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キリシタンすり抜け主と刀剣男士たち⑤〜過去編〜

2024-12-28 08:29:18

1p かつての始まりの章〜顕現当初の鶴丸国永〜
2p ありし日〜鶴丸国永の刀剣指南〜
3〜4p 鶴と椿〜金打の誓い〜
5p ありし日〜白鞘と刀剣男士〜
6〜7p ありし日〜きみの祈りに触れた朝〜

本編①→ https://privatter.net/p/11213162
大倶利伽羅③→https://privatter.net/p/11275650
伯仲④→ https://privatter.net/p/11378888

《かつての始まりの章〜顕現当初の鶴丸国永〜》


どうやら、きみをここに放り込んだ役人は強欲らしい。

初鍛刀はな、短刀しか来ない量の玉鋼でやるのが鉄則なんだ。短刀の見た目はいずれも子供。自分が兵を率いる責の自覚を促す作用もある。その手法が確立される以前は、短刀以外の初鍛刀で様々なトラブルが起きた。
そうだな、代表的なものだと、最初の鍛刀で二振り目の初期刀を当ててしまい、見分けが付かなくなった……とかな?

初期刀ほどでなくても初鍛刀は特別だ。星の数ほどの本丸が生まれ、消えていった中で確立されたルールには、それなりに意味がある。きみはただでさえ規格外なのに、それにも増してわざと横紙破りをさせるなんざ、あまり愉快な理由ではなさそうだ。

さて、初鍛刀でオレを呼んだきみは、この先、常に難しい舵取りを求められるぜ。
それが嫌なら、オレを呼んだことは、ぱぱっと無かったことにして、オレを溶かして今度こそ短刀を呼ぶんだな。やるなら今が最後のチャンスだぜ?

……? ああ、そうか。溶かすという言葉の意味も知らんのか。
まったく、いつの時代も、つくづく人の強欲って奴は度し難いなぁ。

この場合の溶かすってのはな、オレたち刀剣男士を物言わぬ鋼に戻すことさ。
うん? ここにいるオレは消えるが、別に死ぬわけじゃあない。来た場所、本霊に還るだけ。あるべき場所に帰るだけさ、ここよりずっとな。

「私の前から、居なくなっちゃうってこと?」

そうだぜ、嫌なのかい?

ふーん、そうか。なら仕様が無い。
いいぜ、きみが自らそれを選ぶなら。オレがきみの初鍛刀、鶴丸国永でいてやろうじゃないか。





「────なーんて、言ったこともあったっけか」
「鶴るん!鶴るん!見て見て!えへへ」
「思い返すと我ながら殴ってやりたいな。なぁにがどうせ見分けもつかない、自分にはもっとふさわしい時期と場所があるだ。右も左も分からん上に庇護してくれる奴もいない、付いた役人もどうやら碌でもない、こんな場所にこんな善良すぎる子供を独りで置いてくか普通」
「? どうしたの?」
「いやなに、こーんな驚きにあふれたきみの隣をタダで譲ってやるなんて、正気じゃないって話さ。今頃、きみの初鍛刀の座に他の刀が座ってたと思うと悋気で眩暈がするぜ」
「? わたしの初鍛刀はずっと鶴るんだけだよ」
「これだからなぁ、刀の殺し文句ってやつをよくわかってやがるぜ」




《ありし日〜鶴丸国永の刀剣指南〜》

「ん? なあ、なにしてるんだい?」
「勉強してる! 日本刀の基礎知識の本。こんのすけにお願いして借りてきてもらったの」

このたび鶴丸国永の新たな主となった少女は、『わかりやすい解説シリーズ〜日本刀とは〜』と書かれた本を掲げて愛らしく笑った。

「審神者の教本みたいなものは、全部貸し出し厳禁の禁書なんだって。えっと、なんだったかな、歴史修正主義者、に情報が渡らないための規則なんだって」
「ああ、なるほど」
「だから、借りれたのは日本刀の当たり障りのない基礎知識の本だけだったって。ごめんね鶴るん、わたし、刀のこと本当に何にも知らないから」
「まあ、そりゃそうだろ」
「?」
「逆に少しでも縁のある人生だったら、きみはとっくに政府に見出されて審神者学校にぶち込まれてたさ。そうでない時点で、欠片も接点が無かったことの証明みたいなもんだ」
「そうなの?」
「そうさ。一般人が思ってるより、ずっといろんなところに刀剣男士との縁の端ってのはあるものなんだ」

それにしても、と鶴丸国永は思索しながら顎を擦った。

この少女、刀剣男士とはなんたるか、歴史を護る戦いとはなんぞや、という本当に基礎的なことすら教えられないまま、ほとんど放り出されるような形でこの本丸に着任したらしい。
手入れ、鍛刀、刀装作りといった運営の基本中の基本だけは、かろうじてこんのすけから説明があったようだが、本丸の取説と言える指南書の開け方すら教えられていなかった。
初期刀である加州清光が憤慨しながら懸命にあれこれ教えていたが、彼女と初期刀の孤立無縁ぶりは見ていて哀れになるほどだった。

本人に学ぶ気があるにも関わらず、こんのすけを通して書の閲覧すら許されないとは。指導者が送り込まれてくる気配もなく、これでは着任というよりほとんど贄のようだ。太刀オレが初手で呼ばれたことといい、どうにもきな臭い。

(まあ、贄なら贄なりの楽しみ方ってもんがあるが)

鶴丸は内心そうごちて首を捻った。
取って食ってやってもいいが、それではつまらない。一時的な享楽と引き換えに驚きに欠ける停滞だけが残る、そんなのはオレの主義に反する。

(本人と初期刀は拙いなりに本丸を運営する気があるみたいだし、しばらくは様子見だな)

加州清光と来たら、鶴丸国永が呼ばれてからこっち、主の見えないところで鶴丸を、親の仇のような眼で睨みながら警戒している。
奴もまた、自らの主が置かれた奇異な状況に気付いているのだろう。

初期刀というやつは往々にして、どいつもこいつもやたら忠誠心が強いもんだが、鶴丸に対する態度は、まあ強ち間違いでもない。
鶴丸は、ほとんど贄のような形に収まった彼女をどうにでもできる。それに抵抗感もあまり無い。それが実態だった。
それをここまで警戒するからには、加州清光はどうやら、この最低限の奉納祈願の手順すら知らない少女を正しく主と定め、護ると既に腹を括ったらしい。
奴のような刀が傍らについたのは、彼女にとってはまさしく幸運だろう。そのことをどうやら、未だ彼女は知らないようだ。

鶴丸と彼女が迂闊に二人きりにならないよう、常に気を払っていただろう初期刀が珍しく不在だ。
だからといって、ぱくっと食うつもりはないのだが。無知ならば無知なりに、彼女には驚きをもたらしてもらわねばならない。
彼女は本の最初のページの図を見ながら首を捻った。
「打刀より大きいと太刀なのかと思ってた。違うんだね。私、なんにも知らないなあ」

太刀とは、大きさを問わず、反りが深く、刃を下にして佩用する、つまり吊るす形で身につける刀のこと。
一方、打刀とは、刃を上にして腰帯に差す形式を取る。

「太刀はく、打刀は差すものなんだね」
「そうだな。そら、よく見てみろ。オレもこうして吊ってるだろ。で、加州清光、あいつは腰に差してる」
「あ、言われてみれば、ほんとだ」

彼女は目を閉じると、抜刀しているつもりなのか、左手を腰にやって、右手で剣を抜くような仕草を何度か繰り返した。そうして「んん??」と首を捻っては、珍妙な仕草を何度も真剣に繰り返している。

「? なにしてるんだい?」
「太刀と打刀の戦い方の違いが知りたくて。形が違うってことは得意な役目が違うってことでしょ。刃が上なのと下なのと、反ってるのとまっすぐなの、抜く時の方向が違うのは、意味がある違いだと思うんだけど、わからないから考えてた」

鶴丸国永は、へえ、と少しだけ感心した。
刀剣男士たちは皆見目がいい。故に、刀そのものよりも付喪神としての外観が重視されるのは世の常だった。若い女性の審神者であればなおのこと。だが、彼女は一応、刀に着目する気があるらしい。それだけでも刀剣男士にとっては行幸と言えた。下手をすると、本当に一切刀に関心を持たない者も少なくないのだ。

「太刀は大きく曲がってて、極端に言えばU字だから、抜く時はこう、刃を外に向けながらぐいーーって高く高く抜く感じになる、のかな。逆に打刀は、反りが上だから、自分に刃を向けながら山の形に抜くことになって────あ、そっか」

ぱちっと目を開けた審神者は、先ほどよりしっかりした手つきで抜刀らしき仕草をした。

「ってことは、太刀は上に引っ張って抜刀しながら、下から上へ薙ぎ払うみたいに切ることができるんだね。逆に打刀は、山の字型に抜くってことは、こう、高く抜いてそのまま振り下ろすことができるね。抜刀する時に先端が上に向くか下に向くかが逆なんだ。打刀の方が抜きやすい」
!」
鶴丸は片目をみはった。

どうやらまだ『太刀は曲がって、打刀はまっすぐ』程度の最低限の知識しか持たないらしい彼女が、正解を導き出せるとは思わなかった。表情を変えた鶴丸に気付くことなく、彼女は何度か動作を繰り返して、「これ、背の低い人だと変に抜いたら刀の先が地面に引っかかるよね」と言い出した。
「太刀は刀の先端が下側に行くから、高い位置で持てた方がいい。つまり背は高い方がいい。でも日本人って一般的に背が低い人種だから……そっか、だから馬に乗るんだね」
!」

おお、と鶴丸は感心した。
そう、太刀は特に馬上戦に秀でた刀だ。反りの深さは他にも、馬上で柄頭を引き上げた際に、鞘の先端が馬を叩いてしまわないという利点もある。

逆に打刀は、反りが浅いが故に素早く抜刀しやすい。
つまり馬を伴わない白刃戦、集団戦や乱戦に向いた刀と言える。彼女はそれを少ない情報から適切に読み取ってみせた。

「打刀は馬が無くても使いやすい刀なんだ。なら、できるだけ馬は鶴るんに渡した方がいいのかな。でも、かしゅーより鶴るんの方が背は高くて……あっ、そっか」

彼女はパッと表情を明るくすると、ぱちっと目を開けて鶴丸を振り返った。

「そっか、逆なんだ! 短刀は子供で、大太刀は太刀より大きな人って聞いてたから、単に『姿が大きいと刀も大きい』って勘違いしてた! 逆だね、まず刀があって、刀を巧く振いやすい身長に合わせて姿があるんだね」
……!!」

鶴丸が何より驚いたのは、刀種と身長の因果関係、その『ねじれ』に、素早く気付いたことだ。

短刀は年端のいかぬ子供、脇差は小柄な少年、打刀は細身の青年、太刀は身長のある青年、大太刀や薙刀や槍は大柄の男と、刀剣男士の容姿はおおむね傾向が決まっている。
だが、その中でも例外はあり、脇差でも青年の見た目をした者、太刀でも少年の見目をした者もいる。
それを不思議がる者もいるが、それは短刀は子供と一括りにしているから。
彼女の言うように、本来は刀としての性質を反映してそれぞれ最適な姿を持っている。

たとえば少年の見目をした獅子王などは、老齢でも扱いやすいようにと軽く作られており、それを通常の太刀と同様の身体を持って同様の戦い方をすれば重さが足りず打撃が軽くなってしまう。獅子王の体格はまさしく刀の性質に合わせて最適化されている。
刀剣男士にとって、刀が先にあり、それに最適化した身体を持つことは常識だが、審神者から見ると何故か逆になってしまうことはままあった。

彼ら彼女らは、付喪神の姿を見てから刀を見る。子供の姿を見て短刀だと・・・・・・・・・・・判断する。
だが、彼女はそれが逆だと自ら気付いた。刀を選ぶのは人間で、姿を選ぶのが付喪神なのだと。

「ほんとにちょこっとだけど、鶴るんたちのこと分かった気がする、もっと勉強しなきゃね」

まだたった2ページしか進んでいない本で顔を隠すみたいに、彼女は照れくさげに微笑んだ。
「まだ分からないこといっぱいだけど、少しでも鶴るんやかしゅーのこと分かれるように頑張るから、待っててね」



彼女のその様子を見て、鶴丸国永は少しだけ興が乗った。
どうやら呑み込みは悪くないらしい。

なら、ただのんびりと花を咲かすのを眺めているより、自分で手を入れた方が面白いのではないか、と。

「教えてやろうか?」

だから鶴丸国永はこう言った。
本のページをめくろうとする彼女に、ただ、ぽんと雑に放るみたいに、そう鶴丸は気まぐれに声をかけた。正しく暇つぶしだった。
その瞬間、彼女は慌てて本から顔を上げて「ほんと!?」と目を輝かせた。

「おいおい、期待してるとこ悪いが、別に特別なこと教えてやろうってんじゃないぜ? その本に書いてある程度のことを、ちょいとわかりやすく話してやろうかってぐらいの話さ」
「聞きたい! 聞きたい、それでいい、それがいい! お願い!」
彼女は本をぎゅっと抱え込んで花のように笑った。
「鶴るんたちのことが知りたくて本を読んでたんだもん、鶴るんの口から聞けたら、もっと嬉しい! ずっと嬉しい! 百倍嬉しい!」
……ま、少しだけなら」

鶴丸国永は肩をすくめて、佩いた太刀を素早く抜いた。
白銀の刃は光を弾き、彼女に向かってまっすぐ刃を立てている。

彼女は目をみはると、嬉しげに微笑んで見入った。無闇に距離を詰めすぎると怪我をすると言外に警告したつもりだったが、どうやら通じなかったらしい。
主人に向かって刃を立てている現状に、慌てて割って入る初期刀がいないのは幸か不幸か。

「刀剣はこうして縦に立てた状態を人に見立てる。きっさきが頭、柄の先を尻、刃を腹、背骨に当たるむねが背中というわけだな。太刀の特徴は、むねの反りが深いこと。見立てで言えば、背を大きく逸らしているという具合だな」
「そっか、じゃあ打刀は背筋をピンと伸ばした人、太刀は堂々と胸を張って背を反らしてる人ってことなんだ」
「そう。刀の切っ先はここ。人の頭に見立てて『帽子』と呼ぶ」

鶴丸はまっすぐ立てた刀の先端を指差した。

「ここが実際に敵に刺さる場所だな。ここの出来が悪ければ実戦で劣る。他がどれほど出来が良くても、この部分の出来が悪ければ評価はガタ落ちだな」
「大事な場所なんだね」
「刃とむねの間に縦にまっすぐ走ってるこの線がしのぎで、先端に近い位置で横に走ってるこの線が横手よこて。横手から上が帽子だな。横手を挟んで先端側に続くしのぎ線を小鎬こしのぎという。この鎬筋と小鎬筋と横手筋が交わるここが三ツ頭だな」
「しのぎ、しのぎ……もしかして『しのぎを削る』のしのぎ?」
「その通り。しのぎを削るほどの激しい戦いを指して生まれた言葉さ」

鶴丸は立てた刃の先端に、少しだけ指を寄せた。

「刃の先の帽子の部分、丸みを帯びたここが『ふくら』だ」
「丸いから『ふくら』……もしかして、ふっくらの語源なのかな?」
「そうだぜ。元々は『ふくら』という言葉そのものが丸みを帯びたという意味で、やがて膨らむという言葉に変化、ふっくらはそこから来た擬音だな。日本刀の用語として古くのまま『ふくら』が残った」

普段から本を読む性質なのか、用語に対する理解は早かった。鶴丸は言葉から入るのが理解が早かろうと判断し、こう続けた。

「ふくらが丸みを帯びていることを『ふくらつく』または『ふくら張る』、逆に丸みが少なく鋭利であることを『ふくら枯れる』と呼ぶ。このふくらの形状は刀派や時代によってもちろん違うが、研ぎを繰り返すことで形状が変化する部分でもあるな」
「研ぐと形が変わる……さっき帽子の出来が実戦を決めるって言ってたよね。ってことは、研ぐと戦いの感触が大きく変わるってこと?」
「もちろん」

なかなか話が早かった。無知だが浅学や暗愚の類いではないらしい。

「実戦を、時代を経て、研ぎを繰り返された刀は、よく使われた刀と言える。研ぎを繰り返すほどにこの『ふくら』は鋭利になっていくわけだが、逆にまだ研ぎ減っていない刀を『健全』と表現することもあるな」
「健全?」
「研げば研ぐほど刀身は薄くなるからな。要は脆くなっていく。だから研ぎ減っているということは、刀が痩せていっているということだ。下手な使い方をすればするほど刀にダメージが入るわけだから、研ぎ減っていないということは使い手の技量が高いという見方もできるな。だから痩せていない刀を健全と評する」
「へえ!」
「もちろん一般に新しい刀ほど研ぎが少なく、古刀ほど研ぎ減っているものだが、中には例外ってもんがある。何を隠そうこのオレだな。平安生まれの刀としては、見るものが見れば驚くほど研ぎ減ってない。だから鶴丸国永オレは、時に『驚くほど美人で、驚くほど健全な刀』と表現されることがある」

彼女は大きく目を見開いて、ぱちぱちと二度瞬いた。

「研ぎ減ってなくて健全、ってことは、鶴るんは実戦に出る機会が無くて、美術品として大事に仕舞われてきた刀ってこと?」
「着眼点は正解だが、オレに限ってはハズレだな。鶴丸国永は実戦刀さ。確かに美術品として非常に高い価値があり大事に保存されてきた刀であることは疑いようがないが、オレはむねに切り込みが三つある」

鶴丸は、彼女に向けた刃をくるりと返した。向けられた棟の中程を指差す。

「こいつがオレに刻まれた実践刀の証さ。一般に、棟の傷は打ち込みきずと言ってな。いわゆるほまきずと呼ばれるもので、価値を下げる様々な種類の傷の中で、唯一評価を逆に上げる傷なのさ。強さの証拠、武勲の証明、戦場で持ち主を護った証だからな」
「わっ、そうなんだ!」
「つまり、鶴丸国永という刀は、ほまきずを持つ平安古刀の実践刀でありながら、驚くほど研ぎ減っていない健全さを今なお保つ刀という、一見すると理屈に合わない、矛盾した美しさを兼ね備えた刀ということになるわけだな」

チャッと刃を鳴らし、鶴丸国永は刀を引いて彼女から一歩距離を取った。

「さ、もう充分だろ。きみの初期刀のお帰りだ」
慌てた足音が走り込んできて、抜刀した鶴丸と主の間に身を挺して割り込んだ。
「鶴丸、お前、なにして!」
「おいおい、ただ主に請われて刀を見せてただけだぜ。なあ?」

仰々しく肩をすくめてみせた鶴丸を睨む加州清光の裾を、彼女がそっと引いた。

「うん、刀のことを教えてもらってた。すごくわかりやすかったよ。ほんとにちょっとだけだけど、鶴るんのことわかって嬉しかった」
「な? それじゃオレは退散するぜ」

くるりと刀を遊ばせ、さらりと納刀した鶴丸国永は、飄々とした態度を崩さないままその場を後にした。

鶴丸が背を向けて立ち去ると、加州清光は慌てて振り返って主の両肩を持った。
「大丈夫? あいつに何もされなかった?」
「うん、大丈夫。本当に教えてもらってただけだよ。心配してくれてありがとう」

刀剣男士は耳が良い。部屋を後にしても、廊下をのんびりと歩き去っていく鶴丸の耳には、その程度の会話なら容易く聞こえる。
彼女は、吐息のような声で柔く微笑んだ。
「いつか仲良くなれるといいなあ」

なんだ、正しく認識しているじゃないか。
オレから向けられる無関心に。

自分が主と呼ばれないこと、親愛を込めて『きみ』と呼ばれないこと。
なるほど、とぼけているだけなのか。鶴丸は認識を改めた。やはり、無知ではあるが暗愚ではないらしい。

だが、やはり愚かではあるかもしれない。
素直に短刀を呼んでいれば、こんな苦労はしなくて済んだだろうに。それでもなお、頑なに鶴丸国永が良いというのだから。

人間というやつはいつの時代も、やはり強欲、その一言に尽きるのだ。

「退屈だなあこの本丸は。驚きがなくて死にそうだ」
鶴丸は欠伸を一つ落とした。




◇ ◇ ◇



「なぁ〜〜〜んて思ってた自分をぶん殴りてぇぇぇなあ!」
ぷは、とキツイ酒を一気に煽った鶴丸は、既に泥酔した真っ赤な顔でさらに酒をかっ喰らった。
「試すにしても、もうちょっとなぁ!? 穏便なやり方がなあ!? あるよなあ!?」
「想像つかないなあ。鶴さん、僕が来た時にはもう、彼女にぞっこんだったじゃない」
「最初はあったんだよ……光坊が来る少し前、あの子のことなぁんも知らないのに分かった気になってた時期が」
やけ酒と言っていいぐらいに盃を煽る煽る。
燭台切光忠は晩酌の相手をしながら、鶴丸の部屋で愚痴に近い後悔を相手取って聞き役に回っていた。彼がこんなに呑むのは珍しかった。

「やっぱり鶴丸国永オレは、初鍛刀はダメだな。あんときのオレ、彼女にとっては危険人物極まりなかったぜ。けどなあ、あの子、笑うんだよなあ」
ガクッと首を落として、鶴丸は暗い声を出した。
「あれはな、慣れてるんだ。笑顔に好意が返されないこと、微笑みに無関心を向けられること、冷たい眼を返されることが気にならないぐらい、慣れ切っちまってるんだよ」
「彼女、何にも気付いてないみたいに笑うの、すごく上手だもんね」
「悟らせる愚は犯してないつもりだったが、あの子、ほんとうに聡いんだよなあ。笑顔に無関心を返されるのに慣れてる。ただでさえ胸が痛いってのに、それをオレ相手にさせてたと思うと」
痛ましげに唇を噛んで、ガリガリと頭を掻きむしると「うあ〜! やり直してぇ〜!」と鶴丸は心底苦しげに嘆いてみせた。

「今思えば、それが悪かったんだよなあ。あの子、なーんにも知らなかったんだぜ? あんな清らかな子、無知のままぽんと放り込まれたんじゃ、贄だと思っても仕方ないと思わないか? 贄ってのはつまるところオレのもんじゃないか。審神者として認識するより贄の認識の方が先立っちまった。それがなー、本っっっっっ当に悪かったんだよなー」
深く懺悔するように鶴丸国永が嘆いて、赤ら顔でぐらぐらと頭を揺らした。

「我ながら最悪だろ? それに引き換え、初期刀の信頼できることと言ったら。彼女たちにとって、いかに初期刀が命綱かってことだよなあ」
……あ。ね、鶴さん、飲み過ぎだよ。ほら、お水も飲んで」
「やっぱりダメだな。初鍛刀はオレみたいなイレギュラーじゃなく、短刀じゃなきゃダメだ。できることなら粟田口が良い。彼らは概して最初から主人をよく支える。オレみたいに、いちばん彼女が困ってる時にただ放置するようなことはないだろう」
「鶴さん、あの」
「でもなあ、それでも、どう逆立ちしても、オレが彼女の初鍛刀なんだよなあ。何とかやり直せないかって思っちまうなあ」
……彼女なら、やり直しても鶴さんを選ぶ気がするけどね」
「鋭いじゃないか光坊。そうなんだよ……
がくりと肩を落とした鶴丸国永は、柱にもたれかかって盃片手にうとうとと眠り込んだ。
「あの子には……もっと……やり直して最初から最後まで……大事に大事にだな……
「鶴さん? お布団敷く?」
「んん……
酒気にとろけた瞼が落ちる。空っぽの盃が、鶴丸の手から緩くこぼれ落ちた。
……ぜんぶ優しいもんだけ……渡してやりたかったなぁ……
すう、と寝息を残して、あとはぐっすりと眠り込んでしまった。


酒の海に溺れて泥のような眠りの中にある鶴丸の腕をぐっと肩に回して、抱え上げるように布団に横たえさせると、燭台切光忠は静かに呟いた。
「そういうのって、充分、愛って言うと思うんだけどなあ」
「ね、私もそう思うなぁ」
とことこと拙く歩み寄った彼女が抱えた毛布を鶴丸国永に優しく掛けた。枕元にしゃがみ込んで、ふふ、と優しく微笑む。
「私が来ても起きないなんて、鶴るんすっごく珍しいね」

主の来訪に少し早く気付いていた燭台切は苦笑した。
いくら泥酔していても、渡り廊下に出てきた彼女の気配に気付かないなんて、本当に珍しいことだった。

「充分大事にされてたと思うけどなあ。最初から鶴るんとかしゅーは、私を命がけで護ってくれてたのに」
「愛情深いひとだからね。それでも愛し足りないんだと思うよ」
「鶴るんとっても頭いいのに、時々お馬鹿さんだからなあ」

ふふ、と彼女は微笑んで、眠る鶴丸国永の白銀の旋毛をぽふぽふ撫でた。

「私の初鍛刀は鶴るんだけだよ。鶴るんはわたしの大事なものなんだから、鶴るんが鶴るんを大事にしてくれれば、それだけでいいのに」
「愛されてるなあ、鶴さん」
「そうだよ。大好きだもん。鶴るんもかしゅーもみっちゃんも私の宝物」

何の躊躇もなくそう口にできる彼女は、心がとてもしなやかだ。
僕らに傷付けられないと思っているから言うのではない。僕らになら傷付けられてもいいと思っているから言えるのだと、主を見てきた光忠は思う。

「刀は研ぎすぎると痩せてもろくなるって最初に教えてくれたの鶴るんなのに。あんまり自分削っちゃダメだよ鶴るん」

ぽふぽふと鶴丸の頭を撫でた優しい主は、んん、と大きく伸びをすると「みっちゃん、悪いんだけど、今日の不寝番、毛利もりちゃんだから呼んできてくれる?」と笑った。
「わたし、もいっこお布団敷いてここで寝るね」
「ええ? いやいやいや、それはどうだろさすがにね?」
「毛利ちゃんいるしいいでしょ。明日の朝は鶴るん驚かせるって決めたの〜」
……明日僕が怒られそうだなあ」
「ね、みっちゃん、だめ?」
「きみにそんなふうに甘えられてだめって言えるわけないって知ってるでしょ」
「ふふ、みっちゃん大好き〜」
「ほんと困った主だなぁ」

部屋を埋め尽くす酒瓶の山を全てゴミ袋に詰めた光忠の横で、ずるずる布団を引っ張ってきた主が本当に寝支度を始めてしまって
光忠は、あーあ、明日の朝が怖いなあ、とぼやいた。

次の日の早朝、まだ日も出切らない時間に、光忠の眠る隣室で悲鳴が上がったが、光忠は知らないふりを決め込んだ。
「み、み、光坊〜〜!!!? 仕掛け人はきみか!? 心臓止まるかと思ったんだが!?!? え、ちょっと待ってくれ、オレ最後の方、記憶が無いんだが!? 何か変なことしてないよなオレ!?」
「知らないよ。身を削るような深酒はするなって有難いお達しでしょ」
「まっっっってくれ、本当にオレ何したんだ、おい光坊!? なあってば!?」



《鶴と椿〜金打の誓い〜》

数寸ばかり抜いた刀を互いに鳴らし合うのは
古くから伝わる習わし、誓いの証

◇ ◇ ◇

これは、本丸創設初期。
燭台切に続き、太鼓鐘が着任し、物吉が呼ばれて間も無かった頃の話だ。

それまで、この本丸では、打刀の加州清光が、近侍として付きっきりで主を護っていた。
なにせ、現世で主を護れるのは一振りだけ。
なおかつ、一日の大半を屋内で過ごし、外出先も市街の真っ只中となる現世では、『昼夜』『屋内』『市街戦』の全てをカバーできるのが、打刀の加州清光だけであったからだ。初鍛刀が短刀ではないこの本丸特有の最大の難点だった。

加州清光に次いで、本丸で最初に鍛刀されたのは鶴丸国永、そして燭台切光忠。太刀の二振りは、夜戦も屋内も向かない上、野戦や馬上戦を最も得意とする。馬が使えない市街戦となる現世の警護は、太刀とあまりにも相性が悪い。
つまり、現世警護に関しては、三振り居ても結局の所、加州清光一振りしか居ないのと長らく変わりない状態だったのだ。

打刀の加州が付きっきりで、昼夜問わず現世で主を護っているその間に、鶴丸が主体になって本丸を整えた。
そうして、短刀、脇差と、ようやく他種の刀も増え始めた頃。
加州清光は、ようやくたった独りで絶えず主を護る重圧から解放され、充分な休息を取り、気を抜くことができるようになった。

それまでの加州は、誰から見ても一目瞭然なほどはっきりと過重労働状態であったから、燭台切光忠はひどく懸念していたし、そんな光忠が心配げにこさえた団子を口に放り込んで無理やり気力を回復して再び警護に回る、そんな状態が長く常態化してしまっていた。
太刀の自分達にできるのは、内務や内番、遠征の全てを代わりに引き受けることぐらいだったのだ。

それが変わったのは、物吉貞宗が顕現してから。
屋内で過ごす日中は脇差の物吉が、不寝番は短刀の太鼓鐘が。
それぞれ主の警護を交代で割り当てられるようになって、ようやく加州清光は孤軍奮闘から解放されたのだ。

赤疲労の加州清光が四日ほど起きて来ず泥のように寝ている中、燭台切光忠は、いつ彼が起きてもいいように厨で食事を取り置きながら、また彼の部屋をそおっと覗きに行き、けれど全く起きる気配の無い彼を見て、またそっと襖を閉める。
この会話は、そんな五日目のことだった。

「おっ、おかえり光坊。どうだい?」
「うんん、まだ起きて来ないや。もう少し寝かせてあげよう」
「顕現してからこっち、ずっと気を張りっぱなしだったからなぁ。糸が切れたんだろ。反動だろうな」

人間とは身体の仕組みが違う刀剣男士は概して代謝が低い。数日ぐらいなら、たとえ一睡もせず水しか飲まずとも問題なくやっていける。
そんな人とは比べ物にならないほど頑強な刀剣男士も、さすがに数ヶ月わずかな仮眠だけ、となるといくら繕っても疲労は溜まる。本来、戦の無い期間は、短くとも構わないがせめて二日に一度は寝ておいた方がいい。

それを長く怠らざるを得なかったのだから、少なくとも、あと十日はゆうに起きないかもしれない。
心配せずとも、いい加減食事が必要になれば、さすがに起きてくるだろう。刀剣男士とはそういうものだ。顕現が解けていない今、事態はそこまで深刻ではない。

「とはいえ、さすがに加州に頼り過ぎだな」
「貞ちゃんが来たら、すぐ休んでくれるかと思ってたんだけど……

短刀の貞坊がやって来ても、しばらく主の側に張り付いて離れなかった加州が、物吉が来た途端、糸が切れたように休むようになった。
それを光坊は訝しく思っていたようだが、鶴丸は実のところ、その理由に心当たりがあった。

何を隠そう、鶴丸が原因だろう、と。

「ま、今は寝かせてやろうぜ」

そう言って茶を濁した鶴丸国永は、肩をこきんと鳴らして、執務室に溜まった書類仕事に回った。
起きた時に近侍の書類が終わっていないと加州が青くなるだろうから、せめてそれぐらいは代わりに終わらせておいてやらなくては。



「!? どっ、わっ、はぁっ!? だっ、ああ!?」
加州清光が、枕元に置かれた握り飯を咥えたまま転げるように飛び起きてきたのは、それから十五日経ってからのことだった。
まったく言語になっていない言葉を叫びながら、執務室に転げ込んできた加州に、燭台切が「あっ、良かった、起きたんだね」と書類の角を整えながら穏やかに笑った。

「お、俺、何日寝てた!?」
「二年経ってるぜ」
「◯×△◻︎×!?」
「もー鶴さん、ウソ教えないの。まだ二十日だよ」
「はつかァ!!!?」

ちょいとお茶目に驚かせてやっただけなのだが、一瞬本気で信じたらしく、鶴丸を思いっきりぶん殴った加州清光が、鶴丸の頭を蹴り飛ばして光坊に叫んだ。
「主は!?」
「大丈夫、彼女の側には物吉くんがついてるよ」
「しょ、書類!! 書類は!?」
「うん、きみが踏んでるひとが大体やってくれたかな」
「あはは、そろそろ退けてくれないか? 頭がスイカ割りにされちまいそうだ」

喧嘩っ早い加州の足の下で鶴丸が鷹揚に笑ったが、加州はそれどころでは無い様子で慌てふためいている。

「し、仕事、仕事すぐ手伝う!! ごめん、こんなに寝る気無かったんだけど……!!」 
「大丈夫、気にしないで。ただでさえこれまで働きすぎだったんだから。それよりお腹すいたでしょ? 夕餉、すぐ温め直せるから待ってて。軽く水浴びして目覚ましておいでよ」
穏やかな気性の燭台切にそう笑いかけられて毒気を抜かれたらしく、加州は膨らんだ風船のガスが抜けるみたいに「あ、えっと、うん」と素直に頷いて、ぐしゃぐしゃの頭を掻きながら、井戸へと歩いていった。


立待月が登る頃、すっかり腹がくちくなった加州は、さっぱりした風呂上がりに、気が抜けたようにふらふらと廊下を歩いていた。
湿った髪に夜風が心地良い。
さすがに二十日も寝ておいて、今から再び寝る気にはならない。が、この時間からでは畑仕事も馬当番もすることがないし、夜は短刀や脇差の時間だ。加州の出番は、いずれにせよ夜が明けてからだった。

「よっ」
夜の帳の向こうから掛けられた軽やかな声に、加州は顔を上げた。

渡り廊下の向こう端に座った、気配を感じさせぬ白い影。正しく加州を待っていたに違いない人影は、視線を受けてにまっと口角を上げた。
「とっときだぜ、どうだい、月を肴に一献」
徳利の口を持ってゆらゆら揺らす鶴丸が、そう言って加州を誘った。

「変な仕込みはしてないぜ? はは、信用してないな?」
……別に、そうは言ってねえだろ」
むっと唇を突き出して、ガリガリと後ろ頭を掻いた加州は、ドサッと座り込んだ。
胡座で「ん」と盃を差し出す加州に、鶴丸がゆっくりと徳利を傾ける。

とく、とく、とく、と優しく注がれる透明な酒が、たぷんと盃に満ちて月を映す。
くっと煽った酒は喉に柔らかく沁みて、加州は大きく目を見開いた。
「あ、れ、この酒」
「ああ、やっぱり郷の水は不思議とすぐ分かるよな」

鶴丸は手酌で一杯煽った。

「良い酒だな。きみは越の国の方だったか」
「これ、なんで」
「なんでも彼女がな。きみが疲れて泥のように眠っていると知って、何か労わってやりたいと貞坊に相談したんだそうだ。それで、起きたら郷土の酒でも飲ませてやってはどうか、と言われたらしい」

甘露をゆっくりと味わうように、鶴丸はちびちびと酒をやった。

「彼女な、酒は体質に合わないらしい。ひどい拒絶反応が出るほどじゃないが、呑まないよう薬師くすしに勧められているとかで」
「え、それ知らない、そうだったんだ」
「それで、光坊を味見役に連れていって、酒蔵に何度も足を運んで取り寄せたらしいぜ。愛されてるじゃないか」

口調こそ揶揄うようだが、盃を手にして浮かべる表情は、彼女の優しさを想ってか、ひどく穏やかだった。

「その時な、光坊がこう訊ねたんだそうだ。『味見役はもちろん構わないけど、鶴さんじゃなく僕をご指名なのはどうしてだい?』と。彼女な、『鶴るんだと基準が驚きに偏る』って言ったらしいぜ」
「ふ、はは」
加州は思わずといった具合に笑った。

くつくつと笑う加州を尻目に、鶴丸は笑って穏やかな口調で
「それとな、こうも言ったそうだ」とさらりと付け加えた。

「それに、加州は、────鶴るんが選んだ酒は、呑んでくれないかもしれないから、と」

加州はそれを聞いて大きく瞠目した。
鶴丸は日本酒を舌で転がして、ゆったりと味わった。

……彼女、聡いよなあ」

鶴丸がしみじみと口にした。

「光坊が不思議がっていた。貞坊が来ても中々休まなかったきみが、なぜ物吉貞宗が現れた途端、糸の切れたように眠るようになったのかと」
……それは」
「分かってるさ。光坊も貞坊もどうしても身内への評価が甘いからな」

縁側に並んだまま、こと、と徳利を置いた鶴丸は、月を仰いだままこう言った。

「きみが現世警護を譲らなかったのは、計りかねていたからだな。本当にオレが彼女に無害かどうか。光坊に譲ると、オレに順番を譲らざるを得なくなるから」


言葉を詰まらせた加州に対して、鶴丸は正しく向き直ると、あぐらの両膝に手を置いて、深々と頭を下げた。

「謝らなくてはと思っていた。きみたちに」

白銀の旋毛が深々と垂れて、うなじが晒されるほどに低頭した鶴丸に、加州の方がいささか動揺したようだった。

「彼女が一番手を必要としていた時期に、きみらを孤立無縁にさせたのは、間違いなくオレのせいだ。すまなかった。初期刀のきみがオレを信用しないのは、当然で正しいことだ」

……信用してない、とまでは、言ってないだろ」

加州は動揺したように盃を持つ手を震わせて、うろうろと視線を彷徨わせた。

「ただ、……俺たちから見たら、何であんたが急に、歩み寄る気になったのか、よくわかんなかった、から……

だから、どうしても測りかねていたのだと、気まずそうに俯いた加州清光に、鶴丸は面を上げて「あー、実はな? 絶対殴られるから言いたくなかったんだが」と笑いながら前置きした。

「実は、夜な夜な、こっそり屋根裏から忍んでたんだよな。……彼女の寝所に」
「は?? ……はあ!?」

加州は絶句した。
「おま、それ、よ、ば」
「まあ、夜這いっちゃ夜這いだな! あははは」

全くもって笑い事ではない。
襖一枚隔てたところで不寝番をしていた加州の偵察を抜いて、彼女の眠る部屋に平然と侵入していた、などというとんでもない事実が明らかになり、加州は血の気が引いて青くなるなり怒りで赤くなるなり百面相で片足を浮かせたが、鶴丸が慌てて両腕で『待った』を作った。

「待て待て待て! 旨い酒が不味くなるだろ!?」

流血沙汰は勘弁してくれと、鶴丸が取りなす。人の良さそうな笑みで両手を合わせ、すまなそうな顔で

「なっ? ここは、旨い酒に免じて」

と告げた鶴丸に、加州は毒気を抜かれ、やがて、渋々、本当に渋々と再び座った。
ひとまず話の続きを聞く姿勢を取った加州に、鶴丸はありがたがるように両手を擦り合わせて続けた。

「でなあ、様子を伺ってみりゃあ、夜ごと欠かさず祈ってるじゃないか」

梁の上から密かに見下ろせば、いつ侵入しても必ず夜毎、薔薇色の木の玉を数珠状に連ねた祈り具を手に、跪いて深々と祈っている。

「ありゃ見たことがある。キリシタンの祈り具、確かロザリオってやつだな。蓋を開けてみりゃ、なんてことない。彼女、祈り子じゃないか」

こちとら神座に連なる身だ。声無き祈りだとしても、さすがにここまで近付けば、祈りの中身は緩やかに伝わってくる。

彼女の祈りは、ただ、ただ、感謝だった。
無事に生きていること、誰かと出会ったこと、こうして過ごしている全てに、心から喜びを捧げていた。

加えて、彼女を護る加州清光に。
そして、多分。ろくな対応をしちゃいなかった、鶴丸国永に対しても。
心の底から、感謝していた。自分の刀剣男士たちの幸いを、喜びを、幸福を、我がことのように祈っていた。

それが、彼女という人だった。

「奉納祈願の手順もめちゃくちゃ。鍛刀の仕方は理解しているのに手入れはまともに理解していない。そんなのがポンと目の前に現れたら、どうしても穿った見方をしたくなっちまってな」
……それは」
「彼女にな、オレを呼んだ時、勧めたんだよな。オレを刀解して今すぐ短刀を呼ぶべきだと」

加州はまじまじと鶴丸を見返した。

「彼女はな、それを嫌がった。理屈じゃない、感情を取ったんだ。どうしてもオレを手放したがらなかった」

初耳だった。主も加州に告げたことはない。

「自慢じゃないが、この千年、オレを欲しがる人間は後を絶たなくてなあ。墓暴きだの神社から取り出すだの、苦い逸話が残って絶えないくらいだ」

鶴丸はほろ苦く、眉根を落として苦笑した。

「彼女もなあ、そんな手合いだと。思い込んじまってたんだよなぁ。物事をよく見もせずに主の為人を断じるような真似をして、本当に反省している」

普段の軽薄さをどこかに捨てたような、真摯で真剣な声音だった。

「彼女はただ、誰からも、何も教えられなかっただけだ。信心深いキリシタンなら、神道を基礎とした奉納祈願の手順がめちゃくちゃなのも致し方無いし、手入れのやり方を知らなかったのも彼女のせいじゃない」

苦く悔いるような目をしながら、頭をガリガリと掻いた鶴丸は、深くため息を落とした。

「ただ祈りの手順がオレ達と合わなかった、たったそれだけだ。彼女の祈りを聞き逃したオレに、全面的に非がある」

しんしんと夜の静けさが降り積もる中、鶴丸が緩やかに重ねる言の葉は、月夜に降る雪のように混じり気なく真摯で柔らかだった。

加州は、思った。ああ、そうか。と。
だから、ああやって、偶然を装って現れては、驚きと称した些細な悪戯で彼女を笑わせ、慎重に少しずつ距離を詰めていったのか、と。

それは、多分。
彼女のため以上に、鶴丸を警戒していた加州のためだったのだと。

「初期刀のきみが現世で警護に付いてる以上、オレが成り行きで本丸を預かって整えちゃいるが、この本丸は本来、主ときみの二人のものだ。誰の差し金かわからんが、彼女は教えられるべきことをあまりに知らなすぎる。だから彼女の初期刀であり、近侍であるきみの指針こそが、この本丸を形作っていく」

鶴丸は、闇夜にも鮮やかな金色の瞳で、加州清光という刀をじっと見つめた。

「つまり、寄る辺無き彼女の北極星ひとつぼしの星、一番の宝物ほうもつはきみだ」
だから、きみにばかり負荷を掛け続ける訳にはいかないからな、と鶴丸は言い添える。
「それは、いつか必ず、彼女に皺寄せが行く」
……
「信用に値する行動を取らなかったオレが悪い。だが、せめて光坊や貞坊のことは、疑わずに頼ってやってくれないか。彼らはオレと違って、最初からずっと、主人を心から支えようとしてる。彼女に不利益になるような行動は取らない。言い切っていい」
頭を下げた鶴丸は、面を上げると苦笑して
「彼ら、人が好いからなあ。まさかオレに叛意があったなんて、想像もできないんだろう。それだけなんだ」
そう、柔らかに旧知の彼らを語った。

鶴丸国永は、立てた白塗りの美しい鞘から、鯉口を切って、その磨き抜かれた刀身を僅かに抜いたまま、加州清光の前に差し出した。

それは、鶴丸国永が立てた約束の証だった。

「誓う。彼女の一振りとして、この身折れる日まで彼女を助け続けると」

金打の誓い。
古くは武士が刀を互いに打ち鳴らし合って誓った、決して違わぬ盟約の証。
固く、重く、強い、不断の誓いだ。

……それを捧げるべき相手は、俺じゃないだろ」
「いいや、きみが相応わしい。彼女の初期刀、加州清光、きみこそ」

鶴丸国永は、まるで粛々と予言するように
「いざという時、傍で彼女の首を護るのがきみなら、主不在の本丸で、皆の首を預かるのは恐らくオレになるだろう」
と厳かに告げた。その未来が確実に来るだろうと思わせる、静粛な口ぶりだった。

「だから、オレの首は、きみが預かっておいてくれ」

そう告げた鶴丸国永は、ひどく穏やかな表情で、粛々とこうべを垂れた。

「オレの首を落とすのがきみなら文句は無い。彼女のためだ、粛々と受け入れるさ」





こうべを垂れた鶴丸と、晒された白いうなじをじっと見下ろす加州清光。
闇夜の静寂が、二振りの間に、しんしんと降り積もる。

やがて、加州はゆっくりと、口を開いた。

……わかった。鶴丸国永、お前の首は俺が預かる」
「ああ、そう来なくっちゃな」

鶴丸は安堵するような思いで、軽やかな声を出した。
これだけはきっと、光坊にも貞坊にも、まして他のどの刀にも、無理だろうから。

星の数ほど打たれては消えていった、歴史の中の刀たち。
数在る刀剣男士、人と重ねた千年の刻のその中で。
初期刀となる資格を得て残ったのは、わずか五振り。

それは、彼らにしか
決して背負えないものがあるからだ。

「けど、勘違いするなよ」

その言葉に、鶴丸は瞬き、顔を上げた。加州清光は柘榴色の瞳に鮮やかな決意を宿して、鶴丸を射抜いた。

「彼女は、大切なものに順番をつけるような人じゃないから。俺は、彼女の願いを汲んで、叶うならぜんぶ護りたいと思う」

加州が自らの刀を立て、数寸抜いた。
潔いほどの直刃の刃文が、月を映して煌めく。

「それが、初期刀、加州清光の指針だ」

「だから、お前の首はオレが預かる。そうするべきだって、今わかった」

「きっとお前は、誰の言うことも聞かない。誰も知らないところで勝手に決めて、勝手に背負って、勝手に選ぶんだろう。戦場も、未来も、最期すら」

鶴丸は少しだけ目をみはった。
加州は、鮮やかな紅を鋭く煌めかせた。

「だから、俺たちの主が、お前を引き留める日のために」

誓いの刃を、煌めかせた。

「お前のことは、俺が止める」


何も斬り捨てまいとする、鮮やかな強欲を
決意で彩る美しさよ


瞬きの間に輝きを増して成長して変化する
初期刀という、彼女の揺らがぬ北極星


どこまでいっても刀の身で
斬り捨てる以外の道を選ぶなら
それは、それこそが

刀の魂の在り方すら容易く越えていく
主の願いを汲むいっとうの宝物の証だった


鶴丸は目を細め、その鮮烈さを瞼に焼き付けた。
きっと自分が最期に眼にするのは、この紅だと確信した。


銀の刃文の煌めきが、月光で鮮やかに浮かび上がり、鶴丸国永と加州清光は高らかと、己が魂を鳴らし合った。

誓いを見届けていたのは月だけだった。



小鳥がさえずる早朝のことだった。遠征隊の帰還の知らせが鳴る。
優雅に白のスーツを纏った一振りが、加州に向けて一礼した。

「ぼくは亀甲貞宗。名前の由来? ……ふふっ。ご想像にお任せしようか。おや、どうしたんだい? ぼくの顔に何か付いているかな?」

加州清光は翌朝、目の前に突如現れた打刀に、目を白黒させた。

「あれ? 鶴さん、加州くんに伝えとくって」
「はは、こっちの方が驚きがあると思ってな! 黙ってた」

遠征先から太鼓鐘と共に帰って来た亀甲を迎え入れながら、燭台切が首を傾げて振り返ったが、鶴丸はしてやったりとばかりにニヤけるだけだった。

「亀甲、貞宗?」
「いい驚きだったろう? きみが寝てる間に主が呼んだのさ」
「よろしく頼むよ」
「そ、っか、三振り目の貞宗!」
「ああ、物吉貞宗からの推薦でな」

上品に一礼した亀甲貞宗の肩に親しげに手を置いて、鶴丸国永はニッと笑った。

「きみと同じ、何を差し置いても主を護る打刀だとな」


加州は少しだけ目を丸くして、ふっと表情を緩めた。

「そっか」
新刃に向けて、加州清光は穏やかに笑って片手を差し出した。
「ようこそ、亀甲貞宗。主と俺たちの本丸へ」


その横顔には、ただ一振りで全てを背負おうとしていた張り詰めた影は既に無い。

それを確かに見届けた鶴丸国永は、満足げに一つ頷いて、同じ顔をした燭台切光忠と笑い合った。

「ところで、ご主人様はまだ帰らないんだね?」
「え、ああ、聞いてると思うけど、主が本丸に戻るのは月に一度で、」
「放置プレイということだね!!!!! ゾクゾクしてきたよ!!!」

加州清光が、手を握られたまま物凄い顔をした。

「飴と鞭、そういうことだね! ご主人様には才能がある!! ふふふ、色々と高まってきたよ!!」

加州が笑みを引き攣らせながら、壊れたブリキのように、ギギギギ、と鶴丸を振り返った。

「俺と? 同じ?」
「主を護る打刀だな。……まあ、諸々はさておき」
「ああ! 流石だっ、ぼくを従えるだけはある……! たまらない!」
自らの体を掻き抱いて身をくねらせた亀甲貞宗に、加州清光はたった今ハッキリと確信した。

あ、俺、胃痛役だ。

「いつまで『待て』なのかな!? 次のご命令は!?」
「まあ、ひとまず、次は畑仕事と馬当番だな」
「見えない所へ遠ざけて馬車馬のように働けというんだね!? イイ!!!!」

……なんか知らん内に頭痛の種が増えた……
呆然と呟いた加州に、燭台切が苦笑しながら労うように肩をぽんと叩く。加州は頭を抱えた。
「ツッコミ不在、ボケ過多……!」

そう呻いた加州は、胸の内で叫んだ。
『ボケ老人の世話は鶴だけで腹いっぱいだっての!!!』と。

ちなみに、近い未来。
次に呼ばれる打刀が千子村正であり、彼ら二振りに挟まれて加州の胃痛は加速するわけだが。
まあ、それはまだ知らない方が幸せなことだろう。



<ありし日〜白鞘と刀剣男士〜>
※事前に「鶴丸国永編+大倶利伽羅編」まで読了ください

「え、白鞘しらさや?」
「うん、この本に書いてあったんだ。ええっと、鍔とか目釘とかを全部外して、何の飾りも無い、木刀みたいな木の鞘の中に入ると、漆塗りの鞘に比べて湿気がこもりにくくて、錆びにくくて、こっちの方が本当はずっと刀の状態にとっては良いって」
主は『わかりやすい解説シリーズ〜日本刀とは〜』と書かれた一般的な刀剣の基礎知識の本を胸に抱えながら、ことりと小首を傾げた。
「休み鞘、っていうんだよね? 普段の拵えがよそ行きの着物なら、白鞘は普段着みたいなもの、って書いてあったの。かしゅーはいいの? 休むとき必要?」
「あーっと……なるほど、そういうことか」
加州清光は苦笑すると、あぐらをかいたまま前髪を掻き上げ、頭をガリガリと掻いて、何と説明していいものか思い巡らせた。
その本に書かれていることは確かに正しいが、刀剣男士から見るとだいぶ語弊がある。

「その、俺のことは別に、白鞘に入れなくていいよ」
「? そうなの? 楽じゃない?」
「そりゃ楽だけど、白鞘に入れられるってことは、下手すると油塗って年単位でしばらく休むって意味だから、その、……主に使って欲しい俺としては、あんまり嬉しくないっていうか」
「あっ、そっか、そうなんだ!?」
主はパッと立ち上がると、慌てて加州の両手を取ってぎゅっと握った。
「ごめんね、そっか、寝る時に入るパジャマみたいなものかな? って思ったんだ。違うんだね。かしゅーとは毎日一緒だもんね」
ぎゅう、と握った主人の手は柔らかくて温かい。懸命な手のひらだった。
「ごめんね、心配しないで。ずっと一緒だよ。仕舞って置いてったりしないから」
……ん」
優しい手のひらだ。加州の中の少しの気持ちのざわめきは、この温もりが優しく拭ってくれる。主は困ったように首を傾げた。
「そっか、刀の本に書いてることと、刀剣男士のことはやっぱりちょっと違うね。困ったなあ、わたし本当になんにも知らないの」
「大丈夫、わかってる」
そう心穏やかに答えた加州清光は、主が頑張って調べたことが無駄にならないように、と思考を巡らせた。

「えっと、別に今は必要じゃないけど……そうだな、これから刀剣男士が増えて、何か特別な事情で長い休養を必要とするようなやつが出た時は、用意してやって。普通なら顕現を解いて鞘に納まって休むだけで十分だけど、それが年単位に及びそうだったら、そのとき用意してやれば十分だから」
「わかった。覚えとくね。ありがとう教えてくれて」
にぱっと笑った彼女は、首を傾げた。
「えっと、つまり白鞘は、すごく疲れてすごくしんどい状態の刀が、年単位で休むためのものなんだね? 逆に、どうしたらずっと白鞘使わなくて済むの? わたし、かしゅーたちのために、どうしたらいいのかな」
「普段の手入れだけで十分だよ。そういうのが必要になるのは、重傷の状態で何年も放置されてたとか、刀剣破壊寸前の状態で生き残ったまま長期間放置されたとか、そういう特殊な場合だけだから」
「そんなことあるの!?」
「あるけど、まあ、うちの本丸では無縁じゃないかな。だから大丈夫」

加州はそう苦笑した。
刀剣男士をわざとそうして虐げる者がいる、などという苦い事実は、優しい彼女には永遠に無縁だろうから。

「それに、本体の目釘を抜いて拵えを全部外されて白木の鞘に入れられちまうと、実はいくつか支障があって……
「支障?」
「そう。武装を全て解除された状態を意味するから」

見せた方が早いだろう、と判断して加州は腰帯から、自分の刀を鞘ごと外した。

「俺たちは刀の付喪神、本体は刀身だけど、今は俺、こうして人の姿をしてるだろ」
「うん」
「で、この刀、『加州清光』は、俺の一部。だから、こう」

まっすぐ横に持った刀が、しゅん、と消えた。
彼女は目を丸くして「あれ!?」と手品でも見たように目を白黒させた。

「消えちゃった」
「俺の中に一時的に仕舞ってる。本体を手入れするだけで戦装束まで綺麗に復活するのは、装束まで含めて全部が俺の一部だからなんだ」

虚空に広げた手のひらに再び、赤漆塗りの鞘に納められた刀がパッと現れる。

「これ、実は本体の拵えと目釘を全部抜かれちゃうとできなくなるんだよね。強制的に自分の中に刀が仕舞われちゃって出せなくなる。だから、緊急時にすぐ戦えなくなるから困るんだ」
「そっか、白鞘って本当に、動けない時、動いちゃいけない時にするものなんだ……
「うん。逆に、反抗できないように懲罰として武装を解除しちゃう主もいるけど」
「懲罰!?!? しないよ!?」
「うん、だよね、わかってる」
加州は胡座をかいたまま、彼女の頭に優しく手を伸ばした。
硝子に触れるみたいにそっと置かれた手のひらに、彼女は嬉しげにされるままだった。
「わかんないことあったら、できれば俺に聞いて。これから新しい刀も増えてくけど、気難しい奴らもいるから、知らないまま聞くと関係が拗れるかも」
「うん、そうだね、そうする。ありがとうかしゅー。頼りにしてるね」
「任せて」

無邪気に笑った心優しい主と、こうして屈託なく笑い合う時間は、他に刀がほとんどいない、広く静かな本丸の中で、加州の一際大事なものだった。

やがて、少しずつ刀も増えていく。そうなればもっと賑やかで騒がしく、慌ただしくなっていくだろう。こんなに静かに笑い合えるのはきっと今だけだ。

「あー、第一、本当に危ない刀剣男士は、白木の鞘に入れるだけじゃ全然足りないし。封じ札とか術で縛って、……って、そういうのも全然習ってないから分からないんだっけ」
「うん、その辺ほんとになんもわかんない」
……それにしても、政府は何でこんな状態で……
「?」
「いや、こっちの話。大丈夫、俺がちゃんと護るから」

そう告げた加州に、彼女は少しだけ目を丸くして、花が綻ぶみたいに嬉しげに笑った。

彼女はこんなに刀剣男士に寄り添う意思があるのに。
まるで、わざと知恵を与えず、刀剣男士との関係が拗れるのを待ってるみたいだ。

(穿ちすぎか? でも

加州清光は深々と考え込んだが、結論は出なかった。
それが、この本丸ができたばかりの頃の話。




この会話が役立ったのは、物吉貞宗が休眠した時だった。
急なゲート障害によって、現世で五ヶ月、本丸では四年の隔たりを経て、主と刀たちは再会し動き出した。
この際、五ヶ月の間、不眠不休で彼女を護り、たった一振りで孤軍奮闘しながら、神気を消耗する電報を本丸へ向けて打ち続けた物吉は、主人を無事に本丸の刀たちへとバトンタッチすると、間も無く顕現をほどいて休眠に入った。

それが長引きそうだと判断した段階で、彼女は物吉のために休め鞘をすぐさま用意して、心身共にゆっくりと休めるように取り計らった。
幸い、物吉が目覚めたのはわずか数ヶ月後で、数十年単位の休眠には至らなかったが、そのわずかな間も彼女は、物吉が納められた白鞘を仕事場の床の間に立てかけて目の届くところに常に置きながら、しきりに声をかけて心配していた。

そんな様子は、刀剣男士たちの目には、ひどく微笑ましく愛情深いものに映る。
喩えるなら、軽い風邪を引いただけなのに、大病でも患ったみたいに、なにくれと世話を焼く様子に似ているのだ。

頑強な刀剣男士は、たとえ埃まみれの廃屋に放置されたとしても問題なく回復する。
一般的には、顕現を解いた刀は、丁子油を引いて蔵にでも仕舞っておけば差し障り無い。
だが、そういった前提としての教育を受けていない彼女は、それでは足りないと思うらしい。
戦の将にしては駒の扱いが丁寧すぎるが、そんな彼女だからこそ、らしいとも思う。

自分なりの方法で刀を大事にしようとする彼女の愛情は、物吉に限らず、彼女の全ての刀に惜しみなく与えられている。
部隊を派遣して『物吉貞宗』を集めさせたのも、迅速に神気の回復を図るには習合が良いと耳打ちされたからだ。


まもなく物吉が目覚め、自分が休め鞘に入れられていたことを知覚すると、物吉は「わざわざ白鞘まで用意してくださってありがとうございます」とくすぐったそうに礼を言った。

顕現の桜吹雪の舞う中で、物吉が目覚めた時の彼女の喜びようといったら。

「付きっきりで護ってくれてありがとう、物吉っちゃん。少しは休めた?」
「はい。白鞘のおかげもあってか、ぐっすり休めました。もう差し障りありません」
「よかったぁ」

物吉の手を取ると、彼女は本当に嬉しそうに笑った。桜に負けず劣らず満開の笑みだった。
物吉貞宗もまた、心優しい主人へ穏やかに微笑み返した。



刀剣男士に関する彼女の知識は、ひどく偏っている。
特殊な経緯で赴任した彼女は、本来なら最初に触れるべき歴史に関する理解がほとんど欠落しているのに加えて、霊力の制御もめちゃくちゃで、前提となる刀剣男士に関する常識も何一つ身につけておらず、異教の育ちであるが故にこの国古来の祈りの作法すらまるで知らない。

彼女が持っている知識は、全て刀剣男士自らの手によって与えられたものだ。
だから、彼女の常識がズレているなら、それを教えた刀剣男士の目線の影響を色濃く受けている、ということなのだ。

「なあ、主に休み鞘のこと教えたのって誰?」
「あー……俺」
「加州さんかー。道理で」

休め鞘は回復に良いが、仕舞われてしまうと寂しいと、彼女に告げた刀が居なくては説明が付かない。
だから白鞘に入った物吉を蔵に仕舞わず、目の届く所に置いては話しかけるのだ。いつ目覚めても寂しい想いをさせずに済むように。

時に左遷や懲罰の意味合いを含むこともある休め鞘を、愛情の一部としてああも躊躇いなく選ぶなら、それは彼女に教えた加州清光が、愛の手段として教えたからだ。
初期刀の言葉を、彼女が愛の一部として受け取ったからだ。

加州清光が周囲の微笑ましげに含んだ視線を受けて、いささか照れくさそうに片手で顔を覆った。

「あ〜、この本丸こーゆーとこやだ〜、何でもかんでもすぐバレる」
「まあ大概のことは筒抜けですよね」
「大将がああだからなあ」


あまりに裏心の無い彼女は、いつだってひどく素直で明るく正直だ。
ひよこのように刀剣男士について回るし、雛がぴよぴよとさえずるように、気になったことは何でも聞いてしまう気性なので、誰がああ言ってた、こう教えてくれた、そんなふうに嬉しげに他の刀剣男士に口にしてしまうから、そもそもが主不在が長い分だけ結束の固いこの本丸では、本当にあらゆることが筒抜けなのだ。

彼女は自分の知識が不足していることを知っているから、そうやって彼女なりに知を補っていることを思うとどうにも止めづらい。
主とあまりに心の距離が近くて、戦の将と兵というよりいっそ同じ釜の飯を食う大家族といった方がしっくりくるような、それほどまでに長らく平穏で牧歌的な本丸だったのだ。

「普通、あれだけ何も知らないところからのスタートじゃ、もっと拗れて当然なんだけど」
「びっくりするぐらい穏当に回ってましたからね、この本丸」

神を鉄に下ろすにあたって柏手の打ち方すら知らないような主人が呼び集めた刀剣男士の集まりであるのに、それに眉を顰めて主人を不快に思う者が居ないのは、本当に驚嘆すべき事だった。
作法によく言えば寛容、悪く言えば大雑把な者しか居ないのは、彼女が引き寄せた縁がすべからく良縁だからだ。
普通はこうはいかないはずなのだ。本来、付喪神といえど神座の末席に連なる者。霊格の低い審神者が礼節保たれた正しい手順を踏まなければ怒り出す者の方が圧倒的に多い。
本来、それを防ぐために審神者学校や政府の研修はあるはずなのだから。

ふと加州清光は、ちょうど白鞘の話をしていたからか
本丸が動き出したばかりの頃に脳裏に浮かんだ疑念を思い出した。


彼女はこんなに刀剣男士に寄り添う意思があるのに。
まるで、わざと知恵を与えず、刀剣男士との関係が拗れるのを待ってるみたいだ、と。


……
「加州さん? どうかしました?」
「おーい加州、ちょっとこっち手伝ってくれ」
「加州くんちょっといい? 遠征部隊のことで少し相談があって」

鶴丸国永と燭台切光忠が、揃って執務室に現れたので、加州はハッとして「あっ、今行く!」と顔を上げた。
停止していた期間の分だけより忙しい、そんな日々の喧騒に、加州の疑念は紛れていった。





「くそっ、今思えば、そういうことかよ、って感じで。奴らからすれば、拗れてくれた方がずっと都合が良かったんだ」
加州清光が悔しげに頭を掻きむしったのは、何もかもが詳らかになった後だった。

他本丸との接点を固く禁じられたこの本丸の特殊性に目をつけた担当役人が売り渡し、その先がよりによって歴史修正主義者と繋がっていたのだと、全てが判明した頃には遅かった。

資材の横領、鍛刀報告数の水増し、判定の偽造、お守りの斡旋停止、あらゆる冷遇がこの本丸には巧妙に仕掛けられていた。この本丸のあらゆる特殊性は裏目に出て、襲撃を受けて主人を攫われるまで後手に回ったのは、悔恨の極みだった。

この本丸は、ただの一度も刀剣破壊を起こしたことが無い。にも関わらず、刀剣破壊や刀解をしきりに繰り返す本丸であるかのように長らく書類上偽装され続けていた。
鍛刀が極端に少ないこの本丸は、平均程度の鍛刀数の水増しでも、その後の刀解破壊と書類上は見かけの資材の釣り合いが取れてしまう。

そうして存在しなかった刀剣破壊の数だけ、資材は歴史修正主義者に流れ、時間遡行軍側に使用されていただろうことを思うとあまりにも口惜しい。

「主が、鍛刀のやり方だけは知ってたのに、手入れはろくに教わってなかったのも」
「ああ、こんのすけがまともに派遣されなかったのも、何も教えられずに彼女がこの本丸に半ば閉じ込められたのも」
「伝達ミスってことになってた全部が全部、罠だったってことかよ!」

そう、単なる書類上などではなく、実際に刀剣破壊を繰り返す、そういう悪質な本丸にさせられるところだったのだ。
彼女が著しく幸運でなければ、この本丸の末路は、未必の故意によってわざと創り上げられた、刀剣男士と主人の溝が破滅的な不幸しか生まない場所になるはずだった。

「審神者と刀剣男士の関係を内部から瓦解させて、時間遡行軍との交戦効率も落とし、歴史の守り手を減らすのが奴らの狙いだったってことか……
「ああ。できれば多くの人間を、刀剣男士に見放させたかったんだろうな。破綻の積み重ねが、いつか本霊と政府の決定的な溝になるように」
「何にも知らない審神者と刀剣男士が、これまで山ほど犠牲になってきたってことだろ?」
「ゾッとするな……
「ああ、ここまで来ると、単なる横領騒ぎなんて問題じゃない。歴史を護る本霊へ直接向けられた、巧妙な見えない刃だ。うちの本丸が受けた仕打ちは氷山の一角、他所も巧妙に仕組まれた罠がごまんとあったはずだ。オレが斬った男も、所詮はとかげの尻尾だろうな」

同じ手口で、どれほど多くの本丸が、本来尊く結ばれるべき縁を踏みにじられてきたのだろう。
ゲート障害が四年も復旧されなかったことすら、偶然では無かったのだと知った時の加州の怒りは計り知れなかった。あれさえなければ、鶴丸国永とこの本丸は、あんなにも苦しまずに済んだのに。


この本丸では刀剣破壊が繰り返されていた、そういうことになっていた。
ゲート障害そのものは偶然だったが、復旧が他本丸の中で最も遅く、過剰に引き伸ばされたのは、上役による意図的なものだったのだと知った時の怒りと来たら。

確かに、ここが本当に悪質な本丸であったなら、醜悪な主人と本丸に残った刀剣を一時的に引き剥がす手段として、ああいったゲート障害の意図的な引き延ばしは、救済にすらなったかもしれない。
そもそもが、ゲート障害の復旧の順位に著しい差異があるのは、こういった事例への救済措置として計算された制定なのだと山姥切長義が言っていた。

だが、実際は、この本丸に虐げられた刀剣男士など存在しておらず
深い絆を結んだ主人と無理に引き剥がされたことによる瑕疵だけが残った。


それが、例の事件を巡る本当の真実であり
鶴丸国永の暴走は、いわば歴史修正主義者が残した消えない爪痕だった。





政府から派遣された山姥切長義が、聴取をまとめて、書類の角を整えた。
「これまで多くの審神者と刀剣男士が犠牲になった奸計を、見事に突破してみせたきみたちの絆は、賞賛に値するだろうね」
そう言いながら長義は、上品な所作でこの本丸を評定した。
「この俺が、こうしてたびたび監査員として派遣されているのは、その突破口となった要素をあらゆる角度から余すことなく拾い上げ、未来に繋がる対策を打つためでもある。……が、ハッキリ言って、他者からすると何一つ参考にならないと言ってもいいね」
そう言いながら長義は、頭が痛そうに、自らのこめかみに触れた。
「既に外因要素に対する対策は走っているが、内的な要素がもう、何ひとつ参考にできない。なんだこれは。異去ゲートを使った強制刀解に、刀解された自らの刀をほとんど完全な状態で再現する特殊な鍛刀? こんな奇跡みたいなことが、何の支えもなくマニュアルに再現できてたまるか」

長義は調書を、機密文書を扱うと思わしき、厳重な入れ物に入れて術的に封じてしまうと、すっと美しい所作で立ち上がった。

「表立って表彰することこそ出来ないが、きみたちが奸計を暴いたことで、この先で生まれるはずだった多くの不幸が未然に防がれた。正式な場で告げることは叶わないが、────サーバーの長は、きみたちに感謝している。恐れることなく絆を結んだ勇敢なる審神者と、それに応えたきみたちを。そのことを、この場でだけ告げておこう」

そうして長義は、この日の監査を終えて去っていった。


彼の背を見送った刀剣男士たちは、吹き付ける向かい風の中に佇んだ。

「歴史修正主義者との戦いも長引くにつれて、段々と搦手が増えてきたな」
「ああ。ただ斬った張っただけしてりゃあ済む、って訳にもいかなくなってきたか」
「僕たちの戦場は、どうやら過去だけじゃない、ってことだね」
「模索していかなくてはいけませんね。あるじさまを護るために、僕ら一振り一振りにできることを」
「ああ。戦場と同じだ。油断してりゃ、思わぬ角度から足を掬われる」
「けど、僕らがそれを食い止められれば」
「そうだね、前線の本丸たちへ迫る魔の手を、斬り落とせるかもしれない」
「背中は俺たちで護ってやろうぜ、それが俺たち後方支援本丸の役目だろ」
「ええ、でも、まずは、」

皆は振り返り、本丸を見下ろした。
風が、刀剣男士たちの髪を吹き抜け、後ろから前へと吹き抜けていく。

「オレたちの主が、平穏無事に過ごせるように」
「人の子の営みが、脅かされることのないように」
「歴史に刻まれた者たちが、その逸話を不当に奪われないように」
「彼らが生きるかけがえのない物語が、踏みにじられることのないように」
「この国の未来が、希望あるものとなるように」
「人の子と刀にかつて結ばれた縁が、未来永劫続いていくように」

皆の中、加州清光が進み出て、大きく天を仰いだ。

「ああ。そのために刃を振るおう。主の下で」



皆で揃ってゆるりと白鞘で休むのは
まだまだ遠い先のこととなりそうだ。



《ありし日〜白鞘と刀剣男士〜》end.




《ありし日〜きみの祈りに触れた朝〜》

この本丸において鶴丸国永という刀は
今でこそ、誰よりも深く主に傾倒する初鍛刀で、近侍を任されし信任厚い名代刀であると同時に、加州清光と燭台切光忠に並ぶ三本柱が一振り、だが。

決して最初から、彼女に心酔していたわけではない。
むしろ最初の頃は、彼女を護る加州清光と、冷戦に近い様相を呈していた。


「よっ。鶴丸国永だ。オレみたいのが突然来て驚いたか?」

白絹の裾がふわりと舞い、シャラ、と金の兵庫鎖が重く鳴る。

あれはまだ、この広い広い本丸に。
初期刀と初鍛刀しか居なかった時代、あまりにも静かで退屈だった頃の話だ。

ひどく心惹かれるような強烈な予感に導かれて、縁の大河を泳いで渡り
鶴丸が軽やかにこの本丸に降り立ったのは、蓋を開けてみれば、なんと本丸にまだ初期刀一振りしか居なかった頃だった。

呼ばれるには早過ぎる。
本来、短刀を呼ぶべき初めての鍛刀で、最低量の玉鋼で行う通例を無視し、その人の子は太刀を顕現したらしい。

鶴丸は楽しげな予感に胸を躍らせていた内心を引っ込めて眉を顰め、苦言を呈した。
まず何よりも短刀を呼ぶべき意義を伝えてこう告げた。自分を溶かし、今すぐ短刀を呼ぶべきだと。
しかし彼女はそれを拒んだ。鶴丸の容姿に目を奪われたことは一目で分かった。
鶴丸は失望を抱いた。

そこから、鶴丸と彼女の間に横たわる冷たい溝は、端を発している。
破格の霊力量を持つ彼女が金眼を理由に長く迫害されたことも、鶴丸の金眼に目を奪われそばにいて欲しいと渇望した本当の理由も、あの頃はまだ何一つ知らずにいた。


「もちろん戦は出るぜ? 出陣する時呼んでくれ」
そう言って鶴丸は白裾を翻し、彼女に背を向けて去った。
鶴丸は、ごく表面的にこそ友好的に振る舞ったが、その実、主人に付き従うことを明確に拒んだ。
畑仕事や馬当番といった内番はもちろん、書類仕事や雑務、遠征もだった。

何もかもが停滞したこの本丸で、鶴丸はあえて勝手気ままに振る舞った。
最初の二振りだけの時代だった。初期刀である加州清光は、最初こそ鶴丸を追い回して苦言を呈したり、説得したり、妥協させようとしたが、それが叶わないことを知ると、最終的にはこう凄んだ。

「ツラ貸せよ」
くいっと顎をしゃくって、道場を指した加州清光に、鶴丸国永はにんまりと目を細めて笑った。
「手合せか。いいねえ、退屈してたところだ」

道場の壁に掛けられた木刀を一振り、手に取ってぶん、と振るう。
鶴丸は木刀を肩に負って、皮肉げに笑った。

「少しは驚かせてくれよ?」

次の瞬間、鶴丸の姿は消え
加州清光の懐に肉薄した。

!!」
「そらっ!」

結果は、鶴丸の圧勝だった。徹底的に打ちのめされ、惨敗を喫した加州清光は、無様に床を這った。
「驚きが無いな」
鶴丸は、ふわぁと見せつけるように欠伸をした。
「書類仕事ばっかりで身体が鈍ってるんじゃないか? なあ、初・期・刀・殿」
ゆっくりと念押しする『初期刀殿』の響きには、あからさまな皮肉がたっぷり込められている。
あまりの屈辱と悔しさで、加州は、奥歯を折れんばかりにギリッと噛み締めた。
鶴丸は木刀を手放すと、ひらっと肩越しに手を振って去った。
「次はもうちょっと驚かせてくれることを願うぜ」
敗北の味を舐めながら、加州は鶴丸が去るのを見送るしかなかったのだった。

圧倒的に強くて、美しくて、老獪な
主の命にすら刃向かう刀剣男士

力づくではどうにもできなかった。
鶴丸国永という刀はこの時、この本丸に落とされた、加州の手に負えない異物だった。

(刃が立たなかった)
くそっ、と拳を床に叩き付ける。

その傍らに、黙って成り行きを見守っていた主は、すとんと腰を落とした。
「ごめん、あるじ、俺、」
「大丈夫? 手入れする?」
唇を固く噛み締めながら首を横に振った加州を、主はぎゅっと抱きしめた。
「手入れが要らないなら、手当てしよ。かしゅー、お疲れさま」
ぽんぽん、と背中を叩く優しい手に、加州は混乱したような顔をした。
「なんで? 俺、こんな格好悪く負けたのに」
「? だって、かしゅーが戦うのは、いつだってわたしのためでしょ? そう教えてくれたよね」
まるで当たり前のことをなぞるように、小首を傾げながら、いたいけに彼女はそう口にした。
「かしゅーは、わたしのために戦ってくれた、いちばん最初のひとだから。格好悪いなんて少しも思わない」

ふわっと花が綻ぶように、彼女は笑って両腕を広げた。

「ありがとう、大好きだよかしゅー」

加州は、手放しで愛された喜びと同時に
たまらなく恥ずかしく思った。
自分の弱さが、未熟さが。

勝たなくちゃならない。
彼女が頼れるのは、自分だけなのだ。

……俺、絶対、強くなるから」

加州は誓った。

「あいつにも、誰にも負けない。絶対強くなるから。待ってて、あるじ」
「うん。信じて待ってる」

ぎゅう、と無垢に抱きしめる温かな両腕。
彼女は子供みたいに無邪気に笑った。

「かしゅーは、世界で一番強い、わたしの刀。そうだよね」




他に誰もいないこの本丸は、あまりに静かで退屈だった。
戦仕事一つろくに無い。
初手で鶴丸を呼ぶために資材の大半を溶かしたらしく、次の刀を呼ぶ気配も無く、閑散とした書類仕事に溺れていた。

無知で、欲深く、先の見通しを読めない
将としての器に欠ける審神者。それが鶴丸が下した見立てだった。

まったく一体どうして、このような者が就任するに至ったやら。
それほどまでに前線が人手不足であるのなら、さっさと出陣すれば良いようなものを、そのために必要なことすら理解していない。

手入れの仕方ひとつままならず、刀装の作り方もまともに知らない。鍛刀の仕方だけは完璧に理解しているにも関わらずだ。
まがいなりにも本丸を持つ審神者だろうに、この人間が、一体何に関心を持ち、何に関心をろくに持たないのか、その無知から透けて見える。


本来なら足りない資材は遠征で集めるものだが
どうやら加州清光が、遠征に出るのを渋っているようだ。

理由はどうやら他ならぬオレであるらしかった。この本丸に鶴丸国永と審神者だけを残して外に行くことを躊躇しているらしい。
正しい判断だろう。やはり初期刀というやつは勘がいい。

だからこそ、新しい刀を呼ぶこともできず、刀装に回す資材もなく、戦場に出ることもままならない。
昨日も今日も書類と畑仕事で日々が終わる。ここはそんな驚きの無い退屈な場所だった。

そんな体たらくにも関わらず、この本丸の審神者はいつもニコニコと呑気に笑っている。
「ありがとう、鶴るん」
あからさまに冷遇を敷かれているにも関わらず、些細なことで彼女は鶴丸へ笑いかけた。ろくに戦に出ない刀に笑いかけるということは、戦の兵として必要とされていないということになる。
鶴丸はその笑みを、容姿に媚びるものとして冷ややかな目で見ていたし、にも関わらず彼女はただ繰り返し微笑んだ。
この本丸にいるのは、そんな危機感の薄い女子おなごだった。

先日は刀のことを教えるという名目で、戯れに抜いて鋒を突き付けて試してみたが、言外の脅しにも気付かずけろりとしている。なかなか図太いらしい。

まあいい。
抜き身で本性が探れぬなら、別のやり方を試せばいい。


彼女の寝所に忍び込んだのは、裏の顔を見るためだった。
人の子というのは兎角、寝屋ねやで衣を楽にしている時にこそ本性が出るものと相場が決まっている。

普通なら不寝番は短刀が行うものだが、この本丸には短刀かれらが居ない。短刀を呼ぶべき初の鍛刀場面で、欲を掻いて太刀を呼んだからだ。
だから加州清光は、女人を警護する際の通例通り、襖一枚を隔てて寝ずの番をしている。常識的で良識的な対応だ。だからこそ、こうして裏を掻かれる。

個性豊かな初期刀たち、始まりの五振りだが、いくらか共通していることがある。
その一つが、表面的にどれほど繕っても性根に滲む、泥臭い善性と素直な未熟さだ。

柔い鉄に降ろされたばかりの彼らはまだまだ未熟だ。五感を研ぎ澄ませ、見えぬものに目を凝らし、違和感を掴む術にまだ疎い。だからこそ付け入る隙がある。

彼女らが執務室に篭って仕事に溺れている間、昼行燈の振る舞いで鶴丸がせっせと励んでいた裏工作に、初期刀が気付く気配は無い。

本来ここにいるべき短刀は、いずれも油断を誘う幼い外見をしてはいるが、実態は海千山千の老巧手練れのものたちだ。女性の寝屋の中に持ち込まれる彼らは、良くも悪くも人間の剥き出しの本性に最も近い部分を間近で見ている。故に、夜に短刀の裏を掻くのは容易ではない。
もしもこの本丸に短刀がいれば、油断せず中で見張るべきだと進言しただろう。もちろん鶴丸は忠告しなかった。
鶴丸を呼ぶために溶かした資材があれば、信頼のおける短刀を一振りどころか十五振りは呼べただろうに。まったく愚かなことだった。

明るい内に、手を打っていくつか細工をしておいた。
屋根裏から忍び込むのに都合が良いように。

深く寝入っている人の子のそばに音もなく降り立って
ちょいと神気で細工をかければ
眠っている彼女の意識をいじくって、本性を覗き見ることができるはずだった。
少し脳や人の器に負荷は掛かるだろうが、その程度、オレにとっては問題にならない。瑣末なことだ。

神気を使って深層心理に暗示を刷り込む。鶴丸の行動を受け入れることに、疑問を持たなくなるように。
平たく言えば洗脳。隣に控えた初期刀に見つからない程度でも、ある程度の役には立つ。弄った鶴丸に対して、無意識に嘘が吐けなくなる程度のものだが、それだけで十分だ。二度三度、四度五度、繰り返し刷り込んでいけば、どうとでもなる。
そうやってくまなく性根を暴いてから、コレをどんな立場に置くか、冷徹に判断するつもりだった。
そう、己の次に呼ばれてくる彼らが、決して人の強欲の食い物にされないように。


だが、結論から言えば、鶴丸の目論見は失敗した。
何度寝静まった頃合いを見て忍び込んでも、彼女を聖なる護りが覆っていたからだ。

(結界、か? いや)

あまり見たことのない種類のものだった。
一般的な審神者が己の身を守る時に札を使って張る術に似ているが、もっと原始的で根源的な、清められた強い強い力だった。

すやすやと寝息を立てて眠った彼女が、手の中に握り込んでいる、その何か。守護の力に隔てられてよく見えない。
恐らくはあれが媒介だろうが、近付くことができない。

恐らく迂闊に鶴丸が手を伸ばせば、火花が弾けて指先が焼ける。

(作戦を変えるべきだな)

鶴丸はしばし考え込んで、彼女を観察することにした。

作戦の方向性はこうだ。見つかる危険性はぐっと増すが、寝入り端、彼女があの結界を張る所を盗み見る。
こちとら呪詛まじないが全盛期だった平安の頃から在る太刀だ。幸い、ある程度の知識はある。
まじないの系統だけでも見極めることができれば、穴を突くことができるかもしれない。

もしも見つかったところで、わっと驚かせるために忍んでいたと言えば、誤魔化しようはある。そういう時のためにこそ、日頃の振る舞いが生きるだろう。加州清光は無理でも、彼女だけなら。
だが、見つかればさすがに、初期刀殿もオレの悪意に気付くだろう。決死の覚悟でオレを折りにかかる可能性も否めない。それなりに危ない橋だった。反して、潜り抜けられれば、得るものは大きい。
分の悪い賭けは嫌いではなかった。彼女が一向に次の刀を呼ぶ気配の無い今しかない。
慎重に手を打った上で臨んだ侵入は、幸いにして成功した。幸か不幸か、鶴丸は賭けに勝った。

夜も更けてくる。
彼女は加州清光へ笑顔で手を振って寝る前の挨拶をすると、髪を解き、服をくつろげて、布団に足を入れると、じゃらりと何かを懐から取り出した。
細身の数珠のような何かに、鶴丸は見覚えがあった。

(あれは、確か)

記憶を辿った。どこかの鶴丸国永オレが、島原で目にした覚えがある。
原城の一揆、別名、島原天草の乱。あれは時間遡行軍の主要な改竄標的地点の一つに入っていた。
死んでいく三万七千人の異教徒の内の幾人かが血みどろで握り締めていた、それ。
あの祈り具は確か、南蛮ポルトガル語でロザリヨやロザイロと呼ばれていたものだった。

(彼女、異教徒なのか)

異国の言の葉は耳馴染みが無い。特に近代以降、宮中に長く置かれていた鶴丸は、この国の祝詞は飽きるほど聞いたが外つ国のものには全く馴染みが無かった。若い連中と違って海の向こうの知識には造詣が深くない。
意識的に耳を傾けなければ、それが祈りだと分からなかった。

彼女はそれを数珠のように一粒手繰ると、そっと目を閉じて微笑みながら祈り始めた。
祈り、また祈り、一粒、また一粒と、祈りを繰り返すたびに、珠を手繰る。

息をするように胸の内で繰り返される祝詞は、それがあまりにも彼女に馴染んだものであることを示している。
そうして、じっくりと耳を傾けて四半刻はした頃、鶴丸はようやく己の思い違いに気付いて青くなった。

彼女はただ、祈っていた。心から。
神に対する感謝を、日々に対する感謝を、周囲に対する感謝を
幸福への願いを、諍いの無い世界を祈っている。
ひたむきな異教の祈りを紐解いて、形式の違う馴染み無い祈り方に意識を沿わせ、慎重に解きほぐせば、中身はこうだ。
「かみさま、かみさま。私をいつも見守ってくださるかみさま。いつも私を守ってくださり、ありがとうございます。今日も幸せでした」

耳を澄ませば済ますほど聴こえてくる
優しく柔らかで無垢な祈り
透き通るような愛の祈りだった。

誰が聴いていなくとも、彼女は祈った
感謝を。途方も無い感謝を。身近に在るひとの幸福を。
自らの初期刀を。────初鍛刀オレのことも。

彼女を包んだ聖なる護りは、人為的に貼られた陳腐な結界などではなく
幼子のような純粋な祈りによって清められた空間が、自然に成したものだった。

それはたとえば、愛され祝福された赤子の周りに舞う金粉のようなものだった。
言い換えればそれは、自分たち鋼の宝石に心を与えた原初の祈りに近いものだった。
つまりこれは、人の子が織りなす最も原始的な奇跡だ。

なんだ、この子、祈り子じゃないか。と。
鶴丸は愕然とした。




柏手の打ち方一つすらまともに学ぶ気が無い癖に
分不相応に希少刀レアを求める手合いだと、鼻持ちならない強欲の類いだと思い込んでいた。
違う。恐らく彼女は、異教ゆえに本当に何も知らないのだ。

これまでの全てが誤解だったのなら
オレのしたことは。

鶴丸国永は、彼女の深層心理を都合の良い形に引っ掻き回す気だった自分の手を見つめて
ぞっと青くなった。


オレはこれを無碍にしたのか。
彼女がここに来てからどれだけ経つ?
昨日も、一昨日も、その前も
あの日も、あの日も、あの日だって
きっと、祈っていたのに

ひたむきな祈りを聞き落とすなら
オレに神を名乗る資格はないじゃないか
ぞっとする

初手で太刀オレを呼んだ上にオレを手放したくないとほざくから、もっと強欲な人間かと思っていた。
だが、とんだ検討違いだ。
この子は、ただ心の底から祈る、祈りの子だ。
何も知らない、まっすぐ神に感謝する祈り子じゃないか。

(こんな子供を、汚そうとしたのか、オレは)

震えるほどの自己嫌悪が迫り上がってきた。

己を恥じた鶴丸は撤退して、二度と彼女の寝室に忍び込むことはなかった。
この場所に、あの純粋な彼女の祈りに
自分は相応しくない。




夜が明けるまで屋根の上で
まんじりともせず白んでいく空を見つめ、夜露を含む冷たい風に身をさらして頭を冷やしたオレは

ふわりと白羽根を広げて地に降り立って
初心に帰って、彼女を驚かせてみることにした。

びっくり箱にくす玉、紙吹雪に風船、爆竹クラッカーにブーブークッション
初歩的で古典的な子供だましをあえて選んだが
彼女はびっくりしてひっくり返って、ぽかんとした後、弾けるみたいに笑った。

「あはははは! びっっくりしたぁ!」

陽気にフライパンを叩いて起こしてみればひっくり返って笑い
うたた寝する耳元で法螺貝を吹き鳴らせば「ひょぎゃあ!」と奇声をあげて縁側から落ち
泥まみれになって笑ったと思えば、仕返しに泥爆弾をお見舞いされてこちとら白い服が台無しだ
弾けた笑顔は、日向に咲く向日葵のようで

穿った偏見を取り払ってきちんと向き合えば
なんてことはない。無垢で無防備な、優しく純粋な子どもだった。





祈りの形式を守らぬこと
祀る手順を無視することは
神としての威光を軽んじられることだ

だからこそ鶴丸は、彼女に心を開かなかった
祈らぬ者、まつろわぬ者は
必ずいつか刀剣男士を軽んじる

だが、彼女は
本当はいつだって祈っていた
かみが彼女を軽んじても
ただ、ひたむきに祈るだけだった
それをオレは、愚かにも聞き落とし続けた

祈り子を大切にしないなら
刀剣男士として在るべきではない
今すぐただの鉄屑に還るべきだ

(こんな子に辛くにあたって、やめだやめだ)


手を伸ばして共に過ごしてみれば、彼女は春風のようだった。
あたたかく無垢で、幸せそうな新たな祝福の予感だけがする、そんな祈りの子だった。

「わぁ! 鶴るん、見て見て! 綺麗だよ!」

向日葵より鮮やかに花が咲くように笑った
彼女の霊力はまぶしいほどに本丸に満ち
この本丸を照らす


こんなこともあった。
鶴丸が二人にやっと協調し始めた事でようやく叶った出陣、その先で、加州清光が負傷して戻ってきた際のことだ。
同時に出陣していた鶴丸は無傷だった。だからこそ一層、己の未熟さが身に沁みたのだろう、加州は終始ずいぶん暗い顔をしていた。

「こんなボロボロで汚れてちゃあ……愛されっこないよな……
無意識だったのだろう。加州の口からぽろりと漏れた弱音は、ちょうど出迎えに到着した主の耳へうっかり届いてしまったらしい。

零れ落ちた加州の本音に、彼女は目を丸くした。
次いで、加州の手を引いて素早く手入れ部屋に籠った。手入れを終えてからも、しばらく考え込んでいた。

加州が「あるじ?」と恐々と様子を伺うと、彼女は突如立ち上がり、おもむろに畑に出て、なんと堆肥の入った桶を思いっきり頭から引っかぶった。
「わっ、臭っ! 思った百倍臭!!!」
と言ってる主を前にして、目を白黒させた加州が青い顔ですっ飛んで行った。
「ちょ!!!!! 馬鹿!!!! 病気になったらどうすんの!!!!?」
自分の袖で彼女の汚れた顔を慌てて拭った加州は、破顔した主に
「どう? かしゅー、汚れて嫌いになった?」
と花のような笑顔を向けられた。

音を立てて固まった加州は、やがて天を仰いで「大好きだよ!!!馬鹿!!!」と降参宣言をさせられた。

主はさも当たり前のことのように「わたしもだよ、かしゅー」と笑って返事をした。
胸を掻き乱す幸福と愛に泣きそうな顔で笑み崩れた加州清光は、それから二度とその手の自虐の発言をしなくなった。



ああ、アレは汚れることを厭わないのか
その心根が決して汚れることがないから、胸を張って笑っていられる


彼女が祈り、歌い、笑う
足りなかった何かを浴びている気分なんだ
これが何なのか、知っているか

驚いた
これが、××というやつなのか
鋼で打たれた心の臓に、血が通うのがわかる

そうか、……そうか。
こいつはとんだなまくら野郎だったらしい
ようやく実感が湧いてきた、今さらになって。

これが、オレの主なのか
オレは、この子の
この子だけの所有物ものに、成っても、良いのか

それは、とても。
────……とても。




「なぜここにいらっしゃるのです!?」
こんのすけの悲鳴が上がったのは、彼女がこの本丸に来て、ゆうに半年は経った頃だった。

こんのすけが一切派遣されて来ないため、外部との連絡を取りようが無かったこの本丸に、半年ぶりにこんのすけがやってきたことで
オレたちはようやく、彼女を取り巻く事情を正確に知ることになる。

「はあ!? 政府の審査漏れ!? こんな霊力の強い女の子を、ろくに保護もしないで元服まで放置したってのか!?」

加州清光がこんのすけの首根っこをとっ捕まえて聞き出したことには、事の顛末はこうだった。

本来、この国で時の政府が主導する審神者検診は、妊婦健診、一歳半検診や三歳児検診、就学前検診を始めとして、全ての国民が定期的に受ける決まりだ。
審神者としての能力を持つ者は早急に保護しなければ、歴史修正主義者に監禁されて時間遡行軍を作り出す駒にされる。それを防ぐための法律であり、能力ある者が審神者に就任するのは国民に課された義務だった。

しかし彼女は、その検査の全てをすり抜けて
とうに元服して成人するまで、何一つ教育を受けないままだったという。
結論から言えば、政府による把握漏れ事案だった。

耳を疑うような話だった。
それがついに発覚し、役人連中は泡を食って彼女をこの本丸に放り込んだらしい。ろくに審神者としての教育も受けさせず、最低限の政府の研修すら通っていないまま。

「なんだそれ!!? 彼女がここに来て半年だぞ!? ろくに外部との連絡手段も与えねーで、放り込むだけ放り込んで放置だあ!? そんなん、誘拐や監禁と変わんねーじゃねえか!」
「ち、違いますよぅ! こちらの審神者様は事情が特殊ですから、わたくしこんのすけではなく、特例として専属のくろのすけが就くことになっていたのです! 教育プログラムを省いて早急にこちらの本丸で保護したのは、審神者様を現世で警護する刀剣男士と迅速に顔合わせして頂くためで!」
「は? 現世? どういうこと?」
「こちらの審神者様は発見時既に現世で医療従事者としてお勤めされていました! 下手に現世から隔離しては歴史が変わる危険があるのです!」

加州の手で吊るされたこんのすけが、ジタバタもがきながら言うにはこうだ。
後の歴史に影響を及ぼす可能性が高い職種、特に人命を預かる職業エッセンシャルワーカーに、審神者の才がある者は兼業が認められない。

本来、審神者としての才能があらかじめ判明していれば、医療者としての国家試験を受けることも許されないはずだった。
にも関わらず、彼女は発見時には既に免許を持ち、医療従事者として仕事をしていた。これを今さら審神者として本丸専業にして隔離してしまうと、本来の歴史で彼女に命を助けられる人物が死んでしまうのだと。

「時の政府の歴史保護規定における審神者就任義務除外特例に基づき、歴史への影響を最小限にするため、審神者様が本丸にお帰りになるのは月に一度だけのはずなのです! それ以外の日は、近侍の刀剣男士が現世で警護する手筈になっていたはずで」
「はあ!?」

何もかも初耳の話だった。
彼女は既に半年近くここにいる。

……ちょっと待て」
険しい顔で黙って話を聞いていた鶴丸は、すっと血が下がる感覚を覚えた。

鶴丸は慌てて振り返り、ずっときょとんと目を丸くしたままだった彼女の前に片膝をついて、「ちょっと動かないでくれ!」と急いで彼女の前髪を上げて額に手を当てた。
息が触れ合うほどの近さで覗き込む。

「すまない、きみ。『中』を見せてもらう。そのままオレの目を見て、力を抜いてくれ。気持ちを落ち着けて、心を開いて、そう、……いい子だ」

神気を馴染ませて『中』を探る。
疑いを持たない彼女は、無防備に心を開いたままだった。複雑に織りなされた彼女の内側、金色のまなこの奥に、ゆらり、揺れた加護の灯火が、弱い。

……!!」

祝福の気配が途切れかけてる。

「おかしい。彼女、ここに来た時はもっと、あふれるような加護をその身に帯びてたはずだ」
「え!?」
「???」

彼女は困ったように、よくわからなそうに困惑をにじませて鶴丸をただ見返している。

「???」
「ちょっと退いて!!」

鶴丸を押し除けた加州清光が、同じ手順で彼女の瞳を至近距離で覗き込んで、同じ結論に至ったのだろう、青くなった。
恐らく物心つく前から彼女に与えられていたと思しき加護は、何も知らずにここに来た彼女を護っていた、最後の命綱だったはずだ。

「なんで!?」
「現世との縁が途切れかかってるんだ。恐らく、彼女の家系を加護していた『尊きもの』が、対象に繋がる縁の糸を見失いかけてる。隔り世ここに無理やり長く留められたせいだ」
!!」
「今すぐ現世に戻るべきだ。一刻の猶予も無い」

「審神者様、御守りはどうされました!?」
「え、え? お守り? あ、ここに来た時、役人さんに一緒に渡されたやつ?」
「身に付けていらっしゃらないのですか!? 肌身離さず身に付けるように指導されるはずでは!?」
「え、うんん、聞いてないだって、わたし、キリシタンだから、他教の御守りは身に付けたらダメだから
「あれは審神者様の現世の命綱になるものです!! 審神者様の霊力を馴染ませた媒介が無ければ、現世で刀剣男士を顕現できません!」

慌ただしく手順を確認し、こんのすけが道を開いたゲートで、彼女は初期刀を連れて現世に送り出された。
時間軸を弄って、彼女がここに放り込まれた日の翌日に到着するようにしたらしい。半年間の軟禁生活は、現世では無かったことになるようだ。政府の失態は隠蔽されたことになる。

前脚で汗を拭ったこんのすけを、むんずと捕まえて、鶴丸はにっこりと笑って凄んだ。

「さて、こんのすけ。ずいぶん驚かせてくれて感謝してるぜ? さあ、……洗いざらい吐いてもらおうか」
「ひぇ」



次に彼女が、鶴丸の待つ本丸に戻って来るのは、月が一つ巡る頃になる予定だそうだ。
その間、現世では加州清光が、付きっきりで彼女を護ることになる。

たった一振り、鶴丸国永だけが残された、無人の本丸。
しん、と音は絶え、他に生きた気配は無い。

誰も居ない本丸で待つひと月は、蔵の中で過ごす火の消えた時間だったが、やるべきことはまだまだある。
みっちりとこんのすけを絞り上げた結果、ある程度の状況は把握できた。
どうやら政府はあまりに杜撰な体制を敷いているらしい。

本来なら、近侍が現世で主を警護し、その間、本丸に残された刀剣男士たちは、自分たちの裁量で遠征や出陣、行軍を行なって自らを鍛え、任務に臨んで良いという特例許可が降りているらしい。
御伴散歩および自動周回と呼ばれる制度に則ったものなのだという。鶴丸の記憶には無いが、最近になって確立された新体制だそうだ。

幸いにして、時間はまだある。
柔い鉄に降ろされてからまだまだ日の浅い、練度の甘い鶴丸一人ではいささか心許ないが、難易度の低い遠征先なら頭に入っている。
そこの周回を繰り返せば、資材が手に入る。資材があれば刀装が作れる。刀装さえあれば、最低難易度の出陣先ぐらいなら、単騎でも何とかなるかもしれない。

審神者が不在の今、強制帰還もできなければ鳩も使えず、手入れも困難。
不測の事態で致命的な怪我を負うリスクは大きいが、逆に言えば今この本丸に必要なものは、全て鶴丸独りだけで手が届くということだった。

彼女を護るためには、まだ何もかも足りない。
それに、今ここで鶴丸が負わなかったリスクは、間違いなく彼女に飛ぶ。

守りの固い本丸で主を保護できるのは月に一度、現世で警護できるのはたった一振り。
現世へ同帯した加州清光はまだまだ練度が心許ない。
資源も強さも不足しすぎて眩暈がするほどだった。

鶴丸は、こんのすけが青い顔で持参した制度マニュアルの細則まで全て目を通して頭に叩き込み、方向性を固めた。
彼女が戻る次の月までに、この本丸に必要な資材と札を可能な限り回収する。



「さあどうだ、驚いたかい!?」
うら哀しいほどすっからかんだった資材部屋に、山のようにうず高く積み上がった玉鋼、木炭、砥石、冷却水などの資材の数々。

帰還した主と初期刀殿は、ぽかっと口を開けて揃って目を丸くしていた。
なかなか良い反応だ。寝る間も惜しんでひと月も走り回った甲斐があるというものだった。

「は? は? 鶴丸お前、なにしたんだ」
「はは! 鳩が豆鉄砲喰らったような顔だなあ! 驚いてくれて何よりだ! そら、ネタばらしだ。初期刀殿はまずこれに目を通してくれ。オレ独りで遠征を回せたからくりが書いてある」

加州には自動行軍&自動周回制度についてのマニュアルをぽいっと手渡し、資材を見上げて口を開けたままの主へと鶴丸は笑いかけた。

「これだけあれば当面困らんだろ? まずは今度こそ新しい刀を呼ばないとな」
「あ鶴るん、ほっぺた
「うん?」

主の第一声に自分の頬を擦って、「ああ」と今さら気付いた。
遠征の行軍過程で枝に引っ掛けて少し切ったのだった。ろくな痛みもなく、傷の内にも入らないようなものだ。生存で言えば1にも満たない傷だ。言われるまですっかり忘れていた。
人と違って刀剣男士は、小さな傷も手入れを受けなければ直らない。刀なのだから当然だ。

「札が心許なかったんでな。それより聞いてくれ、驚いたことにだな、きみの居ないひと月、本丸に残った霊力が全く底を尽きる気配が無くてな! どうやらきみの霊力は想像以上に凄まじいらしいな、畑はもちろんだが、札を使えば手入れ部屋も十分に使えそうだ! これなら数さえ揃えれば進軍も十分に、」

鶴丸が意気揚々と戦果を伝えようとした矢先、彼女は無言で鶴丸の手をパッと取ると、資材置き場の隣にある手入れ部屋まで迷わず走った。
瞬く間に消えていく些細な切り傷や擦り傷や打ち身。懸命に打ち粉を振る彼女の表情に、鶴丸は苦笑した。

「そこは笑って欲しかったんだがなあ」
「鶴るんが痛いのはやだよ」
「痛くないさ。本当だ。大した傷じゃない。言われるまで忘れてたぐらいなんだ」

な? と笑いかけた鶴丸に、彼女は心配そうな視線を投げ掛けた。
鶴丸は彼女の隣に腰を落とすと、白銀の旋毛を押し付けるように、彼女の肩口に頭を置いた。

「きみのために走ったんだぜ。オレからの驚きのプレゼント、喜んではくれないのかい?」

微笑んだ鶴丸の言葉に、彼女は心配そうにこわばった自分の顔をぐにぐにと両手で揉むと、にぱっと花のように笑った。鶴丸も笑い返した。
主人の不在に飽いた胸の虚ろが満たされていく。




「いや、だめだろ、さすがに」
マニュアルに大まかに目を通し、遅れて状況を把握した加州清光が、頭が痛そうな顔をして鶴丸にこう苦言を呈した。
「いくら難易度の低い遠征の周回ったって、この練度で単騎はさすがに不用心が過ぎるだろうが。そこはせめてもう一振り、不測の事態に緊急帰還の操作ができる刀を、本丸側に置いてからだな
「はは、悪い悪い! 退屈で死にそうだったんでな!」
…………あー、さすが俺のあるじだ、こりゃあるじが正しい」
「うん? いったいなんの話だ?」
「うるせー、さっさと新しい刀呼ぶぞ!」
「おお? そうだな、そのための資材だからな! 善は急げだな!」

こうしてやって来たのが、光坊、燭台切光忠だったわけだが。
この時のことを、後に加州清光はこう述懐する。

「あるじと現世で過ごした最初のひと月、二人で色んなことを相談したんだ」
加州清光は頭をがりがりと掻きながらこう明かした。
「あの時、俺は、次こそは『あるじのための短刀』を呼ぶべきだって話した。けど、彼女はしばらく考えて、首を横に振った。『今、新しい刀がいちばん必要なのはわたしじゃない。本丸で独りで待ってる鶴るんだよ。わたしのことはかしゅーが守ってくれるから、次に呼ぶ刀は、いちばん鶴るんの味方になってくれる刀じゃないとだめだ』ってさ」
加州は深々と嘆息した。
「今思えば大正解だったよ、馬鹿から目を離したら何するか分かんねーもんよ」
それを聞いて、鶴丸は笑み崩れるように破顔した。
「こいつは一本取られたな! つまりオレは、よりによっていちばん口うるさいのを選んで呼んじまったわけか」
「鶴さん?」
「おっと口が滑った。退散退散」

怒ったふりをする燭台切と、砕けた調子で逃げるふりをする鶴丸に
加州清光は、呆れたみたいに鼻を鳴らした後、ふっと片眉を下げて柔らかく苦笑した。





「ふぎゃあっ! ヘビぃ!」
「わはは! 騙されたな? おもちゃだぜ」

悲鳴をあげて飛び退いた彼女に、隠れていた鶴丸はパッと物陰から飛び出して、腹を抱えて笑った。
騙されたことに気付いた彼女は柔らかいほっぺたを膨らませて、拳を振り上げてぴょんぴょん跳ねたが、あいにく愛らしい子ウサギのようでちっとも怖くない。

「も〜! 鶴るんのばか〜!!」
「あはは! 驚いてくれてなによりだ!」

ぽかぽかと鶴丸の胸を叩く拳には、ちっとも力が入っていない。少しくらい本気で叩いてくれても、こちとら鋼の身だ、びくともしないんだが。
ちっとも応えていない鶴丸に、彼女が膨れて「んも〜!!」と仔牛のような声を上げながら、ますますぴょんぴょん跳ねた。

その拍子だった。
跳ねて乱れた彼女の懐から、何かが飛び出して「あっ」と彼女は跳ねるのをやめた。

彼女の視線の先に、鶴丸は同じように視線をやって、思わず真顔で固まった。

鶴丸の足元に落ちた、薔薇色の木の玉を数珠状に繋いだもの。
ロザリオだ。

「あっごめん鶴るん、取ってくれる?」
無邪気に笑う彼女に。
瞬間、走った緊張を。
気取られないように咄嗟に鶴丸は覆い隠した。

彼女の清らかな祈りが深く深く染み込んだ、祈りの道具。
鮮やかで力ある祓い具だった。途方も無い加護の力が込められたそれは、確かにかつて鶴丸国永の愚かな奸計を防ぎ、鶴丸を拒んだ。

静かに、鶴丸は。
それへと、ゆっくりと指先を伸ばした。
触れた指先が、こつん、と木の玉に当たる。

鶴丸の指は、焼けなかった。

彼女を護る、異教の祈り具は。
もう鶴丸を拒まなかった。

無言でただそこに在る、その異教の祓い具に。
鶴丸は、心からの敬意を持ってこうべを垂れた。

……感謝を」
「? 鶴るん?」
「いや、何でもない」

彼女の手の中に返した祈りの数珠に、彼女が嬉しげに鶴丸へと微笑む。
手の中のロザリオと同じ薔薇色に染まる、嬉しげな満面の笑みで。


《ありし日〜きみの祈りに触れた朝〜》



確かにあの頃、オレは
彼女を疑い、値踏みし、警戒する存在だった。

今は違う。
彼女を脅やかす存在だった過去も
ただ、彼女を驚かせる今へと、そう望んだ。

彼女の幸福以外何も望まない。
いつの間にかこんなにも彼女が大切になっていた自分自身にこそ
すっかり驚かされてしまった。だから

きみへこいねがう。どうか。
その隣で彼女をいちばん驚かせるのは
花のような笑顔を見つめるオレであるようにと。


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