@akirenge
南吉は共にいるぬいぐるみであるごんを撫でた。火縄銃を本に戻す。侵蝕者たちを掃討した。侵蝕は軽度で済んでいる。
「『窮愁の晦冥』はどこへ行ったんだろう」
「心当たりはあるが、まずは休むぞ。急ぎたいところだが……本の侵蝕はどうだ?」
侵蝕の大本、『窮愁の晦冥』を倒さない限りはこの本は浄化されない。こちらはまだ余力を残しているため、浄化まで行きたいところだ。
清次郎は心当たりがあるというが、休息を選択した。万全の状態で挑むつもりだろう。
『そこそこになっている。休む時間はあるぞ』
「なら良い。さっさと『法城を護る人々』について教えろ。情報があるのだろう」
回答が聞こえてくる。『くま』だ。
さっさと倒せと言っていた割に触れてこないのは、確実に倒せということが、あるからか。
心平も武器を本に戻して大きく伸びをした。未明も銃を本に戻してから軽く両手を振っている。清次郎は大剣の切っ先を地面に突き立てた。
浄化優先で潜書をしたため、彼等は本の情報をそこまで持っていない。情報を聞いておくのは知っておいた方がいいからだ。
『『法城を護る人々』は松岡が初めて書いた長編小説だ。家関係のごたごた後の復帰作でもある。奴は、新潟県の寺産まれで、僧である父とは折り合いが悪く、
京都の宗教学校に通うことを希望されたが蹴って、一校の文科に進学した。そこで新思潮の面子と出会ったりした。……そのころに夏目漱石の『こころ』とか読んでいたらしい』
文豪たちはそれぞれの過去を全員が全員分知っているわけではない。『法城を護る人々』の情報を『くま』が話し始める。
清次郎は突き立てた剣の柄に触れていた。開けている場所に四人はいる。警戒をしつつであるが、聞いておかなければならない。
「現在では国語の教科書に載る際、いかにして速くKを殺すかになっているというあの『こころ』か。司書はRTAと言っていたな」
「清次郎君、それは『こころ』は長編小説で教科書は載せる範囲が限られているからそうなっちゃうだけだよ。賢治の『銀河鉄道の夜』も途中であらすじになってた」
「『こころ』は長いからね。区切られているから読みやすい方なんだけど。ここを載せたいって所だけ教科書は載せて、勉強をするから」
「ぼくの『ごんぎつね』は全部載っているけれど、勉強をする人は『こころ』も賢ちゃんの『銀河鉄道の夜』も教科書で読んだらいつか、全部読んでほしいなぁ」
『こころ』は夏目漱石の著作の一つであり、全員が知っていた。教科書にも載っているのだが、一部分しか載っていない。先生と主人公である『私』の交流から始まる物語は
非常に長い。先生の過去が手紙によって明らかになっていくのだがその中の場面が教科書でよく使われているのだ。友人であるKが死ぬのだが、関連の話を載せるために
一部を削ったりして調整したり、前編やそのあとをあらすじにして載せているのだ。
教科書は帝国図書館で毎年毎年、展示されている。収集目的もあるのだが、近隣の学生たちが使う教科書はこう言うものだと図書館で展示されるのだ。
RTAはリアルタイムアタックの略で、いかにしてゲームをスタートしてからクリアーするまでの時間を競うものである。
心平や南吉と親しい宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』も教科書に載っているのだが、これも一部分だ。南吉の『ごんぎつね』も教科書でよく使われている。
『ずっと長編小説を書きたかった松岡は挑戦することにした。その前に松岡は『九官鳥』と『地獄の門』という短編小説本を出していた。
『地獄の門』の方に『法城を護る人々』の短編小説番が載っている。改題されて『護法の家』になっているが、最初に載ったのは雑誌である『文章世界』だ』
「短編小説版の『法城を護る人々』があったんだね。松岡さんは短編を書いてから長編小説に挑戦したんだ」
『『法城を護る人々』は総原稿数四千五百枚、上中下巻。書いてあることが宗教批判だったり、めめめ関係のごたごたで評価自体は黙殺されたところはあるが、本は売れた。
……短編の時は原稿用紙およそ六十枚だった』
「すごーい。松岡さん、沢山かいたんだね」
「おいらは小説家じゃないけれど、そんなにいっぱい書くなんてすごいよね!」
「書きたいもの書いたんだな」
六十枚から四千五百枚に増えている。南吉は素直に凄いと喜び、心平もそうだ。清次郎も何度か頷いている。
『――『法城』とは、大無量寿経という経からの言葉だ。意味としては仏法が諸悪から守ってくれる、という言葉で宗派や僧院の意味もある。主人公である宮城は父に反発し家を出て』
「……え?」
え? と未明が視線を上にあげる。『くま』の声が途切れた。途切れた声に言及するよりも先に南吉たちは気候の変化に意識を奪われた。
灰色の空から、ゆったりと、雪が降っている。雪は肌に当たるが冷たくはない。
「おい。聞こえ……雪のせいか……だが、先ほどの説明で『窮愁の晦冥』の居所が分かったぞ。恐らくはあそこだ」
清次郎が右手で大剣を引き抜き、左手で指さす。長い坂の階段を上った先には、寺があった。
「お寺だね」
「雪は、慣れているけれども」
「冷たくない雪。不思議だね」
「ラスボスは高いところにいるものだ。説明前もあそこにいるかもしれないとなったが。休憩後、油断せずに突入するぞ」
心平、未明、南吉も寺の方を見る。彼等がいる場所からかなり歩かなければならないが、行くことにした。
松岡自身をモデルにしたとされる主人公が出奔した場所、物語の始まりの舞台へと。
働きすぎだと松岡はよく他の文豪たちに言われている。完全週休二日制である帝国図書館は文豪たちにきちんと休みが当たるし、休みが万が一潰れた時も
振替で当たる。休める時には休んでいるのだが、毎日働いているように見えるらしい。
今日は分館の手伝いが振り分けられていた。分館近くの庭の草花や『くま』が気まぐれに育てている野菜の手入れをすることにした。
アスパラガスの手入れに入ろうとしていたら清次郎と未明に会って、アスパラガスについて話していた。
種からうえれば三年、地下茎なら二年から取れるアスパラガスは今でこそグリーンアスパラガスが主流だが、昔はホワイトアスパラガスが目立っていた。
「皆さんは、無事でしょうか……」
松岡は補修室のベッドで呟いた。白色の天井が視界に映る。
アスパラガスの世話をしていたら酷い頭痛とめまいが起きて倒れこんでいたら『くま』の声がしたのだ。『お前の著作、『法城を護る人々』が侵蝕された』と。『
法城を護る人々』が有碍書となってしまった。
侵蝕者の大本は『窮愁の晦冥』だと聞いた。
「体調の方はどうだい」
「百閒さん……以前よりは頭痛は引きました」
「未明たちが戦っているから。譲は寝ているんだぞ」
補修室は医務室ともいう。
文豪たちは有碍書の中で浄化活動を行っていれば、侵蝕により精神がやられてしまったりする。癒すために作られた部屋だ。ベッドがいくつも並んでいる。
部屋には内田百閒と鈴木三重吉がいた。
「知らせで『法城を護る人々』が有碍書となって、貴君が倒れたと聞いたからな」
「ご心配をおかけしました」
「良いって。文豪なら、誰でも起きる可能性があるから」
文豪の著作が侵蝕されたとして、体調に影響が出るかどうかはその時次第だ。自身の著作が侵蝕されても、体には影響がないが記憶が欠けていたりとかのケースもある。
部屋にいるのは松岡と百閒と三重吉だけだ。『くま』がベッドに松岡を放り込んで寝かせて置いてくれていたのだ。
「僕が出なければならない可能性も、あります」
「浄化がどうかるかだな」
有碍書の浄化は文豪が侵蝕者を倒せばいいのだが、倒せるかどうかということにもなってくる。作者の攻撃しか効かないとかもあるのだ。
百閒が考え込んでいる。
『起きられたか。松岡』
「『くま』さん……すみません。アスパラガスの世話が終わっていなくて」
「世話は蘆花さんがやってくれるって。働きすぎなんだよ。分館関係のこと、かなりしているじゃないか」
声だけが聞こえた。『くま』だ。松岡が聞きなれた声である。大きなテディベアの姿や少女の姿を取ることもある『くま』は分館の主の一人だ。
アスパラガスの世話は徳冨蘆花がしていてくれているらしい。
「分館を除いても他の仕事もあるからな。貴君は浄化が終わったら、一週間は休みを取るべきだ。司書も許可を出してくれるだろう」
「一週間。長期の休みは取ろうとすれば取れますが……あの、状況は」
文豪たちは全員で八十五人いる。週休二日としているが申請次第では長い休みも取ることが出来た。百閒に心配をされている。
『ジャミングが入って連絡が取れなくなったが無事であることは確認が出来ている』
「危険じゃないのか」
『今、何とかしている。悪いが松岡。お前の出番が来るかもしれ』
「どうしたんだ?」
三重吉と話している『くま』の舌打ちが聞こえた。
『一瞬の振動の後、侵蝕が妙に安定した。そして連絡が取れない。松岡。体調は』
「……頭痛は収まっています。起き上がれる、かもしれません」
「妙に安定……いいことでないようだな」
安定している。が、いい状況ではない。『くま』はそう判断していた。百閒が怪訝そうにする。松岡は起き上がろうとしたが体がだるい。
「寝てろ。必要になるかもしれないけれど、今は休んで」
三重吉に制止されて松岡は寝ていることにする。
階段を、上っていたはずだった。
四人で、四人?
どこの? 階段?
「よく帰ってきたな」
俺は眼鏡をかけていた。眼鏡? かけていた?
隣には男がいる。誰だ。ああ、知り合いだ。俺はコイツと共に友人を迎えに来たのだ。
「君もよく迎えに来てくれたね」
「お前のところの御遠忌参拝に出かけたんだがこの汽車に乗ってくると聞いたから迎えに来たんだ。感謝しろ」
「ああ……ありがとう。大槻。家じゃ、お祭り騒ぎを始めていたかな」
友人は顔を綻ばせる。よく見なれた顔だ。大槻と呼ばれた。大槻……大槻だ。いる場所は停車場で、汽車に乗ってやってきた友人と話した。
話している。隣の男は法幢、耳が聞こえない男で、寺丙の住持だ。住職である。
「日よりがいい。今に見て居ろ。宮城。きっと大成功だ」
宮城。俺の友人で、大きな寺の生まれだ。寺? 寺に行こうとしていた。誰と?
「どんな人が来ていたんだい?」
「別に新顔もいなかった。八人ぐらい人がいて碁盤のまわりにたかっていたぞ」
「笊碁かな。時に大槻、君は法幢と一緒に来たのか?」
「俺が来た時からそこにいた」
これから宮城と法幢と共に向かうのだ。――友人である宮城と。
「――みんな?」
未明は慌てて周囲を見回す。自分だけとなっていた。
寺へ向かうための階段を上ることとなって。
先頭を清次郎が歩いて、間に南吉と未明が入って、最後尾を心平が守って進んでいたはずだった。
寒い。
雪が、冷たい。
冷たくなかったはずの雪が、凍えを持ってきた。
街中に心平は立ち尽くしていた。
「清次郎君? 未明!! 南吉君!」
呼ぼうとした。そして慌てて武器を出そうとして、気が付く。武器が出せない。おかしい。雪が降っている。
寒い。
無事であるぎゃわずを右手にはめつつ、心平はとにかく自身の持つ書物を本を武器に変えようとするが、出来ない。
森の中に南吉は居た。
気配がして、慌てて本を火縄銃にすると発砲する。『不調の獣』に当たった。
「未明!! 心平さん!! 島田さん!!」
『不調の獣』が何匹も出てくる。階段を上っていたはずなのに場所が変わっている。上っていたはずだ。
――まずはみんなを探さなきゃ!!
南吉は逃げつつも、居なくなった彼等を探すことにする。
「私は過去の因果で、人を疑ぐりつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。
あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」
(夏目漱石 こころ)