何かのはじまりのはなし
@lianmiso
金曜日の夜、週末の訪れにささやかな祝い酒を交わすのが居酒屋の大半。
次の日の休みの開放感か机の上のジョッキが入るごとサラリーマンたちやOLの声のボリュームは徐々に大きくなっていく。アルコールに溺れ、水没したかのようだ。
少年が左耳を押さえ、顔を顰めた。居酒屋には不似合いな少年だったが誰も気にしている様子はない。まるで少年自体がいないように。
「うるさかったか。個室が取れればよかったのだが」
「いいや、壊れる音がした」
「壊れる音?乾杯の音じゃなくてか?」
ジョッキ片手に黒髪が首を傾げた。
「世界が壊れる音」
「君は耳がいいからな。元々の能力はそういった方だったか」
「壊れることは悪い事でしょうか」
銀髪が首を傾げる。
「時間だって進むごとに破壊されていくようなもの。1秒大利とも同じものはないのです。極端な話変化だって破壊じゃないですかぁ」
「可哀そうに。もう酔いが回っちまったのか。デザートももう頼んじまって」
「知ってるくせに。僕は甘味で酒を飲むのです。君が出汁で酒を飲むようにね」
無言で椀を口に寄せる。チェーン店の物にしては昆布出汁が良く効いている。
「ほら、野菜も食え、野菜も」
「理央、一応聞くがこれは取り分けただけだよな?」
理央と呼ばれた黒髪が目に見えて狼狽える。
「何のことだ?」
まるで椀に浮く魚型の麩のように目が泳ぐり
「ハイ、発見しましたぁ」
取り分けた皿から眼鏡を掛けた銀髪が乾燥ワカメのようなものを摘まみ上げた。
「理央」
「わ、私は君たちの体を思って…滋養の良いものをな」
「一口も食べていないのにトッピングを入れてんじゃねぇ。まず素材の味を楽しんでからだろうが」
「お、おう」
「そういう問題ですかねぇ」
居酒屋に悲鳴が響く。
3人から少し離れた席で人が倒れたのだ。
「やったな?雪宗」
「さあ、なんのことだか」
ギロリと少年が睨むのを涼しい笑顔で受け流し、雪宗はポテトを摘まみ上げた。銀髪がさらりと揺れる。
席を立ちあがりかけた理央ににっこりと笑いかける。
行かなくていいという意味だ。
渋々理央は浮かせた腰を降ろす。もう人が駆け寄ったので心配する必要もないだろうと無理やり納得させた。
「喰い合わせが悪かったり重度のアレルギーだとああいったこともある。人が飲み食いするものに勝手に食材を入れるな」
「でも、君は、君たちの寿命は」
「仕方ねえよ。治療法は見つかってねぇんだからな。やるべきことも終わった。潮時だ。役目を終えた奴は黙って去るのみ」
「僕も向こうで待っている人もいますしねぇ。変わらない物も終わらない物もこの世には何一つないんです。僕らがいい例でしょう。貴方も変わっていってる。」
無言で理央が右袖を捲る。赤黒い鎧に覆われているように見えるが彼女の体の一部である。理央は百足の力を宿していた。
「能力者ももう珍しくはない。能力も徐々に変化しています。僕らより今の子たちの方が使いやすいでしょう。体も世界に適応してきています。先ほどトッピングした食材も世間に受け入れるようになりますって」
雪宗と柳は同時に杯を煽る。
「そうだな。世界は変わっていくだろう。都合のいい部分は剥がれ、隠していた真実は徐々に明らかになる」
救急車を呼んだのはスマホ。数十年前は普及すらしていなかった。
支払いに電子マネーという選択肢はなかった。
人の足の小指は退化してきているらしい。それでも。
「それでも思いだけは変わらないと信じているよ」
「思い?ああ、恨みつらみか」
「よく酒が入ってないのにそんなこと言えますねぇ」
「真実だからだ。しかし、何を言っても無駄だな!?」
「酔っぱらいの戯言だろ」
「まだ私は飲んでないぞ!それに君らは何度言っても突っぱねるじゃないか!」
ーーー後は頼む。
担架で運ばれる男が微かに溢した言葉は泣きながら縋る部下に残された物だ。前よりも耳が良くなった。意識を集中させれば、あるいは協力者がいればこのくらいはできる。カサカサと机の上で赤黒い糸が蠢いた。
託すのも選択の一つ。
だったら、私もーーー
理央はジョッキを傾けた。