@rikka_trpg801
2番 手を繋ぐ(🌈👓)
ついていない日というものはあるものだ。
それは朝から始まっていた。本来なら非番だったはずなのに、同僚が季節外れのインフルエンザに罹ったために急遽出勤しなければならなくなったのだ。ゆっくりと楽しむつもりだった少し手の込んだ朝食とコーヒーを、勿体ないことに忙しなく胃に納める羽目になった。
普段の仕事着は洗濯中だったため、お出かけ用の私服で出勤した。気に入っている服なのだが、バディとして同じく駆り出された武志には「なんか金持ちのぼっちゃんみたいだな」などと笑われた。虹色のシャツを愛用するようなセンス皆無の人間に言われても気にすることはないと自分に言い聞かせつつも、鏡やガラスに姿が映る度に何となく確認してしまっていた。
そして、仕事を始めると途端に大量の書類を押し付けられ、午前中はパソコンと格闘し通しだった。書類の三分の一程は武志の始末書関連であり、廉士に回されるのはおかしいはずなのだが、相棒だからという理由で押し切られた。武志に任せていたら年度内に提出されるのが絶望的であると、上もとっくに認識済みなのだ。
作成した書類を印刷しているとコピー用紙が無くなり、武志に取りに行かせようとしたがいつの間にやら休憩に行っており捉まらなかった。仕方なく重たい紙の束を備品倉庫から運んでいると、事件発生で急いでいた若手刑事にぶつかられて盛大に転ばされて青痣をこさえてしまった。
痛む腰や肘をさすりながら何とか書類を提出し終えると、休憩から戻っていた武志と共に巡回に行けと命じられた。本来なら同僚がするはずだったパトロールをしながら溜息を吐いたところで、武志がいなくなっていることに気が付いた。
電話をしても出ず、メッセージアプリにも既読が付かない。廉士の目の届かないところでまた始末書案件を増やしているのではないかと気が気でなかった。そんなこんなで周囲を見回していたところ、急激に空が暗くなりバケツをひっくり返したような雨まで降り出してしまったのだ。
廉士は慌てて近くの店の軒先に駆け込み、そして今に至る。
「もぉ~~~~本当に、どこにいったんですか!?」
スマホを確認してみるが、やはり武志からの連絡はない。いったいどこをほっつき歩いているのか。探そうにも、朝の支度が慌ただしかったせいか常備している晴雨兼用の折り畳み傘を家に忘れてきてしまったため身動きが取れない。
「服も濡れてしまいましたし、今日は何て日なんでしょう……私が何か悪いことしました? してないはずなんですが?」
軒先に避難する前に、お気に入りの服は多少雨で濡れてしまっていた。雨は汚いのだ。この服もできるだけ早く着替えて洗いたい。
「そもそも、今日の私の苦労は大半が武志さんの所為です。始末書も、コピー用紙を取りに行くのも本来なら私じゃなかったはず……今だって、武志さんが勝手にどこかへ行かなければパトロールを終えて帰り着けていたに違いありません!」
溜まったフラストレーションの矛先が行方不明の相棒へ向かう。苛々しながら文句を呟き続けていれば、ゲリラ豪雨は徐々に収まりつつあった。
空は徐々に元の明るさを取り戻し始め、道行く人も傘を畳んでいく。名残の小雨も止んだことを水溜まりを見て確認し、廉士はやれやれと肩を竦めつつ軒先から足を踏み出した。
その瞬間、目の前を猛スピード駆け抜けたバイクが、濁った水溜まりを盛大に跳ね上げた。
「…………っ!?」
細かい泥やら埃やらの混じった水が、咄嗟のことで声も出ない廉士の腰から下を容赦なく濡らす。犯人の乗ったバイクはそんな様子に気付きもせず、遠くへ走り去っていった。
浸み込んでくる雨水で肌が濡れ、冷たさと汚さで鳥肌が立つ。
「なんで、私が、こんな目に……?」
もはや喚く気力もなく、涙目になりながらがっくりと肩を落とす。
とにかく帰って着替えたいという思いでいっぱいになっている廉士の耳に、「お、いたいた! おーい、廉士ー!」と呑気な明るい声が届いた。
のろのろと顔を上げれば、大きく腕を振りながら武志が駆け寄ってくるところだった。全身びしょ濡れで、ワックスで固めているはずの髪も萎れている。
萎えていた心に僅かに憤りの火が戻り、廉士はキッと武志を睨みつけた。
「どこに行っていたんですか!?」
「わるぃわるぃ、道の向こうで爺さんが犬に逃げられたのが見えてよぉ。追っかけたんだが、捕まえるのに時間かかっちまった。やっぱ犬って足はえぇな?」
どうやらあの土砂降りの中、逃げた犬と追いかけっこしていたらしい。一瞬で怒りよりも呆れの気持ちが勝り、廉士の口元が引き攣った。
「当たり前でしょう……? というか、貴方が追いかけたから余計に逃げたんじゃないですか? 飼い犬なら少し離れても飼い主が呼べば寄って来たんじゃないですか?」
「そういや、最後は商店街一周して爺さんのとこに戻ってたな? 賢い犬でよかったなぁ~って爺さんと話してたんだよ」
「結局捕まえられてないじゃないですか。そんなにびしょ濡れになって、まったく、本当に貴方という人は……」
盛大な溜息を吐いた廉士の肩を叩き、武志が笑う。
「結果オーライってやつだ! それに、廉士だってびしょ濡れじゃんか。揃って水も滴るいい男ってやつだな!」
「好きで濡れたわけじゃありません! もう、早く帰りたい……シャワーを浴びて着替えたい……」
再び涙目で泣き言を言い始めた廉士の隣で笑っていた武志が、急に「おっ!」と声を上げた。
「見ろよ廉士! 虹だぜ!?」
「痛いです! 馬鹿力で肩を叩かないでください!」
ぎゃん、と仕打ちに対する文句を言ってから、廉士は顔を上げて武志の指差す方を見た。
雨上がりの空は薄水色で、まだ所々に雲が残っている。その空に、大きくアーチを描いて虹がかかっていた。
途中で途切れることもなく、はっきりと見える虹に目を奪われる。
その見事な様を見上げていた廉士の手が、不意に強い力で引かれた。慌てて踏み出した足元で水溜りが跳ね、靴の汚れに小さく悲鳴を上げる。
「何するんですか!?」
「行ってみようぜ、廉士!」
廉士の抗議など気にも留めず、武志が走り出す。繋がれた手を引かれて、転ばないように廉士も走るしかなくなった。
「ちょっと、離してください! だいたいどこに行くつもりですか!?」
走りながら問えば、武志が振り返った。晴れた空から降る日の光の中、子供のような笑顔で言う。
「あんだけはっきり見えてる虹なら、麓まで行けそうじゃねぇ? 消えないうちに行ってみようぜ!」
何を馬鹿なことを――と思った。廉士は、虹の性質上その麓に辿り着くことはできないと知っている。それに、行ったところで何かがあるわけではない。虹の麓の宝物は、ただの迷信に過ぎないのだ。
だが、何故かそれを口には出せなかった。手袋越しに感じる熱い体温は、目の前で日の光のごとく笑う男の魂の熱がそのまま表れているような気がして、振り解けない。
無理だとわかっているはずなのに、この手に引かれて走っていけば、本当に虹の麓にだって行けるかもしれない――一瞬、そう思ってしまった。
「あっちの方だな? よーし、急ぐぞ廉士!」
「ちょっ、待ってください武志さんそっちには水溜りが多――イヤァ~っ!?」
虹のかかる空に笑い声と悲鳴を響かせながら、手を繋いだ二人の刑事が雨上がりの街を駆けていった。
(あとがき)
性癖パネルトラップ! 2番に入っていたのは「手を繋ぐ」です。シンプルだけど好きなシチュなんですよね~互いの手から伝わる力強さや体温……生きている証を感じるもよし、失われていく命の灯を感じるもよし。今回は🌈👓ということで前者をチョイスしました。この二人、圧倒的陽で心が晴れやかになりますね✨