フェルラガ
ラガッツォくんの初恋の話です。人が死にます。
@nanameru
フェルディナンドの家族になってしばらくした頃、俺たちはあちこちの島、色々な土地を転々として過ごしていた。
その時訪れたのは山あいに古くから栄える町で、ひと月ほどの滞在になると聞かされていた。到着してすぐ、フェルディナンドがすみかの手配などを済ませるあいだ、俺は町のはずれにある教会で待つよう言いつけられた。
教会の木造の堂舎はかなり年季が入っていた。だが細やかに手入れされており、寂れた様子はない。
そっと中に入り隅にぽつんと座っていると、声をかけてきた男がいた。男はこの教会を代々取り仕切っている司祭だという。
この町ではフェルディナンドは旅の学者を名乗っていた。次の日からも、昼間は俺を置いて忙しそうにしている日が続いた。いつもひとりでいる俺を人が善い司祭は何かと気にかけてくれた。初めのうちはつかず離れず見守られる距離感だったが、俺と司祭は少しずつ話をするようになった。
司祭は聞き上手で面倒見の良い男だった。読書が好きなのだと話すと、本を貸してくれたりもした。
ある日、せっかく訪れたのだからこの町のことをもっと知りたいと言うと、司祭はたいした歴史はないですが、と謙遜しつつも教えてくれた。町の成り立ちや暮らしぶり、ちょっとした見どころの風景など。だがそう大きくはない町のことだ。早々に話の種は尽きてしまう。
まだ聞き足りないと顔に出ていたのだろうか。司祭は俺を見てしばらく逡巡すると、少し声をひそめて言った。
「……それからもう一つ。実はこの教会には秘密があるんです」
「秘密?」
「ええ。代々守っているものが、この下に。ラガッツォくんが秘密を守れると約束できるなら、見せてあげましょう」
いつもとは違う神妙な口ぶりに思わず背筋が伸びる。何より秘密という言葉に幼い好奇心がくすぐられた。胸の高鳴りにまかせ、俺はうなずいた。
地下室へ続く扉を開け、階段を降りていく。薄暗い空間に二人分の靴音がこだまする。ランプに照らされて壁に伸びた影が揺れる。
「この先の部屋です」
司祭に連れられて足を踏み入れると、ほのかに甘い、煙じみた香りがふわりと全身を包み込んだ。いつも教会の中にかすかに漂っていた香木の匂いだ。それがこの部屋には強く立ち込めていた。
部屋の中央には大きな木製の箱が台の上に置かれている。自分くらいの子供が横になってちょうど収まりそうな大きさだ。
もしかすると、と頭をよぎる。これは子供用の棺かもしれない。教会と葬いは切り離せないものだから、十分ありそうだ。未知の暗がりを前にするような感覚に、ごくりと唾を飲む。
箱に被さっている蓋を司祭が慎重な手つきで開ける。手まねきされて、俺は箱の中をおそるおそるのぞき込んだ。
――誰かに見とれるのは人生で二度目だった。
そこに横たわっていたのは、白銀に光る少年だった。
歳は自分と同じくらいだろうか。髪はすきとおった銀色で、絵から抜け出してきたような端麗な顔立ちをしている。なめらかでふっくらとした頬は、地下の薄暗い中にあっても真珠のようにつやめいている。双眸は眠るように伏せられていて、ゆるく弧を描く白い睫毛がまぶたを縁取っていた。
死んでいるのか、眠っているのか、はたまた作り物なのか。一見しただけでは分からなかった。
胸のあたりをじっと見てみる。まばたきを我慢して、息も殺して。そうしてしばらく眺めていたが、少年の胸は少しも上下していなかった。つまりは呼吸していない。生きていないということだ。
けれど本当にそうだろうか。胸の上で組まれた両手は、爪のひとつひとつが桜貝のようにつやつやとしている。
「驚いたでしょう。この少年が、私たちが守ってきた秘密です」
後ろからかけられた声ではっと我に返る。
「司祭さん、これって……」
死体でしょうか。そう言ったつもりが、うまく声にならなかった。だが司祭は俺の言いたかった言葉をくんで頷いた。
「正確にはこう伝わっています――人形に変えられた遺体だと」
司祭いわく、この遺体は死後数百年は経っているが、腐らず朽ちず、美しい姿を保ち続けている。
これほど高度な死体保存の技術は、 空の民の間にはない。よってこの少年は、星の民あるいは星晶獣の手より、死んだ後に人形に変えられたのだと言われている。
少年の出自は分かっていない。かつてこの町に住んでいた好事家が、どこからか手に入れてきたものらしい。物珍しさとその美しさから何度か盗難の危機にあい、好事家の死後はひそかに教会へと移され、この地下室に安置されているということだった。
「朽ちない遺体なんてもの、今でもめったにないものです。存在を公にするとまた盗難騒ぎにあうかもしれない。見世物にされてしまうかもしれない。だから、教会の地下で守っているんです」
想像もしなかったことに圧倒されて、ほうとため息をつく。
改めて少年を眺めてみる。少年はたくさんのフリルで彩られた白いシャツを着せられていた。古めかしいデザインなのを不思議に思っていたが、ずっと昔の人だと分かると腑に落ちる。
死は弔われるべきもの。静かに眠らせておくべきもの。それは分かっている。けれどこの少年の遺体を見ていると、どうしようもなく胸がざわめく。
銀色の髪がまとった光の粒が俺の瞳のなかへ飛び込んできて、まぶたの奥でちかちか輝いている。そんな錯覚さえ覚えた。
いけないと視線をそらしても、また吸い寄せられる。まるで、フェルディナンドを見るときみたいに。
俺は光の粒のまぼろしを振り払うようにぎゅっと目をつむり、言った。
「分かった。俺も秘密を守るよ」
その日の晩、眠る支度を整えてベッドにもぐり込むと、フェルディナンドが気遣わしげに話しかけてきた。
「ラガッツォ、今日はなんだかぼうっとしているね。何か心配ごとでもあるのかい?」
俺の頭を占めていたのは当然、教会に眠る秘密――銀色の髪の少年のことだ。秘密のことを話すわけにはいかず、とっさにごまかす。
「ううん、何でもないよ。最近読んだ本のことを思い出していただけ」
「それならよかった。このところラガッツォとあまり話せていないから、つい心配になってね」
「……最近は、町はずれの教会に通ってるんだ。司祭さんが本を貸してくれたり、いろんな話をしてくれて」
フェルディナンドを心配させたくない。良い息子でいたい。そう思った俺は、一人でいる間どのように過ごしているかをぽつぽつと話し始めた。
初めは簡単に近況を伝えられたらいいと思っていた。ところがフェルディナンドは、うんうんと頷きながら俺の話に聞き入って、それから? と続きを促してくれた。
求められるということは、むず痒く温かい。俺はつい舞い上がって、司祭と話したことを次々に喋った。
そうしてしばらく時間がすぎた。たくさん話し尽くして静かになった俺に、フェルディナンドは言った。
「他には何かあるかい?」
期待されているような目を向けられて思わずたじろぐ。フェルディナンドにまだ話していないのは、例の秘密のことくらいだ。頭の中で別れ際に司祭と交わした会話を思い返す。
『どうしてこんな大事なこと、俺に教えてくれたんですか?』
『そうですね。ここ何日か話して、ラガッツォくんが賢い良い子だと分かったから。信頼しているということです』
やっぱり、秘密のことは話すわけにはいかない。改めて決心して、もうおしまいだと告げようとする。そう思った瞬間、フェルディナンドと目が合った。
すうっと細まる瞳、淡い色の睫毛の奥の光に、吸い寄せられる。俺をじっと見つめて、次の言葉を待っている。
ぐらりと、決意が揺らぐのを感じた。秘密を守ると言ったのに、決心の輪郭がぼやけるみたいに遠のいていく。
たとえば、と想像する。朽ちない遺体だなんてめったにないものの話をしたら、フェルディナンドはどのような顔をするだろう。少年を見た時の驚きをフェルディナンドと分かち合えたら、どんなに良いだろう。
ひとたび欲望が芽生えると、それが膨らんでいくのを止められなかった。
あるいは心のどこかで、司祭との秘密を守ることより、フェルディナンドに隠し事をする方が、あってはならないことのように思っていたのかもしれない。
「……実はもうひとつだけ、とっておきの話があるんだ。人形に変えられた遺体――そう伝わっているものが、教会の地下にあるんだって」
そうして俺は、フェルディナンドに朽ちない死体のことを話した。小狡いことに、教会の秘密であることは伏せて。
人形に変えられたと由来や、少年の外見。暗がりでも光の紗をまとったような銀の髪の美しさ。見聞きしたことを何もかもつぶさに語った。
一通り話し終えると、フェルディナンドは感じ入ったようにつぶやいた。
「不思議なこともあるものだね。それに……」
フェルディナンドは俺の髪を一度撫でると、いたずらっぽく微笑んで言った。
「ラガッツォがこんなに夢中になって話すのは珍しいね。まるで恋でもしているみたいだ」
「こ、恋……!?」
思いもよらない言葉に、とっさにおうむ返しする。つまりフェルディナンドは、俺が少年に恋してるみたいと言いたいんだろうか。
それをすぐ否定することはできなかった。なにしろ俺にとっての恋がどのようなものかなんて、今まで考えたことがなかったから。
恋と聞いて思い浮かぶのは、相手に夢中になって上の空になっている。何をしていてもつい目で追いかけてしまう。そういったイメージだ。
確かに、誰かに見とれるのは二度目だった。だけど、初めて見とれた相手は――。
この気持ちが恋というものかもしれないと思うと、一気に気恥ずかしくなる。頬が熱くて、鏡を見なくても顔が赤くなっていると分かる。もぞもぞと毛布をひっぱって、顔を隠す。
「恋だなんて……そんなことないよ」
「ふふ、今日はもうお休み。私のかわいいラガッツォ」
フェルディナンドは穏やかに微笑んで、そっと俺の頭を撫でた。
閉じた瞼の向こう、フェルディナンドのぬくもりがある。大きな手のひらがまどろみを連れてくる。ほどなくして、俺は眠りに落ちた。
その夜は星々が灯る闇夜に浮かんで、銀の髪を追いかける夢を見た。
◇
数日後、フェルディナンドから「予定より少し早いけどこの町を出ることになったよ」と告げられた。俺は素直にうなずいてそれを受け入れた。ひと月ほど住んだすみかの片付けなどをして、残りの日々は慌ただしく過ぎていった。
住み慣れた土地を突然去るのはいつものこととはいえ、一つの場所にこれほど長くいたのは久しぶりだった。その土地の人と交流を持ったことも今までなかったし、何より、教会の地下に眠る少年のことがずっと頭から離れなかった。
旅立つ日の前夜、俺がよほど名残惜しそうに見えたのか、最後に少し散歩でもしようかとフェルディナンドから手を差し伸べたのだった。
星の見えない夜だった。ほとんどの家はもう寝静まって、町の中はすっかり夜闇に沈んでいた。
小さな星屑さえ見通すフェルディナンドの眼は、暗闇でもランプを必要としない。俺はすがるように繋いだフェルディナンドの手を頼りに、そろそろと後ろをついて歩いた。
静かな町並みに足音だけが取り残されたように響いて、世界に二人きりみたいだ。少し前を行くフェルディナンドの髪が、暗がりの中できらきらしている。
星もないのに、どうして光っているんだろう。いつも見上げているその姿を、俺はあらためて不思議な気持ちで見上げた。
これに似たものを、美しいものを、近ごろ見たような気がする――ふとよぎった考えを頭を振って追い払う。今はただ、このひと時に浸っていたい。
歩きながらぽつぽつ会話を交わす。ずっと一人にさせて悪かったね、おかげで仕事に打ち込めたよ。ありがとう、ラガッツォはパパの自慢の息子だよ。
夜歩く時はたいてい星を見上げているフェルディナンドの目が、今は俺だけを見ている。繋いだ手のひらから、降り注ぐ言葉から、温かさがじんわりと染み込んで胸を満たしいていく。星が出ていなくて、よかったと思った。
「もう遅いね。そろそろ戻ろうか」
「……うん、分かったよ」
本当はもう少しこうしていたいと、こぼれかけた言葉をぐっと飲み込んでうなずく。
「そうだ、最後にお願いがあるんだ」
フェルディナンドは何かを思い出したかのように言うと、すっとしゃがんで俺と向き合う。白いコートを着た肩の向こうに、足しげく通っていた教会の尖塔がそびえ立っているのが見えた。いつの間にかこんな町はずれまで歩いてきていたことに、ようやく気付く。
そしては、まるで簡単なおつかいを頼むような調子でフェルディナンドは言った。
「ラガッツォ。この教会に火を付けてくれないかな」
「――え?」
何を言ってるのか分からなかった。俺はぽかんとしてフェルディナンドの顔を見上げ、ぎくりと固まった。
フェルディナンドの表情や言葉遣いはいつも通りだが、雰囲気が全く違っていた。
穏やかで優しい『パパ』は消え失せて、誰にも有無を言わせない、人を手駒のように自在に操る、支配する者。そのような空気をまとっていた。
「おや、聞こえなかったかい。教会に、火を付けてほしいんだ。あぁ、隅々まで頼むよ」
つまりフェルディナンドは、俺に放火しろと言っている。あの日手にした炎を使って。
そんなの、いけないことだ。できるわけない。こわばった背筋を汗がつたう。
ここは司祭にとっても、町の人たちにとっても大事な場所だ。教会は司祭の住居を兼ねている。灯りはついていないから、もう眠っているのかもしれない。今火を付けたらどうなるかなんて分かりきっている。
それに、フェルディナンドは隅々まで、と言った。フェルディナンドは教会に地下室があることを知っている。つまり地下にも火が回るようにしろということだ。そうなると、少年の遺体も当然無事では済まない。
「そうか、理由も知らず『やれ』と言われるのは戸惑うよね」
俺が黙り込んだままでいると、フェルディナンドはふうと息を吐いて言った。聞き分けのない子をさとすような口調だった。
「教会に朽ちない遺体があると教えてくれただろう。実はあれは、この世にあってはならないものなんだ。そうだな、呪物みたいなものと思ってくれていい。……だから、処分してしてほしいんだ。遺体のことを知っている司祭も一緒にね」
――俺が約束を破ったからだ。
俺のせいで、俺がフェルディナンドに秘密を教えたせいで、教会も、司祭も、少年の遺体もぜんぶ失われようとしている。
心臓を冷たい手で握られたような気分だった。ざあっと血の気が引き、知らず知らずのうちに呼吸が早まる。
「……ラガッツォ。やってくれるね? きみは私の息子なのだから」
フェルディナンドは俺の両肩に手を置いて、愛おしげに語りかける。もう逃げられない。低くなめらかな声が流れ込んできて、腹の中でぐるぐると渦巻く。まっすぐにフェルディナンドの顔を見ていられなくなってうつむく。
フェルディナンドが一線を越えるのに躊躇しない人間だということは、薄々気付いていた。それこそ俺が両親を殺した日、血肉が散乱し火が回り始めた屋敷に平然とした顔で現れたあの日から。だけど俺は目を背けて、フェルディナンドが与えてくれる温もりを愛と信じて、心地よさにひたっていた。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。あのとき警鐘に従って引き返していれば。秘密を守っていれば。
後悔が嵐のように吹き荒れる。でももう遅い。逃げ出したくなる衝動をこらえるようにぎゅっと目をつむる。
だけど、目を閉じていてもフェルディナンドの視線が突き刺さっているのが分かる。骨の髄まで見通すような温度のない視線だ。俺がどう答えを出すのか、本当の息子たり得るかを観察されている。俺は今、分かれ道にいる。
頭の中に次々浮かんでは消える。司祭の誰にでも分け隔てなく朗らかな声。眠るように伏せられた少年の瞼。まぶたの裏にも残る銀色。
それから、フェルディナンドの星を見上げる横顔。頬を包み込む手の温度。寒い日に毛布ごと抱きしめてくれた腕――これらがもう二度と与えられなくなるとしたら。
想像して身震いした。自分のかたちが粉々に崩れるような感覚。恐ろしいなどという言葉では足りない。何もない、からっぽに食われるような。この温もりを失うなんて、耐えられない。
そうだ。フェルディナンドの手を取った日から俺はもう、手遅れだった。引き返すことはできないんだ。
言いつけを守らない子供に価値なんてない。だから俺は選んだ。これからも、フェルディナンドの息子であることを。
「……クリムゾンフィンガー。罪を紡いで爪と成せ」
その名を唱えると、どす黒いマグマの色をした魔爪が両腕を覆った。ぐっと面を上げて教会の尖塔をにらみつける。火を付けるのに必要なのは、自分さえも燃やす覚悟だ。
火の粉が流星のように弾ける。火の粉はやがて炎となり、際限なく膨らんでいく。教会はあっという間に炎に飲まれた。
魔力をはらんだ炎は天井を舐め、地下に潜り、すべて残さず焼き尽くす。夜の帷を焦がすほどに、あかあかと燃え盛る。俺の間違いも、美しい銀色のひかりも、すべて灰にして。
戻ってきた俺を、フェルディナンドは両腕を広げて抱き留めた。煤がついた頬を白い指が拭う。
俺にはただ一つ、この温もりがあればいい。この手を繋ぎ止めるためなら何だってやる。正しさも初恋も、すべて火にくべてこの道を行く。
棺のなかで眠る白銀の少年。誰かに見惚れるのは二度目だった。だけど、はじめて誰かに見惚れた相手は、あなただった。
灰になったものたちを自らの奥に仕舞い込むように目を伏せる。
まぶたの裏では、銀色のひかりがいつまでもちらついていた。
終