@itou_888
夏だ。
海だ。
「呪霊だ! 術式順転ッ! 蒼!!」
「行けっ! 虹龍!!」
海水浴目当ての客が来るには少し早い時間帯。東京都立呪術高等専門学校の生徒である五条と夏油は、鬼気迫る表情で呪霊を祓除していた。
対象となるのは術式を持つ一級呪霊。ここ数年で多くの海水浴客を海中に引きずり込んできた不届き者を、彼らは必死の形相で祓っていく。
帳を下ろし、外で帰りを待っていた補助監督は後に語る。あんなに真剣に呪霊を祓ってくれる次世代が育っていることは、なんとも頼もしいことだ、と。
そんなことを語られるとはつゆ知らず、五条たちは連続する任務に疲弊していた。
肉体は元気だが、精神はしょぼしょぼである。夏休みシーズン。同い年の学生は煌めく夏を過ごしているというのに、自分たちは呪霊とランデブーだ。全然煌めいていない。煌めきたい。そんな思いで早急に呪霊を祓おうとしていた。
前々回、観光地で行われた任務のように、自分たちが呪霊の体液を浴びてこそこそと退却する向こうで、煌めいている人々を見るのは、しょぼしょぼの精神に更なるダメージを与えるのだ。
さて、呪術高専入学まで非術師の生活に馴染んでいた夏油はともかく、生まれた時から生粋の呪術師である五条もしょぼしょぼしているのには訳があった。
この男、夏油から聞き及んだ夏休みにほんのりとした憧れを抱いていたのだ。憧れ、というのも少し違うのだが、自身が友人だと、そして大っぴらにはしていないものの、親友だと認めた夏油の口から聞く夏休みとやらがとんでもなく魅力的に感じたのである。
これまでは五条家で呪術について学んでいた身だ。夏休みなどなかった。なんせ、呪霊は山ほど湧いて出るし、幼い五条の首を狙った呪詛師は日替わりでやって来る。その対応で休むどころではなかった。ちなみに呪詛師が日替わりなのは、彼らに次の機会というものが存在しないからである。
それはさておき、五条は楽しみにしていた。表には出さずとも、たった一人の親友である夏油と共に過ごす夏休みとやらを。絶対に楽しい。夏油が経験したあらゆるを、五条も経験したい。知識として知っているそれを、友人と共に思い出に変えたい。五条のはち切れんばかりの希望は、例年通り、うじゃうじゃと湧く呪霊によってかき消されたのである。
「終わりッ! 帰る!」
「帳ありがとうございましたッ! 祓除完了です、送迎お願いします!」
呪霊がやたらと海水を吐くので、頭の先からずぶ濡れになった二人がずんずんと海から戻ってくる。その姿を見て、補助監督は暫し考えた。遊びたい盛りの彼らに、少しだけ自由な時間を与えられないか、と。ついでに磯臭い体をどうにかしてくれないか、と。
五条たちが到着するまでの短時間、電話越しにぺこぺこ頭を下げていた補助監督が満面の笑みで彼らを迎える。訝しむ子どもたちに、今から五時間の自由時間が与えられることが伝えられた。
*
夏だ。
海だ。
親友と過ごす、夏休みだ。
青い空に、熱々の砂浜。少し離れたところに並ぶ海の家。そこで買った水着に身を包んだ五条は弾けんばかりの笑顔でいた。
海水浴だ。夏油が、夏はやっぱり海だよね、と語っていたそれを経験している。うっとおしいだけの暑さは、今となってはこの楽しさを盛り上げてくれるスパイスになっていた。最高だった。早く遊びたい。
借りてきたビーチパラソルとレジャーシートを設置し、夏油が口を酸っぱくしてやっておけと言った準備運動を行う。
夏油と一緒に、何をしよう。海の家には他にもレンタルできる道具があった。巨大な水鉄砲や、ビニールで作られた簡易的なボート。どれを使っても、使わずとも笑い転げられる自信がある。
「悟、お待たせ」
「おっせーよ、って、それなに」
戻ってきた夏油の手にはプラスチックの容器が二つと、よく冷えているのだろう結露したペットボトルが二本握られていた。
「さっきレンタルで利用した海の家があっただろう。私たちがこれから遊ぶと知って、オマケをくれたんだ」
「ふーん? 海の家ってそんなサービスしてくれるわけ」
「ありがたいよね」
はい、と一つずつ渡されたそれを見下ろす。作りたての焼きそばは当然のように熱い。これを素手で二つ持ち、ここまで戻ってきた夏油のことを想像すると、なんだか落ち着かない気分になった。
「私たち、朝食を食べてなかっただろう。腹が減ってないかを聞かれて答えたら、オマケしてもらっちゃった。先に食べてから泳ごうよ」
「いいぜ」
レジャーシートに腰を下ろす。小さいシートなので肘と肘が一瞬ぴとりと触れた。途端、己の汗ばんだ体を意識したが、横目で夏油からは特に何の反応もなかった。
「いただきます」
同時に挨拶をして五条が箸を割る間、夏油は箸の片方を口で挟むと良い音をさせながら割り、焼きそばをすすり始めていた。パックにこんもりと入っていた焼きそばがみるみるうちに減っていく。負けじと五条も焼きそばに食らいついた。大味な焼きそばだが、何故か美味いと感じる。
辛うじて直射日光が避けられた程度の場所であるのに、五条にとってはその瞬間、最も居心地が良い場所となっていた。煌めいている気がする。夏を、満喫している気がする。
最早、うっとうしいだけだった太陽も五条たちの夏休みを祝福してくれているように思えた。
「美味しかったね」
「おう」
腹も満たされ、一息ついた後、ゴミをまとめて手に取った夏油が、それを捨ててくると言って立ち上がった。一緒に行くと告げる前に、先に遊んでいてくれ、と駆け出してしまうのだから我が友にはせっかちな一面がある。いや、あれは恐らく、五条が時間制限付きの自由時間をめいっぱい遊べるように、という気づかいだろう。
そんなもの。オマエのいない五時間よりも、オマエといる一分の方が遥かに楽しいというのに。夏油は分かっちゃいないのだ。まあ、それを伝えたこともないから当然と言えば当然だった。
夏油の気づかいを無駄にするのもな、とわざとらしく首を振った五条は波打ち際に近寄り足を浸す。そして水遊びを楽しむふりをしつつ、友人の帰りを待っていた。待っていた、のだが。
どれくらい時間が経っただろうか。五条は、ばしゃばしゃと水を跳ねさせながら夏油を探していた。その足どりに迷いはない。苛立たしげに、かけていたサングラスを外す。惜しげもなく晒された顔と青い瞳を見て、一部の者は黄色い声をあげ、勘のいい者は尋常ではない何かを感じとって身を引いた。
果たして夏油は見つかった。
数人の男に囲まれている。なんてことはない、非術師だ。そんな奴らをさばくのに手間取っているのかと大股で歩みを進める。けれど、五条に気づいた夏油は、ぱっと表情を明るくすると元気に手招きした。
「悟〜っ! ビーチバレー対決しよう!」
「はあ〜?」
いわく、男たちは近くの大学でバレーサークルとやらをやっているのだそうだ。夏休み恒例の海水浴に繰り出したものの、あまりの暑さで数人が参加を見合わせたことにより、試合ができなくなっていた。そこに、夏油が通りかかったらしい。
恐らく、夏油の体格を見て自分たちと同じくらいの年代だと判断したのだろう。ところがどっこい、五条たちは高専生である。
「うわ、そっちのキミもデカいね」
「君もバレーやろうぜ! 今なら賑やかな応援付き!」
男たちが後ろを指さすと、鮮やかな水着に身を包んだ者たちが軽く手を振っていた。サングラスをしていない五条の姿を見てきゃっきゃとはしゃいでいるようだ。そらみろ、と自慢げに夏油を見やるも、当の本人はビーチバレーに気をとられているようで、サークルのリーダーらしき人物にルールを聞いていた。
「ッおい、傑!」
「どうかしたかい」
「……いや、いい。つか、マジでコレやるの」
「楽しそうじゃないか」
ねっ、と同意を求めてくる。いい笑顔で言い切られると、なんだか五条もそんな気がしてきた。まあ、俺とオマエがチームになれば向かうところ敵なしだろう。サークルメンバー全員を相手にしてもいいかもしれない、という考えで頷いた五条を見て、夏油はさらに頬を緩めた。
「じゃあ、私は赤チーム、悟は青チームね」
「なんで別のチームなんだよ!」
「いいかい、悟」
こそ、と内緒話をするようにして夏油が耳元に口を寄せる。自分のものではない熱の塊が近づいた。話しやすいように、とほんの少しだけ体を傾けると、夏油の吐息が耳を掠める。心臓が不自然に跳ねた。
「術師が一つのチームに偏るなんてつまらないだろう。正々堂々勝負しようじゃないか」
「……はいはい」
夏油の瞳は勝気に輝いている。その目を見るのは嫌いではなかった。
「負けた方のチームは熱々な砂浜の上で腕立て百回ペナルティーで!」
リーダーと思しき人物から突如言い渡されたペナルティーに、選手たちから不満の声があがる。けれど、本気で嫌がっているわけではなさそうだった。誰もがこの状況を楽しんでいる。それは五条たちも同じだ。
「おい、呪力強化なしの腕立てだからな」
「当たり前だろう。試合でも呪力強化なしだよ」
口角を上げた夏油が赤チームに合流し、何やら話をしている。きっと、五条への対策を考えてくるはずだ。呪力を使わなくたって、五条たちは身体能力が高く、体格にも恵まれている。一つのスポーツで強いのではなく、人間として強いのだ。それを分かっている夏油が、五条を野放しにするはずがない。だから、徹底的に自分を狙ってくるだろうと思っていた。しかし。
「夏油くん、そっち!」
「任せて」
「いよっしゃー! すげーっ!」
夏油は他のチームメイトと上手く連携し、相手チームの隙をついては得点を重ねていく。五条ばかりを狙うのではなく、確実に人と人との間を狙い、点を稼いでいた。仮に五条だけがチームにいたならば、ボールが落ちる前に打ち返すことができただろう。しかし、同じコート内には複数の選手がいる。彼らの動きは悪くなかったが、完全に連携がとれているとは言いがたい状況においては本領発揮できない様子だった。
かくして勝ったのは赤チームだ。
熱々の砂浜で腕立て伏せをする選手から少し離れた場所で、五条も両手を地面につける。太陽に熱された砂が手のひらを焼く。百回の腕立てなど造作もないが、その熱だけは厄介だ。
「……九十八、九十九、ひゃー……冷てッ!」
「おつかれ、悟」
突然、首筋に当てられたのはよく冷えたペットボトルだった。半分凍っているらしいそれを、学生たちから貰ってきたらしい。礼を言って体を起こし、よく冷えた液体を飲み下す。隣からの視線が気になったので促せば、夏油は楽しかったかい、と笑った。
「私たちはどうしても同級生の数が少ないからね。大人数で遊ぶ経験はできないだろう」
「まあな」
「それにさ、こういう連携は団体戦の練習にもなる」
明るい声で騒ぎながら腕立て伏せをする学生と、それを囃し立てる周囲。平和な光景を見つめながら呟いた夏油の横顔を眺める。そんな物騒なことを考えて遊んでいたのだろうか。けれど、大人数で遊ぶ楽しさよりも、戦闘経験になると言われた方が理解できそうだった。
「はは、真面目な顔するなよ。本当は、私が悟とビーチバレーをやりたかっただけなんだ」
「は、はあっ? なんだそれ」
「あはは!」
愉快そうに笑う夏油に熱々の砂をかけてやる。夏油の口ぶりに騙されて、団体戦云々に納得しかけたことが悔しくて、照れくさい。夏油以外に言われていたら、はなから耳にも届いていなかっただろう。そんな自分の質を知っているが故に、面映ゆかったのだ。
笑い転げる夏油から、お返しに、とかけられた砂を甘んじて浴びる。どうしてこんなことが心底楽しいのだろう。理由は分かっている。分かってなお、くすぐったい気持ちが全身を巡るのだ。
五条が経験したいと願った夏休みが、今ここにあった。
「あ、あのぅ」
声をかけられたのは、五条の下半身がほとんど砂で埋められた頃だった。砂風呂だよ、熱すぎるわ、などといったやり取りをしている二人の元に、ビーチバレーサークルの一人であろう学生が近づいてきたのだ。
「ああ、君はさっきの」
そして、厄介なことに夏油はその人物の名前まで覚えていた。砂に埋まった五条を放置して、会話を始めている。しらけた気分で砂から出てきた五条と、その人物が去っていくのとはほぼ同時であった。夏油の背後にまわり、肩を組む。ちらりと覗き込んだ手の中に、レシートのようなものが握られていた。
「なにそれ」
「連絡先だって」
「連絡先い? んなもん貰ってどうすんだよ」
「どうしようかな」
「はっ! カマトトぶんな。どうもこうも、連絡先もらうってそういうことだろ」
五条が吐き捨てた言葉に、夏油はぱちりと目を瞬かせる。
「へえ」
「なんだよ」
「悟も、そういうこと気になるんだと思って」
「はあ〜? べっつに〜?」
「ふふ。まあでも、これも夏の醍醐味なのかもね」
レシートを眺めながら、意味ありげに言葉を切る。何が醍醐味なのか、勿体つけて話しださない夏油の肩を突く。やめろよ、と肩を突き返してきた夏油が、演技じみた様子で口を開いた。
「ほら、ひと夏の恋とか、ひと夏のアバンチュールとか言うじゃないか。だから、これもその一つなのかなって」
知らなかった。
愛だとか恋だとか、惚れた腫れたの行く末が呪いに繋がっていることは多い。何故なら、呪いというものが人の負の感情から生まれるものだからだ。全ての色恋沙汰が呪いになるとは言わないが、古今東西、様々な創作物の主題にもなっている苛烈な想いに、負の感情が混ざっていることは想像にかたくないだろう。
故に、そんな危ういものを、ひと夏かぎりとくくって消化する文化があるなど、五条は知らなかった。そして、夏油がそれをレシートの持ち主と、さくっと謳歌しようとしているかもしれないなど、理解したくなかった。
「……ひと夏の相手、アイツにすんの」
「ええ?」
軽い調子で誤魔化すように笑う夏油を見て、例え難い焦りが生まれる。レシートを持っている夏油の手ごと掴んで少し乱暴に引き寄せた。
「俺がいるじゃん!」
「はあ?」
「ひと夏の相手、俺がいるだろ」
「悟、あのねえ」
「俺さ、オマエが言う夏休みってやつ、今こうやって過ごしてて、悪くないと思ってんだけど」
「私もだよ」
「だろ? なのに、そこに知らねえ奴を入れるなよ。傑がひと夏の相手ってやつを探すなら、それは俺であるべきだ」
力を込めすぎたのか、ぐしゃりとレシートが悲鳴をあげる。暫くの間、見つめあっていたが、先に夏油が視線を逸らした。
「ひと夏の相手って、私たちの夏休みはあと二時間くらいで終わるんだけど」
「その二時間に、他人を入れんなって言ってんの」
「ビーチバレーは楽しそうだったのに?」
「あれはオマエと一緒だったから」
「……悟ってさあ」
掴んでいた手を離すように促される。渋々手を離すと、夏油はくしゃくしゃになったレシートをじっと見つめて、ぼそりと呟いた。
「俺が、なに」
「なんでもない。とにかく、ひと夏の相手に悟を選ぶことはないよ。ああ、だからといってこの人も選ばないから安心しな。片方はひと夏のつもりでも、もう片方はそうじゃないことなんてざらにあるだろうし。余計なことをして呪いを生み出すようなヘマはしないさ」
そう言いながらポケットにレシートを突っ込んだ夏油は、なんでもないように笑った。別に、夏油がそんなヘマをするなんて思っていない。五条にとって重要なのはそこではなかった。俺たちの夏休みに、他の誰も介入させるなと言いたかっただけなのだ。
だというのに、夏油ときたら妙なところで納得してしまい、この話は終わりだと言わんばかりに背を向けて、自分たちが場所取りしたところまで戻ろうとしている。
「ほら、時間がもったいないし、向こうで遊ぼうよ。残り二時間、存分に夏を満喫しようじゃないか。バナナボートもあるよ」
「傑」
その背中に声をかける。律儀に体ごと振り向いて続きを待つ姿に、純粋な疑問がこぼれ出た。
「じゃあ、その二時間、俺たちって何なの」
言い終えて、どっと汗が吹き出る。こんなこと、聞くつもりじゃなかった。どうしてそんなことを聞いてしまったのか、後悔したとて後の祭りだ。
潮が満ちてきているのだろう砂浜に立つ足に波が触れる。陽の光が水面に反射して、友人の横顔を照らしていた。
「決まっているだろう」
笑っているわけでもなく、悲しんでいるわけでも、憤っているわけでもない。見たことのない表情で佇む姿が眩しくて、思わず目を細める。
「この二時間も、それが過ぎても、私たちは私たちのままだよ」
*
夏だ。
海だ。
「あ、呪霊。じゃあ、ちゃちゃっと呪霊のところに行って、ぱぱっと祓ってきてね」
「そっちはその間、何してんだ」
「決まってるでしょ」
じゃーん、と効果音をつけて完璧に準備されたレジャーシートとビーチパラソルを披露する。けっ、と吐き捨てるように言ってずんずんと歩き出す少女と、似たような態度でそれを追いかける少年とパンダ。彼らの背中を眺めながら、帰ってきたら自由時間を作ってやろうと端末を取り出して連絡をつけた。
懐かしい場所だった。
レジャーシートに腰を下ろし、穏やかな海を見つめる。ここへ定期的に現れる呪霊がやたらと海水を吐くことを伝え忘れたが、まあいいだろう。五条はぼんやりと当時のことを思い出していた。
ひと夏の恋。ひと夏のアバンチュール。
友人と、いや、親友と過ごす夏に余計なものなど要らないと吠えたあの日。夏油のひと夏の相手に選ばれなかった自分を思う。
「本当、傑ってケチだよね。別にいいじゃん、二時間くら……冷てッ!」
「誰がケチなんだよ。悟の分も買ってきた私に向かって言うことか? 文句言うならあげない」
ペットボトルの蓋を開け、喉からいい音をさせながら清涼飲料水を飲み下す夏油を見上げる。下唇を尖らせ、ペットボトルをふんだくると、飲みかけのそれを全て飲み干した。
「欲しいなら新しいのあげるって」
「これがいい」
「なんなんだ。人をケチだと言った口で」
ぶつぶつと言いながらレジャーシートに腰かけようとしてくる夏油の為に僅かにずれる。あの頃と比べてさらに育った体では、ほとんど座れる場所はないに等しかった。肘どころか、肩も膝もぶつかる距離で二人は海を眺める。
「それで? どうして急に私の悪口大会を開こうと思ったんだ」
「別に、悪口じゃない」
「ふーん。ならいいや。はい、焼きそば」
「買ったの?」
「いや、オマケにくれたんだ。後であの子たちの分を買うって話をしたら、先にどうぞって」
「……へえ、オマケねえ」
作りたてであろう、熱々の焼きそばを受け取りながら、さらに口を尖らせる。五条とて、学習した。ここまでオマケとして物を貰うような人間はそうそう居ないということを。要は、下心ありなのだ。秋波を送られているのだ。そんなことも露知らず、モテモテの親友は、懐かしい味だね、などと言って焼きそばをすすっていた。
「つーか、ソレ」
「ん、どれ? 焼きそば?」
「違う。懐かしいってやつ。前にここに来たのを思い出してた」
「本当に懐かしいな。十年くらい前か? あれ以降、夏休みらしい夏休みなんてなかった……待て、その時も別にケチな真似なんかしていなかっただろう」
「してた」
勢いよくすすった焼きそばをよく噛んで飲み込んで、海を見つめたまま口を開く。
「下心ありありのジュースも焼きそばも、連絡先も受けとるくせに、俺とのひと夏は断った」
海水浴客が訪れる前だ。波の音と、遠くで海鳥が鳴く声しか聞こえない。幾分かの羞恥心を押し潰して打ち明けたのに、夏油からの反応がない。
「なんか言えよ」
足先で夏油を蹴る。
「いや、えー……」
されるがまま、とはいかない夏油が蹴り返しながら、焼きそばを頬張る。全て食べ終え、ゴミをまとめてから、蹴る足をとめて話し始めた。
「もう時効だと思うから言うけど。私、あの時ちょっと怒ってたっていうか。怒ってたっていうのも違うんだけど、なんていうのかな。まあいいや」
「よくねえだろ。全部話せよ」
「重要なのはそこじゃないんだ。あの時の私にとって大事だったのは、その。悟が」
「俺が?」
「……たった二時間の、ひと夏の相手でいいなんて言うから。悟にとって、そんなものなんだって思って、一人で拗ねてたんだよ。でも、せっかくの夏休みだし、変なことを言ってつまんなくなるのも嫌だったから深掘りしなかった。以上!」
ゴミを持って立ち上がろうとする夏油を掴まえる。勢い余って押し倒してしまったが、構わないだろう。まさか、十年越しにそんな話が聞けるなんて思わなかった。あの時の自分たちに毎年夏休みが与えられていれば、もっと早く知ることができたのだろうか。やはり、学生が多忙におされて休みをとれないなんて環境はぶっ壊すべきだ。夏休みの導入を、今、固く決心した。
そして、五条には最優先事項が生まれた。起き上がろうとすれば五条を振り払えるくせに、大人しくレジャーシートからはみ出た体を砂に横たえている親友を、どうにかしてやることである。
「ひと夏じゃ足りなかった?」
「なに、鬼の首を取ったような顔をしてるんだ。先にしかけてきたのはそっちだろう」
「そうだよ。あん時はあんまり分かってなかったけど。つーか、オマエも分かりやすく言えよ。経験ないんだから、難しいって」
「連絡先を貰う意味は知ってたのに?」
「あっは、そこから妬いてたんだ」
「妬いてない。都合よく解釈するな」
今さら五条の下から抜け出そうとする夏油だが、ほぼ体格が変わらない上に、上背は五条の方が高いのだ。そう簡単に体勢が変えられるものではない。加えて、今、五条は絶好調である。夏油が悔し紛れにむしり取った包帯の下から、爛々と輝く青い瞳が現れる。
「安心しろよ」
顔を近づけても、目を閉じないどころか挑むように睨みつけてくる。嗚呼、五条はずっと、これを好んできた。堪えきれない笑みを口元にたたえ、喉仏がある辺りを柔く噛む。ひくり、と夏油の喉が鳴った。
「俺たちは俺たちのままだよ」
「そ、んなわけ」
「傑が言ったんだろ、なあ」
暫く噛みごたえのある肉を満喫してから顔を離すと、存外落ち着いた表情の夏油と目が合う。
「ひと夏でなんて、終わらせてやらないから」
「当たり前だろ!」
体を起こそうとする夏油に合わせて動く。意味をなさなくなったレジャーシートから外れた場所で座って向かい合う。遠くから子どもたちが戻ってくる気配がした。その、気が逸れた一瞬の隙をつかれ、夏油が接近してくる。よく鍛えられた胸板が目の前に広がり、額に柔らかいものが触れた。
「一生ものにしてあげる」
勝気な瞳で笑った夏油が今度こそ立ち上がり、生徒たちの方へと走り去っていった。僅かに聞こえる歓声は、焼きそばのことを伝えたからだろうか。五条から自由時間について話してやればもっと喜ぶかもしれない。最も、この瞬間、世界で一番喜んでいるのは紛れもなく五条なのだが。
レジャーシートどころか、ビーチパラソルの日陰からもはみ出して大の字になって寝そべる。十年前と変わらず、うっとおしく焼けつくような暑さをもたらす太陽が五条を祝福しているようにさえ思えた。
「なつ、さいこ〜」
走り去って行く夏油の特徴的な耳が赤く染まっていたのを思い出し、自分の頬も真っ赤になっていることを棚に上げた五条は、へらへらと笑った。
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