カルみと
シナリオネタバレあり
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額に当てた機械がピピッと電子音を鳴らす。
画面を覗き込んだニトとリトは映し出された文字に顔を顰めると、少し離れた場所で着替えをまとめていたアサギリに声を掛けた。
「レオー!カルマ熱39度もあるー!」
「やはりですか。」
ベッドに力なく横たわり荒い息を吐く縞斑は、火照った頬を心配するように撫でるリトの冷たい手のひらに薄目を開ける。
熱に浮かされて潤んだ翡翠の瞳を数度瞬かせた彼は、重たい腕をどうにか持ち上げると不安そうに寄り添う双子の頭を撫でた。
「うつす、から……ふたりはへや、」
「大丈夫かよカルマぁ!」
「私たちなんかより自分の心配しなさいよ…!」
弱った縞斑の姿を見てますます不安を抱えたふたりは、彼のそばから離れようとしない。
ちらりと縞斑の目配せを受けたアサギリは息を吐くと、そんな双子の背を部屋の外へ軽く押した。
「マスターの面倒は私が見ますので、お二人は休んでください。」
「でもレオ…」
「ボス大丈夫かしら…」
「ニトの診察ではただの風邪と出ていますし、こちらで面倒を見ますよ。」
心配そうに眉を寄せるふたりを宥めたアサギリは、彼らを扉の外まで見送ると縞斑の顔を覗き込む。
「ということなので、本日は安静にしていてくださいね。」
「わか、た…」
「スケジュールを確認して調整を行うので、一度部屋を離れます。すぐ戻りますので。」
「ん…」
熱に浮かされた思考と腫れた喉では声を出すのもやっとのようで、大人しくベッドに沈む縞斑の額に冷却シートを貼ったアサギリは立ち上がる。
ひとまず彼の体調不良に伴って方々の仕事の調整をしなければならない。ドロ課や現在贔屓にしてもらっている組織との情報共有の日程を改めようとアサギリは執務室へ向かった。
その背をぼんやりと眺めていた縞斑はふと、今日は神無と会う約束を交わしていた日であることを思い出す。
「あさぎ、ちゃ……けほッ、」
彼にも連絡をしてもらおうと呼び止めた縞斑だったが、通信を始めたアサギリの耳には届かなかったらしく扉が閉まってしまった。
ちらりと見上げた時計は、待ち合わせの時間まであと十分も残されていなかった。
このままでは神無を待たせてしまう、今日は会えないと連絡しなければ。そう慌ててのろのろと端末に手を伸ばした縞斑だったが、昨晩充電を怠ったせいで画面は沈黙したままだった。
「……かみな、ちゃ…ん、」
待ち合わせ場所でひとり不安げに恋人を待つ神無の姿を、夢をみるかのように縞斑は鮮明に脳裏に描く。
連絡をしても返ってこない端末を握りしめて、眉を寄せて俯くその肩が小刻みに震えた。
泣かないで。そう声にならない掠れた声で呟いた縞斑は、小さく息を吐いてゆっくりと瞼を開く。
ーーーー…。
「戻りました、マスター。ひとまず5日以内の予定は来週以降に………」
部屋に戻ったアサギリは、もぬけの殻となったベッドを前に言葉を失った。
持っていたバインダーをからりとその場に取り落としたアサギリは、すばやく部屋の中を見回すと縞斑が装備を何も持たずに出て行ったことを確かめる。
そのままアジト内の監視カメラにアクセスした彼は、数分前の映像によろよろとバイクに跨ってこの場を離れる縞斑の姿を見つけ出した。
「本当に手の掛かるマスターですね…!」
彼の顔色、バイクの向かう方角、思考する余裕もなく着の身着のままで飛び出した理由。
それら全ての情報から彼の向かう先を理解したアサギリは、思わず悪態をついてその場を駆け出すのだった。
※
重たい体を引きずってようやく辿り着いた神無の自宅は、しんと静まり返っていた。
殴られたように痛む頭を押さえた縞斑は、ずるずると壁を這って家の前まで辿り着く。
ポケットの中に奇跡的に入れたままにしていた合鍵で家を開けた縞斑は、薄暗い部屋の中へゆっくりと歩みを進めた。
「かみなちゃん……?」
どうやらまだ神無は待ち合わせ場所にいるらしく、家に帰っていないらしい。
時間から大幅に遅刻してしまったため諦めて帰っているだろうと踏んでいた縞斑は、慌てて待ち合わせ場所へ向かおうと踵を返す。
「ぅ……」
その瞬間、ぐわりと大きく頭が揺れて吐き気を覚えた縞斑はその場に蹲った。
心臓がどくどくと脈打って、熱い息をどれだけ吐いても体温が下がる気配はない。玄関の床がひんやりと熱を奪う感触を心地良いとすら思ってしまうのだから、おそらくさらに熱が上がったのだろう。
「いかなきゃ…」
呟いて両足に力を込めようとする縞斑だが、重たい体はここに来るまでに体力を使い果たしてしまったらしく全く動かなかった。
「…みな、ちゃ………」
壁に縋る腕が徐々に落ちていき、ついに彼は玄関に倒れたまま意識を手放してしまうのだった。
柔らかな指先が額に触れる感触を覚えた縞斑は、それまで閉じていた重たい瞼をゆっくり押し上げた。
「ぅ……」
意識を失う前よりも少しだけ痛みの和らいだ喉で小さく呻くと、触れていた手が息を呑んで引っ込んでしまう。
心地良かったその感触が名残惜しくて、思わずぼやける視界でその指先を辿れば、そこには眉を下げた恋人の姿があった。
「…かみ、な…ちゃん……?」
「……うん。おはよ、先輩。」
頷いた神無はサイドテーブルに置いてあった濡れタオルを固く絞ると、縞斑の額に滲んでいた汗をそっと拭う。
火照った体の温度をひんやりと奪うそれに小さく息を吐けば、意識がはっきりしているらしい縞斑の様子に神無が安堵の表情を浮かべた。
「つらくない?先輩、ひどい熱だったんだよ。」
「だいじょぶ……て、きもちよかった…」
素直にそう溢すと、タオルを置いた神無の手が再び縞斑の額に触れる。熱を確かめて汗で張り付く前髪をそっと退けた神無は、未だ状況が飲み込めない様子の縞斑に話し掛ける。
「アサギリから連絡来てびっくりした。先輩が熱あるのに、アジト抜け出して俺のとこに行ったと思うって。」
「…あー…あさぎりちゃん、れんらくしたんだ…」
「待ち合わせ場所でしばらく待ってたんだけど来ないから、もしかしてと思って家に帰ったんだけど……」
待ち合わせ場所でアサギリから通信を受けた神無は、縞斑が体調の悪いまま自分に会うためにアジトを抜け出したことを知った。
すぐにでも縞斑のことを探し回ろうとした神無だったが、無闇に動けば彼が自分のことを見つけられないかもしれないと考えて待機したのだ。
ところがどれだけ待っても待ち合わせ場所に縞斑は訪れず、道中で事故にあった可能性を考えてアジトまでの道を辿ったうえで、最後の望みをかけて自宅へ帰ったのだった。
「玄関に倒れてるの見つけた俺の身にもなってよ…先輩のばか。」
自宅の扉の鍵が開いていたとき、叫び出してしまいそうなほどの恐怖と不安で手が震えた。
扉を開けた先に蹲る縞斑を見つけたときのことは良く覚えていない。必死で名前を呼んだけれど返事はなく、どうにか彼の体を背負って部屋まで運ぶことが精一杯だった。
「…ごめん、」
「無事だったからいいけどさぁ…なんであんな無茶したの?」
父の姿と重ねてしまったらしい神無の血の気が失せた頬を撫でた縞斑が素直に謝れば、ふるりと首を横に振った神無は首を傾げる。
元々体力のある縞斑ならば安静にしていればここまで悪化することもなかったはずだ。体調が悪いという連絡を受けて、それでも会いたいと駄々を捏ねるほど神無はわがままな人間ではない。
まだ少し曖昧な意識のまま瞬きをした縞斑は、心配そうな表情を浮かべる神無を見上げて呟いた。
「…約束、したから…守らないと、」
「約束……?」
少し待って戻ってきたアサギリに連絡を任せていたならば、縞斑の体調が悪化することも、神無が不安を抱えて走り回ることもなかったのだろう。
そんな冷静な考えに至れないほど、その時の縞斑は神無との約束を守ることだけを考えていたのだ。
「かみなちゃんが、また泣いちゃう……」
事情を説明すればきっと、神無は縞斑のことを許してくれるだろう。
それでも約束を反故にされたと待ち合わせ場所でひとり神無が待っていた時間や、その時彼が抱いた寂しさや不安を取り戻すことはできないのだ。
目を丸く見開いて驚いていた神無は、やがて困ったように笑うと頬に触れていた縞斑の手を握り返した。
「俺のことガキだと思いすぎ。」
「ん…ごめんね、」
「もういいよ。それに、明日はアサギリが迎えにきてきつく叱るって言ってたから。」
「うへぇ……」
戻ったらベッドがもぬけの殻だったアサギリにも悪いことをしてしまった。有能な相棒の説教はどこまでも耳が痛いが、今回ばかりは全面的に自分が悪いため甘んじて受け入れようと縞斑は頷く。
話すうちにいくらか調子を取り戻したらしい縞斑に安心した神無は、ふとキッチンに昨晩作ったスープが残っていることを思い出した。
「先輩お腹すいてない?スープがあるから、ご飯入れてリゾットにでもすれば……」
今は少しでも体力を取り戻さなければ。そう考えてベッドを立ち上がり歩き出そうとした神無だったが、くんと裾を引かれてその動きがつんのめる。
「えっ、」
慌てた神無が背後を振り向くのと、自分の行動に心底驚いた様子の縞斑が裾を捕まえていた指先を解くのはほぼ同時のことだった。
「…ご、ごめん……」
「せんぱい…?」
「いや…ええと、移したら大変だから、俺はほっといて大丈夫だよ。」
慌てて謝った縞斑はらそう言って誤魔化すとシーツに手のひらを埋めて眉を下げる。
そんな彼の弱々しい笑みを見つめていた神無は、深いため息を吐いてベッドにぼすりと腰掛けた。
「…なんのためにアサギリのお迎え明日にしたと思ってんの?」
「…?」
神無の意図やアサギリの気遣いに全く気が付いていないらしい珍しく鈍感な縞斑と額を合わせた神無は、熱に潤む翡翠の瞳を覗き込んでそっと言い聞かせる。
「風邪ひいてるときくらい好きに甘えろよって意味だったんだけど。」
「…でも、」
「ほら。俺に何かして欲しいことないの?」
風邪を引いて体が弱っている間は、周りが自分をいつも以上に甘やかしてくれる特別な日だ。きまって与えられていた父や兄の温もりを思い出した神無は、自分がしてもらって嬉しいと感じたことを当たり前のように縞斑に与えるつもりでいた。
辛い過去に腐ることなく前を向いて、本当に良い子に育ったな。縞斑は回らない頭のままぼんやりとそう思った。
与えられた愛情を受け入れて、誰かに同じ愛情を注ぐことが出来るようになるまでに、一体どれほどの葛藤があったのか計り知れない。
「…たぶん、熱で明日になったら何も覚えてない……けど、」
「うん。」
「………そばにいてほしい。」
神無はきっと、自分なんかよりずっと強い。
瞬きをした拍子に熱に潤んだ目尻からこぼれ落ちた涙を、シーツに落ちる前に指で掬った神無が小さく笑う。
「いいよ。元気になるまでそばにいる。」
素直に甘えきれなかった縞斑が作った逃げ道を踏み荒らすことなく、神無はベッドに腰掛けたまま手を伸ばした。
眠る縞斑の頭を撫でた彼は、もう片方の手でシーツに隠していた縞斑の手を捕まえてきゅっと握る。
「………さすがにそれは恥ずかしいな。」
「あはは、誰も見てないしいいじゃん。」
「…恋人に見られてるだろ。」
「明日には忘れちゃうんだから、気にすることないんじゃない?」
「君は覚えてるだろうが………」
宥める神無にもごもごと文句を言っていた縞斑だが、やがてその穏やかな手のひらに導かれてうとうとと意識を曖昧にさせた。
微睡みに落ちる直前、確かめるように握った手を握り返した神無は、いつも父や兄がそうしてくれたように額にそっと口付ける。
「おやすみ、せんぱい。」
一回り以上も年下の彼に甘やかされていることが恥ずかしくて堪らないが、それに応じてくれる彼の優しさは忘れたくないと感じた。
我ながら身勝手だ。そう小さく笑って縞斑は目を閉じる。
次に目を覚ましたときは、どうか元気に恋人を抱きしめることができますように。
終