カルみと♀(先天性)
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
「神無ちゃんタオル忘れたでしょ。ここ置いとくか…ら……」
バスタオルを手にドロ課に隣接されたシャワー室の扉を開いた縞斑は、そこに広がる光景にはたと動きを止めた。
ひとりきりのシャワー室で、個室から出てタオルを探していたらしい裸の神無が弾かれたように顔をあげる。そんな彼の足元には、ドロ課で支給されたジャケットやシャツの上にさらしが畳んで置かれていた。
反射的に縞斑は、神無のふっくらとした胸元へ視線を持ち上げる。下心というよりそれは、動揺した縞斑なりの事実整理だったのかもしれない。
「ッ…!」
しかし、その僅かな視線の動きを感じ取った神無は真っ赤な顔でぱっと胸元を隠す。
悲鳴をどうにか飲み込んで、慌ててジャケットを引っ張り体を隠そうとする神無の表情は今にも泣き出してしまいそうだった。
そんな神無の振る舞いを唖然として見ていた縞斑は、ふと我に返ると手に持っていたタオルを近くの机にそっと置く。
「タオル、ここ置いとくからね。」
「ぁ…え……う、うん…」
一切話題に出すことなく、最初以降は体を直視することもなく、縞斑はそれだけ言って部屋を出て行った。
そんな彼の背を見送った神無は、まさか気付かれなかったのだろうかと首を傾げる。
しかしすぐに、観察眼に長けた刑事である縞斑が自分の性別を見破っていないはずがないと思い直して首を横に振った。
「なんで……」
何故自分が女であることに気がついても、縞斑は何も言わなかったのだろうか。
さらしを巻いて、男性用の制服に袖を通して、いつも通り部屋に戻った神無に対して彼は、変わらない笑みを浮かべて出迎えた。
男としてドロ課に登録されていた自分に対して、その後も縞斑は言及することがなかったのだ。
その先、例の事件が起こって縞斑がこのドロ課をアサギリと共に離れることになったあの日以降も、彼が神無の秘密を明かすことは決してなかった。
それは、協力関係を結んで時々仕事の終わりに顔を合わせて情報を提供し合うような仲になっても相変わらずだった。
だからある日の夜、帰り際の縞斑に神無は意を決して尋ねてみることにしたのだ。
「じゃあ、情報共有はこの辺りで…」
「……先輩さ、なんでずっと聞かないで黙っててくれるの?」
席を立とうとした縞斑に向かってそう口にすれば、中腰の姿勢でいた彼はきょとんと目を瞬いて首を傾げた。
「なにが?」
「なにって……先輩見ただろ、その…裸。」
「…あー……あのときのこと?」
ぎゅっと自分の肩を抱き寄せた神無が言いにくそうに俯けば、合点のいったらしい縞斑は納得した様子で頷き椅子に座り直す。
「なんでも何も、俺はこの仕事に女も男も関係ないと思ってるからかな。」
「関係ない…」
「そう。まぁでも『俺は』って言葉を入れなきゃいけない程度には、特にあの世界はまだ男尊女卑思想が強いからね。」
神無と同じように刑事として働いていた縞斑は男女で差別を行うつもりはないが、あの組織が未だ縦社会でかつ男を強者として捉える考えに囚われていることを知っていた。
加えて神無は黒田矢代の養子だ。神無が女性であることが広まれば、コネだ何だと根も葉もない話が激化するに違いない。
「神無ちゃんが公にしないかぎり、このことは墓場まで持ってくから安心しなよ。」
男としてあの組織に所属することは、ただでさえ生きづらい立場の中で神無が考えたひとつの生存手段なのだろう。
それを正しく理解していた縞斑は、神無が女性だと気がついた後も相棒にすら口にすることは決してなかった。
へらりといつものように笑う縞斑はきっと、神無がこの話題を重く捉えないように配慮しているのだ。胸に込み上げるものの存在に気づいた神無は、両手を強く握って俯いたままぽつりと口を開く。
「……ありがと、」
「どういたしまして…まぁ、お礼を言われるようなことでもないと俺は思うけどね。」
幼い頃は長い髪が好きだった。
金色の長い髪は神無にとって自慢で、父や兄も揃って綺麗だと褒めてくれた。
刑事になると決意したその日、神無は腰まで届くその髪を切り落としたのだ。
男のように髪を短く切って帰ってきた神無を見たふたりは、少しだけ寂しそうな表情を浮かべていたが、それでも神無の覚悟を汲んで似合っていると褒めてくれた。
口調を変えて、立ち振る舞いを変えた。アンドロイドすら精密検査を行わない限り自身の性別を見破れないほどその精度が上がったころ、神無は男として警察学校に入学したのだった。
今まで誰にも気付かれたことなどなかった。
そんな生き方だったから、恋人のひとりも出来なかったが、事件を追うためなら他のことなどどうでもよかった。
けれどその日、神無は『縞斑のことが好きだ』と自覚をしてしまったのだ。
それは案外、ずっと前から自分の中に抱いていた感情だったのかもしれない。それを仲間としての親愛だと言い聞かせて、今日まで自分を誤魔化していたのだろう。
そんなしなくてもいい自覚をした途端、神無が覚えた感情は絶望だった。
「…じゃあ先輩、おれ帰るね。」
「ん。外まで送るよ。」
「大丈夫だって!もうこの部屋から外までの道は覚えたから、ひとりで出れるよ!」
立ちあがろうとする縞斑にそう笑った神無は、そそくさと荷物をまとめて彼の部屋を飛び出す。
心配そうに首を傾げる縞斑に強引に手を振って別れを告げた神無は、薄暗い廊下をぱたぱたと走りながら細く息を吐いた。
「…勝ち目ないし……」
縞斑は心というひとりの少女のことを大切に思っていた。
それが恋慕だったのか、親愛だったのかまでは神無に分からなかったが、少なくとも縞斑には彼を想う可愛い女の子が居たことを、事件に共に立ち会った神無は良く知っている。
自分で決めて男として生きる覚悟をしたはずなのに、神無は縞斑に愛される彼女のことを妬んでしまったのだ。
「…さいってー……」
心はこの世界を守ってくれた恩人だ。
そうでなくとも彼女は、神無たちの父親の衝突に巻き込まれてしまった被害者で、そんな彼女のことを縞斑はずっと探し続けていたのに。
「合わせる顔ないじゃん、こんなの…」
羨ましいと一瞬でも思ってしまった自分の醜さに耐えられなくなった神無は、くしゃりと短い髪をかき混ぜてそう呟いた。
目の前で散った赤色と、やけに耳に残る肉の裂ける音に、神無は頭の中が真っ白になった。
「ぐ、……ッ」
小さな呻き声を漏らした縞斑が、斬りつけられた肩口を押さえてよろめく。押さえた手の隙間からぼたぼたと滴る血液に硬直して動けない神無に代わって、彼は手の中のサブマシンガンを敵のアンドロイドへ撃ち込んだ。
周りに敵の気配がなくなったことを確かめた縞斑は、小さく息を吐いてその場に倒れ込む。咄嗟に両手を伸ばして受け止めた神無は、彼の体を支えきれずにその場にへたり込んだ。
「せん…ぱい……っせんぱい!だらだらせんぱい!!やだ!!しっかりしてよ!!」
「マスター!!」
「神無!!」
神無の悲鳴を聞いてアサギリとディーノが駆け付ける。彼らに支えられて助け起こされた縞斑は、血の気が失せてぐったりと気を失っていた。
自分のせいだ。
息を呑んだ神無の両足から力が抜ける。
違法改造アンドロイドの密売組織の制圧は、やけになった組織の人間がアンドロイドを戦闘に引っ張り出したことで苛烈を極めることになった。
最前線に立っていた神無は、その最中で電子刀を扱うアンドロイドと対峙したのだ。
接近戦に特化して改造されたそのアンドロイドは中でも筋力が強化されていたらしく、鍔迫り合いになった神無は力負けしてしまった。
刀を弾かれ、投げ飛ばされた体が床に叩きつけられて、どうにか痛みを堪えて起き上がった神無の頬を刀が掠める。
見上げた無表情のまま刀を振り上げるアンドロイドに、過去のトラウマが重なってしまった神無は身動きが取れなくなってしまったのだ。
そんなとき、神無とアンドロイドの間に縞斑が割って入った。
神無の手を引いて攻撃を庇った縞斑は、自身の肩に刀が食い込むことも構わずに目の前のアンドロイドを破壊したのだ。
「おれ、が……おれのせいで…っやだ、いやだ!」
もしも自分が男だったなら、構わず相手を断ち切れていたのに。
サングラス型コンピュータが警告音を鳴らす。同時に心拍数の上昇を確認したディーノは慌てて神無の肩を揺さぶった。
「神無!落ち着いてください神無!!」
「せんぱい…!せんぱい!!」
「ディーノさん!神無さんも医療班へ連れて行きますよ!!」
「は、はいっ!」
取り乱す神無を抱えたディーノは、縞斑を背負うアサギリの後に続いてレミたちを中心に設置された医療班へ急いだ。
※
運び込まれた縞斑が目を覚ましたのは、その後医療班が手当を終えて間も無くのことだった。
処置が早かったおかげで命に別状はなく、傷が神経まで達する前にアンドロイドを倒すことができたため、大きな後遺症も残らないらしい。
「しばらくは安静になさってくださいね。」
「うん。ありがとうね、レミちゃん。」
ディーノとアサギリは現場の処理に駆り出され、テントの中には治療を終えた縞斑とレミ、そばから離れようとしなかった神無の姿しかない。
ちらりと俯く神無に目をやったレミは、テントに運ばれた時より心拍が落ち着いていることを確かめると口を開く。
「神無さん。他の患者さんを診ている間、神無さんに縞斑さんをお任せしても良いですか?」
「あ……う、うん。わかった。」
「ありがとうございます、何かありましたらすぐに呼んでくださいね。」
おずおずと頷いた神無に優しく微笑んだレミは、縞斑に一瞬目配せをして部屋を出て行った。
予想外に訪れてしまったふたりきりの空間に、神無は居た堪れない気持ちになって顔を伏せる。
あの日以降縞斑を出来る限り避けていたこともあって、気まずさのあまり今すぐ逃げ出してしまいたい神無だが、レミに頼まれた手前怪我をした縞斑を一人にするわけにもいかない。
「…神無ちゃん、顔見せて。」
縞斑の声に小さく肩を揺らした神無が俯いたまま顔をあげることは無かったが、伸ばした縞斑の指先が神無の頬に貼ったガーゼをそっと撫でる。
「レミちゃんに聞いたら…その傷、痕は残らないと思うってさ。…本当によかった。」
心底安堵した様子で呟いた縞斑の言葉に、神無は思わず目を見開いて顔を上げた。
慈しむように頬を撫でていた彼の指先が、驚かせてしまったことを小さく謝って引っ込められる。
「…っ、よくない、ぜんぜんよくない!」
「神無ちゃん……?」
「なんで俺のこと庇ったんだよ…!!」
斬撃を庇った縞斑は、アンドロイドの踏み込みがあと一歩深ければ命を落としていた。そうでなくとも、彼の狙撃があと一瞬でも遅ければ片腕が二度と動かなくなっていたかもしれない。
縞斑の怪我に比べたら神無の頬の傷など些細なものなのに、縞斑は自分よりも神無のことを優先しようとするのだ。
「…俺が…男だったら、」
「ーーー、」
「俺がもし、本当に男だったら…あいつに負けることも、先輩が怪我することだって…!俺が…っ女なんかに、生まれなければ…!!」
「神無ちゃん。」
鋭い声に言葉を遮られる。びくりと肩を揺らして顔を上げた神無は、眉を寄せた縞斑と視線を合わせた。
「…君まで女を卑下したらいけない。」
「ッ……でも、だって…!」
「大事な仲間に傷ついてほしくなかった…そんな理由じゃダメなの?」
縞斑はきっと、神無が男であろうと女であろうと顔に傷痕が残らないことを喜んでくれるのだろう。
他でもない神無自身が、誰より女であることに負い目を感じているのだ。素直なお礼一つ口にできないのだから、我ながらどこまでも可愛げがない。
こんな卑屈で我儘な自分が大嫌いで仕方ない神無は、じわりと滲んだ涙を両手で拭って首を横に振った。
「だめ…だめなんだ、いやなんだよ」
「…どうして?」
「……先輩のこと、もっと好きになっちゃうからいやなんだ。」
縞斑が驚いたように目を瞬く。宙を彷徨う彼の手の上に、ぱたぱたと神無の溢した涙が降り注いだ。
「嫌いになりたいのに、そうでなきゃならないのに……弱いと思われたくなくてこうなったくせに、先輩が男として俺のことを扱うのが苦しくてたまらない……」
縞斑が神無のことを男として扱うのは、神無の秘密を守ろうとする縞斑の優しさだった。
その気遣いに守られていながら、同時に神無は、まるで自分は恋愛の対象ではないと言われているように感じて苦しくなるのだ。
「お願い先輩、ひどいこと言ってよ…嫌いにならせて、」
自分でも何がしたいのか分からなくなってしまった神無は、くしゃくしゃと髪を掻きむしりながらそう懇願する。
最低限の手入れだけに切り替えて久しく、艶の減ってしまった金色の髪がぱさりと静かな部屋に乾いた音を立てた。
「…言わない。」
「なんでよぉ…っ」
「好きな子に嫌われたくないからね。」
ぱたりと落ちた涙を握り締めた縞斑は、意を決したように小さく息を吸って神無の手のひらに触れる。
両膝の上で強く握り締めていた白く冷たい指先をそっと握ってみせれば、その体温と彼の言葉がようやく結びついたらしい神無がゆるゆると顔を上げた。
「…いま、なんて……」
「あの偶然があったから、この想いは墓まで持ってくつもりでいたんだけど……堪らなくなった。」
縞斑はずっと前から神無に好意を寄せていたのだ。
いつか伝えるつもりで密かに育んでいた気持ちだったが、神無が女性であることを偶然知ってしまったその日に想いを殺そうと決めたのである。
現在の縞斑が神無に想いを伝えることは、神無のことを異性として見ているという強い裏切りとして捉えられかねなかった。
「俺が君に告白をすることは、今までの君の努力を踏み躙ることと同じだと思ってたから。」
「でも、…でも……だらだら先輩は、髪の長くて女の子らしい可愛い子が好みなんじゃないの…?」
「…ひょっとして、心ちゃんの話?」
呟いた縞斑がすっと目を細める。それを見た神無は怯えた表情を浮かべて言葉に悩むように視線を泳がせた。
あの事件で失った存在の話を蒸し返さないことは、これまでふたりの間では暗黙の了解だったのだ。
何が悪かったか、誰が悪かったかを今更突き詰めたところで、互いが傷つくだけだとふたりは分かっていた。
困った様子の神無を見上げていた縞斑は、ふっと小さく笑って握った手の甲を指で軽く叩きながら話す。
「確かに俺はあの子のことをとても大切に思ってたけど、恋愛感情とは少し違うかな。」
「……でも、」
「それに、そんな風に悩んでやきもちやいてる神無ちゃんは十分女の子らしくて可愛いと思うけどね。」
「な……っ」
可愛い、という言葉を誰かに向けられたのは一体何年振りだっただろうか。
昔は身だしなみにこだわる神無のことを父や兄も揃ってそう言ってくれていたが、髪を切ったあの日から気を使って口にすることもなかなった。
ぼっと音が聞こえてきそうなほど勢い良く赤く染まった神無の頬を撫でた縞斑は、くすくすと楽しげに笑いながら言葉を続ける。
「ねぇ神無ちゃん、好きだよ。」
「…それ、は……」
「これはずっと…君が女の子だと気づく前から思ってたことだ。だから、神無三十一という存在に惹かれたとも言える。」
互いに気持ちが同じなら、あとは神無が勇気を持って手を伸ばすだけだ。
握り返すことを躊躇う手のひらを取ったまま、縞斑はゆっくりと語りかける。
「君が今後も男として生きていくなら、そんな君を愛するまでだよ。」
「………、」
「神無ちゃんはどうしたい?」
縞斑は神無が男であろうと女であろうとどちらでも良いと告げる。どちらに進んでも、彼はその選択も含めて愛してくれると言うのだ。
そんなことを言われるとは夢にも思っていなかった神無は、おろおろと視線を彷徨わせてぽそりと小さく呟く。
「…正直、まだこわい。あの頃は事件が解決した後のことなんて…考えてもなかったから。」
「うん。」
「今更戻すのも…このまま生きるのも……どっちが正しいのか俺にはまだわかんない、」
自分が巻き込まれた事件の真相を知ることだけを考えて生きてきた神無は、それが終わった今自分の生き方が上手く定められていなかった。
自分の在り方に困ったとき、今までのように優しく背中を押してくれた父と兄はもう居ないのだ。
刑事としてキャリアを積むという進路は変わらないが、果たしてそれは現在の神無三十一の姿なのか、それともありのままの姿なのか神無には分からなかった。
「でも……先輩のこと、信じたいって願ってる。」
「…うん。その答えだけで十分だよ。」
嬉しそうに笑った縞斑が神無の手を緩く引く。その手に導かれるままに神無が身を屈めれば、彼は神無のことを痛む腕を持ち上げて抱き寄せた。
「これからどう生きていくか、一緒に探してみよう。どんな生き方を君が選んだとしても…俺は絶対に隣でそれを見届けるから。」
「…なんで、そこまで……」
「そりゃあ大好きだからね。」
一人では抱えきれない責任を共に背負って生きる約束をしてくれたあの日だけで十分だと自分を慰めていた神無に、縞斑は欲しい言葉を全て贈ってくれるのだ。
驚いて止まっていたはずの涙が再び溢れ出して、ぽたぽたと止めどなく縞斑の胸に滲む。
「…あり、がとう……ありがとう、せんぱい……」
「こちらこそ、ありがとね。」
神無の涙を拭って微笑んだ縞斑は、ようやく笑みを見せた神無の様子を見て安堵したらしく、麻酔の誘う強制的な眠気にようやく屈することにした。
ゆるゆると瞼を閉じた縞斑は重い唇を動かして、夢うつつのまま神無に向けて言葉を続ける。
「君の隣を…おれに、許してくれて。」
寝息を立て始めた縞斑のことを一度抱きしめた神無は、彼にシーツを掛けて隣に座った。
自分がどう生きても受け入れてくれる人がいることが、こんなにも心強いことだなんて神無は知らなかったのだ。
「おやすみ、先輩。」
彼が元気になったら、これからの話をしよう。
この数年間で混ざってしまった複雑な自分という存在も、彼と共になら紐解ける気がした。
終