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トコシエの酒、とりとめない話

全体公開 奈落の大穴 5750文字
2024-09-18 11:20:08

滑落亭で駄弁っているジルオとオーゼン、間にハボルグの話。

 滑落亭には会合があれば寄ることはあった。食事はとびきり美味いし、情報収集には事欠かない。しいて難点を云うなら、孤児院の経費で落とせないのでそう何度も来られない点だろうか。
 ハボルグに誘われれば断りにくかったし、景気づけに一杯の酒を奢られるときもある。その日もジルオは組合を通じた会合の後で、ハボルグの後を追って店に入った。
「おや、君も酒場に来るような歳になったんだねェ」
 一杯につられたことをジルオは後悔したくなった。ジルオが気づくより先、めざとく声をかけられてしまったせいで、踵を返すひまも与えられやしなかった。
 人気が引いている五人がけのテーブルを占領して、不動卿が座りこんでいた。時を止めたように昔から変わらない大柄で、猫背になって樽杯をかたむけている。
 ハボルグが帽子をとって軽く頭を下げた。
「これは不動卿。お久しぶりです」
「やァ、噂は聞いてるよ、うちのシムレドをこき使ってくれて有難いくらいさ。あれは仕事をやらなきゃすぐグダるからね。で、そこの月笛を貸してもらえるかい」
「それは……、ジルオ?」
 うかがうようにハボルグがジルオを向く。ジルオは肩をすくめた。ハボルグは気軽に挨拶を叩ける程度に不動卿に信頼されているが、気を悪くさせればどんな報復をされるかわからない。連れをひとり、人質に差し出せば済むなら軽いものだろう。
 こそりと大柄な身体をかがめて、ハボルグは「すまんな」と告げて別のテーブルへと行った。距離はさほど遠くない。不動卿が何か無茶振りしようものなら割って入る気らしいことを示していて、むしろ申し訳なかった。
 ジルオが椅子を引いて不動卿の正面に腰かけると、周囲の視線が興味津々に集まっているのを感じた。不動卿は不愉快そうに羽虫を追い払うような動作をして、ジルオを睨む。睨んだようにしか見えなかった。
「さて。好きに注文したまえよ」
「貴女のお好みのようで構いません、不動卿」
「ずいぶん連絡が途絶えたくせに一言目がそれかい、ジルオ。薄情な子だね」
 給仕の蒼笛を呼び止め、トコシエコウ酒とつまみをいくつか、そらで告げた。もう何度も注文を受けているらしい給仕は、一周回って落ち着きを取り戻しているらしく、ごく普通に復唱しながら厨房へ戻っていく。テーブルの上に重ねられた皿の数を見るに、いったいいつから居座っていたのやら。
 不動卿はキツい匂いの酒を呑み干し、けれどもまったく酔っていなさそうな顔色で頬杖をつく。
「なにか話すことがあるんじゃないのかい」
「いいえ、特には」
 本当に話すべきことなどなかった。しいて語るなら、師匠の頼まれごとがあったかもしれないが、滑落亭で話せる内容ではない。ここでの噂は噂として、真実でも偽りでもなく、内外を無尽に駆け巡るものだ。
 早くできた料理とトコシエコウ酒が運ばれてきた。不動卿が手ずから杯に注いでジルオの方に押しやる。食事代が浮くことには幸運であっても、借りを大きくするようで、気が進まない。が、手をつけないのも印象が悪いので仕方なく酒に口をつけた。辛い酒精が喉を焼いてジルオは咳き込んだ。
 不動卿がニヤリと唇を歪める。
「まだ早かったかい?」
……コホッ、いえ、飲みます。それで、不動卿のご用件はなんでしょう」
「用件がなくちゃ話せないのかい」
「白笛と一介の月笛が気安く話せますか。貴女は無駄をお嫌いだ。用件もなく地上に来られることはないでしょう」
「フーン……まるで、自分に会うために私が来たんだ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽと、確信してるみたいな物云いだねェ?」
 ジルオは息を詰めて、不動卿の暗い瞳を見つめた。口の効き方で、持つ年月の違いか、不動卿に勝てたことは一度もない。そして不動卿はジルオが云い負かされると不気味に笑うのだった。趣味が悪い。
 ジルオははっきりと、まだ自分が不動卿を苦手なままであることを思い返していた。
……暇をまぎらわすための酌でしたら、お付き合いします」
「最初っからそう云ってりゃいいのさ。二杯目は」
「同じものを」
 ふたたび酒が杯に汲まれた。長居になりそうだとジルオは思った。夜明けまでに帰れたらいいのだが。
 雑然とした昔話が不動卿によって語られる。店内の探窟家たちがいまだこっそり聞き耳を立てている気配がしていたが、話し相手をまえに機嫌が良くなっているのか、不動卿はほとんどかまわずに、あからさまに絡んできた者がいたときだけ追い払った。
 話の中にはきっと白笛の経験にふさわしく面白いものもあったのだろうが、ジルオは冷めた目でときどき相槌を打った。不動卿は次々と酒樽をからにしていく。
 呑み代はぜんぶ不動卿持ちだ。ジルオは酒を開けるペースだけ気をつけながら料理を口にした。味はさほど感じられないでいた。
――アァ、このまえ成り行きだけどさァ、弟子を取ったんだよ」
「弟子を、ですか」
 そのとき、ジルオは胸が潰れた音を聞いた。
 あれほど自分を弟子にと望んだ不動卿が、別の者を弟子にしたのだ――頭によぎった考えが不埒なものであることを思って、ジルオは酒とともに呑み込んだ。
 ジルオと不動卿には表向き、なんらつながりを持たない。親密な友人ではない。私有の探窟隊員ではない。ましてや師弟でもない。ないない尽くしで、二人の間では、ただジルオの師匠で不動卿の弟子であった人を通した知人というだけの淡い関係だ。
 だから、不動卿はジルオに近況を教える義務はないし、ただの世間話であるはずだった。
 それまで聞き返しもしないで酒をちまちま呑んでいたジルオが返事をしたので、不動卿がニンマリと唇を舐める。口元についたソースを拭き取って大仰にうなずいた。
「君みたいにもの静かな子でね。君ほど反抗的でもないけど」
「はぁ……
「ガラクタん中でじっと原生生物からかくれて、誘ったらついてくるような生き汚いところもあってさ。ちょっとこっちの知識を仕込んでみたら、なかなか筋が良くて覚えがいいもんだから、見込みを望めそうだ。今後の成長が愉しみだよ」
……そうですか」
 ジルオは表情には出さなかったつもりだった。
 ではもう自分は要らないのだ。不動卿が新たな愉しみを見つけたというなら、義理堅い彼女は、数年はそちらに夢中になっているだろう。なぜいま、ジルオが時間を突き合わされているかは不明だが、ただ弟子をそばに連れてきていないからかもしれない。
 不動卿に妙な執着を向けられていることには鬱陶しいものであったはずなのに、胸の内の片隅で、突き放されたような感傷を覚えている。勝手なことだとジルオは自嘲した。不動卿の、白笛の誘いを蹴った以上、ジルオが文句を云う筋合いはなかった。
 そう、考え込んでしまうくらいには、すでにジルオは酔いが回ってしまっていた。もとよりあまり顔にあらわれない方だ。味のみならず度数が高いので師匠が好いていたトコシエコウ酒を、知らずジルオは十杯は呑み干していた。後の方は無心で努めているうちに自分で注いでいたのだから益体もない。
「気になるかい?」
 不動卿が片肘をついて微笑む。何か企みごとをしているような嫌な笑い方だった。
 滑落亭の喧騒にも負けないような物音が後ろから聞こえていたが、ジルオは振り返らず、不動卿をじっと見上げていた。
 深い闇色の眼だ。アビスを覗き込んでいるときに似ていて、しかし闇はこちらをも見つめているような――居心地の悪さがつのるのに眼をそらせない。ジルオは動揺を悟られないことに神経を集めていたが、もしかすると見通されている。
「ジルオ、」
「オーゼンさん」
 不動卿とハボルグが同時に言葉を発していた。いつのまにやら、ハボルグがジルオの背後に立っていたらしい。どっと緊張が抜けたような重さを感じて、ジルオはテーブルの下で祈るように指を折った。
 不動卿は笑みを乗せたまま唇をとがらせる。
「なんだい、もう保護者のお迎えかい」
「若い衆をあんまり虐めてやらんでください。キツい酒ばかりこんなに飲ませて……倒れられたら参るんですよ。滑落亭に連れて来た俺の責任になります」
「はいはい、じゃあ今度はお前さんが付き合いたまえよ。最近のモンはすぐ潰れちゃってつまらないねェ」
「たいていの奴らはライザさんの呑みっぷりなんかと比べもんにならないんで、勘弁してやってください。さ、ジルオも水を飲め」
 ハボルグがジルオの隣にどっしりと腰を落とし、酒杯を取り上げて代わりに柑橘の入った水の杯をよこしてくる。ハボルグも不動卿と乾杯を交わし、酒をあおった。
「そんで、どんな話をされていたんです?」
 にこやかにハボルグが訊ねると、不動卿は肩をすくめた。
「弟子を取ったこととかだよ」
「あぁ、人づてにうかがいました……。貴女がまた教育に力を入れてくださると、みなが期待してますよ」
「何が期待だい。どうせ私は子育てにゃとうてい向いてないんだ。ライザだって、適当に叩いて放っておいたらああなったんだから、真似しようたってそうはうまくいかないよ」
「それが稀代の白笛を生んだんですから、すごいもんです。俺も貴女に頼み込んで弟子入りするもんだったかな、あっはっはっは!」
「お前さんみたいに虎視眈々と座を狙ってくる奴は面倒だから断るよ、隙あらば家に忍び込んで、こそ泥みたいに好き放題、家中探窟してまわるんだろ」
「もしかしなくとも貴女の後をつけていって、秘密のねぐらまで探し当てるかもしれません」
「ほらやっぱり。ああ嫌だ」
「はははは」
 冗談か本気かつかないことを飛ばして、ハボルグが遠慮なく肉の串をつまむ。心なしか不動卿も愉快そうだった。
 ジルオが淡々と水に口をつけていると、ハボルグが小突いてきた。
「ジルオ、これも旨いぞ。不動卿の奢りなんだ、食っとけ」
「ハボルグにまで奢るとは云ってないんだけどねえ……。まあいい、前払いみたいなもんだし」
「うむ? なんか用でもあったんですかい?」
「それを話そうとしたらハボルグが割り込んできたんだろ」
 頬杖をついたまま不動卿がジルオを見やる。
「例の子、二層の基地に置いてるんだけど、出張してみる気はないかい」
 なんでもない世間話のような口調だった。意味を測りかねて、ジルオは黙って見返した。ハボルグのおかげで取り繕うだけの余裕ができていた。不動卿は樽杯を置いて、テーブルの脇に寄せている。
「孤児院で鈴付き相手に教えてるって聞いたけど?」
……赤笛にもです。孤児院に入れさせたいということでしたら院長先生に」
「いや、こっちに寄越したまえ。わかるだろ? 私だってそうそう付きっきりにはできないし、うちの輩はろくでもないし、あの子にはきちんとした教師が要る」
 ジルオは瞠目する。不動卿にここまで云わせるのだ。口ぶりからしてまだ一人前の探窟家に足らぬ幼い子供、それも訳ありだ。
 膝の上でジルオはてのひらを開いたり閉じたりしてみた。思わぬ誘いに、先ほどの落胆から蘇って、ほんの少し前向きに揺れそうになって、孤児院に残してきている子供を思えば口をつぐむ。
 大事な子供を置いていくなんて、ジルオには許されていない。不動卿も知っていることだ。
 また、不動卿か、師匠か、二人の白笛から選べと突きつけられているようで嫌になる。探窟家なら誰しもが――ハボルグのような熟練した黒笛までもが、喉から手が出るほど欲しがっている選択だとジルオも理解しているから尚更だ。
「なんて情けない顔してるんだい。私は普通に依頼したつもりだよ」
「普通の依頼には思えません」
「マァ、そうかもしれない。べつにアレに意地悪したくて云ってるんじゃないんだけど。誰に頼むか考えたら、いの一番にジルオが思い浮かんだだけさね。どうしても断るってなら、仕方ないから他を当たる」
 ハボルグがうかがっているのがわかる。ジルオは丹念に不動卿の誘いを思い返した。条件を聞かねば即答できない案件だ。逃げ道も舗装されている。
 一蹴してしまうには、ジルオは不動卿に近すぎた。表面上は赤の他人、だがジルオは一度ならず不動卿の誘いを蹴っていた。自身でも思ってもみないことに――まったく奥底に燻っていたことだったが、ひそかに不動卿には負い目を持っていた。向こう見ずだった赤笛時代の、若気の至りだ。
 選択はいまでも間違っていなかったと確信しているし、師匠が旅立ったからと不動卿に弟子になれと手を差し出されても首肯しなかった。深く根ざしてしまっていた。師匠の、殲滅卿と呼ばれた人を忘れられず、最後の云いつけをかたくなに守り、その子供のために孤児院に従事しているほどに。
 捨てられない。無下にもできない。それから、ジルオはひどく悪く酔っていた。
「話をうかがいましょう」
 不動卿が欲しいものを手に入れた子供のような声を立てる。
「そうこなくっちゃ」
 すると不動卿は俊敏に立ち上がった。給仕に会計を命じて、不動卿の意識が清算に向いている間にハボルグが周囲に聞こえないよう耳元に身体を寄せてくる。
「後悔しないか? 俺もついていくべきか?」
「結構です。ただ、院長先生にはこの分の負債の便宜を図ってくださると有難いですが」
……うん、まあ、お前がいいならいいんだ。もし引き受けることになったら、あの子のことは気にかけておくよ。俺ができる仕事もあるだろう」
 ハボルグの気遣いはくすぐったくもあり、申し訳なくも思った。ハボルグは信用がおける。ジルオなど比べものにならないほどに顔も広い。彼の助力を必要とする者は大勢いるだろうに、ジルオをただの赤笛だったときから同じように歳下の友人と扱ってくれるのはハボルグだけだった。
 不動卿が戻ってきたので、ジルオはなるべくゆっくりと席を立ち、ハボルグに礼を告げ、不動卿に連れ立って店を出た。いつもよりも足元がおぼつかないように思ったが、意識も会話もはっきりしていた。
 夜闇と灯りの内に大穴が開いている。ジルオは一瞥して、街のどこぞへと歩いてゆく不動卿の後を追った。





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