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或るささやき

全体公開 或る話 4827文字
2024-09-11 00:13:25

酔っ払いの話(n回目) / アジクロ

Posted by @otohitoe_



「なあ、なんか甘い言葉言ってくれよ。おれに」

発言からもわかる通り、クロウリーはべろべろに酔っぱらっていた。

「なにそれ」
「おまえのことがもっと好きになるかもしれないぜ」
「ふーん?」
「あまあい言葉だよ。言ってみろ」
「マカロン」
「は?」
「クレープ、カリソン、ギモーヴ、キャラメルプディング、プロフィテロール、ピーカンパイ
「そうじゃない。馬鹿。馬鹿天使」
「きみが言えって言ったんだろ」
「甘いものじゃない。甘い言葉を言えって言ったんだ、おれに」

もちろん揶揄っただけだが、ぷりぷり怒ってなんともまあ可愛い。
向かいのソファで行儀が悪いなんてものじゃない座り方をして、人にものを頼む態度とは到底思えない調子で長い人差し指を立てて、それを指揮棒のように振るう。

「愛してるとか、おまえはとってもかわいいよとか」
「ふふ。ちょっと陳腐だね」
「うるせえよ」

クロウリーは唇を尖らせながら表情を険しく歪めた。
大体そんなの普段一番言っている気がする。ということは普段もしっかり嬉しいのかな。だとしたら、もっと寄越せとねだりながら陳腐だなんて素直じゃなさすぎる。あれ?陳腐だって言ったのはわたしのほうか。ああ、わたしもだいぶ酔っているな。

「愛してるよ、クロウリー。わたしのかわいい、優しい悪魔。きみに見つめられると目が離せなくなる。その瞳から溢れる蜂蜜に溺れてしまいそうだ」
「ふは。悪くないな」
「きみの低い悪魔のささやき声も、上擦った甘える声も、どんな音楽よりも美しい」
「うん」
「誰にも心を許さないふうに振る舞って、そうして無関心を装っていても、きみの心のあたたかさは隠せない。知れば誰もがきみの虜だ」
「うんうん」
「きみの燃えるような赤く美しい髪がわたしの心を焦がし尽くす前に

次の言葉を紡ぐ前に、アジラフェルははたと止まった。
これは何の比喩でもない。けれど自分の心に正直な欲求で、きっとすぐにでも叶えうる望みだ。

………
「なんだ。もう弾切れか」
「キスして
………、」
「って言おうとして、やめた」
「やめるなよ。最後まで言ってみろ」
きみにキスしたい」
「この酔っぱらいめ」

クロウリーは悪戯っぽく笑う。

「してほしいって言いたかったんじゃなかったのか」
「してくれるの?」
「ふふ
「ほら、どうせしてくれないだろ」

満月のような眼を心底楽しげに細め、クロウリーは手に持っていたグラスをローテーブルにこつんと置いた。否応なしに期待感が高まる。そう事は上手く運ばないと頭ではわかっているのに、どうしようもない。

「してくれていいぜ」

ほらね。立ち上がる素振りすら見せない。

いいよ。してあげる」

我ながら幼稚だなと思うが、酔いを理由に自制を利かせず少々手荒な真似に出る。
グラスを持っていないほうの手を持ち上げ、軽く丸めたその甲に唇を当てると、だらしなく投げ出されたクロウリーの足の爪先が、ほんの僅かにびく、と揺れた。

おい。何した、今」
「きみの首筋にキスをした」
「こんなくだらないことに奇跡を使うんじゃない」
「くだらなくなんかない」
「う、」

言い終えないうちに再びキスをする。今度は頬に。
なんだか新鮮な気持ちになった。クロウリーの全身を視界に収めたままキスができるなんて。くだらなくないし、だいたい奇跡と言うほどのことでもない。元々アジラフェルは微粒子単位でどこにでも存在できるしそれはクロウリーも同様で、そしてアジラフェルからクロウリーへ贈るキスも既にこの世界に存在する。存在が確かなのだから、それを実現するだけ。造作もないことだ。
ただまあ、あまり深くは考えない。もし“本当は不可能”が真実であったなら、それを知ってしまった時点でとてつもない奇跡になってしまうかもしれないから。

「やめろ」
「きみからの許可は得ている」
「こんなの対象外だ」
「ふ対象外のキスか。ちょっとおもしろいね」

今度は少し強く押し当て、ちゅ、と小さく音を立ててみる。クロウリーは肩を竦めるように震えた。今のは耳へのキス。

「アジラフェル」
「うん」
「楽しいか?」
「うーんあんまり」

クロウリーに贈っているキスには違いないが、実際に触れているのはあくまで自分の手であってクロウリーではない。反応があるから、それが楽しいだけ。

「じゃあやめろよ」
「きみが観念してこっちに来たらやめてもいいよ」
「観念だと?そりゃおまえのほうだろ」
「おいで」
「絶対に行かない」
仕方ないな」

誘導の仕方に失敗したな、と思った。絶対に向こうからは動かない強い意志を感じた。
仕方なくアジラフェルは立ち上がり、グラスを慎重にデスクへ置いてからクロウリーの傍へ寄った。クロウリーは当然だと言わんばかりにふんと鼻を鳴らしている。
薄い肩を通り越して背凭れに手をつき、いよいよ本当にキスをすると見せかけて、アジラフェルは蛇のような黒く細い体をひょいと持ち上げる。

「なっ、ん、」

驚きのためか思ったよりも暴れられることもなく落とされたらと自分の身を危ぶんでいたのかもしれないがアジラフェルは実に穏便に、元いたソファへ戻って腰を下ろすことができた。

……おまえ
「やあ、来たね」
………
「どうした?静かだけど」
なんて言おうか考えてる」
「甘い言葉でもくれるの?」
「呆れて言葉が出てこないって言ってんだよ」

クロウリーは大袈裟なほど深い溜め息をひとつ吐いて、「おまえほどの負けず嫌いは地獄でもそう見ないだろうな」と本当なら聞き捨てたくない台詞を吐きながらアジラフェルの膝の上で両脚を投げ出した。

「やれよ。好きなだけ」

きみだって望んでいるくせに、と言い返してもう少し戯れてもよかったが、このあたりで素直に受け入れてやることにし、

「それじゃあ遠慮なく」

とまずは頬から始めることにした。
顔が近付いたせいかアルコールの香りが強く漂い、息をするだけで尚酔いが深まりそうだった。

(いや、)

アルコールではない。クロウリーの体から漂うフェロモンとも言うべき香りにこそアルコール以上にひどく酔う。

「ん

膝の上の痩躯を強く抱き寄せ、首の後ろに唇を当てる。先ほど感覚だけを与えた場所に、今度こそちゃんと口づけてやった。
好きなだけ、と言った言葉通り、クロウリーはもうすっかりアジラフェルに体を預けてしまっていて、時折鼻に掛かったような甘い声を小さく漏らすだけだった。
喉に唇を触れさせると、薄皮越しにひくりと鳴るのが直接伝わる。何か声を出して震わせてほしい、という気になり、アジラフェルは「ねえ」と強請った。

「ねえ、さっきの」
「何
「冗談じゃなくて、本当に言ってほしい。甘い言葉」
やだよ」
「ひとことでいい。好きって言って」
………

クロウリーは少し考えたあと、一度宙をくるりと見渡した。薄ら開いたままの口から息が漏れる。

「愛してるよ、マイディア」

それはアジラフェルがよくクロウリーに向けて聞かせている台詞のひとつで、わざとらしいほどはきとした口調は「ただそれを真似をしただけだ」という主張のつもりなのだろうが、それでもアジラフェルを喜ばせるには充分だった。

「もう一度言って」
「言わない」
「お願い」
「断る」
「今のすごく良かった
「だろうな」

くたりと体を弛緩させたまま他人事のように言うクロウリーに、アジラフェルは少しむっとした。

「わかってるなら意地悪しないで言って」
「おまえが甘いこと言ってくれたら、それにあてられておれも口を滑らせるかもな」
「いいよ。ミルフィーユ、シナモンロール
「もういいって、そのネタは。おもしろくないぞ」
「でも笑ってる」
「笑ってない」
「笑ってるよ」
「呆れてんだ」
「笑ってる」
「しつこいな、もう

クロウリーは含み笑いをしながらアジラフェルの頭を胸に抱きしめて口答えを封じた。抱きしめあうのもキスをするのもされるのも、本当は何ひとつ嫌なんかじゃないくせに。まったく天邪鬼だまあ、悪魔だからそういうものなのかもしれないけれど。

(でも)

素直じゃないところまで愛しいと思うのはクロウリーだけだ。
アジラフェルは首筋とシャツの襟の隙間に顔を埋め、例の香りを鼻腔いっぱいに吸い込んだ。

「この前食べたのなんだっけ。ドイツのフェアをしてるときだったと思う
あー、わかった。でもわかんねえ」
「ググーブル
「違う、思い出した、最初はグーゲルだった。グーゲルナントカだ」
「グーゲル、フブブル
「フル?ロ?」
「グーゲルグーゲルフブロフ
「ああ、確かそんなだ」
「近い気がするよね」
「フブロフフルフロ
「フルふふはは、あははっ、だめだ、なんか可笑しくなってきた」
「おまえが笑うのかよ」

今度はクロウリーも間違いなく笑っていた。それをいいことに、首筋にちゅっと吸いついてみる。抵抗はしないらしい。
アジラフェルと比べれば随分大きく開いたシャツの合間を移り、薄い皮の下の硬い鎖骨まで唇で辿った。クロウリーは何も言わず、ただアジラフェルの襟足を指先で緩く弄んでいた。

「きみも呼んで、わたしのこと」
「ペットネーム?」
「前に何か呼んでくれたことあったよね」
「コットンキャンディエンジェルだったか?」
「そうそれ」
「うーんミルクプリン
「ふふ」
「練乳漬けのマシュマロ天使」
「うん
「ンっ、ミルクパンのフレンチトースト
段々メニューになってない?」
「蜂蜜愛好家のテディベア
「似てないよ」
「ふっ、ふふ、ふ、ふ……

機嫌よく笑うクロウリーの尖った肩が戦慄くように震える。本当に可笑しそうに笑うものだから、少し鈍くさくて常に腹ぺこの食いしん坊テディベアに例えられたことなどあっさり許せてしまうのだが、不満だけは伝えておこうと首の付け根の括れにかぷりと噛みついた。

「っ、ん

アジラフェルはここに歯を立てたときの感触が好きだった。骨付きのリブ肉に噛みついたときの食感とそっくりでいや、これじゃやっぱり食いしん坊みたいだから考えるのはやめておこう。

「アジラフェル
「うん
「おまえ、息、あつい
「離れたほうがいい?」
「そうは言ってない」

アジラフェルが顔を上げると、恨めしげに見下ろすクロウリーの眼差しと視線が交わり、どちらともなく唇同士を重ねた。ああ、確かに熱い。
浅くはなく、けれど決して深くは追わず、粘膜が触れるか触れないか紙一重のところを啄んだ。アルコールの匂いはまだ強い。クロウリーはウイスキーを飲んでいた。わたしは何だったか。もう忘れてしまった。そういえば手に持っていたグラスはどうしたろう。ちゃんと零れないところに置いたっけ
考え事をしているうち、とうとう唇の内側のぬるりとした熱い粘膜が僅かに触れた。思わず顎を引いたが、それはクロウリーも同じだったようで、濡れた瞳が間近にアジラフェルを見つめていた。

「はなんだかくらくらしてきた」
「飲みすぎだな」
「酔いを醒ましたほうがいいかな?」
「好きにしろ。おれはしない」
「じゃあ、わたしもしない
「くらくらするほど酔ってんのに?」
「でも、酔っ払っているのは気分が良いから」

クロウリーはくっくっと喉を鳴らして笑った。アジラフェルも嬉しくなって微笑んだが、クロウリーが笑ったのはその返答が天使らしくなかったからだった。本当の理由を聞いていれば、きっとすぐに訂正を求めただろうに。









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