クリスマスの話 / ineffable husbands
@otohitoe_
「きみ、クリスマスの予定は?」
クロウリーはその質問の意味がわからず、怪訝な顔になりながら対面に座るアジラフェルをまっすぐ見つめた。
「…は?」
「きみのクリスマスの予定を訊いている。正確には、内容じゃなくて予定の有無を」
「………、」
気まずいような心持ちになった。だってこの書店でアジラフェルと一緒に過ごそうと思っていたからだ。そうするのが当然だとも、自然だとも思っていた。クロウリーの中では当たり前過ぎて意識にも上がらないようなことだった。去年も一昨年もその前もその前もずっとずっとずっと、世界中の人々が広くこの日を祝うようになってからは、滅多なこと…例えばお互いの元上司からの干渉とか、押し付けられた仕事の処理とか、それからちょっとした喧嘩とか…が無い限りは一緒に過ごしてきたのだ。本人と知り合いだという共通点もある。
ましてや今は、普段から堂々と一緒に過ごせるようになったってのに。
アジラフェルの問いが「どういう予定なのか」という言い方じゃなくて良かったと思った。きっと自信満々にアジラフェルとどういう過ごし方をするつもりかを語っただろうから。とんだ恥ずかしい思いをするところだった。
「クロウリー?もしかして予定がある?」
「あると思っていたが、無いかもしれない」
「まだわからないんだ」
「そうだな…」
「今日はもうクリスマスイブだよ」
それをおまえが言うのか!?という気持ちでクロウリーはいっそう顔を顰めた。下ろされたブラインド越しにもわかるほど窓の向こうの空気は浮かれていて、温かい電飾が楽しそうにぴかぴか光っている。毎年のことだ。というか、今日は朝からずっとここにいたんだぞ。これだって例年通りだ。このまま明日も一緒に過ごすつもりですっかり寛いでいたんだ。なのにクリスマスの予定はあるのかだと?それを今訊くってのは、つまりおれにそろそろ帰れって意味か?
そこまで考えて、クロウリーの喉はきゅっと詰まった。今すぐにでもここから立ち去りたかったが、とにかく色んなことを経てアジラフェルの隣という居場所を確立するにあたって自分のネガティブさを自覚し認めていたクロウリーはそれを堪えて一旦思考をとめ、無知に徹した。
「だから、おれは予定はあると思ってたんだ」
「ええと…誰かとの約束?」
「そのつもりだった。けど、わからなくなった」
「不安定だな。そういうのは約束とは言わないんじゃないか」
なるほど確かに、約束をした覚えはなかった。一方的に思い込んでいただけと言ってもまったく間違いではない。そうだな。こんなのは約束とは言えないよな。その言葉がクロウリーの胸をずしりと重くした。体の奥に棘が刺さったようでもあった。
純粋にショックだったのだ。クロウリーは当然のようにアジラフェルと一緒に過ごすと思っていた。特に今度のクリスマスは。誰もが大事な人と過ごす日、そのたくさんの中のひとつになるつもりでいた。
「まあ、でも、わたしも似たようなものだな…予定を入れていたんだけど、ついさっき有耶無耶になってしまった」
クロウリーはスマートフォンを取り出し、SNSを流し見することにした。
何の気晴らしにもならないとわかっていつつも、それは動物園のライブカメラを観るようなもので、直面している問題と頭の中とを切り離すのにちょうどよかった。
次からは気を付けよう。おれはいつもこうだ。長い間一緒にいるからって何でも通じ合えているような気になって、最後はすれ違って泣きを見るのは結局自分なのだ。
微妙に異なるハッシュタグを乱立させてSNSのトレンド欄をめちゃくちゃにしながら、クロウリーは持ち直した心で「で?」とアジラフェルに切り出した。
「クリスマスの予定が何だってんだ?」
「予定があるなら別にいいんだ」
「あるとは言ってない」
「………」
「何だよ」
「その…よければ、一緒に過ごさないかと誘いたかったんだけど。シャンパンやワインを飲みながら、ターキーとか、ケーキを食べて…」
「…は?それはいつもしてることだろう」
「え?そうだけど…それじゃあだめってこと?」
「は?」
「え?」
二人は全く同じ表情でお互いを見据えた。何の話をしていたのかわからなくなるほど、お互いがお互いに困惑していた。
確かそう、クリスマスの…そう、クリスマスの予定を訊かれたところから始まったんだと一瞬早く思い出したのはクロウリーで、「普通、」と言い出したのをアジラフェルが同じ言葉で遮った。こういうときに譲るのはいつだってクロウリーだった。
「普通、この日に予定があるかっていう質問はお誘いの文句だろう」
「そうかもしれないが、クリスマスは別の理由が無い限りはいつも一緒に過ごしてただろ。ハロウィンも年明けもイースターも、一年のお決まりのイベントには何となく一緒だった!丘の上からチーズを転がす祭りだって一緒に観に行ったよな!いちいち約束なんかしなかった」
「チーズを転がす祭りは約束して行ったよ」
「当日の朝だ!なんかこういうのやってるらしいから行ってみるかって…あれが約束か!?」
「ちょっと落ち着いてクロウリー」
「落ち着いてる!…悪い。落ち着いた。いいんだ、済んだことは。今のことだよ。考えてみろアジラフェル、これまではいちいち前もって約束なんかしたことなかったろ。いつもそうだったのに、急にそんなこと訊かれたら今年は違うのかって思うのが普通だろ?」
「だって、前は約束なんてできなかったじゃないか」
アジラフェルは居心地悪そうに合わせた自分の指先へ目線を落とし、ぼそぼそと言い返した。が、到底クロウリーが納得できる答えではなく、クロウリーは長い両脚を投げ出して盛大な溜め息を吐いた。
これまでは理由無しに当たり前に一緒にいたのに、理由を作れるようになったからってわざわざ尋ねるなんて、そんなあべこべなことがあるかよ。
もちろんアジラフェルの言い分もわかる。約束なんてできなかった。一緒にいるには偶然を装うか、上と下の目を盗んでそれぞれ違う理由をつけなければならなかった。今は違う。わかってる。
「…タイミングが最悪すぎる」
「…反論無し」
「なんで今なんだよ。いいか、今日はイブだぞ!」
「ごめん。タイミングに関しては完全にわたしに非がある。言い出せなかったんだ、勇気が無くて」
「意味がわからない」
「今この時間になってもここにいるってことは明日も一緒に過ごしてくれるつもりってことだろうし、断られる可能性は低いと思って」
「計算高い天使だ、おまえは」
「思慮深いんだ」
「狡賢い」
「単に賢い」
「小賢しくて、小利口で、小狡くて、小憎らしい天使だ」
「…もうわかったよ。悪かったって言っただろ」
クロウリーは精一杯の悪口を言ってアジラフェルを怒らせようとしたが、今日のアジラフェルはまるっきり降参らしくろくに反論してこなかった。
今度こそ本当に体の力が抜けて、深く深く息を吐いた。勇気がなくてって何だ。相手はおれだぞ。おまえがおれに何の勇気が要るんだよ…
テーブルの上に置かれっぱなしですっかり冷えたティーカップ、思えばこれも変だった。書店は当然休みだし、最初からアルコールを提案されてもおかしくなかったのに。
「わたしは、堂々ときみを誘える理由ができたって思ったんだよ…長い間、わたし達が一緒にいるには対外的な理由が必要だったろう。でも今は、ただ単にきみと過ごしたいからって、たったそれだけの理由でいいんだ。それだけでよくなったから」
「アジラフェル。おれは地獄の手先だった頃だって、おまえにそんなふうに誘われたら絶対に断りはしなかっただろうよ」
「そんなふうって?」
「一緒に過ごしたいからいてくれって」
「…そうだね」
「おれは考えすぎだし、おまえは言葉選びが下手すぎる。それから全っ然素直じゃない。おれ達二人とも」
「………」
「反論は?」
「…無し」
両手を挙げるアジラフェルに、クロウリーはゆっくりと深く頷いた。
「おまえが“不安定だ”って言ったのは正しいよ。その通りだ。約束なんてしてなかったんだから」
「次からは約束をしよう。どんな些細なことでも」
「なるべく勇気を出して、な」
「なるべく素直に」
「ああ」
「そっちに行って、隣に座ってもいい?」
アジラフェルの話が飛躍するのには慣れているクロウリーは、返事の代わりに首を傾げてみせた。拒む理由は無い。が、中央に下ろしていた腰を上げる気は無かった。
クロウリーなら三人は座れそうなソファの隅にアジラフェルはちょこんと姿勢良く座り、横を向いてにっこり微笑む。
「そうしたいと思ったときにすぐに手を握ったり、髪や頬に触れたりできるように。もっと近くできみの顔を見たいし」
それは「これからそれらを行うよ」という宣告に等しく、クロウリーはぐっと唇に力を入れた。一気に形勢逆転だ。こういった居心地にはまだ慣れていない。
「きみの傍にいたいと思ったら素直にそう言えばいいんだよね。それで、きみが許してくれさえすれば叶うんだ」
「素直になるっていうのは何でもかんでも口にするってことじゃない。アジラフェル」
「わかってるよ」
「わかってない」
「わかってる。今のはわざと言ったんだから。そしてきみは照れてる。そうだろ?」
「おまえみたいなのをなんて言うのか教えてやろうか、天使様」
「うん」
「小悪魔っていうんだよ」
「ふふん」
アジラフェルは尚も笑った。そのうえ、クロウリーの手を握って愛おしげに見つめさえした。
わたしに向かって悪魔だなんて、とすぐに言い返してくるだろうと思っていたクロウリーは戸惑うしかなかった。
「きみに言ったことは無かったかもしれないが、わたしにとって悪魔は、それほど嫌な存在じゃないんだ」
「…そこまで素直にならなくていい。エンジェル」
「それで、クリスマスのことなんだけど」
「ああ」
「明日は一緒に過ごさないか?」
「“二人で”が抜けてる」
「んん…やり直す。クロウリー、明日のクリスマスは二人だけで過ごさないか?」
「そうしよう」
たったそれだけだ。返事のわかりきっているクリスマスの誘いだけでこんなにも遠回りする必要なんてなかったのに。
二人は全く同時に息を吐き、それから顔を見合せて、少し笑った。