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@otohitoe_
首の折れた小さな山羊がいた。いや、あった。
(山羊がある)
白い毛並みに、ところどころ黒も混じっているまだら模様の幼い山羊。若木で組まれた台に乗せられたそれは、骸にしては随分と綺麗な体をしている。つまりそれは、人間のものらしかった。
クラウリーはひとつずつ言い直す。
(人間の、山羊がある)
もう一度。
(人間が、首を折った、山羊がある)
違う。もう一度。
(人間が、殺した、山羊がある)
それは罪では?
(人間が、捧げた、肉がある)
その白く小さな首の曲がった山羊は神への捧げものだった。
誰が負う罪でもない。罪どころか感謝であり祝福だった。簡素な供物台には、これを設えた人々の信じる神への捧げものが並べられていた。花、果実、麦、肉。クラウリーの知っていた神が欲しがるようなものにはあまり思えないが、きっと何を捧げるかなどは関係ないのだろう。
人も山羊も、彼らはクラウリーの持たないものを持っていた。
永久の命を奪われた者たち。もしくは、与えられた者たち。
死が良いものかそうではないのかをクラウリーは知らず、どう表現すべきかわからなかった。一万年経ってもわからないままかもしれない。或いは、時と共に移ろうものか。
命を奪い、奪われることが、死を与えられ、与えることが、今この時、同時に等しく存在しているように。
クラウリーは自分のことを考えた。悪魔として正しいことかはやはりわからないが、クラウリーは自分はどの時に在っても奪い、奪われるものなのだろうなと思った。
クラウリーはもう一度言葉を直す。
(山羊があった)
もう一度。
(人間に、首を折られた、山羊があった)
違う。もう一度。
(人間に、殺された、山羊があった)
それは罰では?
(神に、捧げられた、山羊がいた)
誰の罰でもない。人々の信じる神へ捧げる感謝であり祝福だった。簡素な供物台に並べられた命が望んでそうなったのかはわかり得ないが、きっとそんなのは些末なことに過ぎないのだろう。
神が堕とした天使がいた。神に堕とされた天使がいた。天使は神に堕とされた。
堕とされた天使があった。
天使だった悪魔が今、いる。
天使は捧げものだったのだろうか。たとえば計画の調和のための。調和のための仕組みへの。仕組みのための歯車への。歯車のための材料への。
或いは、壮大な遊戯の駒として。
もしもクラウリーがこんなふうな山羊に姿を変え、首を折られ、人々から神への捧げものになったなら。
もしもクラウリーが山羊の首を折り、神へ捧げたなら、それは善い行いになるのだろうか。いたずらに命を奪ったと、やはり罪になるだろうか。クラウリーには人間以上に計り知れないことだった。だから地の底に堕ちたのだから。
クラウリーはその晩、人間の小屋から盗んだ子山羊の首を折った。供物台でも何でもない、ただ地の上に横たえられたそれを、夜が明けるまで眺めて過ごした。
悪魔は神へ祈ったりしない。けれど神の存在を知っている。クラウリー達が戦ったのは神ではなく、天使達だった。
いつか人々が神を忘れ、疑い、存在こそを信仰とするような日が訪れるとしたら、自分は何者になるのだろうか。悪魔が何かに変わるだなんて、それこそばかばかしい空想だろうか。
クラウリーは自分が天使だろうが悪魔だろうが何だって構わなかった。次から次へと湧いてくる疑問に答えさえあれば。もしもこうなら、ああなったとしたら。善か悪か、正か否か。そんなこと例え知れたとしてどうなる?堕ちてなお罪を重ね続ける愚かしさにぞっとする。ああでも、これが罪だとしたら、答えを得られないことが正真の罰だ。
悪魔は神に祈らない。愛さない。愛を求めない。疑問を抱かない。クラウリーにはわからないことばかりだった。なるべくして堕ちたとしか言いようがない。
無償に、あの天使に会いたくなった。一匹の愚かな悪魔の名を呼び、その問いに不器用なりに応えてくれるあたたかい天使。悪魔にさえ救われる、決して疑いを持たない天使。
「アジラフェル」
クラウリーはその名を大事に、大事に唱えた。何度も繰り返し唱えた。自分のものと呼べるものは胸の内の疑いのみだったクラウリーが、なにか確かなものを持っている気持ちになった。それは吹けば消し飛んでしまう小さな灯火のような、予感としか言いようのないものだったが、消えてしまわないよう、クラウリーはその名を何度も唱えた。
アジラフェル。
今はただ、あの天使に会いたい。