災さんの昔のこと。堕天直前。3代目断罪の天使と天使だったころの堕くんと。
@san_ph7
どこまでも真っ白が続く世界に、ふたりの天使がいた。金の髪をして、背には壁のような翼をもつ、そしてどこか似たような顔立ちをした彼らだった。
「アルバ」
彼は友の名を呼んだ。感情が希薄だったはずのそのひとの顔は真っ青だった。
「彼女に何を聞いた?」
「全てを。何てことを……君は……」
彫像のような美しい顔が歪んだ。自分のせいだな、と彼はどこか他人事のように思った。
彼は女神にある提案をした。彼は、彼女が誰と会っているかを知っていたし、このゲームを楽しんでいることも分かっていた。本当はその心の奥に深い悲しみがあって、それを彼はどうすることもできなかったことも。
空の上から見る人間たちの営みが、終わりのある人生が、彼は好きだった。地上に生を受け、燃え上がる魂の輝きはどんな天上の星よりも美しかった。女神の間に空はない。それを知っていたのは、彼女に見せてもらったことがあるからだった。それは本物ではなかったが、その夜空に輝く星は、人界に輝く魂を思い起こさせた。彼にとっての星空は地上にあった。だから、理不尽な運命の巡り合わせで命を落としたり、不幸になったりする様は、いっとう悲しかった。かつて彼女がそうであったように。彼はただ、ここからそれを黙ってみていることしかできなかった。
女神への提言は数度に渡って行われた。それらは全てゲームが始まってからのことだった。
はじめはアルバのことで。予測不能な異分子を排除する為に作られたその天使の使命を知ったのは、初めて見た彼以外の大きい天使がすぐにいなくなった後、同一の魂を持つ2人目が現れたことに疑問をもったことからだった。彼は何故あの子が、と女神に問うた。けれど、彼女は黙って微笑むだけだった。
次に力を求めて。つまり彼女にはできなかったことを、彼は自分ならできるとそう言った。彼女はまた優しく微笑んだ。
「あなたは今まで誰を幸せにできたというの?」
慈愛の色をたたえたまま、彼に対してはいつもそうだったように。
「……だからこその力です。今のままでは、僕は誰かを救うことはできないんだ! だって女神様、僕は、僕の使命は」
「ああ、ウィリデルクス」
そう、だからこそ、あなたには無理よ。
ゲームが彼女をそうさせたのか、それとも彼女がそうありたいと思ったからなのか。彼女は変わった。けれど、力のないことを嘆くことなど、彼にはできなかった。諦められず、その後も何度か彼は彼女と対話することを試みた。話だけは、いつも聞いてくれた。そうしていつも優しい微笑みを彼に向けるのに、何も答えてはくれなかった。
焦燥は日を増すごとに肥大化した。地上で消えるたくさんの星の輝きのこと、友達の使命のこと、彼女とゲームのこと……。このままでは、彼は何かを変えることなどできそうもなかった。
「どうして……」
アルバが搾り出したその言葉に、彼は我に返った。どうして。何故それを選んだか。ひょっとして歯痒さに己の気を狂わせたのか。それを選択したことは本当に正しかったのか。ここで迷うことすら彼は自分に許さなかった。もう決めてしまったのだ。
「だってアルバ。このままでは僕ら、どこにも行けない。何も変わらない。君のことも、彼女のことも」
「君は、何をするつもりなんだ」
悲壮な声音が白い空間に響いた。彼が出会った頃は、アルバはまるで他のことへの興味を削ぎ落とされたように、ひどく冷静で感情の薄い天使だった。今はどうだろう。悲しそうな顔をしているように見えるのも、その声が少しだけ震えているのも、彼の気のせいかもしれない。彼にとって、そのひとは特別だった。
「なぁ、僕は君が好きなんだ」
アルバの手を握った。その方が言いたいことが伝わるような気がしたからだ。
「君だけじゃなくて、あのちっこいのとか、彼女とか。ここから見える下の世界のこととか。みんな好きなんだ。大事にしたいと思った。その為に、僕は力が欲しい。運命を覆す為の力が」
「分からないよ、ウィル……」
使命の為に生まれた天使は、今まさにレールから外れようとする彼に対して、恐らく動揺していたのだろう。或いは向けられた感情を、真に理解することができなかった故の困惑だったのか。アルバの中に感情が芽生えつつあるなら、彼はそれを本当は喜びたかった。一緒に笑ったり、泣いたりすることができる未来があるなら。
でも。
「このままじゃ、駄目なんだ」
彼はアルバの碧い瞳をまっすぐ見つめた。夕空を走る緑色の閃光のごとき瞳で、心の揺らいだ目の前の天使を捉えた。
「アルビレオ、君の真名。夜の空に輝く星の名前だと彼女が教えてくれたんだ。僕の大事な友だち。君を、彼女を、世界を、僕は諦めない。彼女は僕の提案を受け入れてくれた。もう後戻りはできない」
「ウィル、僕は」
「そんな顔するなよ」
彼は泣きそうに見えたアルバの体を抱きしめた。
きっとこれが最後だ。もう時間がきてしまう。
「僕と仲良くしてくれてありがとう」
彼がそう言うと、アルバの体から、がくんと力が抜けた。腕の中のそのひとは意識を失っている。端正な顔立ちも相まって、まるで出来の良すぎた彫像を抱いているようだった。非現実的な視界は、けれどそれを見た彼を思い切り現実に掴み戻した。閉じられた瞼から頬へ伝う涙。彼は後悔と焦燥でどうにかなってしまいそうな心を必死で支えた。
彼は女神にふたつのことを願った。ひとつは自分を魔王として転生させること。もうひとつは、アルバの中から彼に関する記憶を消滅させること。その中にある感情の芽は、きっと彼が使命を果たすときに苦しむことになるだろうと、そう女神に言った。アルバの使命は道を外れた勇者を断罪することにあった。そこに感情があってはいつか躊躇いを生み、それが返ってアルバを傷つけることになるだろうと、彼はそう考えた。そうして使命が果たせなくなれば、今度は彼女の手で"回収"されてしまうこともありえるだろうと、そう考えていたつもりだった。
だというのにこの後悔は一体何だろう?
一番いい選択をしたと思っていたのに、どうしてこんなに悲しいのだろう?
友だった天使を床へゆっくり横たわらせる。すると、小鳥のような羽音が聞こえて、小さな天使がアルバの胸へと着地した。赤い瞳をしたその天使は、心配そうに彼とアルバとを交互に見つめた。
「眠っているだけだから、大丈夫だよ。後を任せてもいい?」
その天使もまた困惑していた。彼とアルバと、一番仲がよかった小さな天使。この白い空間に、その天使もまた古くからあるものだった。
確かに小さく頷いたのを見て、彼はその天使の頭を撫でた。立ち上がり、ふたりに背を向けた。どこへ行くの、と幼い声が問うた。彼はそれに答えることは出来なかった。答えたら、決意は簡単に折れてしまいそうだったから。
そして彼は、もう二度とここへは戻らなかった。