さめしし。ワンドロのお題「新年」「習慣」で書きました。ある抱負を胸に秘めたさめ先生が、ししさんの好物のアレに頑張って挑戦しながら、将来を思うお話です。
@5_bluedaisy
新年を迎えたばかりの、週末の朝。
獅子神の家で朝食を平らげた私は、テーブルに残された物体と真剣に向き合っていた。
私の前に置かれているのは、普段使いの厚手のガラスのコップ。そこに満たされているのは、くすんだ深緑色の不透明の液体だ。わずかに泡立つ表面には氷が二つ浮かんでおり、一見したところ、抹茶ベースの何かのドリンクに見えないこともない。しかし、強烈に鼻を突く青臭さ、すり潰した生の葉以外の何ものでもない匂いが、その正体を如実に告げていた。
そう。これは、青汁なのだった。
獅子神の愛飲する、健康飲料。
だからといって、彼が無理に私に飲ませようとしているわけではない。新しい年の始まりにふさわしく、ある決意を秘めて、私自身が彼に頼んだのだった。あなたの飲んでいる青汁を、私にも試させてくれないか、と。
人の好い獅子神は、勿論快く承諾してくれた。自分の好物に私の興味が向いたので、むしろ喜んだと言っていい。ぱっと笑顔になり、いつもより更に上機嫌で朝食を整えてくれると、緑色の粉末を手際良く水に溶かして、私の前に並べてくれたのだった。
私は礼を述べて、少し考えてみたが、結局まずは平皿のベーコンに手をつけた。パンにサラダ、卵にヨーグルトとジャム。変わらぬ美味しさの朝食を、よく味わいながら胃に収めていく。そうしながら、さてどのタイミングでこの緑色の液体を口に入れるべきかと、ずっと思案し続けていた。が、獅子神が心を込めて作ってくれた素晴らしい朝食の旨味の連鎖とハーモニーを、禍々しさすら漂わせる青臭い液体で中断するのは、いかにも勿体なく、食事への冒涜ですらある。
斯くして他の全てを食べ終えるまで青汁は手つかずとなり、私は今、ただ一つ残されたコップをこうして見つめているというわけなのだった。
「……あのさ、村雨。やっぱり嫌だってンなら、別に無理しなくていいんだぜ?」
先に他の食器を下げて洗っていた獅子神が、見かねたようにキッチンから声をかけてきた。
私は顔を上げずに、否定の言葉だけを返す。
「無理だとは言っていない」
「でもよ、さっきからずーっとその状態だろ。苦いのがイヤなら、食う前か食事の途中で一緒に飲みゃあ良かったのに」
「あなたの料理の美味さを、青汁で邪魔立てするなど論外だ」
「じゃあ仕方ねーだろ。さっさと覚悟決めろよ」
「わかっている」
多少は申し訳なく思っていたので、私はそれをちゃんと声に出して返事をした。飲みたいと頼んだのは私のほうなのだから、今の状態が礼儀に適っていないのは確かなのだ。
獅子神にも、私の考えは伝わったらしい。ふぅ、と小さくため息をつくと、彼は流しの水を止めた。食器棚の戸を開け閉めする音、何かの袋をがさがさと開ける音が続く。
そうして獅子神は、青汁と睨み合っている私の傍へやって来ると、コップの隣にことん、と小皿を置いてくれた。平たく潰れた丸い形の、濃い紅色の乾物が幾つか載せられている。
「クランベリーか」
「口直しに、な。飲んでから食えよ」
「……ありがとう、獅子神」
私の恋人は、本当に寛大で優しい。彼を見上げて礼を伝えてから、私は意を決して青汁のコップを手に取った。
息を整えてから、そっと口元に近づける。からん、と溶けかけた氷が揺れ、液面からぶわりと潰した葉の匂いが立ち昇った。顔を顰めてしまわないように細心の注意を払いながら、眼を薄く閉じる。
なるべく匂いを吸い込まないよう、鼻から軽く息を流す。そうしてぐっとコップを傾けて、深緑色のどろりとした液体を喉に流し込んだ。
「……!」
対策は完璧だったはずだった。それでも喉の奥からがっ、と匂いがこみ上げてきて、咽頭から食道まで全てが緑色の液体で覆われてしまったかのような錯覚に陥る。内視鏡検査の際に、散布したルゴール液が粘膜を舐めつくしていく様子、見慣れたその光景が青汁と自分の食道に置き換わって、脳内で克明に再生された。
「む、村雨⁉︎ 大丈夫か⁉︎」
傍らに立っていた獅子神が、慌てたように背中をさすってくれた。
「ほら、これ食って……あ、水が先のほうがいいのか⁉︎ ちょっと待ってろよ!」
大股でキッチンへ向かい、新しいコップにざぁっと水を注いで持ってきてくれる。差し出されるままに受け取って、すずやかな水を口に含んだ。噎せないように、ゆっくりと飲んでいく。
ひと息ついてから、獅子神が出してくれていた乾燥クランベリーを口に入れた。
ぎゅっと噛むと、甘酸っぱい味が広がってくる。素朴で、でも力のある味わいだった。先ほどまでの強烈な青臭さが、確実に上書きされていく。
それでようやく脳内の動揺も収まってきて、私は頭を下げた。
「……すまなかった、獅子神」
「えっ? は?」
「私から言い出した事なのに、このような醜態を……あなたの好物に対して、失礼な態度になってしまった事実を詫びたい。申し訳ない」
「や、別にンなこと気にしてねーけど……まぁ、落ち着けって」
獅子神はぽんぽん、と私の肩を叩くと、正面の席からひょいと椅子を持ってきて、私のすぐ隣に置いた。腰を下ろしてから、大きな手で肩を抱き寄せてくれる。
私は促されるままに体を傾け、獅子神の肩に頭を預けた。
触れたところからじわりと体温が伝わってきて、私の体に広がっていく。こわばっていたものが解れ、余計な力が抜けていくのがわかった。
自然に目を閉じて、幾度か深呼吸をする。
そうっと瞼を持ち上げると、獅子神の美しい青い瞳が私を覗き込んでいた。
「……もう、大丈夫みてぇだな」
「あぁ。すまなかった」
答えると、つややかな唇がちゅっと額に触れた。
「だから、いいって。それより、オレのほうこそゴメンな」
「え?」
「オレは慣れてるから何とも思わねぇけど……オメーはこの青汁は初めてだったし、オレよりずっと匂いに敏感だろ。もっと気にならないように、何かアレンジすれば良かったんだよな。なのに気づかなくて、キツい言い方しちまって」
「あなたのせいではない。私が浅慮だっただけだ」
「だけど、オレ」
「それを言うなら、素直に言えなかった私にも非はある。だから、どうか気にしないでほしい」
「……わかった」
獅子神は、まだ多少納得のいっていない感じではあったが頷くと、肩に乗せた私の頭を撫でてくれた。
それから改めて、首を傾げてくる。
「でもよ、何でオメー、急に青汁飲みたいなんて言い出したんだ? 今まで全然、そーゆーの興味なかっただろ?」
「それは……」
本当のことを話すかどうか迷って、つかの間言い淀んだ。
だが、すぐに心を決める。
見栄とか、そういう問題ではないのだ。この先のことを考えるのなら、きちんと共有しておかなければならない。
新年に抱いた、私のこの決意を。
「獅子神」
私は体を起こすと、椅子に座り直して、正面から獅子神を見つめた。
「な、なンだよ。改まって」
つられて獅子神も姿勢を正す。薄青色の瞳がぴんと緊張感を孕み、私を探るように揺れた。
別に恐ろしい話ではない、ということを示すために、私は微笑んでみせる。
それから、おもむろに口を開いた。
「私は、あなたより三歳年上だ。獅子神」
「……そーだな」
「ということは、当然ながら平均余命は三年短い。統計上の細かい差異はあるが、おおよその事実として」
「……」
「勿論、これは個人の寿命を規定するものではない。が、客観的に見て私のほうがあなたより不健康な要素を多く含む生活をしていることは事実だ。あなたの余命が平均より長いことは十分にあり得るが、私の余命がそれより更に長くなる確率は低いだろう」
仕事の多忙。削られる睡眠時間。
食事も飲酒も嗜好優先で、今のところ量を手控えてもいない。かといって、彼のように体を鍛え、運動に勤しむわけでもない。
医者の不養生、と指差されても致し方ない状況だ。尤も私の観察する限り、医者の大半はそうなのだが。
「こうしてあなたと共に在る以上、できるだけ健康で生き永らえたいという意思は私にもある。だから、まずは少しでも可能なことからと考えて、あなたと同じ青汁を摂取することを、今年からの習慣にしようと決意したのだ……些細なことで、すまないが」
きっと、もっと変えるべきことは幾らでもあるだろう。理屈としては、それも分かっている。
だが、私が私であるゆえに、変えられないこともあるのだ。
あと十年、二十年と時が過ぎてゆけば。歳を重ねて老いてゆけば、また考えが変わるのかもしれない。それは、獅子神と一緒に見つめていけばいいだろう。
その時になったら、今を振り返って。
あぁこんなことも言っていたな、と二人で笑えばいいだろう。
「村雨……」
はあぁ、と大きく息を吐いて、獅子神が腕を伸ばしてきた。大きな手が私の両肩を包み、金髪の頭がかくりと脱力したようにうなだれる。
「あのさ、だったら最初っからそう言えよ。そしたらオレだって、飲み方とかいろいろ考えてやれただろ?」
「……そうだな。すまなかった」
「オメーがそう思ってくれてるのは嬉しいんだからさ。オレにも、協力させろよな。ホントお前、そーゆーとこ不器用だよな」
獅子神は両手を私の背中に滑らせると、そっと私を抱き寄せてくれた。
「考えた時点で、ちゃんと相談しろよ。それも新年の習慣にしろ。オレも……そうすっから」
「……ん」
「あと、せっかく健康目指す気になったンなら、軽い筋トレくらいは入れていこうな。ちゃんと出来そうなやつから、オレが教えてやっから」
「それについては善処する意思が無いこともない、とだけ伝えておこう」
「オイ、コラ」
半分笑いながら叱ってくる獅子神を、私も抱きしめる。温かく逞しい体を全身で感じ、厚い胸に顔を伏せて、獅子神の香りをいっぱいに吸い込みながら目を閉じた。
平均余命が、健康がと言ってみたのは、勿論嘘ではない。それも、偽らざる私の本心だ。
——だが、実際には。
賭場に立ち続ける以上、命を失う危険性は、私より獅子神のほうが遥かに高い。叶との戦いで見違えるような成長を遂げたとはいえ、彼は敵に対して私達ほど非情になれないからだ。
それが、獅子神だ。
私の愛する彼。
だから、その健やかなる意志が失われないよう、私はできる限りのことをする。
我儘でもいい、自分らしく振舞い、かけがえのない時間をたくさん共に過ごす。
そうして、獅子神に思ってもらうのだ。あぁコイツを置いてここで死ぬワケにはいかないな、と。
その想いひとつが、土壇場で生死を分けることもあるだろう。
「……愛している、獅子神。今年も、よろしく」
「おう、こちらこそな。村雨先生」
くすくすと笑い合って、優しくキスを交わす。この一つひとつが彼の奥底に刻み込まれるようにと、祈りながら。
すっかりリラックスしたらしい獅子神が、青汁の様々なアレンジ方法について語り始める。その各々に対して忌憚のない意見を述べ、文句ばっかり言うなと怒られながら、私は片耳をずっと彼の胸につけて、健康な心臓が力強く血液を送り出す音を聴いていた。