【修学旅行で仲良くないグループに入りました:日常編】
マロリクでいただいた話:日置視点。高校生二年の文化祭よりあとのイメージ。
姉と出掛けた先で渡会とバッタリ会う日置の話。嫉妬したり、告白したり……。渡会は日置の身内に対してはガチ。
@RcNfe37
「あっくん。それ、車に乗せて来てくれない?」
「えー……また?てか、お腹すいた」
「あとちょっと頑張って」
そう言って若葉は小さなショルダーバッグから車の鍵を取り出した。括り付けられた今話題の"ちびかわ"のキーホルダーがゆらゆらと目の前で揺れる。どうやら俺が荷物を置きに行くことは確定らしい。拒否権のない末弟の俺は両手いっぱいにぶら下げている紙袋の音を立てて鍵を受け取った。
駐車場の方向へ目を向けると、もう一人の姉、美波が通行人を避けながらこちらへ駆けて来た。腕にはまた新しい紙袋がぶら下がっている。
「あっちに気になってたお店あるんだけど行って来ていい?」
「あ、私も行きたい〜!」
「どこ、それ」
「えっとねー…………ここ」
スマホで敷地内マップを拡大した美波は、ある一箇所を指差した。ブロック分けされているエリアCと記された場所。駐車場から一番遠い。
これはなにか報酬が無いとやっていられない。
「……これ置いてくるけど、そっち向かう途中で飲み物買っていい?」
手にしているほとんど姉の荷物を掲げると、二人はグッと親指を立てた。
「もちろん、好きなの買ってきな〜。あとこれも持って行って」
「途中にキッチンカーもあるらしいからそこ寄ってみなよ」
二人は財布を取り出すと、勝手に俺のバッグポケットを開け、何枚かの紙幣を突っ込んできた。美波はどさくさに紛れて先程買ったばかりの紙袋を握らせてくる。
「じゃあ気を付けてね〜」
「……行ってきます」
姉に背を向けると二人とは逆方向の駐車場へ足を向けた。
それにしてもすごい人の数だ。注意を払っていなければぶつかってしまうほどに人がごった返している。
自宅から車で1時間と少し。今冬オープンしたアウトレットは予想以上の反響だった。道路は激混みで、それだけでもストレスなのに駐車場は空いている場所が見当たらない。結局、入場口から離れたところに停めた。
「あれ……どこだっけ」
なんとなく歩いてきてしまったが、車をどこに停めたか曖昧である。
近くにカート置くところなんかあったっけとか、横断歩道渡った気がするとか、そんな頼りない記憶を辿って駐車場を歩き回った。
「あ、あった」
可愛らしいフォルムのムーヴキャンバスを目に留めると解錠しながら駆け寄った。
荷物を押し込むと軽く肩を回す。トランクを閉めると同時に、酷使した肩はパキッと音を鳴らした。
「(何飲もうかな)」
カチャカチャと鍵を鳴らしながら、売店にありそうな飲み物を思い浮かべた。寒いし暖かいものを、と思っていたが動き回ったせいで冷たいものが飲みたくなった気がする。
余所見をしながら人の波に従って歩いていると、急に手の中にあった質量が消えた。
「(あっ!ちびかわ……!)」
手で弄んでいた鍵は指の隙間から滑り落ち、地面に転がった。運が悪いことに、落ちたところをカツンと蹴られ、さらに遠くへ投げ出される。
まずいまずいまずい。汚れてしまっては若葉に怒られてしまう。
通行人の靴にぶつかった鍵に手を伸ばすと、先に薄汚れたちびかわが宙に浮いた。
「すみません、それ俺の…………」
鍵を拾ってくれた人物を見上げれば目を開いたまま固まってしまった。目の前の彼も同じだったようで目をパチクリと瞬く。けれど、すぐにふわりと微笑むと手に持っていた鍵を差し出してきた。
「日置も来てたんだ」
「うん……なんか、すごい偶然だね」
「嫌だった?」
「嫌じゃない。嬉しい」
友達と会う可能性は想定していたけど、まさか渡会と遭遇するとは。素直に笑みを浮かべると、渡会も嬉しそうに頬を緩めた。
いまいち現実味の湧かない状況のまま、手元の鍵を見つめる。普通に汚れていた。屋外の地面をスライディングしたのだから当たり前だけど。
「それ車の鍵だよね?親と来てるの?」
顔を上げれば渡会は笑顔を浮かべたままこちらを見下ろしていた。
出会って8ヶ月。告白されてから4ヶ月。好きと自覚してから1ヶ月。なんとなく渡会の考えていることは分かってきた。この笑顔は「まさか、俺が知らない人と来てるわけじゃないよね?」の圧を混ぜた笑顔だ。
何か誤解を生みかけているようなので汚れを払うように鍵を振った。
「親じゃなくて。これは若葉の──」
「誰?」
「え?…………あっ、ね、姉さんたちと来てて、三人で……!」
恥ずい。いつも友達といる時は気を付けているのに。気が抜けていつもの呼び方で伝えてしまった。
顔に熱を集めながら慌てて訂正すると渡会は安心したようにゆっくり頷いた。
「そうなんだ」
「渡会は?誰かと来てるの?」
「ううん、一人」
「嘘だ」
「嘘じゃない……てか、ここだと邪魔になるから移動しない?お姉さんたちどこいるの?」
俺の疑いの目はやんわりと躱されてしまった。
腕を引かれ、人の行き交う通りから綺麗に手入れされた街路樹が並ぶ道端へ移動する。
「姉さんたちはCエリアのお店いるって」
「そうなんだ」
「…………あのさ、本当に一人で来たの?待たせてたら悪いし俺のことは」
「本当だよ。どうしたら信じてくれる?……あ、チャット画面全部見せようか?誰とも今日の約束してないから」
「いや、ごめん。そこまでしなくて大丈夫」
スマホを取り出そうとする渡会に慌てて首を振る。
どうやら本当に一人で来たらしい。ここはブランドの店も多くて高校生が一人で来るようなところではないような……まぁ、渡会ならあり得なくもないか。存在がお洒落だし。
「Cエリアだっけ?俺も途中まで着いて行っていい?」
「うん。途中までじゃなくてもいいけど」
「そう?」
渡会は嬉しそうに微笑むと慣れた足取りで歩き始めた。その隣に並ぶと人波を躱しながら端正な横顔を見上げた。
「マップとか見なくていいの?」
「うん。目印あるからそんなに迷わないよ」
「え、そうなんだ」
伸ばされた指先を辿ればたしかに街頭にアルファベットと矢印の標札が備え付けられていた。なんで今まで気付かなかったのだろう。
標札から顔を戻せばバチッと渡会と視線が交わった。
「なに?」
「なんか、デートみたいだね」
「デ…………そ、そうだね」
彼の甘い眼差しに耐えられず顔を逸らすと、若葉が言っていたキッチンカーが目に入った。飲み物だけでなく軽食も売っているらしいそこには子連れやカップルが何組か並んでいた。
「あそこで飲み物買っていい?」
「うん」
最後尾に並ぶと背伸びをして順番を数える。1、2、3……6組目か。まぁ、すぐ回って来るだろう。
姉二人から雑に突っ込まれた紙幣を取り出して皺を飛ばすと丁寧に財布へしまった。
「渡会もなにか買う?奢るよ」
「ううん、俺は大丈夫」
「姉さんのお金だから遠慮しなくても」
「余計遠慮するんだけど」
渡会は眉を下げて笑うと、話題を変えるように手元の紙袋へ目を向けた。つられて自分の目線も紙袋へ移る。上品なロゴの入ったそれは渡会の手元でふらふらと揺れていた。
「今日、母さんに買い物頼まれたんだよ」
「へぇ、セール品とか?」
「よく分かんないけど、数量限定のものらしい。午前中で売り切れちゃうんだって」
「それで駆り出されたんだ」
「うん。パートで行けないからって朝早く叩き起こされた」
「それは……お疲れ」
「まぁ、日置に会えたから良かったけど」
「……うん」
息をするように口説いてくる渡会に慣れたと思いつつもやはり恥ずかしい。逃げるようにメニューへ視線を投げると「そういえば」と呟いた。
「紡希くんは来なかったの?」
「紡希?……あぁ、行きたいとは言ってたけど。並ぶのすぐ飽きるから連れてこなかった」
「そっか。1年生にはちょっと退屈かもね」
メニュー表から目線をずらすと、大きな広場が目についた。小さな子供たちがボールで遊んだり、シャボン玉で遊んでいる。
「今度、紡希くんも一緒に室内アスレチックあるとこ行こうよ。知ってる?隣の市にある──」
そう言って隣を見上げれば、曇った表情の渡会が映る。
あれ、変なこと言っちゃったかな。運動会を見た限り紡希くんは運動が苦手そうには見えなかったけど。
「ごめん、……ダメだった?」
「ダメっていうか」
「な、なに」
「…………紡希より俺と遊んでほしいんだけど」
「え…………」
嫉妬剥き出しの渡会に口を開いたまま固まってしまう。実の弟も嫉妬対象に入っている驚きと、そこまで自分にガチな嬉しさで変な感情が渦巻く。
「お次のお客様、お待たせいたしました〜!」
いつの間にか周りの音を遮断していた耳に店員の声だけが響いた。ワンテンポ遅れて自分の番だと気付くと、慌ててカウンターへ駆け寄った。
「あの、えっと、アップルティーを1つお願いします」
「かしこまりました。アイスとホットどちらになさいますか?」
「アイしゅ………………アイスで」
噛んでしまった。恥ずかしさに頬を染めると、店員のお姉さんはにこやかな笑顔を浮かべた。それが居た堪れず財布を取り出す名目で顔を伏せた。
会計を済ませて、渡会の元へ戻るとアップルティーを一口含んだ。
「冷たい」
「なんでアイスにしたの?あぁ、間違えた。アイしゅ」
わざわざ言い直してくる渡会を見上げるとニコリと微笑まれる。自分だってついさっきまで弟に嫉妬して臍を曲げていたくせに。俺も揶揄ってやれば良かった、なんて思いながら容器の水滴を拭った。
「さっき動き回ったから暑くて」
「ふーん、そういえば一人で何してたの?」
「姉さんたちの荷物置きに行ってた。末っ子の宿命」
ははっ、と乾いた笑いを溢す。きっと再開した時にはまた腕に大量の紙袋をぶら下げているのだろう。ぎっちり並んだ店の前を通り過ぎながら溜め息を吐くと、渡会は「あのさ」と珍しく自信なさそうにこちらの顔を窺ってきた。
「……お姉さんの名前、聞いてもいい?」
「え、なんで?」
「知っておきたくて。日置の家族だし」
真剣な表情の渡会に、喉を通りかけたアップルティーが気管へ迷い込みそうになった。けほっ、と咳き込むとまだ緊張した面持ちの渡会を見上げる。
「そんな、マジにならなくても……」
「マジになってない……てか、どうやって聞けばいいか分かんないし……歳上だから気遣うだろ」
渡会は焦った表情を見せたかと思えば、ピタリと足を止めた。続いて中途半端に足を踏み出した状態で固まる。
「な、なに?」
「着いたよ」
「あ、ほんとだ」
渡会の指差した先の標札を確認すると、たしかにCの文字が見えた。
冷たくなった手でスマホを取り出すと姉とのグループチャットを開いた。
「名前だけど……一番上が美波で、二番目が若葉」
「そうなんだ。朝陽と同じで綺麗な名前だね」
「………………ありがと」
むず痒い気持ちにアップルティーを口に含むと甘酸っぱい味が広がった。
目印になりそうな店の名前を送信して顔を上げると、渡会は駅へ繋がる通路の奥を見つめていた。
「そろそろ、帰ろうかな」
「え、帰っちゃうの?」
「うん。お邪魔しても悪いし」
「全然いいのに……」
とは言っても、他人の家族と一緒にいるのも気まずいか。渡会にとっては未知な存在が二人もいるわけだし、寂しいけど無理に引き留めるわけにもいかない。
「それじゃあ、また……課題って数学と英語だけだよね?」
「うん。英語は小テストもあった気がする、単語の」
「あぁ、忘れてた。再テストにならないといいけど」
「大丈夫だよ。てか日置が再テストになってるの見たことない」
「直前に頑張って頭に叩き込んでるからね」
お互い別れの言葉が言えずにダラダラと会話を繋げた。
もう少し、あと少しだけ。頭の中で次の言葉を捻り出そうとすると、聞き慣れた声が俺たちの間を割って入った。
「いたいた。ひーく…………………………ん?」
振り返れば、渡会を見上げて固まっている美波と若葉。二人とも、予想通り腕に紙袋を下げている。
「こんにちは。たまたま日お……朝陽君と会ったので一緒に話してました。お邪魔してすみません」
渡会はいつも通り爽やかな笑顔を浮かべるとペコッと頭を下げた。
固まったままの二人は目を瞬くとやっと現実を受け止められたようで、赤べこのように何度もお辞儀を繰り返した。
「こんにちは……!いつも弟がお世話になってます……!」
「すみません、こんなラフな格好で……!」
二人は愛想笑いを浮かべて、紙袋を背中へと隠した。目線で「何で教えてくれなかったの」と圧をかけられたが気付かないフリをして話題を逸らした。
「お腹空きすぎて死にそうなんだけど」
「うん、待たせてごめん。あ、渡会くんもよかったら一緒にお昼どう?」
美波は腕時計を一瞥すると、渡会を見上げて笑顔を浮かべた。
隣を見上げると、渡会は申し訳無さそうにこちらを窺ってきた。本当は断りやすいようにフォローを入れるべきなのだろうけど、俺は素直に気持ちを口にした。
「時間大丈夫なら俺も一緒に食べた───」
「行きます」
先程の躊躇いは演技だったかのように渡会はニコリと姉二人に笑顔を向けた。
「やった〜、じゃあ行こっか」
「イタリアンでもいいかな?」
「えっ、車の中で『肉食べないと人生やっていけない』って言ってたじゃん。俺、肉の気分だったのに」
「…………お黙り」
美波に小声で釘を刺され口を噤む。
残念。ステーキとかハンバーグの気分だったのに。母さんに頼んで夕食は肉料理にしてもらおう。一人そんなことを思っていると隣を歩いていた渡会がスッと前を歩く姉の横に並んだ。
「荷物、持ちますよ」
「え?!い、いいのいいの!自分で買ったものだから」
「そうそう!重いわけじゃないし」
「いえ、お昼誘っていただいたのでせめて荷物持たせてください」
流れるように持っている紙袋を全て掻っ攫う渡会に、惚れ惚れとした視線を送る二人。色々聞き捨てならない言葉も聞こえたが、戻ってきた渡会を見上げて手を差し出した。
「ごめん。持つよ」
「いや、俺が持ちたかっただけだから……あのさ、お姉さんいる時は名前で呼んでいいよね?朝陽って」
「あ…………うん」
慣れない呼び方にぎこちなく頷くと、渡会も気恥ずかしそうに笑った。また、まんまと話題を逸らされたことにも気付かず目的のお店に着くと美味しそうな匂いがその場を包んだ。
「名前書いてくるからちょっと待ってて」
美波はそう言うと店の入り口へと向かった。
残された三人の間に微妙な沈黙が流れる。
こういう状況は苦手だ。共通の知り合いに当たる人物が自分になった時、何を話せばいいか分からない。まだ、辻谷たちなら同級生だから共通の話題があるし、あいつらは勝手に喋り出すからラクだけど、姉となるとそうはいかない。
「お休みの日はよく三人で出掛けるんですか?」
黙り込む俺を他所に、沈黙を割いた渡会は人当たりの良い笑みを若葉に向けた。暗雲から覗く希望の光のような彼に手を合わせたくなる。
若葉は渡会の笑みに照れながらもコクリと頷いた。
「うん。今日みたいに買い物付き合ってもらったり、逆にあっくんが行きたいとこに車出したり……」
「へぇ、素敵ですね。俺は姉も妹もいないのであまり想像がつかなくて」
「あぁ、そっか!渡会くんは男兄弟だもんね」
「歳が離れてるので、兄弟というより園児と先生の気分ですけど」
「あ〜、分かる!歳離れてるとついつい余計な面倒見ちゃうよね」
なんか、心配なさそうなくらい距離が縮み始めている。女子に関心がないイメージだったけど、歳上は違うのかな。ま、でも渡会は大人っぽいし若葉は子供っぽいから精神年齢が同じになっているのかも。
相槌を打ちながら自己完結すると、美波がメニューを抱えて戻ってきた。
「多分すぐ呼ばれると思う。先に何頼むか決めちゃお」
普段見かけないような横文字の並ぶメニューに「これなに?」と質問が飛び交う。
スマホで調べたり写真をじっくり眺めたり、色々悩んだ末に全員が決め終えると、店員に注文を終えた美波が首を傾げた。
「さっき、何話してたの?」
面白いエピソードを期待してる美波に、若葉は大したことじゃないと言うように首を振った。
「よく三人で出掛けるのか〜とか、歳の離れてる兄弟って手焼いちゃうよね〜って」
「あーね。渡会くんは紡希くんと何歳離れてるんだっけ?」
「10歳です」
「10か〜、あんなに可愛いとつきっきりで面倒見そう」
美波は文化祭で会った紡希君を思い出したのか頬を染めながらウンウンと頷いた。
そんな姉の様子を横目に渡会は首を傾げた。
「美波さんと若葉さんは、働かれてるんですか?」
「みなちゃんは働いてるけど、あたしは今大学4年だよ〜」
「じゃあ、来年から社会人なんですね」
「そー!やっと就活も終わって……あっ、これご褒美で自分に買ったブレスレットなの。このデザインが可愛くて」
見て見てと渡会に伸ばされた細い手首。
その光景を眺めていると無意識に手が伸びた。パシッとブレスレットを巻き込んで細い手首を掴む自分の手。
「え、どしたの?」
手を掴まれた若葉は目を丸くして俺を見つめた。話に聞き入っていた美波も、そして隣に立つ渡会も同様に呆気に取られている。
そんな中、1番驚いていたのは自分だった。なぜ若葉の手を掴んだのか分からない。
「……前、進んだから」
思ったより不機嫌な声だった。若葉の手首を離すと、誤解されないように笑顔を作った。そこへ、変な空気を断ち切るように店員の声が俺たちを呼んだ。姉二人は首を傾げつつも店員の背中に続いた。
店内へ入ると、見晴らしの良いガラス張りに面した席へ通された。綺麗に整えられた店の屋根や街路樹はアートと言われても不思議ではない。
ぼけっと外を眺めていると、姉の声が耳に届いた。
「ちょっと私たち化粧室行ってくるね」
「料理来たら先食べてていいよ〜」
そう言い残すと二人は奥の通路へと消えていった。
久しぶりに訪れた解放感にホッと息を吐くと、上着を荷物置きのボックスに入れて席についた。
ずっと立っていたからか座ると同時にドッと疲れが体にのしかかる。
「もう歩きたくない……」
「あとどれくらい回る予定なの?」
「分かんない。姉さんの気分次第」
「そっか」
そう答えた渡会は機嫌良さそうな笑みを浮かべていた。
そんなに姉との会話が楽しかったのだろうか。僅かに眉を顰めるとまた渡会は顔を綻ばせた。その反応にさらに眉間に皺が寄る。
「なに……そんなに楽しいの?」
「楽しいのは楽しいけど、今は嬉しいほうが強いかも」
「なんで?」
首を傾げると、ちょうどトレーの上に水の入ったグラスと湯気が立ち昇るパスタを乗せた店員がやってきた。グラスとお皿を綺麗にテーブルに並べると、丁寧に頭を下げて厨房へ向かう。その背中を見送ると、話の続きを促すように渡会のシャツを引っ張った。
グラスに向けられていた瞳が俺を映すと、砂糖のようにどろりと溶けた気がした。
「さっきお姉さんの手掴んだの、なんで?」
「え……」
困惑する俺などお構いなしに、スッと長い指が俺の指に絡まる。机の下だから見えないとでも思っているのだろうか。
お互いの体温が混じり合って徐々に指先から熱を帯びた。振り解こうとするも絡み合った手は簡単に解けない。
「俺に嫉妬したの?」
「…………それは、ない」
「へぇ、じゃあお姉さんに嫉妬したの?」
今日一番嬉しそうな笑みだった。距離を縮めて顔を覗き込んでくる渡会を、繋がれていない右手で押し返す。
「……わ、分かんない」
「ふーん」
渡会は残念そうなフリをして目を逸らすとグラスへ手を伸ばした。もちろん、左手は繋がれたまま。まさか、姉さんたちが戻って来てもこのままのつもりなんだろうか。
内心冷や汗を垂れ流しているとタイミング悪く姉二人が戻って来た。化粧直しバッチリな二人だったが、そんなことはどうでもいい。
強めに腕を引くと、意外にもすんなり手が解かれた。渡会を見れば意地悪気に口端が上がる。遊ばれていたことに気がつくとグッと唇を噛んだ。
「あ、ひーくん。顔、気を付けなよ」
「そうだよ。顔面国宝に失礼でしょ」
なんの事情も知らない姉たちは二人揃って俺に非難の声を注ぐ。
弁解するのも面倒で、「ごめん」と謝るとフォークを手に取った。それを合図に食事が始まった。
*
普段なら女子との会話なんて必要最低限しか交わさないのに。
食事中も相変わらず姉との距離を着実に縮めているいつになく積極的な渡会と、機嫌良く会話を弾ませる姉を交互に見て追加注文したオレンジジュースをズコッと吸い込む。空になったお皿にスプーンを転がすと、目の前に座る若葉のパフェに狙いを定めた。
「上のアイス少しちょうだい」
「えー?さっきプリン食べてたじゃん」
「お願い」
「……仕方ないな〜」
若葉は諦めたように息を吐くと、スッとグラスを寄越した。パフェ用のスプーンを手に取ると淡いピンクのアイスを掬う。口に含めば甘酸っぱいイチゴの香りが広がった。
「俺のも食べる?」
「え、いいの?」
「うん」
「じゃあちょっと貰う。ありがとう」
隣から差し出されたティラミスを一瞥すると、思わず笑みが溢れた。渡会も嬉しそうに頬を緩めると「いっぱい取っていいよ」と大きめのスプーンを手渡してくれた。層ができるくらいの量を掬うと、かつてプリンが鎮座していたお皿へ乗せる。
「渡会くん、うちのカービィがごめん」
「無理にあげなくていいんだよ」
一連のやり取りを見ていた美波と若葉は申し訳無さそうに眉を下げた。
「いえ、美味しそうに食べてるとこが好きなので大丈夫です」
「「「……え?」」」
動揺で落としそうになったスプーンを慌てて両手で握る。
まさか姉の前で惚気るとは思わず耳が熱くなるのを感じる。恐る恐る顔を上げれば、ポカンと口を開けて固まる美波と、頬を赤く染めて口元に手を当てる若葉が映った。
「そういえば、ずっと気になってたんですけど」
綺麗にウェットシートを畳んだ渡会は何事も無かったかのように会話を続けた。なぜ、そのテンションでいけるのか。
恥ずかしさ半分、呆れ半分で渡会を見つめていると不意に視線が交わった。俺に目線を寄越した渡会につられて美波と若葉もこちらに注目する。急に視線の集まった俺はスプーンを握りしめたまま「な、なに」と背もたれ限界まで後ずさった。
渡会は狼狽える俺に微笑むとまた姉二人へ視線を戻した。
「朝陽の名前。なんで『ひーくん』と『あっくん』で分けてるんですか?」
なんだ、そんなことか。
また、とんでもない発言をされると思った。ドコドコと鳴り続ける心臓を宥めるように胸に手を当てた。姉二人も同じ気持ちだったようで、肩の力を抜くように息を吐いていた。
「呼び方か〜、なんでだっけ?」
「別に深い意味は無かった気がする」
美波と若葉は記憶を遡るようにステンドグラスの並ぶ天井へと目を向け、「どこから話そうかな〜」と呟いた。
俺はというと未だ音を鳴らし続ける心臓を落ち着けるように残り少ない水を飲み干した。心に修行僧を召喚すると無心でスプーンをティラミスに突き刺す。それと同時に若葉が口を開いた。
「幼児って自分の名前を認識すると、呼ぶたびに反応するでしょ?」
「はい。可愛いですよね」
「そうそう〜、その反応が可愛かったからずっと名前呼んでたんだけど、どっちも『あさひ』だと私とみなちゃんのどっちに反応したのか分かんなくて、それで呼び方分けたの。でも、それだけ……あ、そうだ!」
若葉は声を上げると急にスマホを取り出した。カタカタとネイルの音を弾ませながら画面を叩く若葉を見て嫌な予感が体に走る。
「画質ガサガサだけど、その当時の動画daylogに載せてて〜……あ、ちょっとだけ音上げるね」
若葉がスマホをテーブルの真ん中に置くと、キャハキャハと幼児の笑い声が小さく聞こえた。
恐る恐る画面を覗くと、そこには小学生の美波と幼稚園児の若葉、そしてマットレスに寝っ転がる幼児の俺が映っていた。
『ひーくん!ひーくん、こっち!みなのとこおいでー!』
『あっくん!わかはのとこおいで!』
いつの間にか心に召喚したはずの修行僧は裸足で駆け出していた。
こんなところでホームビデオ鑑賞会を開かれてたまるかと動画を消そうと腕を伸ばすも、その手は隣の渡会に掴まれた。
「……お願い。これは本当に無理」
「ごめん、見たい」
まだ揶揄われていたほうがマシだった。茶化すような面影を一切感じられない表情が逆に怖い。真剣な眼差しを画面に戻した渡会に手を握られたまま、たまに聞こえてくる『あうー』と鳴く幼き自分の声に耳が熱くなる。
『あー、ひーくんママのとこ行っちゃった』
『あっくん、ママのポンポンかえりたいの〜?』
できれば今すぐ家に帰りたい。
なるべく視界に映さないそうに目を泳がせていると、やっと動画が終わったようでカタンとスマホを持ち上げる音が聞こえた。
「まぁ、こんな感じで呼び方が定着したんだよね」
若葉が「あはは」と声を上げて笑うが、全然笑い事では無い。
腹いせにパフェを全部食べてやろうか。繋がれている手を離してもらうべく渡会を見上げるとそのタイミングで手が解けた。
「あの、若葉さんフォローしてもいいですか?」
「え……私の人生を……?」
そんなわけないだろ。一人ときめく若葉に呆れていると、先に渡会が申し訳無さそうに笑った。
「俺に出来ることであれば喜んでお手伝いしますが……daylogのアカウントもフォローして大丈夫ですか?」
「あっ、そうだよね、ごめんごめん!もちろん、どうぞ!」
若葉は慌てて画面を叩くとQRコードを表示させた。目の前で交わされるやり取りを目で追っていると、向かい側に座る美波と目が合う。何か言いたげな視線に目を逸らそうとするが、それは先に拒まれてしまった。
「やっぱり不思議なんだけど、どうやって渡会くんと友達になったの?」
「……どうって言われても」
「席近かったとか?」
「ううん」
「部活一緒とか?」
「違う」
ことごとく首を振る俺に美波は怪訝そうな表情を浮かべた。
溶けるほど柔らかいティラミスを口に含むと、渡会と出会った時の記憶を掘り起こす。
「最初は堀田が修学旅行のグループに誘ってくれて、そこで知り合った」
「ふーん……ん?誘ってくれた?ひーくん余ってたの?」
「あー、そうだ!仲良い子いないって新学期初日泣いてたよね」
「な、泣いてないよ……!」
若葉がポンと手を叩いて語弊を招くようなことを言うので慌てて首を振った。
美波は探偵のように顎に手を当てると、感嘆の息を漏らした。
「てことは、渡会くんと初めましてで修学旅行行ったの?最近の高校生すごいね」
「今更だけど迷惑かけてなかった?」
「あ、ちょっ……まだ食べたいのに」
若葉にパフェを奪われ、取り返すために伸ばした手をペチンと叩かれた。下のフレークも食べたかったのに。
大人しく、ティラミスを掬うと隣の渡会が小さく笑いを溢した。
「迷惑とかは全然なかったですよ」
「でも大人数だと全然喋んないでしょ?」
「俺も同じタイプなので気にしてませんでした。それに、打ち解けたら結構話してくれましたし」
「勝手にフラフラ行動してなかった?」
「それは……俺が目を離さなかったので大丈夫でした」
なんだか三者面談をしている気分だった。俺の無能さと渡会の有能さが浮き彫りになって恥ずかしい。
「渡会くんみたいなしっかりした子が友達だと助かるな〜」
「ひーくんのことよろしくね」
「はい、一生大事にします」
渡会は姉二人ではなく、なぜか俺を見つめたままそう言った。
なに?なんで?渡会は俺をどうしたいの?羞恥心で人を殺す実験でもしてる?
全身の熱を顔に集めて混乱する俺と同じく姉も軽くパニックになっていた。
「ちょっと待って、今『一生大事にします』って聞こえたけど?」
「いや『一生大事にします』って言ってたよ?」
「先外出てる」
残りのティラミスを飲み込むと耐えきれずに席を立った。こんなとこにずっといたら心臓がいくらあっても足りない。
上着を羽織る俺を見上げた渡会は、バッグから財布を取り出すと二千円をテーブルの上に置いた。
「すみません。俺も先に行きますね」
「ちょっと待って!これは受け取れないよ!」
「そうだよ!歳上として奢らせて!」
正気に戻った二人はテーブルの上のお札を渡会に突き返した。圧をかけるようにお札を押し付けてくる姉二人に渡会は困ったように笑うと素直に財布を取り出した。
「ありがとうございます。じゃあ、今度お礼させてください」
渡会はそう言って席を立つと俺に続いて店を出た。
外の空気は相変わらず冷たいが、今はそんなことどうでもいい。店の向かいのベンチに腰掛けると隣に座る渡会を見上げた。
「あのさ…………怒ってるわけじゃないけど……その、順序がちょっと違うかも」
「なんで?変だった?」
「変っていうか……恥ずかしい…………」
親ではなく姉だったのが唯一の救いかもしれない。それでも、例え親の前だったとしても、渡会は平気な顔して告白まがいな台詞を口にしていただろうな。
先程のやり取りを思い出して、また顔が熱くなった。
「日置は何か買って貰う時に『大事にします』って言わなかった?」
「え?」
パッと顔を上げると目を丸くして渡会を見つめた。渡会はニコリと微笑むと「どう?」ともう一度質問を投げた。
何か買ってもらう時? どんな言葉を使っていたか覚えていないが、幼い頃は欲しいものがあると必死で親にお願いしていた記憶はある。
「言ったかも……」
「それとさっきのって同じじゃない?友達も動物も、モノだって『大事』って言うじゃん」
「そ、そっか?…………うーん……でも『一生』が付くとなんか重たいというか……」
「本気でそう思ってるからね」
「その感覚、渡会……もしくは渡会家だけだよ」
「そう?」
まだピンときていなそうな渡会は俺が頷いたのを見ると柔らかい微笑みを浮かべてベンチから立ち上がった。
「じゃあ、これ以上日置を困らせないように帰るね」
「え、そういう意味で言ったんじゃなくて」
「あはは、分かってるよ。でもコレそろそろ持っていかないと母さんに怒られるから」
渡会は手に持っていた紙袋をプラプラと揺らした。
そういえば、お使いを頼まれてここに来たと言っていたっけ。
「お姉さんによろしく伝えておいて」
「うん」
「またね」
「……うん、気をつけてね」
もう引き止める理由も無くなってしまったので小さく手を振ると、渡会は困ったような笑みを浮かべた。
「日置は口にはしないけど顔にはよく出るよね」
「ん?なにが?」
「あ、自覚ないの?えー……それはそれで可愛いけど…………やっぱ、なんでもない。また明日ね」
「うん?またね」
渡会は名残惜しそうに体の向きを変えると、駅へと向かった。その後ろ姿はすぐに人の波に紛れて見えなくなってしまう。
しばらく立ち尽くしたまま、思い出したようにお店の方へ顔を向けるとちょうど姉二人が駆け寄ってきた。
「待たせちゃってごめんね〜!」
「あれ、渡会くんは?」
「帰った。よろしく伝えといてって」
そう言うと二人はあからさまに肩を落としていた。俺のほうが気を落としているのに。
どうやら目当ての物は全て買えたようで、このまま車に向かうことになった。二人の後ろを歩きながら、母に今日の夕食のリクエストを送っていると、クルッと若葉が振り返って手を差し出してきた。
「あっくん。鍵ちょうだい」
「あ…………はい」
汚れてしまったちびかわのキーホルダーのついた鍵を乗せる。それを目に止めた若葉はジッと俺を見つめた。
ダラダラと汗を流しながら固まっていると、流れるような仕草で紙袋を握らされる。美波も同じくもう片方の腕に紙袋をかけてきた。
ちびかわの代償は荷物持ちらしい。もうちょっとだけ渡会もいてくれたら良かったのに。俺の虚しい思いは叶うことなく人混みに掻き消された。
-終-