプタもこうべを垂れて甘んじている。レグとナナチは視線を交差させる。
「なんか……リコにはやけに素直だな」
「レグが頼りねえからなんじゃねえの? お姫様、リコに盗られちまうぜ」
「僕は、二人が楽しそうならそれでいい」
 ナナチはゆっくりまばたきをした。羨ましそうに見ているくせに。そしてニヤッと口端を吊り上げた。
「んなぁ、そうだな。リコの飯、美味いもんな」
 ファプタはガッガッとさじで無心に食らっていたが、ふいに顔を上げてリコをつついた。
「なぁに? ファプタ」
「リコは腹いっぱいになったそす?」
「うん、お腹いっぱい。ネリタンタン獲ってきてくれて、ありがとね」
「ファプタすごいそす?」
 お日さまの光をたっぷり浴びた金色の目が期待するようにリコをうかがう。リコはめいっぱいの感情を込めて、大きく頷いた。
「うん、とってもすごい! ありがとう、ファプタのおかげで美味しいごはん食べれたよ!」

     *

 トコシエコウの花畑が一面にあった。真っ白な世界を彩る白い花弁とみずみずしい緑の葉が風もなくそよいでいる。その中央で、深緑の探窟服を着た、特徴的な帽子の女の子が振り返った。
「腹いっぱいで寝ちゃったのか? 六層もだいぶ歩いたもんな」
「えへへ……そうみたい」
 プルシュカはよしよしーっとお姉さんみたいにリコの頭を撫でてくれた。その手があったかくてくすぐったくて、リコはふにゃりと頬をほころばせる。
「リコはなんでも上手にお料理してすごいな。前に云ってたネリタンタンが食べれるなんて嬉しい!」
「うん、私もプルシュカに食べてみてほしかったの! でも六層のはちょっと違ってて、背中が甲羅みたいに硬くて、食料もバラコチャだけじゃなくて、虫を食べてるんじゃないかって思ってて……
 手振り身振りに思うままに流れるリコの話をプルシュカは興味深そうに相槌をうち、ときに驚いたように息を吞み、くすくすと楽しげに笑って続きをねだった。アマカガメがバラコチャの匂いでネリタンタンをおびき寄せて振動から口を開き、まるごと胃に落として溶かしてしまう話を終えて、プルシュカは眼をまるくした。
「へえ、じゃあアマカガメってやつもバラコチャの香りがしてうまいのかな?」
「どうだろう……? わかんないや」
「リコでも知らないことあるのね」
「そりゃあもう! アビスは不思議に満ちてるんだよ。だって六層にもネリタンタンがいること知らなかったし、それがバラコチャ以外のものを食べてるなんて、原生生物図鑑を一新間違いなしの大発見なのです!」
「白笛の偉業がまたとどろいちゃうな、こども卿!」
「それ、やっぱりなんとかならない……?」
「いいじゃん、こども卿。かわいくて」
 自慢げな笑みをこぼして、プルシュカは続ける。
「あたし、前は行動食四号ばっかり食べてたからさ。リコのお料理にはびっくりすることばかりで、うまいこといっぱい知れて、次はどんなごはんが食べられるんだろうってワクワクして。リコと冒険できてとっても楽しい!」
「私も。プルシュカと冒険できて嬉しいよ!」
 またね。プルシュカ。夢でしか出会えない友達。
 風に散るようにトコシエコウの花びらにまかれて、白笛がひとりとひとつ、残された。


(終)






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