(元)編集×作家の人間AU
どこかの世界の日本っぽい国の現代人っぽい感じのふんわりしたイメージで楽しんでいただければ…
このあと二人で一冊世に出したあとアジラフェルはあっさり編集を辞めて本来の画業(鉛筆画家)に戻ります。
@otohitoe_
高校の卒業式の日におまえが好きだと伝えたのは完全に未熟でエゴイズムの塊である思春期のせいで、単なる偶然の重なりでもあった。
聞こえの良い表現で言い訳していいのなら、いわゆる若気の至りってやつだった。自分に酔っていたと言ってもいい。それか運命のいたずらってやつ。いや、これはさすがにちょっと陳腐すぎるか。
地元を離れることは決まっていて、もう二度と会うこともないであろう、連絡先のひとつも知らない片思いの相手。ドラマチックだろ。今や空想で飯を食ってるおれらしい青春だと言ってもいいだろう。おれの初恋と甘酸っぱい青春は、その綺麗な思い出のままで終わっていた。
と、思っていた。突然目の前に現れたアジラフェルがあの春がまだ続いていることを現実としておれに突きつけるまでは。
アジラフェルをひと目見て思い知らされたのだ。おれはまだアジラフェルが好きだった。
「新しい担当?おまえが?」
「そう」
「出版社に就職したなんて」
「何の仕事なら意外じゃなかった?」
「………、」
「きみ、卒業してから誰との連絡も断ったろ。見つけたときには“先生”だったし、怪しまれずに近付くにはこれしかないと思って…」
「ちょ、ちょっと待て」
アジラフェルはあの日のおれの告白の返事をするためだけに、出版社に就職しておれの担当編集に成り上がったと言うのだ。この業界ではまだ若手とはいえ一応売れてる作家だぞ、おれ。
「ずいぶん時間がかかってしまったから、今度はわたしが返事を聞く側になるんだけど…」
「信じられない」
「って言われても…いや、それもそうか?あれからもう十年くらい経つもんね」
「それもだが、おまえはおれのことなんて知らないはずだろ」
「高校のときの話?」
「同じクラスになったこともなければ部活も委員会も全然違う。共通の友達だっていない」
「でも好きだったんだ」
「………、」
「きみだってそうだろ」
それを言われてしまえばぐうの音も出ない。
おれがアジラフェルについて知っているのは、優しくてあたたかくてちょっと頑固なところもあって、柔和でいて自分の中にぶれない芯が一本通っているということ。
それから、高校に入って最初の夏休みの課題だった読書感想文で、入選したアジラフェルの作文。
文章にもひと目惚れすることがあるのなら、おれはそれをしたんだと思う。これを書いたのはどんなやつなんだと強烈に惹かれた。あいつがアジラフェルか、と初めて顔を見たときのことは覚えていない。アジラフェルの容姿にときめきもしなければがっかりもしなかったんだと思う。たぶん、文章そのものだ、と思ったんじゃないかな。あれがおれの好きなやつか。ふうん。くらいは思ったかもしれない。
翌年の読書感想文で入選したのは別のやつで、アジラフェルがどんな感想文を書いたのかは読めなかった。ラストチャンス、その翌年の入選もアジラフェルではなかった。そして気付けば卒業じゃないか。最初の夏から丸二年半、おれはただアジラフェルの感想文を待つだけで高校時代を終えた。今思えば何してたんだと思うが、あのときのおれは本当にずっと満足だった。影からアジラフェルを見ているだけで充分だった。アジラフェルの優しくてあたたかくてちょっと頑固なところもあって、柔和でいて自分の中にぶれない芯が一本通っているところ。あの感想文そのまんまだ。
アジラフェルの感想文の中には、おれとはひとつ、絶対に解釈が合わないところがあった。例えおれと唯一無二の親友だったとしてもきっと意見を曲げることはないだろうと伝わるような主張だった。そこが良かった。
アジラフェルは美術部で、二年目からは学校内に絵も飾られるようになっていた。三年目には部長になっていて、全国コンクールにもいっていたはずだ。入学した日から卒業するその日まで、少しも制服を着崩したりせず、ぴんと背筋の通った如何にも優等生らしい生徒だった。
告白したのはたまたまだったんだ。三階に美術室のある棟、その一階の廊下、たまたま、本当にたまたま周りに誰もいなくて、話すならこのときしかなくて、初めて面と向き合って、二人きりで。
「あのとき…本当にびっくりして」
「…そりゃそうだ」
「なんて答えたらいいかわからなくて、頭が真っ白になっちゃって…そうしてるうちにきみは行ってしまって」
「………」
「なんとか連絡先をと思ったんだけど、卒業式のすぐあと、きみってばアドレスも電話番号もごっそり変えちゃってて」
「返事を、」
アジラフェルの言葉を遮ってから、深呼吸をひとつ挟む。突拍子もなく夢にも思わなかったようなありえないことばかりで頭がついてこれそうにない。
「おまえからの返事を、求めてたわけじゃない」
「でもわたしも好きだった」
「………」
「あのとき、本当はそう返したかったんだ。わたしもわたしの気持ちをきみに伝えたかった」
「…信じられない」
「そりゃあ、今やきみは著名人だもんな。警戒するのも当然だけど…」
「おまえに限ってそれはない」
強く否定すると、アジラフェルは少し目を丸くして、それから十年前と変わらない優しい微笑みで、僅かに首を傾けておれに問う。
「話したことがあるの、覚えてる?」
「…おれとおまえが?」
「ふふ…」
アジラフェルはそれはそれは愛嬌のある顔で笑った。おれの反応が予想通りだったのがおかしかったらしい。
「嘘だ」
「嘘じゃない。話したことがあるんだ」
「いつ」
「きみはいつからわたしのことが?」
「………、」
「話したいことがたくさんあるよ。きみもそうだよね」
アジラフェルはおれの手をそっと握る。三十も近くなって、たったこれだけのことで心臓が跳ねて全身に緊張が走る。アジラフェルの手のひらはあたたかくてやわらかい。アジラフェルみたいだ。いやそりゃそうだろ。意味わかんねえ。
「あのとき、びっくりして、嬉しくて、立ち去るきみを呼び止める言葉すら出てこなくてごめん。わたしもきみが好きだ。これから同じ時間を一緒に過ごしていきたいと思ってる」
目が回りそうになりながら、必死にアジラフェルの言葉を頭の中で咀嚼する。アジラフェルは恐れるものなど何も無いって感じの眼差しでおれの体を射抜いている。指一本動かせない。かろうじて震える唇で、うん、とか細く肯くので精一杯だ。
「こうしてきみと再会して、その目を見たらまだ間に合うってわかった」
「ア…アジラフェル…おれは、」
「十年でも二十年でも待つ。きみを待たせてしまったぶん」
「好きだ」
無意識にアジラフェルの手を握り返しながら、何の考えもなく、反射のように告げた二度目の告白。
「おまえが好きだ、おれも」
「うん」
アジラフェルの眼差しには間違いなく好意があって、恥ずかしくて照れくさかったけど目を離すことはできなかった。
新しい担当編集者との打ち合わせの予定のはずだった午後一時半。打ち合わせでいつも使っている近所の馴染みの喫茶店。落ち着いたボリュームで心地好く流れるしっとりとしたボサノバ。すっかり冷めたテーブルのコーヒーと紅茶、ふたつのカップ。
この普段と変わりない光景と、決定的に明確に、劇的に変わったおれの世界、愛らしく微笑むアジラフェル。
なんてこった。あのアジラフェルが今日からおれの恋人になった。