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草鈴最初と最後の一文まとめ

全体公開 15 72552文字
2024-12-01 09:48:47

『草鈴最初と最後の一文』というおいもさん企画のSSを書く会に参加した話のまとめです。
参加した話は随時追加していきます。

Posted by @nekura_dog

お題
・そんなの、ずっと好きだった。
・はらりはらりと舞い落ちる桜が綺麗だった。


恋の狂騒曲

はらりはらりと舞い落ちる桜が綺麗だった。

 そんな風任せで落ちる桜の花びらの中をあの人は歩いてる。私はその少し後ろを歩いてて、頭のてっぺんに落ちた花弁がするすると艶のある黒色の長い髪を滑っていく様子を見て黒と桜色は映えるなぁなんて呑気に思っていた。いや、呑気というよりは現実逃避に近い。異常なくらい鼓動を打つ胸に脳が落ち着いてって信号を送ってる証拠だと思う。
 だって今日こそはちゃんと“好き”だって伝えようと意気込んで逢ってるからだ。
 本当は受験が終わって無事東京の看護学校に合格したら言うつもりだった。だけど色々、まぁ忙しくて伝えられなかった・・・というのは言い訳で今日まで尻込みしていただけだ。こうやってあの人──草太さんと恋人のように待ち合わせして桜を見に行ってるのを当然のようにしてる。果たして草太さんはどういう気持ちで誘ってるんだろう。私は今日一日どころか、昨日もドキドキして眠れなくて無駄に爪を磨いたり形を微調整して整えたりしてた。それほどちゃんと綺麗だとか可愛いって思われたい。それぐらい好きだけど、いまいち草太さんからの矢印が分からなくて私の恋心を押し付けていいのだろうか、フラれてしまったらこうやって簡単に逢えなくなってしまう。だったら今の曖昧な関係のままの方がいいんじゃないか、と何回も問答してるうちに桜が散ってしまった。
「鈴芽さん」
 ふわりと私の名前を呼んで立ち止まってくれる。桜のトンネルに立つ麗しい草太さんはそれはそれは素晴らしく絵になりしばらく眺めていた。
「どうしたの?疲れちゃった」
「あ、ううんなんでもない」
 2人の空いた距離を小走りで詰める。視覚的にも現れたらダメだ。追い付いて隣に並んだら上からクスりと笑ったような、微かに空気が優しく揺れた。
「ん?ちょっと動かないでね」
 草太さんは私の頭のてっぺんに触れて、それが指先のちょっとした感触なのにそこから火が出たように熱くなる。てっぺんから額に瞼と熱が降りてくるので耐えきれず目を瞑った。でもいつまで経っても取れたと教えてくれない。
「草太さん取れた?」
「ああごめん取れたよ。丸ごと落ちてるのが面白くて」
 見せてくれたのはガクがついた桜の花だった。
「そんなに風強くないのにね。花びらって重いのかな」
「これはねスズメのせいだよ」
「え?え?あ・・・鳥のスズメね。どうして?」
 一瞬呼び捨てにされたのかと思ってびっくりしちゃったけど、呼び捨てでも悪い気しなかった。
「ここのガクの部分に蜜があってそれを吸う為に落とすんだ」
「へぇー」
 その桜をちゃんと見たくて草太さんに向けて手のひらを出すと乗せてくれた。少し動かすところこ動く桜。吸った後が分かる訳でもないけど、同じ名前の私たちは同じ共通点があったみたいだ。
「草太さんのおかげでまた一つ賢くなった気がする。スズメも甘いもの好きなんだ」
「鈴芽さんも大好きだもんね」
「うん、好き。目がないから」
 この好きは簡単に言える。だって草太さんに向けたものじゃないから。もしかしてこんなノリで、いわゆる目の前の人をじゃがいもだと思えみたいなノリで告白出来るのかもしれない。随分麗しいじゃがいもになるけど。
 よし!と覚悟を決めて桜から草太さんへ視線を移したら丁度視線がぶつかった。すぅと細められてた目は何かを慈しんでるように優しくて、でもパチリと合った瞬間その蒼は波打つみたいに揺れた。
「岩戸鈴芽さん」
「なぁに・・・宗像草太さん。ってなんでフルネームなの〜?」
「ずっと好きです。俺と付き合ってくれませんか」
「・・・・」
 世界の時間が止まった。や、正しくは私の時間だ。私は口角を上げたまま固まる。んん?好き?Love?Like?草太さんが誰を?蜜を吸うスズメ?それとも手のひらある桜?でも、さっき私の名前呼んだ。つまり岩戸鈴芽が好き。あれ?岩戸鈴芽って誰だっけ?
 私だ。
 生まれてからずっと岩戸鈴芽で、出席番号はいつも早めだった。うんそう・・・つまり宗像草太さんは岩戸鈴芽が好きらしい。それは紛れもなく私で・・・。
「嘘でしょ」
 これは口癖で反射みたいなもの。受け入れた返答じゃなくて反射。脱いだ靴を揃えるぐらいの自然な行為。
「本当だよ鈴芽さん。はぁーーーあーやっと言えた。変なタイミングでごめん。もっと色々考えてたけど止められなくて・・・君が可愛いから」
「ちがう」
「ん?どうした」
「草太さんは勘違いしてる!」
「何を?どこを?一体俺は何を掛け違えたんだ」
「アナタは本当の岩戸鈴芽を知らない・・・」
「知ってるつもりだけど。いやそれは傲慢か、でも結構分かってるつもりだけどな・・・」
「来週予定空いてますか?」
「え?うん、空いてるよ。そうだ面白そうな展示会があって君を誘おうとして」
「だったら来週もう一度逢ってください。本物の岩戸鈴芽をお見せしますよ」
 私ははっきり言ってのけると踵を返し駅へ向かう。
「本物の岩戸鈴芽は君だろ。ちょっと先に行かないでくれ。返事は保留でいいのかな?足がいつになく速い・・・鈴芽さん?すずめさーーん」

****

「グスッうっうっうーどうじで〜〜〜」
 私は澄ました表情を一切崩さず電車に乗って帰ってきた。頭にハテナをたくさん浮かべた草太さんを置いて。
 そして家のドアを閉めた途端弾けそうなモノを解放して大泣きをしてる。恥ずかしい。本当は壁にこの変な事が浮かんだ頭を打ち付けたいけど、隣の部屋の人の迷惑になるのでベッドにした。打ち付けるたびバインバインとコイルが跳ねてベッドが揺れてる。これでは下の階の人が、最早どうでもいい。
「どうじで私告白スルーしたのよ!!そりゃされると思ってなかったけどさーどうしよう待たずに返事した方がいいかな?でも怒ってるよねうわーん」

「芹澤さんっ!」
『うおっびっくりした声デカ。なになに鈴芽ちゃーん今日は楽しかったかい?』
 きっと芹澤さんは電話先でニヤニヤ緩んだ顔をしてる。見なくても分かる、だって声がスーパーボールぐらい弾んでるんだもの。そしてそれは同時にを知ってるのを意味する。草太さんが相談したかもしれない。そう考えるとこの筒抜け具合は恥ずかしくてつま先がムズムズする。
「草太さんに告白されました」
『めでたいねぇ。やっとか〜ちょっと俺ビール開けるわ』
「芹澤さんが嫌う女の人の条件を教えてください」
『なんで急にその話するの?』
「草太さんの目を覚ますために私は努力する必要があります」
『なんで!?鈴芽ちゃんってさぁ草太好きなんだよね』
「大好きです。結婚したいです」
『でしょ〜何しようとしてるの?もしかしてお腹痛くて告白のタイミング悪かったとか?そしたら草太が悪い』
「芹澤さん、もしケーキ食べたいなぁって思ってたら空からケーキが降ってきた。しかも丁度食べたい味行ってみたかったパティスリーだったら・・・怖くないですか?」
 今リモート面接みたいな心持ちで立てかけたスマホに話し掛けてる。私は真剣だ。手の平にだけ異常なほど汗をかいてる。この現実味のなさをどう説明すればいいのか自分でも分からない。
『んー分かるようで分からないなぁ。あれか、思いもよらないって事でしょ』
「さすが先生ですね。生徒の拙い説明を拾い上げてくれる芹澤さんはいい先生です」
『んぐっ・・・あーそのありがとう。ストレートに褒められたからビールこぼしちゃったよ』
「どうしたらいいと思います?」
『一旦整理さして。今日鈴芽ちゃんは草太に告白されました。けど驚いちゃって返事を保留にしました、でOK?』
「YES」
『だけど今、嫌われるムーブをしようとしてる。再確認で申しわけないけど鈴芽ちゃんは草太が好きなんだよね』
「はい。子供も欲しいです」
『わーお熱烈、じゃあその第一歩じゃん。なんでそんな事するの。保留にしたって怒る奴じゃないぜアイツは』
「信じられないんです。ずっと片想いだって思ってたしアピールしてみても草太さん涼しい顔してるから」
『全部クリティカルヒットしてたけどな』
「私も告白しようとしたけどフラれるの前提だったので、それがひっくり返ったらもう・・・だったらもっと好きってアピールして欲しかった!」
『大人には色々あるんだよ〜』
「でも桜が綺麗だったから、魔法みたいなのに掛かってその時のテンションかもしれない。なので嘘か誠か自分で確かめたいんです」
『分かったよ鈴芽ちゃん。試してみたらいい、アイツはちょっとやそっとじゃ靡かない、恋心動かざること山の如しだから』
「いや、分かりませんよフフッ」
『結果は見えてるんだな〜フフッ』
「フフフ・・・」
『フフフ・・・』
 叫びに付き合ってくれた芹澤さんにお礼を言うと画面の電話マークをタッチして通話を辞めた。とりあえず私は爪にレモンの香りがするオイルを塗ることにした。

****

告白されてから1週間後、天気は快晴。
 私は堂々と待ち合わせ場所、から離れた木の影に隠れてる。
『過去にいたんだよ。遅刻しそうなのに連絡しねーし平気で一時間遅れてきても悪びれる感じも謝りもしない。ソイツとはもう連絡してないな』
 芹澤さんが教えてくれた嫌いになった人。私はそれを実行しようと集合時間の10分前に来た。
「(いや、これダメじゃんいつも通りじゃん!でも草太さん待たせるなんて申し訳ないし、一時間もどうやって遅刻すればいいのぉ〜。あ!)」
 隠れて一分後、草太さんは待ち合わせ場所である噴水前に辿り着いた。今日もかっこいい。羽織っている淡いイエローのシャツがとても似合ってる。
 どうやらここから私は一時間待たないといけないらしい。とりあえず待ち合わせ時間まで待ってみた。草太さんは顔色一つ変えないで、私が来るであろう方向に体を向けてる。
「(ごめんなさい草太さん。いや、これは試練。ううしんどい普通にしんどい。待つよりも草太さんを立ちっぱなしにしてるのが申し訳ないよぉ。お願い座って草太さん座って座って〜)」
 木の影から念を送ってみても通じない。そりゃそうなんだけど。腕時計の秒針が一周するたびに私の息は上がっていく。そろそろ苦しくなってきた。
「(待ち合わせ時間から10分経過。既読スルーしてる。苦しい、もうダメ私が持たない!)」
 息はしてるのに肺の浅い所にしか入ってないみたいで呼吸が上手く出来てない。倒れたら一大事なので木の幹から手を離して噴水に向かって歩く。
「(悪びれず悪びれず)」
 何度も自分に言い聞かせて、草太さんの前で腰に手を当てて立ち止まる。
「鈴芽さんおはよう。電車遅延してた?でも無事に逢えて良かったよ」
 なんて爽やかなスマイル。そして優しさに浄化されそうになる。大袈裟に咳払いしたら考えておいたセリフをまくし立てる。
「おはよう草太さん。いやー寝坊しちゃったんだよね。起きたら集合時間5分前だったなぁー。でも慌てて用意しても間に合わないし、ゆっくりしてたらこんな時間になっちゃった、ごめ、いや遅刻したわー」
 うん、だいたい完璧。もうちょっとゆっくり言えば良かったと思うけど伝わればいい。草太さんの方を見ないで髪の毛先を指で弄びながら私は言う。正確には罪悪感で見れないだけなんだけど。
「君の言う通りだね。慌てて出ていって怪我でもしたら危ないし、とにかく来れて良かった」
「えぇ!?それでいいの?」
「ん〜なんで?」
「いやっその・・・遅刻したし連絡してないのに怒らないの?」
「これしきの事で怒らないよ。それにしても、君の家からここまで電車乗り継いで20分ぐらいかかるのに化粧もしてこんなに早く着いたのに感心するよ」
 しまった、と心の中で思う。これはちゃんと計画を実行出来た上でのセリフだから、今みたいに実行出来なかったら辻褄が合わない。
「細かい事はいいの!ほら早く行こ」
「うんうん、細かかったね。行こっか」

 さっきの険悪になりかけた(と思う)空気はどこかに吹き飛び私たちはいつも通りお喋りしながら歩いてる。駅から離れた展示会場だったけど、こんなに晴れ晴れとして天気がいいとバスを使うのは勿体ない気がして、草太さんもこの気持ちに共感してくれたのが嬉しくて弾んだ気分。今日の目的を思い出して、あれを実行しようと立ち止まる。それはネットで見かけた
『ネガティブな発言が多いワガママが多い』だ。
 嘘くさくならないように咳払いして声の調子を整えた。
「わー疲れちゃった」
「歩くペース早かったかな?」
「草太さんは気を使ってくれてるから全然なんだけど、疲れたなーあー歩きたくない歩きたくないなー」
 その場でしゃがんでワガママをアピールする。うんそこそこ完璧。そんなに歩いてないのに疲れてたら、運動不足を疑われてもおかしくないけど、今あるワガママはこれしか思いつかなかった。靴だって歩き回れるようぺったんこのパンプスだから全然平気なのに。
「草太さん先行ってて。あとで追いつくから」
「あともうちょっと歩いたらバス停だから頑張ろっか」
「むり〜もう歩けない」
 草太さんもしゃがんで同じ目線になってくれる。存外困った顔をしてなくて寧ろ口元が綻んでて、もしかしてら小学校の先生はこれぐらいのトラブルは経験済みなのかもしれない。そうなったら作戦失敗だ。
「分かった。じゃあ乗って」
 大きくて頼もしい背中がこちらに向けられ、両腕は受け入れられるように開いてる。
「え、どういうこと?」
「動けないんなら背負うよ」
「私重いから遠慮します。なんか平気になってきたような」
「無理しないでよ。ほら、ね」
 疲れたのは嘘なんだけど、多分嘘だってバレてそうだけど今更引けないし草太さんもおんぶする姿勢を全く崩そうとしない。こんな所で根比べをしてもしょうがないから、おずおずとその背中に乗って腕を回した。
「ほら〜重いでしょ?立てないよね?」
 なんだかんだ重いって言われたら悲しいので、辞める口実を作ったけど草太さんは人を背負ってるとは思えないほどすくっと簡単に立ち上がった。
「バス停まででいい?展示会場まで背負って歩けるけど・・・」
「だ、大丈夫です!バス停まででお願いします、そのご迷惑おかけします」
「気にしないで俺がやりたくてやってるから」
 草太さんはどうしてこんな事する私に優しいんだろう。告白するのって簡単じゃない、あの時も気づかなかっただけで相当緊張してたんだと思う。何が正解なのか私自身分からなくなってきてる。
「鈴芽さんもっともたれかかっても平気だよ」
「あ、うんえへへ」
 今の私にはそんな資格ないのでお腹に力を入れて極力もたれかからないようにした。


草太さんが気になって面白そうだと言ってたのは色んな時代の古文書を集めた展示会だった。その時代に起きた大なり小なりの事件の記録から日記に至るまで様々集められていた。美術館で行われてる他の企画に比べたら小さなスペースで開催されていたけど、丁寧な解説付きだったし何より心得がある草太さんの説明を聞きながら回ったから古文書が読めなくてもとても楽しかった。
「これで閉じ師の古文書読めたらいいんだけどな〜」
「俺も全部読める訳ではないよ。俺の家にあるのはいいけど、じいちゃん家にあるのはもっと複雑で中にはメモ書きみたいに書かれてるから解読が難しいのもあるんだ」
「草太さんでも読めないのあるんだ。でも読めたら楽しそうだよね。世界が広がりそうで!」
「良かったら解読の本あるけど読んでみる?」
「お願いしていい?これで閉じ師のこと知れてもっと草太さんの助けになれたら嬉しいなー」
「・・・君はすごいよ」
「なんで?」
「なんでも。ちょっとトイレ行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
 ヒラヒラと手を降って見送った。実際、あの古文書を解読出来るかどうか分からないけど、私は閉じ師の世界に触れてたからぼーっとしていられない。
「(今のところ戸締まりも連れてってもらってるからもっと相棒として頑張りたい。戦友の枠はどうにか続けたいから)」
「うえーんママぁ」
 耳が他の音を拾うのを辞めて自然に泣き声の方へ敏感になる。辺りを見渡すと小学校低学年ぐらいの男の子が泣きながら歩いていた。手に持ってたスマホをポケットに突っ込んで慌ててその子の方へ走った。
「きみ大丈夫?」
 なるべく優しく声を掛けて、そして彼の目線に合わせて私は屈む。男の子はお母さんが見つけてくれたと思ったのか、目の色が明るくなったけど知らない女の人だったので直ぐに落胆に変わった。迷子の彼の心細さは痛いほど理解出来る。
「お母さんとはぐれちゃったの?」
「・・・うん、ママがお買い物して、つまんないから外行ったら分からなくなっちゃった」
 鼻をすすりながら涙を流しながら必死で説明してくれた。ティッシュを渡してあげた。
「これ使って。この近くにきみの場所をお母さんに教えてくれる所があるから、一緒に行こっか」
「でも、はぐれたらここに居てってママに言われてる」
 男の子が指差したのは太陽を模したような目立つ銅像、確かにいい目印になるかも。
「そっか。だったらお姉ちゃんも一緒に居ていいかな?」
「いいの?」
「いいよ。一人は怖いもんね」
 目印の近くにあるベンチに座って少しずつ話していくうちに、男の子の涙は徐々に落ち着いてきた。だけどお母さんは一向に現れない。お母さんも必死に探してるから迷子センターに連れて行きたいけど、その子の言い分だと余計な行動はしない方がいいかもしれない。どうしよう、と思ってたら彼ではなく私を必死で呼んでる人を見掛けた。
「忘れてた!草太さーんこっち」
 そうだ、勝手に離れたから分からなくなるのは当然だ。
「鈴芽さんこんな所にいたのか・・・彼は?」
「お母さんとはぐれちゃったみたい。ほっとけなくて、連絡しなくてごめんなさい」
「いや、いいんだ」
 男の子は知らない大人の存在に止まった涙がまたポロポロと流れ出してしまった。草太さんは困った顔をしてる。背が高いから子供の第一印象はあまり良くないみたい。男の子の隣には座らず私の隣に座った草太さんはおもむろにカバンを開ける。
「お兄ちゃん誰?なんでこっち来たの?」
「このお姉ちゃんの、知り合いだよ。飴あるけど食べる人」
「飴?飴食べたい、何味?」
「ソーダとコーラとぶどう、砂糖味」
「飴はみんな砂糖入ってるから砂糖味だよ」
「あーそっか。好きなの選んで」
 最初は怯えたのに私を挟んで大きい手のひらに乗った飴を楽しそうに選んでる。これが小学校の先生の力、距離の詰め方が上手い。私は少し得意げな気持ちなる。
 そうそう草太さんはこんなに優しくて困ってる子の気持ちに寄り添えて──こんな素晴らしい人に念願叶って告白されたのに私はなにやってるんだろ。
「(知り合いかぁ・・・)」
 結局答えは保留にしてるし戦友って言っても伝わらないから当然なんだけど、いざ草太さんの口からそれを聞くと淋しいと思ってしまった。
「(わがままだ。遅刻するし今日ので嫌われたよね)」
「あっ!ママだ、ママ〜」
 離れてても分かるぐらい必死な形相の女の人がピタリと止まった。お母さんは何度も私たちにお礼を言ってくれて、男の子はまたねーなんて手を振って2人は嵐のように去って行った。
「見つかって良かったね」
 しみじみと草太さんは言う。
「うん本当に良かった」
 手を繋ぐ親子を見て、もう勝手に離れたらダメだよ。と心の中で言った。


「で、もう飽きてくれたかな」
「なんのこと?」
 あの後、私たちは美術館に併設されたカフェで小腹を満たそうと席についた。注文し終わった後、草太さんに急に言われたのだ。
「前言ったじゃないか、本物の岩戸鈴芽をお見せしますって。さっきまでいつもやらない不自然な行動をしてただろ。それが本物の鈴芽さんなのかな?」
「忘れてた」
「忘れてたって、やっぱり演技してたんだ。どうしてあんな事したのか考えたけど分からないんだ。説明して欲しいな」
 じぃっと深い蒼色の目に見つめられる。魅入られると全て話してしまいそうだったからメニュー表で顔を隠した。
「鈴芽さんお願い」
「だって信じられなかったから」
「なにを?」
「草太さんが私を好きだって」
「・・・迷惑だった?」
「違うの!あのね」
 草太さんが困った顔をしてる、と思ってメニュー表から顔をあげると全く違って楽しそうに、なんだかこれから追い詰めるぞという意志のようなものを感じて罠にかかった気分だった。メニュー表を使おうとしてもヒョイと取り上げられて彼の手元に置かれる。
「君がどんな事をしても嫌いにならないって伝えとくね。それほど鈴芽さんが好きで深く俺の中に入り込んでるんだ。もう離れられないほどね」
「あ、う・・・今日のはその、嫌われようと思って、一時のテンションで告白したかもしれないから、目を覚まさなきゃって思いまして」
「はぁーなるほどね。やっぱりもっとタイミング考えれば良かったか。そんな気分がいいからって告白しないよ。鈴芽さんが攫われそうだったから引き止めたくて」
「え!?不審者情報でも出てた」
「違う違う。桜に攫われるって表現あるんだよ。それほど儚い人って意味。君は自分の魅力に全く気付いてないけど桜の下にいる君は間違えなく綺麗だった」
「見違えだよ。だって私こんなんだし」
「鈴芽さんはどうなの?」
「えーっとその」
「俺をどう思ってるの?」
 顔から火が出てると思う。耳たぶだって熱いのが分かる。そんな顔を隠すものは何もない全て筒抜けに見られてる。頬杖をついて余裕そうに期待して待ってる彼。左目のここにあるべき位置にあるホクロが憎らしい。草太さんは本当に私を好きらしい。
 もう降参しよう。
 パンツの生地を掴んで息を吸い込んで、もう後悔しないために精一杯叫ぶように言った。

そんなの、ずっと好きだった。


お題
・ああ、とんでもないものを見つけてしまった。
・「凄い、特大だね!!」


クリスマスの夜空に


ああ、とんでもないものを見つけてしまった。

 少し青が混ざった黒色に塗られた夜空の一部に赤い色のもやが掛かる。まだそれは実体化していない霧状だが徐々に丸みを帯びた輪郭を作り始めた。
 ミミズだ。
 地下に蠢く巨大な力は暴れようと地上に出てきたのだ。
 見上げている草太のこめかみに一筋の汗が流れる。今いる場所には沢山の人が集まっている。そして場所は、海のすぐ近く。もし、こんな場所でミミズが落ちてしまったら・・・・。
「草太さん」
 コートの裾を掴まれた。同じくミミズが見える鈴芽の声は不安が滲む。ここに集まっている人達も見上げて夜空を指差してる人もいるが、それはミミズのもやに気付いてる訳ではない。二人だけが陥ってる不安だ。
「草太さん」
 コートの裾は更に引っ張られた。振り返ると力強い目で頷いた。言葉にしなくても草太には伝わる、止めに行こうと言っている事を。だけど今日は戸締まりの予定でこの場所に来ていないので鈴芽の格好も動きやすい服装じゃない。何があるか分からない戸締まり、少しでも危険な目には合わせたくない。草太自身もいつもの服装と比べて心許ないが行けそうだ。
「鈴芽さんはここで待ってて」
「でも」
「大丈夫すぐ戻ってくるから」
 幸いもやが出ている先は走ったら辿り着く距離だ。裾を掴んでる手に自分の手を添えそっと剥がす。もう一度見上げる。まだはっきりと顕現してないがもやは濃くなってきた時間の問題だ。
「行ってくる」
「草太さん!」
 後ろ髪を引かれるが地面を蹴ってミミズか出ている場所に向かって草太は走り出した。



 喧騒から一歩離れると静寂が包む。がらりと変わる街の雰囲気。ここはかつては温泉街として賑わせたが不況のあおりを受け衰退、落とした影は未だ残っており中心街から外れると途端に寂しくなる。だが住まう人々の努力により近年は賑わいが戻り始めてる。賑わいが戻るきっかけの一つは冬に行われる花火大会だ。しかも時期はクリスマス、音楽に合わせて打ち上げられる花火は評判を呼んだ。ちなみにハートの花火が打ち上げられた時に告白すれば成功するという伝説も流れている。
 ロマンチックなこのイベントは鈴芽が見つけてきた。夏より冬の方が綺麗らしいよ!と興奮気味に教えてくれた。その笑顔の為だったらなんだって叶えたくなる、だから何ヶ月も前から予約して当日も楽しみにしていたのに。
「タイミングが悪いな」
 思わず口に出てしまう。鈴芽の彼氏としてはタイミングは悪いが閉じ師の自分にとっては安堵するタイミングだ。花火大会はクリスマスの期間何度でも行われる。なので明日も同じだけ人が集まるだろう、来るのに一日でもズレたら・・・と考えるだけでゾッとする。色んな顔を持ってるが、一番に自分は閉じ師なのだ。何が、どうあっても出来るだけその使命を優先したい。腕時計を見ると花火が打ち上がる18時近く。間に合わない、鈴芽には申し訳無いが一人で楽しんでもらおう・・・と思っていた。
「草太さん足速いよ!」
 ハッ、と振り返ると大きく腕を降って必死に追いつこうと着いてくる鈴芽がいた。草太の走るスピードが自然と落ちる。
「なんで待ってなかった着いてきたらダメだよ」
「一人で行かせれない」
「どんな場所か分からない危険だ。だから安全な場所にいて欲しかったのに」
「私たち相棒でしょ。それに一人で花火なんて見たってつまらないよ。草太さんがいなきゃ」
「しかし!」
「草太さんと遠出する時は走れる靴にしてるの。完璧でしょ」
 フフッと不敵に笑って草太の横並びになった。
「私たちなら直ぐに後ろ戸を見つけられる無敵だもんね。ここに居る人たちに悲しい思いなんて絶対にさせない、ねっ!」
「鈴芽さん・・・ああその通りだな。頼りにしてる」
「任せなさい」
 途端に一人で静寂の中を走る寂しさが消えた。この名前がつけようがない侘しさを“寂しい”だったと気付いたのは鈴芽と出逢ってからだ。彼女が隣にいたら未熟な自分でもなんだって力に出来ると思う。どんなマイナスな感情だってきっとプラスに働く。
 林道に入ると道が二手に別れていた。ミミズの根元に近いからか赤いもやは不気味にそこらに大きく広がりどちらの道が正しいか分かりずらい。
「鈴芽さんスマホの充電はある?」
「あります」
「良かった。扉を見つけたら連絡を取り合おう、君はそっちに。まだ道がはっきりしてるから・・・」
「待って・・・匂いがする」
「匂い?もしかして」
「うん。私が分かるミミズの嫌な匂い」
 鼻腔に嫌にこびりついついてる妙に甘くて焦げ臭くて潮の交じる匂い。鈴芽の後ろ戸に広がる風景の匂いだ。きっと鈴芽自身しか分からないだろう。蘇ってくる後ろ戸の燃える風景に身が固くなる。冷たくなる手を大きな手が触れた。
「ならそっちに後ろ戸があるな。俺が先頭歩くね」
 スマホのライトで道を照らすと枯れて山になっていた雑草を踏み倒し、決してはぐれないように自分より小さな手を引いて歩き出した。
 遠くから火花が弾ける音がする。木に阻まれ姿形は見えない。それに気に止めず暗闇をスマホの光で照らし先をただ突き進む。
 道が途切れた、周囲に向けるとひらけた場所に辿り着いた。暗さに目が慣れてきてぼんやりと建物が見える。西洋風の建物だ。人けない灯りもついてないが不自然に入り口が開け放されてる。そこからもうもうと赤いもやが立ち上っている。もやの根元ははっきり形を示していてエネルギーを吸い上げてるように収縮し膨らんでいる。
「鈴芽さん」
「うん閉じなきゃ」
 弾かれたように走り出し扉に駆け寄る。
「ねぇ入り口広くない?」
「扉二枚分はあるな」
 扉は観音開き戸になっていて開ききっている扉を二人一枚ずつ何とか押し戻し閉じる。ミミズの力は強く、邪魔をするなと内側から押し返してくる。踏ん張る足が後退していく。
「うっうう〜ん結構押してくるね」
「鈴芽さんもう少しだけ頑張って」
 草太は息を大きく吸って目を閉じる。扉のカタカタ鳴る音、靴底の砂利、花火の音が全て消えた─── 。

 「かけましくもかしこき日不見の神よ」

 瞼の裏にあるのはかつての廃墟の姿。はしゃぐ子供の声、窓際に並ぶデディベアとドレスに身を包んだ西洋人形、ダンスホールのような場所にはたくさんサンタの人形とトナカイと電飾が巻かれた巨大なツリー、見てる人たちは幸せそうだ。
 流れてくる風景はクリスマスだろうか。今日の花火大会に集まってる人たちと同じ表情だ。今も昔もクリスマスの日に弾む気持ちは変わらない。ぐっ、と扉を押す力に力がはいる。
「もう・・・大丈夫だからね」
 現実に引き戻されたの中で鈴芽が何かにそう語りかけてるのが聞こえた。ドアノブの下に青い光の束が集まり鍵穴の形になっていく。
「かしこみかしこみ謹んで、お返し申す!」
鍵穴から出る青い光の糸に導かれるように鍵を差し込み回した。確かな手応え、ガシャンとしっかり鍵が掛かりガタガタ動く扉も止んだ。上空に広がったミミズのモヤは幾つもの小さな泡に膨らんで弾けた。細かい霧のような雨が一瞬だけ地面に落ちたが体を濡らすほどではなかった。跡形もなく消え去った。
 大きく息を吐いた鈴芽はゆっくりと後ろに下がり膝に手をやるともう一度安心したみたい息を吐いた。
「よかったぁ。何ともなさそうだね」
「ああ。もうミミズはしばらく出てこない」
 閉じた扉を撫でる。ペンキは剥がれささくれだった木の扉は、だれも彼も拒むように固く閉じられていた。さっきまで見ていたはずの窓際はガラスはなく空っぽで黒に塗りつぶされた空間があるだけだった。それが当たり前なのにそこに居ない人形たちの行方を探してしまう。
「あ」
 鈴芽が地面に落ちてるものを拾って手で土を払ってる。
「何かあったの」
「看板が、文字が所々潰れてるえーっと人形、長らくご愛顧ありがとうございました。平成・・・うーんこれは12月かな?24日を持ちまして、今日と一緒の日付だ」
「鈴芽さんにも見えてた?」
「この土地の記憶?うん見えてたよ最後の営業の風景だったのかな」
 もう一度二人揃って固く閉じた扉の忘れ去られた建物を見る。賑やかな面影はもう残ってない。草太は鈴芽の手から汚れた看板を抜き取り土が付いた手を払う。
「花火会場に戻ったらすぐに手を洗おう。海岸に水場あったから」
「ありがとう。草太さんもう大丈夫だよ土付いちゃう」
「いいんだ。鈴芽さん着いてきてくれてありがとう。君が居なかったらこんなに早く安全に終わらなかった。ありがとう」
「相棒ですから。だからもう置いて行ったりしないでね。独りで待つなんて絶対に嫌」
「うん。でも大事な君には危ない目にはあって欲しくないから」
「分かってるけど同じぐらい草太さんだってね」
 ピューー
 切り開かれた林の中に笛のような音がやけに大きく音が響いたら、空が一瞬だけ明るくなり遅れてドン、弾けた火薬の音も着いてきた。草太は、困った顔をしていた。
「花火終わってなかったんだ。草太さん降りよ間に合うよ」
「降りるのはゆっくりでいいんじゃないか。ほらあそこ」
今にも走り出しそうな鈴芽の両肩を掴んでくるりと方向を変える。さっきまで歩いていた林道では木々で見えなかったが、ここは見晴らし台だったのか遮る物は無く夜空も街並みも夜の海も眺められた。
「特等席貰っちゃったね。もう少し寄ろうよ」
「あ、鈴芽さん危ないから走らないで」
 赤、黄色、青、菊の花の形、牡丹の形、小さい花が弾けるもの、星の形をした花火が打ち上がった下に緑の三角が二つ少し遅れて打ち上げられた。
「ねぇ今のクリスマスツリーだよね。可愛い」
「凝ってるなぁ。鈴芽さん今のはトナカイじゃない?」
「私はクマに見えたけどなぁ」
「さっきはツリーだったからクリスマス繋がりでトナカイだよ」
頑なに譲らない彼の物言いがおかしくて鈴芽はこっそりと笑った。バレてしまうとムッとしてしまいそうだから。いつもより弾んでる声だからきっと楽しんでくれている。もっとクリスマスっぽい雰囲気を盛り上げる為のアイテムをカバンから取り出した。
「草太さんこれ被って」
「サンタの・・・帽子。どこから出てきた」
「用意してたの!私はトナカイにしよっかな〜。花火会場の人たちも被ってたでしょ。可愛くて買っちゃったの」
「みんなよく用意したなと思ってたら売ってたのか。俺がサンタでいいの?」
「背の高いサンタクロースって歌もあるし。芹澤さんが教えてくれたの。草太さん似合ってる可愛いよ」
「可愛いは違うと思うな。可愛いから一番遠いと思うぞ・・・ここ良く見えるけど座れないのが難点だな」
「地べたに座るわけにも行かないもんねーでもこう!出来るからいいんじゃない?」
 草太の腕に抱き着いて「ねっ」とアピールした。手を繋ぐのは全く恥ずかしくないが、今のように密着をする体勢は人前で出来ない。二人きりの特権だ。トナカイのカチューシャをし上目遣いをされた可愛さは草太の心臓を直撃し飛び出してしまいそうだった。
「君、あんまり刺激的なことしないで。心臓に悪い」
「え〜してないですけど〜」
 花火は佳境に入ったのか打ち上がる間隔が大分空いてきた。夏より湿度の低い冬は空気中の不純物が少なく澄んでいるから綺麗に見えるという。なにごとも無かった今日の花火は一層澄んで見える気がした。
「綺麗だね」
「うん。冬の花火もいい」
 鈴芽の肩に手を回したい所だったが草太の腕に頬っぺたをピタリとくっつけてより密着してるので出来なかった。嬉しいがこれではが生かせないのが少し惜しいと思う草太。とりあえずズレてきたトナカイのカチューシャを直しておいた。
「草太さんさっきはありがとうね」
「ん?」
 花火の音で鈴芽の言葉が掻き消されたので顔を傾けて近付いてもう一度聞き返ししてみた。が、微笑むばかりで答えてくれない。
鈴芽はミミズの匂いを感じた時行かなきゃと思っているのに足が動かなかった。暗闇に飲み込まれてしまいそうになる中、触れられた手にどれだけ救われたか。ああやって自然に手を握ってくれたのが嬉しくて泣きそうだった。──それを全て伝えてしまったらあの時の感情が整理されてしまうので、自分だけの宝物にしておこうと思った。何故鈴芽が内緒にしたがるのか気になるが、花火が映し出した表情はとても幸せそうなので、ならいいかと聞き出したい気持ちを引っ込めといた。
 フィナーレを飾る大きな花火が夜空に咲く。草太の腕から顔を離した鈴芽は目を輝かせた。

「凄い、特大だね!!」


お題
・わがままを聞かせて欲しい
・五十年先もおんなじことを言うからね、と笑った。



草太と鈴芽はどこかで幸せに暮らしてる


わがままを聞かせて欲しい

 そんな事を草太さんに言ってみた。けど言われたのは「考えてみる」だ。考えなきゃわがままは出ないらしい。私はすーぐに甘えちゃうのに。草太さんったら私のわがままは沢山叶えてくれるのに自分は全然言わない。さっきだってトロトロのオムレツ食べたいなーなんて、キッチンに立つ草太さんの背中に持たれかかって言ったわがままもすぐに答えてくれた。多分白だしが置いてあったからだし巻き玉子にする予定だったと思う。
「またわがまま聞いて貰っちゃったよぉ」
 卓上ミラーとにらめっこしながら寝癖をヘアアイロンで直していく。今日は草太さんとデートじゃなくて友達と遊ぶ予定。出る時間も別々、だからかまだパジャマのままの姿が卓上ミラーに映っている。珍しい姿にふふっと小さい笑いがもれる。
「鈴芽さんわがままって言うけど大抵そのうちに入ってないよ。卵だって味変えるだけだから・・・あの時声を掛けてなかったら和風オムレツになってただけかな」
「和風オムレツも悪くなさそう」
 なんて大した事ない話をさっきからぽつぽつしてる気がする。でもそれが許されるような緩い空気が心地いい。私の準備の妨げにならないようベットの上に避難してる草太さんが、ふと真っ直ぐ整った私の髪に触れた。
「鈴芽さんの髪はいつも艶々してる」
「結構いいトリートメント使ってるからねぇ美容院に買ってるからそれなりの値段だけどいい感じでしょ」
「うん。光が反射して輪っかが出来てる、綺麗だ」
「えへへ嬉しい。ケアしてる甲斐かいあった。まぁ何も使ってないのにツヤっとしてる草太さんの髪には負けるけど〜」
「いや、ちゃんとシャンプーとリンスしてるよ」
「それは当たり前です〜私はヘアオイルもやらないとバサバサになるのになぁ髪の毛が強いのかな」
 髪の毛をざっくり二つに分けて左側の頭のてっぺんから編み込みをしていく。すると後ろから視線が刺さった。ミラー越しに覗くと草太さんが私の指の動き一つ一つを観察されてる。なんだかくすぐったい。
「鈴芽さん」
 神妙そうに呼ばれた。
「はい」
「君が出来るのは知ってる。けどわがままを言わせて欲しい。片方手伝わさせて」
「え!いいけど、まず三つ編み出来るの?」
「任せなさい」
 得意げに言ってベットから降りて膝立ちになるとまだ何もしてない右の毛束を三つに分けてる。草太さんは器用だから何でもするりとこなしてしまう。それに丁寧だ。水滴一つ残らず拭かれて片付いたキッチン台を思い出して、心の中で大丈夫だと確信して頷く。
 私の方は先にやってたから終わって毛先に結んだゴムを隠す飾りを付ける。草太さんは意外と悪戦苦闘してる。
「急いでないからゆっくりでも大丈夫だからねー」
「やっぱり紐でやるのと違うな」
「紐?三つ編みして使う閉じ師の道具があるの?」
「あ、いや何でもない。もうちょっとで出来るから」
「はーい」
 髪をこうやってしてもらうなんて久しぶりだ。小さい頃は環さんによくやって貰ってたっけ。環さんも忙しいのにあれこれ注文して困らせたり、髪飾りが気に入らないって泣いたこともあったなぁ。何も心配しないで誰かに任せて身を委ねるのも心地いい。小さいストーブで暖められた部屋の温度も相まって眠くなっちゃいそう。
「鈴芽さんまだ時間ある?」
「余裕だよ」
「やり直すから、ごめん待たせて」
「ぜーんぜん。いくらでもどうぞ」
 草太さんがやっと言ってくれたわがままが嬉しい。卓上ミラーの角度を少しズラして今度は私が草太さんを観察する事にした。顔は真剣そのもの、編んでる様子を真上から見れないのが残念。髪の毛は引っ張られてるけど決して痛くない。こういう所でも性格が出てるよね。どこまでも草太は優しい。お揃いで買ったマグカップのぬるくなった白湯を飲んだら眉を顰めた彼と鏡越しに目があった。
「すまない・・・綺麗に出来なかった」
「そうなの?」
 頭の角度を変えて結ばれた毛先を映した。確かに、まとめきれてない髪がぴょんと所々出てる。器用な草太さんでも出来ないのがあるらしい。
「練習した時は上手く言ってたんだが髪だと案外難しい」
「練習ってなに?」
「・・・こっちの話」
「こっちにしないで私に教えて」
「いやあっちかな」
「もう!こっちでもあっちでも何でもいい教えてよ〜〜」
 膝を立てたまんまの草太さんに抱きついて頭でお腹をグリグリとちょっかいをかけた。なのに全く動かない強い体幹。
「笑わない?」
「笑わないよ。だから私の教えて欲しいわがままを聞いて」
 お願い、と見上げると草太さんが困ったような顔をしてるけど口元はニヤけてる。このお願いの仕方に弱いのを最近知った。
「君はよく髪型を変えてるだろ」
「うんうん」
「しかも毎回綺麗に整ってる。どうやったら出来るのか不思議で、興味が湧いたんだ」
「へぇー興味出てきちゃったんだ」
「ああ。だから・・・笑うなよ、ビニール紐をロフトベッドの足に括り付けてよくしてる三つ編みの練習をしてた。なんなく出来るようになったから実践したら、やってる指の動きが自分のと全然違う。同じ事をやってるのにこんなに出来が違うだろ。魔法みたいだ」
 私が編んだ髪に触れて、恥ずかしそうに少しだけ頬を赤くして打ち明けてくれた。
「そっか」
 じわじわと熱が足元から上がってくるみたいに嬉しさが指先まで巡る。もう一度草太さんが編んだ髪を見てみた。不器用な形をしてるけど、それがとても愛おしかった。草太さんが、自分の何気なくやっている髪型に興味を示してくれて、練習までしてくれて、その全てが愛おしくてたまらないからまた抱き着いた。
「今日はこのままで行く」
「左右非対称だかっこ悪いぞ」
「ううんいいの。一日たてばくちゃくちゃになるものだし」
「始めからくしゃくしゃなものがあるか。俺がもっと早く出来れば君が手直し出来る時間があったのに」
「今もあるけどこれがいいの!」
 今日は、アラームより大分早く目覚めた。草太さんとくっついて寝てたのが暑かったから。彼もつられて早く起きて一緒にご飯を食べて並んで歯を磨いて、そのおかげで出掛けるまでこうやって過ごせた。早起きは三文の徳というけれども、なるほど確かにいい事だって今物凄く思う。
 やっぱり草太さんと一緒にいるのはとても心が落ち着く。ありたいようにあれる心地良さ、ずっとこののんびりとした時間が過ごせたらいいのにな。
 とは言うものの、友達と約束した映画だってその子と観たい作品だったからスマホを鞄に入れたら玄関へ向かう。
「戸締まりよろしくね」
「うん。鈴芽さんちょっとだけでも直させてくれないかゴム結び直すだけでも」
「大丈夫、綺麗だよ。ありがとうね草太さん助かっちゃった」
 溢れる愛おしさを唇に乗せて頑張って背伸びしたら、草太さんの頬に触れるだけのキスをした。
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい鈴芽さん。また手伝わして今度こそ上手くやるからさ」
 玄関先で手を振る草太さん。扉を閉めたらしばらく逢えなくて帰ってきても居ない。別々の住んでる家に帰る。その当たり前が寂しくて、そろそろ同じ鍵を持ちたいなんてわがままを言いたくなる。まだ学生の私じゃ頼りないのに。そのわがままを飲み込んで口角を上げた。
「うんまたよろしくね」
「鈴芽さん」
 形の良い唇が微かに動いた。照れくさそうだけど揺るがない熱の篭った蒼い目が私を捕らえたら、

 五十年先もおんなじことを言うからね、と笑った。


お題
・「焼きイモ屋さん、待ってくれ~~!!」
・「大人になったので」



YAKIIMOTABETAI

「大人になったので」

 そう言って膨らむ二つの餅、のような柔らかい頬。突っつきたい今突っついたら怒るだろうか・・・怒るだろうな。なんてムスっとしてる鈴芽を深刻に受け止めず、ぷくぷく膨れた頬にちょっかいをかけてしまいそうな指先を折り曲げる草太。
「けどこんなチャンス中々無いと思うよ。遠慮しなくていいから行っておいで」
「いいの!いいの!食べ過ぎは良くないし太っちゃう!」
「こんなに細いのに君は何を気にしてるんだ」
 あんなに輝いてる目はあまり見ない。なのにどうして鈴芽は要らないと見栄を張るのか、と首を傾げていたらどんどん遠くなる

 いしや〜きイモ〜おイモ〜

 の放送。見栄を張るのに軽トラックが小さくなるのを名残惜しそうに見送っているのだ。



 しつこいほど居座っていた夏はようやく身を引いて秋の気配を感じさせる今日この頃。映画を観て、ずっと気になっていたカフェに行って、さぁ次はどうしようと考えていたら湿度のない涼しい風が頬を掠めた。
「せっかくいい天気だから歩きたいなー・・・いい?」
 鈴芽は彼と目を合わせたいので自然と見上げる形になる。蒼色と紅茶色の視線が絡む。前までは目が合うだけで心拍数が上がったけど付き合って一年も経つとそんなに大袈裟に跳ね上がらない。
「俺も同じ事考えてたんだ。行こう」
 同じ考えが嬉しかったのか、くしゃりと笑って力を抜いていた鈴芽の手に大きな手がするりと滑り込んでキュッと握られる。嘘だった、彼はいつだって油断ならない。早鐘を打つ胸を服の上から撫でた。
 空の青も穏やかな色になり高くそびえ立つ入道雲も無くなった。羊の群れのようなモコモコとした雲が代わりを務めている。いい日だな・・・鈴芽の心の中にも草太の中にも同じ気持ちが芽生える。肌を刺す日差しも覆い被さるような湿気もない。そんな気候の中を散歩している二人。特に会話が弾む訳でも黙ったままでもない話したい時に話して相槌を打って、このテンポがとても心地よく感じる。そんな穏やかな空気を変える車が近付いてくる。

いしや〜きイモ〜おイモ〜出来たてのおいしいおイモ〜

 鈴芽の足が止まった。それに合わせて草太の足も止まる。鈴芽は後ろから流れてくる放送を頼りにキョロキョロし始めた。
「こんな所に焼きイモ屋さんなんて珍しいな」
「東京でもあるんだ」
「俺の小さい頃はよくとおってたけど、今になってもやってるとは思わなかったな」
「焼きイモ屋さん・・・」
 目の色が爛々と輝いている。放送だけだった焼きイモ屋は街角からひょっこり現れた。古びた軽トラックではなく目立つ色に塗られたピカピカな軽トラック。石焼き芋と書かれた暖簾も真新しい。だけどスピーカーから流てくる宣伝文句は郷愁を誘うような古めかしさだ。もしかして昔お世話になっていた焼き芋屋の移動販売を引き継いだのかもしれない。
 ゆっくりとした速度で近付いてくる軽トラック。大きく唾を呑み込む鈴芽。
「行ってきなよ」
「へ?」
「焼きイモ食べたいんだろ」
 目を輝かせたまま「行ってくる」と飛び出すのかと思っていたら。モジ、とつま先を動かし床をこすった。
「いや、いい。お腹いっぱいだし」
 近くのベンチに目をつぶって澄ました顔で座ったが草太はやや訝しげな顔で隣に座る。
「でも興味ありそうな顔してたよ」
「してない」
「そうには見えなかったけどなぁ」
「・・・あんなに食べたのに焼きイモ食べたいなんて食いしん坊みたいじゃん」
「全然思わないよ」
「それでも、食べません。大人になったので」
 とやり取りをしていた。声を掛けられない軽トラックは角を曲がりとうとう姿を消した。しかしここら辺に居れば再び戻って来るだろうと草太は予想がついていた。今歩いてるのは公園の外周、買う人が多いスポットだろう。現に喋ってる間にも何組も買いに来ていた。あんな寂しそうな顔をしてる鈴芽は放っておけない。多分草太の存在を気にして避けているのだろう。いじらしいとも思うが、変な遠慮はして欲しくない。
「俺は幸せそうに食べてる鈴芽さんが好きだよ」
「うっ」
 鈴芽は射抜かれたように胸を押さえている。
「見てるこっちも幸せな気持ちになる」
「ううっ」
「いつまで見てたい、特にほっぺを」
「ストップ!心臓持たない」
「だから大人だからとは言わず買ってきてもいいんだよ。本当にお腹いっぱいだったらいいけど」
「・・・だってぇ今日のワンピースお腹出るとすぐ分かっちゃうもん」
 自然と視線は鈴芽のお腹にいく。いつものふわっとした可愛らしい格好ではなくキレイめな格好、秋らしいチェック柄のジャンパースカートを着ている。体のラインが出やすい格好なもののぺちゃんこだ。今日行ったカフェはパンが食べ放題で、しっかり食べていたがあまり影響ないみたいだ。そんなお腹はサッと隠された。
「見てたでしょ恥ずかしいからやめて」
「ああごめん。だけど分からないよ」
「分からなくていいの。分かるようにしたくないの」
「こんなに細いのに・・・」
 草太は困ったように眉を下げて両手で離れた輪っかを作っていた。これは、彼女の腹囲を示してるのかもしれない。ぴったりではないがなんで腹囲が分かるのか、鈴芽の頬は赤く染まっていく。
「それっていつの話・・・」
「いつって昨日の」
「きのうの・・・」
 それ以上二人は何も言わなかった。正しくは何も言えなくなった。草太は、悪気なくお泊まり話を持ち出してしまった。輪っかの形を作った手は今更引っ込めれず宙に残したままだ。慌てて引っ込めるのも何事も無かったかのように手をぶらぶらさせ誤魔化すのも違う気がしてる。心無しが熱くなる手は昨日の触れた柔肌の記憶か照れによる発熱か。
 一線を越えたとはいえまだウブな部分を残す草太と鈴芽は目を合わさず、じわじわと思い返す記憶に石化してしまったかのように動かない。
 そんな空気を打ち破る黄色い救世主が現れた。

いしや〜きイモ〜おイモ〜出来たてのおいしいおイモ〜ほっかほっかのおイモ〜

 余裕すら感じさせるゆっくりとした速度。空気を震わせるスピーカーから流れる放送。
「はんぶん」
「ん?」
「鈴芽さん半分こしよ。そしたらいっぱいじゃないしカロリーも半分じゃないか」
 この機を逃すなと人差し指を立てひらめきを捲し立てるように言う草太。鈴芽の頭の中にイメージ図が流れる。このベンチに座り焼きイモを食べる自分と草太。一人で一本食べるのは悪くないが、ホクホクのおイモを半年に割って綺麗に割れないから大きい方を彼にあげて・・・同じ味同じ幸せを共有して。それにカロリーも半分になるなんて魅惑的な提案だ。途端に抑えていた食べたい欲が顔を出して納得したようにポンと手を打った。
「確かに半分ならそんなにお腹いっぱいにならないし草太さんと分けっこ出来て嬉しい!うん、そうしよう」
「じゃあ俺が買ってくるよ。君は待ってて」
「お願いします」
「よし」
草太はすくっと立ち上がる。甘い良い香りが漂ってきた。道の向こう側ではなくこっち側に来てる、丁度いい。

「焼きイモ屋さん、待ってくれ~~!!」


お題
・ひたすらに続く上り坂の途中では、間々素敵なことが起こるものだ。
・「すごい、ってそんな意味ではない!」



坂道の出逢いたち


「すごい、ってそんな意味ではない!」

「けんどそういう意味でもあるんじゃろ。体大きいし体力ありそうじゃしちゃんと寝かしてもらえた?」
「ちょっと千果!もう、寝ましたよきっちりぐっすり寝ました」
 つい大きめな声で否定しそうだった鈴芽だったが、いつもと違う場所の空気に気圧されトーンを抑える。ケーキスタンドの中段からスコーンを取ってこっくりとしたクロテッドクリームを押し付けて塗った。練り込まれてるクルミのカリッとした食感が鈴芽の高揚した気持ちが落ち付かせてくる。甘いものはいい、ゆっくり息を吐いた。
 開放感のある大きな窓からはミニチュアのように小さくなった高層ビル群や公園の木々が見え、額縁が風景を切り取り一枚の絵として完成している。天井には金色の装飾を施したシャンデリアが吊り下がり、ガラスドロップは電灯の光を反射させ皺一つない白いテーブルクロスに模様をつける。鳥籠のような形のティースタンドの上段には今月の主役である巨峰を使ったケーキやパンナコッタが飾られている。非日常空間、まるでお姫様になった気分。スコーンも飲む紅茶の味も格別に美味しい。普段はこのような空間には足を運べないのだが今日は千果が東京まで来てくれたので、アフタヌンティーを愉しめるホテルに張り切って予約してみたのだ。
 だが話す内容と言えば恋愛の話で、最近二十歳を迎え草太と一緒に過ごした日の事を掘り下げられる。この日まで電話LINEの報告を控えられていた。
「鈴芽の所はてっきり婚前交渉はせん思いよったよ」
「私も何回か草太さんはそういうタイプかと思ってたけど、なんて言うか・・・普通の男の人だった、よ」
 あんなに涼しい顔をしてる彼の知らない一面知らなかった欲の顔。雨の日に密やかに登った大人の階段。指を絡ませ握られた手の熱さ・・・あれ以来お互い忙しくまともに逢えてない、あの日は夢だったんじゃないかとさえ思う。
「そういう千果は最近彼氏出来たんでしょ。私ばっかりじゃなくて千果の話も聞きたいな」
「え、うちの話?」
 ちょうど千果が頼んだバタフライピーにグラスに飾られたレモンの果汁が垂れて少しだけ色が赤紫色に変わる。同じように、千果のにこにこした表情が少し困ったような表情に変わった。今日は聞き役に徹するつもりで鈴芽も話したいとばかり思っていたので、まさか身を乗り出す勢いで自分の話を振られると思ってなかったのだ。
「うちは鈴芽の所みたいにラブラブやないし普通じゃけん。そんな面白い話無いわい」
「その普通の話を聞きたいの。同じ大学なんでしょ?どっちから声掛けたの?」
「あっちだけど・・・」
 初めて出会って泊めてもらった民宿あまべでは嬉々として元彼の話をしていたのに、どうも歯切れが悪い。もしかして実は話してないだけで別れていた、だったら自分はなんて察しが悪いのだろう。鈴芽はそんな自分を戒めるようにスカートの生地をギュッと掴む。
「今の彼氏優しいんじゃわい」
 耳をすましてないと聞こえないぐらいぽつりとカップの水面を見つめて話し始めた。別れていた、では無さそうで鈴芽は内心ホッとする。
「うんうん優しさは大事だよね」
「そうなんよ今まで付き合うとった人の中じゃと断トツに優しゅうて、おんなじ歳なのに落ち着いとるし。ほうじゃけん不思議な気分なんよ」
「不思議、落ち着き過ぎてってこと?」
「そうなんじゃけど。人気のない所にさっちに行きたけんどらんし、うちが行きたいって言うたら彼が不得意な場所でも着いてきてくれてうちより楽しんでくれるし」
「今までと違うタイプの人じゃけんびっくりしとるけんど、なんて言うか居心地がええの、それだけ」
 ひとしきり喋ってまだ青色が強いバタフライピーをこくこくと勢いよく飲んでいる。心做しか集合した時よりチークが濃く広がってるように見えた。
「一緒に居て居心地がいい人かぁ・・・そんな人に出逢えたなんて千果は幸せだね」
「鈴芽もそう思う?なんか、こう手ぇ繋ぐにしても気ぃ使うとるというか」
「分かる。草太さん今の時期だと繋ぐのに手拭いたりしてるんだよー」
「あるある!わざわざハンカチで拭いて待たしたねやら言うて握ってくるけん、そんな手繋ぐだけじゃけん仰々しいせんでもって思う」
「気にしてないのにね」
「そうそう何にも気にならん。そう、前なんて順番待ちで並んどる時横じゃのうて後ろにおるけん隣来てよって言うたら、うちの日除けになってくれとってさぁ」
「なにそれ〜グっとくる」
「でもうちよりちいと高いぐらいじゃけん日除けになってくれとるの気付かなんだけどのぉ」
「草太さんは相当高いから日除けしてくれてるの気付くけど、無言で後ろに立たれるとちょっと圧があるんだよねぇ」
「確かに宗像さんは相当。ええじゃんそなぁに体格の差があるとお姫様抱っこしてもらえて」
「そんな、お姫様抱っこしてもらえる機会なんて・・・」
 鈴芽の脳裏に蘇ったのは常世でしてもらった記憶。何にも重く無さそうにひょいっと持ち上げられたから、鈴芽自身もされてる事に気付かなかった。あの時のイスと違う彼の力強さに酔ってしまいそうな感覚を鮮明に思い出した。
「(草太さん、逢いたくなって来ちゃうなぁ)」
 今日は草太の話をたくさんしてる。彼の輪郭をなぞってるみたいだ。お互いの彼のいい所を取り出して見せあって、褒めてもらうと自分の事以上に嬉しく思う。 あまり自慢するのは得意じゃない、もしかして相手が目を付けてしまうかもしれないと妬いてしまうから。でも千果なら心置きなく話せる。きっと布団を並べて日が昇るまで喋り尽くした夜があるから何でも打ち明けられる。
「すずめ〜何ぼーっとしとるの?もしかしてベットまでそうやって運んでもろうたとやら?」
「違う〜徒歩で行きましたっ。隙あればそっちに持ってくんだから」
 どうしても千果の揶揄いを正面から受け止めてしまう鈴芽。そんな千果は初め会った時も大人びてみえたのにますます磨きがかかって、髪を伸ばしたからか雰囲気も変わった。
「私も千果みたいに大人っぽくなったと思う?」
「めっちゃなった。電話越しで話すより可愛いわい。愛されとるってかんじ」
「そんなに?」
「うんうん。うちが落としたみかん拾うてくれた子がこなぁに綺麗になって、まぁうちの方が数日付き合いが長いけどのぉ」
「そうだねー」
 千果には猫探しの帰りの新幹線で草太と出逢ったと話してる。実はこれ以上みかんが転がらないように網を張ったのは黄色いイスの草太さんなんだけどね、なんて誰にも言えないので心の中でだけ言葉を付け足した。

****

 千果が東京に来たのは鈴芽に会う為と応援してるアーティストのドームツアーに当選したからだ。そろそろグッズ販売が開始される時間らしく解散となった。
「もっと長う話したいかった〜付き合うてくれてありがとう」
「こっちこそ忙しいのに会ってくれてありがとうね。楽しかったよ。LIVEのあと知らない人たちと打ち上げって大丈夫?」
「知らん言うても顔だけでDMのやり取りしとるし複数いるしかまんよ。彼氏の許可も取っとるし」
「共通点がある人たちと打ち上げって楽しそう。いいなぁ」
「まっ、そなぁに長居するつもりやないわい。鈴芽と彼氏の話しよったら電話しとうなったけん早めに切り上げるつもり」
 ビルの影を抜けたら遮っていた日差しが2人に注ぐ。太陽の光も相まって少し照れくさそうに笑う千果がキラキラしてて眩しく見える。
「鈴芽はこれから逢うじゃろ?」
「え?でも今日は午前は仕事だし疲れてるかも」
「連絡だけでもしてみたら?話しよる途中で逢いたいーって顔しとったよ」
「嘘でしょ・・・してた?」
「うんうん。しよったよすぐ逢えるってええのぉ」
 もう鈴芽は宮崎に住んでない、飛行機を使わなくても電車に乗れば一本で行ける。逢いたくても遠いからと我慢をしなくていい。あの時の焦燥感はだいぶ薄れた。好きな人に直ぐに逢える幸せを噛み締めながら
「うん、そうだね」
 と自然にこぼれる笑みと共に頷いた。


 千果とは別れてから手ぶらでお邪魔するのは申し訳ないので先程のホテルに戻りケーキを二つ分持ち帰った。居なくても合鍵を貰ってる遅かったらケーキだけ置いて帰ろう、と草太の住むアパートに続く坂道を登る。そういえば千果とも草太とも出逢ったのも坂道の途中だ、何かと縁がある。
 アスファルトの照り返しは強く汗を拭っても止まらないが、草太に逢いたい衝動は収まらず動かす足は早くなるばかりだ。何を話そう、まずは何を言おう。お姫様抱っこをお願いするのは難しくても力いっぱい抱き締めてもらいたいし、自分も逢いたかった気持ちをたくさん伝えたいと思う。
 陽炎で揺らめく坂道のてっぺんに人影が見えた。
 鈴芽のケーキの箱を持つ手に力が入る。その大きな人影は一人しか居ない。彼も片手に袋を下げていた。仕事の帰りだとしても方向が逆だ、何処か出掛けようとしていたのだろうか。さっきより大きく踏み出してその人物の元へ駆け出す。あっちも鈴芽の存在に気付いたようで、小走りで坂道を下りている。近づく、ぼやけていた人影がはっきりしてきて。
「ねぇ君、この辺りで廃墟はない?」
 鈴芽が息を整えて早口気味に巻くし立てると、その人は──草太は誰もが見惚れるであろう微笑みを浮かべている。
「この先に集落ならありますけど・・・だったかな君が言ったのは。今日は海部さんも会う約束じゃなかったけ?」
「もう会ってきたよ。千果はこれからLIVEがあるから。草太さんはもしかしてお出掛け?」
「そうだったけど、もう目的地に着いちゃったなぁ」
「え、どこ?あそこの学校に用があったの?」
「目的地は鈴芽さん。逢いに行こうと思ってたんだ。連絡しようとしてたら君に似た人が登ってくるから驚いたよ」
 照れも無く真っ直ぐ目を見て伝えられて鈴芽の胸の中にストンと綺麗に着地した。落ちた所から喜びがじわじわ指先まで広がる。逢いたいって好きな人に言われるのはこんなにも嬉しいらしい。
「あのね、千果とお互いの彼氏の話をしてたの。そしたら草太さんに逢いたくなっちゃって来ちゃった。というか、先に連絡すれば良かったね。すれ違わなくて良かったぁ」
「そうか。それでここまで来てくれたのか」
「うん。でも会った場所に近いからそんなに大変じゃないよ」
 草太は鈴芽の手を引くと日陰の方へ誘導し、ポケットからハンカチを出すと額に当て汗を拭ってくれる。いつもより屈んだ体勢になって顔が近い緩んだ口元がよく分かる。話す距離もだいぶ近い。
「・・・午前は出勤だったんだ」
「言い忘れてたお疲れ様」
「ありがとう。そこで同じ出勤だった人に惚気けというのか、本人は自覚は無さそうだけど奥さんの話を聞いたんだ」
「隣の人って結構歳上の人じゃなかったけ」
「そう、その人。お弁当広げて油っこいものが入ってないって愚痴を言い始めると思ってたら、でも奥さんのおかげで健康診断の数値が良くなったとかどのおかずも美味しいなんて話を聞いてたら、成り行きで鈴芽さんが作るポテトサラダが入った焼きうどんについて喋ってさ」
「誰に話してもポテトサラダは入れないって言われるから驚かれなかった?」
「お酒のおつまみに良さそうだから今度作ってみるらしい。それで、君の話をしてたら台所で作ってる姿が浮かんで、仲睦まじい夫婦の話も聞いてたら鈴芽さんに逢いたくなったんだ」
 2人の間に風が抜けた。湿気はもう含まない秋が近い風だった。もうすぐ初めて出逢った季節が巡ってくる。
 どうやら草太と鈴芽はタイミングがいいらしい。初めて門波の坂道で出逢った時も、草太に声を掛けなかったら、鈴芽が自転車に漕ぐのに夢中になってスルーしてしまったら今みたいな関係になってただろうか。でも二人は出逢ったし今もすれ違わずに逢えた。大事な縁は逃さないようにきっと二人は守られているのかもしれない。
「同じ理由だ」
「うん同じ。こんな所で話し込むのも暑いから家に来ない?鈴芽さんが気に入りそうなプリン買ったんだ」
「やった何のプリンだろう」
 空いてる左手を掴もうと手を伸ばしたら、ちょっと待ってと断りを入れて草太は手をハンカチで拭い繋いでくれる。二つ伸びる影の間に橋が掛けられた。
「鈴芽さん」
「なぁに?」
「気の済むまで家に居てくれていいから。なんなら泊まったっていい」
 繋がれた手が離れたくないと訴えるように強くに握られる。もしかしたら逃がさないようにされてるのかもしれない。その手の強さで全て伝わった。これからは帰りたくないって渋っても許してくれる事が多くなりそうだ。鈴芽は返事の代わりに草太の腕をぎゅっと抱きしめた。

 ひたすらに続く上り坂の途中では、間々素敵なことが起こるものだ。


6月のお題
・「見ないフリ、見ないフリ」
・「走ろう!あの夕日に向かって!!」



ぎゅうぎゅう


「見ないフリ、見ないフリ」

 狭くて息苦しい所に閉じこもってる草太と鈴芽は心の中で何度も言い聞かせる。必然的に密着してしまってる体、意識してしまったらココから飛び出して逃げたくなるからだ。草太は上部にある通気穴から外の様子を伺う。穴は小さい為微かにしか見えないが、外に居る人物は当分出ていく様子が無い。何時になったら出れるのか・・・いやこの状況棚からぼたもちというのか・・・いやいや、草太に抱きつく体勢の鈴芽は苦しそうに息を吐いてる。さてどうしたものか、自分たちがに開けられた縦長の通気穴から再度覗いたが動きは無かった。

 どうしてこんな状況になったのを説明するには時を遡る。
 鈴芽から高校最後の文化祭に来て欲しいと連絡が来た。どうやら在校生の関係者であれば入場していいらしく『芹澤さんにも連絡したよ』とえっへんと胸を張る猫のスタンプ付きで送られてきた。さすがに一人では心細かったので友人の存在に感謝しつつ宮崎へ向かう。
 活気づく校舎に着いたのは昼過ぎ。鈴芽が在籍するクラスは焼きそばをやると聞いたので、ちょうど良い腹ごしらえになると思ったが、肝心要の鈴芽は食材を取りに行ったらしくその場には居なかった。芹澤と共に校舎を歩き回ってる最中、鈴芽から連絡が来たので待ち合わせすることになり、合流するまで芹澤は御手洗に行き、草太は一人待っていた。
 高校は正門まで来た事はあるが中に入ったのは初めてで、自分の通った高校とどことなく似てる校内の懐かしさと彼女の通う高校に居る感慨深さに廊下やら教室を見渡していた。窓から見えるヤシ科の木は南国宮崎を象徴してるのだろうか、東京では滅多に見ないので住む地方の違いをひしひしと感じる。しかし、当たり前だが周りは制服を着た人たちが大半、その中に居る自分はかなり浮いてると草太は思う。そのせいかさっきから物珍しげに見られているのが不自然である証拠、芹澤がいないので視線は自分ばかり集まっていて少しだけ居心地が悪い。
「草太さん!」
 元気いっぱいの声が後ろから聞こえていた。走ってきたのか息を切らした鈴芽は、焼きそばのイラストがど真ん中に描かれた濃いピンクのTシャツに見慣れた制服のスカート姿だ。馴染み深い可愛らしい笑顔の彼女にどこか故郷に帰ったような、ほっとした安心感が心の内にあった。
「ああ鈴芽さん良かった逢えて。今芹澤はさ」
「来てくれてありがとう。でもちょっと隠れて欲しいの」
「隠れてって何処に?芹澤がトイレに居て」
「連絡しとくからとりあえずこっち!」
 理由を明かされないので訳も分からず手を強く引かれるがまま歩いていく。
「ここならしばらくいいかな」
 手を離されたのは机が並べられている展示物が何も無い教室だった。
「どうして俺は隠れてなきゃいけないの?」
「色んな人のイケメンセンサーが反応したの。おかげでみんな草太さんと多分芹澤さんも探し回られてる」
「けど隠れてても時間の問題じゃないか?それに俺たち以外の可能性だってあるだろ」
「ないない。みんな口を揃えて高身長のイケメン二人、片方は髪が長くて儚げなイケメンもう片方は深夜に電話掛けても文句一つ言わず聞いてくれるチャラいイケメン、って言ってるから草太さんと芹澤さんしかいないよぉ。こんな事になるなんて・・・」
 話してる最中イケメンの人〜と呼び声とドタバタ数人が走ってる足音が近付いてきた。
「やばい気付かれたかもどうしよう。とりあえずココに隠れて」
 鈴芽が草太を押し込んだのは掃除用具が入れに使われるロッカーだった。
「待て、狭い鈴芽さん無理だ」
「ちょっとの辛抱だから。わっ!」
 草太を押した勢いで鈴芽はバランスを崩しロッカーの中に入ってしまった。開けていた窓から入った風がロッカーの扉をパタンと勝手に閉める。のと同時に鈴芽たちが居た教室の扉が開けられた。
「イケメン居たー?」「居ない。一人は見つけたけど」「みっちゃんは長髪の人狙いだもんねー」「連絡先だけでも知りたいよ」
 などと喋り椅子に座り出した。長居する予感だ。
「嘘でしょ〜」
 ごく小さな声量で鈴芽は口癖を言う。こっちの台詞だと、辛い体勢の草太は心の中で言う。学校等に置かれている掃除用具ロッカーの高さはだいたいが1790mmになってる物が多い。つまり草太の180cmを越える身長ではかなり苦しい状態なのだ。体は横向きで、頭は天井にどうしても付いてしまう。腰を側面の板に付けて体勢は前屈み、膝も軽く曲げてどうにか収めている。幸いにもというのか掃除用具が入って無かった為、ギリギリ二人分のスペースはあったが苦しい事には変わりない。
 ・・・正直自分の体勢はどうだっていいのだ。
 問題は一緒に入ってきてしまった鈴芽のポジション。草太の体に手を回し胸元に頭を付け抱き着いてる体勢だ。見てしまったらいけない、意識してしまったら心がざわめいて体が反応してしまう──何故なら相手は想い人だから。あくまでも冷静に衝動を抑えよう、自分に言い聞かせる草太はとりあえず目を瞑った。
 鈴芽も見ないフリを心掛けている。
 この体勢になってから草太の様子を伺う為見上げたら、麗しい顔は近いし頬を紅潮させ息を苦しそうに短く早く吐き、おまけに滴る汗が顎先に溜まりぽたりと落ちるさまを見てしまい、これはよくない、好きな人のこの姿は心臓に良くないと目を瞑るようにしている。埋めている胸板の逞しさについては考えるのを辞めた。ただハリのあるクッションに顔を埋めているのだと脳内に言い聞かせた。
 ただ時が過ぎるのを待つ二人だが、時ばかりが過ぎ状況は好転しない。外の女子二人は捜索を諦めくつろぎ始めてる始末。夏はとうに過ぎたとはいえ暑さはいつまでも居座り続けるのがここ近年の天気。密室のロッカーは熱が出ていかない。なにより体が密着しお互いの体温で更に悪い意味で温めあっているので熱い。このままだと茹だってしまいそうだ。そんな中鈴芽が草太の胸を軽く叩いた。
「草太さん」
「どうしたの」
 草太はやはり見ないようにしているが、声は微かで聴こえにくいので少し屈み耳を澄ませた。
「くしゃみが出そう」
 掃除用具が無いとはいえ長い間置いてあるロッカーは埃が溜まったのだろうか、自分たちが動いていたから舞ってしまったせいかもしれない。だが、今くしゃみをするとくつろいでる女子二人は不思議に思いロッカーを開ける。中には男女がロッカーにぎゅうぎゅうに密着した状態、只事じゃない。残り少ない鈴芽の学校生活に支障が出るのは間違いない。
「堪えられる?」
「何度も堪えてるけど限界・・・」
 心做しか声も弱弱しい、鈴芽の学校生活を守らなければならない。意を決して、着てきたロングシャツの前立てを掴む。
「鈴芽さん苦しいと思うけど我慢して、これでくしゃみしても外には聴こえないと思うから」
 鈴芽の体をすっぽりロングシャツで覆った。自分の体に押し付けてもっと密着してしまっているが、これしか思いつかなかった。
「いつでもいいよ」
「ちょ、ちょっとこれは・・・ふっ」
 草太の心臓の音が良く聴こえる、速い。ロッカーで外の音は遮断されてるせいかそれしか聴こえない。平静だと思ってた彼の本音みたいに思える。
 一度だけ行った御茶ノ水のアパートの部屋で感じた外国の街に漂う香りがして、一瞬鼻のむず痒さは収まったがまたむずむずとしてきたので手で力一杯口を抑えて腹筋にも力を入れて、くしゅんとくしゃみをした。
「ありがとう草太さん」
「いやもっと息苦しくしてごめんね」
 ぱちっ
 目が合った。
 二本のくせ毛だけ飛び出しているが草太のロングシャツにくるまれている鈴芽。くしゃみを我慢してたからか紅茶色の目に張った膜がうるうると揺れている。その守られてる姿が愛らしく思えて唾を飲み込んだ。顔を見合わせると今の距離の近さを実感してしまう。半開きの口の無防備さに体の熱がまた上がってしまった。
 鈴芽も数センチしか離れてない距離の近さに壊れそうなくらい心臓が跳ね上がっていた。
 額に張り付く前髪もやっぱり完璧な位置にある泣きぼくろ、綺麗な眉が少し歪んでいるのをまじまじと見てしまう。荒く息を吐くのに合わせて動く薄い唇。
 今自分が背伸びしたら届いてしまいそう。
 あんなに見ないようにしていたのに、二人は我慢して分を取り戻すみたいに視線を絡めている。暑い、灼熱だ。こんなロッカーの中に長い時間居るせいで、脳がどうにかなってるかもしれない。
 どちらからともなく顔を近付ける。
 自然な動作で鈴芽の背中に手を這わせる草太、つま先を上げ顔を傾ける鈴芽。
 鼓動の音も外の様子も置いて草太と鈴芽は後も先も何も考えずに、好きな相手の唇を自分の唇と合わせようとしていた。お互いの中にある熱だけが突き動かしてる。
 ──あと少しで離れてる距離が縮まる、唇が重なる。
 あと少しで。
「オイ!どこ行ったかと思うたらサボっちょるんかちゃ。みんな怒っちょるぞ」
 乱暴に教室のドアを引いて怒鳴ってきた声に動きが止まり、熱の中から覚め唇が触れそうな距離から弾かれたように離れる。草太は通気穴から覗くと座っていた女子二人は怠そうに立ち上がり視界から消えた。締められるドア。
「行った?」
「ああ。行ったみたいだ」
 顔を見合わせゆっくりとロッカーの扉を押した。がらんとした教室に立ち尽くす二人は、とりあえず深呼吸をして乱れていた呼吸を治す。
「(あれ?私なにしようとした)」
「(俺は一体何を・・・)」
 真横にいるお互いを見れない。
「えーっと外の空気吸おっかなぁ・・・草太さんも来る?」
「そう、だな。うんそうだなそれいいかもな。新鮮な空気が欲しいかもしれない」
 ぎこちなく玄関まで歩く、無言で。鈴芽は両手で草太は片手で自分の唇を隠す。何度も脳内でロッカーの中での自分の行動に、なんで?なんで?と問い掛けてる。しかし答えなんて出ない、だって何も考えられなくて二人だけの世界に囚われていたのだから。
 靴を履き外に出る。涼しい海風が肺の中を満たして灼熱の空気を追い出した。太陽は来た時より西に傾いている。まだ日が沈む時間は早いが体に残る熱を発散したくて堪らなくなっていた。文化祭が終わると岩戸家で夕飯を囲む予定だ。こんな顔で熱を持ったままで過ごせない・・・。
「鈴芽さんっ!」
「はいっ!」

「走ろう!あの夕日に向かって!!」


5月のお題
・このまま朝が来なければいいと思った。
・「ねぇ、来年の話をしよう」



雨粒は伝い鼓動に打つ


このまま朝が来なければいいと思った。

 草太さんの腕の中にすっぽり収まっている私は頬に伝わる温もりの心地良さに目を閉じる。あぁこのまま朝になってもいい、もっとくっつきたくて頬を押し付ければ薄い浴衣の生地の奥の奥から鼓動の音が聞こえてきた。彼が生きてる音、さっきまで自分の中にあった緊張が解けていくのが分かる。
「鈴芽さん」
 逞しい胸板に埋めていた顔を上げるといつも以上に優しい表情を浮かべてる草太さんと目が合う。顔に掛かる焦げ茶色の髪を耳に掛けてくれた。
「雨、止まないね」
「うん止まないね」
 今の私はそれぐらいしか答えられなくて、彼が着ている灰色の浴衣を掴んだらまた胸に顔を埋めた。
 いつもなら違う香りがするのに、ほのかに香る石鹸は同じで、触れ合ってる温もりの近さにこれからの夜の想像が膨らんで少し逃げ出したくなっていた。
 遠くから聞こえる雨音と耳元から聞こえる心臓の音、どちらが混ざっても静かな音だ。この部屋にはそれぐらいしかない、私たちは言葉を紡いでないからだ。
 
 さっきまでの緊張・・・それは温泉を楽しみ草太さんとアイスキャンディー美味しかったね、なんて話しながら襖を開けた時に訪れた。布団が二組きっちり並んで敷かれている。当然といえば当然、だって私たちはここで一夜を過ごすのだから。
  私は遂に二十歳になった。
その誕生日をお祝いとして草太さんは温泉旅館を予約してくれた。戸締まりとは関係ない遠出は初めてで、出発したては旅行だ!とワクワクし食べ歩きをし楽しんでいたけど、日が落ちるごとに今日この人と朝まで・・・と色々意識するようになったら落ちつかなくなった。その緊張に蓋を被せ何とかやってきたけど、目の前に現実と時間が迫っていた。
 部屋に入らず棒立ちをしていたら後ろから草太さんが
「先に入らせて貰おうかな」
 と私を横切り当然のように布団の上に座った。草太さんは緊張なんてしないんだろうか。旅行中も何とも無い顔をしてたし・・・私はギクシャク歩いて隣の布団へ一番遠い端っこ位置にとりあえず座った。
 おかしい。あんなに待ち遠しかったのに。これではNOと言ってるみたいだ。
 私が二十歳になったらとっても重要な事柄が待っていた。それは草太さんとの関係が進んで、なんて言えばいいのだろう・・・ぼかした言い方をすれば大人の関係になれるだ。本当は付き合ってから直ぐにでもそういう関係性になっても私は構わなかった。それぐらい草太さんが大好きで全て捧げたかったから。ある時彼にその思いをぶつけて勢いのまま押し倒してみたけれど「その気持ちは嬉しい。けど君が二十歳になるまで待っててくれないか」と待ったが掛かった。私は不服で唇を尖らせていたら「鈴芽さんを大切にしたいんだ。だからお願い、ちゃんと準備させて」と聞いた事ない切なげな声でお願いされてしまった。私の気持ちをこれ以上押し付けるものでも無いし、私だけの気持ちで進む事では無い。草太さんは人一倍誰かとの繋がりというに敏感だと思う。その中で深い仲の私をもの凄く大事にしてくれてるのは分かってる。だから大人しくうなづいて一年待った。

「でも一年でそんなに変わるものかなー」
 草太さんにくっついたままボソリ呟くと大きな手が私の頭の後ろに添えられゆっくりと撫でられた。
「大分違うよ。だって出逢ってからの君と今日の君は全然違うんだよ」
「えーどこが変わったの?身長だって伸びてないしあれだけ色々やったのに胸だって・・・」
「むね?」
「あ、今見たでしょ〜えっち」
「見た、っていいだろ。だってこの後」
 言葉尻をゴニョっと濁していた。彼の胸に耳を当てると鼓動が面白いぐらいに早くなってる。
「こら計ってるな」
「だって〜私だけじゃないって思いたいんだもん」
「君は、俺に格好付けさしてくれないなぁ」
「草太さんは何やっても格好いいからマイナスになんてならないよ」
 茶化したような声もやがて消えるとまた雨音だけが部屋に残った。外は激しくない静かな雨が降り続いている。
「ちょっとごめんね」
 草太さんは布団から出ると備え付けの小さな冷蔵庫から出した水を飲んでいた。
「鈴芽さんも飲む?」
「うん。貰おうかな」
 心臓がこんなに大きく動いて、体から飛び出してしまうつもりなのかと思う程鳴っている。じっとりと汗が滲む手を浴衣で拭ったらペットボトルを受け取った。
「鈴芽さん怖い?」
 図星をつかれてごきゅんと喉に水が大袈裟に通る。やっぱり見抜かれてしまう。けど、なんでもない風に
「怖くないよ。全然」
 と明るい声を出した。優しい草太さんは私の気持ちを第一に考えてくれる。けどこの機会を逃したら次はいつになるか分からない、時間を合わせるというのはそれぐらい大変。もうチャンスは来ないかも、と思うと無理やりでも進めて欲しかった。
「俺は、怖いよ」
 私の隣に距離を数センチ空けて座った草太さんはこっちに目を向けず不安の色を滲ませて言った。
「そうなの?」
「うん怖いよ。大切なものに触れる時はいつも怖いと思ってる」
 膝の上に置かれた手が浴衣の生地を強く握っていた。
「それって、今も関係なしに?」
「うん。俺は人より体は大きいしその分力もあるだから、不意に壊してしまわないかって不安だったんだ。身長が急に伸び始めた頃の話だったかな、体調の悪い友達の荷物を持とうと引っ張ったら転けさせてしまった事があるんだ。声は掛けたんだけど、引く力の方が強かったんだろうね」
「だから、それ以来誰かに触れる時はかなり気を付けてる。鈴芽さんは特に、軽いし細い俺が不用意に触れると壊れてしまいそうで」
「草太さん・・・」
 彼の心の内を初めて聞いた。
 確かに草太さんに強引に手を引かれたり強く握られた事は無い。いつも優しくてでも遠慮をしているみたいだった。きっと誰かを傷付けないように遠慮して人と付き合ってきたのかもしれない。
 空いていた数センチの距離を詰めたら、握られている拳に私の手を重ねた。トクトクと心臓が鳴る。だけどさっきより落ち着いてきた。草太さんがそうさせてくれたから。
「私も本当は怖いよ。全然分からないから。たけど、それより今よりもっと草太さんを知りたいし、その・・・独占したいの!」
「独占、したいのか」
「みんなが知らない草太さんを私だけ知りたい。みんなが見ない顔を私にだけ見せて欲しい。だから・・・だからっよろしくお頼み申します!!」
 私も草太さんに言えなかった自分の恥ずかしい独占欲というものを、初めてさらけ出した。気恥しさで最後だけ勢いに任せて言ってしまった。今も草太さんの顔は見れなくて拳を両手で包んでギューっと握ってる自分の手だけを見てる。
「鈴芽さん」
「はい」
「今なら引き返せるけど」
「結構です!覚悟してきました」
「無理しなくても、いつでもいいんだからね。今日は添い寝だけでも」
「大丈夫だよ。私、ずっと待ってたんだから草太さんに抱かれ」
 最後まで言えなかったのは草太さんの唇が塞いだから。初めて少しだけ強引な口付けだった。そのままゆっくりと後ろに体重を掛けられて私は組み敷かれた。黒い大きな影が覆う。私の体はこの影にすっぽりと覆われているだろう。目の蒼がいつもよりギラギラしていた。さっきまで拳を作っていた手が浴衣の帯を引いた。
===
雨はもう止んだかもしれない。
 ぽつぽつと聞こえる音は軒先から落ちる雨垂れの音だろう。
 私は草太さんの手が好き。ちょっとカサついてるけど手を繋ぐと包まれて、撫でられると安心する。怖いだなんて思った事が無い。きっとどこに触られても平気だ。

 あ、雨だ。雨が落ちた。
 そういえば、私の四歳が誕生日を迎えた次の週からも雨が降り続いていた。毎日毎日、あまりにも止まないから晴れなんて二度と来ないんじゃないかって不安になっていた。だからお母さんに「かみさまに何かあったかも」って言ったら「どうして?」と首を傾げていた。今なら思い出せる、湿気が入ってきた部屋に焼いているお菓子の甘い香りが混じっていた事。ひっくり返ったの黄色い椅子。机に寝転ぶ何個かのてるてる坊主。私見るお母さんの大きな目。
「だって雨ずっと降ってるから。空に住んでるかみさまがかなしくて泣いてるかもしれない」
「そうねぇ」
 お母さんはさっきまで私が張り付いていた大きな窓に視線を移しうーんと唸っている。
「難しいけど泣いてるのは雲だがら大丈夫よ。神様は泣いてない」
「え?」
「雲も悲しくて泣いてるんじゃなくて、重い重い体を揺らして軽くしてるだけなの。雲の上は晴れだから空に住んでる神様は楽しくやってるよ」
「じゃあかみさまも誰も泣いてない?」
「ないよ。神様は泣かないよ。ずっとにこにこ私たちを見守ってくれてる」
 お母さんの手が私の頭を撫でてくれる。それだけで雨続きの嫌な気持ちも、てるてる坊主の顔が上手く書けないくてしょんぼりしてた気持ちも吹き飛んだ。
 お母さんの手は魔法の手だ。きっと草太さんも同じように魔法の手なんだ。





 雨が降っている。
 私の頬にぽたぽたと温かい雨が落ちてきた。雨は雲からじゃなくて、蒼い瞳からぱらぱらと落ちている。湖の底から湧き上がってるように盛り上がった涙は目の縁に溜まり真っ直ぐ重力に従って私に落ちる。一粒一粒落ちる度に鼓動が大きく跳ねていく。草太さんの腕を掴んでいた手を離して、頬をそっと包んだら溜まる涙を指先で拭った。
「草太さん苦しいの?」
 眉根を寄せてるから心配になって聞くと小さく首を振った。
「幸せなんだ。君と一つなれてすごく、幸せで、夢みたいだ」
 自分の体にある異物感。彼も同じように違和感を感じていて、それで苦しいのかもしれないと思ったから安心する。
「草太さんは・・・・神様じゃないね」
「ははっ今さら気付いた?」
「ううん。ずっと知ってるよ。草太さんは神様でも何でもなくて・・・でもね、たまに不思議に思うの。逢った時はあんなに神々しかったというか、雰囲気変わったなぁって。たくさん笑うし結構拗ねるしヤキモチ妬きだもんね」
「逢った時のままの方が良かった?」
「ううん全然。今の方がずっと好き。草太さん好きだよ。だから遠くに行かないでここに居て」
 彼の項に手を置いて自分の方へと引き寄せる。重なる唇はいつもより暑かった。私の指の間に草太さんの指から通り絡まる。
「私も幸せだよ。草太さん」
「俺も君に出逢えて、すごく」
 それ以上は言葉にならなかった。だだ彼の無限の愛が足先から頭のてっぺんまで注がれていく気がしてる。溺れてしまう幸福感、ずっとこのままでいたかった。

****

「私エッチの才能があるかもしれない」
 きっちりと浴衣を着せられてピカピカにされた私は、先程みたいに草太さんの腕の中に収まっている。
「へぇ?」
 草太さんにしては随分間抜けた声を出したら、しばらく間があってプッと吹き出した。
「真剣な話なんですけど〜〜」
 本当に真剣に言ったのに揶揄われたみたいで、ペちんと立派な胸板を叩いた。
「その心は」
「へぇ?その心?えーっと・・・だってそのもっと色々大変だと思ったの。けど思ったより痛く無かったし・・・草太さんが色々気を使ってくれたからだと思うけど。聞いてた話と違う」
 今回の事で多方面から情報収集を行ったのに、一致した意見の方が少ない。なんて話してたら、また腹の底から湧き上がってきたようなカラッとした笑い声が鼓膜をくすぐった。
「また笑った〜」
「ごめんごめん。けどあってもいいんじゃないか?発揮するのは俺の前だけだからね・・・それにしても鈴芽さん二十歳か」
「ふふん大人っぽくなった?」
「それはもう。どんどん花開いていく君を近くで見てたからね。君は俺の焦燥感なんて知らないだろうね」
「何それ〜本当に思ってた?何も気にしてませんよーって顔してたのに」
「言っただろ、格好つけさしてって。誰だって好きな子の前では格好よくいたいものだよ」
「ふーんイケメンでも思うんだ」
だらんと伸ばしてる足を草太さんの足に絡ませたら腰に回ってる手の力が強くなった。
「鈴芽さん改めてお誕生日おめでとう」
「ありがとう。えへへ嬉しいなぁ」
「この先も絶えずお祝いしていくからね。だから遠くになんて行かないよ。もう君無しでは俺は、生きていけないから行くとしたら鈴芽さんも一緒だ」
ぎゅうと目一杯抱き締められて、ちょっと苦しくかったけどやっぱり嬉しくて目の奥がツンとした。
「最近ね、歳をとる度にいい事が増えてるって思うの。別れも・・・あったけどたくさんの人に出会えて繋がりが持ててああ私って幸せだ、光の中にいるんだって実感するの。だからこの先もずっといい事が続くと思う。寝て明日になったら草太さんの誕生日の話をしよ」
「まだ先だよ」
 流石に草太さんは眠ないのか声に力がなくて抱き締めていた力も抜けていく。でもこれは大事な事なので私も最後の力を振り絞って言う。
「そうだけど!幸せの余韻の中で話したいの。だから」

「ねぇ、来年の話をしよう」


4月のお題
・「それサバンナでも言える?」
・この人となら花曇りの日だって○○になるんだ。

一歩間違えればそこはサバンナ

「それサバンナでも言える?」
 
 一見ふざけたような言葉だが、言った張本人である草太は厳しい表情で鈴芽を見つめていた。サバンナ、サバンナはサバンナ気候と呼ばれる気候地域に成立する草原地帯。降水量が少なく年間を通して気温が高い。地球上もっとも大型草食動物が集まる土地でそれを狙った大型の肉食動物がハントする──弱肉強食な世界だ。
 なので視線を外さず、じっと睨まれている鈴芽は蛇に睨まれた蛙ではなく、ライオンに睨まれたガゼルと言った方が正しいか。そんなどうでもいい事が彼女の頭に巡ったのは、いきなりサバンナという日常では使わないワードが出されたからだろう。けどそんな過酷な世界を引き合いに出された今は同じような状況、一触即発な雰囲気だ。
「はぁい!?」
 少し遅れて怒りが含まれた素っ頓狂な返事をした鈴芽。こっちだって言い分はある、この雰囲気に飲まれる訳にはいかないのだ。 しかしサバンナという強力なワードに次のカードが出せない。頭の中で言い分を組み立ててみるが、今の自分の状態だと酷い言葉ばかり生まれてしまう。
「もう今日は解散しよ」
 負けじと顔を顰めたまま、数時間前に新しく買ったの!と自慢したハイヒールに足を入れ去って行こうとする。
「待って鈴芽さん」
 先程の厳しい顔を崩し眉を下げ手を掴んで引き留める。
「初めの、駄目だろの言い方がきつかったごめん。でも君の足にこれ以上怪我を負って欲しくないんだ」
「・・・たかが靴擦れだよ。すぐ治るよ。けど来週には桜は散ってるし、忙しいから次いつ逢えるのか分からないじゃん。だから無理してでも花見したかったのに。それに私が考えもせずこの靴履いてきたのが悪いから、もういいじゃん」
「たかがって、怪我はしてるじゃないか。せめて家まで送らせて。その足だと辛いだろうし・・・」
 両の踵に貼られた絆創膏に目をやる。それだけじゃない小指の付け根にも貼られている。原因である靴は脱いで捨てる訳にもいかないので帰るまで傷が出来た足のままだ。
 掴んだ手を離さない草太、掴まれた手を振り払わない鈴芽は立ったまま。無言の押し問答が続く。
「・・・とりあえず一回座ろっか」
 先程まで座ってたベンチを指差す。草太に聞こえない小さな溜息をついた鈴芽は言う通り一旦座った。



 この喧嘩はちょっとした事から始まった。
 東京に来て二度目の春、去年とは違い鈴芽の慌ただしさは落ち着いたものの、年度の切り替わりで草太は変わらず忙しかった。それでも癒しでもある鈴芽と過ごしたい欲求は抑えられず、満開の桜シーズンである公園でデートをしていた。が、想定外の人の数、騒がしい花見会場はデートというほんわかした空気は崩れてしまう。
 そんな中、鈴芽は珍しくハイヒールの靴を履いてきていた。それはスラリとした足を際立たせよく似合っていたが、今回ばかりは場所が悪かった。坂道が多い場所だとハイヒールで歩くの少々大変で、しかも履きなれてない新しい靴なので次第に足取りがおぼつかなくなっていた。最初は我慢していた彼女だが、何かを庇って歩く姿に疑問を覚えた草太が止めた時には足に靴擦れが出来ていた。早く頼って欲しかった気持ちと虫の居所の悪さでつい「そんな靴履いてきたら駄目だろ」と強い口調で言ってしまう。
 鈴芽自身も足を痛めながら歩いてる最中、自力で見付けた花見会場のリサーチ不足を悔やんでいた。確かに調べた時は平地ばかりじゃなさそう・・・と思ったが、最近買った身長差を少しでも縮めるハイヒールをどうしても履いて行きたかったのだ。草太の言う事はごもっともだ。だけどそんな強く否定されてしまっては身長差でどうも兄妹みられがちな今を打破したい、どうにか恋人同士だと見られたい乙女心とハイヒールの立場が無い。だから「なんで怒られなきゃいけないの」と同じようにムスッとして言い返してしまった。
「怒ってないよ」
「怒ってるよ。ごめんねそぐわない靴履いてきて。でもそんな言い方しなくてもいいじゃん」
 絆創膏を貼る為に下を向いてるせいなのか、目に涙の膜が出来ている。こんな些細な事で泣かなくても、と涙を止めたくて患部に押し付けるように絆創膏を貼った。
「でも辛そうだし、俺と出掛ける時は歩くのが多いから無理して負担になるような靴履かなくていいんだよ」
「無理してでも履きたい時があるの!どうして分かってくれないの」
「いや、その・・・」
 思った以上に強い口調で返ってきて草太は狼狽えてしまう。彼女にどんな傷でも残って欲しくない、なるべくそうさせないようにしていきたい。そして自分の身を大事にして欲しい、彼女の足に傷痕を残してしまった後悔から来るものだ。
 だけど言わないと心の中は伝わらない。それに気付かぬまま言いあぐねている中、顔を出したのは乾いた大地と草原。
「それサバンナでも言える?」
 だった。



 ベンチに座った二人は時折吹く風で散っていく桜の花びらを目で追っていた。こんなに咲き誇っている桜もこの風が吹き続ければ、数日のうちに地面に花びらの道を作ってしまう。
 初めは晴れていた空も今の状況を示すかのように雲が掛かり太陽を隠していた。次に話しかける言葉は殊更気を付けなければいけない。こっちの世界も一つ行動を間違えれば取り返しがつかない、過酷とは言わないが中々大変だ。
「鈴芽さん」
 慎重に大事な彼女の名前を優しくなぞるように呼ぶと同時に、プッと鈴芽は吹き出した。
「なんでっサバンナが・・・出てきたの」
 笑いのツボに入ったのか口を開けて笑うのではなく、草太に背を向けて肩を震わせている。張り詰めていた空気が綻んだ気がした。緊張して強ばっていた肩の力が抜け、つられたようにクスリと笑う。
「最近受け持った生徒に動物番組をオススメされてさ、その子は特にサバンナの特集が好きで寝る前に見てたんだ」
「だからって、サバンナなんて言われたら困っちゃうよ」
 ひとしきり笑い落ち着く為に大きく息を吸って吐いたら
「はぁー笑った。あのさぁ草太さん心配してくれたんだよね。それは嬉しいし分かってるけど『そんな』は辞めて欲しいな。間違ってたとしても色々想いがあって履いてきてる訳だし。ほら戸締まりだって適当な格好して来ないないでしょ」
「戸締まりに置き換えられると分かりやすい・・・いやそれだけが全てじゃないよな。これから気を付けるよ。今日の靴はどんな想い入れがあるのか教えてくれる?」
「あ、それ聞くんだ」
 先程の乙女心は自分の中だけで完結しておきたかった。身長差はどうにもならない、どうにもならない問題を草太に言っても仕方ない気がした。だが、答えを待って見つめている透き通った空みたいな蒼い目の前では誤魔化せない。
「だって前に妹ですか?って聞かれたから」
「ああ前の」
 以前二人で歩いていたら職場の同僚と出くわした際にそう言われたのだ。同僚は悪気は全くなく、草太が「彼女です」と紹介したらこれでもかと頭を下げて謝っていた。鈴芽もその場では気にしてなかったが、周りにはそう見られてるんだとじわじわ実感していくうちに棘になっていった。
「しょうがないけどさっ、だって私たちは五つも差があるし 凸凹だし」
「見た目とか年齢はどうしようも無いけど、雰囲気は時期に変わるんじゃないか」
「それって私の雰囲気?何があるっけ」
「来月には二十歳だろ」
 そう来月には二十歳になる。誕生日は草太が予約してくれた旅館でお祝いする予定だ。もちろん朝まで同じ部屋で過ごす。
「大人の仲間入りだ」
「・・・今は十八歳から成人だし今も大人なんですけど」
「でもお酒は飲めないし」
「今は子供って言いたいの」
「さぁどうだろうね」
「わっ、誤魔化した。はっきり言ってよ!はっきりしなきゃライオンに食べられますよ〜」
「食べられるのはどっちだろうね」
「へっ?」
 吹いた風で青みがかった長い髪を靡かせる。隠れた前髪の隙間から見えた目は、何時もより深い色をしてるように感じた。左目の下の泣きぼくろも相まって色気を含んでいた。その目の深さはその意味合いを含んでいるのか・・・当てられた色気に耐えられず口をパクパクさせている。
「さて、折角の桜だしおんぶして回ろうか」
「おんぶ!?結構です」
「君は重くないから気にしなくていいよ」
「気にしてるけど今は気にしてない!それ余計子供っぽいじゃん」
「思わない思わない」
「ほんと〜〜」
 じとっと睨む鈴芽を尻目に、足元で立膝を付いて屈んで背中に乗るのを待っている。絆創膏を貼ったから別に歩いても平気だ。だけど来月には大人になるんだから、こうやって身を預けきって甘えられるのも、少なくなる。
 なのでその広い背中に乗っかった。
 本当に軽そうにすっと立ち上がると、桜が咲き誇り雲のように集まっている──桜雲の中を歩き出す。
「へぇーこれが草太さんの世界ですか。中々良いですなぁ」
「堪能して下さい。枝に引っかかって攫われないように気をつけてね」
「はーい」
 片手は背伸びしたハイヒールをしっかり持ち、もう片方は彼の頭上に降り掛かる花びらを払ってあげる。それから言われた通り草太にしっかり抱き付いた。

この人となら花曇りの日だって晴れになるんだ。


3月のお題
・「ね、受け取って」
・鈍感な背中に「ばか」と独りごちた。

朴念仁と無自覚ちゃん

「ね、受け取って」

 桜は散り新緑の季節に移り変わり始めた今日この頃、上野駅で待ち合わせていた草太は、はにかむ鈴芽から可愛らしい紙に包まれた物を渡された。もしかして、何処かへ行ったお土産か?けどそんな話は聞いていない。自分の誕生日はとっくに過ぎたしそもそもプレゼントは貰った。もしかして、もしかして・・・と鈴芽からの予想外の贈り物に草太の期待は膨らむばかり。
「ありがとう。今度何かお返しするよ」
「お返しはいいから。それに今開けて欲しいの」
「え?今」
「うん。その本当に大した物じゃないけど、有るのと無いのじゃ全く違って。今私が抱えてる最大の悩みが解決出来る物なんだけど」
「・・・分かった。開けるね」
 手元にあるのがどうやら悩み解決の糸口になるとの事。紙に貼られたテープを丁寧に剥がし包みを開けると目を見張った。
「君、これは」
「ひょっとこのお面だよ。お願いだから今日は一日それを付けて欲しいです!」
 自分の手の中にある口をすぼめてひょうげた顔をしてる面。テロテロしてるビニール質感。何故彼女の悩みの解決にコレが一役買うのか全く意味が分からな・・・くは無い、最近の奇行とも言える行動を振り返るとヒントになりそうだ。
 最近の草太は鈴芽に距離を置かれている。
 男女、距離と聞くと深刻そうだがそうでは無い、距離とは物理的な距離の事である。とにかく隣を歩いてくれないのだ。すぐ後ろを歩いてくれるならまだいいが、前は電柱から電柱へ渡り歩きながら着いて来られ、電柱の影からこっちを覗くように顔を出し会話をしてくる。そうだ、顔を見て話をしてくれない。前みたいに見上げて楽しそうに話す彼女は居ない、頑なにこちらを見てくれない状況だ。これらは上京後に起きてる行動で、草太はどうしたものか首を捻っていた。
 なので急に面を渡されても存外驚かない。
 好きな人鈴芽のお願いなら何でも聞くが、自分にも自尊心はある。街中でひょっとこ面は恥ずかしい。
「最近の鈴芽さんの行動はちょっと不思議な事が多いと思ってて、だからこの面を付けて欲しい理由を教えて欲しいな」
「それは、草太さんがイケメン過ぎるのが悪いんです」
「え?俺が原因?」
「いや、その顔は生まれ持ったものなので草太さんは何も悪くないけど・・・けど隣を歩くと眩しくてどうしようもないのっ」
 ショルダーバッグの紐を掴み必死に叫んでいる。あれだけ合わなかった目が今ばっちり合い、目の奥の丸裸の緊張を覗き込まれてるようで草太はつい逸らしてしまう。草太は自分の容姿に対して無頓智だから分からないが、彼女はどのイケメンにも弱いのだろうかと勘ぐってしまう。
「前まではそこそこ平気だったのに、急に草太さんがかっこよくて仕方なく見えてきて。街中に居ても目立つしキラキラのエフェクト出てるし」
「出てないぞ」
「出てるように見えるんです!ともかく凄く緊張しちゃって自分がどうやって一緒に居たか分からなくなって、でもこのままだと喋れなくなりそうだから、お面付けてよ」
 合点がいったのようないってないような。しかし彼女は本気で困ってる。物は試しと、ひょっとこの面のゴムを伸ばし自分の頭に通してみた。視界が狭い。
「待ってオーラが漏れてる。隠しきれないイケメンのオーラを感じる」
「君なぁ」
 呆れる草太は、やはりと言うべきか周囲から視線が刺さるのを感じた。祭りでもないのに面を付けてる人がいたら自然と目がいくだろう。しかし刺さる視線は悪いものでは無く、スタイル抜群オーラがある青年のひょうきんな面の下にどんな素顔が隠されてるのか──といった期待に満ちたものなのだが、それは彼自身では知る由もない。

「一日居て欲しいと言うがこれでは上手く歩けない。信号を渡るのだって大変だ。だから外していい?」
「そこは色々と考えてますよ。私だって無計画でやってないよ」
 面に空けられた穴から見る鈴芽は腰を手を当てて、どうよ!と胸を張っている。面の中で可愛いと呟いた。
「私の肩を掴んでよ。それで歩いたらいいんじゃない」
草太の手を取ると自分の肩に乗せた。
「ちょっと照れるけどお面付けてって私がお願いしてるんだから、それ位は・・・あ!取らないでよ」
 黄色い歓声があちらこちらから上がった。それを気にとめず、一つ息を吐くと鈴芽の顔を覗き込む。鈴芽は慌てて顔を背ける。自分の戦友は乱れた髪を手ぐしで整える仕草ですら、奇跡みたいにかっこいいのだ。そんな彼からほぼ同じ目線になられたら全員同じ行動を取るだろう。
「鈴芽さん。君はこれから東京ここに住むんだろ」
「うん」
 また子供みたいにバックの紐を掴んでしまう。未だに草太の顔は見れない。
「そしたら俺に逢う機会は門波に住んでた頃より多くなる」
「うん」
「だったら慣れた方がいい。面は付けない」
「えー無理だよぉ」
「だったら・・・目を何秒か合わせられたら信号を渡る。ゴールの動物園に着く頃には前と同じように戻ってるだろう」
「何それぇ、日が暮れそうなんですけど」
「面を付けるのは根本的な解決にはなってないんじゃないか。俺だって君とまともに話せなくなるのは嫌だな。だから頑張ってよ。俺も・・・頑張るから」
「それって笑わないようにでしょ〜草太さんって強引な所あるよねぇ」
「そうかな?ほらパンダ見たいんでしょ。じゃあ開始」
 自分を映す蒼い目。草太が持っているひょっとこの面を鈴芽は取ろうとしたが、取られないように高い位置に手を上げられた。

****

 上野駅からパンダの居る動物園はそんなに遠くないはずだが、とてつもなく遠く感じた。実際倍近く時間を要し到着した。が、パンダを見る体力は削られているので入り口近くのベンチに腰掛け休憩している。
「疲れた。これだから無自覚のイケメンは・・・」
ぜぇぜぇと荒く息を吐き崩れた髪を整えてる鈴芽に忍び寄る影があった。
「あれ〜キミ一人?」「もしパンダ見てなかったら案内しようか〜」
 同じ歳ぐらいの男性が薄ら笑を浮かべ声を掛けてきた。座ってる鈴芽の爪先から頭まで目でなぞり二人は目配せをし頷いている。
「一人じゃないですよ。一緒に来た人飲み物買いに行ってくれてて居ないだけです」
「友達戻ってきたら皆んなで回ろうよ」「俺ら詳しいよ」
「いやぁその友達じゃなくて」
 これはナンパというのか、全く知らない同じ歳の子に話し掛けられて困る鈴芽。でも動物園でそんな事あるのかな?街中のイメージだけど、と曖昧に笑って誤魔化してみる。
「鈴芽さんお待たせ。人が多いねパンダ何秒見れるかな」
 後ろから感じる圧に背筋が凍る軟派な男性たち。自販機で買ったお茶を持ちあくまでも笑顔で振舞ってるが、纏ってるオーラは黒い。気付いてない鈴芽は申し訳なさそうに声を掛ける。
「あ、友達来たので一緒に行けない、です」
「・・・すね」「邪魔してごめんね。じゃ」
 軟派な男性たちはそさくさと足早に居なくなった。
「ありがとう草太さん。あれって何だったんだろうねぇびっくりしちゃった」
彼の荒治療のおかげで以前のようにしっかりと顔は見れるようになった。
「鈴芽さん、ああいうのはキッパリ断らないと駄目だ」
「でも案内するって言うから親切かもしれないし断るの難しいよ」
「明らかに親切からくるものでは無かったけどな」
「草太さんみたいにそういうの慣れてないから分かりません」
「俺だって経験が少ないから分からないけど、とにかく優しい人ばかりじゃないからな」
「経験少ないって、うっそぉ駅前であんな人数に見られてたのに」
「あれは君が変な面渡すからだ」
「無自覚なイケメンは困るなー」
「無自覚なのは君だよ」
 改めて今日の鈴芽のスラリとした足が出てる格好を見る。会う度に可愛いだけではなく美しさに磨きがかかってる彼女。隣を歩けないのに手に簡単に触れてきたり油断ならない。それはきっとまだ異性として見られてないからであろう。自分は歩いてる途中で手がぶつかるだけでも心臓が跳ねるのに。
「まだ夏じゃないのに短いズボン履いたら寒いだろ。肌は出さない方がいい」
「ショートパンツに季節はありません」
「もしかしてだけど冬もその長さ履いてるのか」
「そうだよーこんなの別に珍しくないよ」
 雷が頭上に落ちた気分だ。自分の大学時代の同級生の女の子たちを思い出そうとしたが全く浮かばなかった。参考例がない。
「それにこれ、草太さんとお出かけするから選んだ服なんだよ。髪型だって可愛くしたし」
「それは」
 その続きを言わずに口ごもる草太。
 鈴芽も本心を伝えた恥ずかしさから靴先を地面に押し付けて動かしている。
 やっと上京出来た。好きな人草太の近くに来れた。好きなだと自覚したのは随分前だが、自分は受験が終わるまで彼が教員採用試験が終わるまでアピールするのを止めていた。草太の人となりも夢を追っている姿も好きだから邪魔はしたくなかった。けど、お互い夢の端っこを掴んだのだから少しずつ意識してもらってもいいだろう。
 戦友としてではなく異性として。
 しばらく間があった彼は口を開く。
「確かに服装に文句を言うのは悪かった。けどね、そういう事を簡単に言うのは良くないぞ」
「か、簡単に言ってないよ」
「君にとって俺は親戚のお兄さんとか保護者みたいな立ち位置かもしれないけど、さっきみたいな人たちだと勘違いしてしまうよ」
「はぁい?」
 鈴芽の頭上に雷が落ちた。貴方の為に選んだ、これは中々の殺し文句ではないかと思って伝えてみたのだ。なのに返ってきた答えは予想外そのものだ。何処でどうそうなったのか、思った以上に付き合う関係になるのは果てしない時間と戦いになりそうな予感に肩を落とした。
「草太さんって確か付き合った人いないんだよね」
「どうして知ってるんだ・・・芹澤か」
「うん芹澤さんが教えてくれた時は嘘でしょ、って思ったけど納得した朴念仁って奴だ」
「今なんと言った」
「教えなーい。さーて人がもっと増える前にパンダ見に行かなきゃ、会いたかったんだよね。ほら早く立って」
 急かすように立ち上がり先に歩いて行こうと振る手をつかんで止めようとしたが、出せなかった。
「待って缶捨てるから。ちょうだい」
「お願いします。草太お兄ちゃん」
 ちょっと棘を入れて彼を呼んだが、咎めず眉間に皺を少し寄せて困った顔をして缶を受け取っただけだった。
 鈴芽を追い越してゴミ箱へ向かう人から伸びる影をえい!と踏み
鈍感な背中に「ばか」と独りごちた。


2月のお題
・(俺・私)にはひみつがある(のだ)
・「髪伸びたね」

0時を共に

「髪伸びたね」
 濡れて、いつもより暗い茶色の髪を丁寧に櫛でとかしながらドライヤーを当てている草太は、されるがままの鈴芽に喋りかける。普段は髪を結んでる事が多く、たまに下ろしていてもこんなにじっくり見る事なんて無い。そうかこんなに長かったのか、と呟きドライヤーを止めて手で梳く。
 体育座りをしている鈴芽の返事はなく、お風呂上がりの足の指をむず痒そうに動かしている
「じゃあ次は爪切るね。手出して」
「やっぱり・・・違うよっ!!」
 違う”よっ“を大きめの声で出した勢いのまま立ち上がり、いつもは背丈の関係で見下ろされてる、ぽかんとした草太を思う存分見下ろしもう一回大きく否定した。
「違うと思う!草太さんは本当にこれでいいの?せっかくの誕生日なのにこんなに忙しくして」
「これは俺がやりたくてやってるんだよ」
「でも逆の方が良くない?私が色々しますよっ」
「君は誕生日の俺の願いは聞いてくれないの?」
 捨てられた子犬のような悲しげな目で鈴芽を見たら、さっきの勢いは消え、うっ、と怯んでいる。床に手をついてよいしょとゆったり立ち上がると、いつもの風景になり眼下の少し膨れてる彼女の頬を摘み、ムニムニと動かす。
「でも爪切るまでは・・・申し訳ないよ」
「気にしないで、ほら座って続きするから」
 机の引き出しから爪切りを出して、向かいにクッションを置いて待っている。ううっ、と小さく唸り指定した場所に座ったら緊張気味に右手を差し出した。
 時計をこっそり見る、時間は二十三時。あと一時間で草太の誕生日だ。普通ならとっくに自宅に帰されてる時間だが今日は違う。草太の家に泊まるのだ。
 これは彼の誕生日の要望の一つで、けど納得していない鈴芽の爪は切られていく。

 鈴芽は張り切っていた。
 上京して初めて、しかも二人っきりで草太の誕生日祝いが出来る。だからその前から草太が好きそうなレストランをピックアップしていたし、プレゼントの目星もつけていた。計画発表の前に主役である草太の要望を聞こうと、二月に入ったある日聞いてみたら
「プレゼントはいいから、それより今年の誕生日は平日だけど一緒に過ごしたい」
 なんて事ない提案をされた。草太は欲が薄いと思われる。自分の誕生日なんだからもっと我儘を言っていいのに、と燻らないやる気の鈴芽は彼に迫った。

「お言葉に甘えて言おっかな。二月二十四日になる瞬間を一緒に迎えたいから家に泊まって欲しい」

 泊まって欲しい?
 泊まって欲しいとはなんぞや
 鈴芽が困惑したのは、お泊まりは20歳からと固く言い付けられているからだ。その本人の口から”泊まって欲しい“と言われている。衝撃的な事を言われしばらく脳は情報処理に追われていた。
「だめか?」
彼女の顔を覗き込んで聞くも思考停止中なので反応はなく、手を振って名前を呼んでみたりした。やがて情報処理を終えた鈴芽は電池切れのおもちゃみたいに、ゆーっくりと首を縦に振った。

 そしてとうとうこの日が来たか、と新品の一目惚れした下着を詰めたお泊まりセットを手に草太の家に来た。が、作ろうとしてた夕食はまた今度お願いと言われたし、ハッピーバースデーを歌うのもまだ早い。これではお祝いらしくない、何か特別な事をしたいと伝えたら「じゃあ鈴芽さんのお手伝いさせてよ」と曇りのないキラキラのエフェクトが付いてきそうな笑顔で言われた。こんなはずじゃなかったのに立場が逆だ、爪は切り終わりヤスリを丁寧にかけてくれた。
「はいおしまい。次は何をしようかな」
「もう私のやる事は終わっちゃったよ。それより草太さんお風呂入ってきたら?お背中流しますよ〜」
「いや自分で出来るからお気遣いなく。行ってくるけど眠かったら先に寝てていいからね。ロフトベッドで寝る?」
「ん?草太さんもロフトベッドじゃないの、二人寝て大丈夫?」
「俺は下で寝るよ。ちゃんと布団洗ったし清潔だから安心して、夜更かしさせてごめんね」
「眠気は全然ないけど、一緒に寝ないの?そのつもりじゃないの?」
 ロフトベッドの布団を整えていた草太の手が止まる。鈴芽から見たら梯子に中途半端に登ったまま停止してる彼が居た。返事があまりにもないので寝た?と思って名前を呼んでみる。
「草太さん?」
「えーっと、寝るのは別々だ。そういうのは20歳になってから!」
「なーんだ期待しちゃったじゃん。下着だって買ったのに」
「な!?そこまで・・・その期待させてごめん。けどそういうのを一旦抜きにして、どうしても一緒に居たかったんだ」
 梯子を降りると鈴芽の前で正座をして申し訳なさそうに身を縮めている。そもそも自分が聞かずに勝手に期待したものなので、草太が申し訳なさそうにするのは違う。鈴芽は膝に置いてる両手に触れ
「その、私が良からぬ想像したから悪いの!草太さんは謝らないで」
 握ったら何度も上下へ小さく振っている。
「あとこれは夜更かしのうちに入らないから。おめでとうを一番に言わせて」
 上目遣いでお願いすると、その可愛らしさに草太の心臓が跳ねた。油断ならない子だ。
 自身を落ち着かせる為、早歩きでお風呂に行った草太を見送ると、誕生日っぽく部屋を飾りつけしたり小さいサイズのケーキに鼻歌を混じえながらロウソクを立てる。
 鈴芽は0時を迎えるのをこんなにも楽しみにしてる。なんともなかった二月二十四日を特別な日にしてくれたのは草太だ。もしかしたら自分の誕生日よりも楽しみにしている。
「そうだ」
 今度こそ自分が色々やるんだ。まずは髪を乾かして買っておいた顔パックをしてあげるつもりだ。
「髪乾かさないでって言っとこ」
 シャワーの音が聞こえる洗面所に行きアコーディオンカーテンを開けた。
「草太さんきゃあ!」
 アコーディオンカーテンを開けたのと同じタイミングで、草太は浴室を開けバスタオルを取ろうとしていた。浴室にはパジャマ、当然草太はお風呂に入ってるから何も着ていない訳で。湯気が身体の一部隠すが・・・
「わっ、わぁ!失礼しました」
 慌ててアコーディオンカーテンを閉め、とりあえず冷蔵庫から出した麦茶をコップになみなみ注ぎ一気飲み一息ついた。
「・・・引き締まってたなぁ」

 何度もスマホをタップしてその瞬間を見逃さない。
「23歳はどうでした?」
 ちょっと傾いたロウソクを手直ししながら草太に聞く。うーん、と目を瞑って腕を組み考えている。瞼の裏には一年の思い出が流れているのだろうか。
「鈴芽さん、かな」
「なにそれ〜」
 クスクスと笑って、自分が乾かした草太の青みがかった髪を手ぐしで整える。日を跨ぐ瞬間が楽しみで落ち着かない。
「色々あるけど、まず浮かぶのは君が東京に来てくれて、過ごす時間が長くなって、付き合えた。これが大きいよ」
「だから幸せな23歳だったよ。ありがとうね鈴芽さん」
 向かい合わせに座ってる大事な人を引き寄せて自分の腕の中に閉じ込めた。草太の体に手を回した鈴芽は力いっぱい抱きしめる。
「私も19歳を振り返ったら同じ事思うよ。草太さんと長い時間過ごせて幸せだったって。一つ歳をとっても同じように思い合いたいなぁ」
 鈴芽のスマホからアラームが鳴る。
 二十三日から二十四日に変わり草太は23歳から24歳になった。

「草太さんお誕生日おめでとう」

 満面の笑みと共にお祝いの言葉を言い、クラッカーは深夜なので出来ない。なのでクラッカーの紐を引っ張る仕草だけした。
「ありがとう鈴芽さん」
 草太も心の底から幸せそうな笑みを浮かべまた彼女を抱き締めた。
「来年もまたこうやってお祝いしたいな〜。来年は一緒に寝てもいいよね?」
 鈴芽を抱きしめる腕に力が入る。
「来年の話は置いといて。これからは無理して0時きっかりお祝いしなくていいからね」
「・・・なんで?」
 ややトーンダウンした声で聞き返す。
「こうやって夜更かししてもらう程じゃないし、これから君はもっと忙しくなるだろ。二十四日だったら何時でもいい、なんなら過ぎても『おめでとう』って言ってくれるだけで十分なんだ。ただ君の負担になりたくないんだ」
 鈴芽の背中を優しくゆっくりと撫でる。その手つきからでも草太の気遣いが流れてくる気がする。
「今年だけは我儘を言わせて貰ったんだ。だから・・・う」
 続きを言おうとしたら鈴芽の両手に頬を挟まれ阻まれた。紅茶色の目には少し怒りの色が混ざってる。
「何言ってるの。負担なんてこの先もずっと思わないよ。一ヶ月前から、ううんもっと前からどうお祝いしようって楽しみにしてたんだから」
 「これからも一番に草太さんに”おめでとう“って言うから。私はね、草太さんの中で何でも一番になりたいの。一番好きでいて欲しいし一番、傍にいたいって思っててもらいたい」
「しゅしゅめさん・・・」
 頬を挟まれてるせいか唇が上手く動かない草太。
 人の為なら些細な事でも投げ出しまう彼女だからこそ、疲れていても連絡をしてしまうかもしれない。いつしかそれが負担になるならば早めに取り除きたい。けど本当は、祝ってもらう当たり前が崩れてしまう怖さもあるのだ。忙しくなれば誕生日は特別な日ではなくなる、忘れられられてしまう。他人ならば尚更だ。
 けど、鈴芽の目はそんな草太の中の弱気な気持ちを射抜くほど真っ直ぐで力強い。
「本当はこれからも、こうやって一緒に日をまたげればいいんだけどね。出来なくても二十三日の夜のワクワクは変わらないよ。だって大切な人が生まれた日だもん」
 頬を挟んだせいで飛び出た草太の唇に、そっと口付けを落とした。鈴芽から初めて姿草太にキスをする。照れてくすぐったくて手を離すと今度は自身の顔を覆って隠した。
 草太も呆気に取られてたが直ぐに目が覚めた。こんなにも幸せな誕生日の始まりはそうそうないだろう。
「お祝いしてくれてありがとう。これからもよろしくね。鈴芽さん」
「はいぃ」
 あれだけ勇ましく言い放った鈴芽は小さくなっている。その頭をひたすら顔から手が離れるまで撫でた。


ケーキは結局、半分こにして食べた。
 草太がどうしても半分あげたい、断る鈴芽にまた「誕生日の俺のお願い聞いてくれないのか」と悲しい子犬の目をした為食べてくれた。最近自分の顔の扱い方を分かってきた草太である。
「こんなに髪綺麗にしてもらったから明日は下ろして行こうかなー」
 草太が丹念にブローしツヤが出てる髪を手持ちの鏡で何度も見ている。
「明日の君は俺が梳かした髪で俺が整えた爪で学校に行くのかぁ」
「まぁそうだよね。草太さんがやってくれたんだし」
 鏡を置いて彼を見るといつもの優しい微笑みがちょっと歪んでみえた。
「嬉しい」
「そんなに?」
「ああ。自分が明日鈴芽さんにつくったみたいでさ」
 鈴芽に密着するぐらい近付くと手を取って爪先に口付けを落とした。予想もしなかった草太の行動に、そしていつもと違う雰囲気首を傾げる。なんだか危ない匂いのする空気を纏ってる。それがどういうものなのか鈴芽は、まだ知らない。
「草太さん・・・どうしたの?ちょっと、怖いよ」
「おっとごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ──けど君はあと三ヶ月で20歳だしそろそろ分かってくる頃だろうから、いっか」
 「私が20歳になると何か変わるの?」
 鼻先が触れてしまいそうなほどぐっと近付き、鈴芽だけに聞こえる声量で唇が動いた。

 俺にはひみつがある


1月のお題
・「ん?」
・貴方はとても眩しくて私(俺)は思わず目を細めた。

あぁ私の推し様

「ん?」
 友人の肩掛けバックに、昨日まで見覚えのなかったハート型のパスケースに入っている男性の写真に気付いた鈴芽。友人は、ああと嬉しさが滲んでるリアクションをして、もっと見えるような角度にバックを傾けた。
「手作りしたの。て言っても推しの写真入れただけだけどね」
「推し?なにそれ」
「あれぇ知らない?好きなアイドルとかアーティストとか、応援したいしその人の存在が癒しになったり・・・まぁ勧めたくなるもののこと!人だけには限定しないかな〜」
「へぇー知らなかった」
 友人の説明にふむふむと相槌を打ち、もう一度パスケースの彼を見た。誰かは知らないがとても端正な顔をしている。
「じゃあこの人は推しなんだ」
「そうそう!詳しく言ったら箱推しなんだけど、あーでもこの人も本当良くて・・・」
 友人のパスケースの彼と彼の所属しているアイドルグループを話をしている顔は、キラキラ輝いており人生を謳歌しているような活気づいた様子だ。熱量に圧倒的されていた鈴芽だが同時にとても羨ましく感じた。何かに熱中した事がないからだ。誰かをずっと応援したいとかその存在で癒されるとかは・・・。
「あれ?」
 ポン、と頭の中に一人だけ思い浮かんだ。夜空のような色の少しうねった長い髪、羨ましいぐらいの白い肌、全てを見透かすような海の水面のような蒼い目、左側の完璧な位置に黒子がある。ガッシリとした体格で背が自分より随分高いので話す時たまに首が疲れる。その人を応援したいし支えたい、勧めたいとは無いがどれだけ素晴らしい人か話したくなる時がある。
「ねぇ推しって一般の人?でもいいの」
「誰でもいいんだよ!その”推したい“気持ちが大事だから」
「だったら私にもいたかも」
「鈴芽の推し!?だれだれ?」
「ないしょ」
「なんでよー」
 鈴芽の推し・・・草太の姿を思い浮かべて口元が綻んでいる姿にこれは相当熱をもってるな、と友人は確信する。
「グッズ作りたいなら教えるよ。すぐ見える場所に推しがいるのはいい!イラっとした推しが近くいると心落ちついて衝動が静まる」
「推しってアンガーマネジメントにもなるのぉ。手元にあるのはいいね。でもグッズはちょっと恥ずかしいかな」
 学校帰りにも草太に逢う。その時にバックに付けた草太の顔写真が入ったパスケースを見られたら、引かれるかもしれない。そんな事態は避けたい所だ。
「けど手元にいたらいいなぁ」
 友人と別れた後グッズ以外ですぐに推しを見れるようにしたくていい方法は無いかと、電車に揺られながら頭を捻る。カバンに写真を忍ばせとくとか?癒されたい時に出して眺める。
「(悪くないよね。それだと転けてカバンの中身が溢れちゃった時気まずい)」
 手帳があったらページに写真を挟む事が出来るが、手帳はつけずにスマホのカレンダーで予定を管理するので縁が無い。
「(スマホ・・・スマホがあるじゃん)」
 灯台下暗し、というのか絶対手放せないアイテムがあるではないか。この思い付きに降りる駅はまだであるが、あ!と大きめ声と共に思わず立ち上がった鈴芽。なんだどうした?と周りの視線を集めてしまった。

****

 それから鈴芽は待ち受けの画面を二つ設定した。一つは戸締まりの次いでに寄った向日葵畑の写真。我ながらよく撮れてる一枚だ。それをスライドさせるともう一草太がハーフアップ(鈴芽作)にして読書をしてる隠し撮りの写真だ。今月は読書の秋という事で選ばれた。という事は様々なバージョンで隠し撮りをしている鈴芽である。友人の言う通り、推しが身近に居るというのは大変素晴らしい事だった。バイト先で落ち込んでも休憩中にスライドさせてみれは活力が湧いてきて、推し本人と電話をした後切り替えれば「草太さんはこんなに頑張ってるんだ。私ももう一息!」と相乗効果でやる気が漲ってくる。あぁ素晴らしい推しの力、草太様といった具合だ。

 そんな日々に終止符が打たれようとしていた。

 ある日いつものように草太の写真を眺めて癒されてきたら
「鈴芽それ誰?めっちゃイケメンじゃない!!」
 推しの話をしてくれた子とは別の、草太 彼氏の話をしてない友人に見られてしまったのだ。後ろから見られる角度、完全に油断していた。それを聞いた周りの子たちも集まって、草太の串カツを食べてる画像を覗きこむ。そしてキメてる顔でもないが整ってるとかなり分かる顔に歓声が湧く。
「どこのアイドル?教えて」「アイドルじゃなくて俳優じゃない?SNSであげてるオフショットっぽい」「品の良さが伝わってくる」口々に褒めている。
 彼氏が褒められてるのは嬉しいが、やはり広まって欲しい訳ではない。皆で推したい訳じゃない、これを示す言葉があったが思い出せない。
「あはは〜誰だろうねぇ。ははは」
 笑って誤魔化してみたが通用せず一度ついた火はおさまらい。学校を出ても質問攻めにあっていた。いい逃げ道を無いかとポニーテールを揺らしながら頭を捻っていた。

「鈴芽さん」

 聞き覚えのある深い穏やかな声で名前を呼ばれた。しかし彼はここに居るはずないので空耳かな?と思っていたが、あれだけ喋っていた友人たちが静かになっている。声の方を見た鈴芽は、こっちに手を振る草太を発見した。
「そ、そうたさん・・・どうしたの?」
「こっちに用があったんだ。次いでだから君が通ってる学校を通ってみたら出てきたから驚いたよ」
 心の底から嬉しそうに笑う草太。この瞬間を収めたい衝動にかられるが、それどころじゃない。内緒にしていた推しが世間・・・友人たちバレてしまった。
「鈴芽の知り合いなの?ちょっと紹介してよ」「本物のイケメンさヤバい国宝級」「お兄さん鈴芽とはどんな関係ですかー?」
 あっという間に囲まれてしまった。急な展開に目を白黒させてる彼。まずい、まずい、と焦った鈴芽は体が勝手に動き、友人たちを押し退け草太を背にして前へ立ちはだかる。

「見ないで!その私の推しなんです!!」

 誰でも伝わるようにハッキリと言うと手を広げとうせんぼした。隠したかったが身長足らずではみ出している。なので両手を上下大きく動かしてガードしてみた。
 盗られる恐れではない、そのつまり
「同担拒否!ごめんね同担拒否なの!!」
 忘れていたワードを思い出した。他の人の癒しに草太がなるなんて嫌なのだ。彼がそうなるのかなんて分からないが、ともかくあまり知られたくない。
 友人たちは鈴芽の行動にキョトンとしていたが、その必死さに全てを察し、あらぁ〜と微笑ましい空気に変わっていく。
「そんな大丈夫だよ鈴芽、そういう事だったのね」「お邪魔してごめんねー」「でも、また詳しく聞かせてね!」と帰って行った。──のちの友人たち推しカップル誕生の瞬間であった。


 取り残された全力で手を振ったからか荒い息をしている鈴芽と口元のニヤけが抑えられない草太。上下している肩に手を置くと、やや大袈裟に肩が跳ねた。
「えーっと鈴芽さん。あれはどういう状況だったのかな?」
「そのぉ特に意味はないよ!それより草太さん偶然逢えてうれしー近くのカフェでも行く?」
「同担拒否ね・・・俺が他の人といるのが嫌なんだ」
「そりゃあそうだよ。てか草太さん言葉の意味知ってるんだ」
「使ってる生徒が居るからね」
「小学校教師、さすが流行の最前線に立ってる」
「どうだろう。知らないから調べただけだよ。そうかそうか君もそうなのか」
 歌うように機嫌よく呟くと肩を置く手は、空いている鈴芽の左手の指の間に指を滑り込ませ恋人繋ぎなった。
「そうかそうか」
「楽しそうですねー草太さん。こっちは恥ずかしい所見られて顔から火吹きそうなんですけど」
「何も恥ずかしがる事はないだろ。俺も鈴芽さんを他の人には見られたくないと思ってるし」
「そうなの?」
「ああ。本当は・・・いや辞めとこう」
「なになに?気になる」
「それほど鈴芽さんが好きって事だよ」
 少しはにかんでそう言った綺麗な横顔はゆったりと鈴芽 彼女の方を見て目に映したら、花が咲いたような、保存しているどんな写真より満面な笑みを向けた。
 その素晴らしい推しの笑顔に、ファンサえぐっ!と胸を押さえた鈴芽はこう思ったという。

 貴方はとても眩しくて私は思わず目を細めた。


12月のお題
・なんだかとってもおいしそうだと思った。
・黄昏時、君の(貴方の)顔が見えない。

とびきりクリスマスにしたくて──

黄昏時、君の顔が見えない。
 夕暮れが俯いている彼女の横顔を隠しているからだ。いつもしゃんと前を見ている鈴芽さんの顔を伏せさせたのは、自分の胸につっかえていたものを伝えたから。つっかえさせるまで胸に溜めていたのはきっと困らせてしまうと分かっていたから言えなかったのだ。
「草太さんの考えは分かったよ。けど・・・私初めてだから、負担にならないか心配なの」
「何も心配しなくていいよ。もっと小出しに言えば良かったね、困らせてごめんね」
 茜色に染まった頬に触れると冷りとした。こんなに冷えてしまったのかと、膝の上で重ねられている小さな手に触れてみると頬よりも冷たく、少しでも温めたくて握った。
「謝らないで・・・でも受け止めるのに時間がかかると思う。だから考える時間くれる?」
 こっちを向いた鈴芽さんの紅茶色の目は困惑の色が混ざっていた。そうだ、俺たちは何もかもが初めてで、普通という感覚も成すことも分からない。それでも憧れというものはあって、分からずとも憧れが今の指針になっいている。だから──
「勿論。初めてクリスマス一緒に過ごすから、俺だけじゃなく鈴芽さんも納得するイベントにしたい。俺の意見は頭の片隅に置いといて。クリスマスマーケットに行ってコンサート鑑賞してクリスマスクルーズ、終わりはクリスマスヘリで遊覧して上空でスカイツリーを見る計画をね」

****

「いや盛り過ぎだろ!!」
 数日前、夕暮れの公園でしたそんな会話を芹澤に聞いてもらっていた草太は、友人の出した大きな声にビクッと肩が跳ねていた。芹澤は勢いのままコーヒーカップを受け皿に力いっぱい置きそうになったのを堪えそっと置いて、あからさまな溜息をついた。
 今日は『久しぶりに3人でお茶しません?』と鈴芽の提案の元、都会のオアシスともいえる緑溢れる庭園のカフェに集まった。提案した鈴芽は電車の遅延に巻き込まれ、まだ来ていない。男2人ならば適当な場所で済ますので慣れない洒落たカフェにソワっとしている。自分たちを指して話す会話の一部分が耳に入ってきて尚更落ち着かない。またコーヒーに口をつけた芹澤は気を取り直して、草太のクリスマス計画にツッコみを入れる。
「そんなにプラン盛り込んでどうするんだよ。クルーズにヘリコプター遊覧って、小学生でももうちょっと理性的な計画立てるぞ」
「俺たち初めてのクリスマスだぞ。いい思い出にしたいじゃないか」
「その気持ちは大事だ。だけど限度があるぜ。鈴芽ちゃん萎縮しちゃうだろ」
「あれから返事が来ないのはそういう訳なのか・・・けどこういうのは憧れだって話を聞いたんだが」
 「誰に?」
「職場の人、いやネットだったか?待てよ、電車の会話か?それとも・・・」
「草太くん混線してるじゃん」

 とどのつまり草太は浮かれている!
 今まではクリスマスなんて無縁で生きてきた。幼いの記憶を辿るならば両親と暮らしていた頃は、母が腕によりをかけた夕食を囲って祝っていたが、祖父の羊朗と暮らし始めたそんな行事は無く、大きくなっても変わらなかった。ただクリスマスで華やかになる街を幸せそうな人々を見て、そんな日常を影ながら守れている自分の使命を実感し喜びを噛み締めるばかりであった。
 それと同時に一人で街を彷徨くものなら、いつも以上に声を掛けられる厄日でもある。お酒が入りテンションか上がっているお姉様方に「イケメンの君〜私たちと熱いセイヤッおくらなーい」とか「イケメンのお兄さん暇そうだね〜寂しい夜をセイヤッにしなーい?」と明らかに怪しい店を指さす軟派そうな男性に頻繁にお誘いを受ける。
「(セイヤッは聖夜だったのか。クリスマスだから言い換えるんだ。いや、何が他の意味が混じってそうな・・・)」
 等と悶々考え、住んでいるアパートの下のコンビニで値引きされたフライドチキンを買い、オーナーである絹代さんからオマケで貰った小さなチョコ食べて戸締まりの計画を立てる──そんなものだった。
 だが、今年は違う。
 自分にも春が舞い込んだ。出逢ってからずっと想い恋焦がれいた子と両想いになり”恋人“の関係だ。ただ良いものにしたい、そんな一途な想いの元各所から情報を集めたが、調べれば何でも手に入るネットの海に聞いた個人の願望に呑まれ分からなくなっていた。
 草太自身もこれでいいのかと思うも意見を総合して喜びそうなプランを立てたのである・・・。

「そもそも移動も頻繁にあるしゆっくり出来ないんじゃねーの」
 芹澤はメニュー表を広げ、どのランチコースにしようか考えている。
「県外に行かずとも済む計画だけどな」
「都内で収まっても移動の大変さは変わらないと思うけどな」
「お待たせしました。遅刻してすみません」
 草太たちが座る席に着いた鈴芽は、走ってきたのか荒い息を整え深々と何度も頭を下げている。
「いやいや大丈夫だよ。運悪かったなー」
「鈴芽さんお疲れ様。水あるから飲んで」
 自分の隣をポンポンと叩き隣に座るように促す。
「ありがとう。何の話してたの?」
「クリスマスの計画、芹澤にも聞いてもらってたんだ」
「あ・・・」
 コップ一杯の水を飲み干すと、決意が固まってる力強い目を草太に向けると意を決したように口を開く。
「草太さんごめんなさい。私、そのプランに反対です」
「そうか・・・どの辺がダメなのかな?」
「クリスマスコンサートは行きたいと思ってたから、いいんだけどクルーズに遊覧ヘリは・・・ハードルが高いし金額が」
「金額は何も気にしないで、そこは任せて欲しいかな」
「芹澤さん!助けて下さいー私だと草太さん説き伏せられないんですよ」
「その為の招集ね」
 ランチ決めた3人は庭園を撮る写真タイムを挟みつつ待ってる間も、どうにか草太を説き伏せようと試みる。
「個々で見れば悪くないけどなぁよく考えてみろよ。やり過ぎなんだよ、ほらメインイベントばっかり盛り込んでも飽きるだろ」
「そうか?だって今頼んだのも・・・」
『お待たせいたしました。ミックスフライランチセットです』
 鈴芽がこっちですと手を軽く上げると『熱くなっていますのでお気をつけて下さい』と一言添えて店員が運んで来てくれた。ミックスフライランチは、この店の人気メニュー、エビフライ、カニクリームコロッケ、ヒレカツがひと皿にまとめられたランチだ。
「芹澤見ろ、メインばっかりあってもいいだろ。このランチみたいに」
 草太の絵に書いたよう得意げな顔を芹澤に向けるが、タイミングよく来たメインが集められたひと皿に顔を顰めたが呆れたように言い返されるだけである。
「ドヤってるけど食べ物と話違うだろ」
「鈴芽さんはミックスフライ好きだよね」
「うん好きーエビフライ食べる?美味しいよ」
「ありがとう一口だけ貰うよ」
「芹澤さんもいる?」
「俺はいいかな」
この海老のプリっとさを味わって欲しかった鈴芽はそう?と首を傾げた。
 芹澤でもこの計画を変えられなさそうなら、と鈴芽は密かに温めていた良いのかな?と思いつつも立てた計画を打ち明ける時が来た、と自分スマホを堂々と席の真ん中に置いた。
 「だったら私の計画聞いてくれませんか、まずはスケートをしに行きます、次に移動してクリスマスマーケットに行ってお昼食べてワークショップで何か作って、次にクリスマス映画鑑賞、最後はクリスマスコンサートに行ってイルミネーションを見る、どうでしょう」
「君、それだと門限過ぎないか?」
「門限は草太さんが勝手に決めてるものなので今回は無しとします」
「2人とも落ち着いて聞いてくれ。1日、24時間は全部使える訳じゃ無いんだぜ」
「そうだろうな、鈴芽さんは門限あるし」
「無いってばぁ草太さんが勝手に決めたやつじゃん」
「つまり、盛り過ぎなんだよ!スケート結構楽しいよ、俺ガキの頃一回しか行ってないけど。そんなすぐかえるな、メインはどれか一つにしいっ!!」
 鈴芽も初めて過ごす恋人とのクリスマスに浮かれていた。

***

「戸締まりで過密スケジュールこなしてるから余裕だと思ったんだけどなー」
 芹澤監修の元練り直されたクリスマス計画と自分が立てた計画を照らし合わせながら、不思議そうに言う鈴芽。
「よく分かんないけど戸締まりって草太の家業だよな?大変なんだな」
「大変だけど大事な事だから、私は携われて嬉しいの」
「鈴芽さん・・・」
 事無さげに言ってくれる彼女に感極まり胸を押さえる草太。そんな彼女を喜ばせたい一心で考えた計画は少々重かったらしいが、きっといいものになるに違いない。それに
「来年はホテルディナーにしたいと思ってる。ほらその時は門限とか気にしなくていいからな」
「やだ草太くん決めるところは決めてくる」
「うるさいぞ芹澤」
「来年・・・そっか私、成人してるもんね。今もしてるけど。じゃあ来年は熱いセイヤッになるてこと?」
 飲みかけているコーヒーが気管に入りむせた芹澤に、何故そんな驚いているのか分からず紙ナプキンを纏めて渡している。
「芹澤さん大丈夫?コーヒー熱かった?」
「いや、いきなりセイヤって言うから・・・」
「何で、悪い意味だったの?友達にヘリ遊覧の話したら、鈴芽の所はセイヤッかぁーって普通に言われたからそうだと思って」
いやぁ、と返答に困り草太に助け舟の目配せをする芹澤。何も分からなかった大学生を卒業した草太は、そのセイヤに含まれた意味を知っているが、まだ無垢のままでいて欲しい気持ちと、そういうのを意識して欲しい気持ちを天秤に乗せグラグラ揺らしていた。閉じていた目をカッと開き計り終わった。
「鈴芽さん、来年になったら分かるよ。だって君は大人になってるんだからな」
 涼しそうにだが艷のある微笑みを向けると、キョトンとしていた顔が赤く染まっていく。
「ええ、これって・・・大人の話ですか」
 意味を何となく察し恥ずかしそうにモジっとしている鈴芽は
なんだかとってもおいしそうだと思った。


11月のお題
・「かわいいが過ぎない(か)?」
・まだ、帰りたくないよ

唇にちょうだい

まだ、帰りたくないよ。

 先を歩く草太さんのコートの袖を摘んでそう言ったら、彼が少しだけ身を固くしたのが分かった。それでも私は引き下がる訳にはいかない、今日は胸に決めた事があって成し遂げるまでは帰らないつもり。唾を飲んでトクトク鳴る胸に押し出されるように、意を決して口に出した。
「草太さん・・・・キスしたいです」
「・・・キスってどこに?」
「へっ?どこって、その、口だよ。それ以外何処があるのよ!」
「ほら、額とか頬っぺとかする場所は色々あるだろ」
「ありますけど、頬っぺたなんて恋人以外でもするんだよ」
「俺はした事がないよ。君はキスに慣れっ子なんだなー」
「違います!してない、一般論」
「あくまでも一般論ね」
「草太さん楽しそうだね。揶揄ってませんか私は真剣なんですけど」
「ませんよません」
 裾を摘んでいる手を草太さんが握ってくれて、そのままコートのポケットに一緒にお邪魔した。本当はもっと問い詰めたかったけど、ポケットの中の温もりと大きな手が冷たい私の手を暖めようと、にぎにぎ揉んでくれるから辞めた。草太さんと付き合ってそこそこ経つけど、まだ恋人らしい事は何も起こっていなくて、戦友の関係のままみたいで変化が無い。もう少し色気というのか、恋人になったという実感が欲しい所。そもそも自分にそうさせる魅力が無いのかもしれない・・・と最近は唇ケアを恋愛の先生の力を借りて重点的にしていた。しかし効果は得られず、その後もキスしようよアピールしてみたけど「夕日が綺麗だ」とか「そろそろ鍋の季節だね」とか話題を逸らされながら駅に着いた。
「帰りたくないな・・・」
 草太さんの袖を掴まず、自分のショルダーバッグの紐を掴んで聞こえないように小さな声で言ってみた。この後どうにもならない事は知っているけど、キスをする目標とか関係なしにただ彼と別れるのが寂しくなってしまった。解散するのは夕方が多い、かなり健全な付き合いだ。けど私がもう少し大人だったら、年齢が一緒にだったら遅くまで一緒にいれるのだろうか、と思ってしまう。
 草太さんは少し困ったように眉が下がっていた。私の頭辺りを見て、おや?と何か気付いたような表情になり
「鈴芽さん頭に蜘蛛の巣付いてる」
「へっ?嘘!いつ付いたんだろ取って〜」
「任せなさい。目つぶってくれる?」
「うん」
 もしかしてこれは、来るのかもしれないと期待を込めて目をギュッと瞑って、目立たない程度に唇を出してみたけど本当に頭を振り払われるだけで何も起きなかった。
「取れたよ、目開けて」
「・・・キスしてくれるのかと思った」
「・・・期待に添えず申し訳ない。まだ心の準備が出来てなかった」
「準備?」
「君はそういう準備というか心持ちが出来てる大人だから言えるのだろうけど・・・兎に角いるんだ!俺はまだ子供だから」
「ええーそうかな。草太さんは十分大人なんですけど」
「違うんだそれが、君はちゃんと歯止めが出来ると思うが・・・いや辞めとこうメッキが剥がれてしまう」
「ええー詳しく聞きたい」
「鈴芽さん、俺の買い物に付き合ってくれてありがとう。おかげで良いセーターが買えた。気をつけて帰ってね」
「今度のデートの時着てきてねっ、早く見たいなー」
「うん来てくるよ。そう遠くないうちに逢おう」
「やった!草太さんも気を付けて帰ってね。また連絡するね」
 こうして目標は達成出来ないままお開きになった。帰りの電車内で草太さんの言う、私が大人の意味を考えたけどさっぱり分からなかった。

 だって草太さんな振る舞いもスマートで、何度も付き合ってた事あるよね?と聞いても、ありません!と語気強めで否定してくるのを、まっさか〜と思っていたけど、付き合ってくうちにまさかそうなの?と思うようにはなっていた。今日は唇をふっくらうるおいにする為にプランパーを塗ってみたけどランチの後「鈴芽さん口に油が付いたままだ」と拭き取られて、危うく私は口も拭かないで出て行く身だしなみに疎い子だと思われそうだった。前だってさり気なく草太さんの好きな匂いを知ろうと、香水選びたいから付き合ってという口実を作った。そこで、金木犀の香りがあってテスターしている最中に「じいちゃんと住んでた家はトイレの近くに金木犀が植えられてたな、懐かしい」と言われてしまい、その瓶を黙って棚に戻した。
『まさか鈴芽の彼、キスすると子供が出来る思うとったりしてー』
 恋愛の先生こと千果に今日のデートの話をすると、電話口でも分かるくらい楽しそうに言われた。
「嘘でしょ、流石にそんなピュアじゃないと思うけど・・・けど草太さん結婚するまでそういう事しない考えなのかもしれない。ちょっとだけ有り得そうな気がした」
『古風だもんね、有り得そう』
「えーそしたらどうしよう」
『まぁしんからその考えじゃったら話し合うべきじゃけんど、心の準備が出来てないっていよったならそれが全てやない?』
「うーんそうだよね、心の準備ってなに〜」
 私が草太さんにキスをした時、正しくはイスになった草太さんにした時は深い事は考えてなかった。それこそ千果のアドバイスによるものだけど、ねぼすけさん起きて!という気持ちだった。
『鈴芽は早々にプロポーズされそうじゃしそんな焦らんでもええんやない?彼の気持ち尊重して待つのも大事だよ。いずれかキスされるされん頃に悩んどった戻りたいー思う熱烈な愛情表現されるかもしれんし』
「そうかな〜?」
『ムッツリっぽいもん』
「そういうのから一番離れてる存在ですけど」
『男はみなオオカミじゃけんのー』
「また揶揄って、もう〜」
 確かに焦らなくていい思うけど私は、何時までたってもファーストキスがイスの草太さんというのは嫌だけど千果の言った事も確かだ。自分の気持ちばかり押し付けてもしょうがない。それが何週間何年掛かっても待つべきだと思う。
ねんは我慢出来ないなぁ・・・」

****

 それからしばらく唇のケアは続けてアピールは辞めて過ごしていた。そんな私は草太さんにサプライズをするつもりでアパートに来ている。今日は戸締まりで居ないはずだ、私も行きたかったけど突発だったからバイトが入ってて泣く泣く諦めた。
 ビニール袋には環さんから定期的にくる野菜がずっしり入っていて、これで鍋なんて作って出来たら一緒に食べたいなーなんて計画をしていた。環さんは私一人では食べきれない量の野菜を送ってくれる、それは私だけじゃなくて草太さん、芹澤さんに分けてという意味合いもあった。「色々お礼も兼ねて、そして鈴芽がお世話になっちょるからね」と電話で聞いた。
「初めて合鍵使う・・・何か緊張しちゃうな」
 付き合いたての頃、持ってて欲しいと草太さんから借りているアパートの鍵を貰った。無くさないように青色の小ぶりな鈴も付けてくれた。ドアノブに差し回すと手応えがあって、本物だ、という感動と本物を渡してくれた嬉しさでしばらく鍵を抜かずに浸っていた。ドアの先には彼の息遣いが感じられる世界が待っている。
「お邪魔しまーす」
 荷物を台所に置いて換気をしようと居間の窓を開けた。冬の乾いて澄んだ風が入ってきて、篭った沈んだ空気の部屋を新鮮なものにした。
「草太さん今日はバタバタだったのかな」
 いつも遊びに行くと整頓されている部屋が今日は忙しない形で残っていた。目的地であろう後ろ戸の資料と心理学の教材が窓近くの机の床にごっちゃになって置いていた。マグカップは2コ置きっぱなしで流し台にも食器が水に漬けたままだ。
「せっかくだから綺麗にしちゃお!」
 彼のサポートが出来ると思うとやる気がメラメラ湧いてきて、腕まくりなんてしちゃって目に付くものから片付けていった。資料と教材は何処に仕舞うか分からないから分けて風で飛んで行かないように、近くにあったガチャガチャで取ったであろう雀のフィギュアを並べて置いた。掃除をかけて洗濯物を畳んでYシャツにはアイロンをかけた。アイロンをかけるのは好き、皺が自分の手で伸ばされていくのは気持ちが良い。環さんから綺麗ねと褒められた事がある。
「草太さん喜んでくれるかな〜良い奥さんになりそう、なんて言ってくれたりして!」
 浮かれてふふっと笑う私に、アイロンから呆れたみたいなプシューと蒸気が上がる音がした。今は過度な妄想だとしても、いつか同棲して今している事が当たり前になって・・・。
「そうなったら嬉しいな・・・」

 丁度鍋が完成間近、というタイミングで廊下を足早に歩くブーツの音がした。私は慌てて洗面所に行き、家事を張り切りすぎてくしゃくしゃになっている髪を手ぐしで整える。鍵を開ける音がした。
「草太さんおかえりなさい」
「ただいま、来てたのか」
「うん、合鍵使わせてもらいました」
 疲れた様子の草太さんはそれでも微笑んでくれて、ブーツを脱ぐと、はっ!として何かに気付いた顔をして居間に慌てて向かっている。居間に一歩入ると深い溜息をついていた。
「部屋が綺麗だ・・・掃除してくれたのか。汚かっただろ」
「そう?慌ててたんだろうな〜とは思ったけどね」
「普段はもうちょっと、いや大分綺麗にしてるんだ」
「うん知ってるよ。それより怪我はしてない?泥だらけだからお風呂入る?」
「怪我は無いよ大丈夫。風呂はその、後でいいかな」
 しどろもどろになっている草太さんに、もしや私が居ると邪魔でゆっくり出来ない可能性に気付いた。お風呂だって入りづらいだろうし居たら気を使うだろうから、もう帰った方がいいのかもしれない。
「無いなら良かった、じゃあ私帰るね」
「え、待て帰るのか」
「だって居たら草太さんゆっくり出来ないでしょ。お鍋だけ作らせて、そしたら・・・」
「帰らないで」
 草太さんは切羽詰まってるみたいに言って、ぼおっと立っている私を抱き締めた。ぎゅうと力が篭ってくるから、どんどん私は大きな体に包まれていく。その力の強さで、どれほど切羽詰まっていたのか疲れたのかが伝わって来て、私の心はぎゅうと締め付けられた。
「聞いてくれる?」
 遠慮がちに草太さんは切り出して、返事の代わりに背中に手を回して私も抱き締めた。
「何でも聞くよ」
「今日の戸締まりは大変だったんだ。貰っていた資料と別の場所に後ろ戸はあって」
「うん」
「誰かに聞きたいけど誰も居なくて、何とか見つけても場所はぬかるんでて行くのに苦労したよ。通りがかった警察官に不法侵入だと勘違いされて職質受けてさ」
「そんな、大変だったね」
「そう。兎に角、大変で・・・君が居たらもう少し違ってたのかと思って」
「そんなに変わらないと思うけどなぁ」
「君の顔が見たくなって、風呂入って綺麗にしたら連絡しようと思ってたんだ」
「そうなの?私も逢いたくて来たの」
「鈴芽さんが居てくれて、嬉しかった。ありがとう来てくれて合鍵も使ってくれて嬉しいよ」
「草太さんの嬉しいになれて良かった。部屋は全然汚くなかったし新しい勉強してるんだね、尊敬しちゃうなー。お鍋は実は一緒に食べようと思ってて、いい?」
「もちろん一緒に食べよう」
「やったぁ。草太さん戸締まりお疲れ様」
 私は草太さんの引き締まってる胸から顔を上げて、自然と嬉しさが零れた笑顔で、大事な言葉を伝えた。そしたら草太さんの形のいい眉が切なく歪んだと思ったら、キュッと唇を結んで、顔が近付いてきた。

 あっ、と何となく初めてなのに、何かを感じ取って私は目を瞑ってつま先を上げた。それでも高さは変わらないけど、少しでも近付きたくて。草太さんが私の服をもっと掴む。私も自然と力が入って、唇が緊張してて、そしたら・・・温もりが私の唇に重なった。
 草太さんの唇は固くなくて微かにするペンキの匂いもしない、ぷにっとして優しくて少しミントの味がした。

 唇が重なったのは一瞬だったけど、その時間が愛おしくて、そのままで居たかったけど直ぐに離れてしまった。バツが悪そうな顔をした草太さんは、私の肩に手を置くと「あー」と閉じ込めてたものが弾け出したような声を出して「してしまった」と呟いた。それがキスしたのが後悔してるように聞こえたので、私はむくれてしまう。
「してしまった、って何よ。準備出来たんじゃないの?」
「どうだろうな」
「じゃあなんでしたの?」
「それは気持ちが溢れてしまって気付いたら、してました。もっと記憶に残る場所でしようと思ってたのに、こんな所ですまない」
「何処でも記憶に残るよ、一応ファーストキスなんだし!あ、私のグロス付いちゃった。ふふっ草太さんも口周り拭き忘れたみたいになったね」
おそろい〜と私は自分の艶やかさが欠けた唇を指さし満足気にニコリと笑いかけた。前逢った時みたいに、ふっくら目立つようにはしてないけど、ピンクに艶りと塗られた唇。草太さんは頬を赤く染め、恥ずかしそうに”お揃い“になった口元を隠しながらもごもごと喋る。
「かわいい過ぎないか?」


10月のお題
・神様、私はそんなに悪いことをしましたか。
・彼(彼女)には一生、かなわないのだ。

俺が先に好きだったのに

「神様、私はそんなに悪いことをしましたか」
 道の往来で俺は情けなく、そう口に出してしまった。
自分で言うのは何だが真面目に生きているつもりだ。
なのに、この、仕打ちは・・・。

 今日は、良くない日だった。ICカードの残高不足で通勤通学ラッシュの中、耳がつんざく音と出てきた改札機のバーに行く手を阻まれた。朝は皆忙しないので、この数秒のロスすら許されず呆れた目線をもらった。外に出ると鳥にフンを落とされ、職場の小学校ではちゃんと置いたはずのコーヒーカップが倒れ、ほぼ徹夜で制作し配るだけの小テストはコーヒー色になっていた。
 極めつけは。
一日の終わり、くたびれ歩いていたら人波に想い人を見つけた。薄茶色の長い髪、背格好、黄色いトートバッグ、明らかにそうだ見間違えるはずは無い。
 今日の大半は良くない事ばかりだったのに、彼女を見掛けたら全て吹き飛んだ。同じ東京に住みながらも、住む場所も違えば職業だって違う。社会人と学生では過ごす時間は丸っきり違うのに、こうして逢えた。
「鈴芽さん」
 想い人の名前を漏らせば、とてつもなく幸せな気分。先日、逢う予定だったが急な戸締まりで中止になってしまった。なので、久しぶりに見かける元気そうな姿。
 まだ話してないのに姿を見かけただけなのに、胸は踊りる。トクトクと急かすように内側から話し掛けろと押し上げている。さて、何と話し掛けようか。そういえば、前言っていた芋のスイーツの話でも・・・考えていたら彼女の左側を隠していた人が曲がり、一人ではなく”誰かと“歩いているのが判明した。
 しかも、男だ。
あんなに賑やかだった胸の鼓動は萎んで大人しくなっている。鈴芽さんと同じ位の歳、明るい茶色の髪の害はなさそうな雰囲気の人だった。彼女が肩に掛けてい鞄を持とうとしているのか、紐に触れ話しかけている。鈴芽さんは首を横に振って断っていた。その気持ちは理解出来る。華奢な鈴芽さんに箸より重い物を持って欲しくない気持ちが、しかし触れてくれるなと二人の間に割って入りたくなった。彼女にとって自分は特別な存在ではないのに。仲睦まじく笑い合いながら、時折顔を近付け二人してスマホを覗き込んでいる。 はたから見たら、カップルそのものだ。そこに俺が入る隙間は無い。いつの間に彼氏が出来たんだ・・・そうと決まった訳では無いが、追いかけ問い詰める心持ちにならず、込み上げてくる乾きを喉につかえさせたまま、人にぶつかれながら立ち尽くしていた。

****
 
 その数日間は平静を装って過ごしていたつもりだが生徒に何度も顔が青いと言われ、先生方にも同じ事を指摘され、いやいやこれが普通ですよと笑っていたら電柱にぶつかった。俺は装うのが随分と下手になったらしい。鈴芽さんから連絡は変わらず来るが、男性と並んで歩く光景が頭から離れず冷たい返信になっている。これでは嫌われてしまう。それに誰にも打ち明けられずに抱えているのは、心情的に思わしくなくなり、よく事情を知る芹澤に助けを求めた。
「鈴芽ちゃんに彼氏ぃ!?草太じゃなくて?」
「何故俺だと決まってる口ぶりなんだ・・・・仲は良いが、決定打にはならないだろ」
 芹澤はごにゃと口の中で何やら言葉を捏ね、ミルクと砂糖を入れ掻き回し白茶色にしたコーヒーを飲んでいる。我ながら仲が良いというだけでは、交際に発展しない恋の難しさに白旗を上げたい気分だった。
「仲が良いなら芹澤も当てはまるもんな」
「てかどうして付き合ってると思ったんだよ。手でも繋いでたか?」
「違う!してない想像もしたくない!同じ歳の子が並んで歩いて仲良く話してたら、そう思うだろう」
はぁ、と気苦労から出た長めの吐く息で、口元に持っていったコーヒーの湯気が飛ぶ。溜息で冷ましたコーヒーはいつもより苦味が強く感じた。
「・・・俺が先に」
「はい?」
「俺が先に好きだったのにっ」
思わずソーサーに高ぶる感情のままに、コーヒーカップを叩きつけそうだったのをギリギリで堪えそっと置いた。ここは街に古くからある喫茶店で、コーヒーと軽食を頼むと一杯おかわり無料というサービスを行っており、小腹を満たしながサクッと誰かと(ほとんど芹澤になるが)待ち合わせて話すのに丁度いい所だ。ここに流れる和やかな空気を騒いで壊す所だった。
「待て待て判断早いわ。バイト帰りか学校帰りか分からないけど、行先が一緒なら有る事だぜ。心配すんなって。お前だって女子と帰ってただろ」
「そうだったかな」
ベロア素材のソファの柔らかさに背中を預け、大学の頃を思い出す。何度か誘われて駅まで歩いていたが、あまり会話が弾んだ覚えがない。けど、鈴芽さんとならどんな些細な話でも会話のラリーは続いて心地良い。
「・・・言われてみればあるが、あんなに盛り上がってない」
「まぁ鈴芽ちゃん可愛いもんな」
「可愛いだけじゃすまないぞ」
「そうだけどまとめて言うとだな」
「可愛いと思ってたのか、もしかしてお前も」
「うるせー別に可愛いって、全部恋愛含んでる訳じゃないからな。それに俺は妹の一人だと思ってるから突っかかってくるな!」
「だよな。知ってた」
「こめかみに銃口突き付けられた気分だったわ」
芹澤はコーヒーを頼むとついてくるナッツをいくつか食べ、俺はよく磨かれたガラス張りの壁越しに外を見る。数日前あの歩く人の一員に鈴芽さんと男が居た。いつも一緒に帰っているのだろうか、隣の彼も同じ思いなのだろうか。考え出すと止まらないのに、どう聞けばいいのかが分からない。初めての恋というものは全てが手探りだ。教科書なんてなく、ネットに転がる情報も当てにならない。
「草太よ。ふわっとでもその一緒に帰る友達の存在の話をしたか?」
「してない」
「だったら俺がたまたま見かけてーとか適当に理由つけて、ふわっと聞いてやるよ。」
「本当かっ・・・いや、いい」
「なんだよ。自分で聞いてみるのか」
「今のままの方が普通かもしれない。俺より彼といる方が、鈴芽さんにとって最善かもな」
「あ?どういう意味だよ」
芹澤は怒りが含んだ声だったから、こっちが少し焦る。怒らせたつもりは無いからだ。ただ、先日逢う予定を中止したのが引っ掛かっている。大丈夫だよ、と明るくは言ってはいたが、やや落胆しているのも電話越しでも分かってしまった。今後もこのような事は、ごく普通にあるだろう。塩気のきいたナッツを食べてる間も、芹澤は怒りを持ったまま無言で俺の答えを待っていた。
「家業を優先してしまう俺よりも、いつでも一緒にいられる彼の方がいいかもしれないと思っただけだ」
「一緒に旅しといて白々しいよなー本当に鈴芽ちゃん好きなのかぁ?これだと俺の方がよく理解してるよ、鈴芽ちゃんの覚悟」
「・・・好きな子には幸せになって欲しい、と思うのが普通だろ」
「さっきはあんなに殺気だってたのに、格好つけちゃって。どう思うのかは自由だけど、自分自身を俯瞰出来てない内はその判断間違ってるぞ。やっぱり自分で聞いてみろ。格好つけはかっこ悪いぜ」
「格好つけなんてして・・・」
視界に見覚えのある子が入ってきた。ガラス壁の向こう、外に鈴芽さんが歩いていた。彼女が持っているトートバッグは、俺が贈った物だから間違える筈がない。しかも例の男がまた居る。同じように笑って隣を歩いて楽しそうにして。俺の向く視線に気付いた芹澤が同じように外を見て、あーと何かを察したようにしていた。
芹澤に、あの様子どうだ?と聞く前に体は勝手に立ち上がり、財布から出した千円を机に叩き付け席から離れる。後ろから殴るなよ、と聞こえた。殴るもんか、そう呟いて自動ドアが開ききるのを待てず、数センチの隙間に体をねじ込んで無理やり出ていった。


「(鈴芽さんどこだ)」
人が増える時間帯、それでも鈴芽さんだけはいつも見失わない。数分前まで、今日まであんなに迷っていたのに、自然と体は動く。
「居た」
鈴芽さんは改札口には行かず、右方向を指差している。彼が一歩近付いて何かを言っているが、首を横に振った鈴芽さんは手をひらひらと動かし指さした右方向へ歩いていく。彼は肩を落として改札口を通った。
右方向にはコンビニがある。恐らくそこに寄るから駅前で解散になったのだろう。これ幸いと、早歩きで彼女に近寄り腕を掴んだ。
「鈴芽さん今の人は誰?」
「きゃあ!え、なに、誰ですか・・・草太さん?」
いつも大きい目が、更に見開かれこっちを睨んでいる。しまった、名乗らず急に人の腕を掴むなんて。慌てて離し何もしませんよ、と両手を軽く上げた。
「急に掴んですまない。その、偶然だね」
「うん、だね。じゃなくて!もぉーびっくりしたじゃん。ダメだよそういうの、心臓に悪いんだから」
腰に手を当て、プンプンと湯気が出てそうな怒り方が可愛くて口元が緩む。ではなく
「さっきの人は知り合い?」
「えーあー、さっき別れた子?そうだよ、同じバイトの子でシフトが被ると女の子一人で、歩くのは危ないから駅まで一緒に帰るの。大丈夫って言っても引き下がってくれなくて、でも話合うし何ともないよ」
「確かに危ないのは、そうだな。その子の言う通りだ・・・今度からは俺が迎えにいくよ」
「なんで?草太さん忙しいんだから無理でしょ」
「何とか予定を組めば、ここは職場の最寄りだし」
「けど・・・いいよ。人通り多いし何ともないから、それより」
「そしたらあの男と帰るのか」
鈴芽さんの言う事はごもっともだ。バイトの終わりに合わせて予定をつけるのは、忙しい忙しくない関係なく割と難しいだろう。なのに、これからも鈴芽さんに好意を寄せる彼と帰ると思うと嫉妬というのか、怒りが湧いてきてつい強い口調で詰めてしまう。彼女の朗らかな顔に1つ皺が、眉間に皺が寄せられた。
「なんで怒ってるの?あの子と帰るなんて言ってないよ。草太さんに頼るのは迷惑でしょ」
「迷惑では無いが・・・けど彼と帰るのは辞めた方がいい」
「なんの心配してるの?あの子は悪い子じゃないのに」
「だと思うよ。でも辞めて欲しい」
「草太さんになんの権限があって言ってるの。危ないからあまり一人で帰らないように、って草太さんも言ってたじゃん」
「だが」
「も〜なんなの!ハッキリ言ってよ!なんでそんな心配してるの、私はもう上京して半年は経つし電車も迷わず乗れるし何時までも子供扱いしないでよ」
こんなに忠告してるのに、何故伝わらないんだ。とこっちの眉間にも皺が寄っている気がする。しかも子供扱いなんて一回も、してない。ふつふつと体の底から怒りが沸騰し、大きな気泡が弾けた。
「好きだから・・・」
「はい?」

「君が好きだから、こんなにも心配してるんだ!その子だって、君を好いている。そんな奴と何時までも一緒に帰って、欲しく、ないんだ!」

道の往来でもはばからず、声を大にして彼女の言うとおりハッキリと伝えた。一息で伝えた後大きく息を吐いた。ぽかん、と口を開けた鈴芽さんはみるみる顔が赤くなっていく。そこで、自分がうっかり”好き“と伝えてしまったのを思い出す。伝えた口を隠すように手で覆う。
「そう、なの。草太さん・・・焼きもち?」
「違う、違わないか、いや違う。忠告だよ」
「忠告かな〜ふーんそうだったんだぁ」
鬼の首を取ったように、にやにやとし一歩こっちに近づく。距離を取ろうとしたが、やけくそで俺も一歩近づく。
「言ってしまったなら隠さないよ。そうだ、鈴芽さんが好きなんだ。けどこの事は気にしなくていい。君にはその、早いから」
「あーまた子供扱いしてる。何が早いよ!私だって、ずっと草太さんが好きなんですけど〜あんなにアピールしてたのに、ぜっんぜん気付かないから、どうしようってずっと困ってたのに」
瞬時に記憶を巡ったが覚えが無く、ただ可愛いと思った事しか思い浮かばなかった。
「アピールなんてされてないぞ」
「してました!くっついてみたり、LINEだって友達でも寝る前起きてスタンプ送るなんてして無いから。前だって私の飲みかけのジュース渡してみたよ、ドキドキしながら。でも平気で飲んでたし」
「そうだったか?」
「そうでした。はぁ、これだからモテる人は・・・」
「モテてない!」
「うっそだぁ!彼女だって居たに決まってるのに、毎回はぐらかして、草太さんほっとく人なんて居ないよ」
「何度も言うが居ない。君が、初恋だ!」
「ええええ〜〜嘘でしょ」

流石に、人の視線が刺さったので鈴芽さんの手を引き路地裏に連れて行った。あんなに怒鳴り合った勢いを消え、気恥しさだけ残り何と切り出そうか悩んでいた。鈴芽さんも、口を尖らせ顔周りの髪の毛先を指に巻き付けていた。
「すまない、いきなりあんな事言って」
「いいの。今すごく心臓うるさいけど」
「そうか、うん。そうだよな・・・」
 しかし、格好つかなかった。
告白だってもっといい場所でする予定だったのに、どうしてこう上手くいかないのだろう。俺は神様に嫌われているのか、するにしろ一番格好悪いタイミングになっている。今すぐにでもあの時の記憶を消したい、しばらく夜は魘されそうだ。
「とりあえず帰ろう、電車も途中まで一緒だもんね」
「何時から私が好き、だったの?」
「それは追追話すよ。今話すと帰さなくなりそうだから」
「帰さなく、追追・・・了解しました。私たちは両想いで、これから交際をする、という事で良いんだよね」
「ああ。やはり告白だけはやり直させてもらえないだろうか。これでは、君も納得出来ないだろ。いや、俺が納得出来ないだ」
左腕が掴まれ、ぐぃと下に引っ張られた。バランスを崩し傾いた俺の左頬に、柔らかい感触と微かな温度が触れた。
遅れて頬に唇が触れてる、つまりキスされてるのだと分かった。
その正体が判明し、頬がじわじわ熱くなった頃には掴まれてた腕が離され、唇も名残惜しそうに離れていったが、触れた感触だけは何となく残っていた。
「何にも悪くないよ、嬉しい。これからよろしくねっ!彼氏さん」
 もじっと体を揺らした鈴芽さんは俺と目を合わしたら、まさに蕾から花が綻ぶ瞬間のような綺麗な笑みを浮かべた。その可憐な笑みに目も心も奪われていた。

 彼女には一生、かなわないのだ。


9月のお題
・「替え玉ひとつください!」
・「こんな贅沢があっていいの(か)」

いっちょう

「替え玉ひとつください!」
行きつけのラーメン屋のカウンターから掛け声と共に元気よく手を上げた鈴芽に、店長は湯切りをしながら負けない位大きな声を出す。
「あいよーピョン子ちゃんありがとねー」
麺コンテナーから一人前分の生麺を湯切りザルに入れている。この待ってる数分の間、鶏ガラを何時間掛けてじっくり煮込み作り出したスープを味わい店主手作りの、口の中をさっぱりさせるきゅうりの浅漬けを食べ待つ。
「はーい替え玉一丁150円ね」
差し出されたトレーにピッタリ入れ、伸びないうちに麺をすする。こってりとしたスープにからむ細いストレート麺ガツンときいたニンニク、何時間も煮込んで作られたとろけるチャーシュー・・・
「ん〜美味しい!店長っ、今日も最高です」
「そう言ってもらえて嬉しいよー」
店長も呼ばれた男性は、瞼縁まで下がっている頭に巻いた白いタオルを、眉まで親指でくいっと上げ白い歯を見せた。美味しい美味しい、と心の中で何度も言いながらラーメンどんぶりを持ちスープを飲み干す。どんぶりにランダムに書かれている底の今日の文字は『ありがとう』だった。
「ご馳走様でーす」
スプリングコートを着て来たが、熱いものを食べたこの体には不要だろうと腕に掛け力がいる重いガラス扉を押し店を後にした。
「ピョン子ちゃーんまた来てねー」
締まる直前にその声がして、あだ名なのか店長独自の呼び名はすっかり定着したんだと少し苦笑いをした。

 このラーメン屋が行きつけになりだしたのは、鈴芽が上京して一ヶ月が経った頃だ。静かな街から一変何時でも賑やかな街、東京。生活はまだ慣れなくて住んでた海の街が恋しくなる日もあるが、それ以上楽しみもあった。それは『食』だ。とはいえ、一人暮らしの学生なので滅多に外食は出来ない。それでも行きつけ、というものを作ってみたい。そんなこんなで住んでいるアパートの周りを散策してたら、暖簾が破れていて店構えに趣があるラーメン屋を見つけた。いかにも地元の人御用達で、なんだか一見さんお断りの雰囲気だったが、ガラス扉に貼られた「こってり」という強調された文字と分厚く切られたチャーシューが乗るラーメンの写真に引き寄せられる。チェーン店だって一人で行った事も無い、いつも絢かマミと一緒に行っていた。なのに一人外食デビューがラーメン屋なんて、なかなか勇気のいる・・・なんて店の前で考えてたら、お腹が限界です!の合図みたいにぐぅと鳴り、導かれるように足を踏み入れた。L字のカウンター席と壁際に三席テーブル席とこじんまりとした店内だ。そこで初めての券売機で戸惑い指をうろうろさせていたら、見かねた店長に言われるがまま購入したラーメンにやや緊張しながら食べた。一口目から衝撃だった。こってりと聞くと脂っぽいイメージが湧くがそんな事は無く程よい加減で、胃にスルスルと入ってく。何より店主にオススメされたニンニクトッピングの相性が良く、とてつもなく美味しかった。
 そんな衝撃を忘れられなくて通っていたら、古びたラーメン屋に滅多に若い女の子は来ないらしく、食券の買い方分かりませんと毅然とした態度の(鈴芽はそんなつもりは無いが)初対面の印象と相まって顔を覚えられてしまった。けど本名では無く、鈴芽の二本飛び出している癖毛がよくピョンと動く事から『ピョン子ちゃん』と呼ばれている。気さくな店主と話すのは楽しく、悪い気はしないので訂正せずにそのままにしている。

 しかし、鈴芽はこのラーメン通いはある人に秘密にしている。それはおおよそ一年半の片想い中の相手・宗像草太だ。友達にラーメン通いの話をしたら大変驚かれたので、彼に話したらもっと驚かれるかもしれない。驚かれるならまだいい。世の中にはギャップで胸に来る人も居るらしいから。けど、ギャップになってくれるのだろうか、引かれたら──と思うと話せないのである。彼の前では可愛いくありたい、いじらしい乙女心から来るものだ。逢う時は睫毛をちゃんと目尻まで意識してクルンとさせるし、リップもチークもオレンジじゃなく彼に逢うから可愛らしいを比重において、ピンク色を選んだりする。自分の中の可愛いを積み重ねて草太に逢う自分が出来ていて、その中でこってりラーメンしかもニンニク追加、というのは果たしてどうなのか・・・まぁ全てをさらけ出さなくても、いいか、と月に二度の贅沢にトッピング山盛りにしたラーメンを楽しみにしている。

 そんなある日、バイト終わりに行ってみると店は大盛況だった。今まで待ち時間なんて発生していなかったのに、でもこの店のラーメンの口になっているので、変えれず大人しく列に加わった。案内された席に座ると丁度店長が食券を回収しに来た。
「店長、今日は賑わってますね」
「そうそう、有名なラーメンブロガーがうちの店紹介したらしくてさぁ、もう参っちゃったよ。いつもの角席じゃなくて申し訳ない」
「席なんてどこでもいいんです。替え玉分麺あります?」
「常連のピョン子ちゃんのひと玉ぐらい残しとくよ、任せて」
少々お待ちを、と忙しなく去っていった。その姿に大変だと思いながらおしぼりで手を拭き、手馴れたように小皿にきゅうりの浅漬けを盛る。明日は誰にも会う予定はないから、来たラーメンにこんもりニンニクをトッピングし、さてさてと割り箸をパキンと割った。

「鈴芽さん?」

聞き覚えのある声が、聞き逃すはず無い深く優しい声で自分の名前を呼ばれた。ここで「鈴芽さん」なんて呼ぶ人は一人しか居ない。自分の中の時間が止まったみたいだった。瞬きも止まり心臓も一瞬止まったかもしれない。ゆっくりと時間をかけて右へ首を動かしたら、ここでは逢いたくなかった人、仕事帰りだと思われる草太が爽やかに「やっぱりそうだ」と微笑んでいた。スーツのジャケットを脱いでカッターシャツの袖を折っている。
「あ・・・」
「ここで逢うのは珍しいね。そうか鈴芽さんの家遠くないよな」
「なんで・・・居るの?」
「本当は芹澤と来る予定だったけど、風邪で来れなくなってさ。けどどうしても気になってね・・・君はよく来るの?」
「あの・・・その」
「ん?」
今日はバイト終わりなので化粧も落ちてるし、動きやすさ重視の服装。そして明日は誰にも会わないのでニンニクを盛っている。見せたくない姿だらけだ。ダラダラと汗が流れ震える口を開いた。
「人違いじゃないです?私は、鈴芽じゃないですよ・・・・ピョン子です」
「え?いや、君」
「ピョン子なんです。いやだなーお兄さん勘違いしてますよー」
ささっと留めてるピンを反対側に付け直し他人を装う。草太はポカンと口を開けたまま何も言ってこなくなった。鈴芽は早く立ち去りたいと何時もより倍の速度で麺を啜る。
「ピョン子ちゃん、そろそろ替え玉かな?」
本当に丁度いいタイミングで店長が声を掛けてくれた。頷く鈴芽だったが、心の中では「あ〜食い意地がはってる子だって思われる」と嘆いていた。

「彼女が替え玉するんだけど、どう思う」
「食いすぎだよなーちょっと引くわ」
後ろのテーブル席からそんな会話が聞こえていた。これは替え玉を注文した鈴芽を見ての発言なのか、たまたまなのか。どちらにせよ一般論を聞いてしまったみたいで、やっぱりそうなのか、そこから外れてる自分はどうなんだろうと気分が下がってしまう。
「(草太さんはどう思ってるんだろう。聞きたいけど無理ぃ)」
「あの、お隣さん」
「え!?は、はい私ですか?」
そう声を掛けたのは、食べる準備万端に髪をひとつに纏めた草太だった。察して、知らない人のていで話しかけてくれたのだろうか。
「この店初めてで、お隣さんの食べてるラーメンが美味しそうに思えて、トッピングはオススメありますか?」
「オススメ、ですか。そのニンニクお嫌いじゃなかったら美味しいですよ。あと、白い容器に入ってる漬物は店長さんが漬けたきゅうりで、とても美味しいです」
「へぇー確かに美味しそう。俺のラーメンもっと凄い注文したから驚かせたらすみません」
凄い注文?と首を傾げたら、カウンターの上から注文したラーメンを受け取っている。チャーシューがこれでもかと山盛り乗ったどんぶりを受け取っている。カウンターに置いたらグラりも揺れチャーシューの山が崩れている。
「麺も全部大盛りにしたんだ、凄いだろ」
「たくさん、食べるんですね・・・」
「これぐらいは普通かな」
知ってます。去年宮崎に来た時、環さんが感心する程食べてたのを見てたから。
「だから俺より食べる人は知らないなぁ。それに沢山美味しそうに食べる人は見てて気持ちがいいよ、お隣さん・・・ピョン子さんの食べっぷりは特にね」
ピョン・・・自分が言ったから仕方ないのだが、気恥しさはある。もしかしてフォローしてくれたのかな?そう言った草太の山盛りラーメンが減っていく様は確かに見ていて気持ちよかった。
「なになに?お兄さんピョン子ちゃんの知り合い?じゃないならココでナンパはお断りだよ。イケメンだからって駄目だよーそういうの。特にうちの常連泣かせたら怒るよー」
店が落ち着き話し掛ける余裕が出来た店長が、瞼縁まで下がった巻いたタオルを眉まで上げている。
「ナンパじゃないですよ。彼女とは知り合いでして」
「これは失礼しました。もしかしてコレ?」
店主は小指を立てた。鈴芽は「(店長〜余計な事を)」と思いながら、そさくさと帰る身支度を整える。
「”まだ“違いますよ」
にっこりと綺麗な笑顔で、含みを持たせた言い方をしてねっ、と鈴芽の方を見た。
「まだ?」「まだ・・・」
店主と鈴芽の声が重なった。ほほぉ、と興味深げに見てきたので、ごちそうさまでした!と逃げるようにして店を飛び出した。

「待ってよ、すず・・・ピョン子さん」
草太が追いかけて来る。時間差で出たのに足の長さの差ですぐに追いつく。
「近付かないで」
強めの語気で縮める距離を咎める。
「ごめん。余計な事言ったかな」
「違うの。その、ニンニク食べてるから近くに来て欲しくないというか・・・」
出てから素早く清涼カプセルを飲んだが即効性はないだろう。
「俺も同じ位食べたし気にならないけど」
「私は嫌です!」
大人二人分通れるぐらいの距離を空けて、けど並んで歩き出す。本当は一人で帰って“まだ”の意味を考えようとしたのに、彼は来てしまった。来てしまったのなら、答えてくれるかどうか分からないけど、聞かないと眠れなくなりそうだ。
「・・・まだって何ですか。もし、軽い気持ちで言ったならそういうの駄目だと思います。草太さんみたいなイケメンにそう言われて、勘違いする人だっているんだからねっ」
「君にしか言わないよ。周りは男性ばっかりで誰が常連か分からないし、ピョン子さん結構見られてたから、ついね」
「ピョン子はもういいです!それってどういう意味?なんで私が見られて、つい言っちゃうの」
足が思わず止まる。いい答えを縋ってるように草太を見上げてしまう。彼は揶揄わない真剣な目をしていた。
「知りたい?」
「そう、だけど」
「美味しいラーメン屋知ってるんだ、今度一緒に行かない?」
「いいけど、はぐらかさないでよっ」
「君の都合が良ければ、夜ご飯だけじゃなくて昼から逢いたいな。そこで“まだ”の意味も牽制の意味も教えるよ、鈴芽さん」
草太と別れる時はいつも不安だ。次の用が必ずある訳じゃないから、次は無いんじゃないかそしてこのまま連絡がつかなくなったり・・・と後ろ向きの思考になってしまう。学生と社会人では忙しさが違う、ましてや草太は大事な使命を背負ってる。だから、逢いたくても気軽に誘えない。
「デートのお誘いみたい」
「そう思ってくれてもいいよ」
半分だけ答えが出てるようなものだ。けど、草太から誘ってくれて、また逢えるそれって・・・
「こんな贅沢あっていいの」


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