カルみと 風邪の話
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
喉の痛みを感じた昨晩、気のせいだと言い聞かせて何も対策をしないまま眠りについたことが非常によろしくなかった。
「げほ…っうん、うん……ごめん青木……うん、わかった……」
朝起きて真っ先に襲った気だるさに嫌な予感を覚えた神無は、リビングを探し回って見つけた体温計で自身が高熱を出していることを知ったのだ。
学生ならともかく、社会人である以上多少の熱なら這ってでも職場に行くつもりだった神無だが、さすがに仕事にならないほど体が重い。
仕方なく正直に青木に連絡を入れれば、彼は心配そうに今日は気にせずゆっくり休むようにと言ってくれた。
「うん……え、ディーノの看病?」
神無の容体を心配した青木は、ディーノを看病に派遣しようかと提案を持ちかける。
あの事件以降、神無はディーノやアサギリなどドロ課のアンドロイドたちであればどうにか変わらず接することができるようになった。
しかし、神無が患っているのはただの風邪であり、安静に寝て過ごしていればすぐに治るものだ。
重症でもない自分に必要以上の介護は要らないと思い直した神無は、ふるふると首を横に振って言葉を続けた。
「んーん、別にいいよ。そもそもディーノは料理とかの細かい作業苦手だろ?」
戦闘特化に作られたディーノの体は、家事専門のアンドロイドに比べて力の加減が難しいのか細かい作業を苦手としている。
慣れないディーノにやり方を教える元気がない今、呼び出してもディーノが戸惑うだけだと青木に告げれば、彼は納得した様子で了承した。
お大事に、と添える優しい上司に礼を言って通話を切った神無は、受話器を置いてふらふらとキッチンへと足を向ける。
「なんか食べて薬飲まなきゃ……」
言いながら冷蔵庫を開けた神無は、覗き込んだ中身がほとんど空っぽであることに気がついてずるりと肩から部屋着を落とした。
そういえば先日、次の非番には食材の買い出しにいかなければならないと考えていたことを思い出す。
買い出しに行くような体力は残っていないが、かと言って宅配は配達員がアンドロイドであるため利用することができない。
諦めた神無は冷蔵庫を閉めると、汗をかいた服を着替えて寝てしまおうと歩き出す。
「……あ…せんたくもの…………」
ところがタンスの中に寝間着は見当たらず、まとめて洗濯をしようと溜めていた脱衣所の洗濯カゴの存在を思い出した神無は頭を抱えた。
本来なら今日、仕事に行く前に洗濯を済ませて帰宅次第洗濯物を回収する予定だったのだ。
季節外れの半袖シャツでは、体が冷えて体調が悪化する未来が見えている。神無は着替えも諦めると、ふらふらとリビングを歩いて薬箱へ向かった。
「うぅ……薬もない……」
探し出して開いた薬箱に風邪薬は見当たらない。全てが上手くいかず涙目になった神無は、何もかもを諦めてベッドへと戻っていく。
思えばこれは、神無が一人暮らしになってから初めて経験する体調不良だ。
いままでは神無が体調を崩すと、黒田が消化の良いものを作り風邪薬を飲ませてくれた。彼が仕事のときは赤星が駆けつけて、身の回りの世話をしてくれていたことをよく覚えている。
「……ぱぱ…とおや…」
失ったものを改めて突きつけられた現実に、弱った神無の心は耐えられず溢れる涙と嗚咽が止まらなくなってしまった。
熱のせいでいつもより弱気な神無は、あまりの寂しさにしくしくと泣きながらベッドの中で膝を抱えるように丸くなる。
泣いたことで体温が上がったらしく、げほげほと痰の絡む咳を漏らした神無は苦しげに目を閉じた。
「ぅ…けほ、ひく……っげほ、げほっ…」
目尻からこぼれ落ちた涙がシーツに染みて透明の水玉模様を作りだす。
シーツの冷たさすら火照った体には心地良く、熱っぽい息を吐いた神無はそのまま意識を微睡みへと強引に溶かすことにしたのだった。
※
ぐらぐらと頭が揺れる。
白いキャンバスがみるみる黒一色で塗りつぶされていく様は、背筋が凍りつくような深く重たい不安を煽った。
ふかふかのベッドで眠ったはずなのに、石の上に横たわっているかのように体が強張る。
今も時々見るアンドロイドに追い詰められる直接的な恐怖を煽る刹那の夢とは違い、漠然とした不安が渦巻くその夢には終わりがない。
「ん……うぅ、ぁ……」
うなされた神無は夢の終わりを探して寝返りをうつ。
それでも覚めることのない深く苦しい夢の底でもがく神無が手を伸ばしたそのとき、彼の手を誰かが捕まえた。
「ぅ……ん、ぇ…?」
ひんやりとした心地良い温度の手のひらに引かれるようにしてどうにか意識を覚醒させた神無は、ぼんやりと曖昧な視界で自分の手を取る白い手のひらを見つめる。
「……神無ちゃん、大丈夫?」
ふと頭上から聞こえた声に視線を持ち上げれば、そこには神無の顔を覗き込むかつての先輩の姿があった。
「だら…だ、らせんぱ……い…?」
「起こしてごめんね。随分うなされてたから」
そう謝る縞斑の顔を唖然と見上げていた神無は、どうして彼がここに居るのか分からず首を傾げる。
そんな彼の疑問を察したのか、縞斑は神無の頭の下に氷嚢を差し込んでから口を開いた。
「青木ちゃんから、心配だから様子を見に行ってくれないかって連絡が来たんだよ」
朝青木から連絡が来たときは、さすがに過保護過ぎやしないかと苦笑いを浮かべた縞斑だったが、ふと神無が一人暮らしになってから初めての体調不良であることに気がついたのだ。
ひょっとすると何も備えていないのではないだろうか。そう考えて駆けつけてみれば昨晩掛け忘れたのか家の鍵が空いていて、思わず縞斑はその不用心さに顔を顰めてしまった。
「風邪薬ある?」
「…ない……」
「ご飯と着替えは?」
「……んん…」
何もできていない自分が恥ずかしくて堪らなくなった神無は、俯いてふるふると首を横に振る。
頷いた縞斑は足元に置いていたビニール袋を開くと、スポーツドリンクのペットボトルをひとつ取り出して蓋を開けながら言葉を続けた
「だと思って色々買ってきたから。とりあえずこれ、ゆっくり飲んで」
一緒に買ってきたらしいストローを通したそれを縞斑が神無の口元へ持っていく。
寝たままでストローを咥えた神無は、縞斑の言いつけ通りゆっくりと口の中を湿らせるように嚥下した。常温のそれが痛む喉を刺激することなく滑り落ちて体に染み込む感覚に神無はほっとため息をつく。
安堵した瞬間、それまでの心細さを自覚した神無はぼろぼろと涙を溢してしゃくり上げてしまった。
「ぅえ……えぇん……っせんぱい、ありがとぉ…ひく、っう」
「あぁもう、泣くと熱上がるよ」
まだ感情の制御が効かないほど熱が高いのだろう。
真っ赤な顔で溢れる涙を拭って泣き声をあげる神無の背を撫でた縞斑は、もう一度彼に水分を取らせると言い聞かせるような声色でゆっくりと話しかけた。
「こういうときはちゃんと周りを頼りな」
「……うん、」
「ディーノちゃんも心配してたから、元気になったらふたりにちゃんと謝るんだよ」
「うん……うん…っ」
いつもは生意気な口ばかりきく神無だが、上手く人に頼れず弱って泣いているところはどこか放っておけない気持ちになる。
こくこくと何度も頷いて鼻を啜る神無の頭をそっと撫でた縞斑は、さて、と呟くとベッドから立ち上がった。
「薬を飲む前に何か食べないとね。うどんとお粥、どっちがいい?」
「え……せんぱい、つくれるの…?」
「失礼だな、これでもアサギリちゃんに家事を一から仕込んだのは俺だよ?」
レトルトの食品を買ってきてくれたのだろうと考えていた神無は、キッチンに立つ縞斑の姿が想像できず首を捻る。
悪戯っぽく笑ってみせた縞斑の笑みに安心を覚えた神無は、遠慮することなく自然に甘えることができた。
「じゃあ……うどんがいい」
「了解、少し待ってて。何かあったらこれで俺に鳴らして」
ひとつ頷いた縞斑は、神無の枕元にサングラス型コンピュータを置いて部屋を歩いていく。
丁寧なことに縞斑とのメッセージ画面が開かれたそれを両手で握りしめると、神無はリビングへ向かう彼の背中を見送るのだった。
※
間も無く振る舞われた縞斑特製のうどんは彼の自負通り大変美味で、鼻が詰まって味がよく分からないことが悔やまれた。
縞斑は買ってきてくれた風邪薬を神無に飲ませて再びベッドに入れると、分かる範囲で家事を済ませておくから何かあったら呼んで、と言い残して再びリビングへと戻っていったのだ。
「……せんぱい、面倒見よすぎ……?」
扉越しに洗濯機の駆動音や洗い物の水音を聞いていた神無は、こほりと咳をこぼしてしみじみと縞斑のありがたみを感じていた。
一時は一人きりの部屋で途方に暮れたが、縞斑のおかげでどうにか療養に専念することができそうである。
完治したらさっそく非常食の補充と薬の調達をしようと神無は固く決意した。
「なんか懐かしいなぁ……」
リビングから聞こえる生活音に耳を澄ませた神無は、朧げになりつつある家族との記憶を振り返る。
目を覚ませば黒田の作った朝食があって、家事だって神無は赤星の手伝いをする程度だった。
改めて家族のありがたみと、今はもう取り戻せない切なさに神無が小さく鼻を啜っていると、きしきしと廊下を歩く縞斑の足音が耳に届いた。
「……神無ちゃん?」
扉を軽くノックする縞斑の声を聞いた神無は、今更大泣きをして醜態を晒したことを思い出して無性に恥ずかしくなって目を閉じる。
部屋から返事がないことを確かめた縞斑は、入るよ、と一言断ってから扉を開けた。
深い寝息を立てて寝たふりをする神無の横になるベッドに歩み寄った縞斑は、きしりと音を立てて縁に腰を掛けて身を乗り出す。
一方目を閉じているせいで気配でしか様子が分からない神無は、自分の顔を覗き込んでいるらしい縞斑に内心大困惑をしていた。
寝たふりがバレているのだろうか。今からでも目を覚ました演技をして誤魔化すべきか。そう神無が悶々と葛藤していると、唐突に彼の額に手のひらが触れる。
「っ……」
ぴくりとその冷たさと感触に驚いた神無が身を震わせれば、縞斑の指先は様子を伺うように動きを止めた。
縞斑の出方が分からない神無は、念のために寝たふりを続けることにして再び寝息を立て始める。
その深く穏やかな呼吸をしばらく聞いていた縞斑は、気配を殺してもう一度額に手のひらをそっと重ねた。
「……??」
額に触って何をしているのだろうかと気になって仕方がない神無のことなどつゆも知らず、縞斑は彼の熱が先ほどよりも随分下がったことを確かめる。
「……よかった」
その直後神無の鼓膜を揺らしたのは、言葉通りの心底の安堵を乗せた声と深いため息だった。
ぽつりとそれだけ呟いた縞斑は立ち上がると、神無の頭を一度撫でてベッドから立ち上がる。
枕元のスポーツドリンクを取り替えて、蓋を緩めたゼリー飲料を添えた縞斑は、ポケットからスマートフォンを取り出して耳に当てながら部屋を出ていった。
「もしもし。……うん、こっちは大丈夫、だいぶ熱も下がってきたよ」
「……あぁ、悪いね。もう少し様子を見るから、なにかあったら連絡を…………」
縞斑の通話相手おそらく、仕事を任せてきた相棒のアサギリなのだろう。
離れていく相槌の声を聞いた神無は、彼の気配が遠ざかったことを確かめるときっかり10秒後にベッドからがばりと飛び起きた。
「え、な…っな、なに?なに今の!?」
きっと縞斑は神無の狸寝入りを見抜いていない。風邪を引いた神無にそんな余裕はないと思われていたのだろう。
つまり縞斑は、神無が眠っている間にああして額に触れて熱を測っていたということになる。
「だれにでもやるのかあれ…?!それともおれだけ!?」
かつて父親や兄がそうしてくれたように、愛情と心配を込めて触れた手のひらの感触を思い出した神無は赤い顔を両手で覆い隠した。
「あんなの好きになるじゃん……」
縞斑としては神無を起こして体温計を使うより早いと考えたからなのだろうが、初心な神無にそのふれあいは少々刺激が強い。
「熱あがっちゃったよ……先輩のばか」
火照る頬を両手で押さえて冷ました神無は、リビングから聞こえる生活音に手のひらを返したように舌を出す。
次に彼が戻るまでにこの熱を冷まさなければならない。万が一悪化したと勘違いされたそのときは、お前のせいだとめいっぱい怒鳴ってやろう。
そう自分に言い聞かせた神無は、シーツを頭から被って蹲ると眠って熱を下げようと目を閉じるのだった。
終