S1視聴後に書いたものが残っていたので供養
ep3の喧嘩の話です
※無いとは思いますが、もし過去にどこかで目にされたことがあってもご安心ください本人です
@otohitoe_
「一緒に逃げることもできる」
一緒に逃げる。
本当のところ、そう口にした本人が実は一番驚いていた。でも悪魔だから何でもない振りをした。何でもない振りができたことこそ、彼が悪魔たる証明だった。
悪魔。悪魔。悪魔。
頭の中でその大きな単語が文字となってそのまま居座り、オルゴールのようにゆったりと回転し始める。ただし台座はある種下品な輝きを放つキャバレーのステージのようだった。
そして目の前にいる天使がそれを照らしていた。射し込む光は真っ白で目映いばかりなのに、ステージライトがその光を吸い込む傍からびかびかと点滅させてステージを照らす。“悪魔”の文字がゆったり回る。
ここに天使がいなければ、そこは真っ暗闇のままなのに。何が在ろうが、何が起こっていようが、見えなければ無いのと同じなのに。
おれの瞳を通してそれを照らしてしまう天使がいるから、ああもうこんなにもはっきりと読めてしまう。
「…一緒に逃げる?」
アジラフェルが言葉の意味を確かめるように復唱して返してきたのは、クロウリーの頭の中で回り始めた悪魔の文字がちょうど180度回転し、完璧な鏡文字になったところだった。
「自分が何を言っているのかわかってる?」
当たり前だ。おれの口から出たんだから。おれだって聞きたい。何言ってんだおれは。
本当の奇跡でも起きない限り、例え悪魔でも口から出てしまったものを無かったことにはできない。けれどアジラフェルの動揺がクロウリーを一層勢いづかせた。アジラフェルは悪魔の馬鹿げた話を一蹴してみせたが、六千年の時間をかけて少しずつ積み重ねた交友はクロウリーにその心の揺らぎを見逃すことはさせなかった。
クロウリーはいつだって、天使にとっての自分はスマートで、ぶれなくて、自分の欲に素直な、そういう…悪魔でありたい。と願っていた。
「友達だろ。六千年も前からずっと」
「友達じゃない!」
悪魔という在り方は、言葉の裏に別の思惑を孕んでいるとどうしても“悪魔のささやき”になってしまう。しまったなと思った。アジラフェルにそんな風に聞こえたら嫌だな、と。間違いなく本心だが、アジラフェルにとってはまさに悪魔のささやきに聞こえるだろう。
悪魔の文字はゆったり回る。
二人で逃げたいというのはクロウリーの望みであることは間違いなく、アジラフェルに神へ背を向けさせる行為だったかもしれない。けれどクロウリーは、決してこの天使様を地獄に招待したいわけでも、神に嫌わせたいわけでもない。
本人がそれを望んでいないからではなく、アジラフェルにはずっとこのままいてほしいと思っていたからだ。
だからクロウリーは、アジラフェルにもそれを望んでほしかった。二人の望みになってほしかった。
悪魔の文字はゆったり回る。
クロウリーは口の端をきゅっと結んだ。天使様がいなければ、自分が悪魔であることなんて千年もしない内に忘れてしまって、面白可笑しくただ在るがままに過ごしていただろうに。ハルマゲドンか、とうとうきたのか。残念だな。くらいは思っただろうけど、逃げる、逃げるだなんて、それはまさにとんでもないことだ。
天使も悪魔もどうでもよくて、おれがどっちだっていいと思っていたって、天国と地獄は在る。在るからには、ハルマゲドンにだって参加していただろう。おれはきっと、結局悪魔だから。
そしてここまでが“天使様がいなければ”の話で、このおれにはまさに今目の前に天使がいるから、おれはおれのこれからを、おれ達のこれからにしなければならなかった。残念だな、なんかで終わらせられない。おれはこの天使の友達がハルマゲドンなんかよりもずっと大事で、好きだった。
そうやっていわゆる温かい気持ちというのを意識すると腹の奥がぎゅっとするようなむずむずするような、とにかく不快感が蠢くが、その不快感ごとこれまでの六千年間大事に抱いてきた。どれだけ疎ましく思うときがあっても、この先もずっと抱えていきたいもののひとつだった。
「きみの問題だクロウリー!」
そんなふうに叱られてもアジラフェルはちっとも怖くはなくて、こんなときでもおまえはおれの名前を呼んでくれるんだな、なんて思った。尤も、おまえは叱ったんじゃなくて怒鳴ったつもりなんだろうけど。
悪魔の文字はゆったり回る。
もう何度目かの“悪魔”の鏡文字。
どれだけ天使の眼差しを注がれ、輝いたって、裏返ろうが、歌おうが、踊ろうが、その光が失われようが、それは絶対にそこに在る。
それはたぶん、いや間違いなく、いやでも、やっぱり、きっと、おれ自身だった。
悪魔の文字はゆったり回る。
ステージライトはもう消えかけている。
ただ在れと望まれたままに、ただ在るだけなのに。
ただ在れ。ただ在れと。
本当に神は言ったのだろうか。“悪魔在れ”と、はっきりと。あるいは、“悪魔クロウリーと天使アジラフェルを隔てる壁在れ”と?
その空想のばかばかしさに、クロウリーは少し恥ずかしくなった。この空想力こそクロウリーの才だったが、彼自身にさえ御せないほど、頭の中は自由だった。本当に自由だった。だから、二人で逃げようなんてことも言えた。これもやっぱりばかばかしい望みなんだろうか。
「もう終わりだ!」
アジラフェルからその科白が出てきたとき、ああもうどうしようもないなとクロウリーは思った。それが本心ではないことは勿論わかっていた。アジラフェルのことは本当に好きだが、クロウリーにも心はあった。小さな傷が付いたのだった。
これ以上傷つかない術を知っているクロウリーはバンドスタンドを後にした。
癒す方法も勿論知っていた。けれど今はそれに背を向けることしかできなかった。
諦める気はさらさら無いが、クロウリーは、アジラフェルにこそ望んでほしかった。
ただ在れと。アジラフェルと、クロウリー。ただ二人で在ろうと。
「良い終末を」
悪魔の文字は回り続ける。光を失ったまま。
ただ、今はもう見えない。