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■いの箱庭

全体公開 16 29337文字
2025-01-07 08:03:50

【必読】五夏/当主×教祖/if/ゆたりか
ザルな呪力感知をみこまれて、スカウト業に励む乙骨の話
色んなことがちょっとずつ違って、上手いこと皆生きています。

2025年1月12日開催の有志プチオンリー「今夜帳の中でin大阪」で頒布予定です。
内容は全て同じなので紙で欲しい人向け。
ペーパーラリーはこの本編後の小話を予定しています。
興味のある方はどうぞ。

Posted by @itou_888

 羽田から飛行機で約二時間。空港から出ているリムジンバスに乗り換えて、主要駅まで一時間ほどだろうか。初めて訪れる土地に乙骨はドキドキと胸を高鳴らせていた。
 駅に降り立ち、補助監督から持たされたタブレットを起動する。ここから、路面電車に乗り換えて港まで移動する予定だ。ちかちかと眩しいクリスマスツリーに背を向けて、乙骨は路面電車の停車駅へと足を進めた。

 東京都立呪術高等専門学校。通称呪術高専。乙骨の通う学校である。ここでは、人の負の感情から生まれる呪いについて学び、呪いを祓う術を身につけることができる。不慮の事故から呪いが見えるようになってしまった乙骨は、ひょんなことから歴史的に有名な呪術師の末裔であることが発覚した。そのため、呪いについて学ぶべきだろうと、呪術高専に入学することになったのだ。
 さて、呪術高専の学生である乙骨が、今回、補助監督を伴わずに任務地へと赴いているのには理由がある。
 この任務が呪術高専から与えられたものではなく、とある個人から受けたものだからだ。
「遠い遠い親戚のよしみでさ、引き受けてよ」
 同級生と校庭で体術の練習をしていた乙骨に声をかけてきたのは、特級術師の五条だ。呪いを祓う者を呪術師といい、強さを等級で示されるうち、最も強い者の一人である。
「はあ」
 間の抜けた返事になってしまうのも仕方がないだろう。五条が提案してきたのは、強くて聡い仲間集めへの協力だった。
 そりゃ、乙骨とて仲間が増えるのは頼もしい。けれど、呪術界に足を踏み入れて間もない自分に何ができるのだろう、と疑問に思ったのだ。
「ほら、憂太って僕より呪力量が多いでしょ」
 非常勤の教員でもある五条は、学生に対しても気さくだ。その五条が言う呪力量とは、具体的にどれほど、と可視化できるようなものではない。しかし、五条の特異体質である六眼を通せば、ある程度把握出来るらしいのだ。
「はい!」
 一番強い呪術師から、呪力量が多いと言われるのは、少し照れくさい。頬をかきながら返事した乙骨に、五条は頷きながら続けた。
「そんで、呪力操作は雑だし、呪力感知はザルだ」
……はい」
 そんなつもりはなかったのかもしれないが、上げて落とされたような気分だ。
 ペーペーの呪術師である乙骨は、確かに五条と同じく有名な呪術師の家系に連なる者なのだが、知識や経験が不足している。故に、膨大な呪力を効率よく使うことができないでいた。
 担任の日下部は、いずれできるようになるだろ、と背中を叩いてくれたが、いずれ、がいつ来るのかは分からないままである。
「自分の呪力量が多過ぎてバグっちゃってるのかもね。まあでも、今回はそのザルな呪力感知に用がある」
 ぴっ、と指を立てて五条が告げた内容こそが、乙骨を一人、遠く離れた任務地まで向かわせた理由だった。

 路面電車に揺られること十分弱。港のターミナルに到着した乙骨は周囲を見回していた。いくら任務ではないといえ、乙骨一人で仲間集めはできない。提案者である五条が同行する予定なのだ。
 近くにショッピングモールがあるからか、人通りは多い。路面電車の中でも気の良さそうな婦人から、剣道をやっているのかと尋ねられた。
 きっと、木刀袋を抱えているからだろう。この中に入っているのは、真剣だ。呪力操作の一環として、真剣に呪力を流し、それを操ることで呪霊を祓除しているのだ。
 通りかかる幾人かと話しながら待っていると、少し離れた道路沿いに一台の車が止まった。黒く艶のある車体は、車に詳しくない乙骨にも価値があるものだと思わせる貫禄がある。
 運転席から白い手袋を身につけたスーツ姿の人物が降りてきて、後部座席の戸を開いた。途端、近くにいた通行人が小さく声をあげる。驚きと、僅かな興奮が混ざった声色だった。
「や〜、メンゴメンゴ。思ったより道が混んでてさ」
「えっ、先生、それ」
 通行人と同様に驚いて質問しようとした乙骨の口を、数回左右に指を振ることで止める。
「今日は皆のグレートティーチャー五条じゃなくて、五条家当主として来てるからね!」
 なるほど、五条は、普段とは異なる格好をしていた。
 非常勤教員をしている時は全身黒の制服だし、時折見かける姿は和装よりも洋装が多い。しかし、今日は違う。
 黒いインナーに白い羽織。裾が絞られた白い袴と、黒く長い首巻。どことなく、戦闘服を思わせる格好だ。加えて、色のない髪と端正な顔を惜しげもなく晒しているため、周囲も乙骨も落ち着かない気分になるのだ。
「先生が包帯してないところ、初めて見ました」
「そうだっけ」
 六眼の特性上、そのままでは見え過ぎてしまうらしく、常は目の周りを包帯で覆っていた。それが、宙を煮詰めて砕いたような蒼い瞳をむき出しにしているものだから、見慣れない者にとっては驚きと感嘆を、勘の良い者には恐怖を与えていた。
「まあ、これ勝負服みたいなもんだから」
……戦闘が、あるんですね」
 ぎゅっと木刀袋を抱え、真剣な眼差しで見上げる乙骨に、首を傾げた五条だったが説明を諦めたのか、そんな感じと軽く返していた。
「今日向かうのはここからじゃちょっと見えにくいんだけど、いくつかある島のうちの一つなんだよね」
「そこに、僕たちの仲間になってくれるような人が住んでるんですか」
「いいや。これ」
「えっと?」
 ぺら、と手渡されたのは一枚の紙切れだ。朱色の背景に、白い筆文字で、来たれ霊能力者、と書いてある。
「えっ、なんですかこれ」
「そのままだよ。非術師が定期的に開催してる天下一霊能力者決定戦のチラシ」
「天下一霊能力者決定戦⁉」
 そんなもの、聞いたこともない。慌ててチラシを読み込むと、第三回と書かれている。意外と継続されているようだった。
「こういう所に集まってくる全員が呪術師ってわけじゃないんだけどさ。真っさらな場所から探すよりも、こうしてある程度、集まりそうな所を探す方が効率いいでしょ」
 確かに。
 呪術界の御三家、五条家嫡男として生まれ、現在はそこの当主として活動している五条が言うのだ。呪術界ではそういう探し方が主流なのかもしれない。
「じゃあ、お寺とか神社に居る人も呪術師ってことが多いんですか」
「あー、いや。全く居ないわけではないと思うけど。呪術界と宗教って相性が悪いんだよね。呪いの存在や呪術が向こうの経典とぶつかっちゃうことがあるから」
「なるほど」
 五条と並び、話しながら歩くと船の発着場に着いた。年季の入ったフェリーが停まっており、船内には、数人の乗客がいる。彼らの多くは五条の容姿を見て驚いたように目を見開くか、わざとらしく気にしていないとでも言いたげな、取り繕った様子を見せた。
 彼らの様子を暫く観察した乙骨は、おずおずと口を開いた。
「先生、あの」
「呪力感知に引っかかんないって言いたいんでしょ」
「はい」
 情けない理由ではあるものの、自分の能力を期待して連れてこられたのだ。力になれないのは申し訳ない。項垂れる乙骨に、五条は軽い調子で島に着いてから頼むよ、笑う。暫く船に揺られていると、見知らぬ人物が近づいてきた。
「失礼ですが、お名前を伺っても?」
 話しかけてきたのは、五条とほぼおなじくらい長身の男だった。 彫りが深い顔に似合うフレームの薄い眼鏡をかけている。どことなく知的な雰囲気のある人物だった。
「五条悟。そちらは?」
「ああ、申しわけない。私、こういう者です」
 男が差し出してきたのは一枚の名刺だ。書かれている内容から察するに、某大学で物理学を教えている教授らしい。
「今回行われる、第三回天下一霊能力者決定戦での審査員に選ばれまして。いやはや、私は常日頃から超常現象などというオカルトに対しては否定的な立場をとっているのですがね。どうしても、この天才物理学者の私に審査員を任せたいと主催者から連絡がありまして。ええ」
 田上と名乗った人物は、自身が出版したという本を数冊出して乙骨に押し付けてきた。どの本の表紙にも田上の写真が大きく使われており、暑苦しく感じる。
「そこの少年が、五条さんのことを先生と呼んでいたので、著名な方なのではないかと」
「僕は大学の先生なんかじゃないよ。強いて言うなら、この決定戦に一番金を出している人かな」
「なんと」
 その言い方で、田上は五条を相当の権力者か何かだと判断したようだった。隣に立っている三千七百七十六番目の助手だという田山を紹介し、五条に話しかけ続けている。上手く対応しているように見えるが、半分以上話を聞いていないだろうな、というのが伝わってくる五条の態度に乙骨はひやひやしながら縮こまっていた。

 普段、島にはほとんど人の出入りがないのだそうだ。
 船長としてフェリーに乗り込んだ人物が話してくれた。日焼けした顔を苦々しくしかめ、人が行くようなところじゃない、と呟く。船長が言うには、これまで禁足地となっていた島を、最近、買い取った者がいるのだそうだ。
「何をするつもりか知らんけども、アンタら用心せろ」
 乙骨たちを港に下ろし、すぐさま去っていった船が小さくなるまで見送る。あまり長居をしたくなさそうに見えた。
 この島は禁足地だったのだ。地元の人間からしたら、決して入っては行けない場所なのである。何故そんな場所を買ったのだろう。
 島の方を振り返ると、のぼり旗が数本立っているのが見えた。そのどれもに、第三回天下一霊能力者決定戦、と達筆な文字で書かれている。人の出入りを拒んできた、緑豊かな島。まるでそこを征服したかのように立つ、のぼり旗。
……
 なんとも言えない感情のまま、新設されたコンクリート製の真新しい港から島に足を踏み入れた、その時だった。
 ぞ、っと足の先から重く絡みつくような呪力を感じる。慌てて顔を上げた先には、フェリーに乗っていた客以外の人物が居た。
「おっ。反応があったって顔だ」
 嬉しそうに口角を上げた五条が隣に立つ。鼻歌でもうたいそうなくらい機嫌がいい。
「じゃあ、さっそく、ソイツをスカウトしに」
「まっ、待ってください!」
 ぐいぐいと背中を押して案内させようとする五条を慌てて止める。不満そうにしながらも話を聞く姿勢になった五条と向き合う。
「呪力感知したのは、三人です」
「三人……
 乙骨は、一人一人に視線を移す。
 一人は僧侶のような格好をした背の高い男だ。法衣と袈裟を身にまとっているにも関わらず、剃髪しておらず長い黒髪の一部を後頭部の高い位置でまとめている。更に、特徴的な福耳には艶々と光る大きなピアスがはまっていた。
 もう一人は金髪で、こちらも背の高い女だ。ハイウエストのボトムスを履きこなし、自信に満ちた表情で島を眺めている。その周りには、見た事のない、蛇のような生き物がまとわりついていた。呪霊ではないだろう。話に聞く式神というものなのかもしれない。
 真っ先に感じた強い呪力の持ち主はこの二人だ。
 女に至っては、式神を操っているところから考えて、呪術師で間違いないはずだ。僧侶のような男は、行きがけに聞いた宗教関係者の中に居るという呪術師かもしれない。そうなればスカウトは難しいように思えた。
 もう一人、乙骨の呪力感知に引っかかったのは異国の男だ。彫りが深い顔立ちにサングラスがよく似合っている。真っ白な帽子を被り、その他の衣装も白で合わせていることから服装にも気を使っているように見えた。ただ、この男に関しては呪力を感じたというよりも、もっと違う、何かを感じた気がしたのだが上手く言葉にすることができなかった。
「ああー……そうなるか。ていうか、なんであの人いんの」
 頭上でぼそりと五条がぼやく。あの人とは、やはり長髪の僧侶のような男のことだろうか。呪術高専と宗教との相性が悪いというのは本当のようだ。
「先生、どうしますか」
「うーん。まあ、三人いるなら三人共に話をもちかけよう。そうだな、まずはあの──」
「そこに居るのは、悟くんやろ」
 聞こえてきた声の方を振り返る。そこには、髪を金髪に染めた人物が立っていた。耳には幾つものピアスが輝いている。整った顔立ちをしているが、浮かんでいるのは軽薄な愛想笑いだ。
「ああ、禪院の」
「そっちのガキは知り合いなん」
「僕の遠い親戚だよ」
「へえ」
 今の今まで乙骨のことなど眼中にもなかった様子の禪院が、僅かに意識を向ける。居心地の悪さを感じながらも小さく会釈して名乗った。
「ふーん。俺は禪院家次期当主の禪院直哉。よろしくせんでええから」
「は、はあ」
 彼の意識はすぐに五条へと戻ったらしく、すぐに視線が逸らされた。この調子では、まだ五条と話すつもりなのだろう。誰を相手にしても、あまり興味がなさそうな相槌を打つ五条を眺めているだけでは時間がもったいないと思った乙骨は、先ほど目星をつけた三人に声をかけに行くことにした。

 一番話しかけやすそうな人は誰だろう。
 乙骨は呪術高専の制服を着ている。そうなると、僧侶のような男とは相性が悪いかもしれない。異国の男とは会話自体成立しない可能性もある。
 消去法で金髪の女の元へ向かった乙骨は、口を開く前に彼女から質問を受けた。
「どんな女が好みかな」
 ヤバい人だった。
 初対面でこんな質問をしてくる人を、強く聡い仲間としてスカウトしていいのだろうか。どうしよう、と周りに視線を向けるも、助けてくれそうな人はいない。ままよ、と脳裏に浮かんだ女性像をそのまま話すことにした。
「まず、髪が長くて優しくて可愛くて、僕のことをずっと見守って応援してくれて……時々は我儘も言ってくれるし、積極的なところもあるんだけど恥ずかしがり屋でもあって、あとは」
「分かった、分かった」
 両方の掌をこちらへ向けて乙骨の話を遮った女は、想像以上だね、と肩をすくめた。
「それってもう、具体的に好きな個人がいるでしょ」
「はい」
「はー、いいね。そうこなくちゃ」
 女は九十九由基と名乗った。第一声には驚かされたものの、それ以外は特に変わったところは無いように思える。
「九十九さんは、呪術師ですよね」
「呪術師? 私は今日、霊能力者としてここにいる。ああ、もしかして凰輪が気になったのかい」
 九十九の周りを凰輪と呼ばれた異形がじゃれるように浮遊する。ピキキ、と音をたてて動く姿はまるで生きているかのようだ。
「九十九さんも、天下一霊能力者決定戦に参加するんですか」
「そりゃね」
「あの、これって優勝したらどうなるんでしょう」
「さあ? 天下一になるんじゃないかな」
 天下一霊能力者決定戦に参加する割りには、勝負自体にあまり興味がなさそうな反応だった。
 とにかく、スカウトの話をしなくては。本格的な内容は五条に任せるとして、ひとまず九十九に呪術師として呪術高専で働く意思があるのかを確認しなくてはならない。
「ちなみになんですけど、九十九さんは今、仕事探しをしてたりしませんか」
「霊能力者としてのってこと?」
「えっと、たぶん、そんな感じ、です」
「うーん」
 腕を組んだ九十九は何度か首を傾げると、乙骨の姿を頭のてっぺんから足の先までじろりと見やった。
「仕事は内容によるけど。でもさ、君ってその格好を見るに呪術高専の学生でしょ。私、高専嫌いなんだよね」
 きっぱりと言い切った九十九に、それ以上何も言うことができなかった乙骨はすごすごと身を引いた。

 次に向かったのは異国の男だ。傍から見ても鍛えていることが分かる体格は、なんとも頼もしい。五条の言う、強く聡い仲間に当てはまっているのではないだろうか。
 問題は、乙骨のコミュニケーション能力と語彙力だ。最悪の場合は、ボディランゲージでなんとかする。スカウトってどういう動きをすれば伝わるんだろう。綱引きかな。
 声をかける前に縄を引くような動きを練習していた乙骨は、背後に立つ影に気づかなかった。
「何をしているんダ」
「ぬわ! え、あ、えっと」
 男は少々訛りがあるものの流暢な日本語で話しかけてきた。サングラス越しで分かりにくいが、乙骨の手元をじっと見ているような気がする。
「ぼ、僕は乙骨憂太です。あの、貴方のお名前を聞いてもいいですか」
……ミゲル」
「ミゲルさん、ですか。その、ミゲルさんも天下一霊能力者決定戦に出場されるんですよね」
「そうダ」
「えーっと、ということは、ミゲルさんも霊能力者……?」
「俺の国では霊能力者とは呼ばないがナ」
「へえ」
 ミゲルは言葉も通じるし、聞けば答えてくれるような親切さも持ち合わせていた。いけるかもしれない。乙骨の瞳に希望が宿る。
 あとは、ミゲルがこの地で呪術師として働きたいと思ってくれるかどうかだ。わざわざ天下一霊能力者決定戦に参加するほどなのだ。自らの能力を示したい、活用したいと考えている可能性はある。
 そこで勇気を振り絞り、ミゲルにスカウトの話を持ちかけることにした。もちろん、詳しい説明や手続きなどは五条という大人がやることも付け加える。子どもの思いつきではなく、真面目なリクルートなのだと伝えるためだ。
 乙骨の話を静かに聞いていたミゲルは、逞しい腕を組むと、少し悩むような素振りを見せた。
「強くて聡いと思われるのは悪い気はしなイ」
「じゃ、じゃあ!」
 身を乗り出した乙骨の目の前に節くれだった指が立てられた。
「一つ聞かせロ。オマエは強くて聡い仲間を集めて何を目指しているんダ」
「僕、ですか」
 考えたこともなかった。というよりも、今回は五条からの頼まれごとという認識でいたので、強くて聡い仲間を見つけてどうするのかを意識したことがないのだ。
 初めから呪力や術式というものに縁があったわけではない人生だ。幼馴染を巻き込んだ交通事故の影響で呪力を手に入れるに至り、その力の制御ができなかった乙骨を、呪術高専の関係者が見つけて転入までのサポートをしてくれた。
 転入先の呪術高専で出会ったのが五条だった。今背負っている日本刀は、彼の提案で使用している呪具だ。これにありあまる力を流すことで、なんとか現在の均衡を保っている。誰もが持て余す力を制御できるようになったのは五条のお陰だった。
 だから、報いたいと思っている。
「僕は、僕がどうしたいかよりも、お世話になった人の願いを叶えたいっていう方が近いのかもしれません。答えになってないかもしれないんですけど」
「恩がある相手の理想を叶えたいのカ」
 静かな口調でミゲルが続ける。
「俺にもそういう相手がいル」
 それは、どこかで見たことのある眼差しだった。サングラスの奥にある瞳を見たわけではない。しかし、五条が強くて聡い仲間を集めると言った際の雰囲気と、今のミゲルの雰囲気はどこか似ていた。
「というわけダ。悪いナ」
「いえ、こちらこそ急にすみません」
「まあ、気長に頑張れヨ」
 ぺこ、と頭を下げる乙骨に手を振り、ミゲルは離れて行ってしまった。

 先生。僕はどうしたらいいでしょうか。
 コンクリートで作られた船着場にある係船柱の傍に腰かけ、ため息をつく。せっかく頼ってもらったのに、候補の三人中二人に連続で断られてしまった。
 体操座りした膝を抱えて丸まっていると、ふいに影がさした。
「どうしたのかな」
「お坊さん……
 見上げた先にはあの僧侶のような男が立っていた。乙骨の呟きに、きょとんと目を丸くした男は何度か頷くと、よっこらしょの掛け声と共に隣へ腰かけた。
「悩みごとかい」
 背に海、正面に山というシチュエーションだ。雄大な自然に抱かれながら乙骨は自らの情けなさに眉を下げた。
「はい」
「私でよければ話を聞こう。天下一霊能力者決定戦の開催まで、まだ時間がありそうだし」
 男が指さした先では、主催者であろう人物と五条、そして禪院が話し込んでいた。
 乙骨は隣の男を見上げる。僧侶だから、悩める乙骨に気づいたのだろうか。彼が宗教関連の人物でなければ、スカウトの話をできたのに。そんなことを考えながら口を開く。
「僕、頼まれごとがあってここに来たんです。人に頼られたのなんて初めてで」
「凄いじゃないか」
「はは……そうだったら良かったんですけど、ちょっと情けない理由なんで」
「もしそうだとしても、君の力が必要だということに変わりはないはずだ。自信を持つといい」
「そう、ですかね」
 面映ゆい気持ちになり、頬をかく。頼ってくれた五条には言えない弱音だ。
 あまり面識のない相手だからこそ言えたともいう。加えて、僧侶という職業が相談しやすい雰囲気を作っているのかもしれなかった。いずれにせよ、聞いてもらえてよかった。
 そんな気持ちで並んで山を眺めていると、ところで、と男から話を切り出された。
「君の頼まれごとというのは、何か探し物があるといった具合かな」
「どうして分かったんですか」
「わざわざこんな辺鄙な場所に来るくらいだからね。自ずと目的は限られてくるだろう。けれど、そうか。探しものか」
 物ではなく人なのだが、大体あっていると言っていいだろう。肯定した乙骨に、男は何やら考えるような仕草をみせた。
「君は、探し物を見つけて、どうしたいんだい」
 ミゲルにも聞かれたことだった。未だ答えは出ていない。
 五条はどうしたいのだろう。
 恩返しをした後、自分は、どうなるのだろう。
「答えにくい内容だったかな。すまない」
「いえ、さっきも同じことを聞かれて、僕、しっかりと答えられなくて」
 山を見る際は真っ直ぐに伸びていた背が徐々に丸まっていく。そんな乙骨に気づいたのか、男は悩ませるつもりじゃなかったんだ、と眉を下げた。
 ふと、遠くから名を呼ばれるのが聞こえた。首をまわし、探してみる。声の主は五条だ。いつの間にやら、話し合いは終わったようだった。長い腕を振って、乙骨を呼んでいるように見える。
 行かなくちゃ、と腰を上げて男に挨拶をして去ろうとする乙骨の腕が掴まれた。知らぬ間に立ち上がっていたらしく、男は両手で乙骨の手をぎゅう、と包むと身をかがめた。
「私は夏油傑。何かあればまた相談してくれ」
「は、はい。僕は乙骨憂太です」
「──憂太!」
「はいッ!」
 再度呼ばれた名前が鋭く響く。いっそう背筋を伸ばして一目散に駆け寄ると、荷物をまとめた腕を組んで五条が待っていた。
「首尾はいいみたいだね。上手く接触できてるじゃん」
「はい。えっと、はい」
「じゃあ、僕は次段階に進むからね」
「えっ?」
「高専に戻るよ。なーんか、うるさい連中が横から口挟んで、採用の邪魔しようとしてるって連絡あったんだよね。直談判してくる」
「で、でも、先生、僕」
「そんじゃ、後はよろしく!」
「先生〜ッ!」
 フェリーを操縦してきたのは行きとは違う船長だった。それでも、島に近づきたくないと思っていることは表情から見てとれる。ぼそりと船長が呟いた言葉を聞いたらしい五条がフェリーに乗り込む前に振り返った。
「今日はもう船出したくないんだって」
「え」
「まあ、明日の朝には出るっしょ」
「ええ……
 五条のみを乗せたフェリーが去っていく。乙骨を含め、島にいる全員が共に一夜を明かすことが決定した。
 フェリーの影がどんどん小さくなっていく。視界に映る雲の流れが、どうにも速く見えた。

     *

 数人の参加者と共に島の中を移動する。
 人が近づかないというのは本当らしく、住宅らしき影はない。拓かれていない自然の中に建てられた三棟のプレハブ小屋が、違和感をもって目を引く。
「天下一霊能力者決定戦に参加される皆さんはこちらにお集まりくださーい。厚紙に名前を書いて、名札に入れて、首から下げてくださーい」
 忙しなく進む準備の様子を離れた場所から眺めていると、スタッフに声をかけられた。乙骨が名前を書いていないことに気づいた一人が、気をまわしてくれたらしい。
「違うんです。僕は参加者というか、なんというか」
「あーっ! ここにいた!」
 そこへ、やや小太りの中年男性が息を切らせて小走りで近づいてきた。手にはタスキのようなものを持っている。
「はあ、はあ、君が五条さんの代理でしょ」
「僕ですか!?」
「ふう、さっき帰る時に伝えられたけど」
 そういう大事なことは先に言ってよ、と途方に暮れる乙骨の首へ無情にも『一日代理五条家当主』と書かれたタスキがかけられる。こんな大役を任されたって、乙骨にはザルな呪力感知しかできない。誰が優勝者になるかなんて、審査しようがなかった。
 降ってわいたような展開に混乱していると、聞き覚えのある声が耳に入った。
「どこの馬ともしれん奴に、こんな大層な肩書き預けていくなんざ、悟くんは相変わらず酔狂やな」
 話しかけてきたのは禪院だった。閉じた扇子の先でタスキを突いては不愉快そうに鼻を鳴らす。
「禪院さんは、先生と知り合いなんですか」
「俺は禪院家次期当主、悟くんは五条家当主。それだけ言えば分かるやろ」
 やれやれと言わんばかりに肩をすくめる禪院へ曖昧な相槌を打つ。つまり、家関係で顔見知りだということだろうか。
 禪院と言えば、同級生の禪院真希の生家であるはずだ。彼女からは、知らないオッサンが歩き回ってるクソみたいな実家としか聞いていなかったため、そんな家の当主になるのは大変だろうな、と他人事のように思った。

 そうこうしているうちに、参加者の支度が整えられていた。スタッフから案内されるままに会場へと移動する。
 会場は、プレハブ小屋から少し坂道を登った付近に設置されたステージと広場だった。といっても、二メートルほどの平台と整備されていないままの砂地があるだけだ。
「これから皆さんには、その優れた霊能力を発揮して技を競い合っていただきます。審査員の方は十点満点で点数をつけて、札をあげてください。合計得点の多かった人が優勝です」
「しょーもなっ」
 審査員席の右隣に座る乙骨だけに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で禪院が呟く。どちらの手元にも先に丸い点数プレートが取り付けられた札が置かれていた。
「いやはや全く禪院さんの言うことにも一理ある。私は兼ねてより、霊能力を含めたオカルトに関しては懐疑的な立場をとらせていただいておりますが、ここまで安直な決め方は他に類をみない!」
「あ、あはは」
 乙骨の左隣に座る田上には禪院のぼやきが聞こえたようだ。話題の乗り方からして、田上は禪院のことも権力者の一人だと判断したのだろう。それは間違っていないが、正しくもない。
 田上は知らないが、五条も禪院も呪術師である。非術師からしてみれば、田上が否定的な意見を持つオカルト側の人間だ。お互いに相容れぬものがあるだろう。現に、禪院は田上の発言を全て無視している。間に挟まれた乙骨の胃がきりきりと痛む。

 司会進行を兼任する主催者が、エントリーナンバーの小さい順に参加者をステージへと案内するらしい。
「エントリーナンバー一番の方お願いします」
 紹介されて登場したのは、乙骨たちが乗ってきたフェリーにいた人物だ。気を流した水の力で物を消すことができるという自称霊能力者は、演技かかった仕草で透明な水晶を掲げると小さな水槽にそれを入れた。
 水を媒体に物を消す術式を持っているのだろうか。もしもそれが本当なら、強力な術師に違いない。術式を使う瞬間を見逃さないように身を乗り出す。
 霊能力者がペットボトルに入った水を開け、それを田上の元へ持っていき、一口飲むよう促す。ぎりぎりまで嫌がっていた田上だったが、渋々水を口に含む。
「んんっ⁉」
「どうしたんですか⁉」
 目を見開き、喉元を押さえる田上に、霊能力者がまだ気を込めていないと伝える。すっ、と元の姿勢に戻った田上は、それが普段から取り寄せている水だと証言した。
 その言葉を満足気に聞き終えた霊能力者は、どこかで聞いたことのあるような呪文めいたものを唱えながらペットボトルを振った。
「──きええええい! こほん。この水は気を纏う特別な水になりました」
 再び蓋を開けられたペットボトルから、水晶が置かれた水槽へと水が注がれる。変化はすぐに訪れた。
「えっ!」
「おお」
 注がれた水が水槽に溜まっていくのにつれて、水晶が見えなくなっていった。田上と乙骨の驚く声が重なり、霊能力者が得意げに笑う。待機していた自称霊能力者たちのざわめきが広がっていく。
 その時、一人の人物が手を挙げた。
「あの、私にもそれ、やらせてもらえませんか」
 声を上げたのは、田上の三千七百七十六番目助手の田山だった。ステージに近づいた助手を見て、霊能力者はやや鼻白んだ様子だったが、新しい水を取り出すと田山に手渡した。
 手渡されたペットボトルの水を再び田上が飲まされる。同じ水であることが確認されてから、田山は先ほどの霊能力者のように呪文を唱えてペットボトルを激しく振った。
「──きええええいっ!」
 締めの言葉を叫んだ田山は、水だけを抜いた水槽にペットボトルから勢いよく水を注ぎ込んだ。
「消えてない……
 しかし、水晶は変わらず水槽の中に沈んだままだ。
「これは、どういうことだッ⁉」
「私の霊能力は証明されたということです」
 パイプ椅子をなぎ倒しながら田上が立ち上がる。乙骨も近くで水槽を見ようと近づいた。
「元々の水に種も仕掛けもないことは、そこの田上先生がよくご存知かと」
「いやしかし、そんなこと」
 頭を抱える田上の隣で乙骨も首を傾げる。
 なぜなら、どこにも残穢が見当たらないからだ。残穢とは、呪力を放つ術式の行使の際に残る痕跡のことだ。霊能力者が呪術師である場合、その力を使った結果に水晶を消したならば残穢が見つかるはずなのだ。
「どこにもない」
「そうでしょう!」
 霊能力者はタネや仕掛けがないことを乙骨が確かめたと思ったのだろう。自信に満ちた表情を向けてくる。それに曖昧な表情を返し、更に目を凝らす。
 残穢を探すあまり、水槽に顔を突っ込んでいた乙骨は、溜まった水が塩っぱいことに気づいた。
「ん? あれ? これ、塩水だ」
 すると、慌てたように田上が近づいてきた。
「そんなはずはない! 私はあの水を飲んで……塩水だ」
「見てください。それにこれ、水晶じゃありませんよ」
 同じように水槽を覗き込んできた田山が言う。なんでも、田山は霊能力者兼、世界的に有名な美人奇術師らしく、仕事道具の一つとして水晶を使っているという。にゃーっ、という掛け声と共に突っ込んだ田山の指は水晶と思われる球体にずぶりとめり込んだ。
「なるほど、分かったぞ。SAPだ」
 田上が発したのは、聞きなれない単語だった。
「なんですか、それ」
「ポリアクリル酸ナトリウム、高吸水性ポリマーとも呼ばれている。身近なところでいくと、トイレの消臭剤に使われているな。高吸水性ポリマーは高分子の長い鎖が絡み合った状態をしているんだが」
「その説明は長くなるのか」
 田上の解説を田山がさえぎる。正直なところ、乙骨にも何の話だか分からなかったので止めてくれて助かった。
「うるさい、黙って聞け。この高吸水性ポリマーは水を吸うと光の屈折率がほぼ水と同じになるんだ。だから水中では目に見えなくなる。しかし、塩水を入れると高吸水性ポリマーと塩水の境界で光が屈折するため輪郭が現れてしまう。おおかた、田山に渡したペットボトルの蓋には細工でもしてあったんだろう。これが、この似非霊能力者が使ったトリックだ!」
「ぐっ!」
 よく分からないが、田上と田山が霊能力者の嘘を見抜いたらしい。
 果たして、先の霊能力者は呪術師ではなかったようだ。残穢の謎も解けてすっきりした乙骨は、審査員席に戻って次の霊能力者を待つ。右隣からは終始白けた空気が漂っていた。
 次々に自称霊能力者たちが霊能力を披露するも、その度に田上や田山がトリックを見破ってしまう。そのうち、エントリーナンバーが呼ばれても誰もステージに上がらなくなってしまった。
「皆さん、どうされたんですか」
 慌てる主催者を見た禪院は、大袈裟な動きで手を叩くと視線を自らに集めた。
「あー、アホらし。どうせ、ここに居る奴らは決定戦の勝敗なんかより、この島に言い伝えられた秘宝目当てやろ」
「秘宝ですか?」
「なんや君、そんなんも伝えられてないんか? なんしに来たん」
 こちらを嘲るような笑いを見せた禪院は続ける。
「とんでもない参加者もちらほら居るみたいやし、面白そうやから審査員なんてもん引き受けたけど。そこに悟くんも来るなんておかしいと思ったんや。ちょーっと探らせたらウチのボロい巻物に書いとったわ」
 ちら、と禪院が視線を向けた先には乙骨の呪力感知に引っかかった三人を含めた数人が立っていた。
「せや。この決定戦を制したものが秘宝の所有権を持つってことにしようや。なあ?」
 話題についていけていない自称霊能力者たちをおいて、話は進んでいく。
「ほな、ここからが本当の天下一霊能力者決定戦ってことで」
 パンッと音をたてて扇子を開いた禪院がにやりと笑う。
「こっからは、ルール無用。何が起きてもおかしくない戦いっちゅうことで」

 先生。僕はどうしたらいいでしょうか。
 随分と様変わりしてしまった会場で乙骨は頭を抱えた。
 慌てる主催者、混乱する自称霊能力者たちを横目に、夏油、九十九、ミゲルが見つめ合っている。この中の誰か一人でも、決定戦のやり方に異を唱えてくれないかと思ったが、三人とも無言だ。つまり、禪院の言う呪物に関しても、決定戦に関しても異議はないのだろう。
「勝者はどう決めるつもりだ」
 一番に口を開いたのは夏油だ。
「霊能力者なんやから、分かるやろ」
 夏油は何も言わずに片眉を上げる。
「私は構わないよ。ルールがどれだけ変わっても関係ないし」
 長い髪をさらりと後ろに流した九十九が腰に手を当てた。
「俺も異論はなイ」
 ミゲルが肩をすくめる。
 心なしか、三人の間にひりついた空気が満ちたような気がした。
「ちょっ、ちょっと皆さん! 一旦、休憩を挟みましょう!」
 そこへ慌てた様子の主催者がやってきて、大きく手を振り動かしながら仲裁に入った。立ち込めていた空気が霧散したのを確認して、乙骨の体から力が抜ける。どうにか、一触即発のような状態にはならずに済んだようだ。

 主催者によると、これから参加者はプレハブ小屋に戻って休憩した後、決定戦の続きを行う予定らしい。
 スタッフの先導に従い、ぞろぞろと移動する列に続いて緩やかな坂を下る。途中に分岐もない一本道だ。迷うことなくプレハブ小屋に戻ることができた。
 小屋の前で待機していたスタッフが一人一人に温かい飲み物を配っていく。乙骨も紙コップを受け取り、プレハブ小屋へと入っていった。
 屋内には参加者がひしめき合っていたが、天下一霊能力者決定戦が開始するまでの熱気はすっかり失われている。
 田上や田山によってネタばらしされたことで意気消沈してしまった者もいれば、その後の禪院の発言や、明らかに雰囲気の違う夏油たちを見て何かを察したのか、怖気付いてしまった者もいるようだ。
 誰もが俯いて会話をしようとしない空間に居心地が悪くなり、紙コップを持ってプレハブ小屋の外に出ると、なにやら人の行き来が慌ただしいことに気づいた。
「どうかしたんですか」
「えっと、参加者の九十九さんが戻ってなくて」
「でも、迷子になるような道ではないですよね」
「そのはずなんですが」
 仮に彼女が島から帰ろうとしたとて、迎えのフェリーは明日まで来ない。つまり、島から出る手段はないことになる。九十九が物凄く泳ぎに自信があったり、空を飛ぶ術式を持っていない限り、ではあるが。
「私たちはこれから九十九さんを探そうと思いますので、一日代理五条家当主さんはプレハブでお待ちください」
「いえ、僕も手伝います。あとその、乙骨で大丈夫です」
 プレハブ小屋に戻ったところで、することもない。それならばと捜索隊の一員になった乙骨は、九十九が通ったであろう道を戻ることにした。
 島の中心には高い山が存在し、その周りには山頂へと向かうなだらかな坂道が続いている。天下一霊能力者決定戦の会場はちょうど中腹に位置していた。小屋から会場へ向かう道の、向かって右側はゴツゴツとした斜面になっており、横道に逸れることができるような環境ではない。では、その反対側はというと、海に面した崖であった。
……まさか」
 ガードレールが設置されていない道だ。あまり想像したくないが、万が一ということもあるだろう。
 意を決して、そっと覗き込んだ先には荒々しい岩が並んでいる。そして遥か下に、煌めく金髪が揺れる様を見た。
「う、嘘だ。九十九さん! 誰か、誰か来てくださいッ!」
 乙骨の悲鳴に、捜索隊のスタッフが集まってくる。冷たい波がすぐ側まで打ち寄せる岩の上に、上半身と下半身が離れた九十九の無惨な姿があった。

「はあっ⁉ 九十九由基が死んだ⁉」
 九十九の悲劇は一部の者たちに伝えられることとなった。
 審査員の田上や禪院、そして決定戦の継続に賛成していた夏油とミゲル、それから何故か近くにいた田上の助手の田山だ。
 中でも禪院の取り乱し方は激しかった。
「ここには天下一の霊能力者を目指す者が集まっているんだ。何が起きても不思議じゃないんだろう。ねえ、禪院さん」
 反対に夏油は落ち着き払っている。
「そんなわけないやろ! ありえへん! 大体、あの女はッ」
「禪院さん?」
 人が亡くなって混乱するのも分かるが、禪院の言い方からして、それだけではなさそうだ。言葉の端々から、元から九十九のことを知っているような雰囲気を察する。
 ひとしきり大声を出した禪院は、何度か深呼吸して息を整えると、ひくりと口の端を上げた。
「はっ。こんなん犯人を探さんとも絞られるやろ。あの女を殺せる人間なんかこの世に数人と居らんのやから。なあ?」
 禪院は扇で口元を隠し、横目でちらりと夏油を見やる。視線を受けた夏油は挑発するような笑みを浮かべた。
「私がその数人のうちの一人だと? 禪院さんは、おもしろいことをおっしゃる。探偵ごっこもいいが、貴方の思う、ありえないことをやってのけた犯人が傍に居るかもしれないんだ。あまり派手に騒ぎたてない方が賢いと思うよ」
「こ、こんの、成り上がり風情がァ!」
 めきょ、と音をたてた扇子が真ん中からへし折られてしまう。煽るだけ煽った夏油は、芝居がかった動きで首を振る。
「まあ、少なくともこの茶番はすぐに終わるさ。ここに残っている参加者の中で一番強いのは私だ。そうだろう。となれば、勝者は決まったも同然。島の秘宝を手にするのは私というわけだ」
 ぐるりと周囲を見渡す夏油に対して、誰も何も言わない。乙骨は知らなかったが、夏油はかなり力を持った高名な僧侶なのだろう。異論がなさそうだと分かると、くるりと背中を向けて坂道を下り始めた。
「はは、これには禪院さんも異論なしか。では、私はここでお暇させていただくよ。天下一霊能力者決定戦は既に決着がついたようだし、ひと休憩して秘宝を回収するとしよう」
「同意だナ。ここに居ても何も変わらなイ。あんな場所にある死体を回収するのも現実的ではないだろウ」
……チッ」
 夏油に続いてミゲルや禪院も現場から去っていく。
「現場はなるべくそのままにした方がいいでしょう。警察に通報しましたが、この波の高さでは船を出せないそうです」
 田上が崖の上から手を合わせながら言う。乙骨も荒い風に吹き晒される金髪を目に移し、静かに手を合わせた。

 乙骨がプレハブ小屋に着く頃には、他の参加者も事態の詳細を把握している様子だった。おしゃべりな人間いたものだ。それでも、九十九が倒れている現場まで詰めかけないところを見るに、ある程度の常識は備えているようだ。
 いや、どちらかというと恐れているのかもしれない。脱出不可能な島の中で、非道な殺人犯と同じ空間にいるという恐怖感が、彼らをその場に押しとどめている要因の一つだろう。
 けれど乙骨には彼らと同じように何もせずここにいる、ということはできなかった。だって、人が亡くなっているのだ。流石に五条へ連絡しなければならないだろう。
「もしもし、五条先生ですか」
 幸い連絡はすぐについた。五条が帰ってから起きたことを簡単に説明する。犯人は未だに見つかっておらず、場は混乱しているという話を聞いた五条は、なるべく早く島に向かうと約束してくれた。
 一先ず、できることはやっただろう。ほっと胸を撫で下ろしたのとほぼ同時。島全体が振動したかと錯覚するほどの轟音が響く。嫌な予感を抑えられない乙骨はプレハブ小屋を飛び出した。
 そして、その予感が間違っていないことを、すぐに知ることになる。
「なっ、なんでッ」
 島の中央に位置していた山。その一部が抉られるように崩れ落ちていた。

 現場には、既に数人が集まっていた。主催者と田上、田山に禪院とミゲルの五人だ。
 轟音が鳴ってからすぐ、風は強くなり、雨が降り出していた。打ちつける雨から腕で庇うようにして前に進み、彼らの元へ駆け寄ると、全員の顔が青ざめていた。その視線の先、焦土と化した地面の上に見覚えのあるものが落ちている。
「えっ……腕?」
 こんなところに落ちていていいようなものではない物が落ちている。着物の裾を纏わせた腕だ。生々しい腕だけが、焼け焦げた土の上に落ちていた。
 よろめきながら近づこうとした乙骨の肩を誰かが掴んで止める。
……五条先生」
「アンタ、五条さんじゃないか! この嵐の中、どうやって戻ってきた?」
 驚く乙骨や主催者の声は聞こえていないようだった。
 腕の近くにしゃがみ込んだ五条は、それを静かに見つめて、ゆっくりと抱えあげる。
「それ、ほんまもんの腕なん?」
 へら、と笑う禪院だが、表情に力はない。
「あの男なら偽造くらいできるんやないの」
「いや」
 途端広がる重苦しい呪力は五条のものだ。
「傑の腕だ」
 何かがこみ上げてきて、食道がかっと熱くなる。この島で何が起きているのだろう。強くて聡い仲間をスカウトするために来たはずだった。だというのに、立て続けに人が死んでいる。
「ここから先は五条家当主の僕が取り仕切る。誰も異論はないな」
 腕を抱き込んで立つ五条は一切の雨風を弾いていた。連続する凶行に誰もが動転しているのか、言及する者はいなかった。
 どうして。昼間に交わした会話を思い出す。九十九も、夏油も、こんなふうに死んでいいような人達じゃなかったはずだ。
 そこで、はた、と気づく。乙骨の呪力感知に引っかかっていた人ばかりが続けて死んでいるということに。
「五条先生!」
 じっと腕を見つめている五条に駆け寄る。びりびりと肌をさすような呪力を抑えた五条が乙骨を見下ろした。思いついた可能性について捲し立てるように続ける。
「先生、このまま犯人が見つからなかった場合、次に狙われるのはミゲルさんだと思います」
 持論を聞いた五条は髪をくしゃくしゃにして、舌打ちをした。これまで見たことのない姿に驚く。
「っはあ。そういうことね」
 乙骨の背中を押して、風邪をひくからプレハブ小屋に戻ろう、と促す五条はいつも通りに見えた。

 三棟あるうちの一棟。関係者用に建てられたプレハブ小屋に乙骨たちは集まった。これも五条の提案だ。わざわざ大勢に聞かせるような話でもないだろう、というわけだ。
 小屋にいる乙骨たちからこれまでの話を聞いた五条は、深くため息を吐くと九十九が殺された現場に案内するよう告げる。自称霊能力者たちへの対応のため、主催者にはプレハブ小屋に留まってもらうことになった。残りの面子で、いくつか準備されていた雨具を使って外に出た。

 第一発見者である乙骨が先導し、天下一霊能力者決定戦の会場に向かう途中の崖へと足を進める。
「ここです」
 そう言って指差した崖の下。
「居ないじゃん」
 誰にも触れられないはずの場所にあった九十九の遺体はどこにもなくなっていた。
「もう付き合いきれんわ」
 傘の下で苦々しい表情を見せる禪院が吐き捨てた内容は、ここに居る全員が少なからず思っていることだろう。最早、何がどうなっているのか、乙骨には分からなくなっていた。

     *

「時系列順に整理しましょう」
 備え付けのホワイトボードを使い、田上がこれまでのことを振り返る。
 主催者が企画した第三回天下一霊能力者決定戦が孤島で開かれたこと。本土と島とを行き来するにはフェリーが必要であるということ。参加者の殆どが似非霊能力者で、まだ霊能力を披露しておらず、かつ決定戦継続の意志を持っていたのが九十九由基、夏油傑、ミゲル・オドゥオールの三人だったこと。そのうちの九十九、夏油が死んだこと。九十九は上半身と下半身が分かたれて、夏油は山の崩落に巻き込まれて死んだこと。九十九の遺体がなくなったこと。
「貴方はどうしてこの島で天下一霊能力者決定戦を開こうと思ったんですか。毎回ここで?」
 田上が主催者に質問する。話を振られた主催者は、びく、と肩を揺らすと額の汗を拭いながら口を開いた。
「い、いえ。第一回、第二回は百貨店の屋上にあるスペースや公民館を借りてやっていました。けれどあまり人が集まらなくて。家族にも呆れられていたんです。だから、これが最後のつもりで、記念になるような場所を探しました。すると、島のレンタルを見つけまして、はい」
「というと、ここを買ったのは貴方ではない?」
「はい。だから、禁足地だったことや、禪院さんがおっしゃるような秘宝、ですか? そういうものの話も知らなかったんです」
「なるほど」
 田上は次に五条へ質問した。
「貴方がたはどうして審査員を引き受けたのですか」
「人を探していたんだよ。ここに来るって情報を手に入れたから、金を払って審査員にしてもらった。そっちの禪院も同じようなものでしょ」
「そやね」
「ふむ。主催者に依頼された審査員は私だけ、と。分かりました。では、ミゲルさん。貴方は何故、この決定戦に参加されたのですか」
……そこの男が言っていただロ。島にある秘宝を探しに来たんだヨ。禁足地だという話だったし、普段は立ち入れない孤島に入れるチャンスだっタ。だから参加したんダ」
「すみません」
 皆の話を聞いていた田山が口を開く。
「皆さんが言っている秘宝とは、徳川埋蔵金のことじゃないんですか」
「徳川埋蔵金? そんな話は聞いてないガ。秘宝というのは、呪いの箱だヨ。ここに集まっているのは霊能力者ダ。そんな奴らが欲しがるものが金なわけないだロ」
 ミゲルの言葉に田山が撃沈したようだったが、誰も気にせず話は進んでいった。
「まあ、しかし、もう秘宝は俺のものでいいんだよナ? 二人とも事故死して居なくなったんだからナ」
「事故死、なんでしょうか」
 乙骨の疑問に、ミゲルが片眉を上げる。
「崖からの転落死と山の崩落に巻き込まれたって話じゃなかったカ?」
「だからといって、他殺の可能性が消えたわけでもないと思いますが」
……あんな奴らを殺せるような奴がゴロゴロいてたまるか」
 ぼそりと呟いた禪院の言葉に田上が反応する。
「九十九女史が亡くなった際にも似たようなことを仰っていましたが、何故そのような発言を?」
「はあ。しゃーないか。アンタらが言う霊能力者ってやつ。その中でも今日死んだ二人はまあまあの力を持つ部類なんや。こんなところでほいほい死ぬことはないくらいにはな。せやから、俺は事故死とも思わんが、他殺とも思わん。そんだけや」
 それ以上話すことはないとばかりに足を組み、そっぽを向いてしまった。
「死因がなんであれ、九十九女史の遺体が消えたのはどう考えたら」
「あんな岩の上ダ。波にさらわれたんだロ。さあ、そろそろ推理大会は終わりでいいカ?」
 ミゲルは、やれやれとでも言わんばかりの仕草をする。いえまだ、と田上が話を続けようとした、その時だった。再び轟音が島を揺らす。
「今度はなんだ!」
 ばたばたと小屋から出た一行は山を振り返り唖然とする。
 初めの崩落時と真逆の場所が同様に抉られたような形で崩れていた。
「このまま山が全て崩れるんじゃないか……
「ああっ、レンタルの島なのに!」
 一人だけ違う理由で青ざめている主催者を残して、坂道を駆け上る。夏油の腕が見つかった場所と同様に、轟音の発生源には焼け焦げた地面が広がっていた。そして。
「九十九さん……?」
 焦土の上には、上半身と下半身が繋がった状態の九十九が横たわっていた。
「死んでる」
 それぞれが遺体に近づく前に五条が言う。
「呪力の流れが途切れてる」
 そして九十九の首元に触れ、頭を横に振った。
「んなアホな」
 唖然とする禪院の呟きが霧散して消えた。

 九十九の遺体を人目のつかない場所へと移動させ、一同は再びプレハブ小屋へと戻る。立てた続けに起きた凶行に疲弊し、誰もが陰鬱な表情をしていた。
「こないな茶番に付き合ってられるか。俺はもう帰るで」
「あの、フェリーの運転手に連絡がとれないんですが!」
 主催者の悲鳴があがる。
「五条さんはどうやってここまで戻って来たんですか⁉」
 五条が到着したのは天候が荒れてからのはずだ。その疑問も最もだった。
「どうって、家の船を無理言って出させたんだよ。今頃、港についてるんじゃないかな」
「そやったら、それに便乗して帰らせてもらおか」
「三十人くらいなら乗れるとは思うけど」
「ほな早速」
「待ってください」
 禪院が腰を上げた時、田山が声をかけた。
「犯人が分かりました」
 視線が一斉に田山の方を向く。
「犯人は、ミゲルさん、貴方です」
 すらりとした指がミゲルを指し示した。
 当のミゲルは一切表情を変えることなく、パイプ椅子に背中を預け、足を組むという余裕を伺わせる態度で座っている。
「ふうン? 名探偵の推理を聞かせてもらおうカ」
「貴方は九十九さんと手を組んでいた」
 そこでミゲルの眉がぴくりと動く。
「死んだフリをして、実は生きている。推理小説ではよくあるトリックです。現実でも、死んだと思われた人物が協力者になれば、一人では実行不可能な犯罪を行うことも可能になります」
 田山はホワイトボードを使い、きゅ、と三人の名前を書いた。
「この島に伝わる秘宝を手に入れるために、ミゲルさんは九十九さんと手を組んだ。そして、早々に動き出した。何故ならここには、私を含め強力な霊能力者が集まっていますからね。長期戦は不利だと考えたのでしょう」
 三人の名前の近くに、デカデカと田山の名前が書かれ、その横に小さく田上の名前が追加された。
「計画を進めるために、さくっと九十九さんに演技をさせた貴方は、その姿を全員に確かめさせ、彼女が死んだものと思い込ませた」
「で、でも、完全に体が離れていましたよ」
 主催者がおずおずと口を挟む。
「それは、あの遺体が偽物だったからです。我々は遠くからしか彼女の遺体を見ていない。恐らく、上半身は本当に彼女のもの。そして下半身を岩と似た色の布で覆い隠し、偽物の下半身を置いた。つまり、あの時点で九十九さんは生きていたのです」
 九十九の名前の下に、生きている、と付け加えた田山は続ける。
「それから、二人は共謀して夏油さんを殺した。現場を思い出してください。土が焼け焦げていました。あれは人的に起こされた現象で、山の崩落ではありません。さて、ここで思い出していただきたいのは、九十九さんが亡くなった際、夏油さんが微塵も驚いていなかったということです。加えて、彼は秘宝のありかに目星がついているような発言をしていた。夏油さんが、禪院さんに言っていましたよね。犯人が居るかもしれないから、派手に騒ぎたてない方がいい、と」
 田山はホワイトボードに文字を書いていた手を止めて、ミゲルを見つめる。
「それは本来であれば夏油さんにも当てはまるはず。けれど、あのような態度をとっていたのは、九十九さんの死を予め知っていたから。つまり、夏油さんもミゲルさんと手を組んでおり、九十九さんを排除する予定だったんです。正確には、本人だけはそう思っていた、ですが」
「俺が二重スパイだっテ? 何を言い出すかと思いきヤ。やれやれダ」
「絶海の孤島で犯人と一緒に閉じ込められている状態です。あんな強気な発言をできるということは、犯人に目星がついていて、尚且つそれが自分の協力者であると考えるのが自然ではないでしょうか。恐らく夏油さんは我々が九十九さんの捜索や遺体について騒いでいた隙に秘宝のありかを見つけ出していたのだと思います」
 秘宝発見やったー、の文字が夏油の名前の下に書かれる。
「秘宝のありかを探し当てた夏油さんに、回収しようと声をかけ、山の中へ呼び出した貴方は、潜伏させていた九十九さんと協力し、爆弾を使用して彼を殺害した」
 九十九とミゲルから矢印が伸ばされ、夏油の名前がバツ印で消された。
「しかし、秘宝を独り占めしたくなった貴方は九十九さんをも手をかけた。それが第二の崩落です。同じように人工的に作られた焦土が広がっていました。予想ですが、あの場所は偽の秘宝の在り処だったんじゃないですか。貴方は、死んだとされている九十九さんに秘宝を回収させることで、我々の目を欺くという筋書きを彼女に伝えておいた。そしてタイミングを見計らって爆弾のスイッチか何かを押し、夏油さんの時と同様に山ごと九十九さんを爆破したのです」
 最後に九十九の名前にバツ印が刻まれた。ミゲルに近づいた田上が、彼のポケットから意味深なリモコンを見つけ出して、皆に見えるように掲げる。その間、ミゲルは全く抵抗しなかった。田山が再びミゲルを指さす。
「お前のやったことは全てまるっと──」

 田山の推理を聞きながら首を傾げていた乙骨は、その後も引っかかる違和感を拭えないでいた。
 まるでドラマや小説のようにトントン拍子に暴かれた事件。本当にそんなことがありうるのだろうか。まるで、全ての謎が解明されることが前提になっていたようにも感じる。
 犯人だと言われたミゲルは犯行こそ認めなかったが、連行されることには同意して五条が乗ってきた船へと移動した。天下一霊能力者決定戦に参加していた他の自称霊能力者たちや主催者、田上たち、禪院も乗り込み、後は出発を待つだけだ。
「憂太」
「は、はい」
「復習の時間だよ」
 港に向かう途中、小声で話しかけられた内容に乙骨は目を丸くする。この状況で、何を言い出すのだろう。
「呪術師の死について座学があったはずだ。日下部さんに聞いたからね。さあ、思い出してごらん」
 乙骨は二ヶ月ほど前の座学を思い出す。
 それは、呪霊の発生についての講義だった。呪霊は人間から漏れだした負の感情から発生する。けれど呪術師は、負の感情、つまり呪力のコントロールが可能だ。呪術師の呪力は体内を巡るため、外に漏れ出すことがほとんどない。故に、呪術師からは呪霊が発生しにくいのだ。
 ただし、例外はある。呪術師はその死後、呪いに転ずることがあると言われている。それを防ぐ条件が、呪力をもって殺すことだった。
「あの二人は間違いなく呪術師だった。仮にさっきの方法で二人が殺されていたとしたら、何が起きると思う」
「二人が呪力ではなく爆弾で亡くなったとしたらですか? 死後、呪いに転じてしまう……?」
「その通り。でも、彼らは呪霊になっていない」
「えっと、つまり、本当は二人とも呪力で殺されていた、とか」
「うーん、惜しい」
 にこ、と微笑んで立ち止まった五条の脇には、未だ夏油の腕が抱えられている。
「タイムアップかな。さ、憂太は船に乗りな」
「先生はどうするんですか」
「五条家当主としての仕事が残ってるからね。ちょっと片付けてから帰るよ。憂太は、あのミゲルとかいう呪術師から目を離さないで。結構厄介だと思うから」
「はい」
 日本刀の入った木刀袋を抱きしめ、神妙な表情で頷くと、船に続くタラップへ足をかけた。五条に見送られ、小走りで船に乗り込んだ乙骨は、ミゲルがいるという最上層の個室に向かう。五条からの伝言で見張りを任されたと言えば誰も止める者はいなかった。
「ああ、乙骨カ」
 椅子に座り、後ろ手に拘束されたミゲルは乙骨の姿を認めると顔を上げた。
「陸までの監視係に任命されたらしいナ」
「はい、よろしくお願いします!」
「ふ、その辺の椅子に座れヨ」
 乙骨の緊張を察したミゲルが笑う。暫く向かい合って無言でいたが、船が動き出すと同時に、ミゲルは窓の外を眺め始めた。
「恩がある相手の理想を叶えたいと言ったのを覚えているカ」
「はい」
 出会ってすぐの会話だ。乙骨が頷くのを見て、ミゲルは今もそれは変わっていない、と続ける。
「それは、この状況も含めてということですか」
 こうして拘束されていることも、計算づくだと言うのだろうか。
「そういうことダ。おっと、準備ができたらしいナ。さて乙骨。これからのことに関して謝らないといけないことがあル」
「え、急になんですか」
 胸騒ぎがして思わず立ち上がる。乙骨のザルな呪力感知がビンビンと何かに反応していた。
「俺の持ち物にアタッシュケースがあるはずダ。修理費用はそこから捻出しロ」
「ちょっと待ってください、今から何が」
「アバヨ」
 にこ、とミゲルが満面の笑みを浮かべる。次の瞬間、見たこともないくらい大きなペリカンを模した呪霊が、窓どころか、壁を突き破って飛び込んできた。
「え⁉」
 そしてそのまま、椅子に座ったミゲルを丸呑みすると、颯爽と飛び去ってしまう。
「ええ〜っ⁉」
 後に残されたのは何らかの術式が行使された残穢だけだった。

     *

 休日のカフェは賑わっていた。
 幸いなことに三十分ほどの待ち時間で店内に入ることができた乙骨たちは、いつものメニューを注文し、それが届くのを待っている。
「──というわけなんだ」
「大変だったんだね」
 孤島で起きた事件について話す乙骨の前に座るのは、幼馴染の祈本里香だ。二人がまだ子どもだった頃、横断歩道を渡ろうとしていたところに軽自動車が突っ込んでくる事故があった。命に別状はなかったものの、祈本は暫く目を覚まさなかった。いつも一緒にいた幼馴染が死んでしまうかもしれない。恐怖のあまり、彼女のベッドから離れない生活を送っていた乙骨だったが、ある日、無理がたたって倒れてしまった。
 まだ小さい体には肉体的にも精神的にも負担が大きかったのだ。その時のストレスや恐怖が、乙骨の呪力を目覚めさせた。
「今回のことを受けて考えてみたんだ。もし、あの事故で僕が死んでいたら、呪霊になっていたのかなって」
 当時は今ほどの呪力を自覚していなかったから、どうなっていたかは分からない。けれど、術式を認識するのが四歳から六歳だと習ったので、気付かぬうちに覚醒していた可能性もあるのだ。
 故に、もしもの世界を想像してみた。自分が事故で死んで呪いになった世界。その時、呪いになった乙骨はどうするのだろう。
「私には、あんまり呪いが見えないから分からないけど。もし、憂太が呪いになるなら、私に取り憑いてね」
「ええっ」
「私が呪いになったら、憂太に取り憑くから」
 そう言った祈本の瞳がどこまでも澄んでいるので、何も言えなくなる。乙骨はこの瞳に弱かった。否、祈本の全てに弱かった。
「そんな、冗談でも駄目だよ。里香ちゃんに危ないことがあったらどうするの!」
 乙骨の反論に、頬を膨らませ、肘をついた両手に顎を乗せる姿は文句なしの美少女だ。呪術高専に入学したことで、離れて過ごすことになっている幼馴染には、寂しい思いをさせているのかもしれない。
 もし、五条の言う、強くて聡い仲間が勧誘できたとしたら。あの時、出なかった答えを考えてみる。仲間が増えて余裕が生まれれば、自分だけじゃなく、他の皆もこうして大切な人と過ごす時間が増えるのではないだろうか。祈本に寂しい思いをさせることも、減るかもしれない。
 一層頑張らなくてはいけないな、と気合いを入れ直した乙骨を見て、祈本は目を細め、艶やかな赤い唇で綺麗に微笑む。さらり、と長い黒髪が揺れた。
……本気なんだけどな」
「うん? 里香ちゃん、何か言った?」
「なーんでもない! ほら、ケーキ来たよ」
 つかの間の休暇だ。
 二人は美味しいケーキと紅茶をお供に、穏やかで優しい時間を過ごすのだった。

     *

 ところ変わって某所。ここにも、つかの間の休暇を過ごす二人がいた。
「大体ね、やり方が姑息なんだよ」
 古い平屋建ての日本家屋。ぽかぽかと温かい日差しを受けながら縁側に腰掛け、着流し姿で呆れたように話すのは夏油だ。その膝の上では、色のない髪が堂々と居場所を主張している。
「こそくぅ〜? 僕のどこか姑息なんだよ!」
 不満そうな声を上げつつも、夏油の膝枕から頭を上げないのは五条だ。こちらも色違いの着流しを身につけており、随分とリラックスした様子だった。
「自分のスカウトが上手くいかないからって、乙骨のような若い術師を使うところだよ」
「だって、オマエ、若くて才能ある術師に弱いじゃん!」
「言いがかりはよせ」
 ぺち、と全く痛くない力で額を叩かれた五条は下唇を尖らせた。
 普段の胡散臭い僧侶のような格好ではなく、五条が用意した着流しに身を包む夏油は、長い黒髪をおろして下の方で緩く束ねている。その髪を指先で弄り、口を開いた。
……なあ、傑ぅ。本当にさ」
……
「僕の隣に戻ってくる気はないのかよ」
「ふふ」
「笑うところじゃねえんだけど」
「いや、はは。高専じゃなくて君の隣に、か」
「手を変え品を変え、こんだけ誘っても無理なら、そういうことなんだろ。オマエは今後も高専とは手を組まない。どうせ、あのプラプラ特級術師とも似たような考えでつるんでんだ。あーやだやだ。僕は除け者ってことね」
 夏油が何かを狙っていることに気づいたのは、海外をプラプラしてろくに働かない特級術師の九十九がこの国に帰ってきたことがきっかけだった。調べてみると、天下一霊能力者決定戦などというふざけた名前の大会にエントリーしている。そこに、夏油の名前も見つけたのだ。
 五条には何の説明もなかった。誘われもしなかった。
 まあ、誘われたとて参加したかは分からない。いや、夏油に誘われたなら意気揚々と参加していたような気もする。けれど、実際に誘われたのは、ミゲルとかいう知らない異国の呪術師だったわけだ。拗ねるくらい許されるだろう。
 学生の頃とは違うのだから、大人らしく立場に応じた振る舞いを身につけろ、と言われ、そうすることも吝かではないと思っていた。でも、五条はいつだって夏油とはしゃぎたいことも忘れないで欲しかった。
「悟」
「んだよ」
「君は、強く聡い仲間を集めているんじゃなかったのかい」
 それなのに、夏油をスカウトしたいのか、というのを言外に含めた聞き方だ。
 呪術高専を卒業して、はや十年。今や御三家の当主と、高専から独立した組織の長となった互いの立場を重んじて、自分からは五条に接触してこないくせに、この寂しがり屋め。そんな夏油の態度に機嫌をよくして、にゅっと口角をあげた。
「もしかして、全部言わせようとしてる? この言わせたがり」
「そんなつもりじゃないさ」
 目を伏せてしまった夏油の頬に手を伸ばす。いつだって変わりなく、手を伸ばした先に居て欲しいのはただ一人だというのに。
「オマエだよ。俺にとっての、強くて聡い仲間」
……
「これで満足?」
「嫌な言い方するようになったな」
「はあ? これくらい可愛いもんでしょ。なに考えてんのか知らねえけどさ。俺と傑の仲だろ。もうちょい自惚れてくんない?」
「私と君の仲、か。昔のようにつるんでいるわけでもないのに、まだそんなふうに言ってくれるのか」
「そういうのは関係ねえの。例え、何万光年離れていたってな」
 規模の大きな発言だったからか、慰めの言葉だと思ったらしい夏油がようやく微笑んだ。
「ありがとう、悟」
「ちゃんと信じた?」
「初めから信じているさ。だから計画にも巻き込んだじゃないか」
「はー、なに? オマエが信じてるのは六眼だけだって? あーあ、冷たいんだ。あーあ、傷ついちゃったな。結局、カラダ目当てかよ」
 大袈裟に嘆いてみせると、柔らかく頬をつままれた。擽ったくて笑いそうになるのを堪える。暫くそうしていると、頬を摘んでいた指は離れ、代わりに頬を撫でられた。
「悟なら、私の思惑を察して動いてくれるって信じていたんだよ。九十九さんの件、上手く誤魔化してくれてありがとう。禪院のお坊ちゃんは悟の言うことなら聞くから助かるよ。それにね、可愛い生徒が殺人犯と同じ島に閉じ込められていると知れば、君は無視できないことも分かっていた。つまりは、悟の在り方と善性を信じたのさ」
「クッサい台詞。言ったのがオマエじゃなかったら全部聞き流してた」
「それは、よかったのか?」
「おーおー、喜べ。この俺から言われたんだ」
「はは、悟は一体何なのさ」
 軽口の応酬だと思って油断している夏油に、特別の言葉をぶつける。
「傑の親友だよ」
 案の定、すましている表情が揺れて崩れた。代わりに現れたのは、照れたような困惑したような珍しい一面だ。
「絆そうとしてるのか? 学生の頃でもそんなこと、明け透けに言わなかったくせに」
 それは言わなくても伝わっていると思ったからだ。こうして成長し、各々のやるべきこと、やりたいことをしていると、言葉にすることの大切さにも改めて気づくというものだ。特に、夏油に対しては。
「つーか、俺さ。怒ってるから」
 そう、拗ねているだけではなく、怒ってもいる。これだってちゃんと言葉にして伝えなければならないだろう。
「悟を巻き込んだこと?」
「違えし、それは今更だろ。そこじゃない」
 巻き込んだことなんて、全く気にしていない。というか、五条悟の人生にここまでくい込んでおいて、巻き込むとか巻き込まれるとか、そんな次元の話ではないことをそろそろ自覚してほしい。
「オマエが腕落としたことだよ」
「ああ。それか」
「それか、じゃねえわ。何してんの? 咄嗟に無下限で断面を保護したけど、くっつかなかったらどうするつもりだったんだよ」
「ううん。これ言ったら更に怒られそうなんだけど」
「怒らないから言ってみなさい」
「あは。先生みたいだ」
 みたいじゃなくて、こちとら、本当に非常勤の先生なわけなのだ。再度促すと、観念したように口を開いた。
「実験の一つだったんだ。呪霊操術の使い手の死後、取り込んだ呪霊がどうなるかは分からない。それが通説だね。けれど、私は使い手本人だから、なんとなく後の想像がついている」
 語られる内容に、思わず顔をしかめた。そんな顔をさせたかったわけじゃないと、眉間に寄ったシワを撫でられる。
「降伏した呪霊は全て完璧に支配下にあるけれど、私が死んだときには恐らく暴走する。あの島にあった秘宝。まあ、呪物なんだけど、悟は正体を知っているんだろう」
「呪いを閉じ込めることに特化した呪物」
「そう。私が死んだ時、呪霊の後処理ができるような手段が欲しかった。それも一つではなく複数。理想は呪霊を全て処理してから死ぬことだけれど、上手くいくとは限らないからね。保険はいくらでも欲しいんだ」
「で? 実験ってことはどれくらい弱ったら呪霊が暴走するのか知りたかったって?」
「呪物の力が本物だということは、私と九十九さんとで確認できたからね。いやあ、それにしても九十九さんには損な役回りをさせちゃった。参加者を島から引き上げさせるためとはいえ、二回も死体の振りしてもらったし。でも、なかなか推理ドラマっぽい筋書きだったと思わないかい? 徹夜で考えたんだ」
 思い出しながら話す夏油の、まだ少し動きの鈍い右腕に触れる。
 乙骨たちを見送った後、五条は島の反対側で身を隠す夏油と、傍で傷の悪化を防いでいる九十九を見つけ出した。
 夏油くんには借りがあるからね、と言ったのは九十九だ。彼女が言う借りとは、学生の頃に任された星漿体の護衛と抹消任務のことだろう。
 星漿体であった少女の意思を尊重したい夏油たちと、星漿体を保護したい九十九。双方の思惑が一致したことで、国外脱出が叶った。
 ならば五条にも借りがあるだろ、と思わなくもないが、九十九が呪術高専に足取りを掴まれるのを気にせず、堂々と帰国したこと自体がそれにあたるのかもしれない。わざと五条に帰国を知らせ、夏油の動向を遠回しに伝えてくれたのだろう。
 夏油の身を五条に預けると、島にあった呪物を持ってさっさと何処かへ行ってしまった。複数の保険をかけておきたいという話から察するに、今回の保険とやらは九十九が持っておくらしい。おかげで船には偽物の遺体を運び込むはめになった。
 あの後、重傷を負った夏油を抱えた五条は、予めマーキングしておいた孤島と呪術高専とを繋ぎ、ちぎれた腕諸共、家入の元へと飛んだ。案の定、仕事を増やすなと彼女に叱られたので、今度二人で美味しい酒でも持って謝罪に行くつもりだ。反転術式という、肉体を治癒する術を他人に行使できる家入は、同級生のよしみとして今も昔も変わらず手当てをしてくれる。優しく、頼りになる友人だった。
「もちろん、死ぬつもりはなかったよ」
「ッたり前だろ! ただの爆破で死んでみろ。万が一にでも呪いに転じたらどうすんだよ」
「その時は、悟」
「やだ。嫌だけど、仮に俺が呪いになった時、オマエが取り込むっていう約束をしてくれるならいいよ」
 きょとんとした表情を見せた夏油の腹に顔を埋める。苦しいよ、と言われても無視した。少しは反省してほしい。理想のために身を削るオマエを、見ているこっちの気持ちを察してみろ。
「悟が呪いになるところなんて想像できないな」
「そうかよ。想像力が貧相なんじゃねえの」
「喧嘩売ってる? 右腕が本調子になったら買うから、つけといてくれ」
「ばーか、あほ、変な前髪」
「今から買っちゃおうかな」
 ぐしゃぐしゃと髪を乱される。されるがままの五条を見て思うところがあったのか、今度は髪を梳くように撫でられた。
「もし悟が呪いになるなら、何によってそうなるんだろうね」
「分かんない?」
「うん」
 幼い子どものように頷く夏油を見上げた。
 視界には隠れ家の一つである日本家屋の天井と、夏油の顔が映っている。縁側から見える庭の景色は四季折々の美しさで目を楽しませてくれるが、いっとう五条の心を擽るのはいつだってこの親友なのだ。
 体を起こして顔を近づける。こんな距離を許すくせに、まだ分からないのかと、一周まわって愉快な気持ちになってきた。
 夏油の右腕の付け根に手を添えて、ゆっくりと撫でる。腕が動かしにくいことを口実に、最近は家に入り浸ってずっと夏油の世話をやいてきた。食事も、着替えも、風呂も、全て。この五条悟が、だ。
「分かんないなら、教えてあげる」
 だって、五条はグレートティーチャーでもあるから。
「愛だよ」
「あい」
 そんな言葉、初めて聞きましたとでも言わんばかりに、オウム返しをする夏油をゆっくりと押し倒して、乗り上げる。
 幸いなことに、誰にも邪魔されない箱の中で、もう暫く二人きりの時間は続きそうだった。

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