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アメリカ同時多発テロと、PTSDについて

全体公開 6987文字
2024-08-30 23:54:58

毎年繰り返し行っている追悼ポストです。今年はゾンビ対策のため、上げたものを保護できるプライベッターにて上げさせて頂きます。

 私は父の仕事の関係で当時ニュージャージー州に住んでいました。ニューヨークとニュージャージーは、いわば日本でいう東京と神奈川くらいの関係・近さで、直接的被害こそは免れたものの、その後たくさんの影響を受けることになりました。これより私自身のこと、そして事件のことについてお話しします

まず、私は複雑性PTSDと呼ばれる、通常のPTSDとは異なる重度かつ長期間・継続性のあるPTSDを患っています。事前知識として、PTSDは基本きっかけとなるものが発生してから短期間の内に発症し、長期間に及ぶものではないことをお伝えします。私が何故複雑性PTSDを患っているかについては、残念ながらこの事件だけが絡んでいるわけではないのですが、一つの大きな原因として絡んでいることは確かです。
私には、事件当時の記憶がありません。よくこれを聞くと、私が当時幼稚園生くらいだったこともあり、「小さすぎて覚えてないんだね」とか、「怖くて周りの雰囲気に呑まれちゃったんだね」と独自の解釈をする方もいますが、決してそうではありません。少し専門的な話にはなりますが、人間にはあまりに強くショッキングな出来事が起きると、それによって精神が崩壊することを防ぐために記憶を消す「防衛規制」という精神のシステムがあります。私のPTSDは「心因性健忘症」という状態に当たり、精神的な要因で一部記憶喪失になってしまった、ということになります。これはPTSDの中でもかなり重度な状態に当たります。

私には、当時のことに対する「視覚的」或いは「聴覚」においての記憶は一切御座いません。しかし、身体というのは、視覚的な記憶は消してもその後防衛本能として、強い「恐怖」という感覚だけは覚え続けます。これは、生存本能の一つとして関わっています。ここから先は、私自身ではなく、主に母から聞いた私の当時の話、親・大人として体感した話になります。

話をする前に、一つ注意して頂きたいのは、私は別にアメリカに住んでいた当時全ての記憶を失ったわけではありません。アメリカ同時多発テロにまつわる記憶のみを失っているので、その前後のことはきちんと覚えています。事件後、どのタイミングで記憶が浮上しているのか、具体的な期間などはよくわかりませんが、私が覚えている範囲からが全てなので、そこは無理に考えないことに致します。

事件があった日、現地の学校で緊急集会が開かれ、保護者を含め、校庭には全校生徒が並ばされていたと聞いています。校庭のど真ん中には、ニューヨークに消防士として出動した父を持つ生徒が、泣き叫ぶ母に抱きしめられていたと聞きました。私の家族の話ですが、当日私の父は、客として飛行機に乗っていました。結果から言うと、ビルに直撃した例の飛行機には乗っていませんでしたが、世の中がパニックになり、父とは全く連絡が取れないほど大変な状況にあったため、私は父の安否を心配して朝からずっと吐いていたそうです。そういう感情があったことは、朧げながらも覚えています。

兄は当時、現地の中学校へ通っていました。信じられない話ですが、教室内では兄を含め、現地に在住しているわけではない、いわゆる駐在人の「外国人」の生徒が、「お前の親父がやったんだろう」などと攻めたてられ、大喧嘩になっていたと聞きます。兄は我慢をしながら、間に入りなんとか争いを止めようと努力していたと聞きます。

ここからはまた私の話です。当時、私が通っていた現地校の担任の先生が少しおかしな先生で、母も少し疑問に思う言動が以前からあったと、大人になってから聞いたことがありました。母が言うには、私は帰宅後、母に学校でどんなことがあったのか聞かれると、その先生が「辛いことは全て心の底にしまい込んでしまいなさい」とクラスに話していた、そんなような解釈に至る発言をしていた、と私が話していたと言っていました。私が先生の話を聞いてそう解釈せざるを得ない状態に陥ったのか、はたまた直接そう言われたのか、真偽を確かめることはもはやできませんが、おそらくこの状態が全ての証明でしょう。私はそれが原因で、心因性健忘症を引き起こしたと推測しています。

母は、父の安否がわかろうがわかるまいが、とにかく私達兄妹を一生懸命守ってくれました。事件直後、街中は大パニックに陥り、「次はバイオテロだ」と騒がれ、なけなしだとはわかりつつも、母は家の外と繋がるありとあらゆる通気口を塞ぐために、ダクトテープと呼ばれる頑丈なテープを慌てて周りの人達と共に買いに行き、塞いだと聞いています。(そのダクトテープは数年前、ついに使い切りました)

母は私に配慮して、当時のことはそれ以上詳しく話すことはありませんが、母にも紛れもなく強いトラウマとして今でも残っています。私に話したこと以外に、母は母親の立場として、そして一人の大人として、今でも震えてしまうような事実を目撃しているという風に教えられてはいます。いつか母も、どこかでそれはきちんと治療して傷を癒してほしいと切に思っています。

私には、元から先天的に持ち合わせていた難病の気質があり、日本に帰国ししばらく経ってから、小学校の途中でその難病が発症しました。その後はずっと闘病生活に奮闘していました。そんな中、いつの頃からか、持病の症状とは違う別の症状が出始めました。それは「強迫観念」と呼ばれる症状で、主に「自分の行動」に繋がる「思考の仕方」に出てくる症状になります。精神医学的に詳しい説明は割愛しますが、わかりやすい例としては、「家の鍵をかけたか・ガスを切っているかを外出前、不安から何度も確認してしまう」「不潔な菌がいつまでも手についている気がして、何度でも洗ってしまう(※重度の潔癖症に関わる症状で、こちらは強迫性「障害」の域に当たることも)」などがあります。
私の場合の強迫観念ですが、上記の説明とは大分違っていました。私の場合は、何かを見たり、聞いたりした時に、それがゆくゆく大事件や大事故を起こしてしまうんじゃないか、というイメージが頭の中で浮かぶ症状でした。具体的なものは、車に乗ると(自家用車)エンジン音を聞いて、突然車が爆発するんじゃないかというイメージが頭の中で浮かんできたり、工事現場のドリル音を聞くと、それで身体をえぐるようなイメージが浮かんできたり、はたまた急に工事現場が崩落してしまうイメージだったり。先端恐怖症ではなく、「刃物恐怖症」として、凶器に繋がる刃物なども同様にグロテスクな事件が起こるイメージが湧き上がってしまい、当時学校の技術の授業等では苦労しました、実は今でもステンレスの包丁は触れないので、私専用の側面シリコン加工の包丁があります。

主治医や治療に関わる関係者とは、当時から首を捻っていました。明らかに、いわゆる強迫観念の症状とは違う。「怖いイメージが浮かんでくる」は「観念」に値する。ただし、それで私が「何かをしなければならない!」という「行動」を掻き立てる、「強迫」には値しない。(これで私が、一々安全確保をしようと何かしら毎回行動を起こしていたら、また話が変わってきたかもしれませんが)
今だから全てが繋がり、わかることですが、当時から「記憶」はなくても、こうした形で少しずつPTSDの兆候は出ていました。ただ、本当に記憶がないのは厄介なことで、これが何であるのか、何故そんなものが浮かぶのかも全く誰もわからないまま、いざPTSDを自覚し、治療を始めることになるまで何年も何年もこの状態は続きました。

最初の方で言いましたが、私が複雑性PTSDになった大きなきっかけは、アメリカ同時多発テロでした。ですが、その後日本で帰国子女いじめ→病気からの障害者いじめ、又、詳しくは言えませんがちょっとかなりサイコパスな人からの日常的な洗脳なども受けてきた関係で、私は生涯をかけて自分自身を自分で支えていく必要があります。

私は持病を発症してから、「心理学を学びたい」「カウンセラー」になりたいと思い、実際大学では心理学部に入り、心理学の基礎や精神医学・発達心理学領域のことは全て学んできています。一時期は本気でカウンセラーを目指しもしましたが、心理カウンセラーは向き不向きがとてもはっきりしている職業です。私は自分には不向きであることを早くに悟ったので、残念ながらカウンセラーにはなりませんでしたが、中学生頃、一番最初に「心理学を学びたい」と思った理由は、「自分の心が知りたい」と思ったからでした。私は自分の心の中にある、空虚で真っ黒い霧のような、ぽっかりとした穴のようなものを、こどもの頃からずっと感じてはいました。無意識、無自覚でありながらも、どこか本能で事件のこと、そしてその後傷ついたことによって起きてしまった様々なものを自覚していたんだと、今は理解しています。

PTSDにまつわる話をする時、私には記憶こそはありませんが、「恐怖」という感覚だけは身体がしっかりと覚えているので、身体は「恐怖」を伝えようとありとありあらゆる身体的な症状を出してきます。私は心身症にもなりやすい性質みたいなので、気をつけてあげないと、精神的な原因からどんどん身体的に調子悪くなっていってしまうことがあります。年々良くなってきているので、今は軽く引き起こしても頭だけは冷静に、自ら対処療法を行い落ち着かせることができています。

昨今は世界情勢が落ち着かないので、例年よりしんどくなることが多いですが、伊達に長いこと治療をしてきているわけではないので、その都度丁寧に自身で対応しようと思います。

アメリカ同時多発テロのことについては、毎年必ず繰り返し発信させて頂いています。少しずつ、年を経て話せることが増えてくると思います。やはり記憶がないので、事件自体については限られた範囲でしか話せないので、毎年同じ内容をコピペしながら、少しずつその後の自身についての情報を付け足すくらいしかできませんが、大人になってから思うことはたくさんありますので、どうぞよろしくお願い致します。

又、同時多発テロについては、日本なんかではよくくだらない陰謀論が出回っていまして、私が直に関わった人にも何人か、現地の事情を何も知らないでその情報を信じている方が多かったです。あの事件が起こった経緯については、歴史や現代社会の教科書等に当時の政治事情なども載っているので、それが一番確かな情報だと思います。あの辺りの国は元々長い長い間戦争をしていたので、その過程で起こってしまったこと以外に解釈は、たかが一般人にはできません。
本当のところは分かりませんが、長い長い歴史が絡んだ上での事件ですので、一種のブラックボックスに値する話ではあると思います。なので、安全な国で見ていただけの人々が、安易に好き勝手に陰謀論を言うことは避けて頂きたいです。もし真の理由にたどり着くようなことがあれば、その時無事でいられるかどうかも分からないものですから。何にせよ、他国のたかが一般人には知り得ない話ですし、現地にいた一般人は、私みたいに傷ついて傷を抱えて生きていくことしできないのです。

昨今は世界情勢により、欧州やアジア問わず、余計な人種差別があっちこっちで巻き起こっているので、このような体験をした上で、(自分自身への皮肉にもなりますが)言わせて頂きます。
「いつだって、国民は巻き込まれる立場にある」
国の偉い人々のことはよくわかりません。国の代表に立っている方々である以上、良くないことをすると「国」自体のイメージに繋がってしまうことは、よくわかっています。
ですが、「国と国民は関係がない」ということを、どうか覚えていてください。又、昨今のマスメディアは虚偽で溢れていて、私達は日常的に、悪気の自覚もない状態で、他国について洗脳されています。
先程、同時多発テロについての陰謀論について話した時も少し言いましたが、やはり現地のことは現地の人にしか分かりません。どうか、私達が他国の人々に対して抱いている感情が、「元々貴方自身のものではなかったもの」も多くあるのだということを、知って下さい。周りの人達の空気や発言に流されてついてしまったものは、かなりあると思います。
国は人を表しますが、人は国ではありません。
それは私達も同じように見られるものでなければなりません。


【ここから先は、長年治療を受けてきた患者としての言葉になります】

 前述した通り私は記憶がなくなってしまったので、長らくPTSDを自覚できないまま育ってきた関係で、治療に着手してからは事実10年弱経っています。
 現在は寛解段階にあり、触発されるようなことさえ無ければ基本的には常に落ち着いている状態にありますが、どんどん歳を重ねるにつれて、様々なことを考えてきました。

 一連の説明にもあった通り、私のPTSDは原因が一つではありません。しかし、今回は特に9.11のことに絞ってお話ししようと思います。

 説明の最後にもあった通り、あの事件は歴史の教科書などにある通りで、長らく続いていた他国同士の戦争がアメリカに飛び火した形で起こったものだという風に認識しています。我が家は元々駐在人家庭だったので、アメリカに行く遥か前、私と兄が生まれる前から両親はあっちこっちに行っています。その中で、両親はかつてクエートに行っていた時期がありました。察しの良い方ならば、クエートと聞いてあの辺りで長らく続いていた戦争についてご存知かと思います。だから、あの事件もその延長線上にあったものが飛び火したんだろうという推測を立てています。当時のアメリカと他国との政治事情については、私はまだ小さかったのでよく分かりませんし、今掘り起こしても何かが返ってくるわけではないので、特に語ることはありません。
 ただ、私の両親は実際真横で隣国同士が激しく戦争している時期に、あの近辺の国に行っているので、その辺りもふまえて、やはり関連があるのだろうなとは思っています。
真実は分かりませんし、一般人が真実に触れられることはまずないでしょう。
ただ、一つ言えることとしては、やはり「現地のことは現地(にいた経験のある人)にしかわからない」
ということを、繰り返しお伝えさせて頂きます。それは全ての人に言えることです。


 私にとってはアメリカ同時多発テロはある種戦争経験のようなものなので、メインの治療が落ち着いてからも長らく、今日までずっと自分の中で感情や情報の整理を行ってきました。
 そもそもアメリカという国は、比較的安全な地域に住むことの多い駐在人だったとしても、十分に安全面や防犯について気をつけなければならない国なので、そういった観点も少なからず関わっています。

 PTSD患者として、私には長らく染みついている考えや感情があります。特に「安全」や「平和」に関わることに関しては、かなり明確な感情を持っています。私はものすごく表裏一体な人間なので、もしかしたら今から言う言葉を妙に感じる人もいるかもしれませんが、そこは患者であることをふまえて読んでくださると幸いです。

 私は、この世に対して強い恨みと絶望を抱えています。何故なら、人が容易に傷つけられてしまう世界が終わることがないからです。よく「世界平和を目指す」という言葉がありますが、それは実質不可能なことであると知っています。何故なら、それはもう歴史が何度も何度も証明しているからです。昨今の世界情勢から見ても無理だと思いますし、どう足掻いても、「ヒト」という生物が持つ性質上無理なのです。
なので、「人々が幸せに平穏に暮らせない世界ならば、いっそ滅びてしまえ」という強い滅亡願望があります。
しかしその反面、私の中には誰よりも「人々が幸せに平穏に暮らせる世界になって欲しい」と、日々祈るような気持ちがあります。
 最初にも言った通り、「世界平和」や「人々が理不尽に傷つけられない世界」は、基本的には無理です。
しかし、例え真の意味では無理だったとしても、例え人々が繰り返し苦難に苛まれるのだとしても、もしまたそういった目に遭った時に、少しでも早く心が安らぎ、少しでも早く己の傷を癒す時間が訪れることを、私は強く願っております。

こういったアンビバレントな感情を抱えながら、私の治療はどんどん進んでいきました。
この一連の話は、一人のPTSD患者が抱えている感情として、客観的に捉えてくだされは幸いです。

 本当に長くなりましたが、ここまで見て下さった方、本当にありがとうございました。
又、アメリカ同時多発テロにて、直接被害に遭われた方々・又、近隣都市に住み大変な思いをされた方々、今でも傷を抱える多くの方々に、本日現地時間に合わせ改めて祈りを捧げます。

尚、こちらの一連のツイートに対してのご質問・ご意見等は一切受け付けておりません。文章を読んで頂けたら分かると思いますが、これ以上私から提示できる情報はなく、又、私自身これらの文章を出力するところまでが心身の限界です。ご了承下さい。


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